マジック・マジック
 
オランダ・アムステルダム。
歩行者天国になった休日の舗道に、人だかりが出来ている。
レンガ造りの銀行の前。人だかりの中心で注目を浴びているのは。
女の子。
サラサラの黒髪を持った東洋系の娘である。小柄であり、黒い瞳がキラキラと輝き、その髪の毛は肩に触れない程度でスパッとカット。
「ではみなさんからおひとり、お手伝いをお願いしたいと思います」magicmagic
流暢なオランダ語を操る。彼女は会社の受付嬢を思わせるスーツ姿をしており、片手にはシルクハット。傍らの折り畳み式のイスの上には、トランプと白鳩一羽。
マジックのパフォーマンス。
「では、そこの奥様」
彼女は挙手した白髪の女性を指名する。女性が人だかりから彼女の前に歩いて来、ニコッと笑う。
「あなた可愛いわ。マジックも面白いし」
「…ありがとうございます。さてもう一人お手伝いを。どなたかコインかゴルフのマーカーを貸してくださいませんか」
彼女の呼びかけに円めがねの若い男性が挙手。
「僕が魔法の1ペニーと呼んでるマーカー代わりのコインだ」
男性は指先でアメリカの25セントコインを弾いてよこした。
彼女はそれを人差し指と中指で挟んでキャッチ。
人だかりから小さなどよめき。
「この技を日本で真剣白羽取りといいます」
何か違う。
「違ったっけ?」
ぺろっと舌を出す彼女に小さな笑い。
「すいません続けます。ではこのコインを…奥様、どちらかの手に握ってください」
彼女は女性にコインを差し出す。女性は少し迷った後、左手にコインを握る。
「さてそれでは最後最大のマジックです。このコインが瞬間移動します。ウノ、ドス、トレス…」
彼女は手を叩いてパンと鳴らした。
次いで。
「そこのあなた!」
とシルクハットを投げる。ハットはアベックで見ていた男性の頭にすっぽり。
僕?と自分を指さす男性。
「そうです。今、あなた彼女さんと手をつないでますね?」
彼女はウィンクしながら尋ねる。
「ああ。まあ」
つないだ手を持ち上げて見せる二人。
「何か違和感ないですか?」
「え?」
言われて、アベックはまさかとばかりに目を見開き、次いで互いの顔を見合わせ、つないだ手をゆっくりほどく。
すると。
「おお!」
出てきたのは1ペニー。
「それを先ほどの男性にお見せください。お兄さん。そのコインに間違いありませんか?」
円めがねの男性が渡されたコインを観察する。
「…おお。おお、傷の具合といい、間違いない。僕のだ」
男性が1ペニーを掲げて周囲に見せる。
その時白髪の女性が自分の両手を広げ、目を白黒。
「ブラボー!」
アベックの男性が顔を紅潮させて言い、シルクハットを投げ戻す。
彼女はそれを受け取って。
「以上昼下がりのイリュージョンでした」
一礼。すると人だかりから拍手と歓声が上がり、シルクハットめがけておひねりが続々。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
彼女は何度もお辞儀をしながら、飛んでくるコインや丸めたお札を受け取る。
「すごいわ。あなた本当にすごいわ。私の義理の孫にならない?」
言葉はゆっくりながら、興奮を抑えきれない様子の白髪の女性。
「これをあげる。いいえいいの、夫が死んで10年になるけどこんなに楽しい日曜日は初めてだわ。ありがとう、ありがとう」
女性が出したのは何と1000ギルダー(2000年9月のレートで約5万円)の紙幣。
1000「え…」
これはちょっともらいすぎ…彼女は思う。小遣い稼ぎが目的でマジックをやったのは確かだが、こうなるとだましているみたいで良心が咎める。
でも、女性が素直に楽しんでくれて…。
「あ…じゃあ、いただきます。ありがとうございます」
彼女は両手でお札を受け取り、帽子に納めた。
「じゃあ、本当にありがとう」
にこやかに去ってゆく女性に彼女は手を振る。そして人だかりが去った後、転がっているコインやお札を拾って帽子に入れる。
雑多な種類のお金。その中でひときわ目立つ1000ギルダー札。
もうやめるべきかな…小さくため息を付きながら彼女は思う。家からはそういうことをしてはならないと言われてはいる。しかし仕送りだけじゃお小遣いが足らないのもまた確か。
トランプを帽子にしまう。次いで、
「ありがとね」
と鳩にクルトンをあげ、飛び立たせる。
そして、イスを畳んで持ち上げた、その時。
「これしか。ない」
目の前に差し出された1ギルダーコインと、たどたどしい発音の男の子の声。
「ん?」
彼女は顔を上げる。破れて汚れた日本のアニメキャラクターのTシャツ。でも瞳だけは南の海のように青く澄んだ男の子。
年齢は自分と同じくらいだろうか。ヨーロッパ人種は成熟が早いからピンと来ない。
「なあに?」
彼女は小首を傾げて尋ねる。すると、
「僕、兄弟、たくさん。君、手品…」
一生懸命。彼女はたまらず。
「どこの出身?おうちは?」
チューインガムを差し出しながら尋ねる。男の子はガムを受け取ると、半分だけちぎって口に入れた。
「シチム…」
小さな声で男の子が言う。
彼女はそれを聞いてハッと目を見開いた。
シチム…ユーゴスラビア、コソボ自治州の村。
アルバニア系難民の男の子。
『逃げてきたの?』
スラブ語で彼女は尋ねた。
今度は男の子が目を見開く。
『君…?』
『言葉は判るよ。それで?』
男の子は両親を失い、自分の妹、及び同じ境遇の仲間達と共に、慈善団体の手によってこの町の孤児院に預けられたと語った。
『それで…みんな怖がって施設に誰も近づけようとしないし外へも行かないんだ。大丈夫だって言ってるのに。でも君なら』
彼女は納得した。その子供達は“欧州系”の人たちに極度の恐怖心を抱いているのだ。
…だから、アジアの血を引く自分なら、警戒心を抱くことはあるまい…この男の子はそう考えたのだろう。
『行くよ。私はレムリア。あなたは?』
『ダリ。ダリ=ヘミリット』
男の子ダリは答え、コインをもう一度差し出す。
彼女レムリアは首を横に振って、男の子の手を押し戻す。
『それは成功してからいただくもの。あとでね』
レムリアは言うと、男の子の案内で孤児院へ向かった。
歩いて10分。教会の裏にある古い学校の校舎が孤児院。
「シスター。シスターベレロワ!」
白い柵で出来た扉を開きながら、ダリ少年が叫ぶ。窓から覗く顔、顔、顔。
…だけど、笑い声やはしゃいで騒いでいる音は聞こえない。
レムリアは警戒心で一杯になっている窓の子達に笑顔で手を振る。するとなるほど、警戒は解かないが逃げたりはしない。
「ああ、ダリ、お帰りなさい。あらお友だ…」
シスターの声にレムリアは目を戻す。
そしてハッとする。知っている。但し以前会ったのはここではない。
思わず人差し指を口元に立てて“し〜っ!言わないで”。
「…うふふ。当院へようこそ」
シスターベレロワが微笑んで言った。
「どうも。今日は町中で彼にナンパされまして」
レムリアはくすくす笑いながらダリ少年を指さす。
驚いて振り返るダリ少年。
「ナン…ちが…」
真っ赤。
「あらあらダリ。そうだったの」
シスターがからかう。
「違うって!。この娘、手品、上手、見せたい」
必死に弁明するダリ少年の背後で、レムリアはウィンクして見せた。
シスターは彼女の手品を知っている。
「…とにかく入って下さいな。ダリはみんなを集めて。食堂に場所作らないとね」
シスターに招かれてレムリアは中に入る。その間にダリ少年が子供達に声を掛けて食堂に集め、“ステージ”づくりがあわただしく始まる。
「ウサギならいるわよ」
折り畳みイスを下ろしたレムリアにシスターが言った。
レムリアが振り返ると、シスターの腕に白ウサギが一羽。
レムリアはしゃがみ込む。そしてウサギの赤い瞳をじっと見つめる。
見返すウサギ。その視線はまるで知性ある生き物のよう。
「おいで」
数秒の後、レムリアは両手をウサギに差し出す。ウサギがシスターの手を離れ、レムリアの胸元にしがみつく。
「ありがとう。ちょっと手伝ってね」
レムリアはウサギに微笑みかける。不思議そうに首を傾げるシスターベレロワ。
「相変わらずね。いつか狂犬からテントを救ってくれたのを思い出すわ」
「…でも、政府軍の方が凶暴だった」
レムリアはウサギをなでながら小さく呟いた。
「あ。ごめんなさい…思い出させて…」
シスターがレムリアをそっと抱き寄せる。
レムリアはそこで顔を上げて食堂の方を見た。
ドアから顔を出すダリ少年。
「できた。みんな待ってる」
「判った」
レムリアは言うと、ウサギを肩に乗せ、イスを持って食堂へ入った。
自分を見つめるたくさんの小さな、しかし澄んだ瞳。
「みなさんこんにちは。今日はみんなにマジックを見てもらおうかなと思って来ました。レムリアといいます。よろしく」
シルクハットを手に持って深々とお辞儀をする。
同時にウサギも一礼。子供達から歓声。
マジックショウを開演する。トランプのカード当て。頭にウサギを載せてシルクハットをかぶるとウサギがいなくなる。切ったはずなのにちゃんとつながっている紐。びりびりに破いたはずなのに丸めて広げると元通りになっている新聞紙。
子供達が絶句して身を乗り出す。シスターは傍らで見ながら首を傾げている。レムリアの手品は持参した小道具を使うのではなく、その場で調達した物品で行うところに特徴がある。
「ああ、お庭に鳩が来てますね。ちょっと手伝ってもらいましょう。鳩さん鳩さんちょっと来て。…ダリ、窓を開けて。それからその隅にあるモップを持ってきて」
ダリ少年が窓を開け、レムリアが鳩に手招きする。
窓から飛んで中に入ってくる鳩。
子供達は開いた口が塞がらない。
レムリアはイスの上にひまわりの種を蒔いた。
ダリ少年が子供達同様、不思議そうにレムリアと鳩を見ながらモップを持ってくる。但しモップといってもヒューム管とストッキングの切れ端を使った手作りのもの。
「ではこの種を魔法のほうきで…」
レムリアが子供達に説明を始めると鳩が種をつついて食べる。
子供達からの指摘。しかしレムリアが目を向けると。
鳩は知らんぷり。
「食べた?」
無視して羽繕い。
「…やりなおし。このほうきの柄に種を入れると一瞬で花に…」
また種をつつく鳩。子供達の声。
しかしやはりレムリアが鳩を見ると、鳩は澄まし顔。
そこでレムリアは唇に指を当て、子供達に“し〜っ”とやると。
「この柄に種を入れると一瞬で花になる手品を…」
と、言いながら、鳩にそーっと目を向ける。
すると、種をくちばしにくわえた鳩と丁度目が合った。
「それ、どうするの?」
レムリアが尋ねると、鳩は柄の中央の空洞に種を入れた。
その途端、レムリアはモップをくるりと一回転。
「はい!」
小型のひまわり一輪出現。子供達は大喜び。
レムリアはそれを一番幼い女の子にあげた。
女の子が受け取る。まだ話せないのだろう。レムリアを見てただニコニコ笑う。
…こんな幼いのにみなしごなんて。
誰のせい?
「…さあ、それでは今日最後の手品です。シスター。コインをお持ちですか?」
「え?あ、ああ。…ちょっと待っていて」
シスターがニッコリ笑い、食堂を出る。
程なく戻ってきてレムリアに手渡したのは。
大きなソラマメ。
「お金はこの子達にはちょっと」
「判りました」
レムリアは受け取ると。
「ダリ、手伝って」
豆を投げる。ダリは笑って受け取ると、右手に握って高く掲げた。
「さあ〜みんな見てな。このお姉ちゃんがこの豆をどこかへ動かしちゃうよ」
子供達の目が輝き、視線がダリの手とレムリアに注がれる。
レムリアはモップの柄でダリの手を指し示した。
「アン、ドゥ、トロワ!」
ダン!…と、タップダンスの要領で床を鳴らす。
が、すぐに彼女は下唇を噛んで下を向いた。
「…ごめんなさい。失敗しました」
「え…」
ダリ少年が目を円くし、子供達から笑みと歓声が消えた。
静まりかえる。ダリ少年が手を開く。
豆はそのまま。
「…ごめんなさい」
頭を下げるレムリア。がっかりしたような子供達。
場が白けてしまった。
「…これで終わりにします。どうもありがとう」
レムリアは言うと、広げた道具を抱えて即座に食堂を出た。
廊下で荷物をまとめる。子供達は黙ったまま。
イスを畳み、担いで歩き出す。シルクハットには鳩とウサギ。
背後で食堂のドアがガラリと開いた。
『待てよ』
スラブ語で言いながらダリが走ってくる。逃げても追いつかれる。レムリアは立ち止まった。
ダリがレムリアの前に立つ。
『待てよ。…うまく行かなかったけどあげるものあげなくちゃ』
差し出される1ギルダー。レムリアはうつむいたまま。
『だめだよ。失敗したもん私…』
『わざと、だろ?君が失敗するはずないって。僕に払わせないようにするためだろうって。“ミラクル・プリンセス”様』1
その言葉に、レムリアはゆっくり顔を上げてダリを見た。
シスター、言っちゃったんだ…。
『でも…』
『判ったよ。払わない。でも受け取って欲しい』
『え?』
『出演料じゃない。レッスン料さ。僕にもマジックを教えて』
ダリはレムリアをじっと見た。
レムリアは彼から目線を外す。ダリは食い下がるようにレムリアの手首を握る。
『みんなに楽しんでもらいたいんだ。それに…僕が覚えれば僕自身が小遣い稼げる。みんなにお菓子とか買ってあげられる』
『悪いけど…』
レムリアはゆっくりダリに目を戻した。そして、彼の手のひらのお金を、そのまま彼に握らせた。
『…だめ、かい?』
『そうじゃなくて』
レムリアはコインを握った彼の手を、指先でつんつん突ついた。
『マジックじゃないの』
次いで彼のズボンのポケットを指さす。
指さされたポケットに彼が手を入れる。
1ギルダー。
他方、握ったはずの手のひらにコインはない。
『うわ!』
レムリアを見つめる、彼の仰天した目。
『マジック、なの』
レムリアは指をパチンと鳴らす。鳩とウサギがシルクハットから相次いで出てくる。
そして鳩は羽ばたいて、ウサギは一回ぴょんと跳ねて、それぞれ彼の両肩へ。
『…どういうこと?マジックじゃなくてマジック…』
混乱に泳ぐ目でダリがレムリアを見る。
『トリックという意味のマジックじゃなくて…』
レムリアは今度はシルクハットからひまわりの種を取りだし、握った。
『ソーサリーという意味のマジックなの』
言って手を開く。種がなぜかひまわりの花。
ダリがひまわりの花を手にとって驚嘆する。そして青い目を皿のように円くする。
『ソーサリー…魔法…』
レムリアは頷いた。そして、ダリの右手を、両手で挟むように握った。
『…』
呪文を唱える。それは現代の誰が聞いても判らない、遠い遠い過去の言葉。なお、文字にしても作用すると言うことなのでここに記述することは控える。
『う!』
ダリの身体が感電したように一瞬震えた。
『子供達に夢と希望を…身体が戻ったら月を見上げて』
レムリアは言って立ち上がる。ダリが何事かと問うような目で、握られていた右手を覗き込む。
そして、歩き出したレムリアを呼び止めようとしたが、言葉は声にならず、身体は腰が抜けたようになってその場にへたり込んでしまう。
レムリアは立ち止まらずそのまま去った。…月よ、今宵我が友に奇蹟を。
 
…翌日、孤児院の庭に、花の大きさが1メートルもあるひまわりが突然咲いた。
「…へたくそ」
 
(イラスト・茶坊主さん(c)chabo-z 2004-2005)

マジック・マジック/終
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