「圏外」
 

 
 理絵子は学校において文芸部に所属している。
 “オリジナル作品の製作を通して、創作の喜びと大切さを知る”という、ご大層な活動目的が掲げられているが、その実いわゆる“漫研”そのものである。しかし、マンガ持ち込み原則禁止の中学校という教育機関において、研究と称しているとはいえ、放課後マンガをカリカリ描いているのは如何なものかという話があり、オリジナル作品は“絵物語”の形で発表することにしている。すなわち、ページの下半分に小説文体を配し、上半分に場面に関するイラストを描いた冊子だ。これを夏休み中に合宿を行って製作し、文化祭で発表する、というのが、最近の流れになっている。以前は部員個々人で製作していたようだが、実際問題“創作”とは大変なエネルギーを要す作業であり、質のばらつきも目立つことから、“部として一作”が定着して久しい。ちなみに部員は女子ばかり。これは、添付されるイラストが少女マンガ風であることに起因する。男子には一見して入りづらいらしいのだ。
「りえぼー部長」
 休み時間。そのあらすじを考えていた理絵子の背後から声がかかった。
「それって微妙にフレンドリーで失礼だよ」
 言いながら、しかし笑顔で振り返る。理絵子は今時珍しいと言うべきであろうか、“黒髪ロングストレート”の純アジアテイストの娘である。彼女を見る者はその容姿もさることながら、奥で強く光っているような瞳にまず惹き付けられる。ちなみに、その髪は校則の関係で、背中で束ねてりぼんで縛ってある。
「あはは。あのね。合宿の場所決めてきました“だでよ”」
 インチキ名古屋弁と共に、笑いながらメモを出すのは、部員で隣のクラスの田島綾(たじまあや)。小太りで眼鏡を掛けた陽気な娘である。ちなみに理絵子はこの7月1日から文芸部の部長だ。これは、受験を控えた3年生が6月一杯で引退となるにあたり、部長の座が2年生に引き継がれたことによる。この際、普通なら、部長選出は部員同士の推薦を経て多数決を取るが、今年は、“学級委員やってるし”、ただそれだけの理由で、理絵子が部長に祭り上げられた。
「え、もう?どこ?」
 理絵子はメモに手を伸ばす。合宿の場所決めは毎年頭の痛いところだ。学校からの補助と宿泊料金の折り合いの他、人数が年々で違ったり、ドタキャンする者がいたりで、翌年断られ、というパターンが多いのだ。実際、昨年は隣県の民宿に3泊したが、「飯がまずい」の一言が主人の耳に入り、ブラックリストに入れられている。
「ここ」
「!」
 メモを受け取った途端、理絵子は二つの“ある感覚”をも受け取る。それは要するに第一印象なのだが、彼女の場合、一般的な第一印象とは、対象の把握度、正確性が大きく異なる。
 確信、いや予感というべきであろう。その筋の用語で予知(プレコグニション)と呼ぶ。但し、この語は科学的に、特に日本では公的に認められてはいない。いわゆる“超能力”とひとくくりにされる、特異能力の一つだからだ。
「山奥だよ〜。あたしのいとこのおじさんがやってるんだけど、真夏には鮎が下流に行って客が減るから、格安だって。どうしたの?」
 深刻な顔の理絵子に田島が尋ねる。
「え?あ、“どえりゃぁ”遠いなぁって」
 同じくインチキ名古屋弁を使い、ごまかし気味に理絵子は応じた。二つの“予感”は以下の通り。
 この合宿で事件が起きる。
 事件の到来は不可避である。
 “予知した”では、ご厚意を断る理由にならないだろう。すなわち、田島が合宿の話をその親類に持ち込んだ時点で、“起こるべくして起こる”こととなったのだ。
「ちょっと待っててね」
 理絵子は席を立つ。この予感にどう対処しようか、頭の整理をするのと。
 具体的にこの場所にどう行くのか調べるためだ。
「土崎」(つちざき)
 理絵子は男子生徒に声を掛ける。机にかじりついて、回路図だかなんだか、ノートに線を引き回している小柄な少年。
「あ、黒野さん」
 少年の顔がパッと明るくなる。
 反して、周辺の、特に女子生徒の表情が曇るのを理絵子は感じ取る。彼は自他共に認める“鉄道おたく”であるが、今もそうであるように、常人にはパッと見理解しがたい行動を独りでやっているので、多く女子には気味悪がられている。ちなみに、今彼が描いていたのは、模型用の線路の配置図であるが、理絵子を含め、それがそれであると知る者はこのクラスにはいない。
「調べて欲しいんだけど」
「いいですよ」
 理絵子はメモを渡した。彼には、こうやって“いつ、どこに、どうやって”行ったらいいか、調べてもらうことがままある。確かに傍目は気持ち悪いのかも知れないが、彼にはそんな底意はないし、何よりヘタな駅員より詳しく判りやすく、しかも素早く調べてくれるので、理絵子的には重宝している。
「すごい奥ですね」
 彼はメモを見て言いながら、時刻表をドンとばかりに机の中から引っ張り出した。冒頭部分の地図を見、次いで恐るべきスピードでページを繰る。1000ページを越えるこの分厚い代物を、常日頃持ち歩いているのである。ちなみに、後から聞いた話であるが、“ついでに”地図もよく見ることになるので、住所だけでどの辺か大体判るようになるという。
 待つこと30秒。時刻表後半部にあるびっしり並んだ小さい数字を、彼は拾った。
「最寄り駅まで電車で17分。その駅からバスで1時間。バスは1日3本。朝6時20分、昼11時30分、夕方17時25分」
「え〜!?」
 理絵子は目を剥いた。学校最寄りのバス停から駅へ向かうのが1時間に3本。それでも不便と感じている位である。
 なのに、1日に3本!
「あ、そういえばそんなこと言ってた」
 田島が言った。
「でもバンで迎えに行くよって。6人までなら乗れるって」
「うちの部は8人ですが何か?」
「え?りえぼーでしょ、あたし、中井、今里(いまざと)、大倉」
「若井に窪川(くぼかわ)に竹下は?」
 田島の目が見開かれる。しまった、という表情。
「1年生参加させないで、来年の合宿誰が仕切るの」
「あっちゃ〜。どうしよ」
「どーもこーもバスで行くっきゃないでしょ」
「じゃぁ11時とかのヤツ?」
「まさか。時間はあるに越したことないよ。少なくともストーリーは固めないと」
「え、じゃぁ」
「もちろん」
「だとすると電車は5時45分ですね」
 土崎が付け加えた。二人が喋っている間に、先んじて調べていたのだ。
「ひえ〜」
 田島が天を仰ぐ。
「まぁ、暑くなる前に出かけられるだけ良しとしましょう。顧問には掛け合っておく。土崎悪いけど行程表頼める?」
「いいっすよ。いつです?」
「夏休みの最初の3日」
 理絵子は言った。ちなみに、頭の整理の結果はこう。
 “ケ・セラ・セラ”…なるようになれ。
  

  
 出発は土曜日ということもあり、早朝の駅は閑散としている。
 社殿?小鳥がさえずり、駅の至近まで迫る山並みからは、涼しい風が吹き降りている。
 が、駅の入口、社殿を思わせる建屋の下で、女の子が数名、ぐったりと座っている。
「部長。先立つ不幸をお許し下さい」
「列車でやると止まった分の請求が遺族に行くし、そこの山に入ると骨になるまで見つけてもらえないから不許可」
「マジレスされちゃったよ」
 解説せねばなるまい。既に空になったペットボトルを手に、“自殺発言”したのは、1年生の窪川由紀子である。駅に来るまでに死にたいほどへばったという冗談だ。他方、理絵子の回答は、この駅から東京へ向かう路線で自殺が頻発していること、そして、背後の山がやはり自殺の名所であり、自然保護林であることから、遊歩道以外の場所に立ち入る人が少なく、故に“数年経過した状態”で見つかることが多いのを踏まえてのものだ。ちなみに、“マジレス”とは“真面目なレスポンス”のことで、インターネットの掲示板等で書き込みに対し、真面目に返答するの意である。21世紀初頭のインターネットの一般化で、日常会話にも使われるようになった。
「歩いてきたわけ?」
 理絵子は問いかける。バスの始発は6時過ぎ。従って駅へ来るには、歩くか、車に乗せてもらうか、それとも自転車か。しかし、自転車に乗る際にはヘルメット着用が校則で義務づけのため、こうした遠出には不向きである。
 若井さつきが頷いた。
「はい〜。送ってと頼んだけど朝早いからイヤだって。若者が体使わずにどうすると。それが親の言う言葉かと。ね。」
「うん」
 窪川と頷きあう。なんでも、二人は家が近い上に、幼稚園の時からずっと同じクラスだとか。
「そりゃお疲れさん。えーっと」
 理絵子は言って見渡す。この場にいるのは自分含め7人。あとは田島だけ。
 出発時刻まで10分。
 と、バスも入れないような駅前広場に入ってくる、軽自動車一台。
 タクシーと二重駐車し、助手席から降りてくる少女一名。
 そこはその狭さゆえ一般車両進入禁止であり、おのずと周囲のタクシーから怒号のようなクラクション。
「ごめーん」
 走ってくるのは田島である。軽自動車が逃げるように駅前広場から出て行く。
 その田島を7人がそろって指差す。
「ずるい」(7人一斉)
 早朝の駅に突如響く女の子達の声に、タクシー運転手達が思わず見やる。
「だって遅れちゃイカンでござろ?ハイ。お詫び兼ワイロ」
 田島はコンビニストアのビニール袋を差し出した。
「お、我らの朝飯」
「おぬしも相当、悪よのう」
「盛り上がってるとこ悪いけど急いで」
 理絵子はクールに言った。このままお喋りに花が咲けば、当然の事ながら電車に乗り遅れる。
「あ、はーい」
「えーと切符組は?」
 理絵子はあらかじめ買っておいた回数券を取り出した。11枚セットで1枚分がサービスになるだけだが、少しでも節約だ。
 切符を改札機に通すガチャンという音、そしてICカードをかざすピピッという電子音が、いやに大きく響く。
「45分発は4番線。階段登って向こう。ホームに天狗の石像あるからその前へ」天狗ぢゃ
「指定が細かっ!」
 そこへ駅のアナウンス。1番線に東京方面から電車が来る。
「走る。コレが到着すると混むから」
「え?なんで?」
「いいから」
 少女達は線路をまたぐ陸橋(跨線橋・こせんきょう)をバタバタと走って行く。
 階段を下りる。プラットホームを少し歩くと、なるほど、ホーム上に石像がある。天井に達する高さを持った、大きな天狗の頭の像だ。長い鼻を突き出し、東京方面を睨み付けている。
「部長質問〜」
 2年の中井茂美(しげみ)が手を挙げた。長い髪の娘で“赤毛のアン”よろしく、頬のそばかすを気にしている。
「なんでございましょう」
「東京行きは1番線なのになぜ4番線へ来たのでしょう」
「それはこっちに行くからです」
 理絵子は東京と逆方向を指差した。
「え?こっち走ってるの?ここ終点じゃないの?」
「オレンジのヤツはね。こっちは“海もないのにカイの国”、の方向」
「へぇ〜。こっちにも電車走ってるんだ」
 中井は感心したように言った。背後の1番線に、そのオレンジ色の東京発が到着する。通勤型の10両編成。朝ラッシュにはこれが身動き取れないほど人で一杯になる。土曜日であり、逆方向なので、さすがに一杯ではないが、客自体は多い様子。
 ドアが開き、ざわめきが吐き出される。見るからに山岳ハイクの旅客が多い。彼らは更に山奥へ向かうため、こちらへ乗り換えてくるのだ。
 程なく4番線は登山靴やステッキ、リュックといった装備の熟年層で一杯になった。
「なるほど混んできた」
 放送が入る。4番線に電車が来る。
 視界左方、留置線から電車が動き出す。東京行きとは色も形も異なる。編成も“6両しか”つないでいない。正面にドアが付いた武骨なデザインであり、ドア上の幕にはただ“普通”。
 ゆっくりと目の前にやってくる。それは氷菓子の“アイスキャンデーソーダ味”を彷彿させるツートンカラーであり、ボディ側面は歪んでベコベコ。おまけに床下では何やらファンの類であろうか、“ぐわーん”とばかりに機器が轟音を上げており、熱風が、車体とホームの隙間から、モワッと吹き上がってくる。
「ぼろくさー」
「うるさー」
 女の子達から忌避の声。ただ、理絵子の知る限り、オレンジの方だって自分たちが生まれる前から走っており、発車時やブレーキ時には、“ぶ〜”という耳障りな音が床下から聞こえる。
 ドアが開いた。
「え?これっていいの?」
 足を踏み入れた瞬間、中井が車内のシートを指差して言った。
「いいの。ハイ座って座って。えーと、何だっけ」
 理絵子は、作ってもらった行程表を、リュックから取り出した。
 『車輌は通勤タイプとボックスシートのごちゃまぜ配置になっていますが、別に普通の切符で乗って構いません。特別料金は取られません。ボックスシートの方がお喋りも出来るし楽しいでしょう。ちなみにこういうのをセミクロスシートと言います。トイレは3両目と6両目についているはずです』
 理絵子は読み上げた。彼をして『女の子はえてして電車に無知だから』と、やたら細かく書いてもらった行程表である。中井の『ここが終点』発言等から考えると、このくらい細かくてちょうど良いようだ。ちなみに、この路線の真の終点は遥か名古屋である。東京発のオレンジ色の通勤電車は多くここが終点であり、ここから先は別の電車が走っている、というわけだ。これは客の数が大幅に違うためで、無論、列車本数も大きく異なる。
「へぇ〜」
「セミ苦労しろ?なんかいいね、これ」
 女の子達は8人で2ボックスを占めた。
 『発車までの待ち時間含め、目的地まで20分ほどあるので、朝ご飯食べるならこの中で済ませましょう』
「はーい」
 めいめいコンビニおにぎりのビニールを切り裂く。程なく、隣接する私鉄駅に電車が着いたのだろう、乗り込むハイカーが更に増え、けっこうな数の客が立った。登山というのは概して朝が早い。
 ピロピロという発車チャイム。
 ドアが閉まり、電車が動き出す。その振動音には、いかにも鉄の塊と言おうか、ドンとかゴンとか言うごつい音を伴う。サスペンションをギシギシ言わせながらポイントを渡り、加速する。
 加速後程なく車窓は急激に山深い様相となり、風景を楽しむ間もなく、トンネルに突入する。
 走行音が反響し、車内は騒音の渦。
 …しかもなかなかトンネルを出ない。
「長い!」
 今里あかねが言った。
「都県境のトンネルなんだって!。次の駅まで10分!」
 理絵子は言った。オレンジの電車も、併走の私鉄もそうだが、東京方向に向かう分には、隣の駅まで1分かそこいら。隣まで10分など、彼女たちの“常識”には存在しない。
「10分!?10分もトンネル!?」
「トンネルはそうでもないけど駅がないの!」
 5分ほどでトンネルは出た。ここはもう都内ではない。
「はぁ、うるさかった」
 と、トンネルを出るのを待っていたかのように、熟年ハイカー達のお喋りが始まる。わいわい、がやがや。声だけ聞いていれば遠足バスだ。
 更に5分で電車は湖畔の駅に着いた。
 ハイカーがどっと降りる。結果、車内は、彼女たちを除けばほんの数名という有様になった。ここがハイキングコースの起点なのだ。
 電車が動く。
 そこから次の駅、そして下車駅までは、距離的には“常識の範囲”。
 下車する。降りたらすぐに改札が目に入った。“天狗の位置から乗れ”はこういう意図か。
 改札を通ると上り階段。しかも
「何この長さ!」
 『駅を崖っぷちに作ったので、崖の上にある駅前広場まで階段です。頑張って昇って下さい』
「部長。先立つ不幸をお許し下さい」
 息を切らして階段を上ると6時8分。駅前広場にはタクシー1台と、隅の方に小型のバス。
 メンバーがぐったりと座り込む。
「朝も早くから何この虚脱感」
「ここからさらに1時間バス?」
「遠い日本より近くのグアム」
「部長、先立つ不幸をお許し…」
「勝手に抜けてなさい。勝手にグアム行きなさい。勝手に死になさい。私は念のためにトイレに行く」
「あっ」
 女の子達は気付いたように立ち上がった。
  

  
 小型のバスは定刻になっても動こうとしなかった。
 バス停は一つ、バスは1台。時刻表も合っている。バスに表示された行き先も予定のものだ。しかし、バスは動かない。
 どうしたことかと見に行くと、運転席で運転手が寝ているではないか。
 ドアをコンコンと叩く。
「…!?。わあああっ。すいません!」
 若い男性運転手は、慌てて居住まいを正し、帽子をかぶってエンジンを回した。
 バス停に付け、ドアを開ける。
「いやぁどうもすいません」
 ペコペコする。“1日3本”の理由がよく判る気がする。ちなみに客は彼女たちだけであり、バスもシートに破れがあったり、壁紙をテープで補修してあったりと、年代物だ。
 と、そこで彼女たちは気付く。この熱気はひょっとして。
「すいません、冷房って」
「申し訳ない。10人以上乗らないとつけちゃいけないんですよ」
「え〜っ!」(8人一斉)
「頭下げるしかないんですけどね。見ての通りボロですから。経費節減ってヤツです。でもそんなに暑くないですよ。窓開けて、渓谷の風を感じながら、乗って下さい」
「あ、それちょっとかっこいいかも」
「なんちゃって」
「あらら」
 騒音と、濛々たる黒煙を吐きながら、バスが発車する。駅前広場を出るとすぐ上り坂だが、パワーがないらしく、煙ばかり吹いて速度は上がらない。エコロジーの時代に真っ向から異を唱えるような車輌である。
 信号停車。
「君たち、どこまで乗る?」
 運転手が話しかける。運転席横の注意書きには“走行中は運転士にみだりに話しかけないで下さい”とあるが、逆は良いのか。どっちにせよ、えらく“軽い”運転手ではある。
 理絵子は行程メモを見せた。
「…この宿なら真ん前につけてあげるよ」
 要するにバス停から宿までは距離があるが、バス停にはこだわらず、宿の至近でバスを止めるというのだ。
「いいんですか?」
「サービス第一ですから」
「居眠りチクったりしませんけど?」
「ばれちゃしょうがないな」
 バスが走り出す。クルマの多い街道を横切り、川沿いの細い道に入る。するとなるほど、風が涼しくなった。
 バス停をいくつも通るが誰も乗らない。彼女たちの貸し切り状態。
 道を行くクルマ自体が少ない。すれ違ったのは5台。後ろから来て抜いていったのが2台。朝早いということもあるかも知れないが、それにしても少ないという気がする。最も、理絵子の家は都内である上、旧五街道の一つ“甲州街道”に近く、24時間車が途切れることがないので、余計に少なく感じる。というのはあるかも知れない。
「儲かりそうな路線ですね」
 理絵子は言った。普通に言うとイヤミだが、このちょっとおちゃらけた運転手なら大丈夫だろう。
「ああ、ここは元々金山の金を甲州街道に出す。それだけのために出来た道だからね。金鉱で寸止まりで、山向こうへ抜けてるわけでもなく、閉山で道だけ残った。鮎釣りしか能が無くなったから、鮎が下っちゃったら誰も来ないさ。最も、最近は夜になると、若者がクルマで来るらしいけどね」
「夜釣りですか?」
「なんかえっちい予感…」
「違う違う。なんか有名らしいんだよ。心霊スポットって」
「え?」
 理絵子はピンと来た。
 予感、それだ。
「心霊スポット?」
「まじっすか?」
 女の子達が興味津々とばかり運転席に寄ってくる。過去現在を問わず、女の子は多くこの手の話が好きである。
 みんなで運転手を見つめる。無言の圧力“詳しく”。
「…オレ興味ないから詳しく知らないんだよ。何か悲劇らしいけどね。宿の人なら判るかも知れない」
「なんだつまんない」
「君ぃ。そういう沿線スポットの情報を詳しく説明できることが、乗客増加につながるのではないのかね?」
 ペットボトル片手の田島が言う。
「参っちゃうなどうも」
 運転手が苦笑する。
 と、穴ぼこか、それとも石か、何か段差を通過したらしく、バスがドシンと揺れた。
 ペットボトルの中身が跳ね、田島の顔にぴちゃっ。
「わう!」
 運転手がバスを止める。
「大丈夫かい?ケガした?」
「いいえ、でもメガネに“マックスコーヒー”が…あ〜ん、べたべたになるよ〜」
「んなもの入れてくるからでしょ」
 理絵子は言った。
 運転手は安堵の表情。
「ケガ無くて良かった。ちょっと見てきていいかな。パンクだといけない」
「はーい」
 運転手が降り、少女達が答える。
「マックスコーヒーって?」
 大倉が訊いた。
「千葉の辺りだけで販売の缶コーヒー。優子に一箱もらったの。そりゃもう何がマックスって…」MAX!MAX!MAX!
 理絵子の台詞のこの後は、書いてしまってはつまらないので書かない。興味ある方は調べて入手して頂きたい。ちなみに、優子とは理絵子のクラスメートにして友人の桜井優子である。いわゆる“不良少女”であり、留年の2年生であることから、クラスでは疎外されている。しかし、であるがゆえに、理絵子は彼女と懇意にしている。マックスコーヒーは、優子の親戚が千葉に住んでいることに伴う。なお、あらかじめ申し上げておくが、本編に彼女は登場しない。
「綾ってば気に入ったって言うから半ダース上げたの。で、今日ペットに入れて持ってきたと。綾、ちょっと大倉に飲ませてあげて」
「味確認するだけだよ」
 田島がペットボトルを差し出す。ゴクゴク飲まれないかと目を光らせながら。
 運転手が戻ってきた。
「今、『ぬお〜』って断末魔のマンモスみたいな声が聞こえたけど」
「いえ、かわいいナウマン象の雄叫びです」
 大倉が応じる。ぬお〜の当事者は彼女である。
「…なるほどマックスだわ。あんたが好きな理由、よく判る」
 大倉は驚愕の目でペットボトルを田島に戻した。
 運転手は無線で何か会社と話しをしている。
「あと1ダースあるわけです。消費が進まないわけです」
 理絵子は言った。
「え?だったらちょうだいよ〜」
 と、田島。
「ダメです。理由を説明します。携帯電話をお持ち?」
「え?あ、うん」
 理絵子に言われて、田島はポケットから取り出した。
「便利機能のメニューに電卓があるでしょ」
「…うん」
「体重の数値を入れるべし」
「え?あう」
 田島は数字が見えないように、手で隠しながら入力した。
「入れたよ。で?」
「身長何センチ?」
「155」
「では体重を1.55で割りましょう」
「割った」
「もう一回1.55で割りましょう」
「…割ったよ」
「25以上ならあなたはへこまなくてはなりません」
「何で?」
 そこで運転手が無線のマイクを所定に戻す。無線通信は終わったようだ。
 そして振り向きざま一言。
「肥満。だな。BMI25」
「びーえむあい?」
「走りそうな…」
「そりゃBMW。BMIってのはボディ・マス・インデックス指数と言ってね。体重を身長で割ってるわけでしょ。答えの数字が大きいほど、身長の割に体重がでかいことになる。25以上なら肥満。会社でも24以下にせぇ言われてるからね。太い奴が乗るとそれだけ燃料を食うからって。我ながらせこい会社だよ」
 果たして田島は通路に座り込んだ。
「えーえーどうせ燃料消費少女ですよ。いいんだ。私なんか夕暮れの材木座(ざいもくざ)に裸足で座って、サーファー眺めながらひとりマックスコーヒー飲んでればいいんだ。彼氏も出来ず、みんなにデブデブと後ろ指を刺され、ほめられもせず、苦にもされず、サウイフモノニ、ワタシハナリタヒ」
 いじいじと通路に“の”の字を書く。ちなみに彼女が援用したのは、言うまでもなく宮澤賢治の“雨ニモ負ケズ”である。
「賢治は太ってません。むしろ1日に玄米4合と味噌と少しの野菜の食事を貴女にお勧めします」
「なんでいきなり湘南の海辺で千葉のコーヒー飲む設定なわけよ」
「そっちの方だと“マイコーヒー”ってのがあるらしいですよ。マックスとの対決をネットで見た気が…」
 若井が言った。その通りであるが、やはり書かない。
「はいはい発車しますから、ばばっちい椅子に座って下さいな」
 運転手がエンジンを掛けた。
「結局何だったんですか?」
「それが判らん。石もないし道に凹みもない。見て回った限り異常なしなんだよ。それでちょっと会社に指示をね。リコールとか車の欠陥でもなさそうだ。まぁいかんせん中古だからね。動かすよ」
 バスが走り出す。別段異常はないようだ。でも理絵子は心理的に引っかかった。
 心霊ネタを喋っている時に、起こったからだ。
  

  
 ちょっとした広いスペースでバスは5分停車となった。“乗り換えターミナル”と看板があり、別路線のバスの到着待ち。とはいえ、名前こそターミナルだが、バス停一つ、屋根付きの待合室一つ、自動販売機1台。仮設トイレ1機。以上。
 女の子達が柔軟体操などしている間、運転手は寝ころんでバスの床下に潜り込んだ。そして、カナヅチでトンカンして再度調べた後、納得の表情で出てきた。
「問題ないわ、石踏んで、石は川に落ちたってとこだろ」
「爆弾はなかったわけだ」
 竹下が言った。随分前、バスに取り付けられた爆弾を、ヒーローがこのように潜り込んで外すという映画があった。車輪付き台車に寝そべって、走りながら。
 運転手は自販機でペットボトルを2本買った。
 炭酸飲料を彼女たちに投げてよこす。
「はい、迷惑代。悪いけど安月給なんでみんなで回し飲みしてくれ」
「おーし。酒盛りするぞ野郎共!」
「お〜!」
「プハ〜。夏はコレだね」
「窪川。その動作リアルすぎるんだけど」
「大丈夫、ハタチになったらスパッとやめるから」
「逆!」(7人一斉)
 と、そこでバスの中から無線の声。
「おっ?」
 運転手がバスに戻り、何やら喋る。
「出るよ」
 運転手はドアから顔を出して言った。
「隣町でイノシシが走り回ってて交通規制なんだと。客もいないし先に行けと」
 要するに乗り換えバスが動けないのだ。こっちから乗り換える客は当然なく、従ってそのバスの到着を待つ必要はない。
「は〜い」
「しかしなんか路線バス乗ってますって感じじゃないよね」
「知り合いの兄ちゃんとどっか行く、みたいな」
「ヘルシンキ症候群だっけ。立てこもり犯を怖がるあまり、好きになっちゃうっていう」
「ストックホルム症候群。映画で見た」
「オレは誘拐犯か?」
「コーラ1本で女子中学生は釣れねーべよ」
「わたし、黄色いケースに入ってるバッグ買ってくれたら、考えてもいい。それなら、もし、おつきあいがダメになっても、ネットオークションに出せば、現金になるじゃない?」
「それってエンコーと大差ないんじゃ…」
「オトナが中学生とおつきあいするとインコーでタイホだよ」
 運転手が笑う。
「ガキは勘弁。高校生なら考えてもいいけどな」
「あ、聞いてしまった。理絵子のお父さんって確か…」
「警視庁組織犯罪対策部、世間で言うところの“マル暴”におりますが何か?」
「…間もなく発車します。この先カーブが多いため、お立ちのお客様はお座りになるか、握り手等におつかまり下さい。なお、わたくしは警察につかまりたくはありません」
「おかしい、ケータイがいつの間にか録音モードになっている」
「わーっ!」
 運転手の負け。
 閑話休題。実際、バスの行く手はそこから上り坂がきつくなり、道も狭く、カーブも急になった。
 軽薄そのものだった運転手だが、ハンドルさばきとギアチェンジを間断なく要求される区間とあって、顔つきが厳しくなった。前方に、そしてミラーに気を配り、バスを進めて行く。プロフェッショナルそのものである。
「こーゆーの見ちゃうとクラスの男子達ってガキだよね」
「エロさとタッパ(身長)だけはオトナだけどね」
「エロい。ほんっとエロい。イヤになるくらいエロい。死ねって位エロい。尻と乳ばっか見てんじゃねーよおめーら、みたいな」
「でもオヤジに聞いたらさ、その歳でエロくなかったらそれはそれで問題だと。男性本能が目覚めていないか欠如しておると」
「こっち系か」
 田島が内股の姿勢を取り、右手の甲を左の頬に添えた。
「うん。でもってエロいはエロいで基本的に頭の中そればっかなんだって。だから、中学生で純粋な恋愛なんか無いものと思えと。『男子本懐の男子本懐たるは押し倒せ』」
「言い切り?」
「すごいオヤジさんだな」
「現にオレもそうだったと。いかに言葉巧みに誘い出して押し倒すか、そればかり考えていたってさ。だけど女の子は見透かすなぁとも」
「しかしそうすると何、中学生の男の子ってエロゲバかモーホーのどっちかってこと?」
「それで、『男女交際は二人きりにならないように』と生徒手帳にもございますわけですな」
「幻滅してきた」
 口さがない会話に理絵子は苦笑した。おたく少年土崎がエロゲバやモーホーには見えないし、別の男の子は、詩人の感性なのだろう、“風の音が聞こえるか?”と理絵子に訊いてきたことがある。男子すなわちエロゲバかモーホーと決めつけてしまうのは正直どうかと思う。
 運転手が咳払い。
「コホン。ハタチ過ぎて現役エロゲバよりご案内申し上げます。このバスは間もなく“旅荘塙(はなわ)”前に停車します。荷物は忘れても良いですが、運賃はしっかりと徴収しますのでご用意ください」
「はーい」(8人一斉)
 バスは川べりの橋の前に止まった。橋のたもとには、“旅荘塙に行くには橋を渡れ”旨、看板が立っている。バス通りとはここでお別れ。
「ありがとうございました。とっても楽しいバス旅でした」
 理絵子は紙幣を手渡しながら言った。距離と人数があるので、結構な額になり、料金箱に紙幣はNG。
「こちらこそ。久々に面白かったよ。帰りも会社に連絡くれれば、当日の担当にココに止めるよう言うよ。あーこんなにいらない」
 運転手は500円返してよこした。
「え?」
「君たちは100円の回数券を5冊買いました」
 1冊当たり1枚分、すなわち100円サービス。5冊で500円サービス。
「どうもすいません」
「いいえ。良かったらオバケ情報教えてね。会社のホームページからメール出せるようになってるから」
「は〜い」
 バスが走り去る。手を振る彼女たちに、運転手はクラクションを2回鳴らして応え、カーブの向こうに消えた。
 静かになる。橋の下のせせらぎだけ。
「さすがに涼しいね」
「これだけ山奥だとね」
「あとどのくらい?」
 理絵子は田島に訊いた。
「歩くと10分くらいかな。いつもは車で来るから見当つかない」
「まぁ10分ならいいか」
「出発〜」
 川を渡ると車一台やっと通れる道である。アスファルトもひび割れてボコボコであり、もう何年も修復していないのが一目瞭然である。両側から樹木が覆い被さり、木のトンネル状態。
「確か“赤毛のアン”にこんなシーンがあった気が…」
 竹下のその台詞に、そばかす娘の中井がすかさず反応する。
 道の真ん中に立って。
「まぁ、なんて素敵なのかしら。私、ここに名前を付けたわ」
「現実はそう素敵でもなかったり…」
 中井の台詞を今里が遮った。
 立ち止まって行く手を指差す。道路を横切るロープ。
 否、ロープ状の生命体。
「へ、蛇っ!」
 その爬虫類(アオダイショウである)と認識するや、8人は小さく固まった。恐怖も度が過ぎると声が出なくなる。
「どうするの?」
「どうもこうもこの向こうだもん」
「またぐ?」
「勘弁」
「おのおの方、うろたえるでない」
 時代劇調なのは大倉。
「一番後ろから何を偉そうに」
「蛇は確か騒いで音を立てると逃げるんだよ。だからみんなで地面をどかどかやってワーワー喚けば…」
 実行に移す。女の子が8人。ガニ股になって四股踏みよろしく地面をドカドカ蹴り、声を限りにワーキャー喚く。
 蛇はむしろ、声よりは大地を伝わる振動に反応する。かくて蛇はするすると道の脇に姿を消した。
「ああ、いなくなった」
「誰かに見られてないよね。端から見たらバカ集団だよ私たち」
「何を今さら」
 周囲を見回し、無人であることを確認して歩き出す。緩い上りの坂道であり、左へとカーブしている。
 と、カーブの奥からいわゆるバン、業界で言うワンボックスカーが走ってくる。“旅荘塙”の文字が入っている。
「あれ?」
 田島が発見し、手を振る。
「おばちゃ〜ん」
「なんだよ。言ってくれれば駅まで行ったのに」
 ワンボックスが止まり、運転席から、割烹着の女性が顔を出す。女将さんだ。
「ワーキャー言ったのあんたらかい。熊でも出たのかと思って飛んできたよ」
 8人は互いを見つめ合った。
 恥。見られてはいないが聞かれてしまった。
「…まぁいい。乗りな。少しだけどさ」
「え?でも6人乗り…」
「大丈夫よ」
 女将さんは一旦降りると、ワンボックス後部のハッチドアを開け、中に入って座席をたたんだ。
 フラットな荷物室。
「はいどうぞ。女の子の8人。これだけあれば充分」
 宅配便の荷物のように運ばれるというわけだ。もちろん、違反である。
 8人が同じ思いを抱くが口には出さない。これに1時間より、おもろいバスで正解だった…。
 さて、乗る段となると、女の子とはいえ8人である。小さく縮こまらないと全員は無理。
 いわゆる“体育座り”で全員収まったところで、女将さんがワンボックスをバックのままで動かして行く。けっこうな振動がゴツゴツと尻に伝わる。
「自衛隊のクルマで移動って、こんな感じなんだよね」
「そこでそういう例えが出るか?普通」
 砂利道を下って、ワンボックスが止まった。
「着いたよ。ようこそ、旅荘塙へ」
「部隊整列!」
 ワンボックスの後ろのドアが開くや、田島が言った。“自衛隊”の今度は隊員というわけだ。
 彼女たちはテキパキとワンボックスを降り、横一列に並んだ。
「黒野部長以下文芸部8名。ただいま到着であります。宿営地隊長殿、お世話になるであります」
 このコントに女将さんは乗ってきた。
「元気で礼儀正しく結構であります。部屋は2階の奥です。荷物を置いたら下へ降りてくるように」
「了解!」
 敬礼しあう女性達の上を、青い翼のオオルリが滑って行く。
  

  
 “旅荘塙”は民宿であって、“宿”と看板が出ていなければ、見てくれは2階建ての民家である。
「おじゃましま〜す」
 従って、玄関先で靴を脱いで上がり込む際の台詞は、自ずとこうなる。
「はい〜。遠いところようこそ。綾ちゃん、案内お願いね」
 女将さんが改めて頭を下げ、少女達の脱いだ靴を次々下駄箱に収めて行く。
「あ〜涼しい」
「こっちだよ」
 田島がメンバーを階段へと連れて行く。
 理絵子は列の最後から上がり込もうとし、鴨居のそれに気付いた。
 御札。陰陽道(おんみょうどう)において封印に使われる札。
「どうかしました?」
「あ、いえ、顧問に到着の連絡を…」
 理絵子ははぐらかすようにポケットに手を伸ばした。女将さんが“御札に気付いた自分”に、敏感に反応したことがよく判った。アンタッチャブル、ということだろうか。
 とはいえ、到着の連絡を入れる必要があるのは確かである。折りたたまれたケータイをぱかっと開く。
 “圏外”。この山奥では仕方がないか。
「あ、ここは携帯電話だめよ。その電話使って」
「あ、はい。お邪魔します」
 靴を脱ぎ、女将さんに渡し、上がり込む。
 すうっと温度が下がるのを感じる。“御札”より奥へ入ったからだ。
 “涼しい領域”がこの宿…家の中に構築されていることが判る。ついでに言うと、涼しい領域は、この宿を囲む形で存在しているようだ。知識として、まず間違いなく、お札は五芒星(ペンタグラム)を描くように配置され、その描く五角形の内側の領域は温度が低い。
 結界、すなわち霊的なパワーの侵入を防止するシールドバリアである。この宿が、何らかのそれ系攻撃に晒されているか、晒された過去がある証左だ。女将さんが触れられたくないと思う理由もその辺だろうか。
 風が吹き込む。沢風の気まぐれといえば涼を呼ぶ表現であるが、結界に気づいた理絵子への、何者かからの応答と書いた方が、この場合は恐らく正しい。彼女が義か賊か探っている、そんな感じ。
 理絵子は電話脇に10円玉を置いて、顧問へ電話した。通話10秒。
「りえぼー。こっち」
 階段上から田島が顔を出す。
「何か言われた?」
「ごくろー。がんばれ。以上」
「あそ」
 階段を上がって行く。上がってすぐの鴨居下に神棚が配置されている。1階のお札が描く五芒星の領域は、そのまま五角柱の結界として上方へ延伸しており、この神棚の位置までが作用範囲。
「この6畳とそっちの8畳使っていいって」
 田島が指差す続きの二部屋では、座卓が4台くっつけられ、作業エリアが出来ている。そして、さすがに早朝からの長旅がこたえたか、女の子達がてんでにぐでっとしている。
 荷を降ろす。
「りえ部長。ケータイつながります?」
 寝転がって訊いたのは窪川。
「圏外だよ」
「あ〜じゃあ全滅だぁ」
 曰く、8人は電話会社も電波方式もバラバラだが、どれも圏外。
「だったら電池切っておいて方がいいよ。圏外の方が電池食うんだって」
 理絵子は言い、率先して切った。圏外だと、電話は電波を最大出力にし、接続可能な地上局を探す。従って、電波が繋がっている時より電力を食う。
 張り込みの多い父親から聞いた知恵だ。
「あ〜あ。阪神速報見れない」
「何しに来たのキミは」
 と、階下で女将さんが柏手のように手をパンパン。
「姫君達、酒まんじゅう食べるかい?」
 ぐでっとしていた姫君達は瞬時に身体を起こした。
「はいっ!」(8人一斉)
「じゃあおいで」
「はいっ!」(同上)
 昇る時の3倍くらいの速度で階段を下りて行く。建物がビリビリ振動したが、彼女たちの名誉のために仔細な描写は控える。なお、酒まんじゅうは、この地方ではポピュラーなおやつである。
 食堂へ入る。テーブルに文字通りてんこ盛りにまんじゅうが積み上げられ、グラスに入った麦茶が用意されている。
 甘酒のそれに似たいい匂い。
「おいしそう〜」
「朝がおにぎり一個じゃね」
「いただきま〜す」
 どうぞと言われる前にぱくつく。この年頃の少女達に“しおらしさ”は無縁である。
「さてと。え〜部長さんはどなた?」
 女将さんが訊いた。理絵子はまんじゅうをくわえたまま、右手を小さく挙げた。その仕草は可愛らしく、写真に撮っておけば絵になるだろうが、彼女は怒るだろう。
「一応お約束だからね。宿帳に学校名と代表者の名前を」
「ふぁい」(食べながら)。
「合宿だって?」
「ええ、物語を一つ作るんです」(飲み込んだ)
「あら素敵。どんなお話?」
「それがこれからなんです」
 宿帳に書きながら、理絵子は苦笑した。彼女が用意していたストーリーは純愛ものだが、バス内の会話のおかげですっかりその気は失せた。
 エロゲバだモーホーだというフレーズが頭に残った状態で、夕暮れの横浜港で初恋が…でもあるまい。
 その時。
 理絵子の超絶の感覚が、敵意と拒否の心理を背後に捉える。理絵子は女将さんと共に、しかし女将さんより一瞬早く、その方向を振り向いた。
「どうせまた興味本位の覗き見だろうが!」
 “老婆一喝”とでも書こうか、しわがれ、ささくれだった老いた女声が、彼女たちのポップで華やかな雰囲気を一変させた。
 少女達がびくりと身体を動かし、声の主を見る。
 その白装束は理絵子の語彙では“浴衣”と変換された。和装の白い寝間着に身を包んだ老女。
 乱れた白髪に目は血走り、形相は般若を思わせる。その姿は失礼ながら“鬼女”と表現したくなる。
「おばあちゃん…」
「何が“肝試し”だ。何も知らないよそ者が汚し(けがし)に来おって…」
 困惑する女将さんの声を遮り、老女が罵る。
「罰当たりめ。お前ら…」
「…」
 理絵子が呟いたフレーズが、老女から流れ出る罵倒の語をせき止めた。
 陰陽道の真言(呪文)である。
 理絵子はこの辺りの知識を有する。彼女が幼い頃の話になる。“見えないものが見える”彼女の能力の正体を見抜いたのは、小学校の遠足で訪れた東京郊外、高尾山(たかおさん)に集う修験者(しゅげんじゃ)であった。修験者は彼女にその能力の何たるかを説き、“力持ちたる者の心構え”を教えた。そして、“力持つがゆえに狙われる”として、身を守る術をも伝えたのである。
 要するに理絵子は真言密教のレクチャーを一通り受けている。密教と陰陽道は宗教上一線を画しているわけだが、扱うもの(超自然のエネルギー)が同一であること。及び、日本国内に併存し、相互に影響し合っていることから、持っていて損はないと判断し、理絵子は独学で、ある程度、陰陽道の知識を持った。
 果たして理絵子を見る老女の目が一変した。髪の毛逆立たんばかりの勢いは失せ、毒気を抜かれた表情で理絵子を見る。理絵子の一言は、“素人の遊び半分ではない”というサインになったのである。
「この辺りに悲しい言い伝えがあるらしいことは、ここに来る道すがら聞きました。私たちの目的はそれではありません。でも、滞在中の私たちが、禁忌に触れる行動を取ったり、行ってはいけない場所に間違って行ってしまわないとも限りません。よろしかったら、何があったのか、そして何をしてはいけないのか、教えて頂けますか?」
 理絵子は言った。女将さんが驚きの目で自分を見ていることが判る。今この時、自分の言動以上に的確な応対は無かったと知る。
 そしてやはり、タブーが存在したことも。
「いいだろう」
 老女は、言った。
「じゃぁおばあちゃんここへ…」
 女将さんが立ち上がり、席を譲ろうとする。
「いいよ。それほど長くない」
 老女は言い、立ったまま、話し始めた。
 しかし、実際には、老女の話は、冷えた麦茶がすっかりぬるくなるほどの、時間を要した。
 それは運転手の言っていた、金鉱山に関係があった。戦国時代、この地で金が見つかり、現代風に表現するなら“従業員住宅街”が形成された。
 増加する富と男手は、やがて遊郭をこの地に欲した。遊女は全国各地の貧農から供出された女の子でまかなった。要するに人身売買市場から少女を買い集めたのである。
 だが、金鉱山という富の源の存在は、当然ながら他国の攻撃目標となりうる。
 “彼の国で金が出ているらしい”…そういう噂が周囲に広まっていると知った時の大名は、金山の閉鎖を命じた。この際、遊女達の“処置”が問題となった。
 自由の身とすれば、彼女たちは故郷へ戻るであろう。しかしそれは、全国各地に向かって“ここに金があります”と宣伝しているようなものだ。
「まさか…」
 先が見えたか、窪川が乾いた声を出した。
「その通りさ。鉱夫たちは、この上の“三つ叉沢(みつまたざわ)”に縄で吊った舞台を用意し、最後の酒宴と偽って遊女を全員集め、舞いを踊らせた。そして、縄を切って舞台ごと沢に落とした。歳は14か15か、そんなもんだろう」
 少女達は息を呑んだ。
 自分たちと同じ年頃の少女達が、欲望のために金で買われ、欲望のために殺された。
「だからこの土地は弔いの地だ。三つ叉沢に行ってはならぬ、奥底を見てはならぬ。塚より奥に行ってはならぬ。塚の石をいらってはならぬ」
 老女はそれだけ言うと、後ろを向き、去った。“いらう”とは弄ぶの意味だ。
「…ありがとうございました」
 理絵子は言った。
 入ってはいけない領域がある…それは、“彼女達”がまだこの地にいるという意味だ。
 御札の意味がよく判った。そして同時に、今、こうして老女に話を聞いたことが、何かの転機になるという気もした。
  

  
 少女達を包む空気は一気に重苦しいものになった。
「ごめんねぇ。せっかく来てくれたのに…」
 女将さんは困ったように言いながら、麦茶を新しいものに淹れなおしてくれた。
「ちょっと、ショック」
 窪川が言った。同じ年代の女の子達が口封じのために殺される。それが一体どんな気持ちであったか、容易に想像が付くのだろう。
 田島が言う。
「三つ叉沢に行っちゃいけないっていつも言ってたのは、単にそこが深いから危ないっていう意味だけじゃなかったんだ」
「そういうこと。でもみんな、おばあちゃんの話聞いてくれてありがとうね。“肝試し”って、大抵おもしろ半分なんだろうけど、その実、人の“死”を弄んでることだと思うのね。最近若い人が来たかと思うと『三つ叉沢はどこですか?』ばかりでね。おばあちゃん、若いあなた達が来るって聞いて疑心暗鬼になっててね…」
「いいえ。よく判りました。その沢の方へは行かないようにします」
「ごめんなさいね。そうそう、あとでとっておきの出してあげる。作業ここ使って。食べながらやっていいよ。ちょっとワサビ採ってくるから。綾ちゃん、留守番頼める?父さんもうすぐ戻ると思うし」
「は〜い」
 雰囲気を戻そうとしたのだろう。女将さんは声のトーンを変えて言うと、厨房の勝手口からサンダルを突っかけて外出した。
「本物、だったわけだ」
 大倉が言った。
「おいお前まさか…」
「ううん。確かに怖い話は好きだよ。でも本物だってなら話は別。素人の本物相手は身の破滅、これ定説」
「そういや、りえ部長さっき何言ったんですか?」
 竹下が訊いた。真言のことだ。
「あれの文言だよ」
 理絵子は食堂隅に貼られた御札を指差した。
「ある程度勉強しておかないと、そっち方面の話リアルに書けないでしょ」
「なんだそういうことか。あたしはまたあのおばあちゃん急に黙ったもんだから、部長がエスパーかましたのかと…」
「残念でした」
 理絵子は舌をちょろっと出した。
 と同時に、自分たちの会話のテンポが、いつものパターンに戻って来ているのにホッとした。
 これがいつもの自分たちだと思うし。
 “怖い”気持ちは“怖い”エネルギーを引き寄せる。
 経験上。
「さ、怖いのはこのくらいにして話創ろ。とりあえず何でもいいから浮かんだフレーズじゃんじゃん希望ん(きぼ〜ん)」
 理絵子は言って、まんじゅうをもう一つ口にした。ちなみに“何でもいいから”と言ったのは、最初から“これ”とテーマや方針を決めてしまうと、発想の方向が固定され、思いつきの内容が貧相になるから。
 冗談がポンポン出てくるこのメンバーの場合、言いたいように言わせた方が、豊富なネタが得られると思うのだ。
「まんじう怖い」
 早速、竹下がおちゃらけ、同様にまんじゅうを口にくわえる。
「ああ確かにこのまんじゅう皮固いねぇ」
「それは強(こわ)い」
「落語ネタを更にひねるかこの者共は」
「話かぁ」
 今里が深呼吸する。
「ウチらのテンションなら絶対コメディーだよね」
「ラブコメ?」
「あきたこまち」
「言うと思った、却下」
「農林21号」
「それコメじゃなくてイモだし」
「コメもあるんだよ。酒にすると美味いらしいんだけど、栽培が難しいんだって」
「なんでそんなこと知ってるんだよ」
「父親の実家農家だもん。最近アイドルが米作りの番組やってるもんだから、総合学習の子ども達が結構来るんだって」
「話が脱線してるぞ。以下銘柄は却下」
「じゃコメ兵(こめひょう)」
 補足説明。名古屋を本拠とするリサイクルショップ。21世紀になって東京エリアに出店。
「最近はパソで変換してもちゃんと出るんだよ」
「別にそういう突っ込みは期待してないわけで…」
「コメディーねぇ」
「うちらのこの会話で良くね?ビデオに撮って、パソでキャプチャすれば充分使える」
 補足説明、今この自分たちの会話をビデオで撮影し、パソコンで静止画として取り込み、物語のイラストの代わりに使う。
「誰がそれ作業やるの?けっこう高性能なパソが必要だって父ちゃん言ってたぞ」
「ストーリーは?」
「マジで考えるなよ」
「でも、コメディーって一話完結ものだと難しくないですか?始まりと終わりの処理とか」
 竹下が言った。
 その一言でみんな黙ってしまう。
 仕方ない。理絵子はストーリー製作の手がかりになれば、くらいの気持ちで、考えてきたあらすじを披露した。
「あのね」
 病弱な女の子が、療養を兼ねて田舎の学校に転校する。そこにいた男の子は、幼い頃将来を誓い合った近所の子だった。
 二人は恋に落ちる。しかし甲子園を夢見る彼は、遠い高校へ行くことに。二人は再び将来を誓い合うが、2度目の再会は訪れないことを暗示して、物語は終わる。
「暗い!」
 田島が一刀両断。
「でも…ときめいて、想い通じて、感動して、涙して、ラブストーリーに必要な要素は全て入ってるな」
「感動しました部長」
 若井が涙目。
「恋愛物お得パッケージになってるのは確かではあるね」
「抱き合わせでエロゲバとモーホーを」
「やめんか」
「だけどラブストーリーって一話完結には向いてますよ。出会いと別れがあるから」
「じゃぁこれをラブコメに改造するか」
「…は?」
 ちょっと待て。
「まずエンディング。女の子殺すんじゃなくて男の子の方をどうにかする」
「交通事故」
「却下。唐突だしステレオタイプ。いかにもご都合主義っぽくて、“ああやっぱり中学生だな”になっちゃう。それでは面白くない」
「ではモーホーを取り入れて新宿二丁目」
 補足説明。ゲイバーが多い。
「それ行こう。ぜってーあり得ねー位でちょうどいいんだよ。でもそうすると野球モーホーってのもありきたりだな」
「ありきたりか?」
「甲子園目指して、は、ありがちってこと」
「じゃぁお笑い目指して大阪」
「採用」
「でもそうするとエースに育って行く彼と、彼の彼女であることに対する周囲のやっかみの処置は?」
「落研(おちけん)にすればいいじゃん。そんで生徒会長になるんだよ。爆笑生徒会長で人気者」
 田島が言った。ちなみに、落研とは落語研究部のことである。
「スランプに陥って炎天下一人練習、熱射病で献身介護のエピソードは?」
「ドリアン早食い大会でお腹壊して彼女が代理落語」
「それだったら闇鍋の方が良くないすか?スリッパとか」
「闇鍋はいいが、“スリッパを食う”という設定に無理がある。いくら闇鍋でもあんな物噛み切れないだろう。確実に間違えて食べてしまって、確実に腹をこわすものでなくちゃ」
「ヘビ」
「かえって健康増進になりそう、却下」
「ゴキブリ」
「無害だと保健所のホームページに…」
「マジかよ」
「ああ、そういうの実際食べて調べるらしいよ」
「んじゃミミズ」
「それで行こう」
「真剣な議論が続いております」
「どこがじゃ」
「闇鍋なら真夏の我慢大会ってことにすれば、季節設定変えなくて済みますね」
「いいこと言うね。汗くさい男達って雰囲気も維持出来る」
「さわやかだなぁ」
「しょっぱすっぱ」
「やめい!。でもそうするとクライマックスどうする?彼がとっておきの魔球を披露して大会で優勝。落語じゃ感動クライマックスがない」
「う〜ん」
 議論(?)はそこで詰まってしまった。
 2分。
「優勝に対抗出来るのは爆笑だ」
 田島。
「韻を踏んでいるかどうかの問題じゃ…」
 そこまで来て、理絵子は折れた。
「いや、爆笑で感動って設定、できる」
 半分あきれながら、理絵子は言った。
 もう、いい。出会い、ときめき、別れ、涙。いかにも中学生が考えそうなトゥルーラブストーリー。
 私の考えた物語。横浜までロケハンして、せっかく考えてきたけど、このメンバーじゃ、無理。自由に発想させた私がお馬鹿さん(いつか自分で書く)。
「あのね、老人ホームというか、お年寄りの介護施設で一席打つの。頑固で全然笑わなかった、身寄りのないお年寄りが、ニッコリ笑って大団円」
 お〜、とメンバーから感嘆の声。
「素晴らしい。落語でお年寄りなら無理がない」
「高齢化社会という問題提起も入ってるわけですな」
「高尚だなぁ」
「じゃぁ筋立て直そうか。コンテ描こう。文字でゴチャゴチャ書くより、印象深いシーンのイメージをサッと絵にして並べた方がいい」
「あ、でもそうなると“女の子が男の子を好きになる”きっかけどうするの?」
「どうする作者」
「誰がじゃ。ん〜…それじゃあその女の子は、厳格な家の育ちって事にしようか。転入生歓迎会の一席で、彼女の家にない“笑い”に触れてホロリ」
「なるほど〜」
「そうすると何、私たちがこれから紡ぎ出す作品は、読み手を爆笑させながら、しかし私たち世代に起こりうる家庭教育問題と、将来社会に出て直面する高齢化問題との両方を盛り込むという、極めて高度な作品ということになるわけですね!」
「竹下落ち着け。ぜってー校長賞はありえねー。凝りに凝りまくって大人社会を茶化すんだから。逆に言うと校長賞なんか取っちゃあならねぇ。そういうのは生徒には受けねー。クラシック作曲家の顔は落書きのベース。修学旅行の寺はただ数こなすだけ。違うか?」
「そうそう。狙うのはただ一つ“ウケ”だ。それを忘れちゃなんね」
「ようし固まった」
「絵は私たちが起こすからりえぼー小説書け」
「え〜っ?」
「原作者でしょ」
「もう全然違うじゃん」
「どこが。輪郭と髪型と眉と目と耳と鼻と口変えたみたいなもんじゃん」
「何も残ってないじゃん」
「絵は集団で描けるけど文章は一人で書かないと文体が変わるんだよ」
「そう、変態するの。モー…」
「…ホーネタはもう結構!しくしく。自分で創った話自分で壊すのね」
「破壊と創造。ブレイクアンドデストロイ」
「壊して壊しまくってどうすんの!」
「でもこうやってるとアレですね。教科書に書いてあった“作文の作り方”って嘘ですね」
 窪川が言った。
「そりゃそうさ。マニュアル通りに物語創れりゃみんなマンガ家小説家だよ」
「あらすじ作って肉付けなんてかったるいことやってられっか」
「でも私たち部長さんのお話に肉付けして作ってる気が」
「ちがう。骨がない!」
「骨抜きにしたのどいつらよ」
 7人一斉挙手。理絵子は脱力。
「くすん。いいけどさ。あのね窪川。私が思うに、教科書の書き方には肝心なことが抜けてるの」
「えっ?」
「手順はどうでもいい。楽しく創る。ってね」
「…なるほど」
「おいしいとこ持って行かれたぜ」
「部長ですから」
 理絵子はちょっと澄まして言った。ちなみに、彼女たちはここで“自由な発想を求め、次第に収斂させて行く”という手法を取ったわけだが、これはビジネスの世界で“ブレーンストーミング(brain storming)”と呼ばれる、確立された立派な発想・創造手法である。興味ある方は数多い関連の書物を参考とされたい。
 勝手口がノックされ、ドアが開いた。
  

  
 女将さんではない。男性。ランニングシャツにねじり鉢巻き、肩の上には木のタライ。
「おう、よく来たね」
 ここの主人氏である。
「おじゃましてま〜す」
「ごめんよ。お客様がいらっしゃるのに主人が留守して。急に町内会の会合があってな」
 主人氏は言うと、肩のタライをドンと降ろした。
 中はかち割り氷。
「お昼は流しそうめん」
 8人から拍手喝采。
「…元気いいなぁ」
「それしか取り柄ありませんから」
「私、脱いでもひどいんです」
「ちっ、先に言われた」
「争うところが違うだろ」
 主人氏は大笑い。
「はっはっは。で?ウチのは?」
 女将さんのこと。
「あ、ワサビ取りって」
「そうか。じゃぁちょっと仕掛けをつくるわ」
「は〜い」
 主人氏は勝手口から出た。
「そうめんそうめん〜」
「いいから描いてね」
「そう言う部長殿はどこまで書いたよ」
「手書きでそんなに早く書けるわけないでしょ」
「エピソードだけ羅列すりゃいいんだって。小説化はあと。どうせパソで合成すんだから。絵に合わせて適切に文章化してくらはい」
「…判ったよ」
 書き物をする音が続く。シャープペンシルであり色鉛筆であり。
「この水彩色鉛筆っていいよな。消しゴムで消えるし」
「汗垂らすとにじむから気をつけようね」
 女将さん帰宅。
「あ〜あ」
 溜め息。
「どうかしたの?おばちゃん」
 理絵子は書く手を止めた。
 ちょっと気になる。
「いやあのね」
 女将さん曰く、昨晩何者かが沢に侵入、おばあちゃんの話した塚(慰霊碑)が荒らされており、あおりを食ってワサビがダメになっていたという。
「連中、沢の真ん中まで行こうとしたらしいのよ。そうすると川を歩いて行くしかないわけじゃない。それで…」
 流れの中にあった、野生のワサビが踏み荒らされていたと。
「しかもさ。塚の辺りで花火か何かやったらしいのよね。だからもう向坂(さきさか)さんがカンカンでさ」
「それで町内会…」
 田島が言った。向坂なる人物は陰陽師であり、その塚の“霊的な”管理をしているという。
 ゆえに冒涜行為に怒り心頭。町内会役員を集めて再発防止の徹底を、というところのようだ。主人氏はそれに参加していたのである。
「そう。特にウチなんか宿じゃない。泊める者に絶対行かすなと。そういや、あとで向坂さん来るって父さんから聞いた?」
「え?…い〜や?全然?」
 と、そこで主人氏が勝手口を開ける。
「言えるかいそんなこと。最初っからこの子ら疑ってるみたいなもんじゃねーか」
 主人氏曰く、鮎の時期ではない今頃にこんなところに来るのは、憑いた悪霊に吸い寄せられて来たに相違ない。お祓いをさせろと言われたと。
 少女達は顔を見合わせた。悪霊憑き?私たち…
 理絵子はその向坂なる人物の物言いが気になった。
 理屈に合わないのだ。霊的世界は非科学として否定されてはいるが、体系自体は論理的なのだ。それで行くと、非業の死を遂げた女の子達に、悪霊が近寄って行くというのは、何か噛み合わない。
 新約聖書だったと思うが、イエスの悪魔払いを見た偽善者が、『お前にそんなことが出来るのは、お前が悪魔の手先だからだ』と罵倒するエピソードがある(作者註:福音書にある)が、それに近い。
 “彼女”たちが殺された怨嗟を抱えた悪霊的存在であるとして、悪霊憑きがなぜ悪霊の住処…塚を壊す?
「オレはどうにも気に食わないんだ、あの拝み屋。いい、午後はこの子ら川遊び行っちゃって留守にってことにすりゃいい。あんな芝居がかったお祓いとやら、悶々やらせるこたない。カネ払って遊びに来て下さってるのに失礼だ」
「それは…」
 女将さんの表情が曇る。それはそうだが向坂に刃向かうと後々町内で立場が悪くなる…そんなところか。
「あのう…」
 理絵子は口を挟んだ。
「差し出がましい物言いかも知れませんが、部長の私が代表で、ということでどうでしょう」
「え?でも…」
「そっち系は免疫がありまして…かけまくも かしこみ すめみ おんやかむ いざなぎのみこと(掛巻も畏み皇御祖神伊邪那岐之命)」
「そういえばそんな言い回し聞いたなぁ」
 主人氏が言った。この手の真言は軽はずみに使うものではなく、乱用防止の観点からは明確に書き留めるには向かないが、理絵子が口にしたのは『高天原のみなさまコンニチハ』に相当する部分であり、問題はあるまい。
「でも、時間掛かるし…」
「構いません。聞き流してストーリーでも煉ってます。この子らとやってると骨抜きにされるんで」
「ここでそれ言うかこの部長は」
 理絵子は夫婦にニコッと笑って見せた。実際問題、お経の親戚をメンバーに聞かせるのは苦痛である上に。
 時間の無駄だ。
 かと言って夫婦の、この宿の立場を悪くする必要もない。
「おばちゃん。この際部長に任せた方が良くない?…だってあのおばあちゃんが納得するくらいだし…」
 田島が言った。“おばあちゃんが納得”が、強い説得力を有するフレーズであることは、論を持つまい。
 女将さんはふう、とため息をついた。
「ごめんねぇ。何か巻き込んじゃったみたいで」
 それはすなわち、理絵子にお任せ、に気持ちが傾き始めている。
「いいえ。お世話になるわけですから」
 理絵子は言った。むしろ巻き込んで頂いた方がありがたい。予感のこともあるし、その陰陽師の釈然としない言い回しも気になる。直接会った方が何か得られる。
「じゃぁ今夜はしゃぶしゃぶにしちゃおうかな」
 女将さんのその一言に、メンバーは拍手喝采し、理絵子を取り囲む。
「さすが我らの部長だ」
「いやぁ頼りになるなぁ部長」
「部長」
「部長」
「ブチョー」
 みんなして古代の礼拝の如く、理絵子に向かってひれ伏し座礼を繰り返す。
「もうよろしい下僕共…てなわけでしゃぶしゃぶで売却されました」
 理絵子は言った。ふと思う。自分たちのこの軽いノリは、絶対に事態を深刻にさせない。
 女将さんと主人氏が頷き合う。“それで行こうか”。
「ごめんなさいね。1時半って言ってた」
「承知しました」
「じゃぁ松阪牛を買ってこようかね」
 拍手に送られ、女将さんが再び外出。
 次は主人氏が動く。
「やれやれ。このコンピュータ時代に、と思うよ。綾っぺ。そうめん手伝え」
「えー何であたし?」
「腕力」
 強調するようで彼女には悪いが、BMIという数字で出てしまっている。
「ひどい。レディに向かって言う言葉じゃないわ」
「それも取り柄の一つだと思えば」
「部長が人身御供になって下さるというんだ。我ら下僕共も何か奉仕するのは当然でしょうが」
「そういうお前は何だー!お前は!お前は!お前はっ!」
 田島が一人ずつ指差し、差された側は目を背ける。
「マックスコーヒー」
 理絵子はひとこと言った。
 田島の勢いが急落する。
「りえ…」
「半ダース」
「3ダース!?」
「ちがう!半分ダース!6本」
「ちぇ」
「ほら、綾っぺ」
「は〜い」
 マックスコーヒーで買収された田島は主人氏を追い、しぶしぶ玄関から出た。
「しかし部長ってホントそっち方面詳しいみたいですね」
 竹下が言った。
 理絵子は苦笑した。この方面、そういう経緯から独学の部分もあるが、一般向けにはもう一つの理由の方を話している。
 すなわち。
「どうしてもホラ。父親の仕事が仕事じゃない。仏様がついて回るわけよ。父方の実家が震え上がっちゃってさ。南無阿弥陀仏。否が応でもお勉強してしまうという」
 理絵子は言った。『“死”が日常茶飯事になる。これは怖い』という父親のつぶやきが強く印象に残っている。
「え?仏像持ち歩くんですか?」
 竹下が目を円くした。
「バカ。お亡くなりになったお方のことだよ。死体。シカバネ。ムクロ」
「きゃー!」
 生々しい大倉の台詞に竹下が耳を塞いで顔を背ける。
 が、その動作でテーブルに身体をぶつけ、麦茶の入ったグラスを倒した。
 テーブル上に麦茶池。
「うわお前バカ」
「絵が、絵が〜」
「綾〜!」
 今里が田島を呼ぶ。彼女たちは慌てて描きかけの絵やレポート用紙を引っ込めた。
 ちなみに彼女たちが使っている水彩色鉛筆は、“水彩”の文字からも判るように、水彩絵の具的な一面も持っており、水分に触れると溶ける。
 飲み物をこぼすのは致命傷なのだ。
「どうした?」
 田島が勝手口から顔を出す。
「ごめん、こぼした、雑巾」
「ああはいはい」
「あ〜滲んで行くよ…」
「見ろ、絵がゴミのようだ…」
「言葉を慎みたまえ。君はりえ部長の前にいるのだ」
「それじゃ自分同士」
 描き直し。なお、彼女たちの台詞の2,3は、著名なアニメからの援用である旨付記しておく。
  

  
 流しそうめんを食べ終わった後、理絵子を除く少女達は川へ降りていった。
 夫婦がその、陰陽師向坂を迎えるための準備を始める。鯛の尾頭、酒を用意し、玄関を清掃して塩を盛る。
 それは、儀式の後に、陰陽師某が“飲んで食う”のが定番になっていることを意味する。
 俗っぽいことこの上なし。
 午後1時33分。
 クルマが宿前の砂利道に入ってくる。ゴムが砂利を弾く音から、そのクルマは重いと判る。
 クルマの左側から下車する。桜井優子宅所有と同じドイツ製の高級車であろう。
 理絵子は断じた。こいつは決してまっとうな陰陽師ではない。
 夫婦が迎えに出る。
「こちらです」
「お待ちしておりました」
 ドアが閉まり、某が歩いてくる気配。理絵子は玄関脇に正座し、頭を垂れ、一言も発しない。見もしない。
 “汚れて”いるから。
「お前か」
 映画の安倍晴明の真似か、とでも言いたくなる、甲高い声が上から降ってきた。
 理絵子は頷くのみ。漆塗りの木靴だけ見える。平安装束に身を包んでいるようだ。衣冠束帯(いかんそくたい)というヤツである。ちなみに安倍晴明(あべのせいめい)は、平安期に活躍した著名な陰陽師だ。
「他の者は」
「それが…午前より外へ出ていまして。この娘さんだけ残ってらしたので、部の代表ということで。なにぶん、携帯が通じませんので、どこにいるやら」
 女将さんはこわごわ、という感じで言った。全員呼び戻せ言われるのではないか、というわけだ。
 でも理絵子には判っている。それはあり得ない。
 なぜって時間が掛かるから。その点で携帯不通は説得力有り。女将さんグッジョブ(good job)。
「…よかろう」
 案の定。1人でも8人でも、お金がもらえて飲み食い出来ることに変わりはない。しかも短時間で済めば“時給”も高い。
 では早速、となり、2階に上がって、神棚の前で夫婦と正座。
 儀式が始まる。
 理絵子は、気づいた。
 某が意識をこっちに向けている。それは経験のある方もいるであろう、“コイツ背中でモノ聞いてるな”という印象そのもの。超自然的な感知能力…テレパシーで探りを入れに来ているのである。
 その時もし、霊的なパワーの状態を磁力線のように表すことが出来れば、陰陽師某から理絵子へ向かう磁力線が、理絵子を避けるように迂回し、後ろへ流れる。そんな様子が見えたであろう。
 理絵子は避けていた。やり方は簡単。全然関係ないことを考えればよい。それこそストーリーでも煉ればよいのだ。
 しかしそれでは“探られてると判っている”ことが、相手に判ってしまう。
 せせらぎの音に意識を向ける。音からイメージしたせせらぎの映像を心の中に置いておく。ツマラナイから川の音を聞いています…。
 終わった。
「口を開けなさい」
 某が、人の形に切った白い紙切れを差し出す。
 ヒトガタ、である。霊的な依り代。古代は人形であり、更に太古は生身の人間による生け贄であった。
 理絵子が口を開けると、某はヒトガタを理絵子の舌に触れさせた。
 痴漢にでも遭遇したような不快感。
 ヒトガタを何やら箱に収める。
「面(おもて)を上げなさい」
 これで終了である。理絵子の中の“汚れ”がヒトガタに移り、箱の中に封じた。
 よって理絵子は顔を上げて良く、口を聞いても良い。
 真っ正面から某を見てやる。“たらふく肉食ってるだろおっさん”…そんな印象の男である。脂が滲み出て来るというか、既に滲んでいるというか、ギラギラした印象。陰陽師と称し、超感覚による探りを入れてきた辺り、確かにそれ系の力はあるようではある。しかし、同じ力を持つにしても、どっちかというと“餓鬼”に近い。
 おっと見透かされる。
「ありがとうございました」
 理絵子は神妙に頭を下げる。ここまで一連のお祓いのシーケンス。自分の知らない流儀であるが、まぁ、いろいろあるのだろう。ちなみに、生け贄の時代、悪霊を移された生け贄は、当然、悪霊もろともそのまま殺された。
「うむ」
 某は頷き、次があるとかで、それでもしっかりと鯛と酒と玉串料は持って、そそくさと去った。
 高級車の走行音が聞こえなくなる。
「はぁ。堅苦しい」
「申し訳なかったな」
 女将さんと主人氏が続けて言った。
「ああ腹立つ。こうしてやる」
 主人氏が塩をぱっぱ。
「どう?率直。向坂さんの印象」
 女将さんが訊いた。
「私なら“さん”付けで呼びません」
 理絵子は言った。見知った修験者みたいな厳しさと謙虚さはカケラもない。
 形ばっかり。
「…そうか。私でもヤだもんね。年頃の女の子だと尚ヤだよね」
 女性は本能として“危険な男”を察知する能力を持っている。女将さんが言っているのはそれである。
 主人氏が愚痴る。
「なんかそぐわないんだよ。急にフラッと来て、ああせぇこうせぇと。この土地は呪われているってな。過去が過去だろ。過疎化が進んで人も減ってきていたし、地区じゅうの年寄りがビビりあがっちまってな。先生先生って崇め奉ってるけど、オレにはそうは見えねぇ。嬢ちゃんの方がよっぽど凛として巫女らしいわ」
「…恐れ入ります」
 理絵子は照れながら言った。多分、高天原では神々が爆笑しているであろう。いや、八百万の神々は“爆笑”なんてハシタナイことはしないか。
 女将さんが安堵の表情。
「さ、堅苦しいのはおしまい。ちょっとの間だけどさ。川に行っておいで。水が綺麗なことぐらいしか売り物無いけどね。せっかくだし。あ、帽子忘れないでね。涼しくても太陽の光まで弱いわけじゃないから」
「はーい」
 理絵子は荷物の中から麦わら帽子を取り出した。
「そういえば行っちゃいけないのは…」
「目安はワサビのところ。野生のワサビ見たことある?ってまぁ、今日はそれこそ踏み荒らされてるからね。すぐ判るよ。そこより奥はNG」
「判りました」
 理絵子は帽子をかぶった。
 宿の裏口からサンダル履きで川へ降りて行く。川と言っても沢に近い。水は少なく、足首ほどもない。
 程なく、少し上流の方に遊ぶ、仲間達の姿が見えた。
「りえぼー」
 仲間達が自分を発見し、手を挙げて応える。
「どうだった?」
「あんたらだったら、逃げる」
 理絵子は印象を語った。
「痴漢か」
「いやそう決めたわけじゃ」
「それっぽいんだろ?それってことじゃん」
「そーゆーの世間じゃ論理の飛躍って言うんだよ」
 理絵子は会話にクスクス笑いながら、流れの中を少し歩いた。
 気持ちいい。水は透明でどこまでも涼やか。
 この上流で悲劇があったなんて。
 風が渡る。
「あっ」
 虚を突かれたような、ゴウッと吹く強い風である。理絵子は帽子を持って行かれた。
 上流へ向かってふわり。流れを挟んだ向こう側。
 理絵子は気づく。それはワサビの自生地の少し向こう。
 女将さんの言う、“いけない領域”との、ちょうど境目くらいか。
 “呼ばれた”。そんな言葉が脳裏をかすめる。
 気付く。風の主は、宿に入る時に建物を吹き抜けた、あの風の主と同じ。
 悪意は感じない。
「おいおい」
 “禁忌”の領域へ向け、躊躇無く歩き出す理絵子に、田島が戸惑いがちに声をかける。
 理絵子はワサビを踏まないように注意しながら、その向こうへ。
 足を止める。そこが境目。ここにも結界の存在を感じる。
 理絵子は水面の帽子を取り、結界の方を見やる。右手奥にこんもりとした部分があり、屋根が掛けられて一見四阿(あずまや)風になっている。
 四阿の中には石が積んである。供養塚だ。屋根があるのは、川に落とされた彼女たちがこれ以上濡れることのないように、というところか。ちなみに結界はその四阿に張られているようだ。塚への外からの侵入防止か、或いは中から出ないためにか。
 悲劇の起こったという“三つ叉沢”は更に奥であろう。が、川の流れを追うと、塚よりやや上流で左方に曲がっており、そこまで見通すことは出来ない。
 むしろ見えない位置に塚を築き、限界標とした、と見る方が正解であろうか。
 田島達が追いつく。
「あ〜驚いた。沢まで行くかと思った」
「塚ってそれ?」
 理絵子は四阿を指差す。結界があり、道から階段で降りて行けるから相違あるまいが、確認。
「そうだよ」
 感覚が何かを捉えている。理絵子はその感覚に集中する。
 自分を呼んでいるのだと理解する。求めているのだと判る。
 悪意はない。底意もない。
 最前まで拒否の念はあった。しかし、自分たちに共通認識…おばあちゃんの話を聞いた感想…が生まれてから、それは消えた。
 呼応して消えている感覚がある。宿を決めたと聞いた時点より存在した嫌な感じであり、警告だ。田島の顔に缶コーヒーがかかった不思議な現象、それにまとわりついていた違和感も消えた。
 その代わり、たった今感じているのは願い。あるいは思い。
 希求。
 風はそう、結界が存在するがゆえに、思いを風に託した結果。さっきも、そして今も。
「りえぼ?」
 一言も発しない理絵子に田島が首をかしげる。不安と不思議が田島の中に芽生え、場所が場所ゆえ、まさかの思いが頭をもたげる。
「なんてね」
 理絵子は笑って振り向いた。“取り憑かれたのではないか”そんな思いが田島に生じたのだ。
 風の思いに応じてあげたいが、仲間の不安を煽るわけにも行かぬ。
「びっくりした…」
 田島は言うと、帽子を取ってうちわのようにパタパタ扇いだ。
「あら綾ちゃん。帽子取っちゃだめじゃん」
 理絵子は自分の麦わら帽子を田島にかぶせる。
 沢水に濡れた麦わら帽子を。
「…!」
 悲鳴が田島の口をついて出、理絵子は逃げ出す。
「待てっ!りえぼー。人が真剣に…」
 あとでね、と思いながら、理絵子は走り出す。そう、ここには再度来なくてはならぬ。
 いや、来ることになる。I'll be back.
  

  
 お三時の時刻。
 水遊びから帰った少女達を待っていたのは、両腕で抱きしめたくなるような、巨大なプリンであった。
「すっご〜」
「バケツプリン。名古屋の方で作ってる店があるらしいって聞いて取り寄せてみたの」
 女将さんがニコニコ言う。とっておきの正体はこれか。
「ば、バケツですか」
「そうあれ。感心したよ。できるもんだねぇって」
 流しの角に小型のバケツ。小さい子が水遊びに使うサイズ。
「…ところでさっき、出来の悪い雑巾が破れるような悲鳴が聞こえたけど?」
「絹を裂くような声ならわたくしが出しましたが」
 田島、姫君の如く気取って言う。
「絹を裂くような声など聞こえていませんが」
「ゴリラが吠えてたなぁ」
「北京原人の生き残りという話も」
「北京原人に失礼だ」
 主人氏が笑った。
「そのタイミングで笑う?おじさん。ひどい…」
「そうじゃない。思わず吹き出したんだよ。君たち本当に面白いなぁ」
「これでも学校ではお嬢様集団で通ってますのよ。ホホホ」
「おじさまもご一緒にいかがです?」
「もうモーホーはいいよ、お腹一杯」
「今里プリンいらないそうです」
「そのお腹一杯じゃなくてさ」
「でもさっきイモリを生でたらふく…」
「食うか!」
「あれイモリじゃないよ。サンショウウオ」
「どっちでもいいよ。キショイ」
「君に言われたくありません。byサンショウウオ」
「ぬ・け・が・け」
 理絵子は先んじてスプーンをプリンに立てた。
「あ、ずるっ」
「せこっ」
「こすっ」
 少女達が慌てて席に着き、そのままティータイムになる。プリンは通常の20個分だそうだが、彼女たちにはどうという量ではない。
 その時。
「あら?」
 女将さんが裏口に置いた理絵子の帽子に気づく。
「びしょびしょじゃない」
「あ、しまった。すいません、プリンに気を取られて干すの忘れて」
「ん、了解。陽もあるし出しておけば乾くでしょ」
「そういやそれワサビ田の向こうに落ちたんだよね」
 田島が言った。
 女将さんが理絵子を見る。気にする理由は一つ。
「いえ、塚より奥には行ってません。って、あそこを荒らすわけですよね…」
 部屋の奥から足音。
「そうだよ」
 おばあちゃん。
「あの塚には、埋めてあるんだ。亡骸がね」
 少女達は息を呑む。
 朝の話には続きがあったようである。すなわち、舞台を落としたはいいが、そのままでは女の子達の遺骸が見える。そこで、上から石をガラガラ落として埋めた。
 後年、地震で山津波(土石流)が発生、遺骸はバラバラになった。さすがに可哀想だという話になり、拾い集めた遺骨を埋め、供養した。それがあの塚。
「なんかあたし腹立ってきた」
 若井が言った。
「塚で花火って、そんな過去のある場所を面白半分で扱うってことでしょ?…可哀想」
「うん」
 頷き合う少女達に、おばあちゃんは小さく笑った。
「あんたらみたいなのだったら、浮かばれるのかも知れんな…」
 おばあちゃんが奥の部屋へ去る。ちなみに、後で田島に聞いたところによると、おばあちゃんは体調が優れず、洗面等以外は部屋で寝ているという。
「なんか、恥ずかしいわ」
 女将さんが床に座り込んで言った。
「因習というか、古くさい陰湿な部分ばかり見せてしまってる気がして」
「いいえ。私たちが如何に幸せかしみじみと思い知らされます」
 と竹下。
「そうなぁ、リアルに少女の人身売買って現代でも存在するからな。それに比べりゃうちらは…」
 話が続かなくなる。
 プリンも完食。
「どうも、この話になると、雰囲気下がるわね」
 と女将さん。
「いいえ。そろそろノリだけで時間潰すのやめて、真剣に作品制作にかかるべきだと思ってましたから」
 理絵子は言った。
「そーお?」
「ええ。おい野郎共、行くぞ」
 へ〜い。と7人が男の声を真似し、一列でゾロゾロと本来の作業スペースである2階へと上がって行く。
 作業に入る。最も苦労すると見られたストーリー作りが午前中で終わったため、具体的な作画、および理絵子は文章の作成を行う。服装がどうの、背景がどうの、絵と文章の一致を図りながら作業を進める。特段脱線するでもなく、夕刻を迎える。
 和服のサンプルが欲しい。何せ落語。
「おばちゃん」
 田島が頼み、女将さんに用意してもらったのは。
 浴衣及び巫女の装束。
「随分古そうな…」
「おばあちゃんが着てたものだもん。それこそ供養のためよ。昔は各家持ち回りで巫女やってね。こだわる理由はその辺にもあり」
 女将さんが説明する。
「へぇ〜」
 そこへ主人氏が上がってきた。
「何オンナだけで盛り上がって…こらまた随分古いの出してきたな」
 巫女装束を持つ。
「そうな。昔は女の子これ着させてなぁ…」
 主人氏はそこで理絵子を見た。
 理絵子は目を剥いた。
 『よっぽど凛として巫女らしい』
 まさか。
「着てみ」
「えっ?」
「あ、面白そう」
「似合う似合う。髪長いし」
「お清めも受けたことだし」
 7人が理絵子ににじり寄る。
「ちょ…ま…貴様らっ!」
 理絵子は超感覚能力者(エスパー)と言って過言ではないが、念動力保有者(サイコキノ)ではない。
 7人相手では抵抗する術もなく、ジーンズとTシャツの上からではあるが、巫女装束を着せられた。
 巫女理絵子。
「すっげー」(7人一斉)
「そーお?」
 理絵子は自分を見回した、着ている中からでは外観の判断付かない。
「写メ写メ」
 中井がカバンをゴソゴソし、ケータイのカメラで激写される。
「どうよ」
 見せられる。サイズ的にはちょうどいいらしい。
「ほえ〜…」
 女将さんが感心したように上から下まで見回した。
「巫女だねぇ」
「だろ?俺の目は間違いなかった」
 夫婦してしげしげと眺められる。古来巫女は少女が担ったが、理絵子はどちらかというと幼い顔立ちの娘であり、純白の装束に流れる黒髪と、そして何より漆黒の瞳が物を言って、巫女装束は確かに似合う。超感覚の有無以前の問題。
「そうですか?」
 理絵子は照れた。
「これ腹に一物ある奴見たら逃げるぜ」
「うん、悪い奴お前直視出来ない。正月のバイト巫女とはひと味違う」
「お前実は巫女だろ」
「あのね」
「でも…同じ供養祭やるなら、向坂より嬢ちゃんだな」
 主人氏が言った。
「えっ?」
「いやいや、やれって話じゃないよ。でも、神々しさという点で全然違う。それに祝詞(のりと)なんかも知ってるようだし」
「やって欲しいって聞こえるよ」
 女将さん。
「あの…」
「はっはっは。冗談。さ、もういいよ。いや〜いいもん見させてもろた。さぁ、シャブやるか」
 主人氏は上機嫌で降りて行く。なお、“シャブ”とは覚醒剤の隠語ではなく、しゃぶしゃぶのことであるので念のため。
「脱いだらおいでね」
 女将さんが続く。
「私、脱いだらひどいんですってか」
「それ今日2回目」
 理絵子はクールに言い、脱衣にかかった。
 装束を畳み、作業をキリのいいところまで進めた後、階段を下りて行く。食堂には、お祓いの“売約金”であるしゃぶしゃぶセット。
「今日の釣果」
「部長っておいしいなぁ」
「じゃあ来年の部長は若井と」
「なるのはイヤ」
 女将さんが手をパンパン。
「はいはい。座って座って。じゃぁ部長さんは特等席」
 鍋直近。
 集中する羨望の眼差し。
「私の売り上げに何か質問でも?」
「いえ。ありません」
 と、主人氏が卓上に一升瓶をドン。
「いやぁいいなぁ、女の子ばっか」
「おじさん露骨に鼻の下伸びてるよ」
「そうかい?。あ、そうだ、さっきの巫女ちゃん写真、オレのケータイに転送してくれよ。オレの赤外線ついてるんだよ」
 お構いなし。この時、エロゲバという言葉を何人が想起したかは定かではない。ちなみに、一部の携帯電話は、赤外線通信システムを有し、パソコンと、或いは携帯電話同士で通信が出来る。
  
10

  
 深夜。
「りえぼ、りえぼーってば」
 しきりに揺さぶられて、理絵子は目覚めた。
 問うまでもなく、異変が生じているのだと判る。
「どうしたん…」
 コーンという、石と石がぶつかる音。
「今の?」
「うん、竹下が気持ち悪いって言ってさぁ」
「部長〜」
 起きているのはその竹下と大倉である。
「女将さんと…」
 主人氏は?と理絵子は訊こうとし、階下からの大いびきに気づく。女の子集団にデレデレの主人氏は、ピッチ良く日本酒をあおりデロデロ。女将さんも彼女たちのあまりのノリの良さに、“身内が来たみたいだ”とお気楽モードに入ってやはりデロデロ。
 理絵子は気づいた。また傍若無人な者共が塚を壊しに来たのではないか。
 テレパシーで探ろうとする。しかし、あいにくと結界の中では感度が悪い。
「見に行く?」
「えっ?」
 大倉が目を剥く。理絵子は立ち上がり、川に向いた側の窓を開けにかかる。
 建て付けが悪い。
 ドンガン叩いているうちに田島が起き出した。
「うるさい〜」
「あ、ごめん、窓開けたいんだけど」
「それコツがいるんだよ」
 田島が身体を起こす。
 が、半分寝ぼけていたのか、メガネを外していたせいか、隣の窪川に蹴躓き、仲間達の上に倒れ込んだ。
「…!」
 田島の(迫力ある)ボディアタックと、それを食らったメンバーの悲鳴とで、結局は全員が起きてしまう。
「深夜戦なんて聞いてね〜」
「窪川ギブアップであります」
「重い」
「言うな」
「胸が、胸が〜」
「ザマミロ」
 石の音。さっきよりはっきり。
「何今の!」
「多分、塚壊しの真っ最中」
 理絵子は言った。
「ようし、現場を確保だ」
「え?でも…」
「8人だよ8人。3人寄れば文殊の知恵。8人寄れば阿修羅の怪力」
「も少し可愛いたとえは…」
「じゃ、般若」
「あまり差はない」
 三たび石の音。
「行こう!」
 みんなして動き出す。着替えたり、パジャマに1枚羽織ったり。
 理絵子もジャージを羽織る。止める術はないし、止める必要もない。
 “そっち”に行っても敵がいないことは、昼に確かめてある。
 裏口から客用サンダルを突っかけ、降りて行く。
 石の音。「うっ」とか「はっ」とかいう男の声も混じっていようか。
 理絵子は気づく。“犯人”は一名。しかし向こうは向こうで結界の中にいるため、超感覚ではイマイチ。
 せせらぎより足音が大きくならないよう注意しながら、流れの中を歩いて行く。
 石の音は上流より。塚と見てまず間違いない。
 ワサビの自生地。
 姿勢を下げ、慎重に接近して行く。
 見えた。理絵子には。
「判らんなぁ」
「暗いからなぁ」
「誰かいるっぽいのは見えるけど」
 仲間達が言うが、理絵子にはハッキリと見えている。超感覚のサポートがあるので、真の闇は存在しない。透視と言って良いかも知れない。
 理絵子は気づく。
 その男は。
 昼間の陰陽師。
 自作自演?その意図は?
 男の動作が止まった。
 見られていると判ったようである。男が周囲に探りを入れようとする。センサーの磁力線が塚から道路へ向き、ついでこちらの方向へ。
 自分はさておき、仲間達の心の状態までコントロール不可能。
 “石”
 示唆か洞察か。意識に浮かんだその言葉に、理絵子は動いた。
 手元の石を放り投げる。野球で言うところのアンダースローだが、それは姿勢を低くしたまま腕を横振りに投げた結果あって、意図したわけではない。ただ、この投げ方だと、石は水平に流れるように飛ぶ。
 従って、石は何度か水を切り、流れの反対側へ。対岸の岩に1回2回。火花を散らして奥の方へ。
 男の意識がそちらへ向く。
「うわ部長攻撃的」
「やっちゃえ」
 7人が相次いで石を投げた。
 あっ。と理絵子は思ったが遅かった。
 理絵子は男の意識を逸らす為に石を投げたわけだが。
 7人は明らかに塚をめがけて石を投げた。
 まっすぐ狙うより適当にそっち方面、程度の方が、命中するのは良くある話。
 石の一つが塚で跳ね、一撃必殺“男子本懐”の位置に、見事命中した。
「…!」
 男が股ぐらを押さえて飛び上がり、そのまま卒倒する。
 一方で適当にそっち方面、では、とんでもないところに飛んで行くのも良くある話。
 屋根と思われる、木の板に当たったような音。
「やべっ!」
「撤収撤収。りえぼー引っ込むぞ。ウチらが犯人にされちゃかなわん」
「あ、うん」
 島田に引きずられて、理絵子は塚を後にする。彼女達は他人様の家屋に命中したと思ったようだが、実際には対岸にある何らかの祠(ほこら…翌日道祖神と判明)に当たったと見られる。しかし、自分たちが犯人にされてマズいのは同意で、撤収する。
 宿に戻る。
 さて、このように深夜から早朝にかけて目覚めてしまうと、再度の寝付きはスムーズに行かないもの。彼女たちは布団の中でこそこそと話し合った。
 理絵子はそこで相手が何者であるか、話そうとして留保した。今話すと後々良くない、そんな気がしたからだ。
 喋り明かし、彼女らが再度の眠りについたのは、空も白んでこようかという4時前後。
 こういう時間に寝付いた場合、寝覚めは当然遅くなる。
 眠りを引き裂いたのは、荒々しい怒鳴り声だ。
「ここの女共であろうがっ!」
「向坂さん!?」
 女将さんの声を聞かずとも、その声は某以外の何者でもなかった。勝手に上がり込み、階段をずかずかと上がってくる。
 仲間達がようやく騒ぎに気づき出す頃、理絵子は一足早く座して待ち受けた。
 階段下から次第に見えてくる、昨日と同じ平安装束、衣冠束帯。
「お前ら…」
「待ちなさい!」
 理絵子は一喝した。
 凛とした声が冴え渡る。
 想定外の応対に、某が神棚の前で足を止め、目を剥いた。
「女子の寝室に勝手に入り込むことは、いくら神職でもお断りします」
「なにっ?」
「昨晩私たちは徹夜でクラブ活動の作業をしていました。仲間達を寝かせたい。御用がございましたら、わたくしがここで伺います」
 理絵子は某の目をまっすぐ見て言った。背後で仲間達も半眠半覚醒でこちらに耳を向けている。こう大声でやり合っていては、寝ていろと言う方がまぁ無理である。
 気付く。もし、塚の悶絶人がこいつである旨仲間に話していたら、仲間達はそれを想起したであろう。そして、それを某に見抜かれたであろう。
 某が唇の端でニタッと笑った。
「徹夜でクラブ活動てか」
「ええ」
「恐怖クラブか?夜半に塚まで行ったであろうが」
「は?」
 この発言に切れたのは主人氏。
「拝み屋!言うに事欠いて何を!」
「おじさま待って。…向坂さん。何故私たちが塚まで行ったと?」
「また壊されておる。昨晩地区にいた若者といえばおのれらしかおらぬ」
「私どもが塚を壊したと」
「そうだ」
「塚は土盛りですよね」
「その通りだ」
「では、私どもの靴を調べてみてください。いいえ、器物損壊の容疑で警察を呼んで頂いて結構。靴に残った土の成分や、靴跡の照合で、非が私たちにあるか判るはずです」
 理絵子は言った。
 実際問題行ってはいないのである。説得力のある反論を用意出来るとは思わない。
 果たして某は黙り込んだ。
 ダメ押し。
「私の父は警察官です。こちらの地元の鑑識に依頼することも出来ますが?」
「きさま…」
 ギリっと歯を噛み鳴らす。よほど口惜しいと見える。
 理絵子は某をまっすぐ見据える。追い込まれたこの男はどうする?何か“力”を使うか?
 その時。
「帰れ帰れ!」
 主人氏が塩を某にぶつけた。
「ご託宣はたくさんだ!村八分構うもんか!このインチキ拝み屋め」
「なにっ!」
 某の表情に逆上の色が浮かんだ。
 主人氏に向かい、振り返る。
 その時。
 衣冠束帯の“冠”が、神棚に触れた。
 衝撃で、榊の入った小さな花瓶が、某の首筋に倒れかかる。
 当然、中の水はこぼれる。
「わっ!」
 首筋の冷たさにびくりと身体を動かした結果。
 某は踏み外し、神棚の御神酒、塩もろとも階段を転げ落ちた。
 無様な仰向けになったところに、首元から御神酒、塩が流れ込む。
 そこで慌てて身を起こしたため、御神酒は塩を溶かし込みながら、某の身体を伝い。
 傷の癒えない“男子本懐”へ。
「…!」
 もう神職の威厳もへったくれもない。アルコールと塩の連合軍に某は股ぐらを押さえて七転八倒。
「痛い!痛い!」
 闇雲なブレイクダンスとでも評すべきか、あまりの勢いに夫婦はしばし見物した。むろん、2階から女の子達も。
「罰当たりが。落ちる時骨でも折ったか」
 主人氏が吐き捨てる。
「さぁ。あ、御神酒クースーにしたんだけど、ひょっとしてそのせい?」
「…なんだ?」
「あんた昨日一升あけちゃったじゃない。今朝の御神酒が無くてさ。料理酒じゃ失礼だし、一番上等のを、と思って」
 女将さんが言った。クースー。古酒と書き、沖縄の長期熟成の泡盛である。
 アルコール度数は70を越す物もある。
 某の動きが痙攣気味になってきた。
「救急車救急車」
 夫婦がようやく動き出した。
  
11

  
 理絵子は自作自演の一部始終を夫婦に話した。予感した“事件”とはこれのことだったのか。
 否、最初予感したものとは様相が異なる。明らかに、当初より内容が変化している。
 その要因と考えられるものとして、自分たちがおばあちゃんの忠告に従ったこと、これは恐らく大きい。
「詐欺です。霊感商法と何ら変わりありません」
 結論を理絵子は言った。
「そんな…」
「ホラ見ろ。やはりインチキだ」
 主人氏が腕組みして胸を張る。
 ちなみに、霊感商法は“霊感がある”と見せかけて行うものだが、この某の場合、なまじ持っているものだから尚タチが悪い。
 “超能力詐欺”とでも言うべきか。困るのは日本の警察ではその辺の検証・証明システムを持たないことだ。
 と、この辺りから、宿に電話がひっきりなしにかかってくるようになる。
 その殆どが無言電話か、老年と思われる人物からの悪口雑言である。
 内容は“旅荘塙は悪霊憑き”。
 某が集落じゅうに吹聴しているか、或いは病院で喋った内容が口コミで広がっているか。
 この手のウワサは否定するのが非常に難しい。“先生”がそう言っているのだ。こちらの言い分は最初から全部ウソ。狼が来るぞ、だ。
「ウチの神様に天罰食らったヤツが何をぬかすか」
 主人氏は電話線のプラグを壁から抜いた。
「君たち気にするな。何か来ても追い返す」
 主人氏は玄関に弁慶の如く仁王立ち。
「作業してていいよ」
 言われて、ハイと2階に上がる。とはいえ、この状況では落ち着いてイラスト描いていられるわけもなく。
「どうするよ」
「私たちのせいと言えば私たちのせい」
「でも無罪なわけで」
「けどさ」
 自分たちに泥を塗られた一面もある。だから、自分たちの手でなんとかしたい。メンバーの意志を理絵子は感じた。
 で、あるならば。
「いーや。推定有罪でしょ。逆に言うと、天下御免で塚まで入れる」
 理絵子は言った。
「は?」
「りえぼーそれどういう」
「こうなった以上、私たちが塚に立ち入ったところで、最早当たり前ってこと。そこを逆手に取る」
 7人はお互いを見合ってちょっと考えた。
 それはすなわち。
「塚へ行く?」(7人一斉)
 理絵子は頷いた。
「え、でも、それって」
 心配の内容、幽霊さんが出るのでは。
「大丈夫。向坂が荒らして何ともないのを私たちは見た。むしろ冒涜しているのは向坂の方。塚って仮でも彼女たちの墓よ。ここの土地の人たちが過去を謝罪し、せめても安らかにって願いを込めたモニュメントよ。それ使って人欺して金儲けってこれどうよ」
「部長迫力ある…」
「今、あの塚に正々堂々と入れるのは私たちだけなわけ。どうせあいつは今夜も来るよ。お金せびり取るには、私たちという犯人が必要だからね。ちょうどいい。そこで渡り合おうじゃない」
「でもおばあちゃんが」
 田島が眉根を曇らせる。
「大丈夫」
 理絵子はスパッと言った。
「そ、その自信はどこから…」
「ご理解頂くようにお話しするよ。今大丈夫かな」
 と、階下で女将さんの声。
「おばあちゃん階段はちょっと…」
 おばあちゃんが起きた上、2階へ上がってこようとしているようである。
「こちらから参ります」
 理絵子は言った。
 階段を下りる。
 おばあちゃんと目を合わす。表情は穏和だ。お歳だが、聴力の衰えはないという話なので、自分たちの話は十二分に聞こえていたと思う。
「お聞きになった通りです」
 理絵子は単刀直入に言った。
 おばあちゃんは静かに頷く。
「あんたがそう言うなら、そうだろうよ」
 意外な返事である。更におばあちゃんは一呼吸置いて。
「あんたは、普通の子と少し違う。あんたが巫女装束を着ているのを見せてもらった。まるで昔を見ているような気がした。卑弥呼や壱与(とよ)の御姿(おんすがた)をあんたを通して見た気がしたよ。あんたなら、いや、あんただからこそ、出来るのかも知れない。あんたは遣わされたんだ。あたしゃそう思う。おん、まいたれいや、そわか…」
 おばあちゃんは一気に言うと、幻の何かを見つけたように、理絵子に向かって震える両の腕を伸ばした。
 理絵子の両肩に手を置き、愛おしそうに、理絵子の頬から両腕を撫でさする。
 それはそう。まるで孫を愛する祖母のように。
 上体がぐらり。
「おばあちゃん!」
 理絵子は反射的に抱きかかえた。
 軽い身体。何という軽い身体。
 骨粗鬆症…及び身体を動かさないことによる筋力の低下。
 溢れてくる。理絵子の目から涙が、突如とめどもなく溢れてくる。
 理絵子は抱きしめた。おばあちゃんの老いた身体を、そうっとであるが腕一杯に抱きしめた。理由は判らない。ただ、ただ単にそうしたくなった。いたわりの気持ちというか、愛おしい気持ちというか、そういう言葉では表現しきれない、おばあちゃんを包んであげたい気持ちが理絵子を満たした。
 ここでおばあちゃんの台詞に補足しておく。壱与は卑弥呼の後継として邪馬台国の女王となった13歳の娘である。漢字には様々な当て字があるが、ここではこのように表記しておく。また、台詞の最後はどちらかというと仏、弥勒菩薩(みろくぼさつ)真言である。救い主を崇める内容であるので、記しても問題あるまい。
 しばらく時が過ぎた。
 理絵子は床の上にぺたんと座り込み、えぐえぐ泣きながらおばあちゃんを抱いていた。
 おばあちゃんは腕の中で眠っている。その頬は、その腕は、ほんのりと赤みを帯び、表情は昨日の“鬼女”がウソのように穏和そのもの。
 測定したわけではないが、血圧も脈拍も、おそらく平穏な値であると確信する。
「おば…」
「眠られました」
「え!?」
「…そういう意味ではありません。抱えていたものと、求めていたものがおありだったのでしょう。安心なさっての眠りです」
 理絵子は言った。何らかの“交感”がおばあちゃんと自分との間に生じたことを知る。
 詳細は判らない。無意識のレベルで、互いに何かを送り、受け取った。
 新生児と母親のアイコンタクトのように。
「昨日」
 と、主人氏。
「あんたの巫女写真、もらったろ?今朝ばあちゃんに見せたんだ。そしたらいきなり、『この子だ、この子だ』って涙ボロボロ流してな。なんか巫女時代に言い伝えがあったらしいんだ」
 主人氏は、おばあちゃんから聞いたという、その言い伝えを話した。
 それによると、代々の巫女は“継承者”であって、いつか遣わされる“最終解決人”が来るまで、塚を守るのが使命であるというのだ。ジャンヌ=ダルクのような、“伝説の少女”がやってくる。
 それはすなわち。おばあちゃんは、最終解決人を…
「ターミネーター」
 竹下のひとことが雰囲気をぶっ飛ばした。今さらであるが、この娘は映画好きである。
「あのね」
 理絵子は言いながら脱力した。確かに意味はそうかも知れないし、『あいるびーばっく』と言いもした。
「でも、そういうことでそ?」
「サイボーグか私は」
「あれの“まごの手”大阪で売ってるんだよ。メカメカしいまごの手に私は惚れた」
「うちには“まりも”まごの手と、ほれ、アニメの黒毛玉、あれのまごの手あるよ。どう見ても色を…以下自粛」
「それ言ったら“どこどこへ来ています”ってお菓子も、製造元は…以下自粛」
「何かそれ系のくだらないエピソード話に入れられないかなぁ」
「あ、それいいね。双方田舎があって、それぞれ買ってくるんだけど、開けてみたら名前違うだけで同じモノ」
「でも彼女厳格な家庭でしょ?」
「家出半分で飛び出させりゃいいじゃない。彼との出会いによってどんどん家がイヤになる。それが強調できる」
「あ〜いいかも」
「てなわけでりえぼー追加して」
 いつも通りの彼女たちの脱線に、しかし面白いので笑ってしまいながら、どう言い返してやろうかと理絵子は思った。人をダシに話を作った上、結構神妙な話なのに、あのガイコツ似のサイボーグのイメージがくっついてしまった。私の涙を返せ。
 でも同時に、彼女たちのおかげで、“伝説の少女”のプレッシャーが消滅したことにも気付く。
 おばあちゃん。私がそれかどうかは判らないけど、向坂は放っておけない。
 “彼女”達のためにも。
  
12

  
 丑三つ時。
 彼女たちは塚へ向かった。
 全員が手に手に携帯電話を所持している。理絵子のは録音モード、そして7人はカメラモードだ。内蔵カメラであらゆる角度から“現場”を撮影してやろうというのである。一気に7人でシャッターを切れば、隠すことは出来まい。
 とはいえ、先んじて悟られることが理絵子には見えている。あいつも“力”を持っているのだ。判らないわけはない。ただ、少なくとも、それがプレッシャーとして作用することは有益と見る。
 流れを歩く。乾いた音がする。かっつんこっつん。理絵子の判断に狂いがなければ、それは本来石工さんの作業だ。塚に何か小細工をしている。
 ワサビ自生地到達。
「あいつの気を引く。1分したら来て。みんなで塚を取り囲んで激写」
 理絵子は言った。
「1分どうやって測る…」
「手にしているのはナンデスカ?」
「あ」
 そう、携帯電話にはすべからく時計機能がある。
 窪川機の時計が2時12分に変わった瞬間、理絵子は動き出す。
 遠慮は要らぬ。超感覚を全開とする。無線機の感度を最大にするようなものだ。それ用のセンサーがあれば、理絵子を取り囲むバンアレン帯のようなものが見えよう。
 雰囲気を殺す。相手の同様な“磁界”と触れ合わないようにする。具体的にはやや難しいが、全然関係ないことを考えながら、相手に近づく。
 流れを出、河原の砂利を歩き、塚に登って四阿の中へ。某は作業に集中。理絵子には気付かない。衣冠束帯にタガネとハンマーを所持し、必死になって大きな石板を叩いている。
「今度は蓋石を傷つけますか」
 理絵子は言ってやった。
 しゃがんでいる状態の某が、驚いて身体をぴくりと震わせて動作を止め、次いで理絵子を仰ぎ見るまで0.6秒。その間に理絵子は塚の構造を把握した。
 まず四阿の各方位、屋根裏に御札がある。昼に感じた通り、ここ全体が結界の中である。
 盛り土の上には石板があり、蓋の用途である。某がタガネを立てたので傷が付いている。
 塚自体は古代の石室墳墓に似せた作りである。蓋石の重さは100キロは優にあろうか。某がタガネを立てたのは、蓋が動かせないからに相違あるまい。蓋を割るという冒涜を行う気なのだ。最後に、周囲にはまんじゅう型の石が転がっており、それは本来、石板の上に積み上げられていた塚石と知る。“蓋を開けることのないように”というおまじないだ。イタズラの演出のため、某が蹴散らしたのであろう。
 元に戻る。某は驚愕にびくっと震えた後、次いで怨嗟の目で理絵子を見上げた。
「お前は…」
 何か言い出そうとする某の口が、開かれたまま固定される。
 巫女がそこにいる。
 凛として、闇に浮き立つ白い巫女装束をまとって、理絵子はそこにいる。
 理絵子はそう、巫女装束を身にまとってここに来たのだ。
 そのビジュアル的インパクト、心理的プレッシャー、その辺を考慮して。
 しかし、実際にはそれ以上の効能があることが、この男と対峙して理絵子には判った。
 まず、衣装の本来の用途ゆえ、自分の背筋がシャンとする。
 次いで、そう、理絵子は知った。おばあちゃんとの無意識レベルでの交感で受け取ったものの正体。
 それは、おばあちゃんから託されたもの。のみならず、代々これに袖を通した聖なる娘達の真摯な想い。
 “使命”
 …がんばれ。この装束を通して過去から応援してくれている気がする。後押ししてくれている気がする。
 理絵子は一歩踏み出た。
 対し某は一歩下がる。『悪い奴お前直視出来ない』。
 果たして某の形相が一変した。もう、仮面をかぶる必要はないというところか。
「やはり、その手の者であったか」
 岩がゴロゴロ動くような、おどろおどろしい低い声。
「だとしたら?自作自演さん」
「いつか、おのれとは、対峙せんならぬと思うておったわ…」
 口調が時代がかり、二人同時に喋っているような感じになる。口がニンマリと開かれ、それこそ般若の面のような形をなす。
 ぼうっとしたものが衣冠束帯の背後に立ち上る。陽炎のごとき揺らめきであり、なにか形をなす。
 竜、或いは蛇。どちらにせよ古いものだ。
「お前憑きもの…」
 理絵子が、超絶の視力の焦点を、背後のそれに合わせたその瞬間。
「やかましい!」
 男の木靴が理絵子の腹を狙った。
 蹴り上げられる足。しかし、理絵子は男が蹴ろうと思った時点で、そのことを察知している。わずかに体をかわして足を避ける。
 横殴りに打ち込まれるハンマーを、身を屈めて回避。
 そして、しゃがんだついでにまんじゅう型の塚石を手に取り、振り下ろされるタガネを受ける。
 耳に痛い鋭い金属音がし、火花が散り、タガネの刃が欠けた。蹴る、殴る、突き立てる。いずれの攻撃も理絵子は避けた。
 その時だった。
 仲間だ。女の子達が1分経過したので走ってきたのだ。
 塚を取り囲み、それぞれのケータイが、白色発光ダイオードの照明を点灯させ、シャッター音が間断なくこだまする。
 男の目が炎のように赤い光を放った。
 意識が自分から女の子達へと向けられる。
 ぐにゃり、と、空間が溶けて曲がるような感覚。知らずに遊園地の落下遊具に乗せられたような不快感。
 念動。超能力サイコキネシス。
「…消えたぞ!?」
「電源入らねー」
 彼女らの携帯電話に異常が生じたようである。
 次いで、四阿の屋根がみしみし音を立てた。
 実行力のある念動力。その認識に、理絵子は背筋がすぅっと冷えるような感覚に囚われた。これが彼女たちに向けられたら、と、思ったのだ。
 そう、理絵子は仲間を気遣った。仲間達に意識を向けた。
 それは超絶の目線を、憑きものから外したことに他ならなかった。
 錬磨の憑きものには、その一瞬で充分だった。
 刹那の後、見えない帯と表現できよう力が、理絵子の身体を締め上げる。
 しまった!という失敗の感覚、身体を拘束される感じ、首を圧迫される苦しさ。
 彼女を螺旋に包み、束縛する、実体無き大蛇があった。
 理絵子は次元を異にする世界に住まう、邪悪な蛇の鎌首を眼前に認めた。昨日のアオダイショウとは位相を違える、獰猛な毒蛇の目がそこにあった。それは金属製かと思わせる冷徹な目線であり、捉えた獲物に与えるものが“死”のみであることを象徴した。
 蛇の口が開く。
 哺乳類の犬歯に当たる毒牙が、非生物的にぬぅっと伸びる。
 開いた蛇の喉の奥が、邪悪な者たちの暗黒世界であることは明白であった。それはイメージ的に、ブラックホールの奥底という言葉と彼女の中で一致した。すなわち。
 入り込むと永遠に出られない、虚無が支配する宇宙の落とし穴。
 宇宙の。
 理絵子の意識に想起された、漆黒の宇宙空間に、輝く星のイメージが出現したのはその時であった。
 淡いガスの中、まばゆい光を放ち寄り添う青白の星の集団。
 賢治の著作において、“プレシオスの鎖”と呼ばれるその星団を、彼女は知っていた。
 メシエ番号45、星団名プレアデス。和名を“すばる”。
 煌めきが理絵子の意識を満たす。瞬間、彼女は400光年を隔てた、満ちあふれる光の世界に、確かに身を置いた。
 意識がブラックホールからすばるへ向いた。
 それは、危機を呼び込む元凶である“恐怖”が、彼女の意識から離れ去ったことを意味した。
 同時に、すばるのイメージは、今この塚の中で自分を見ている、少女達自身であると理絵子は知った。
 理絵子の経験、“怖い気持ちは怖いエネルギーを引き寄せる”。それは恐怖が萎縮する性質を持つことに起因する。言ってみれば磁石の反発力が弱くなるのだ。恐怖が恐怖を呼び込み、つけ込み、しまいに恐怖という名の不可視の大蛇が意識精神を食う。
 少女達は、理絵子が宇宙をイメージしたタイミングを計り、自分たちの存在を星の姿で投影したのだ。
 理絵子は自分が恐怖の虜であったことを知った。仲間への攻撃を恐れる故に、つけ込む隙を与えたことを知った。
 しかし今、それを克服した自分がいる。
 果たして大蛇の束縛力が喪失した。
 即座に大蛇は応じた。理絵子の意識精神に対する攻撃が失敗したと知るや、実力行使に出たのだ。実際に優位性を有する物理的な攻撃を仕掛ける。“歪む感じ”が生じ、四阿の屋根が割れ、柱が折れる。
 「おのれ」
 再びの歪む感じ。念動力サイコキネシス。
 その時。
 超感覚。エクストラ・センサリ・パーセプション。
 “ここ”
 呼ぶ声がし、理絵子は蓋石に触れる。
 蓋石の下は石室。
 石室の中には骨壺。
 それから。
 姿無き仲間。
 “助けます”
 理絵子はその意を解した。
 超常のベクトルが、理絵子をアシストした。
 細い理絵子の手指で、100キロに近い蓋石が動く。
「うぉっ!」
 男を乗せたまま、蓋石が動く。
 重々しいその音は、さながら何かの開闢(かいびゃく)の砲声。
 石室の蓋が開いた。
 現れる。
 それは白き光の塊。
 それこそ“すばる”を思わせる、高輝度の恒星に似た白い輝き。
 ただそれは、理絵子にのみ恒星状と見える。特異能力を有しないのであれば、“何かの存在”は感じるかも知れないが、視覚化することは出来ない。
 輝きは次々と蓋石の下から出、塚を囲む女の子達個々の肩の上に座した。
 結果、放たれた念動の歪みは、女の子達に達することなく、洗面器の中の波紋のように、波源である男へと跳ね返された。
「…!」
 男が苦しげに胸をかきむしる。
「お前は何者」
 理絵子は問うた。問うたが、答えは、姿無き仲間から、先にもたらされた。
 欲望の権化。
 鉱山の時代、金による“酒池肉林”は、関係者にとってこの世への未練となった。未練は念としてこの地に残り(それこそ「残念」である)、やがてそれのみの人格である亡霊となったが、金銭のもたらす贅沢は、肉持つ身でしか味わえず、ゆえに、憑依できる人間の登場を欲した。
 霊媒詐欺師向坂。
「向坂。あんたは最早ただの依り代」
「黙れっ!」
 向坂が腕を振り下ろし、再度、“歪み”を放つ。しかし恒星の描く星座のネットワークに跳ね返され、逆に自分が四阿から放り出される。
「…!」
 もんどり打ってひっくり返り、ショックで勝手に飛び出したような、意味をなさぬ声が向坂より発せられる。胸か背中をしたたか打ったようである。
 怯えが向坂の内部に芽生える。敵わないと判り卑屈になった。
 これだから対峙したくなかったのだ…言葉にすればそんな感じの意識を向坂から得る。いや、蛇の方であるかも知れぬ。恐怖でも何でも、理絵子を失神させる以上の…とにかく“しゃべることが出来る状態”に、しておきたくなかったようだ。だから意識精神へ揺さぶりをかけた。
 その意図に理絵子は首をかしげる。念動すら使える者が何故?念動を持たぬ自分を、念動で攻撃することをわざわざ避けた?
 嗚咽する。
「うう。ううっ。もういいよ。怖いよ」
 そこで理絵子は仲間を気遣う。みんな事態を驚いて見てはいるが、心の状態は冷静であると知る。
 “見えない仲間”が安心を与えているゆえに。清流の趣を仲間達に与えている故に。
「それ、悪役の常套手段」
 竹下が、言ってのけた。
 図星で、あった。
 人が“狂う”その瞬間を、8人は目撃した。
 突如凄まじい絶叫を発し、髪の毛を逆立て、歯をむき出した口から涎を撒き散らしながら、タガネとハンマーの男が飛び上がる。
 異様な跳躍力である。火事場の馬鹿力よろしく、まっとうな脳の制御を外れたのである。バッタのように中天高く飛び上がる。
 この領域は、もはや理絵子の対応範囲ではない。
 不動明王真言。
 バン!という、爆発というか、直近に雷が落ちたような音と光が、一帯を包んだ。
 理絵子も思わず目を閉じ、顔を背けてしまう。
 しかし理絵子は“感覚”で全てを見ていた。その光の中で四阿が分解し、屋根が某を直撃したこと。四阿の結界が解除されたこと。そして、光は男の太い腕の形に形容でき、その腕が失神した某の内部に入り、意識のヘビを握り潰すが如く捉え、まさに強引に連れ去ったことを。
 蛇が捨て台詞を自分に寄越す。“だからこの娘と…”
 ゴロゴロという残響が山間にこだまする。
 残響が消え入り、せせらぎの音があるだけ。
 某も、仲間達も、その場に横たわっている。
 不動明王真言が、意識精神に直接作用するエネルギーを引き込んだことは確かである。神経系への大きなショックは失神に至らしめるからだ。
 〈みんな、大丈夫です〉
 “声”が聞こえた。
 振り返る。蓋石の板の上に“女の子”が立っている。
 白い光が人の形をしたものだが、実際には7人分の人格である。
 言葉は要らない。直接交感できる。彼女たちは言うまでもなく封じられた少女たち。帰りたかった。故郷へ戻りたかった。
 でも、欲望の権化である人格がそれを許さなかった。彼女たちをこの地に封じ、再びの“彼女たちを使った遊び”を求めた。
 確かに、過去には悪霊的存在になり、この地に来る若者を呼び寄せ、憑依の形で結界をくぐり出ようと試みた、こともあったという。依り代を求め、宿を覗き見たこともあったという。でも、自分たちを弄ぶ者に頼るような行動を取る気にはなれず、踏み切れなかった。
 そこへ自分たちが訪れた。
 彼女たちは、自分たちが、“冒涜への怒り”を抱いたことで、安心感と親近感とを持ったという。
 〈嬉しかった〉
 “彼女”は言った。
 〈勝手に怖いと決めつけられる。勝手にお化けに、悪霊にされる。晒し者にされ、興味本位で覗かれる。私たちはただ帰りたいだけ。なのに、どうしてこんな仕打ちを受けなくちゃならないの、って悲しくてしょうがなかった。
 でも、皆さんは違った。皆さんは私たちをちゃんと人格と見てくれた。そう判った瞬間、もういい、って思った。一つ訊いていいですか?〉
 理絵子は頷く意志を示した。言葉は要らない。
 〈同じような場所、いっぱいあるんですよね〉
 それは“心霊スポット”と称され、肝試しの対象にされる場所のこと。
 ネットで検索すれば、1日で見切れないほど出てくる。テレビで占いだ何だ頻繁に放送されていることもあり、ブームと言っても過言ではない。
 〈今って、“死”という現象を面白がる時代なんでしょうか〉
 理絵子はドキッとした。
 「殺す」「死ぬ」
 この種の言葉が軽々に口にされ、実行に移される、確かにそんな出来事がとみに増えている気がする。
 特に…それこそ話のネタじゃないが、これから社会を支えて行く自分たちの世代に。
 そのことと、昨今の心霊現象ブームは決して無関係ではない。この彼女は、そう指摘しているのではあるまいか。
 どっちも、“命”を軽んじているのが背景にあると。
 であるならば。
 あなたの言うことは間違ってはいない。それが理絵子の答え。
 彼女は頷いた。
 〈肉の身を持って生きている。だからこそ判ること、だからこその楽しみ、喜びだってあると思うんです。現に私たちは、この水の冷たさ気持ちよさ、おいしいおやつをお腹一杯食べることを知らない。触ろうとしても、みんなすり抜けてしまう。ただ、ここにいるだけ。
 うまく言葉に出来ないけれど、ここに遊び半分に来る連中に限って、人間としては薄っぺらいような気がする。そういう連中にこそ、“死”とは何なのか伝えてやりたいんだけど、逆に絶対に真剣にそんなこと考えない、そう思う〉
 “手遅れ”な若者が増えている…。彼女の言いたいことはそういうことだと理絵子は理解した。確かに、“命の大切さ”を教えようという働きかけが生じて久しいが、実際には奏功しているとは思えない。
 言葉で、想像で、“死”は実感できないという気がする。“かけがえのないものだ”と実感できる“体験”がなければ、死を、そして生きていることの素晴らしさが判らないのではないか。
 例えばゲームにおける“死”は、敵キャラクタの消滅でありポイント加算を意味し、そして自キャラクタの場合は“一つ減る”に過ぎない。
 永遠に戻らない現実の死ではない。
 父親の言葉の重さを再び思う。死が身近にあるということ。
 〈あなたは死を知っている〉
 彼女は言った。
 〈でも、あなたのような人はとても少ないのだと思う。だから、私たちと同じように、取り残され、見せ物にされ、悲しい思いをする子達が今後も増えて行くんじゃないか。それが私の心残り〉
 理絵子は彼女を抱きしめたくなった。悲しい思いを抱えながら、未来を考え、憂いを抱く。本来形而上の世界で安らかな日々を過ごしているはずの彼女たちに、そこまでさせてしまった自分たち“後世の人間”を恥ずかしく思った。
 彼女の抱える憂いに応えてあげる術はないのか。
 〈理絵子さん〉
 彼女は改まった。
 「はい」
 〈400年を隔てたあなたと私が、こうしてここで意志を交わしたこと。そして何より、あなたにその“力”があることは、何か大きな意味があるはずです。人に出来ない何かをせよという意図の介在を感じます。どうか大切に。私はあなたを、そして私たちを大切に思ってくれたあなた達を忘れない〉
 白い手が出される。握ることの出来ない手が。
 だから理絵子は、その手を包んだ。
 手のひらに感じるかすかな暖かさ。
 時が来たと知る。彼女たちが形而上の世界へ旅立つ準備が整った。
 〈さようなら。時を隔てたあなた達。いつか友として同じ時代を生きることを、私達は望みます〉
 言葉と共に白い人型に変化が生じる。人型の背後に光が噴出し、羽のような形に広がる。
 “天使化”と理絵子は認識した。今彼女たちは単に“死霊”と呼ばれる存在から、ワンランク上の霊的存在に進化したのだ。
 〈信じていました。いつか、きっと、と。皆さんの会話を聞いているのは楽しかった。飛び交う優しさに安らぎました。ありがとう…。信じていて、良かった…〉
 羽ばたいて、と記した方が直感的に理解できよう。彼女たちは光の身を持つ天使となり、スパイラルを描きながら天へ、強き腕の出でた天空へと舞い上がり、去った。
 夜が戻る。
 “ロックが外れる”感じ。
 理絵子は知った。仲間の意識が回復する。
 女の子達の携帯が、一斉にピロピロと着信音を鳴らした。
「え?」
「なに?」
 彼女たちが順次起きあがり、それぞれに機器を操る。
「メールだ」
「あたしも。なんで?圏外…」
「あ」
 彼女たちは見た。
 そのメールにはタイトルも差出人もない。ただ、塚石を蹴散らし、蓋石にタガネを立てる某の姿が添付されている。
 メールに念写!。理絵子は感心した。時代を超えても、女の子達が、その時その時の“最新”を求める姿勢は変わらないのだ。
  
13

  
 夜が明けた。
 向坂は住民達が見守る中、両脇を私服警官に支えられ、パトカーの後部座席で旅荘塙を後にした。すなわち彼女たちが向坂を宿に運び込み、朝まで寝かしておいたわけだ。
 向坂は逃げようと思えば逃げられたかも知れぬ。しかし、精神力を極限まで行使した疲労か、警官に起こされるまで一度も目を開かなかった。この間、理絵子は向坂の精神的な破綻の発生(要するに気が触れる)を心配し、ずっとそばにいたが、向坂はまるで胎児のように身体を丸め、時折怯えるような声を出すだけであった。“不動明王”(と、しておく)により、よほど怖い目にあったのだろう。
「あの娘が霊力を…あの娘が…オレは判っていたんだ。なのに…」
「はいはい…署で聞こうな」
 しゃくりあげながら警官に訴えるその様は、文字通り悪夢を見た子供である。ちなみに、当然の事ながら、警察でその辺の話をしても聞き流されるのは、前述の通り。
 かくて、“霊感詐欺師向坂逮捕”を持って、塙夫妻の村八分は幕となった。
 昨日の嫌がらせ攻撃とはうってかわって、宿の1階は多く人の声でざわざわし、女将さんが忙しい。
 田島が麦茶をお盆に乗せて2階に上がってきた。
 文芸部全員着席。
「さてと」
 グラスを回す。
「事態を整理させてね。りえぼ。多分あんたが一番詳しいとして見解を聞きたい。あれに雷が落ちた時、私たちはそろって、この辺に誰かいる気がした。あれは何か」
 田島は“この辺”と自分の左前辺りを示した。
「みんなが思ってる通り」
 理絵子は言った。
「…や、やっぱり?」
 と大倉。
「うん」
 理絵子は頷いた。別に隠すこともない。隠したところで“ここだけの話なんだけどさ”で、いつの間にか広がるだけのこと。
「やっぱりか」
「に、しては“怖い”って感じじゃなかったな」
「そうそう、そばにいてくれる。みたいな。なんか部長とアレのやりとり、妙に冷静に見てたな」
 理絵子はちょっと笑って。
「それは、彼女たちがむしろ、私らの味方をしてくれたと言うこと。彼女たちは何百年、あの塚に閉じこめられていたわけでしょ。これは、その時代の動機が関連すると思う。恐らくは、『いつか、故郷へ帰してあげられる日が来る。それまでは秘密にしておきたいので、どうかここで静かに』…そんな感じじゃない?昔は死んでも滅んだ訳じゃなく、“霊という形で”生きている扱いだからね。霊であっても戻られちゃ困るわけよ。口寄せされて『どこそこに金がある』と言われる、そこまで考えたんじゃないのかな?そして時を経て、私たちが来た。待ってましたと。幽霊さんと言っても怖いばかりじゃない」
「なるほどね。でもそうすると私たちは彼女達を帰してしまったことになるわけ?」
「そういうことだね。おばあちゃんのおっしゃった伝説の少女、やっちゃったわけよ。でも、最早誰も文句を言う時代じゃないでしょう」
「いいのかなぁ」
「いいんじゃない?ここって心霊スポットとしてネットに出てるってことでしょ?それなのに何を今さら。それよりは」
「そうだね。ずーっとここにいたんだもんね。帰りたいよね」
「いいことをした。でいいのかな?」
「うん」
 理絵子は頷いた。
 安堵の気持ちがメンバーから伝わる。しかし田島は一人浮かない顔。
「あのね、それはいいとしてね。一つだけ。PTSDかなぁ。あの男のあの錯乱顔が頭から離れんのよ」
 田島は言った。PTSDというより惨事ストレスという方が正確である。残虐や凄惨を目の当たりして精神的ショックを受けるものだ。これは人間の“死”及び“非正常”に対する恐れに起因しよう。ちなみに、惨事ストレスが後を引いた状態がPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。
「それは…」
 理絵子はちょっと考えて。
「みんな隣にいた、その“誰か”を想像してみて。どんな女の子で、どんなことが好きで…」
 理絵子は言った。自分の場合最後に“喋った”娘。七五三であろう。精一杯着飾って、村人の祝福を一杯に受けて。
 次こそは花嫁に…うん、そうだね。
「あ〜なんか桜吹雪な気持ち…」
 若井が言った。
「お前いいこと言うな。うん、そんな気持ちだ。すーっと蒸発して行くよ。すーっと」
 田島が言った。
 この件、解決。
 すると。
「りえ部長」
 今度は竹下。
「はい?」
「単刀直入に伺います。部長、あれにエスパーかましました?」
 竹下は言った。一昨日も同じ事を訊かれたが、この娘は理絵子がそれではないかと心の奥底で考えているようだ。
「いいえ」
 理絵子はゆっくりまばたきしながら否定した。
 嘘ではない。自分は真言を口にしただけ。
「女の子達は恐らく本物の幽霊さんです。でも、私たちの投げた石が男に命中したこと、神棚のお塩やお酒があの男に降りかかったこと。そして飛び上がった男に雷が落ちたこと。その全ては自然科学で“偶然”と処理される出来事です。ちなみに、45億年前のある日ある時、ある角度から、ちょうど良いサイズの星が地球に激突し、飛び出た破片で月が出来たのも、奇蹟のようですがやはり偶然です」
「じゃぁもう一つ」
「はい」
「部長。本当に巫女さんじゃないんですか?」
「今日だけだよ」
 理絵子は立った。
 巫女装束。言うまでもあるまい。おばあちゃんの強い希望もあり“最後の”神事を頼まれたのだ。
 女将さんが手をぱんぱん。
「部長さん」
 階下から呼ばれる。
「はい」
「そろそろ、お願い出来る?」
「判りました」
 理絵子は、りぼんを結び直した。
 仲間達が装束を整えてくれる。
 理絵子は前を見る。
 凛として。
 (本編完)
  
 以上で物語を了とする。なお最後に、今回、理絵子が封印の石板を動かしたことによって見つかった、“書”の内容を現代仮名遣いにて記しておく。
  
 この書の開かるるは、全てのことの終わりの時なり。
 その時の来たるは、雷(いかずち)の轟きにて知らしめん。
 光持つ者の遣わされたるを見る。光は星なり。絆にて結ばるる、畢星(ひつのほし)と昴星(すばるぼし)。
 かくもけたたましき星の見知らぬ。
 白き光の瞬き(またたき)と、切り取る音と。雷の道を導かん。
 巨きな(おおきな)印、小さき手にて大きく動き。
 星と星との邂逅(かいこう)を得ん。
 通じぬもの通じ、しかし封じるもの封じるを得ず。
 (不動明王真言)
 この書開かるるまで、禊祓(みそぎはらえ)の儀、途切れる事無かれ。
 凛として。
 天正拾四年壱月
  
作者註
1.畢星
 ひつのほし、ひつほしとも。おうし座の首星アルデバランのこと。記紀での書き方
2.昴星
 すばるぼし、すばる。おうし座プレアデス星団。秋から冬にかけ、まず、アルデバランが昇り、次いでプレアデスが昇ってくる。このため、アルデバランがプレアデスを先導する者とする伝説もある。肉眼では5〜6の星が見えるが、ギリシャ神話では7人姉妹である。
3.天正14年
「理科年表」によると、天正13年末に中部地方を震源とする大きな地震が記録されている。話中の山津波はこの地震によると見られる。
4.その他
 この「書」では、密教の真言と神事の継続が併記されているが、これは、大和時代以降の神仏合習に起因すると見られる。
5.おことわり
 この物語はフィクションです。類似の事象伝説が存在しても本編とは関係ありません。
  
「圏外」/終

20050805
あとがき
 
理絵子の納涼物語。これが第3弾となるわけですが。
読んでお判りの方もおいでと思いますが、今回は異色の経過を辿りました。すなわちどう見てもコメディであり、ホラーの要素が表に出ないのです。
セオリー通りの展開なら、部員の誰かが禁を破り、「彼女」たちが、悲しい存在として現れ、となったでしょう。でも、部員の誰一人としてそんな行動は取らなかった。
一体どうなるのかと作者自身心配したわけですが、そこに物語を書かせる何者かの意図を感じ、そのまま進めました。前半の宿にたどり着くまでの過程も、本来なら省略して構わないのですが、必要性を感じてそのまま書きました。その結果「取り憑かれた」ようになり、会社の休み時間、そして家で、のべつ書いてました。
書き終わって思うに、ハッキリとしていると思いますが“命をもてあそび死を楽しむ”という、とんでもない傾向が世間に蔓延していると思い知らされることになりました。ホラーというのはエンタテインメントであり、テーマ性を持たせる必要はないし、意図してそうしたつもりもないのですが、それがテーマだったと書いて間違いではないと思います。そうすると、冗談を言い合い、下ネタや死を使わない古典的な笑いである“落語”を劇中作に持ってきた彼女たちの姿勢に、現代の“楽しみの対象”に対する強い問題提起を感じるわけです。
大抵、理絵子の話は放っておいても(あらすじや設定をわざわざ構築しなくても)勝手に進んで行くので、物語自体に魂があるのでは…と常々感じるのですが、今回に関しては「恐怖」を介して「笑い」を批判し、その「空恐ろしさ」について「どうよ」と投げてきたものと言って良く、作者ながら脱帽というところです。加えて、細かい伏線や仕掛けがちょこちょこ入っていることは、わざわざ説明する必要もありますまい。
シリーズ物は全体を概観すると総じて何かを言ってくるスタイルを取ってくると見られます。次シーズンの概要も見えており、今回とは逆に心底怖い物になるらしい旨示唆を受けています。
“超常の力を備える”それは与えられた人生が普通ではないことを意味し、すなわち大きな使命を持っていると言っていいでしょう。占い師が跋扈し、奇異な宗教がはびこり、科学的に明らかに疑義ある有象無象を頭から信じ込む人が後を絶たない時代です。このシリーズの総体が何を見せようとしているのかまだ茫洋としていますが、少なくとも、この時代が続く限り、彼女の話を私は書かされるでしょう。
恐怖を幸せに変える娘。彼女との付き合いは、当分、続きそうです。
2005/08/13 朱泥の陶都にて。fly up fairy project system 2000