年中行事(歳時記)(10)八月


八月の年中行事
「猪飼按」八月は中秋の名月である。中秋は月を祭る行事であり、日本にも伝来した習俗である。

八月の呼び方>『(新刻)事物異名』 二卷 明 余庭璧編 胡文煥校 延寶二年(1674)4月、前川茂右衞門刊本 小一冊  和刻本類書集成 第四輯 昭和五十二年三月
桂月『提要録』
桂秋
壮月
仲商『纂要』
南呂月
「南任也。言陽氣、尚有任生薺麥也。」


八月
「八月朔の黎明、露水を收め墨を研いで、小兒の額に點する、名は“天灸”である。“中秋”、月を礼拝する、香を焼く(南園に向かって盛である)、月餅、梨藕を食べる。また親戚を訪問して贈り物をおくる。
十八日は、“潮生日”である、浦口にいって潮頭をみる。
二十四日は、新@(禾朮ジュツこうりゃん)でだんごを作り“祀竃(火土)”する。このつき田家では錢を醵(あつ)めて會をする、“青苗社”という。」
『上海縣誌(三十二巻・清同治十年刻本)』,『中國地方志民俗資料匯編・華東巻(上)』P8

八月
“中秋”は月を祀る(《金陵歳時記》には、“中秋”は月を祀る、果實を陳列し、菱藕や栗柿の屬ようなものである、香を紮(たばねて)寶塔の式のようにする、上に紙鬪を加える、名を鬪香という。
月餅、俗名は團圓餅である、月を祀っての餘を、闔家(全家のこと)で分けて啖べる、意味は團聚にとる。競って“中秋”は“團圓設”であると稱する)。
婦女には“摸秋”の戰がある(《金陵歳時記》には、金陵の俗、“中秋”の月夜、婦女には摸秋の戰がある。かっては茉莉園に行き、瓜豆を得れば宜き男とする。相傳によれば、洪楊の亂の前まで、恒に長樂渡玄帝廟の鉄の老鴉の杆、及び鍾山書院の前の鉄錨にありと)。
『首都志(十六卷・民國二十四年南京正中書局鉛印本)』『中國地方志民俗資料匯編・華東編(上)』P361

(火土)竃神誕日(八月三日)『清俗紀聞』P54
>竃の誕生日>>東厨司命真君の誕生日・・道教

中秋節>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p147
「中秋節、また月節、月夕、端正月、八月半、仲秋節、団円節と名づける。中秋に月をめでることは唐代にすでに大変流行していた。今に至るまで「唐王游月宮」の故事が流傳している。宋代になって中秋節が定められた。


祭月>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p147
「民間では月を神として月神、月姑、月宮娘娘、太陰月光神と称し、あるいは月神を称して@(女常)娥としている。これは月を祭る活動である。」


中秋>小野勝年訳訳『北京年中行事記』(敦崇『燕京歳時記』)岩波文庫1987、1941第一版、p145
「京師の八月節と曰ふのは即ち中秋のことである。毎に中秋になると貴族豪富の家家では皆、月餅や果物類を互に贈答する。十五夜の満月ともなれば瓜や果物を庭に陳列して月に供え、同時に枝豆と鶏頭花をも捧げる。是時皓々たる満月は中空にかかり、雲は初めて散ずるのだ。人々は杯を献じ盞を洗ひ互に酒盛をする。小供等は騒騒しくはしやぎまはる。眞に謂ふ通りの佳節である。」
「唯だ、月を祀る時、男は殆んど叩頭礼拝を行はない。だから京師の諺に「男は月を拝さず、女は竈を祭らず」と曰ふ。」

月光馬兒>小野勝年訳『北京年中行事記』(敦崇『燕京歳時記』)岩波文庫1987、1941第一版、p145
「京師では神の画像を神馬兒と謂ひ、強ひて直接に神とは言はない。月光馬兒は紙を以て作ったものである。上に太陰星君(月神)を絵く。その形は菩薩像の如くである。下に月宮及び薬を搗いている玉兎を絵く。玉兎は人のように立ち上って杵を執って居る。その絵は美しい彩色を用ひ、金碧は煌々と輝いて居る。市肆にはこれを売る者が多い。長いのになると七八尺もあるが、短いものは二三尺である。その頂には二本の旗があり、色は紅・緑或は黄に描いて居る。」
「月に向って月光馬兒を供へ、香を焚き、礼拝する。祭祀が畢ると(その前に供した)千張や元宝等と一纏に焚いてしまふ。」
「「宛署雜記」を見るに、阡張とは紙を剪つて條と爲したものだ。用途は冥錢と同じである。」


拝月>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p147
「拝月の方法は非常に多い。あるものは月に向かって跪拝する。あるいは月光神馬を供え、また木彫の月姑を偶像とするものがある。ただすべて神像を供えたりあるいは月の出る方向に掛けて、つくえを設けてお供えを供える。北方では多くは、梨、林檎、葡萄、毛豆、鶏頭の花、西瓜を供え、南方では柚、芋、バナナ、柿、菱、落花生、レンコンなどを供える。このほかにお茶、バター、酒、月餅、飴などがある。」
「月が上がってから、まず香を焚き、婦女が先に礼拝し、子供が次に礼拝する。諺に「男不拝月、女不祭竈」という。ただある地方ではまた男もまた月神を拝する。老年の婦女は拝月時にまた「八月十五日正圓、西瓜、月餅敬老天、敬的老天喜歓、一年四季保平安」と唱える。拝月後、月光神馬を焼く、お供えを下げて、まつりに参加したものと分ける。」

月の伝説>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p147
「@(女常)娥奔月、玉兎」
「玉兎搗藥」
「呉剛@(石欠)桂樹」
「唐王游月宮」

月餅>小野勝年訳『北京年中行事記』(敦崇『燕京歳時記』)岩波文庫1987、1941第一版、p147
「大なるものは直径尺餘もあり、上面に月宮や蟾や兎の形を絵いてある。祭が畢って食べる者もあれば、残して置いて大晦日の晩に食べる者もある。「團圓餅」と謂ふ」

月餅>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p148
「八月十五日には必ず月餅を食べる。南宋の周密『武林舊事』巻六にすでに月餅が取り上げられている。明人の田汝成の『西湖遊覧志餘』巻二十「八月十五日これを中秋という。民間では月餅を互いに遣わす。團圓の意味である。」

兎爺>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p148
「中秋節の大切な玩具は兎爺である。それは祭月と密接な関係がある。兎爺は粘土で作られ、多くの型があり、耳をつけ、色を施し、また金で描く。大きい者は一米ぐらいで小さい者は僅かに十糎ほどである。形は白い顔に、金の兜、鎧をつけ、左手には臼を抱き、右手には杵を持つ、背中には傘か旗を挿している。虎か鹿、獅子、蓮の花、あるいは駱駝に座っている。」

伝説の兎>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p148
伝説では月には蟾蜍(ひきがえる)がいるという。屈原の『天問』に月の蟾の記載がある。漢代にいたって月の中の蟾ははずされて、兎がいる。この兎を玉兎、金兎、蟾兎と称している。漢晉以来、また伝説に月に桂の樹があるという。唐代にはまた呉剛が桂の樹を伐る伝説があった。」



月下老人>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p147
「民間で仲人のことを「月下老人」と言うのは月神信仰に由来する。」



月宮奠(八月十五日)『清俗紀聞』P54,1-26>>月宮の誕生日
斗香>>枡形の線香立て
月餅>>ゴマ・スイカの種、橄欖(カンラン)の仁・青皮などを入れる
>>西瓜・梨子・柿など丸いものを供える
看月會>>酒宴を催すこともある
中秋佳節>>近き親戚に月餅・魚肉・梨子・栗・柿などをおくる
中秋の天気占い>>雨降れば来年正月元旦は晴天

潮生日『清俗紀聞』P55八月十八日>>觀潮をする
潮生日官祭1-28>>浙江の銭塘江>>祭る

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