年中行事(歳時記)(11)九月


九月の年中行事

九月の呼び方>『(新刻)事物異名』 二卷 明 余庭璧編 胡文煥校 延寶二年(1674)4月、前川茂右衞門刊本 小一冊  和刻本類書集成 第四輯 昭和五十二年三月
抄秋『纂要』
季商、「同上」
菊月
菊秋
玄月
無射月「射、終也。言、萬物随陽而終、當復随陰而起、無有終已也」

九日>『(新刻)事物異名』 二卷 明 余庭璧編 胡文煥校 延寶二年(1674)4月、前川茂右衞門刊本 小一冊  和刻本類書集成 第四輯 昭和五十二年三月
「重陽、菊節、萸節、吹花節(楊萬里云)、應聖節(五代唐明宗生)」


九日は、重陽@(米羔)を蒸して、佛に供え祖先を祀る。寺閣に遨游(ゴウユウあそ)ぶ、“登高”という、丹風樓に上ることが多い。この月、木棉は尽くとられ、晩花の鈴に遺滞するもの、隣近の兒童これを拾う、“捉落花”と名づける、恒に聚りて殴るので、よって施禁する。」
『上海縣誌(三十二巻・清同治十年刻本)』,『中國地方志民俗資料匯編・華東巻(上)』P8

九月
“重九”は、雨花台、北極閣に登る、重陽@(米羔)を吃べる(《金陵歳時記》には、諺に“吃了重陽@(米羔)、夏衣就打包。”(重陽@(米羔)をたべて、夏衣はしまいこむ)という。また“重陽無雨望十三、十三無雨一冬干”(重陽に雨なく十三を望む、十三に雨なくば一冬乾す)という。
重陽の旗つくる(《金陵歳時記》には、重陽の旗とは、五色紙鏤で花紋をつくる、中に令の字を嵌こむ、あるいは門@(木眉)に挿す。あるいは兒童の玩具とする、競いて“重陽”を慶賀すると稱する。吾郷の女子の新嫁には、母家は必ず旗を遺わす、時の鮮さでこれを佐ける、これを“重陽節盒”という)。
犒店@(人火)(店員をねぎらう)(《金陵歳時記》には、わが郷の“重九”の夕、鋪家(商家)では酒を治め蟹を剥ぎ、店@(人火)(てんいん)をねぎらう、咸鴨(しおの鴨)でたすける。この夕の酒からあと、工人は始めて夜作をする、“清明”にいたって罷める、また鋪家の俗例である)
『首都志(十六卷・民國二十四年南京正中書局鉛印本)』『中國地方志民俗資料匯編・華東編(上)』P362

>>重陽>>『西京雑記』卷3>>前漢初>>仮託
後漢末には曹丕の「與鐘@九日送菊書」にみる>>陽数が重なるを賀す。
登高>>高いところに登って祓(フツ)禳する>>『晋書』98巻孟嘉伝
呉茱萸(かわはじかみ)>烈しい香と赤色>邪氣を避ける>「辟邪翁」と呼ばれた
>>かんざし風に頭に挿す>>茱萸挿頭>>身に帯びる>>佩身>>茱萸嚢
>>茱萸酒
菊花節とも呼ばれた>菊花を酒に浮かべる>「菊酒の辰」と称する(南朝の宋)
菊花>前漢時代に不老延年の効力があるとされた>>獻壽の儀>「延壽客」と呼ばれた
>宋代に簪菊(さんきく)>鑑賞用の菊>「賞菊」が風物>菊花山・九花山子・花城
里帰りの日>>また「女児節」ともいう
『中國歳時史の研究』,"中村喬","","19930820","朋友書店",p393

重陽節>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p157
「重陽節はまた九月九、重九、茱萸節、菊花節と名づけられている。この節は秋の遊びと災いを除く風俗に起源する。後には重九節に変化した。また道教に影響を受けた。梁の人の呉均『續齊諧記』「九日登高」に「汝南の桓景、費長房に随って遊学すること累年、長房謂って曰く、「九月九日、汝の家の中に災難が起こる。急いで逃げるべきである。家の者にあかい袋を作らせて、茱萸を詰めて手に掛けて、高いところに登り、菊花酒を飲み、この災いを除くべし。景、言葉通りに家の者すべてを山に登らす。夕方になって戻ってみると、鶏犬牛羊が一度に爆死していた。長房はこれを聞きて曰く、これが身代わりになったのである。今の世の人が九日に高くに登って酒を飲み、夫人が茱萸の袋を帯びるのはこれから始まるのである。」


重陽(九月九日)『清俗紀聞』P56
登高>>朋友などと山に登る。酒食をたづさえ遊ぶ
天后廟の前に戲臺>>神恩を感謝する
粟(米羊れっが)>>栗あんのもち
登(米羊れっが)1-27>>団子をつみ、竃神にささげる


登高>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p157
「登高は古くからある行事である。狩猟に起源し、後には娯楽の行事にかわる。」


登高>小野勝年訳『北京年中行事記』(敦崇『燕京歳時記』)岩波文庫1987、1941第一版、p150
「京師では重陽を九月九日という。毎年九月九日になると都人は茶壺を提げ、酒器を携えて城外に出で高処に登る。」
「そこに至り詩を賦し、酒を飲み、肉をやき菓子を分つ。」

挿茱萸>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p158
「民間では九月九日はまた凶に逢う日であると考えられている。清人の菫含「薄郷贅筆」に「今の人九に逢えば、この年必ず災いが多いと」だから重陽節には必ず茱萸を挿して避邪する必要がある。」
茱萸には味と香りが強く、虫を駆い湿をさり、風邪をはらう作用があり、消化を助け寒熱を治す、漢方薬である。劉キンの『西京雜記』巻三には「九月九日茱萸を佩び蓬餌を食べ、菊花酒を飲むと人を長寿にするという。菊の花がのびるときあわせて茎と葉を取り、黍米とまぜて酒を醸す。来年の九月九日に初めて熟す。すなわちこれを飲む。だからこれを菊華酒という」
「頭に茱萸をさし、室内には茱萸を掛けて疫を避ける。家の前後に茱萸を植えのは、また患害を除く効果がある。井戸辺に茱萸を植え、茱萸が井戸水に落ちれば、水にまた@(やまいだれ温)病を去る作用がある。このことからみると人々は茱萸は霊物、薬物と見ていた。」

賞菊>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p160
「菊を鑑賞することは重陽節の行事の一つである。菊の花はまた黄花と呼ばれ、菊科に属し、飲料であり薬物である。」

祭海神>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p161
「九月九日は中国の海の神媽祖の昇天の日である。だからこの日は中国の沿海地方では重要な海の神を祭る日である。」
「媽祖は名前を林黙といい、宋の太宗の建隆四年(963)3月23日に生まれ、雍煕四年(987)に卒す。生前は福建省の@(艸/甫)田@(さんずい眉)州の巫女であった。死後海の神として祭られた。」


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