年中行事(歳時記)(6)四月


年中行事(6)四月

四月の行事
「猪飼按」四月の行事では、浴佛節が重要である。日本では灌仏会としてよく知られている。この日が道教の神様、泰山府君の夫人である碧霞娘娘の生誕日とされていることである。碧霞娘娘の妙峰山廟会の調査は、中国民俗学の野外調査の第一歩を記す記念すべき調査である。

四月の歳事画像資料

四月の呼び名>『(新刻)事物異名』 二卷 明 余庭璧編 胡文煥校 延寶二年(1674)4月、前川茂右衞門刊本 小一冊  和刻本類書集成 第四輯 昭和五十二年三月
余月
梅月
麥秋
「秋者、百穀成熟之期。此時、雖夏於麥、則秋。故曰麥秋。『礼記』注」
正月
「正月者、正陽之日也。建巳之月、純陽用事也。」
正陽月
『西京雜記』
仲呂月
「仲者、中也。呂者拒也。言、陽氣、将極、陰氣複中難之也。」

四月>『上海縣誌(三十二巻・清同治十年刻本)』,『中國地方志民俗資料匯編・華東巻(上)』P8、『中國地方志民俗資料匯編・華東巻(上・中・下)』","丁世良 等",,"書目文献出版社(北京)",1995
「“立夏日”、新しい麦を城隍神に進める。また、麦の穂をとって、これを磨いて、粘りをだし蚕のようにする、名を“麦蚕”という。小兒が食べるものである。人家は皆、金花頭を米粉食にいれる、名を“攤@(米西)”という。秤で懸て人を稱(はか)る。軽重の数を記す。初八日は“浴佛”である。静安寺に香市あり甚しく盛である。城では、則ち推廣福寺、“大佛誕”と群稱する。すなわち釋典の載ところの釋迦である。十四日は、“呂祖師誕”であり、祭をする。」


立夏『清俗紀聞』P31・・公暦の5月6日ごろ
涼帽3-17>>夏帽子にかえる>>衣服は地方差がある
暖帽3-16>>冬帽子は寒露のころにかえる
韈子(べつし)くつした3-12>>四季に用いる
五節(立夏・端午・中秋・冬至・歳暮)>>書学の師、医師へ金銀端物を贈る
謝儀>>という>>端午・中秋・歳暮の三節に贈る場合もあり
銀錠包法1-17>>白紙でつつみ赤紙の袋上に
封袋1-18>>小長に赤紙をかけ代儀謝儀と書く
拜匣(文箱)5-20>>にいれて持ってゆく

四月八日>『首都志(十六卷・民國二十四年南京正中書局鉛印本)』『中國地方志民俗資料匯編・華東編(上)』P360
八日は、鳥飯を啖う(《金陵歳時記》に、釋家は、すなわち四月八日に供佛をする。わが郷では、ことごとく届けものをこの日に道沿いで争って賣る、もって點心にする)。“立夏”は、小兒は門檻に騎坐する、豌豆の@(米羔)啖う、これを不@(ヤマイダレニ主)夏という。>>(ヤマイダレニ主)夏とは夏負けをいう

釈迦誕日『清俗紀聞』P33
四月八日>>釈迦の誕生日>>寺で佛事をする
九条竜亭1-19>>を設ける>>白檀の釈迦の立像に香水を注ぐ

かんぶつ‐え【灌仏会】クワン‥ヱ>『広辞苑』岩波書店CD版
4月8日に釈尊の降誕を祝して行う法会。花で飾った小堂(花御堂はなみどう)を作り、水盤に釈尊の像(誕生仏)を安置し、参詣者は小柄杓で甘茶(正しくは5種の香水)を釈尊像の頭上にそそぎ、また持ち帰って飲む。日本には中国から伝わり606年元興寺で行われたのを最初とし寺院・宮廷・民間の行事として広まる。降誕会。仏生会。竜華会。花祭。〓〓春〓


浴佛節>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p86
四月八日は、またの名は浴佛節、佛誕節、龍華会と名づけられている。これは仏教が中国に伝入して後起こってきた宗教の節日である。しかしまた中国の伝統文化の特点ともなっている。その中の浴佛、斎会、結縁放生と求子は以前には大変流行した。

浴佛>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p86
四月八日は釋迦牟尼の生誕日と伝えられ手いる。この日は僧尼は皆、香を上げて燭をともして銅佛を水の中において浴佛を行う。一般の人々は争って喜捨をし、放生し、求子に仏祖の保佑(たすけ)を祈求し、各種の廟会が出現する。


碧霞元君の生日>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p87
北方地区では、四月八日は泰山娘娘ー碧霞元君の生日と伝えられている。妙峰山廟会、また竜華、九華、姑蘇などの地方で盛大な廟会が有る。廟会の間にまた堆佛塔の活動がある。

斎会>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p88
斎会は、また吃斎会、善会と名付けられている。僧家の呼びかけに応じて、信者の男女が四月八日に会に参加する。お経を念じ、吃斎して、会に参加するものは必ず食事をする。必ず「会印銭」を付さなければ成らない。食事は面条、蔬菜と酒などである。

結縁>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p91
浴佛節の間にまた「結縁」の活動が有る。それは施舎の形で来世の縁を結ぶことを祈求するのである。

放生>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p91
仏教は不殺生を主張していて、浴佛節の期間には放生の習俗が流行った。放生の来源ははやく宋代にすでに記載がある。周密『武林舊事』巻三

求子>李露露『中国民間傳統節日』,19920400,江西美術出版社,p92
四月八日は浴佛節であるが、人々は自分の願望を節日の活動の中で表す。求子はそのあらわれの例である。
>四月八日その日に、子供が無い婦女の多くは、観音や送生娘娘を参拝に往く。泥娃娃をもとめ、赤い糸で腹にくくりつけ、@(てへん全)娃娃と呼んでいる。


呂洞賓誕日『清俗紀聞』P34
四月十四日>>呂純陽の誕生日>>十世紀半ばの実在の道士

神農誕日『清俗紀聞』P34
四月二十八日>>神農の誕生日>>醫家には画像を掛け、三牲菓子果物を供え
>>呂純陽の誕生日も同じ

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