風水術
風水の起源
術数とは>『風水史』P6
権術、策略また治国の術をさす
陰陽五行の生克制化の数理を用いて、人事の吉凶を推断する
卜とは>『風水史』P8
卜はすなわち亀卜のことである。亀甲あるいは獣骨を用いて占卜用の工具とするのである鋸や鑿で加工を加え再び火の上で焼き、そののち専門の卜を掌る太卜あるいは卜師をへて、この焼灼後の亀甲あるいは獣骨の亀裂の紋と圖像を見て、これによって人間世間の吉凶を判断する。
筮とは>『風水史』p9
蓍草あるいはそのたの数えることのできる道具で、特定の方式の「配列組み合わせ」を照らし合わせて、最後に一つの数字の構成で卦ができる。そして卜者はこの並んだ数字から吉凶を推測する。だから筮はまた数卜とも呼ばれる。
『周禮・春官』「凡國之大事、先筮而後卜」
占いの対象
祭祀、戦争、田猟、気候、収穫、移転、建造など
その中で、家の建築について行う占卜は「卜宅」という。
卜辞
「□子、賓貞、我乍(作)邑?」(《乙》五八三)
「乙卯卜、争貞、王乍(作)邑?帝若(諾)?我従、之滋唐」(《乙》五七〇)
これは殷王の城邑を建設するとき、天にむかって吉凶の判断を問い、城邑を建設するかいなかのことを決定している。『風水史』P9
風水は巫に起源する>『風水史』P12
>>『周禮・春官小宗伯』「葬兆を卜して甫めてセン(穴毛三つ)するもまたかくの如し」>占いによって王都住宅兆墓を定めた>『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P40
>>『孝經・喪親章』「其の宅兆を卜し、安らけく之を措(お)く」>墓地を占う>『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P41
秦漢の前、龜蓍卜および各種の占法、相術、占夢、占星、易卦などがあった
秦漢以後、五行術の出現と干支紀年法の運用で、九宮・建除・叢辰・六壬・太乙・風角、奇門遁甲・天人、気運、圖讖などが出現する『風水史』P38
風水の定義>都筑晶子による>「近世沖縄における風水の受容とその展開」『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P74
「中国では、自然を「気」の流れる一個の生命体とみなした。この気の流れは、場所によっては凝聚し或いは拡散する。人間もかかる気の流れとの相互関係のなかにある。およそ人間のすみかとなる家・墓・村落・城邑など、この気の凝聚する地点がふさわしい。かくして、目にみえぬ気の凝聚する地点を、自然の環境、景観からみきわめる術が生ずるー−風水とは、狭義にはこの術をさし、広義には自然の環境・景観に対する象徴的解釈の体系をさす。」
風水の原理原則の本>>『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P17
郭璞(かくはく276-324)『葬經』
「葬者、乗生気也。気乗風則散、界水則止。古人聚之使不散、行之使有止,故謂之風水。風水之法、得水爲上、藏風次之。」
(葬は生気に乗ずる。気は風に乗れば散じ、水に界られると止る。古人はこれ(気)を聚めて散じないようにし、行くがままにして止めないようにした。だからこれを風水という。風水の法は、水を得ることを最上とし、風を藏えることを次とした。」)
>>郭璞>河東聞喜(山西)の人>『晋書』巻七十二に詳しい
風水の空間>『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P19
祖先の環境の風水=陰宅風水(墓地風水)
風水{
人間の環境の風水=陽基風水 インテリアの風水
陽宅風水{
エクステリアの風水
住宅風水(陽宅風水)
エクステリアの風水{
コミュニティの風水{都城風水
村落風水
堪輿の初出>『淮南子・天文訓』>『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P40
「堪輿徐ろに行われ、雄は音をもって雌を知る」
許愼の注「堪、天道、輿、地道也」
堪輿>『史記・日者列傳』>堪輿家
>>揚雄『甘泉賦』
>>『漢書・藝文志』>『堪輿金匱』十四巻
風水の原典>『ー大地の秘術ー風水』P11
青烏子(秦末の人)の『青烏經』(セイウキョウ)樗里子(チョリシ)>>『青鳥經』(セイチョウキョウ)ともいわれる『抱朴子内篇・極言』
>>青烏公>彭祖の弟子>『神仙伝』
>>堪輿(カンヨ)の萌芽
隠君子(黄石公?前漢初)の『青嚢經』(セイノウキョウ)
>>巒頭(ラントウ)の萌芽>巒頭(山水の形勢から地の気を判断する方法)
張良(漢留侯)『赤霆經』(セキテイキョウ)
郭璞(東晋276-324)『錦嚢經』(キンノウキョウ)『葬經』
>>「氣は風に乘じて散じ、水に界(くぎられ)れば、すなわち止る。古人はこれを聚めて散ぜしめず、これを行いて止めることあり。故にこれを風水という」・・これ以後、風水と呼ばれる
陶侃(トウカン晋)『捉脈經』(ソクミャクキョウ)
氣と風水>『ー大地の秘術ー風水』P11
陰陽の氣
陽の氣>>風にしたがって動く>天氣
陰の氣>>水にしたがって動く>生氣>万物を生みだす
>生気は上下左右に軌跡を描く>地勢に起伏高低>形>円・直・曲・尖・方
>生気の強弱・旺衰を知る
風水と五行>『ー大地の秘術ー風水』P13
『書經・洪範篇』
木火土金水
相生
相克
風水のアスペクト>石田秀實>「抱きあう天地ー風水の身体観」『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P114
風水思想が有するアスペクト
@地理学、景観学
A天地を身体とみなす>天人相関・天人合一>経絡と竜脉>藏風・得水の場
B人がどのような場で、その生と死とを送るべきかを示す環境論
風水の目的>『ー大地の秘術ー風水』P14
巒頭(山水の形勢から地の気を判断する方法)
理氣(住居、墳墓の坐方・向方に基づいて生気を明らかにする方法)
>>五行・八卦・干支の相生相克の原理で吉凶を推量する
風水の起源>都筑晶子>「近世沖縄における風水の受容とその展開」『環中国海の民俗と文化ー4ー風水論集』P82
「風水の起源は、前四世紀の戦国時代にまで遡るという。だが、今日に伝わるような形での風水の体系化が進められたのは、唐代に入ってからのことであろう。
唐代中葉のものとされる「錦嚢経」では「気」の流れが一体の竜身に比喩され、人間の吉凶禍福に影響を及ぼす気の凝聚(この地点を穴という)と拡散のありさまを、地上の景観(形、勢)からみわける術が述べられている。
ついで唐末の戦乱のとき@(カン)州(江西)に逃れた楊@(キン)松によって@(カン)州学派が、宋代には@(カン)州に生まれ後半生を福建で過ごした王@(キュウ)によって福建学
派が創始され、その後はこの二派が風水の主流となったという。
@(カン)州学派は古典的な竜脈の論理を継承し、崑崙山に発する巨大な竜脈の流れを想定して「竜法」とも呼ばれ、山の形、水の流れを重視した。
一方の福建学派は、八卦・星宿・干支を重視し、羅経(羅針盤)を用いた。しかしながら、明清代に入ると、理論上はともかく、実践上では両派の差異は曖昧になり、@(カン)州学派も羅経を用い、福建学派でも山形、水流を重視するようになったらしい。
清朝末期に中国に滞在したデ・ホロートは、おそらく福建をも訪れたのであろう、概略こう述べている。
福建においても、いわば本家にあたる@(カン)州学派に準拠する地理師の方が高く評価され「その地方の凡ゆる町には、顧客を引きよせるためにそこの風水家が江西派の名手であるとか、その腕前は@(カン)州学派の先生の教えによって磨かれたものであるとかを謳った看板が出ている家が沢山ある」と。
福建学派の本場、福建でも竜法が行われたのである。
風水の流儀>『ー大地の秘術ー風水』P15
三合派
三元派
元空派
八宅派
紫白九星派
龍門八局派
>>現在は混乱している
四神相應の地>『ー大地の秘術ー風水』P16
「東に青竜、西に白虎、南に朱雀、北に玄武」
「東に清流が流れ(青竜)、西に大道が開け(白虎)、南に平地や海が開け(朱雀)、北に山や丘がある(玄武)」
三年地を求め、十年穴を定める>『ー大地の秘術ー風水』P17
「龍脉の来る勢いを看ます。次に龍穴の形を看ます。」>大地の生気を探り当てる
平地の龍脉>『ー大地の秘術ー風水』P19
>判定しにくい>「平原に行き到れば山脈を問うなかれ、ただ水がめぐるをみればこれ真龍なり」
中国人の死生観と祖先崇拝
陰宅とは、お墓をいう>『風水史』P13
『説文』曰「葬者、藏也」「墓者、没也」
『禮記・檀弓』「古也、墓而不墳」注解「凡墓而不墳、不封不樹者謂之墓」
>墓は盛り上げない。墳は盛り上げる。
>『呂氏春秋』「尭葬於穀林通樹之、舜葬於紀市@(がんだれに墨)不変其肆、禹葬会稽、不変人徙」
>後漢崔寔(さいしょく)『政論』曰「古者、墓而不墳、文(周文公)武(周武王)之兆、與平地齊」平地と等しい。
『史記・秦始皇本紀』「始皇即位、穿治@(驪)山、及并天下、天下徒送詣七十餘萬人、穿三泉、下銅而致椁、宮觀百官奇器珍怪徙臧滿之、令匠作機弩矢、有所穿近者、輙射之、以水銀爲百川江河大海、機相灌輸、上具天文、下具地理、以人魚膏爲燭」『二十五史』P129上
風水の歴史
漢代
『漢書・芸文志』
『堪輿金匱』『宮宅地形』の二書
『論衡』に見る風水>>迷信に反対した。
1、甲乙の神と五音の姓利の説が核心の『圖宅説』
王充『論衡・詰術』篇にいう
「『圖宅術』に曰く、宅に八術あり、六甲の名数をもって、これに第す。第定まりて名に宮商の殊別を立つ。
宅に五音あり、姓に五声あり。宅にその姓よろしからざれば、姓と宅と相賊す。
すなわち疾病死亡し、犯罪禍にあう。」
またいう
「『圖宅術』に曰く、商家の門は南向きはよろしからず、徴家(官僚の家)の門は北向きよろしからず」
すなわち商は金、南方は火である。徴は火、北方は水である。水は火に勝ち、火は金を賊そう。五行の気は相得ず。
主人の姓氏と住宅の五行の方位を付会して、五行の属性を判断する。
主人の姓が五声の宮商角徴羽の中のどれに屬するかを推定して、五行の属性を判断し、その相生相勝の原理から門の方向を判断する。
たとえば、田姓は徴音に屬し、五行の火であるから火は木によって生じ、火は金を尅し、木は東方に属し、金は西方に屬し、『圖宅術』によれば、田姓の住宅は東向きがよくて西向きを諱むのである。「宅に八術あり」といっているから当時すでに八術あったはずであるが今日ではわからない。『風水史』p90
2、遷徙法あるいは遷移法ー太歳の禁忌
王充の『論衡・難歳』篇に曰く、徙るに、抵太歳は凶、負太歳もまた凶である。抵太歳の名前を歳下という。負太歳の名前を歳破という。皆凶である。
たとえば太歳が子にあれば、天下の人みな南北に徙るをえず、起宅とか嫁娶とかまたみなこれを避ける。
『風水史』P91
3、西益宅
『論衡・四諱』篇に曰く「俗に大諱に四あり。一曰く、西に宅を益すを諱む。西に宅をますは、これは不祥という。」
『風俗通』「宅は西に益さず、俗説に西は上である。上に益せば家長を妨げる。その所以にもとずく」『風水史』p93
4、択時日
《論衡、譏曰》篇に曰く「世俗は既に歳時を信じまた日を信じる。事を擧げて若し病死災患すれば、大なれば則ちこれ歳月に犯触すといい、小なれば則ちこれを日禁を避けずという。歳月の伝すでに用いられて、日禁之書また行れる。−−『葬暦』に曰く、葬は九空の地陷及び日の剛柔、月の奇@(グウ)を避ける。日吉ければ害なし。剛柔相得れて、奇@
(グウ)相応ずれば、乃ち吉良である。此の暦と合わざれば転じて凶悪となる。」
また曰く「雨は葬に克たず、庚寅の日中は乃ち葬る。」『風水史』p93
5、葬地興旺説>(墓地にいいところを選んで子孫の繁栄を願う)
“葬地興旺”説がいつから起こったかを考察することが必要になる。さしあたって一般には最も早くは樗里子(前?〜B.C.302)にみる。樗里子は戦国時代の秦の貴族で、秦の恵
王の異母兄弟、名前は疾、居は樗里(陝西渭南)である。
史記の記載よれば樗里子の死後、渭南章台の東に葬られた。彼は生前、自分の墓地の両側に天子の宮殿ありと予測した。のちに果たしてそのとおりになった。なぜなら漢の時になって、ちょうど長樂宮はその東に有り、未央宮はその西にあり、武器庫はまさにその墓にあたった。『風水史』p94
6、符鎭
これまでは堪輿の活動はすべて禁忌に帰結する。禁忌を避けると同時に、自然とこれらの凶から逃れる方法を望んだ。そして一連の符鎭の方法が発明された。
@解除
『論衡・解除』篇に曰く「世は祭祀を信じる。祭祀すれば必ず福ありという。また解除しかり、解除すれば必ず凶を去る。・・宅中に主神十二あり。青龍白虎など十二位列す龍虎などの猛神、天の正鬼なり。・・十二神ありてこれにやどる。宅主駆逐す。名けて去十二神の客となす。十二神を恨む意である。・・世間の宅舎を繕治するに、地をうがち土を掘り、功成りて畢となせば、土神に解謝す。名づけて解土という。土偶の人を作り、鬼の形に象る。巫祝をして解神を延べせしむ。土すでに祭るの後、心快よく意喜ぶ。鬼神解謝という、殃禍(ようか)除去す」
>>今日の開工動土の奠基儀式(地鎭齋)>>似ている
A壓勝
漢代の壓勝の方法は、主に太歳の凶神を避ける為である。あわせて依拠する原理は陰陽五行の相生相克の理論である。たとえば『論衡・@(ごんべん澗)時』
B鎭墓獣・鎭墓文・賣地券など
現代の考古発掘は、漢代出土の墓の中に多量の鎭墓獣・鎭墓文および賣地券などがあり、とりわけ後漢が最も多いことを明らかにしている。これらは実際はすべて符鎭の方法の一種である。『風水史』p94
郭璞と『葬書』>『風水史』p97
郭璞(276-324)、字景純、河東聞喜(今山西省)の人。『晋書』巻72
1)卜地>>土地を占う
2)択墓活動>墓を占う
3)温州城の場所を選ぶ
4)福建城の場所に対する論述
紀イン『四庫全書總目提要』>郭璞の書でない>宋以後初めて出る
『葬書』は唐宋時期の作品
『葬書』の内容
1)「乗生気説」>葬書の核心>「葬者、乗生気也」(生気にのる)
2)遺体受蔭的感応説>「人受体于父母、本骸得気、遺体受蔭・・気感而応鬼福及人」>子孫を庇護する
3)「得水蔵風」之説>「気乗風則散、界水則止、古人聚之使不散、行使有止、故謂之風水、風水之法、得水為上、蔵風次之」>>風水の原則>水を得ることが最上、風をさけることはその次
4)「形勢」説>「地勢原脉、山勢原骨、委蛇東西、或為南北。千尺為勢、百尺為形。勢来形止。是謂全気、全気之地、当葬其止」>山の流れから考察する
5)「童、断、石、過、独」五不可の説>「山之不可葬者五、気以生和而童山不可葬也、気因形而来断山不可葬也。気因土行而石山不可葬也。気以勢止而過山不可葬也。気以龍会而独山不可葬也。・・經曰、童、断、石、過、独生新凶而消己福。」
童山>草木のない山>衝和之気がない
断山>中断の山>気が接続できない
石山>長満石の山>土がなければ気がない
過山>気勢がない山>情なく義なくすなわち気がない
独山>孤独な山>龍も脉もないければ気がない
6)「四霊地形説」>「夫葬以左為青龍、右為白虎、前為朱雀、後為玄武・・玄武垂頭、朱雀翔舞、青龍蜿蜒、白虎馴@(兆頁)、形勢反此、法当破死。故虎蹲謂之銜尸(かんし)、龍踞謂之嫉生、玄武不垂者扼尸、朱雀不舞者騰去」>風水の地形判断>必ず前後左右にすべて山が必要である。玄武の方位の山は垂れてきて、主峰はまた低く短く、朱雀の方位の山は羽を広げて舞うようであり、青龍の方位の山は起伏があって綿々として、白虎の方位の山は伏してやわらかであり、そうでなければ凶である。
7)「方位」説>陰陽の法則と八卦の原理>土圭を用いる
管@(車各ラク)『管氏地理指蒙』>『風水史』p104
郭璞より早い>魏国の人>『三国志・魏書方技伝』
『管氏地理指蒙』>ニーダム>晩唐約800年代
唐代
呂才「遂使葬書一術、乃有百二十家、各説吉凶、拘而多忌」
僧一行「五音地理新書」>音で調べる

