本の森通信 2005年9月号

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9月14日(水)
新刊書『天地有情』の打ち合わせで、昨日仙台文学館へ行った。二階入り口正面のエレベーター周りに、井上ひさし館長の文章講座参加者の作品が展示されていた。もちろん、井上館長の添削つきである。十数点すべてに目を通してきたが、どの作品も本当に上手いものばかりで舌を巻いた(もしかしたら、「優秀作品」の展示だったかもしれない)。添削の赤字も「お見事です」「とても上手です」などの言葉が踊り、ある作品には「訂正がないのは、直すところがないからです」という最大級の賛辞まで書かれていた。そんな作品を書いた方(もしかしたら、「玄人」かもしれない)は、文章作成については大きな自信を持って生きていけるのだろう。

「今度の本の挿絵は、いつにもましてしっかり描きたいと思っているんだ」と、小社刊行の三つの昔話集で装丁画・挿絵を描いてくださった伊澤清さんから言われた。現在編集作業をすすめている、佐々木徳夫さんの昔話集第四集の打ち合わせで、今日ご自宅にお伺いしての話だ。今度のタイトル(案)は「みやぎの昔話百選」。佐々木さんが地元・宮城で採集した昔話から、厳選して100話を選びそれを一冊にまとめた内容になる。「地元の昔話ばかりと聞いて、やりがいを感じている。自信を持って出せるものにしたい」と伊澤さん。普段は原稿と資料をお持ちして、それからイメージを膨らませて描いてもらうのだが、「今回は資料集めに図書館へ行こうと思っている」と意欲満々だ。そう言われると、こちらも締め切りを延ばさざるをえない。来月の仕上がりが非常に楽しみである。

伊澤さんへのお土産に、前述の『天地有情』をお持ちした。たいへん喜んでいただいて、お渡しして本当に良かったと思っている。「僕らの世代は、こういうのを暗記したもんだよ」と、「星落秋風五丈原」や「星と花」などをすらすらと読んでおられた。伊澤さんは若い頃に満州にいたことがあり、そこで見た風景がかつて暗記した「星落秋風五丈原」の一節と重なり、今でもその満州の地を時々思い出すという。
先日編集部に届いた『天地有情』の注文ハガキに、「六十年前の学生時代、暗記する位好きで、『暮鐘』は今でも半分位は思い出せます」と書き添えてくれたものがあった。素晴らしい記憶であり、心から羨ましいと思う。長く生きるということは、そんな記憶の貯蔵を重ねることなのかなぁと、少し考えた。

文章を書くことも良いことだが、文章を記憶するというのも素敵なことだ。それが純粋に「好き」という動機のもとなら、その記憶は深く長く刻まれるのではないかと思う。遠い土地で記憶からふとよみがえる文章、六十年間も記憶し続けている文章。そんな文章の記憶を持つ人は、実に幸せな人ではないだろうか。(小)
9月12日(月)
先週の金曜日に、郡山市在住でイラストレーターの松本忠さんが遊びにいらした。この秋に、埼玉のほうへ引っ越されるという。松本さんとのお付き合いは長く、仕事としても『戦う政宗』の装丁画を描いていただりしてたいへんお世話になった。個人的には年齢が近いということもあり、同じ東北で表現活動をがんばる仲間として頼もしい思いも持っていた。なんとも残念なことだが、「好きな東北を離れることで、また新鮮な目で東北を再発見することができるかもしれない」という松本さんの言葉を信じ、今後のよりいっそうのご活躍に期待したいところである。

お土産に、『中央線的詩画集』(発行所の「本の森」は小社と同名異社。関係はございません)を頂戴した。二十一作の詩とともに、松本さんによるイラストが入っている。この詩画集、実に素晴らしい。言葉の力と絵の力が、ここまでバランスよく支えあっている作品も珍しいのではないかと思う。詩も絵もどちらも主役になっているし、どちらも助演している。この一冊を一生持っていたいと、心から思う一冊だ。これは決してお世辞でも友人のよしみでもない。正直な感想である。

普段から詩集を持ち歩くわけでも、ブログに詩を書いたりしているわけでもないのだが、詩とは多く接している。小社宛に持ち込まれる原稿の、かなりの部分を「詩集」が占めているからだ。最近では「私の詩を読んでください」と、メールにURLが書いてあって、そこへ行くと立派なHPが作られていたり、ブログの日記に毎日詩が書かれていたりする。仕事なのですべてに目を通すようにしているが、正直に言ってその評価はとても難しい。書き手は「発する」「伝える」「表現する」ことの手段として詩を用いていて、それは十分に為されているのだが、読み手が「受ける」「伝わってくる」「鑑賞する」となるまでのパワーを感じないものも少なくない。これは「あなたに感受性が足りないからだ」と言われてしまえばその通りで、頭をかいて謝るしかない。でも、感受性が足りない自分のような人間を動かしてこそ、その作品に強いパワーがあるということではないかと開き直ることもできる。
『中央線的詩画集』には、時間が流れている。詩にも、絵にもだ。詩によって語られる物語にも、絵によって描かれる風景にも、間違いなく存在するであろう時間や時刻があるのだ。そしてその時間や時刻は、かつて自分が過ごしたかもしれない時間や時刻ではないかと錯覚する。電車の中の風景を詩に書いた作者と、同じ車両に自分も座っていたかもしれない。ある駅のホームの絵を描いた作者と、同じホームに立っていたかもれない。具体的ではなくても、作者が詩にしたことと同じ種類の優しさを、自分も受けたかもしれない。作者が絵にした風景を、自分も心に留めたかもしれない。そんな思いが次々と心に浮かんでくる作品である。このパワーはしっかりと受け止めたいし、伝わってくるし、ずっと鑑賞し続けたいものだ。

松本さんは今後も郡山や仙台を行き来し、創作活動を続けられるという。はじめて小社にいらした時に頂戴した画集(作品のコピー集)は、今でも大切に自分のデスクに置いてある。それを今開いてみると、初見の感動がよみがえるとともに、『中央線的詩画集』にいたる作品群のバラエティさと、一貫してつながっている力強い軸とに、あらためて魅力を感じる。これからの活動は、詩や短文などの言葉を味方につけるのだろうか? 『中央線的詩画集』で表現した、言葉と絵の絶妙なバランスをもって、活動の幅を広げていただきたい。(小)

松本忠さんのHPはこちら→もう一つの時刻表

9月9日(金)
急に「寛文事件(伊達騒動)」について調べなくてはならなくなり、今週末は二日間とも読書と原稿書きに勤しむことになりそうだ(もちろん、自転車にも乗る。あぁ、選挙にも行く)。昨日、別の調べもので市民図書館に行った折に、合わせて寛文事件についての書籍を探した。郷土棚に行けば簡単に見つかると思っていたのだが、「伊達政宗」や「伊達藩」についての資料は多いものの、伊達騒動に関するものは1冊しかない。検索システムを使って調べるとかなりの数がヒットしたので不思議に思っていたら、ヒットしたもののほとんどは書庫に保管されているものであった。貸し出し禁止ではないことに胸をなでおろし、早速カウンターで申し込んだ。

10分ほど待つと、貸し出しを申し込んだ3冊の本が書庫から出され、カウンターに届いた。カードを出して借りる手配を済ませると、図書館スタッフの人から「くれぐれも大切にご覧ください」と言われた。そんなことを言われたのは初めてで「そんなに荒くれ者に見えるかなぁ」と自らの外見を気にしながら本をリュックにつめようとしたとき、はたと気づいた。三冊とも、傷みがひどいのだ。なるほど、これは丁寧に扱わねばと、イスに座ってリュックの中身を一旦全部取り出し、本がリュックの底で安定するように入れ直した。

本が傷むのは、読み方に起因していることが多い。ありがちなことで言えば、読んでいるページを開いたまま伏せて置く(背表紙が上を向く)とか、閉じるのを防ぐために無理やり何か重しをノドに乗せるなどは、本へのダメージが大きい。製本過程をご存知の方なら、いかに本が弱くできているかよくご存知だろう。本のほとんどが、紙や布といった弱い素材でできていることからも、無理な扱いは傷みにつながるものだ。
もう一つ、移動の過程においてもかなり傷むことがある。返品でよくあるのが、梱包用のプラスティック製テープで数冊の本を直接束ね、そのテープの跡どおりに表紙が折れ曲がってしまう本。あの梱包はすべて機械で行なうのだが、かなりの力で「バチン!」と束ねる。ソフトカバーは凹んでしまい、ハードカバーはテープがめり込んだ跡が残る。こうなると商品価値は無く、不良在庫として残るのみだ。そんな特にひどい例の他にも、ダンボールの中でぶつかり合って汚れてしまう本や、詰め方が中途半端で他の本のクッションの役割となって曲がってしまう本など、運ばれている間の損傷も多い。

図書館の本の傷みを防ぐには、各利用者に読み方のマナーアップをうったえる他に、この運搬途中の損傷への対策も講じてみてはいかがだろうか。例えばレンタルソフト店のように、簡単なクッション材の入った袋を用意するなどだ。CDなどの貸し出しでは既に見られることだが、本ではなかなかお目にかかれない。はじめは希望者のみの利用でもいいし、書庫で管理する本にはもれなく付けるという方針があってもいい。抗菌素材などであれば清潔さをアピールすることにもつながるかもしれない。現実的に「本を守る」という目的と、図書館の「本を大切にする」という姿勢を利用者にも浸透させる目的。コストや手間の問題はあるものの、意外に大きな効果を生み出しそうな気がするのだが。(小)
9月7日(水)
いま、我が家の庭では鉢植えのアサガオが満開である。季節としてはちょっと遅い。通勤途中にある小学校のアサガオ(たぶん栽培課題なのだろう)はすでに種をつけているのだが、庭のものは毎朝4〜5の花を開いている。色は深い紫で、緑の葉によく映える。今日は風が強くなるというので、朝のうちに居間に入れておいた。今晩カーテンを閉めたままにすれば、明朝は一つも咲かないのだろうか?

午前中はずっとデスクにかじりついて編集作業。ようやく目処がついてきた。なんとか今週中には終わらせておきたいと思っていたので、このペースなら達成できそうである。午後は昨日に続いて書店廻り。街を歩いていると、青いジャージの人が多いこと多いこと。今日の試合を観戦に行くのだろう。日本代表の試合は、スタンドが真っ青になるようになってからは観戦したことがない。スタンドのほぼ全員が、時期の違いこそあれ同じ色の同じタイプのものを身につける姿は、きっと圧巻の一言であろう。すれ違った中に、一人だけ、ジャージの裾をズボンの中に入れて歩いている中年女性がいた。あまりの斬新さに、思わず二度見してしまった。こういうやり方での「反・没個性」もあるのか。

各地に大きな被害を残してきている台風が、今日の夜に宮城に再接近するという。街で青いジャージを着ている人たちも、どことなく不安そうな表情だったかもしれない。強風と雨の中の試合となれば、やる選手もたいへんだが観るほうも何かと面倒なことが多い。おまけに交通アクセスの悪い宮城スタジアムということで、残念ながらプラスの要素がなかなか出てこない。欧州組の先発が予想されることが、せめてもの救いだろうか。

今晩はスタジアムへも行かず、テレビも観ず、スイミングクラブへ練習に行く予定である。スポーツは観るのも楽しいが、やるのも楽しいのだ。(小)
9月6日(火)
「雨の日風の日訪問日和」・・・尊敬する編集者の言葉である。それに従い、今日は一日外を廻っていた。

午前中に仙台市泉区をメインエリアとして放送するFM局「fmいずみ」にお伺いし、新刊書『天地有情』の番組内での紹介をお願いする。「晩翠の格調高い七五調を、是非ラジオで朗読を」と思うのだが、果たしてどうなるか。その後同局スタッフのAさんと、泉区中央市民センターへ。同区の市民団体「七北田探偵団」の面白い活動内容を聞く。「七北田探偵団」は泉区の歴史探訪を主目的とした年配者の団体で、月に二回、同市民センターに集まって活動をしている。現在は泉区の歴史を取材し、それをもとに脚本を作り、fm泉でのラジオ放送を目標としている。その放送用原稿について、加筆やアドバイス等のお手伝いをする仕事を引き受けた。現在の泉区はもともと「泉市」で、仙台市が政令指定都市になる際に泉区として仙台市の仲間入りをした。比較的若い年齢層の人口が多く、現在も人口が増加している地区である。それゆえ「新しい」というイメージが強く、逆にその土地の歴史を探るという試みに興味を持った。今日受け取った原稿も、なかなか面白い題材のものである。
これまで書籍の編集は多く携わってきたが、放送を前提とした原稿の編集は初めてである。活字の場合は漢字やカタカナの表記が大いに助けとなるのだが、耳から聴くとなるとそれに頼るわけにもいかない。また、最終的には小中学生向けのものにしたいとの希望があり、対象とする層の難しさもある。ただ、実に意義のある活動だと思われるし、放って置くには勿体無い題材である。なんとか形にしたいプロジェクトだ。微力ながら、できる限りのことで貢献したいと思っている。

その後某中央紙の仙台総局に行き、同じく『天地有情』の記事掲載をお願いする。こちらには以前からお世話になっている記者さんがいて、お茶をいただきながら情報交換。本に関するお話はよくご存知で、共通の人物(某市民図書館館長)や共通のイベントなどを話題にする。前述の「七北田探偵団」の話も、興味を持って聞いていただいた。「探偵団」の話題は面白いものがたくさん出てきそうなので、記事等で掲載されれば大きな反響があるように思う。まずは『天地有情』の記事掲載について快諾していただいたので、まずはひと安心だ。

この間、合間合間で書店を廻り、新刊書の売れ行きをチェックする。『森の時間』が、来週早々にも某地元テレビ番組で紹介されるとの話が著者からあり、それを書店員さんにお話しすると、「うわっ、すごいじゃないですか!」「あの番組、あの時間帯では一番人気みたいですよ」と、大きな反応があった。番組放送の反響で、書店での売れ行きが伸びればいいのだが・・・。来週の密かな楽しみである。(小)
9月1日(水)
9月だというのに暑い。確かに早朝の風は乾いていて爽やかなのだが、昼間の温度が30℃を上回り日差しも強い。我が家の庭では、今年初めてアサガオが咲いた。濃い紫色の、大きな花である。正面から見ても横から見ても裏側から見ても、アサガオは本当に美しい形をしていると思う。そんなことをしていたからか、なんだかもう一度夏をやり直しているような感覚だ。

一昨日、『天地有情』(土井晩翠)の納品確認及びウリコミで東北大学の生協に行ったところ、面白いものを発見した。「つん読 No.56 2005夏」。フリーマガジンで、発行人は「東北大学生活協同組合つん読編集委員会」となっている。56号も出ている季刊と推測すると、単純に計算すれば14年も続いていることになる。本誌内には「つん読は、東北大生の、東北大生による、東北大生のための書評誌である」という旨を述べている箇所もあり、表4ページには編集委員の募集があって「●資格 学生」となっている。どうやら現役学生が編集を行い、生協が発行する、「書評フリーマガジン」というものであるようだ。これまで何度も同大生協(特に書籍部)に足を運んでいるが、恥ずかしながら初めてこの存在に気づいた。

今回の特集は「読書数珠つなぎ」。『ハリーポッター』『世界の中心で、愛をさけぶ』『海辺のカフカ』などのベストセラー本7冊を「読書の山」のふもとに位置する本とし、それぞれに9冊ず、つの関連本を挙げ、数珠つなぎのようにそれらの関連本も読み進めることで「読書の山」を登っていこうという趣向だ。たとえば『世界の中心で、愛をさけぶ』なら「恋愛小説つながり」「泣ける!つながり」「短命つながり」の三つのカテゴリーを設け、それぞれ三冊の本が書評付で紹介されている。面白い試みであるし、普段あまり本を読まないがベストセラーは買って読んだという層には本選びの参考になるだろう。大いに意義のある企画だと思う。作り手の立場になってみれば、どのように担当者を振り分けしたのかが興味深い。仮に7冊ごとに担当者を決めたとしても、その担当者は計10冊の本を読まねばならない。2冊を掛け持ちすれば20冊だ。まぁ、真面目に読了してから書評を書くのかどうかは別として、はじめから人書評(文章化=アウトプット)を想定して多くの本を読む(インプット)というのは、学生時代には貴重な良い経験になると思う。この「つん読」の編集委員として4年間を過ごせば、卒業時にはかなりのブックマスターになるだろう。

ちなみに同誌には、東北大学生協での書籍売上ベスト10も掲載されている。文系書籍店の「文庫・新書」ベスト10(5月1日〜31日)の2位にこの本が入っていたり(私もこれを読んだのは大学生の時だった。一時絶版になっていたのだが、今年の5月にまた出たようだ)、工学部購買書籍店の「文庫・新書」ベスト10(同)の1位がこの本だったり(やっぱり専門の人にも魅力に感じる一冊なのだろう)と、一般書店のベスト10とは違う面白さもある。
おそらく東北大学生協でしか入手できないと思うが、チャンスのある方は是非一読いただきたい。本好きにとって、なかなか面白いフリーマガジンであることは間違いない。(小)