本の森通信 2005年9月号

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9月30日(金)
「白人の連中が、多くの黒人の胸の内を本当に知ったら、死にそうになるくらい怖くなるだろう。黒人は公言できる力がないから、毎日を過ごすために、自らマスクを付けて素晴らしい演技をずっと続けているんだ」

編集者という仕事をしていると、仕事を通して他人との付き合いがとても多くなる。その他人とはデザイナーさんであったり、印刷会社の現場の方であったり、取次店のご担当者や書店員さんだったりする。中でも最も「密」なお付き合いをするのは、おそらく著者の方だろう。著者が書き上げた原稿というのは、まさに著者本人の頭の中や心の中そのものであり、そういう意味では紙にインクで記された“分身”であるとも言える。その“分身”と誰よりも早く会い、その姿をじっくりと見るのが編集者である。これまで何度か、自分の“分身”思えるような原稿を書いたこともあるが、仕事が編集者である以上、他人の分身に会うことのほうがずっと多い。

そんな分身と会っていると、著者自身に近づいたような気持ちになることがある。文章で書かれていることだけでなく、行間に何がこめられているのか、この言葉を多用する意図は何か、提案したタイトル案の中からなぜこれを選んだのか、等々・・・。でもこれは危険な錯覚であり、自分と著者が同一になること、著者の頭や心の中の100%を知りえることなどは、決してないと戒めている。著者の胸の内を本当に知ったら、編集者としては気づきもしないことや驚いたりすることが山ほどあるのだろう。

現在取り掛かっている原稿は、著者の特異な経験に基づくものである。文章を通してその経験をなぞっていくだけでも、様々な感情が次々と込み上げてくる。でも、自分が感じるそれらのことも、著者が直接感じたものに比べれば、まるで及ばないのだろうと思う。そんなことを本作りのたびに確認しながら、原稿に向かっている。
テレビで観る拉致被害者たちの悔しさは怒りは、こちらが感じ察するものよりはるかに大きなものだろう。優勝して監督を胴上げする選手たちの喜びも、こちらが感じ察するものよりはるかに大きなものだろう。それと同じように、著者の思いにいくら近づいたと思っても、そこからさらに大きく、深く、鋭い思いが著者にはあるのだということを、決して忘れないようにと気をつけている。

ちなみに冒頭の台詞は、「ジャズの帝王」マイルス・ディビスのもの。一昨日で14回目の命日を迎えた。(小)
9月28日(水)
『天地有情』の販売等の相談で、昨日午後に発行元のB>仙台文学館へ。市内書店での売れ行きは相変わらず好調で、発売元の小社としては嬉しい報告ができる。同館のほうでも、電話での問い合わせには「市内の書店さんでお買い求めください」と対応されているようで、流通販売にご協力をいただいている。来月19日の「晩翠忌」に向けて告知等されるというので、そこからまた売れ行きに勢いが出ると思われる。ちなみに同館では晩翠忌の記念イベントとして、10月15日に晩翠に関する対談・群読を企画されている。13時から1階エントランスロビーにて。入場無料・申し込み不要なので、お時間のある方はぜひご参加いただきたい。『天地有情』の詩を、より深く味わえるきっかけになるだろう。
文学館のМさんに、小社関連の文学系企画を提案。来年度の催しの候補として、前向きにご検討いただけるそうだ。この企画は是非とも実現させたいと温めていたものなので、方向付けがついたことがとても嬉しい。社としての協力はもちろんだが、個人的にも参加したいと強く思う企画だ。来年度の催しということで、まだまだ練る時間がある。よりよい企画に練り上げて、実現の日を迎えたい。

今日の午後はせんだいイエローページを主宰するKさんと打ち合わせ。本題を済ませ、共通の話題である仙台のプロスポーツ事情を話す。Kさんは長年のベガルタ仙台ウォッチャーで、ホームゲームには足繁く通っていらっしゃる。今年は楽天イーグルスに話題が集中し「取り上げ方も“楽天・ベガルタ”の順になってしまった」と嘆いていらした。この秋に新たにスタートするプロバスケットの仙台89ersも、先日イーグルスの試合前にフルスタ宮城に登場し、協力関係をアピールしたらしい。プロ野球シーズンが終わるとともにbjリーグが始まるというタイミングの良さも、両者の関係に好影響をもたらすだろう。イーグルスの人気キャラクターのカラスコが、11月5日のbjリーグ開幕戦(ホームの仙台市体育館で開催)に登場するなんてことも、十分に考えられる(彼の活躍をバスケットコートで見るのも、かなり面白うだろう)。こうなると、なんだかベガルタが孤立しているように見えてしまうというKさん。J1復帰を目指しての結果はもちろんのこと、新規のファン獲得も今後のベガルタには必要になってくると思われる。
仙台の中心部商店街において、「新規躍進・老舗苦戦」が叫ばれるようになって久しい。そしてここに来て、仙台のプロスポーツ界も同じ流れができつつある。ベガルタのホームゲームはいまだに1万5千人を集めるほど盛況だが、この先これを維持するのも大変なことだろう。J1復帰は最高のカンフル剤になるだろうが、それ以外にもスター選手の育成やマンネリ化しているスタジアム・パフォーマンスも、大きな課題になってくると思う。(小)
9月26日(月)
田尾監督解任。昨日報じられたこのニュースは、仙台でも大きな話題となった。地元ファンが中心となった、解任取り消しを求める署名運動の噂もあり、今夕の地元ニュースでも取り上げられることと思う。ネット上でも昨晩から様々な文章がアップされ、特にブログでは多くのファンが意見・分析・思いをそれぞれに語っていた。

無念の一言である。今年の楽天イーグルスの魅力の一つは、経営母体の球団経営も初めて、本拠地球場も建て替えたばかり、名前もユニホームも新しい、そして監督も新人監督という、「全部最初っから」の雰囲気だったように思う。既存球団の本拠地移動では、果たしてここまで楽しめたかというと、それは少し疑問だ。これは「誕生信仰」「オリジナル信仰」「新品信仰」などの心理にもつながり、その善し悪しは議論の対象となるかもしれない。しかし正直なところでは、来年の楽天イーグルスに「球団経営2年め、本拠地球場2年め、名前もユニホームも2年め、監督も采配2年め、そして俺らも応援2年め」という「2並び」を求める声が強いのではないかと思える。田尾監督と一緒に、2年目のフルスタで2年めのシーズンを戦いたかったというファンは、きっと多かっただろう。

今回の解任劇では、いくつかの問題点も挙げられている。就任時に3年契約を結び、「3年間の1年め」を過ごした監督に、1年めだけの成績をもって責任を問うのは非情だというものだ。これに関しては「非情だ」という意見もわかるし、「勝負の世界は厳しい」との考え方もわかる。でも、ここで大きく損をするのが誰なのかを考えた場合、向かうべき方向はおのずと見えてくるように思える。
あるJリーグのクラブは、残念ながらフロントの評判がよくない。これは選手供給側(アマチュア)にいる関係者から直に聞いた話である。「チームは強いけど、フロントの方針がその場しのぎだ」「選手の切り方に問題がある」などの評判は、多少の尾ひれがついて関係者間に広がる。そして供給側は「大事に育てた選手を、安心して送り出せない」との結論に達する。そうなると新人選手の獲得は困難になるばかりでなく、現役選手の補強も難しくなってくる。せっかく良い選手、良い指導者が揃っていても、フロントの評価が低くては選手集めに苦労することになるのだ。それがやがてチーム力のダウンにつながり、その責任をとるのは監督やコーチ。フロント人事よりも現場人事が積極的になされてしまうのは、現在のJリーグクラブの組織の構造的な欠陥であり、この根本原因を先延ばししていてはいつまで経っても現場だけが泣く状況が続くだろう。

話をプロ野球に戻す。楽天イーグルスは、素人目でみてもフロントの印象が良い唯一の球団であるように思う。これは昨年の球界再編問題で「選手会○ 経営陣×」の構図ができてしまい、プロ野球球団のフロントに良い印象があまりないということが大きな要因だ。楽天野球団はそこにはまだ存在せず、後に改革の旗手として救世主のごとく現れた姿が、かなりの好印象をファンに与えているのだと思う。そして、合併球団の「1.8軍」の選手を迎え、行き場を失いかけていた一場投手を獲得し、朽ちかけていた宮城球場を全面改装し、すべてはプロ野球再興と我々プロ野球ファンのために、汗と資金を流してくれたように見えていた。いや、見えていたのではなく、実際にそうだったのだとも思える。シーズン中の本拠地開催試合での様々な工夫は、その現れと言えるだろう。
そのフロントが決断した、今回の解任。現役プロ野球関係者の驚きや不満が多く聞こえるのは、それだけ今回のことは異例であるということなのだろう。良い「異例」は楽天イーグルスに期待するものの一つだが、悪い「異例」は既存の球界からどう見えるのだろうか。「一年で解任とは楽天恐るべし。球界の常識ここでも通じず」などと見られてしまうのは、どう考えても得策には思えない。始まり方に成功したのだから、終わり方にも十分に注意すべきだった。残念なことだが、田尾イーグルスの終わり方に納得している顔は少ない。
9月22日(木)
午前中は取次店へ納品に行き、その帰りに書店廻り。仙台駅ビル「S-PAL」内のブックスみやぎに立ち寄ると、文芸書担当のHさんより、「あの本、調子いいですよ」と声をかけられた。“あの本”とは新刊の『天地有情』。たしかに他の書店からも「すぐに5冊持って来てください」「客注分10冊、仮伝でお願いします」などと、まとまった注文の電話をよく受ける。ブックスみやぎは雑誌中心のお店ということで、『天地有情』のような系統の商品は苦戦するのではと思っていたが、先日の新聞掲載で火がついて売れたようだ。実は編集部在庫が底をつき、電話やメールなどの直接注文は受けられない状態になっている。これも週明けには在庫の準備ができるので、さらにドンドンと売って行きたいところである。

今朝の朝刊の新聞広告で、『小説新潮』の10月号に伊坂幸太郎さんの作品が載っているのを知る。いつか単行本になるのを待とうか、ちょっと経ってから図書館のバックナンバーで読もうか、この一作狙いで買ってしまおうかと悩んだ。考えてみれば、現役作家の中で最も好きな作家さんの一人であるし、これまで読んで「・・・?」と思う作品もなかった。それならば、買って読もう、そしてどうせなら、早く読もうと、ブックスみやぎで購入した。『小説新潮』を買って読むのは、たぶん初めてだと思う。背表紙を見ると「小説新潮 10 2005  特集 進化するミステリー」とあり、下のほう、つまり単行本なら著者名や出版社名が入る位置に「伊坂幸太郎力作中篇」と書かれている。作品のタイトルは「フィッシュストーリー」。明日午前中までに読まなくてはならない本、読みかけの長編小説、友人から借りた文芸コミックなど、部屋の机には未読本が山積みになっている。それでも先に読みたい魅力が、「力作中篇」の四文字から発せられている。

午後は昨日届いた持ち込み原稿を、図書館で同傾向の他書と調べながら読む。普遍性と時事性のバランスをとるのが難しそうで、ちょっとてこずりそうだ。それでも著者の熱意は強いので、なんとかそれに応えて良い内容のものに仕上げたいと思う。ここでもやはり、読んでおくべきと感じる本が数冊。スポーツと読書を両立させることが、この秋の目標になりそうだ。(小)
9月20日(火)
湿気が多く汗ばむ一日だったが、明日以降の仙台は最高気温が25℃を超える日はないらしい。今朝聞いた天気予報からの情報だ。暑い中を汗水たらして歩く日々から解放されるのはうれしいが、ふと、「あぁ、今年の自転車の練習も、残りあとわずかか・・・」と寂しくなる気持ちもある。この週末に仙台空港周辺の道を自転車で走ったら、頭を垂れた稲穂が一面金色に輝いていた。今年の米は豊作のようだ。

東北大学の大学祭で三年ぶりにミスコンが開催されるとの記事が、地元紙の夕刊一面を飾っている(詳細)。これについてはずいぶん昔から全国各所で問題にされていることで、ミスコンをやっていないところは「面倒なことをはやめておいたほうがいい」とやめたのだろうし、ミスコンをやっているところは「まぁ、何か言われたらちゃんと説明すればいい」と続けているのだろう。その本論より気になったのは、「マンネリ化した学祭を盛り上げるには必要だ」という現役学生の声だ。ミスコンは盛り上がる、マンネリを打破するという考えは、少なくとも10年前ですら死に絶えていたと思うのだが・・・。

自分が通った大学には、たぶんミスコンはなかったと思う。おまけに、大学祭に没頭するタイプの学生というのも、自分の周りにはほとんどいなかった。無気力な学生ばかりだったのかというとそうではなく、講義が休みになる大学祭の日程を上手く利用して旅に出たり、ちょっと真面目な奴になると調査旅行に行ったりしていた。そもそも講義の中で、「今度の大学祭期間中には、○○県の◇◇町で△△という奇祭があるから、ぜひ諸君も行って見学して来るといい」「大学祭期間中に●●県で発掘調査をやるので、希望者はあとで名乗り出るように」「▲▲という団体に呼ばれて、今度講演会をすることになった。学祭期間中なので君たちも来やすいだろうから、ちょっと告知する」などと言う先生方が何人もいて、言わば“秋休み”の感覚でいる先生・学生が多かった。当日も、学祭ムードの正門前を素通りして、そのまま古本祭へ行くというパターンが多かった。そして自分の専攻科目の書籍を多く集めている古書店へ行くと、たいていは専攻科の先生を見かけるものだった。学生も先生も、全く違うことをしているか、大学近くまでは来ていても別の祭に行く。学祭に対しては、そんな妙な感覚を持っている。

今時の大学祭、無理に人を呼ぼうとしなくても良いのではないだろうか? それで生活が左右されるわけではないだろうし、動員数が人生の誇りや自慢になるわけもない。外を向いた祭がこれまでの趣旨であり主流なら、思い切って内を向いた祭に方向転換するのも面白いと思う。ちなみに自分が通った大学では、退官された名誉教授やかつて非常勤を務めてもらったご縁のある他大の著名な先生にお願いして、一日限りの特別講義をやっていた。現役学生を対象とした内を向いた企画だったが、学生はもちろん現役教官や大学職員、卒業生(名誉教授のゼミOB)が集まり(大学祭の企画なので、もちろん入場は誰でも可)、なかなかの盛況だったという。目玉企画でもないので目立つ広報もしていなかったが、あんなことが夕刊一面で取り上げられればなと、今になって思う。(小)