本の森通信8月号

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8月9日(水)

『再会の日々』の販促について、市内の司法関係者に知恵を拝借に行く。各地の犯罪被害者支援窓口や裁判所内の販売部門等をご紹介いただき、今週残りはそちらへのアプローチが主な執務になりそうだ。献本資料なども整え、効果的な販促につなげたい。

献本といえば、何人かの友人にも同書を送った。新聞社に務める友人たちには、「まず読んで、それから書評担当者に渡してくれ」と頼んだ。長く報道に関わっているからか、本の中身そのものにも大いに興味を持ってくれたようだ。「なんだか良い仕事をしているみたいだな」「読み終わったら、感想をメールするよ」・・・そんなやり取りの中に、お互いにエールを込める。

同書について、ある知り合いから感想をまとめたメールが届いた。長い文章で感想をもらうのはこれが初めてである。ご本人の了解を得て、以下に転載する。

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犯罪者の手記はありますが、被害者の克明な手記はめったにありません。被害者の場合、憎しみの感情に支配され、事件の真実や本質を捉える理性を維持できないからでしょうか。その意味でこの本は貴重なものといえます。
しかしながら「再会の日々」には平凡で抑えたタイトルに潜む憎しみの感情と著述者としての理性との相克が随所に現れています。犯罪被害者の心情を保持しながら、裁判記録、司法手続きなどの現実的な経過記述をする。曳地夫妻にこうした行為をさせているものは何でしょうか。犯人に対する憎しみと、事件の真実を知りたいという願い、さらには犯人から心からの謝罪の言葉を聞きたいという願望でしょうか。
 事件の真実を求めるためには理性に徹した第三者の視点が必要ですが、事件の当事者である以上、被害者の感情の枠を超えることはとても難しいと思います。この本には事件の真実解明を願いながらもそこにたどり着けない現実もしめされています。
 一般的な心情としては、被害者は犯人の顔も見たくないし、謝罪の言葉すら望んだりしないはずです。なぜならそれを望むことは最低限、憎むべき犯人の人間性を認めることになるからです。曳地氏にその壁を越えさせたものはなんでしょうか。ひとつにはこの事件が複数犯による未必の故意の犯行であること、さらにはマスコミが注目し夫妻の行動を側面から支えたこと、そして被害者の人権、権利などが斟酌されない社会状況があることなどが、被害者としての悲しみと憎しみの感情の枠にとどまることなく、事件の真実と、犯人の謝罪を求めて行動することができたのでしょうか。あるいは事件に係わる実際的な行動をしていなければ、自分たちに降りかかった突然の不条理を受け止めることができなかったからでしょうか。その辺については、事件の当事者でなければ知りえない、そして語りえない言葉が記述されているにもかかわらず、客観的な真実の追求に対する第三者的な冷徹な視点での記述が充分になされていないため、最後まで把握できませんでした。
 すべての事件には加害者、被害者の双方の立場があり、心の真実があります。この本は被害者の生の声を驚くほど冷静に記述し、浮かび上がらせたという点で意味があります。しかし同時に被害者の側から事件の真相を解明しようとすることの困難をも提示しました。
 事件に関する経過としては、この後受刑者の仮釈放、社会復帰、損害賠償などの現実が待ち受けていると思いますが、社会規範のなかでの推移と個の感情との軋轢はこれからも継続するのかと思うと、やるせない思いにかられます。私自身2人の娘の親という立場ですので、この事件や本の内容について冷静に語ることができません。不十分な記述で申し訳ありませんが、簡単な感想を送らせて頂きます。
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指摘のある「第三者的視点」という点では、実は編集作業のスタート時点でかなり悩んだ。著者の一連の活動は、第三者の筆によってノンフィクション的手法で書かれるべきではないかと思ったのだ。素材から言っても、この本は著者の活動の経緯だけでなく、それに評価(取材によって有識者からコメントを集めるなどのやり方になるだろうが)を加えることで、客観的な視点で読むことのできる「記録の本」にすることもできるものであった。
ただ、著者から依頼があったのは自らが書く「手記」であり、そこに様々な思いや願いを込めたいというものであった。犯罪被害者の親による、これほど詳細で冷静な手記というのも、類稀なものであると思った。ノンフィクションにはならなくても、オリジナル・ドキュメントにはなる。そんな考えが迷いを上回り、完全なる「手記」での出版となった。

もっとも、第三者によって書かれる『再会の日々』も、まだ諦めきれない気持ちがある。もしそんな本が世に出たとしたら、一番に読みたいと思う。その最大の読みどころは、やはり転載した感想の中にもある「客観的な真実の追求」だろう。おそらく、著者も読みたいと願うのではないだろうか。

それにしても、ここまで読み込んで感想を頂戴したということは本当に嬉しいことである。著者にも早々に届ける予定だ。著者からは「良いものも悪いものも、感想が届いたら何でも教えてください」と言われている。この欄をご覧の方で既に読了したという方がいらっしゃれば、短くても遅くなっても何でもいいので、ぜひご感想をお寄せいただきたい。最後に、転載した感想を送ってくれた知り合いに、心から感謝を申し上げる。(小)
8月8日(火)

立秋の今日も仙台は暑い一日となった。七夕期間中三日間こんなに晴れるというのも珍しい。期間中の雨は言わばジンクスみたいなもので、商店街の人が竹飾りに慌ててビニル袋をかけるという様子も七夕の恒例の姿である。今年はビニル袋どころか、UVカットの偏光シートでもかけてあげたいくらいだ。

小社は相変わらずのクーラー故障中で、窓からの風と扇風機頼りである。中でずっと働いていれば慣れてくるもので、何とか仕事はできている。気の毒なのは来訪者で、今日も某新聞社の記者が来てくれたのだが、話しているうちに汗が噴き出してきているようだった。申し訳ないことをした。今度は・・・と言っても、団扇を貸すくらいしかできないのが現状だが・・・。

朝の通勤同様、帰りもTシャツに短パンで歩いて帰る。完全に朝夕のトレーニングだ。家に着いたらそのままシャワー・風呂で汗を流し、食事をして本を読んだり文章を書いたりしていると、10時過ぎには眠くなる。高台の気温は街なかよりも低く、夜中までムッとしていることはない。窓を開けて風を入れながら翌朝まで就寝。朝は6時20分頃に起きて6時30分からのラジオ体操で身体を目覚めさせる。今年ははこんな調子で夏を過ごしているのだが、いまのところ疲れもだるさもなく元気にやれている。

今年の夏を調子良く過ごしている理由の一つは、寝る前に飲む黒酢の水割りだろう。原液はかなりの酸味で、氷と水で割っても酸っぱさはあまり弱まらない。それを寝る前に一杯、酸味を楽しみながら飲む。酢はブームになって久しいが、これまでは酢を飲むような習慣は持っていなかった。それがふとしたことから始めると、これがなかなかクセになる。どのように身体に効いているかはわからないが、何かこの調子の良さを支えているような予感はしている。おかげでビールや清涼飲料水を飲むことが少なくなったので、それも原因かもしれない。ご興味のある方は、ぜひお試しあれ。(小)
8月7日(月)

昨日 仙台文学館で、「昔話の四季 夏」と題されたイベントがあった。小社から4冊の昔話本を出版している佐々木徳夫さんと、TBCラジオ「みちのく昔話」の朗読でおなじみの田村文子さんのお二人が講師。田村さんの朗読に佐々木さんが解説を加えるという形式で、参加者は50人、時間にして一時間少々のものだった。佐々木さんの著作を直販する目的で行ったのだが、田村さんの読みも佐々木さんの話も本当に面白く、仕事を忘れて惹きこまれてしまった。予想以上に楽しく、しかも学ぶことの多い講座だった。

本の売れ行きは、昔話本が14冊売れた。佐々木さんのサイン本はあっという間になくなり、その場でサインを求める人の列ができた。佐々木さんはたいへん丁寧にサイン(「自署」と言ったほうが相応しい)される方で、要望に応えて日付や宛名まで書く。それら一冊一冊はきっと大事にしてもらえるだろうし、長く読み継がれるかもしれない。そう考えれば、日付や宛名もまた大きな意味を持つことになる。

「もしかしたら・・・」と思い、新刊の『再会の日々』も並べていたら、2冊売れた。一つは同館の学芸員さんで、もう一つは朗読ボランティアをされている方。同書をいわゆる「テープ図書」にして、視覚障がい者の方々にも聴いていただけるようにしてもらえるという。これは本当にありがたいことだ。こういう広がりの一つひとつを著者に報告し、一緒に喜ぶことができる。ちなみにその方は小社で刊行している佐々木さんの本もすべてテープ図書にしてくれ、それらはかなりの人気を博しているという。

広がりと言えば、もう一つ。仙台市宮城野区の宮城野図書館で、『再会の日々』の刊行に伴い、犯罪被害者が書いた本や刑事裁判・裁判員制度などの関連本をまとめたコーナーが設けられている。同館の館長さんから企画の話を聞いた時は、思わず胸が熱くなった。同コーナーは(社)みやぎ被害者支援センターの協力の下で同センターのパンフレットを置き、図書館利用者に犯罪被害者問題をより知ってもらうような工夫もなされているという。『再会の日々』の注目度が上ることはもちろん嬉しいが、犯罪被害に関する他書も併読してもらえれば、さらに『再会の日々』の内容を深く理解できると思う。また、多くの場合は犯罪被害者(あるいは加害者)になってはじめて犯罪事件の刑事裁判の仕組みや支援センターの活動を知ることになると思うが、「刑事裁判とはこういう仕組みなのか」「こんな活動をしている団体があるのか」と事前に少しでも知っておくことは損ではない。それを踏まえて裁判員制度まで視野を広げられれば、司法制度について自分なりに考えや意見を持てるようにもなるだろう。

宮城野図書館での展示は、今週中に何とか見に行こうと思っている。どんな本が並び、どんな本が多く貸し出しされているのか、本当に楽しみだ。お近くにお住まいの方は、ぜひお出掛け願いたい。(小)
8月3日(木)

梅雨明け宣言の翌日の仙台は、文字通り夏到来の陽気となった。腕や頬に感じるジリジリとした陽射しが、昨日とは違う季節を感じさせる。やや風があるのが救いだったが、日中の外回りはなかなか厳しいものがあった。

『再会の日々』の感想が、早くも届き始めている。外回りをしている途中の書店員さんとの会話や、編集部のPCに届くメールも、ここ数日はそれが一番多い。その多くは、第一章から第四章までの前半部分で、「読むのが辛いです」「重すぎて、なかなか読み進められません」というものだ。事件のことを詳細した箇所で、確かに酷い内容のことが書き綴られている部分である。

担当編集者としてこの本に携わって一年。その間著者と何度も打ち合わせを重ね、何度も原稿の直しやチェックを繰り返す中で、自分の感覚も少し麻痺していたようだ。件の箇所も、チェックすべき“原稿の一部”として読んでいると、だんだんと中身そのものよりも字面を追うことに重きが置かれてしまう。前述の感想をもらい、改めて読者の立場で読むことを想像すると、初見ではかなりショックを受ける内容であることがわかる。「場面を想像することすら、恐くてできない」というのは正直な意見だと思う。

読者がそのような印象を持つ箇所も、すべて両親である曵地正美さんと曵地豊子さんによって書かれたものだ。それを書くにあたっての決意、書いている時の気持ち、さらにそれに加筆したり読み直したりする時の心境は、他者がいくら想像しても感じ得ない極限のものだと察する。それでも、著者は敢えて書いた。そして、第五章以降へと続けた。読者の皆さんにも、読むのが辛い第四章までを敢えて熟読いただき、第五章以降のページを開いていただきたい。心からそう願う。(小)

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