本の森通信8月号
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8月28日(月)
福岡での橋上追突・3幼児死亡事件は、本当に胸が痛む。どんなことをしても過去には戻れないので、事故が起きる前の状態にするのは不可能であるが、そこをなんとかして・・・と思ってしまう。新聞やネット上の記事は読めるが、テレビの映像は気の毒すぎて見ることができない。
加害者の男性には、危険運転致死傷罪の適用が検討されているという。この罪の立証が実に困難で、しかも法の瑕疵とも思える部分があるのはご存知のとおりだ。しかし、世論はこの罪の適用を望む声が多いだろう。本当であれば、飲酒運転というだけですぐにこの罪を適用するべきではないかと思う。酒を飲んで車を運転するということは、まず酒を飲むということ(「飲まされた」とは言うが、むりやり口を開けられて酒を流し込まれるという例は少ないだろう。結局は自分で自分の口に酒を持って行っているはずである)と、運転するという(これも同様。自分でハンドルを握り、自分でアクセルとブレーキを踏んでいる)の二つの「自分の意思」で成り立つことである。酒を飲まずに運転する選択もあったし、酒を飲んで運転しない選択もあった。二つもある選択肢(厳密には「酒も飲まずに運転もしない」という三つめもある)のどちらも選ばず、「酒を飲んで運転する」という最悪の選択肢を自らで選んだのだ。この時点で真っ黒ではないか。おまけに、悲しいことに飲酒運転で他人の命を奪う事件は過去に何度も起きていて、22歳の加害者だって知らないわけがない。「飲酒運転すると、人の命を奪う事件に発展することがある」ということを知っていて、それでも自らの意思で飲酒運転したというのだから、これはもう救いようがないように思える。
酒を飲んで、車を運転しようとする。本人は「大丈夫! 大丈夫」などと言う。その「大丈夫」は、何に対しての「大丈夫」なのか? 自分の運転技術に自信がある? 警察の目が届かない道を帰る? ちょっと電柱に擦るようなことがあっても笑い話で済ませる? とんでもない話だ。全部自分のことだけではないか。自分が警察に捕まったり、自分の車に傷がつくことよりも、他人に危害を与えることのほうが比べ物にならないほど大きなことである。
酒を飲んで、車を運転しようとする人がいる。周りの人は「大丈夫? 大丈夫?」などと言う。その「大丈夫」は、何に対しての「大丈夫」なのか? 本人が警察に捕まらないか? 本人が車をぶつけたりしないか? そんな心配をしているのだろうか。あるいは「やめておきなよ」などと言う。なぜやめたほうが良いのか。本人に危害が及ぶからだろうか。これも間違いだ。本当に「やめておきなよ」と言うなら、「あなたがどうなるかはあなたの責任だが、他人に取りかえしのつかない危害を与えることになるかもしれない。だから、やめておいたほうが良い」という理由から言うべきである。もっとも、最近は酒の席の同席者にも罪が問われるらしいが。
なんだか偉そうなことを言っているように思われるかもしれないが、こういうことは自分で口に出すなり活字に残すなりして、自戒を強めるべきことだと思っている。「加害者にならない」という不断の努力は、自分のためではない。それは「被害者を作らない」ためであり、冒頭の「そこをなんとかして・・・」という無理な願いをお互いに持たないためである。
宮城県職員の懲戒処分の基準が変わり、飲酒運転に関しては罰則を強化する上に実名を公表するそうだ。制裁の厳格化ではなく、抑止力の向上を期待した基準変更と捉えたい。まずは「加害者にならない」ことだ。その努力がなされてこそ、「被害者にならない」という努力が初めて実を結ぶようになる。
8月24日(木)
いやぁ、暑い。今日の仙台は朝から強い日差しが注ぎ、久々に夏らしい一日になった。でも、こんなにカッと暑い日はこの夏何日目だろうか? 梅雨明けから思い出しても、おそらく五日もなかったように思う。それとは逆に、厚い雲に蓋をされて、湿気が溜まる蒸し暑さを感じた日は多かった。らしい夏といえば、そうかもしれない。県内の学校の多くは、今週末で夏休みが終わる。それと同時に、季節も本格的に秋に向かうそうだ。仙台の夏は本当に短い。
昨日普段どおりに帰宅し、スイミングへ行こうと準備をしていたら、どうも頭が痛い。ちょっとした頭痛だろうと思ってそのままにしていたら、スイミングについても痛さが収まらない。泳げば治る(この言葉、競泳経験者なら「魔法の言葉」としてご存知だろう。「コーチ、風邪をひいてしまいました」「おう、泳げば治る」 「コーチ、足を挫いてしまいました」「おう、泳げば治る」 「コーチ、指を火傷してしまいました」「おう、泳げば治る」 そう言われて練習し続けた日々が、貴方にもあるはずだ)と信じて泳ぎ始めたが、やはり痛みが止まらない。泳いでいる時はまだいいが、インターバルの最中に心拍が上がるとそれに応じてズキズキと痛む。仕方がないので練習メニューの半分もいかないうちに上がった。
「脳血管疾患の前触れじゃないといいな。運転していて、突然きたらどうしよう。たぶん、扱いは脇見運転の交通事故になるんだろうな。他の人を巻き込まなければいいけど・・・」などとマイナス思考を続けることでなんとか平静を保ち、事故を起こすこともなく自宅に到着した。入浴、食事、やはり痛みは治まらない。仕方がないので頭痛薬を飲むことにした。普段薬を服用することはほとんどなく、頭痛薬など人生で初めてだったかもしれない。「成人は一回二錠」と書いてあったが、初めて飲む薬でちょっと恐かったので一錠にした。
いやぁ、効いた。9時間ぐっすり眠った。もちろん、痛みも取れた。この手の薬は、飲み慣れてしまうと効き目が薄まると言う。逆に飲み慣れていないと、半分の量でも効果は絶大である。効き過ぎて眠ったままになってはまずいが、本当にスカッと痛みが飛んだ。そのおかげで、今朝の暑さの中でも普段どおりに徒歩出勤できたのだと思う。たぶん、原因は疲れか何かだろう。夏が終わり秋風が吹いて空気が入れ替われば、きっと気分も入れ替わって新たな気力も出てくる。とりあえずは、完全復調を喜ぼう。(小)
8月22日(火)
『再会の日々』の反響が各方面から届き続けている。長い文章で伝えてくれる方、会話の中で話してくれる方、直接著者に感想を伝えたいと仲介を希望する方、様態はさまざまであるが、じっくりと内容を読んでいただいたことに心から感謝したい。小社宛に直接Eメールでご注文された場合、普通であれば注文メールの受信と発送お知らせメールの送信の一往復だけのやり取りになるのだが、その後しばらくしてから感想メールを多く寄せていただいている。こんなことは、他の本ではあまりなかったことだ。
大学の先輩であり、本の先輩でもあるTさんが、ご自身のHPWEB HIROKUMA!!内の神保町日記8月14日付で、『再会の日々』の感想を書いてくれている。これまたじっくりと読んでいただいた上での感想で、本当に心が熱くなった。著者である曵地豊子さんも、喜んでいらっしゃった。同書を既に読了したという方でも、“勇気”という視点で書かれたHさんの一文をご覧いただき、そしてもう一度再読してもらえればと思う。きっと、同書のもう一つの面が見えてくるだろう。「被害者として、加害者として、どう生きていくべきなのか、当事者のみが語りうる言葉の重みがある」という一文は、『再会の日々』を語るものとして最高の一文だと思う。
ネット書店でも取り扱いが増えてきており、今日はこのページを確認した。読者の書評を掲載するコーナーがあるので、ぜひご投稿いただきたい。本当ならば今まで寄せられたもの全てを、ご本人の承諾を得て(匿名・仮名の希望にも応えて)一挙に投稿したいところなのだが、なかなかそうもいかない。もし、小社宛や著者宛に直接感想を送るのは嫌だが、匿名でネット上に公開したいという読者がいれば、この書店のコーナーをご活用いただければと思う。
今週金曜日には、(社)みやぎ被害者支援センターによるシンポジウム「安全安心な社会と被害者支援」が仙台で行なわれる。講演の講師は、危機管理の第一人者である佐々淳行氏。昨年の曽野綾子氏に続いてビッグネームの話が聴ける。本当であれば会場内で『再会の日々』を売りたいところだが、市の委託事業ということで叶わなかった。ただ、これを機に被害者問題に興味を持つ人が仙台で増えれば、市内書店の『再会の日々』に手が伸びる可能性も高くなる。当日は聴衆として参加するつもりだが、会場から最寄りの書店まで観客を引き連れて行けるような笛をお持ちの方は、ぜひ当日までに貸していただきたい。(小)
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