本の森通信 12月号
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12月13日
11時頃に佐々木徳夫先生宅へ。先に仙台文学館の学芸員さんが二人いらしゃっており、佐々木先生から説明を受けながら資料を整理していた。というのも、この度佐々木先生がご自身の膨大な資料一切を仙台文学館に寄贈されることになり、今日はその資料の引き取り(まずは「預かり」ということになるようだが)の作業が行なわれた。
学芸員さんは、お一人が資料の確認とメモ、もうお一人が箱詰めと、手際よく分業して進めている。佐々木先生は、資料を一目見ただけで本のタイトルや出版社を次々と示す。これがここ数年のものだけでなく、三十年前の原稿や校正紙についてもそうだ。それらの資料を散在させることなく整理していたことも驚きだが、著者の記憶とはすごいものがあると改めて感心した。また、それらの資料をきちんと著者に返し、整理しやすいかたちにして返却していた出版社・担当編集者にも脱帽である。そんな何十年も前のひと手間が、今になって他に類を見ない貴重な資料となって文学館へ行くことになった。
個人的には、やはり校正紙を見たい衝動に駆られる。他社とは言え、自分の何代も前の先輩編集者たちが、佐々木先生の原稿にどんな赤を入れたのか。話者の話をテープに取り、それを翻字し、浄書するというのが佐々木先生の原稿の作り方なので、基本的には赤の入れようがない。「話者が話したとおりに」と、読点ひとつ打つにも推敲を重ねる佐々木先生の原稿を、先輩方はどう料理したのか。これは本当に興味深い。
寄贈された資料は、佐々木先生と文学館の方々の手によって整理され、いずれは展示等を通して我々市民も目に耳にすることができるだろう。佐々木徳夫昔ばなしの一ファンとして、その日が今から待ち遠しい。さて、どんなかたちで佐々木先生の仕事に、そして先輩編集者の方々の仕事にお会いできるようになるのか。ちなみに、小社で刊行した4冊の昔ばなし本の校正紙・挿絵原画も資料として箱詰めされた。自分がお手伝いした仕事が「資料」になることに何とも言えない不思議さを感じ、何代か後の編集者が自分の料理法をどのように見るのか、不安を感じた。(小)
12月12日
いやぁ、久しぶりの更新だ。「年内営業日完全更新」などと言っておきながら、まるっきり遠ざかっていた。これでは嘘つきと言われても仕方ない。
言い訳をすれば、少々忙しい。査読原稿を毎日カバンに入れて、会社・自宅を問わず時間を探して目を通している状態である。それに伴う勉強もしなくてはならないし、そのために数冊は関連書を読まなくてはならない。そういう訳で、時間に余裕がなかった。
さらに、今はレイアウトまでやっている。決まったレイアウト用紙がないので、文房具店で方眼紙を買ってきてアバウトな版面を作り、イラストを拡大縮小して貼ったりネームのNラインを引いたりしている。決してプロの仕事とは言えず、雑誌編集者時代の「昔とった杵柄」(このことわざのアレンジで「昔打った篠塚」というものを聞いたことがあるのだが、あれは一体どんな時に使うことわざなのだろう?)でやっている。印刷会社さんにはラフとして扱ってもらい、調整はお任せするつもりである。それでも、自分でやれるところまではしっかりとやりたい。そういう訳で、時間に余裕がなかった。
せめて残りの営業日は完全更新を・・・と思うのだが、また嘘つきと言われそうなので小さいハンカチも広げない。時間に余裕のある時は必ず更新しますので、どうかこれからもお付き合いください。(小)
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