
いんさいど世界(21)
北に渡った「日本人妻」を忘れるな!
小泉首相の2回目の北朝鮮訪問で、拉致家族が5人、日本に帰って来ました。とりあえずは良かった。でも、これで一件落着したわけではありません。ほかにもまだ、拉致された疑いのある人たちがいます。そういう人たちの運命に頬被りして、「日朝正常化」を進めるわけにはいかないでしょう。見捨てるわけにはいかない。
「拉致」の問題もさることながら、いわゆる「日本人妻」の問題もあります。いわゆる「祖国帰還運動」で北朝鮮に行く、在日朝鮮人の夫に従って、日本海を渡った日本人女性たちのことです。その数、1200人。彼女たちの「里帰り」がなかなか実現しません。ほとんどの人が行ったきり、帰って来ることができない状態が続いています。消息不明になった人も多いといいます。「地上の楽土」のはずの現地で、差別と貧困にあえいでいる、との報告もあります。日本政府として少なくとも、「日本人妻」をどう処遇して来たのか、北朝鮮側に説明を求めるべきでしょう。
昭和34年(1959年)から始まった「帰還事業」で、10万人近くの在日朝鮮人が、新潟港から「祖国」に「帰還」しました。その9割は南朝鮮(韓国)の出身。「北」を「祖国」とみなし、「帰還」していったわけです。なかでも有名なのは、「永田紘次郎」の日本名で活躍していたオペラ歌手の金永吉(キム・ヨンギル)さんです。金永吉さんのような声楽家や、作家、劇作家、映画監督など、芸術家・文化人も多数、海を越えて行きました。科学者も「帰還」していきました。゙浩平(ジョ・ホピョン)さんもそのひとりです。
帰還事業が始まって3年目の昭和37年(1967年)、当時、25歳のジョさんは、日本人妻の旧姓・小池秀子さんを伴って、「北」に渡りました。ジョさんは東北大学の大学院で生理学を学ぶ科学者の卵。周囲の反対を押し切り、「モスクワ留学」との誘いの言葉を信じて、帰還を決断しました。北に渡ったジョさんは東海岸の咸興(ハムフン)という都市の医科大学の教員になったそうです。そこまではよかったのですが、帰還5年後に消息不明になる。日本人妻の秀子さんの消息も(どうもジョさんの“蒸発”後、再婚したらしいのですが)、ハッキリしないそうです。いったい、何があったのでしょうか?
帰還した在日朝鮮人は、「キーポ(帰胞)」と呼ばれ、差別や妬みの対象になったといいます。スパイではないかと疑われ、密告にあい、「マグジャビ」(粛清)された人も多いといいます。オペラ歌手の金永吉さんなども、そんな粛清にあった一人とされています。そういう人々にとって、「北」は結局、「地上の楽土」ではなく「地上の地獄」だったわけです。「楽土」ではなく、「凍土」の国だった。人間が個人として尊重されない、全体主義の国家だったわけですね。そういうところに、ジョさんの妻、秀子さんを含む日本人妻が、いまなお多数、日本への「里帰り」もかなわず、生きている(はず)。
彼女たちの安否の確認は、「日朝正常化」のための、次の重要課題だと思います。(2004・5・27)