銀色の体を支えれば、その体は流れに任せるように沈み込んできて。
まるで力の入っていないその体を支えた少女は自身の中に異様な感覚を覚えつつも自分の腕の中で息をつく銀色の姿を凝視する。
その瞳は朱には染まらず、普段の彼女と同じ黒色で。
「…駄目じゃない。 ここで来たら。 私の力が…鞘に収まっちゃった」
閃光が収まった先、朱色の魔力が弾けた先。
仁王立ちするレイズフォルドの鎧の所々が砕け散り、廊下一杯に赤い液体が飛び散っている。
しかし、その体から力が抜けている事はなく。
少しの間硬直していたレイズフォルドが顔を上げ、咆哮する。
「終わらぬな、朱色!! 衰えた、実に衰えたぞ!! 人の身にして狂う事なく死を宿したのは流石と言うべきだが!! 貴様の力は我には及ばなかった!! 直ぐにその衰えた身を摘み取ってやろう!」
レイズフォルドの怒号にクレアが何かを返そうとするも、口元が少し動くだけで声にならない。
違う、とメリースは思う。
本来ならばこの程度で済まなかった。
朱色の力はレイズフォルドを滅し、そして朱色自身も滅していた筈。
実際にはそうなっていないにも関わらず、メリースは直感的に感じる。
自分の存在が彼女の考えを狂わせた。
そして自分の存在がクレアの命を救った事を。
歩を進めたレイズフォルドの足が止まる。
身に染みるような異様、それは朱色からではなくその側にいる少女から。
「む…この感じは…」
「やらせない…クレアは私が護るんだ…。 全部…全部…邪魔なのは…壊さなくちゃ…!!」
メリースは肩で荒い息をしながら自分の胸を抑える。
クレアの唇が僅かに動き、駄目、と言ってるように見えるがそんなものを気にしてはいられない。
彼女の意識が無くなるのとメリースの理性にひびが入ったのは同時で。
自分の体が自分のものではない感じがして、朱色の力が自分の中に流れ込んできているようで。
そして、ぶつ切りになった"何かの記憶"が彼女の意識を駆け巡る。
その全てに共通しているのは一つの感情。
世界への憎しみ…そしてソレが彼女の心に還元されて。
得体の知れない衝動に立ち上がろうとした矢先。
「見ぃつけた。 レミの敵。 レミにとって危ない力」
彼女らの前に降り立つ黒と白、血の赤を混ぜたエプロンドレスを来た紅い髪の少女。
メリースと同じ感想をあの景色に抱いた彼女。
レイズフォルドもメリースも、お互いではなく突如現れたそのメイドに目を奪われる。
「セン、カ…?」
メリースの中に渦巻いていたものが彼女の登場によって全て霧散して。
「朱色…いや、同じだが別物か!!」
レイズフォルドはその存在に驚嘆を。
「あはははは!! さあ、始めようよ。 私はアナタを殺す役! アナタは私に殺される役ぅ!!」
センカの手に炎が舞う。
メリースは彼女の中に眠る力にクレアと同じモノを視る。
それは即ち死線の力。
死線の朱:死の目覚め
−8− 「死線の紅」
「そう…死んだの。 父様は」
白き方翼を広げ、羽ばたく事無く宙に浮くはシルヴァンの元王女マリン。
側には黒騎士が控え、騒動が収まりつつある城を見下ろしていた。
レイズフォルドとか言ったか、アレの存在にこうして退いて来たが人外の力を得ても未だ恐怖する事があるその事実にマリンは不機嫌で。
恐らく今頃は"化物"同士殺しあっているのだろうと。
早々にこの国から立ち去ろうとした彼女を呼び止めたのは彼女の実兄にして今は人でない者。
「相手はマリンの所のホムンクルスか乱入してきた竜族か…それとも残念な事に俺の所のレッサーデーモンか…でも亡くなられたのは事実だ」
イグルは些か翳りを見せつつそう言った。
側には彼につき従うミラがおり、彼女は眼前の"異種族"に注意を払っている。
最もそれはマリンの黒騎士も同じことで、どちらかが不穏な動きを見せれば攻撃を掛ける事だろう。
マリンは神族の力、イグルは魔族の力を得て。
両者は人間の歴史では常に対立の歴史を持っていて、両者が引き継いだ記憶もお互いが敵である事を認識させる。
「長くはないと知ってはいたけれど、病気以外で父様が亡くなられるとは思ってもみなかったわ」
「俺たちの連帯責任である事は間違いないけどね。 この騒動が無ければ竜族だって入り込んでこなかっただろう」
自分自身を咎めるように言うイグルだったが、後悔はしていない。
自分はこうするべきだったのだと確信しているから。
魔族の歴史を知った、神族の歴史をしった、獣族の歴史を知った。
そして、人間の歴史を知った。
その上で、彼の渇望に応えて自らと同化した力があった。
マリンも同じで、互いに人ではなくなった。
「そもそもあの竜族は何なのよ。 それ以前にこの騒動は誰が先ず仕掛けたっていう訳?」
「…全員、という所かな。 俺だって詳しい事は分からないけれど、神族のホムンクルスはマリンを迎えに。 俺は"彼女"を連れ出す為に。 竜族は多分逸る連中がいたんだろう。 そして、ソレが全部重なった」
重なった理由も理屈も分からないとマリンはそっぽを向く。
そんなものはイグルだって同じだ。
もっと穏便に事を進めることだって出来たのは誰もが同じ。
だが、そんな思考を停止させたかのように、誰かの願望のように誰もが血を騒がせた。
イグルとその配下達はリーズフィリスと話をする間、邪魔が入らないように。
マリンを迎えようとした黒騎士達はマリンと同化した神族の復活に血を捧げる為。
竜族は何らかの目的を持って普段は出てこない場所からこうして人の街へ降りてきて。
そして。
「…兄様は見た? あの異形」
「遠目に感じただけ。 触らぬ神に祟り無し。 とても近づく気にもなれなかったし、ミラが止めたよ」
そう言って振り返るとミラは小さく首を振り。
「…アレには極力触れないほうが身の為でございます。 最も、これ以降ずっと通る理屈でもございません」
「だってさ」
ヤレヤレと肩を竦めるイグルと、思案顔のマリン。
クレアの叫びが耳に残る…逃げなさいといった彼女の言葉が。
どうしてあそこまで自分に構えるのだろう。
あの一言で姉は絶対に自分に手を出さないと確信できた。
そして逃げる間際に聞こえた名前。
死線の戦・レイズフォルド。
「死線の戦。 おとぎ話でも聞かない名前だったわ」
言って黒騎士を振り返れば彼も知らないらしく首を横に振る。
つまり彼もまだこの世にいない時の産物ということか。
「死線の戦・レイズフォルド。 かつて一つの国を率い、十の国を殺した死の王です。 人、魔、神、獣例外なく殺し尽くされました。 私も部隊が一つ違えばここにはいなかったかと」
ミラが答え、マリンは少し意外な面持ちで彼女を見やる。
イグルは頭を掻きながら"物知りだね"と言い、彼女は"恐縮です"と返す。
そして同時にマリンは不機嫌そうに背を向けた。
「イグル兄様、今日ここで違えられた道。 いつかはまた巡る事でしょう。 その時は」
「ああ、マリンが俺を敵とみなすなら俺もマリンを敵とみなそう。 本当は出来る限り平和的に解決したいんだけれどね」
「甘い考えはイグル兄様のもの? それとも元となった魔族のもの?」
「両方、だと言ったら?」
「不愉快よ」
そう言ってマリンは跳び、黒騎士もそれに続く。
悔しいが配下の資質もどうやら兄の方が上らしい。
案外、人でないものといっても不便なものだとマリンは心の中で毒づく。
しかし、人でない力を手に入れたのならそれを高めていけばいい。
誰よりも強く、強く、強く。
頂点に君臨できる女王へ。
「いいのですか、イグル様。 妹君は少々過激な思想を持たれているようですが」
「今まで圧迫されて過ごしてきたからね、ある程度仕方ないさ。 どの道俺達だって武力でどうにかするしかない可能性が高いしね。 でもミラ、少し疑問があるんだけど」
「なんでしょう?」
抑揚の無い声で返すミラに、イグルは天を仰ぎながら。
「俺にしてもマリンにしても元々の意識が色濃く残ってる。 記憶と意識はそこそこに共有はしているけど。 俺と、昔キミが仕えていたものはもう別物だろう?」
その筈なのに彼女は初対面の時から永遠の忠誠を彼に誓った。
ミラは首を横に振り、イグルの言葉を否定する。
「別物ではありません。 全て、イグル様と共に在られます。 我々がソレを見間違う事は決してありません。 それは妹君も同じ事…波長が合わなければ決して同じになる事はありません。 互いを認め、互いが納得された事でイグル様も妹君も人間から変わられたのですよ。 私以下、全ての者…イグル様を主と仰ぎついて行きます」
「とても有難い事だね、ミラ。 もう一ついいかな」
クスリと笑いミラに近づくイグルは手馴れた様に彼女の腰周りに手を伸ばし、顎を指で上げさせる。
触れるだけのキスにミラの全身が硬直し、イグルは直ぐに唇を離して彼女を解放する。
「何だか記憶の中にこんな光景が混じっていたんだけど。 リズに振られた事だし後で慰めてもらっても?」
「…っ。 昔より不意打ちが上手くなっています…」
「それは光栄。 でもやっとミラの表情が少し崩れたね。 後で全部見せて貰う事にしようかな」
悪戯っぽくイグルは笑うのだった。
「出鱈目な魔力を放出するものだ、人の身で!」
レイズフォルドが生み出した黒い戦斧が真紅に染まる少女へ振り下ろされる。
が、全てを砕く筈の斧は少女に触れるよりも早く粉々に砕かれた。
「無駄、無駄、無駄、無駄無駄ぁっ!! そんなお豆腐じゃ私は斃せないよ! 早くレミの為に朱く、紅く、真紅く染まっちゃえ!」
何もない空間から這い出るように真紅の色を帯びた魔力が放たれ、レイズフォルドの鎧を削りとる。
もう戦場となっている廊下も部屋も足の踏み場がなく、下手をすれば天井が崩れ落ちてきてしまいそうなぐらいで。
その場に残る事が死を意味する事を悟ったメリースは意識を失ったクレアとアルシェ王子を抱えて退避していたが遠目ながらもその"戦闘"から目が離せないでいる。
センカが一つ魔力を放つたび、レイズフォルドが一振りの攻撃を行うたびに頭がズキズキと痛む。
彼女の力を見たメリースの鼓動が早まり、自分がどうにかなってしまいそうなのを抑えるのに精一杯。
只分かるのが、センカが発揮している力が死線の朱と酷似したものだということ。
最も、力の制御はまるで出来ていないようだが。
一見するとレイズフォルドが押されている様に感じるが彼はまだ十二分に冷静だった。
がむしゃらに力を揮うセンカに対して攻勢を掛けようと思えばソレが可能な筈だとメリースは見る。
しかし、ソレをさせない何かがあの場には存在した。
そしてそれが何であるかをメリースは何となく察知している。
この場に居るはずでこの場に居ない者。
紅き力を揮うセンカは不意にその動きを緩めた。
同時にレイズフォルドも構えを解いて、メリースも"ソレ"に気付く。
とても綺麗で聞きほれてしまう透き通る声。
声というよりは歌。
それはどこから聞こえ、メリースの心を酷く掻き乱す。
自身の中の負の感情が燃え上がるような感覚。
これだけ綺麗な歌であったとしても含まれているのは憎悪であると彼女は思う。
そしてその憎悪は"彼女"も感じている。
「五月蝿い…五月蝿い…何よ、何よこの歌ぁ!! 耳障り、耳障り耳障りっ!!」
センカは怒りにまかせて魔力を放出するが、勿論の事ながらそれで"歌"は止まらないしその矛先もなく。
やがてセンカの体から絶えず放出されていた力が突如として霧散する。
あれだけ大量の力を放ち続けていれば限界は来る。
糸が切れた人形の様に前のめりに倒れるセンカを支えたのは目ではとても見えない極細の糸。
「姫君か。 また奇妙なものをけしかけてくれる」
「けしかけたわけじゃありませんけど。あなたと敵対したのは彼女の意思です。 こんばんはレイズフォルド。 今宵が新しい始まりね」
この惨状の中で何にも動じず現れたのはレイズフォルドと同じ死。
彼女は始めからそこに居たかのようにセンカのすぐ横に居た。
「どうする? レイズフォルド…ここで私とやりあいますか? 歌に乗せられた憎悪の通りに」
「遠慮しておく。 これ程までに"歌"が聞こえるのだ…始まりの日にここでどちらかが舞台を降りては面白みに欠ける。 一つの花が枯れて一つの種が芽吹くとは憎悪はかくも尽きないものだ」
「憎悪が薄れるよりも新たな憎悪が生まれる方が早いですから。 これ程激しい"歌"に導かれて死線の朱はご覧のとおり眠りにつき、ですが代わりに死線の紅が芽吹く。 何とも因果な運命です」
振り返った彼女の視線は意識のないクレアへ。
レイズフォルドは興味も無さそうに背を向けて。
瞬間、キンッと何かがぶつかる音がした。
「残念、それでは私は殺せません」
「此方は二回だが姫君は五回だ。 相変わらず手癖が悪い」
「死線ですもの」
違いない、とレイズフォルドは呟き闇に溶けて消える。
メリースは残った"彼女"の目を真っ直ぐに見つめて。
「…舞織さん。 クレアと、センカは…それに、この歌は…」
「ご想像にお任せします。 貴女も早々に意識を手放した方が身の為ですよ? 殺し合いは殆どしていなくともクレアの力と死線の紅の力の影響をあなたの心と体はしっかりと感じ取っている。 それにこの歌もメリース・レイナードという一人の人間には猛毒でしかない。 強がってはいるみたいですけどもうギリギリでしょう?」
「私の事はどうだっていい…クレアは…死ぬの?」
「それはクレア次第。 私としては折角の"友人"を失いたくはないですけれど…でも恐らく死線の朱はもう目覚めない。 その代わり…これからは同じ色のこの子が役目を負う」
愛おしそうにセンカの髪に触れる舞織にメリースは此処に来て初めて疑問を持つ。
「…貴女の目的は何なの? 死線の舞姫」
「秘密です。 でもメルさんが行き着くところまで行き着けば、生き着けばその時は否が応にも知る事となるでしょう。 この"歌"はじきに聞こえなくなりますが…この歌は、世界全てに大規模な死を齎します。 それでは、次に会う機会があれば」
「センカっっ!!」
舞織の言葉を遮ったのはメリースでもクレアでもなく、彼女らよりも幼い白銀。
悲鳴をあげている体に鞭打ち、センカを救う為に死へ挑む。
「不用意に入り込むと逝っちゃいますよ、姫騎士さま。 先ほども手癖が悪いといわれたのですから」
困った様に肩を竦めた舞織にメリースは咄嗟に声を上げる。
"レミ、下がって"…そう言い切るよりも早く幼き姫騎士は刃を前面に出した。
直後金属音が響き、レミの体が後方へ吹き飛ばされる。
「っく!!」
「あら。 凄くいい反応…アルグレスが興味を持つのも頷けます。 でも残念ですが、今の貴女は到底届かない」
仰向けに倒れ伏したレミが立ち上がるよりも早く舞織とセンカの姿はこの場より消えうせる。
起き上がったレミは何とか二の足で立つもすぐさま剣を落とし俯いてしまう。
「一体…どういうことなのです。 どうして、センカが…あんな」
レミの声、そして遠くから聞こえだしたリーズフィリスの声。
だが、彼女らが何を言っているのか聞き取る事も出来ずメリースの意識は闇へと沈んでいく。
その最後に聞こえたのは、やはり憎悪に満ちた歌だった。
−同刻 クレムリア大陸西 マティウス王国 王都−
「さて…まだ逆らおうとするものは?」
本来は華やかである筈の宮殿内は元の色を全て塗りつぶすかの様に紅かった。
玉座を彩るのは血と肉、力を揮うのは人ではない別のモノ。
血溜まりの中央に立つは茶髪に金の瞳を持つ一人の少年。
決定的に人と違うのは背に生えた四枚の黒き翼と鉤爪のような左手。
少年は左手で弄んでいた剣を二つに割ると、自分を取り巻くこの国の騎士達をざっと眺める。
どれもこれもが満身創痍で小突いただけで死んでしまいそうだ。
「命が惜しくないのか、人間。 貴公らの主は既に死して仕えるべき者はもういないというのに」
今頃はこの城内全ては少年の部下に制圧されていることだろう。
それでもなお立ちはだかるのは大陸内での強国である意地か。
「人間の力も馬鹿にはできんから無駄にはしたくないのだがな。 私に仕えると言うのならば喜んで迎え入れるが?」
「っ…馬鹿な事を…ぐおっ!!」
一人の騎士が激昂するも、直後に漆黒の闇に包まれて鈍い音が響く。
闇が全て引いた後にはこの惨状を彩る血と肉になっていた。
一人、また一人倒れていくたびに騎士達の心を折る。
今宵、突如として現れたその化物は我が物顔で城内を蹂躙してきた。
「折角あの"歌"が聞こえてこの下から出ることができたのだ。 無闇に殺生をするのは死を招きそうで好かんのだがな」
服従すべし、と少年の目が訴える。
力のないこの者達が自分に挑む理由はもうない筈なのだ。
「貴様らが納得すれば私はきちんと支配してやろう。 今ならば意中の女子でもオマケでくれてやろうか? 最も…」
くつくつと笑う少年にしな垂れかかる女はまたもこの場に相応しくない夜着一枚で。
「この女は私のものだが」
「離れ下さい!! 王妃!!」
彼女はこの国の王妃で…しかしその瞳は半ば狂気に満ちていて。
「あなた方こそ剣を収めなさい。 この方こそ"王"なのに…どうして逆らうというのです?」
「全くだ。 私に跪くがいい、納得さえすれば貴公らはもう怯える事はない。 従うものには寛容だよ、私は」
仕える筈の王は死に、王妃は既に仕えるべきものでなく。
意義も意味も失った騎士達はやがて膝を折る、心が折れる、目の前の"少年"との差に。
「従うがいい、そうすれば無為に死する事もない。 魔王カルマ・アシッドブレイズの名の下に」
魔王は不敵な笑みを浮かべ、場を闇へと包み込んだ。
−同刻 クレムリア大陸北 レリクス王国 王都−
「今宵は良い月夜ね。 目覚めの時には相応しいこと。 それに、この国はとても賢いわ、ちゃんと精霊を守護してきたんだもの」
「恐れ入ります」
城内のテラスから見える月を見上げたその女性の言葉に初老の男が跪く。
神々しい白い衣に身を包んだ蒼い髪の女は周囲に控える四人の少女の内手近な一人を抱き寄せる。
彼女は嫌な顔一つせず腕の中に収まり、その反応に女性はまた満足そうに頷いた。
控える少女たちはこの国を代表する四人の巫女で。
彼女に跪いているのは今宵までこの国の王だった人物だった。
その目はどこか虚ろで正常な判断を出来ていないともとれたが、誰もそれに対して異を唱えようとはせず。
「んふ…白くて綺麗な肌。 風の巫女、あなたのお名前は?」
「アスハと申します、ご主人様」
抱き寄せられていた緑髪の少女は忠実に応え、手を自分に触れているソレにそっと重ねた。
「好きに弄らせながら女性は再び月を見上げる。
先ほどまで聞こえていた"歌"が止み、それと共に目覚めが終わったのだと理解する。
次に奏でられる歌はもう決まっている、ソレは決して自分には聞こえる事はないだろうけれど。
「先ずは世界の情勢ね。 私に聞こえるぐらいだもの、忌々しい"あれ"らにはもっとハッキリ聞こえているでしょう…アスハ、それに他の巫女達」
『はい』
声を揃えて返事をする巫女らに女は微笑みかけ。
「私の軍勢が必要よ。 この地に繋がれている精霊達と、封印を解放なさい」
『仰せのままに、ご主人様』
抱き寄せていたアスハを離すと、巫女達はすぐに自分たちがするべき事に取り掛かろうとする。
が、一日二日でどうにかなるものでもなく、女は困った様に待ったをかけた。
「こらこら、私はまだ貴女達巫女の事も知らないのに。 巫女は国内では王の次の権力者でしょう? 雑用はそちらに任せて今日は貴女達の事を教えて頂戴」
「畏まりました、ご主人様」
「それも堅苦しいわね。 貴女達は普段通りの貴女達を見せてくれればいいの。 なら私…女神シェラ・キスローズは貴女達に祝福を与えてあげる」
今宵目覚めた女神は妖艶に微笑んだ。
−同刻 クレムリア大陸南 ラフィナ共和国 北西部−
「んーーーーーー」
赤い髪の少女は既に灯りの消えた部屋のベッドで唸る。
彼女は着衣の一つもなく、側にはそれまで彼女を抱いていた男が腰掛けていた。
明らかに途中から様子がおかしくなった少女を男は頭を捻りながら見つめている。
「なぁ、エスト。 急にどうしたんだよ。今になって後悔してるとか?」
少女と男は前々からの知り合いだった訳ではない。
昨日今日会ったばかりのような間柄で間違っても永遠の愛を交わすような仲ではなく。
最も、エストと名乗った少女は男を十二分に惹き付ける魅力は持ち合わせていたので、あわよくば明日以降も共に過ごしたいと思わせる。
「や、別にあたしはいいんだけどー…まー、あなたも後悔する暇もないだろーけどもー。 うーーーーん」
困った様に振り返るエストに男はそれ以上に困った顔をする。
特に彼女に嫌われているという気はしないが、何か落ち着かない。
目の前の少女が可愛いから落ち着かないのかと想ったがどうやらそういうわけではなさそうで。
何故か心臓の鼓動がどんどん早くなってきた。
「あたし、今凄い興奮してるんだけど分かる?」
「そんな風には見えないけどな」
「そっかそっか、見えないか。 でもお姫様の歌のせいで今実は物凄く興奮してるんだよあたし」
お姫様の歌?と疑問符を浮かべる男は勿論歌など聞こえておらず。
夜になったらそういう妄想癖でも出てくるのかと益々首を傾げる中で男はエストに押し倒され、彼女の赤黒い目を視線があった。
「あたしね、エストって言ってたけど本当はエスティオって名前なんだ。 愛称でエスト、ね」
「それで? 本名名乗ってまた抱き合おうって?」
「あはは、面白い事言うね。 言ったでしょ? あたし、まだそんな気なかったのに凄い興奮してるんだよ」
クスクスと笑うエスティオはぐっと体重をかけて男の体を更に沈み込ませる。
瞬間、幾つかの鈍い音がしたかと思えばエスティオが手に掛けている男の両肩に激痛が走った。
激痛、なんていうレベルで済まないような痛みに男は声を上げようとするがそれすら詰まってしまう。
「死線って信じる? 伝承には死線の暴って残ってるよね、いると思う?」
顔色一つ変えずにエスティオの指が肩に食い込み、次は肉を抉ると両肩からは血が溢れベッドが見る見るうちに紅く染まっていく。
一瞬、男は骨の痛みで失神するもすぐさま抉られる痛みで意識を戻された。
「あたしね、エスティオ。 エスティオ・イレイズロード。 死線の暴って言われてた。 改めてよろしくね」
エスティオが自身を名乗った時には既に男は事切れており、エスティオは自分の右手がいつしか相手の喉を掻っ切っていた事に気付く。
「あぁ、ついやっちゃった。 よろしくの前にさようならになってるじゃないのさ。 こういう無意識だと満たされないんだよねぇ。 あの歌にも困ったものだよ。 まだ、収まらないや」
エスティオはヤレヤレと肩を竦めると裸のままで窓から飛び出した。
丁度着地した路上には見回りをしていた自警団の男が二人いて、勿論の事ながら突然裸の少女が飛び降りてきた事に目を丸くする。
「ごめんね、悪いけどちょっとお腹膨れるまで食べさせてもらうよ」
彼らが返事をするよりも早く二人の間をすり抜けたエスティオの両手にはそれぞれの頭が手に取られていて。
結果としてエスティオは既に三つの命を殺した。
その夜が明けた時、昨日まで町であった場所からは命というものが全て消えうせていた。
死線の朱:死の目覚め −8− 終
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