「リズ、こんな所にいたんだ」
長い金髪を揺らしながら、背後から声をかけられた少女が振り返る。
離れにある棟の屋上は特別見晴らしもよく、ここ暫くは時間が空けば訪れていた。
「シルファス様、もう会議は終わられたのですか?」
国王となって間もない青年に首を傾げて問えば、シルファスは短く返事をした後に苦い顔になる。
その表情を見るだけで結果が芳しくないと直ぐに理解できた。
「いつもは穏健派の方達が何とか抑えにかかってくれるんだけどね。 穏便に事を進めようとしている人が少なくなってきている気がするよ」
リーズフィリスの隣に立ったシルファスは屋上からの景色を一望してため息をつく。
ここから見える景色はとても綺麗なものなのに、この国内・・・この城内は最近は殺気立ちっぱなしだ。
その一端はこの国の情勢と、他国の強烈な変化。
一端というよりはほぼ全てと言っても良いかもしれない。
「ドラゴンズネストとの協力関係はとりあえず問題なさそうだけど…それ以上に問題が溢れ出てるから」
「レリクスとマティウスの事でしょうか」
リズの相槌にシルファスは「だね」、と頷く。
これまでクレムリア大陸の四国は互いに良好な関係を築いていた。
が、"あの日"を境にそれは一変し、レリクスには女神を名乗るもの、マティウスには魔王を名乗るものが突如として君臨することになる。
マティウスの異変発覚は驚くほど早く、自身の事を隠すこともせずマティウスの軍を隣接するシルヴァン、レリクスへと進軍させた。
丁度"あの騒動"の混乱でシルヴァンには備えに回る余裕もなく、数日で三分の一の領土が奪取されてしまう。
対するレリクスは初期の進軍こそ許してしまうも、女神がその名を宣言し彼女が指揮を行う軍はその後の侵攻を完全に食い止めた。
そしてあろうことかレリクスは攻め入ってきたマティウスだけでなく、隣接する残り二国…シルヴァンとラフィナへも宣戦を布告する。
奇しくも人の国、魔族の国、神族の国が一つの大陸に収まり、争いを始めることになってしまった。
近頃になって、人間の兵士だけでなくデーモンや機械天使の出現も確認されている。
「天使や女神を信仰していた人たちの多くは混乱もしているし絶望もしている。 それに加えて…今、シルヴァンには何もない」
そう、何もない。
長くに渡り威信を誇った前国王は崩御し、その后は未だにショックで寝たきりの生活で。
そして第二王子、王女はもうこの国にはおらず、人の身でも非ず。
力在る第一王女は…もう何処にいるかも分からない。
ドラゴンズネストに封ぜられていたある者による、要求という名の脅迫に彼の王女は昏睡で目覚めぬままに承諾も得ずままに物のように放出された。
国王不在、まだ戴冠も行っていない王子が一人では大勢に逆らうことが出来ず…疲弊しすぎた大国は"化け物"を厄介払いの様に捧げてしまった。
その直後、ドラゴンズネストで大規模な事件が発生し、その騒動の際に第一王女クレアは行方知れずとなる。
封ぜられていた"死"もその行方をくらました事でドラゴンズネストは"罪滅ぼし"という名の協力体制をシルヴァンへ約束する事となり、ソレが今のシルヴァンを何とか保たせている要因でもあるのだが。
「…私を庇うのもそろそろ限界ではないのですか?」
シルファスは答えない。
神族と、魔族と戦争を始めてしまった国で。
今この国王の隣に居るは魔王を名乗りし者。
「…証明するしかないでしょう、シルファス様。 私が"あなた方"の敵ではないと」
「リズ…でも君を…」
「ご心配は無用です。 私とて覚悟は出来ております。 向かいましょう…望む戦場へ」
まだ人の血に濡れていないその手を見下ろし、リーズフィリスは強い口調で言った。
夜が早き季節。
国王が崩御した"あの日"から三月が過ぎようとしていた。
死線の朱 死の目覚め
-9- 「終わりの始まり」
「随分遠くまで足を運ぶのですね、船をお使いに?」
「ああ。 このままこの大陸にいても俺に得られるものは今のところなさそうだしね。 海を渡れば見聞を深める事だって出来るし」
頭からすっぽりとフードを被った女性を連れ添った青年は港から広がる青い海を眺める。
ラフィナ共和国の端、まだ戦争の火種はここまで及んでおらず随分平和に見える。
最も、船で渡った先もなにやらきな臭い噂が立ってはいるのだが。
ここ三月、クレムリア大陸の中を歩き回っていたがどの地もどことなく余裕がなくギスギスした空気が流れていた。
大陸全体が異様な雰囲気に包まれる中、魔族の身となったイグルは同じ魔族が支配したマティウスへは向かわなかった。
早々に戦争を開始した事もあるし、何よりまだ力が足りない。
力も、自分についてきてくれる者達も足りない。
「今は俺の理想についてきてくれる仲間が要る。 俺の国を立ち上げる為の力が要るんだ。 残念ながら…あそこの魔王は俺の思想とは合いそうにない」
「でしょうね。 恐らく最近の世代だとは思いますが…」
女性…ミラも知らないのであればそれだけ無名であったか、または彼女が主の帰還を待つべく眠りについていた時代に生まれた魔王だろう。
人より長い寿命を持つとはいえ、魔族や神族とて不老ではない。
今ある歴史に語られていない"死"を知っている以上、彼女は相当の時を生きている。
「でもミラといると知識が増えて増えて愉快だね。 どれだけ話をしてても飽きない」
「恐縮です。 イグル様も私から聞きだすのがお上手ですから」
海を眺めながら和やかに話をする二人を誰も魔族だとは思わない。
誰も魔族だと…人とは違うと言う事が分からない。
しかし、本来はそういうものだったとミラは言っていた。
例え周りから二人が人とは違うとは見られていたとしてもソレが普通。
今の世界みたいに人間だけが繁栄していた世界ではなかったから。
「ミラはどう見る? この大陸もだけど…この世界の情勢は」
イグルの問いに、ミラは少し考える素振りを見せて。
「今ある歴史上かつてない"最悪"で"災厄"に見舞われる事でしょうね」
予言めいたその言葉にイグルは肩を竦め、シルヴァンの王城で感じたあの"死"の気配を思い出す。
あの場所を思い出すと涙した金色の魔王を思い出して感傷に浸ってしまう。
あれから三月、彼女はまだ元気にしているだろうかと。
彼女は厄介者になっていないだろうかと。
「"最悪"な"災厄"ね」
「えぇ。 聞けばイグル様の城にはあの"死線の剣"が滞在されていたそうじゃないですか。 それがまず信じられません…とはいえ、妹君様が死線の朱ならば有りうるのかもしれませんが」
"死"の具現が自分の生活の周囲にいて、よくも命があったものだと。
死線の朱とどのような契約を交わしていたのか知らないが、十年程にも渡りただの一人も殺していないとは到底信じられない。
「ここに来ての魔王、女神の復活…それに留まらぬ死線の戦の目覚め。 私が現在知る限りでもう二人の死線がおります。 戦争が激化していけばしていくほど"死"は活性化する事でしょう。 今はまだ様子見、といったところでしょうか」
「死線っていっても手当たり次第に殺していってるんじゃないのかい?」
シルヴァンに滞在していた死線の剣にしても、その他の死線にしても三月以上も目立った活動は聞かない。
各地に飛ばしている使い魔達も人間同士の戦争を報告するばかりで未だ、戦場という"死"の溢れた場所にその具現が現れた事はなく。
所詮御伽噺の事なのだろうかと首を傾げてしまうぐらい。
「手当たり次第ですよ。 唯、上がる舞台を全員が心得ていると申しましょうか…。 "最悪"のタイミングで横合いから命を奪いに来ます。 彼らが"殺す"と思った時にはもう事は終わっている事でしょう」
「恐ろしいね。 しかし死線といっても太古の者だろう? 歴史が進むにつれて魔術も進歩してきているんだし…何とかなりはしないのかい?」
「あら、これは異な事を仰りますねイグル様。 この私もその"太古の者"に含まれてもよいぐらい歴史は古いんですよ?」
そう言って笑うミラにイグルはそれもそうかと首を振った。
はっきり言って、彼女が全力を出せば少なくともシルヴァンにいるどの兵も騎士も勝ち目は薄いだろう。
ガチガチに退魔装備に固めた騎士がようやく勝負になるかならないかといった所か。
正直な所、まだ力が完全に発揮できるわけでないイグルよりも彼女のほうが何倍も強い。
現状、イグルが擁する戦力の内で最強の兵が彼女、魔神ミラ。
彼女が敗北を喫するということはイグルの軍勢が敗北するという事に等しい。
「"過去"が"今"より劣っているという保証が何処にありましょう。 実際、私が経験してきた"戦場"で刃を交えた兵は"今"を生きる兵よりも強いと感じられます」
「肝に銘じておくよ。 次の定期船が来たようだし…行こうか、ミラ」
「御心のままに」
魔王と呼ばれる存在になった青年はまだ見ぬ地へ思いを馳せた。
「マリン様、準備は完了致しました」
「…そう、なら別命あるまで待機。 下がりなさい」
仕える黒騎士の報告に銀色の天使は一つ息をついて答える。
無言で下がって良いと意思を伝えてくる主に黒騎士は一瞬逡巡した後に踵を返した。
決して華やかとは言えない戦略上の砦の一つ。
レリクスとマティウスの間にある戦略拠点に彼女はいた。
かつて三月前までシルヴァンの第二王女であったマリンという名の少女が。
レリクス精霊騎士団、風の巫女直下部隊…それが今の彼女が所属する場所。
人ならざるものに成り、国を出てたどり着いた隣国レリクス。
そこで彼女は同じ"天使"である女神シェラの傘下に加わることとなった。
最も…それは彼女が自ら望んだ事ではなかったが。
「失礼致します、マリンさん。 私の準備も整いました。 いつでも出立可能ですよ」
彼女に声をかけながら入ってきた影は彼女よりも幼さの残る少女。
緑色の髪を揺らしながら笑みを浮かべる少女は白と緑の衣を纏い、思わず見惚れてしまうぐらい"綺麗"であった。
アスハ・ネメシス、それが少女の名。
レリクスを守護する四人の巫女の一柱。
「そんなに怖い顔をなさらなくてもよろしいではないですか、マリン様。 仲良く致しましょう? ご主人様もそれをお望みです」
しな垂れかかる様に身を寄せたアスハにマリンはため息をつく。
今、マリンの上に当たる者はアスハで、アスハがご主人様と呼ぶのが現在のレリクスを支配する女神シェラ・キスローズ。
人ならざるモノになり、"自由"を手に入れたはずの彼女は再び"何かの下"につくことになってしまったのは偏に彼女自身の力が足りないが故。
「また…この国を訪れた時のような"粗相"は止めてくださいね?」
アスハが悪戯っぽく笑い、マリンは肩を竦める。
彼女がレリクスを訪れて先ず初めに目指したのは王都。
同じ天使の力に惹かれ、過去には同じく女神と呼ばれた自身の力を試すために急ぎすぎた思いが彼女に"不自由"という鎖をつけてしまっていた。
まだ自分の力が十分引き出せてないのもあるが、天使となった彼女は早々に二度の辛酸をなめる事となった。
一度目はなったばかり、死線の戦…レイズフォルドから逃げた時。
二度目はその急ぎすぎた気持ちが招いた敗北。
そしてその敗北は…。
「貴女様が私に敗れて無事なのはご主人様のご慈悲なのです。 だから、そのご主人様に恩を返すおつもりで頑張って下さいね」
「ええ、わかってますわ、アスハ様」
すり寄ってくるアスハにマリンは苦笑する。
こんなに人懐っこい少女なのに、レリクスの巫女は天使の力を上回った。
女神の力を授かっているとはいえ、人の身でありながら人ならざるマリンを負かした巫女。
そのままマリンはシェラの呪縛によりアスハの下につくという結果に終わっていた。
天使、魔族とはいえ決して自由ではなく人間と同じ縛られた存在である事、限界を持つ生き物である事を痛感したマリンは現在甘んじてここにいる。
今は力を蓄えることが必要で、この戦乱の中で彼女は様々な事を学んでいかねばならない。
自身の成長の為、近頃はある程度割り切るようになってきたが唯一つ、懸念している事がある。
今は魔王率いるマティウスを相手取っているマリンだが、隣国になる祖国シルヴァンとも戦争中である以上何れは戦う事になるだろう。
人である事を捨てたと同時に家族との繋がりも捨ててきた筈。
それなのに戦う事に躊躇いがあるのはやはりまだ自分は人なのだろうかと思う。
そして家族であった者達を思い出すと決まって姉が頭に残る。
常人離れしたあの姉は人を捨てたマリンに対して本気で逃げろと言い。
あの姉だけは決して自分に刃を向けないと確信できたあの瞬間。
シルヴァンがまだ健在な以上、あの"死"の具現は退けたのだろうが、正面きって戦ったあの姉はどうなったのだろう。
もう関係ないと思いはしても、無事ではあってほしいと願うのはやはり自分があの人の妹だからなのだろうか。
「マリン様、物思いに耽られているお顔もまたお綺麗ですね」
「茶化さないで下さい、アスハ様。 それでは参りましょうか…精霊の御心のままに」
悔しくも言い慣れてきてしまった口上にアスハも微笑み、マリンから離れて一礼をする。
「はい、精霊の御心のままに。 我がご主人様の為に…この力を奮いましょう」
アスハは曇りのない瞳で微笑むのだった。
「今日も、このままですか?」
声が反響する洞穴の中で少女は眼前で背を向けて座っている"ソレ"に問う。
少女は自由にならない体で"宙に浮きながら""ソレ"を忌々しそうに睨み付ける。
否、宙に浮いているのではなくそう見えるだけで実際には少女は拘束されていた。
目に見えないほどの極細の糸が体全体に巻きつき、最終的には天井から吊り下げられている形。
「どうでしょう? もしかしたら今日貴女は死ぬかもしれませんし」
眼前の"ソレ"が言うと同時に少女ははっと顔を上げる。
刹那、少女の赤い双眸が僅かにその色を濃くして感覚的に迫った脅威を消し飛ばす。
「お見事。 段々と力の使い方に慣れてきましたね」
「…慣れたくなんかないです。 でも、こうしないと貴女は私を殺すでしょう…?」
少女の問いに"ソレ"は背を向けたまま笑うだけで答えない。
その背を見ているだけで少女の心の内からどす黒いものが湧き上がってくる。
隠しようもないその感情は明らかに憎悪。
元々の少女の感情も、意識も、記憶も全て塗りつぶしてしまうような憎悪に一瞬目の前が真っ暗になる。
次いでフラッシュバックする景色、惨劇、真っ赤な色に塗りつぶされて。
少女の瞳が先ほどよりも眩く光り、それまで座っていた"ソレ"がその場から離れた。
"ソレ"が場を離れた瞬間に腰掛けていた岩場が元から存在しなかったかのように蒸発し、破片を周囲に撒き散らさせる。
「本当、個人差がありますね。 "前の"赤色はこんなに気性が荒い子じゃなかったのに…貴女が私にまで憎悪を抱いていた種だったなんて少し計算外でした」
やれやれと肩を竦める"ソレ"の動きを少女が目で追うが、腕に微かな痛みを感じて表情を歪ませる。
彼女が着ている黒白のエプロンドレスはもう所々が破れ、赤色がこびり付いて取れない場所だってある。
"あのおかしい夜"から目が覚めてもう何日経っているのか分からないが彼女は目の前の"ソレ"に連れられて各地を転々としていた。
各地、といっても人里には決して立ち寄らず、あれからこの憎憎しいモノとしか接していない。
それが少女にとって精神的苦痛、ストレスを多大に与えていた。
逃げることも出来ず、逆らう事も出来ず、只生きるためにこの"遊び"に付き合っている。
「こんな目にあったら誰だって憎みます。 でも、それがなくても私は貴女が大嫌いです。 "舞織"」
「あらあら、"前の"赤色…"前のセンカ・レインハート"は私を好いてくれたんですけどね。 でも、ここまでの憎悪なら逆に期待は出来ますね」
くすくすと笑みを零す舞織にセンカは唇を噛み締め。
「貴女の世界への憎悪はどこまで膨れ上がるのかしらね? 貴女が思い、想っているお姫様はこれから"死"が蔓延していく世界で生き抜く事ができるのかしら? それとももう…」
「っ…!! 黙りなさい!! レミは絶対に私が守るんだ!!!」
センカが激昂した叫びを放つと舞織の右手が僅かに揺れ、センカの足が何日かぶりに地についた。
彼女が戒めを解いたことに舞織は驚く事もなく、あらあらと笑みを浮かべたままで。
「ならば、会いに行くのはどうでしょう? 地理で言えばこの場所はラフィナ共和国とシルヴァンの国境付近ですから」
「…どういうつもりです?」
「放任主義なのですよ、私は。 貴女は自身の力を自覚した…ならば後は貴女一人で歩き出す事が大事なのです。 貴女が…あの"歌"によってどこまで導かれるのか、私はそれが見たい」
舞織は言いながらセンカに背を向けて歩き出す。
無防備に見える後姿にセンカは思わず一歩を踏み出すも、それ以上先にある絶対的な死の感覚に踏みとどまった。
「歌…? 歌なんかどこからも聞こえません。 私は…死の象徴である貴女が言っている事がずっと分からない。 私は、歌なんて聴いていないし、私は意味もなく人を殺すことだってしません」
「"人"であって"紅水晶"である貴女はそう言うでしょう。 でもね、センカさん」
振り返り、にこりと笑顔を浮かべた舞織にセンカは一歩後ずさり、次の瞬間に炸裂音が洞穴の中に響く。
「こうして、私の放つ"死"を"視ること"が出来るのですから。 すぐに、自覚しますよ…貴女が先ほど仰った言葉は意味のないものになります」
「戯言を言わないで下さい!」
センカの瞳が淡い光を放ち、次いで再び炸裂音。
音が収まる頃には舞織の姿はどこにもなく、洞穴内に声だけが反響した。
「うふふ…早く愛しの姫騎士様に逢える事を祈っておりますよ」
センカは残った声に大きくため息をつき、長らく拘束されていた体を慣らすようにストレッチをする。
そしてボロボロになっているエプロンドレスに目を落として服を調達しなければという思いにかられると共に空腹にもう一つため息をついた。
「…レミ様、センカは直ぐに戻ります…。 貴女は…きっと無事ですよね…?」
赤の少女は只一人、前に踏み出すのだった。
「それでは…よろしくお願いします、オトハさん」
空色の髪を肩ほどまで伸ばした少女はその"相手"に深々と礼をする。
周囲には鬱蒼と茂った木々と、数多の精霊の気配。
少女の前に立つ黒髪の女性は短く"はい"と答え、彼女の答えに同意するように周囲を漂う精霊達が舞い踊る。
「彼女の身柄は責任を以って私がお預かり致します。 ここは既に外界からは隔離された空間…意識も無く動く事の適わない"彼女"に危険が及ぶ事はまずないでしょう。 だから…」
「ええ、私は私のするべき事を。 必ず…クレアを迎えに来ます。 だから、それまでお願いします」
言って少女はオトハの後ろ…彼女の最愛の人が眠る木造の家へ視線を流す。
"あの夜"から意識を失ったシルヴァン第一王女クレア。
彼女と同時期に意識を失っていたメリース・レイナードが目を覚ましたとき、既にクレアの身柄はドラゴンズネストの竜族に引き渡されていた。
厄介払いの様に彼女を捨てた国を飛び出し、単身クレア奪還に向かった彼女を待っていたのは"死の具現"。
竜の巣の奥深くより目覚めた死線の竜と一戦を交え、今この場に彼女がいるのは正に奇跡と言ってもいい。
その奇跡の成果で死線の竜は竜の巣を去り、シルヴァンと協力関係を結ぶことになった…が。
メリースが意識の戻らないクレアをそのまま国に戻すかといえばそんな訳もなく。
彼女は憎んだ、この世界を。
クレアという名の最愛の人を受け入れなかった世界を。
排除しようとした世界を、一時の間でも激しく憎んだ。
結果的に彼女はここにこうして"正気"を保ってはいるも、自分でもその"正気"がいつまで続くか不安で仕方が無い。
意識の戻らないクレアを連れたまま放浪していたメリースが偶発的に訪れた場所はレリクスとシルヴァンの国境付近。
彼女が見つけた、感じた狭間の綻びに足を踏み入れればその先で待っていたのはこの精霊の森。
精霊の棲むこの森でオトハと出会い、丁度一ヶ月。
この場所が安全である事、この人が信頼に足る人である事を感じたメリースはクレアを彼女に預けることを決断する。
過去の記憶を持たないというこの不思議な女性はソレを快く引き受け、そしてメリースはこの日に旅立つ事にした。
クレアを目覚めさせる方法を探して、彼女の持つ知識の一部を受け継いで。
「どうしてでしょうね、オトハさん。 私は…貴女の事をずっと昔から知っている気がする」
「またそのお話ですか? 私には記憶はございませんし…最も、私も貴女のことは昔から知っている気はしますが、最後までその理由はわからず仕舞いでしたね」
「そう、ですね。 では、いってきます」
そう言ってもう一度礼をし、名残惜しむ事のないように振り返らずに歩き出す。
隔離された空間の狭間から手を伸ばし、本来在るべき場所へと戻る。
そうするともう木々は無く、平原が視界いっぱいに広がって。
「…貴女は、きちんと挨拶しなくてよかったの?」
メリースが現れたすぐ隣。
そこに腰掛けていた銀色の少女にメリースは苦笑しながら問う。
年端もいかないその少女はすくっと立ち上がりゆっくりと首を振った。
「私はメリースさんみたいに強くないですから…多分、泣いちゃいますから。 私が泣けば姉様はきっとゆっくり体を休めることができないから」
軽装な銀色の少女はそう言ってメリースへ向き直って笑みを見せる。
クレアを追ってシルヴァンを出たのはメリースだけではなく。
重鎮達の対応に異を唱えたシルヴァンの第三王女もメリースと共に国を飛び出していた。
最も、第三王女レミの目的には居なくなったセンカ・レインハートを探すというものも含まれていたが。
まさか彼女まで飛び出すとは飛び出したメリースだけでなく、国を担う彼女の兄すら思ってもみず。
直後に始まってしまった戦争のごたごたに紛れて竜の巣の騒動に片がつく頃にはレミを連れ戻そうとする追っ手も見なくなっていた。
国が心配でないわけではない、レミとて幼いなりに国の在り方は考えているが今だけは自分の我侭を通したかった。
償いは幾らでもしよう、罰は幾らでも受けよう。
でも、今は自分が大切に思っている人を救うため、自分が大切に思っている人を見つけるために。
同じ目的を持つ彼女と共に。
「さて、戦場に巻き込まれるのはごめんだし…とりあえずはラフィナを目指そうか。 まだあそこはそんな戦火に曝されていないだろうし。 それに…多分ラフィナのどこかに"居る"気がするんだ」
「…死線の舞姫、ですか」
センカを連れ去り、過去の朱を知っている"死"。
その邂逅には命を散らす覚悟すら必要ではあるけども。
闇雲にクレアの目覚めの可能性を探るよりは"死線"というものについてよく知る者に話を聞く必要がある。
これまで会った死線と呼ばれる存在は舞姫、剣、騒、戦、竜。
その中で落ち着いて話を出来そうなのは舞姫と剣だろうと考える。
確証はないが、死線の舞姫はメリースやレミを敵としてみなしていない。
ソレを抜きにしても危険は危険であるが、遠回りをしすぎて道を見失うよりは遥かにマシだ。
「何だか、また長い旅になりそうだけど。 でも、一人じゃなくてよかったよ」
「意外です。 メリースさんなら一人の方が気が楽なんじゃないかって思ってました」
肩を竦めるメリースにレミは目を丸くし、帰ってきた言葉に蒼色は苦笑する。
「私は寂しがりやだよ? 多分、クレアと長く居すぎたせいで。 それに私の心自体が何だか不安定だから、レミが居てくれて正直助かってる」
「私だって助かっています。 お恥ずかしながら私…」
「世間知らずだもんね。 リズもそうだったけど、お姫様となると外の事はやっぱりあんまり入ってこないから」
くすくすと笑うメリースにレミは顔を赤くして俯いてしまう。
可愛いなぁと思いつつ新しく自分と歩いてくれる仲間に心からの感謝を。
「それじゃあ、一月休んだ分張り切っていこうか、レミ」
「はい! よろしくお願いいたします、メリースさん」
精霊の森で心と体を休めた二人は混沌が始まろうとしている世界へと再び踏み入れた。
死線の朱 死の目覚め 終
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