赤嵌褸
9つの贔キ御碑(ひきぎょひ)
満州文字と漢字で刻まれています
海神廟に祀られている”魁星爺”
霊験あらたかで深い信仰を集めており
現在に至るまで線香が絶えたことはないと言われています
また、合格祈願を祈る学生、受験者が訪れ、合格祈願をしています
花瓶を象った入り口
赤嵌樓にはこのような造形物が数多くあります
実際に訪れ、探検気分で探してみるのも良いでしょう
理由ある造形物、謎はとけましたか?
赤嵌樓は1653年(明永暦7年)にオランダ人によって建設されました。別名”プロビデンシア城”(普羅民遮城)、オランダ人の赤毛の髪から”紅毛楼”とも呼ばれ、外来―つまり元からあったものではなく、外国から来たものであることから”番子楼”とも言われていました。その後、1661年に鄭成功によって落城させられてからは”承天府”と呼ばれていました。2階建ての赤レンガで作りで、国家第1級古跡に指定されています。1862年の大地震で楼閣は全壊しましたが清朝の末期に基礎台の上に文昌閣と海神廟を建てましたが、日本統治時代には一部が壊されるなどしました。レンガ作りの城門と基礎台はオランダ統治時代のもので、現在は赤い柱の楼閣も色あせ、所によっては剥げ落ち風化が目立つのが残念ではあります。
内部には赤嵌樓の復元模型、鄭成功時代の締約文書、歴代の修復工事の経緯なども展示されています。また、赤嵌褸の庭園には各種碑碣、石馬、石蛇、技勇石が当時の面影を残しつつ、静かにたたずんでいます。満州文字や漢字の2種類の文字が刻まれている9つの巨大な贔キ御碑(ひきぎょひ)もあります。その石碑の袂には象、亀、獅子などを模した石像もあり、奥には半円形を象った井戸、花瓶の形を象った入り口などなど、いろいろな発見ができます。それはいったいどう言う意味をもつのでしょうか?
それはあえて言わずに、現地での楽しみ♪にとっておくのもよいかと思います。じっくり見て、先人たちがどんな思いで建てたのか、心静かに探索するのもツウではないでしょうか。
遊遊オススメ度 ★★★★
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