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“たばこは二十歳を過ぎてから”と以前専売公社のコピーは謡っていたが、スモーカーの何割かの人はそれ以前に喫った経験があると思う。私が十歳ぐらいの頃、父にこんな質問をした事があった。「タバコっておいしいの?」「美味くなんかない。」やや苦しげな答えだった。子供心に内心『嘘だ』と思った。私の家では祖母と父が”シガレット”を喫っていたが、二人ともかなりのヘビースモーカーだったと記憶している。『あれだけスパスパやっているのならまずいわけがない。』それが私の結論だった。しかしそうなると試してみたいと思うのが子供心である。そしてそのチャンスはすぐに訪れた。誰もいない“一人のお留守番”、私は祖母のロングピースを一本失敬するとマッチを馴れない手つきで着け”シガレット”に移した。そして祖母や父の物真似で思いっきり吸い込んでみた。『何これ?』即座に目の前が暗くなり、揺れるような感覚が体を襲った。やや貧血症状に似た感覚だった。私は不快を催しつつも吸い殻の始末をして、何食わぬ顔で家族と相対したのだが、それ以降“シガレット”を吸おうなどとは、ある年齢になる迄考えもしなかった。 中学、高校の頃になると少し“やんちゃ”な連中の中には“シガレット”の薀蓄を語りたがる者がまま見られた。《あのタバコはこうで、このタバコはこう、あれはそれで・・・云々》中には昼食後に鉛筆を“シガレット”に見立てて《食後の一服は応えられないよな・・・》などという始末には呆れ返ったものだった。しかし、やがて私も祖母や父の受け継いだDNAの所為でもあるかの如く、当然のように“シガレット”を口にしていた。それもやはりヘビースモーカーに。目覚めの一服、食後の一服、麻雀やパチンコ中の“銜えタバコ”、就寝前の一服、気がつけば十本、二十本、三十本、四十本・・・際限がない。そして灰皿には大量の吸い殻。その頃になって父の言っていた『美味くなんかない』の言葉が納得できた。『タバコなんて実際美味いもんじゃないな・・・』しかし体はニコチンを欲している。それに“シガレット”に火をつけた一服目、特に食後では、美味いような気がするものなのだ。けれども後がいけない。青い副流煙は目と鼻を刺激し、燃焼に伴い、煙はヤニ臭く重くなっていく。それがいやで半分ぐらい吸ったところで消してしまう。落ち着くための喫煙が返って苛立たせる結果となる。それでまた一服・・・。『金の無駄遣いだな』と思いつつ、うず高く積まれた吸い殻を眺め、しばしばそう考えるようになっていた。『ヘビースモーカーってのはもしかするとタバコ嫌いなのかも知れないな・・・』そんなことも考えたりもしたものだった。後年気づいたことだが、私の場合、“タバコ嫌い”ではなく、“シガレット”に満足できなかったのだと。 毎日毎日、五、六十本、時には百本近く吸い殻が溜まる。『まずい上にすごい浪費だ』一人暮らしの学生に許される贅沢ではない。『始末しなくては』そこで私が考えたのは、この吸い殻をリサイクルすることだった。 かたや、私の方はと言うと、たばこ屋を経巡っていた。二十数年前、当時から自販機はあったが、今とは違って、どこのたばこ屋さんでも看板娘(実際はおじいちゃん、おばあちゃんが多かったが)がいてシャッターを開けた商売をしていた。そしてどこの店にも、パイプの一本や二本は置いていた。最低が2500円ぐらいで、最高は一万円ぐらいだったと思う。『たかがシケモクの処理にこの値段は高いな』そんな調子で私はなかなかパイプを買えずにいた。ある日、浅草に行った折、偶然一軒のたばこ屋を目にした。間口の小さな平凡なたばこ屋だったが、やけに日当たりのいい場所だった。近寄って行ったのだが、パイプらしいものは見当たらなかった。そこで私はカウンター下のショウケースをよく見ようと腰をかがめてのぞき込んだ。おやじが顔を出す。あった。西日を避けるようにパイプが二本。2500・3500・・・。「兄ちゃん何?パイプかい?」「ええ、そうなんですけど、高いもんですね。」「良いやつぁ、こんなもんじゃないよ。何万もするよ。予算どれぐらい?」「1500円ぐらいなら・・・」「そらちょっとねえな・・・。アッ、ちょっと待って」おやじは奥から小箱を持ってきて中からパイプを取り出した。「こんなのどうだい」見るとパイプ本体はこげ茶色、マウスピースは象牙色をしていた。「これなら1500円でいいよ」私は手にとって眺め回した。ボールの底に瓢箪型の大きなオレンジ色の模様があった。「『まあいいか』これ貰います」「そうかい、悪いね」『悪い?』おやじはホッとしたように紙袋にパイプの箱を入れ差し出し、「これはサービス」と百円多くつり銭をくれた。おやじにとっては売れ残りのいい厄介払いだったのだろう。パイプは外国製のアップル型だった。一応舶来ものだ。しかし後が悪い。象牙色のマウスピースの正体は中まで通っていそうなエボ焼け(エボナイトの劣化)、ボウルの底のオレンジ色の模様だと思った物は小指の入りそうな程大きなフロウ(傷)だった。オレンジ色の物はその埋め木というより、埋め粘土だった。その埋め粘土はそれとは知らずタンパー代わりに使っていた、河原で拾った古釘の為にやがてすっかり掻き出されてしまうのだが、ともかくこうして私のパイプライフは始まった。何も知らないままに始めたパイプスモーキングにはかなり無理があった。 毎日毎日空き缶に取っておいた吸い殻をボウル一杯に詰め、喫い続けた。しかしいつもホールが詰まったり、ヤニを飲んだりと、トラブルばかりで今思うとまともに喫えた事は殆んどなかったように思う。だが学んだこともある。パイプでは肺に煙を吸い込めないという事。それにパイプの煙はけむたくないという事。 パイプライフは淡々と続いた。その間に劣化していたマウスピースは噛み破れ、モールを知らなかった私はこよりで掃除していたのだが、ちぎれてマウスピースに詰めてしまったりと四苦八苦。例のフロウ(傷)はすっかり埋め木がとれてしまった。そして結末はあっけなく訪れた。マウスピースのヤニ取りぐらいはやっていたので、掃除はしていたつもりだったのだが、パイプ本体、火皿(ボール)のカーボン掃除は思いもしなかった。そして溜まりに溜まったカーボンケーキの為にボールが割れてしまったのだ。 梅田氏は割れた例のダンヒルを銀座佐々木商店に修理を依頼すべく持ち込んだそうだ。壊れたパイプを手にした店主は一言。「かわいそうに。」 私のパイプは古釘と一緒に、暫くアパートのスチール書棚の隅にあったが、いつしか消えた。結局彼は私に一度も本来の仕事をさせて貰えずに一生を終えた。私は遂に一度も“彼”にパイプタバコを詰める事がなかったのだ。本当にごめんなさい。 余談だが、私の周りのパイプスモーカーたちの中には梅田氏や私と同じ発想から、パイプにのめり込んだ”ヤツ”が少なからずいるのには驚く。梅田氏は別格としても、貧すれば鈍すで、貧乏学生の考える事など皆同じという事なのだろう。 |
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