僕と写真と富士山と
僕と写真と富士山の関わり
ここは富士山麓の町、富士宮、目の前には富士山、自宅から山頂までの距離直線でおよそ30km、肉眼で気象庁富士山測候所のドームも見える。僕がここに住んでもう10年以上になる。
もともとここの生まれではないし、好んでここを選択したわけでもない。よく富士山が好きで富士山麓へ移り住んだという方がいらっしゃるが、そういうのとは根本的にちゃーうのである。サラリーマンの常で自分の意志とは関り無くここに住むことになっただけなのだ。
目の前の富士山は日本一高く、間違いなく日本で一番有名で、日本で一番愛されているに違いない山。もちろんはじめてこの街に来たときには「すげー景色だなあ」と感動したけれど、住み始めてから数年の間、僕はこの山を好きにはなれなかった。誇らしげにそびえ立つ、高く、美しい姿に反感を感じていたのかもしれない。なにをかくそう僕は嫉妬深く嫌な性格なのだ。
写真はここに移り住む前の学生時代からすでに撮っていた。主な被写体は信州の山と自然風景。毎日、富士山を目の前にしてもそれを撮ることはなく、信州に足繁く通っていた。でも信州は通うには遠い。時間が自由にならなくなるにつれ、足は遠のきはじめ、そしてしだいにカメラを持つことも少なくなってしまった。
冬のある日、夜明け前、車を飛ばして本栖湖へ行った。無数の星の世界から群青色へ、東の空からワインレッドが染み出し、やがて鮮やかな朝焼けとなった。流れる雲。見たことが無かった富士の姿がそこにあった。いままで逃げていたかもしれない。目をそらせていたかもしれない。卑屈になっていたかもしれない。僕はその日、始めて富士と向かい合ったような気がした。
ほどなく大型カメラ(昔写真屋さんが、黒い布被って写真撮ってたでしょ、あれです)という、富士と相対するのに不足の無い道具も手に入れて現在に至っている。
ただ、今でも「富士山が好きか?」と問われたとき、例えば「穂高が好きか」と問われて即「好きだ」答えられるようには、素直に「好きだ」とは答えられない。
信州に住んでいたときには、信州の山々が過激な開発によって切り刻まれるのを見て、身を切られるような痛みを感じたものであった。ところが富士山に対しては全くそれがない。あまりにひどい状況ゆえに感情移入が出来ないのか、逆に、人間どもの造作物など一撃で廃墟にしてしまう活火山富士の底知れぬパワーを、その姿の中に見ているからなのか理由はわからないが、一歩引いたところから「富士山」を見ている自分が居る。
こんな自分であるからこそ、「富士山が好きだ」などという言葉を吐きながら無邪気に富士山を追いまわす富士山カメラマンが信用できない。ときに富士山カメラマンに対して皮肉に満ちた(笑)厳しい発言をするのは、ともすれば一人の富士山カメラマンストーカー的な撮影行為に走ってしまいがちな自分に対しての警告でもある。
自分にとって「富士山」はなんなのか、それは僕は富士山から遠く離れたときにはじめてわかるのだと思う。遠路はるばる「富士を見に行きたい」と思うのか、それとももう「気にもならない」のか。いまのところ「気にもならない」可能性が高いと思ってはいるのだが。
富嶽仙人の名前のわけ
「富嶽仙人」という名を付けたのは3年ほど前、パソコン通信のフォーラムに参加したのがきっかけだ。とにかく富士山の近くに住んでいる人だと覚えてもらうのに都合の良い名前を付けたのだ。しかし、どうもこれ、じじくさい印象のようで、えらく年寄に勘違いされることがしばしばである。ちなみにまだ四十前なので念のため。
なんで写真を撮るんだろう。
なんで写真を撮っているんだろうってたまに考えるんだけど、答えがでないのでたいていすぐに考えるのをやめちゃう。僕は撮っているときが一番楽しくて、撮り終わってしまったフィルムにはあまり興味がない。だから現像があがって持って帰ったフィルムは未整理のまま無茶苦茶になってる。これで結構迷惑をかけることもあるので、ちゃんとしなきゃあいかんと思うのだけど全然だめ。きっと、何かを記録しようとか、記念にしようとかそんなことは考えてなくて、単純に撮る行為が楽しいから撮ってるだけなんだろうなあって今は思ってる。
カメラがあるから花を探すし、遠くへ出かけるし、山へ登るし、寒い朝でも我慢して待つ。奇麗なものを見たい、奇麗な風景に出会いたいって気持ちが強くなる。そういう意味では僕はカメラに連れられて花を見に行ったり、山に登りにいったりしてるっていってもいいかもしれない。これからは重たいなんて文句を言わないでもっとカメラ君に感謝しなくちゃいけないかな。
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