フランドールが外へ出せ出せとうるさかったので、何か壊しても歴史修正してくれて余裕そうな慧音に預けることにした。
上白沢慧音の慈悲は海よりも深い。そんな彼女がフランドールの生い立ちを聞いてどう感ずるかは想像にかたくないわけである。事実、四百九十五年間一人部屋の中へ閉じこもりきりだったという事実を知って、上白沢慧音は激震した。ぼろぼろと涙さえこぼしてみせた。世の中にはまだこのような当たり前の幸せを享受し切れていない子供たちが確かに存在するのだ。図らずともいっぱしの教師を気取っている自分は、その事実から知らず知らずのうちに目をそむけていたのだろうか。まこと教師の存在意義を問いたくなるような傲慢さに反吐が出る思いだ。ただ、唯一の幸せはこのこと知り合えたことであるし。自分がこの子に何が出来る。何を授け、何を伝えられるのか、今はそれだけを考えよう。
「よし、私に任せろ」
こうして気持ちの良い二つ返事で申し出を快諾した慧音は、まずフランドールに友達を作ってやることから始めようとしたのであるが、もちろんそれによって死人が出ることは卵を割るよりも簡単に分かる。
対策は特に無い。
寺子屋。
十数人ほどが慧音の教鞭を頂くために教室に集まり座っている。黒板の前、教壇に立っているのは慧音とフランドールであり、どうやらこれから一発自己紹介でもおっぱじめてやろうかといったところだ。
「みんな、突然だが今日は新しい生徒が来ることになった。フランドールさんだ。仲良くしてやってくれ」
きらきらと済んだ瞳で紹介する慧音。フランドールは意も介さずにきょろきょろと辺りを見回している。対する生徒たちの表情が困惑気味なのは無理も無いことだと言える。
(あいつどうみても妖怪だろ)
(羽はえてるしなあ)
(私、私見たことあるヨ! 幻想郷縁起に書いてあった吸血鬼だヨ!)
(でも人間と妖怪を差別しちゃいけない、って、慧音先生がいってた)
ざざっと波紋が広がるように情報共有が行われた教室内は、この子供吸血鬼の妖怪野郎と仲良くすべきかどうかで全体が割れているのだ。
「さ、フラン、挨拶をしなさい」
全員の視線が一斉に集中する。このたゆたう教室パワーバランスの中、挨拶の出来如何でフランドールの学校生活が決定されることは明白である。
一歩前に出たフランドール。先ほどからの無表情が嘘のような可愛げある微笑を浮かべた後、スカートの両端をちょこんと持って見せた。
「フランドール・スカーレットです。皆さんよろしくお願い致します」
初めての挨拶にしては十分な合格点と言えた。教室の男どもは色めき立ったし、女子からは軽い嫉妬のまなざしが向けられる。中でも、教室の生徒最年長である磯野田吾作(36)の受けたショックは計り知れなかった。
彼の人生を五行で説明する。
田吾作には家庭があったが、仕事もせず毎日寝てばかりいた。当たり前のように妻は子供を連れて出て行く。けんもほろろ、傷心に老ける彼を救ったのは他ならぬ慧音だった。年齢なんて関係ない、今からでもいい、寺子屋で勉強をしないか。そう言った慧音の胸の谷間を今でも田吾作は夢見て勉学に励んでいるのである。以上。
フランドールは彼の娘にどこと無く似ていた。だから、彼がフランドールに抱いた好意は人一倍の物であったと言える。
「フランドールちゃんか。仲良くしようね」
親父が時たま娘に向けるような笑顔で教壇まで歩み寄り、田吾作は右手を差し出した。握手をしたかったのである。
フランドールはぽかんとしている。どうやら差し出された手の意味が分からなかったらしい。ここにも現れるのは四百九十五年間の隔絶である。慧音は涙を堪えつつ教える。
「ほら、フラン。これは握手といってな。お互いの手をきゅっと握ることで親交を深めあう、挨拶のようなものなんだ」
フランドールは頷いた。手で握れと言われてフランドールの思いつくことといえばただ一つだった。「おじ様、遊んでくれるのね」そう言って笑ったフランドールに不穏な空気を感じ取ったのは慧音だけではなかっただろう。
結論から言うと田吾作は見事に壊れた。弾けたと言ってもいい。
当然予測され得た事態だ。慧音の反応は敏速だった。即座に歴史を修正し、田吾作の死亡を無かったことにする。歴史だけ見るのならば、田吾作は笑顔でフランと握手をしていた。ただ――
「……? 何だ今の」
田吾作の記憶までは消せなかった。流石にそこまでの修正を瞬間には行えない。教室の全員に関しても同様である。
これが良かったのだ。
「すごい! 何だ今の! 俺今一瞬死んだよ!」
大好評だった。どうも、助平しか生きる目標の無い中年男性にとって、臨死体験というのは予想以上に刺激的なものだったらしい。教室でそれを見ていた生徒達も、つられて駆け寄ってくる。
おい、いまのなんだよ! すごい、田吾作が一瞬吹っ飛んだよ! 田吾作の癖に弾けてずりい、僕も僕も! あ、俺が先だって! 等々。
これだ、と慧音は思った。
慧音はずっと悩んでいたのだ。フランドールが子供たちとどうやったら仲良くなれるのかを。慧音が側にいる状態なら、いくらフランドールが人間を壊そうが、すぐさま修正してみせられる。壊されたほうは死に掛けるというか実際死ぬわけだが、まず間違いなく生き返られるわけである。安全を保障されたリスクは乗り物の如きエンターテイメントでしかない。そう考えると、寺子屋の生徒にとってフランドールは格好の遊び相手と言えるではないだろうか。
「よしみんな! フランに壊される順にならびなさい!」
わあっと無邪気な顔で列を作る田吾作たち。。
みんな安心して壊れられるもんだから、ぽんぽんと派手にやる。いままで幻想郷に無かったような娯楽に夢中なのだ。みんな顔が輝いている。こんなに楽しげな生徒達を見たのは久しぶりだ。
「先生ぇー! 先生もやろうよ!」
ああ、生徒達が呼んでいる。自分は歴史修正で大忙しなのだが、行かなくては。
果たして慧音は生徒と共に列の最後尾へ走ってゆくのである。
ばしんばしんと弾けてゆく前列に慧音は心をときめかせる。このような高揚感はいつ以来だろうか。その様を見ていると、子供の頃に忘れてしまった物を思い出す。フランドールが地下室に幽閉され続けて失った物は多いが、失わなかった物もあったのかもしれないなどと。
ばしん、と自分の目の前が弾けた。それは、フランドールが生徒全員と仲良くできた合図であったように慧音には感じられた。
「よかったな! フラン!」
笑顔で手を差し出す。
「ありがとうございます先生。お幸せに」
リスクの保証人が乗り物で遊ぶ幸せを享受できないことはいずれの角度から見ようとも明々白々である。後にこの村がどのような末路を辿ったかは定かでないが、それだって紅魔館にしてみれば何も知ったこっちゃ無かった。もともとの悪魔が不幸を運命視してみせようが何の不服があるというのだ。
ただ、現在においても当然のように平和な幻想郷が継続している事実を鑑みるならば、この物語の顛末はそう悲観した物ではなく、もうちょっとましな歴史に書き換えられているのかもしれない。
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