日本の犬、狆 (Japanese Chin)


狆は、何処から来たか                                     写生獣図画(享保4年)明治再刻

狆の祖先を想像させる犬が初めて日本に渡って来たのは、奈良時代と思われます。
続日本紀に天平4年(732年)聖武天皇の頃、新羅(現在の韓国)より蜀狗(現在の中国四川省周辺の犬)1頭献上と書かれています。
その子孫犬の血が現在まで続いているかどうかは分りませんが、チベット系の犬だったと思われます。

室町時代 守護大名大内氏や細川氏が桃花犬や天竺犬・晴犬などと呼ばれた珍しい犬を飼っていた記述があります。大内氏・細川氏は室町幕府の実力者で、中国の明朝との勘合貿易を行える勘合を獲得できた守護大名でした。

元朝時代のオドリコの東洋旅行記、マグンリの東旅懐旧記に、杭州で狆やペキニーズ、パグ、チベタン・スパニエル等の祖先と思われる犬達が沢山飼われていた記述が有ります。
大内氏や細川氏が派遣した貿易船が狆の祖先に関わりのある犬を日本に連れ帰って来たことが、多いに想像されます。

江戸時代、滝沢馬琴の「八犬伝第七輯巻之五附記・小狗の略説」に今按ずるに、近来この間に畜る小狗は、絶小きもの稀なり。
今の小狗に八種あり。そを鬻ぎて生活になすものの、俗呼を聞くに、所云八種は、つまり、ちゃんぱげ、かぶり、小かしら、しかばね、りうきう、さつまたね、まじり 是なり。
つまりは、その毛つまりて、長からぬをいふ。
ちゃんぱげは、占城毛なるべし。
かぶりは、頭毛長く垂れて、面上をおほふをいう。
小かしらは、頭ちいさく、眼大なるもの、これを上品とす。
しかばねは、鹿骨なり。痩せてその脚長きもの、下品なり。
りうきうは、琉球より来る小狗なり。
さつまたねは、琉球狗とこの土の小狗と、尾りて生れるをいふ。この故にその耳垂れずして、形円かり。
まじりは小狗と地犬とまじはりて生まれるをいふ。又、紅毛狗(オランダ犬)と尾りて生まれるもあり。紅毛狗は、地犬よりちひさし、穀食せず、或は魚鳥、或は琉球芋もてこれを養ふなりと記されています。

その辺の事を考えると、ペキニーズ、チベタン・スパニエル、 ラサ・アプソ等の祖先犬・交雑種の内、数種類のチベット系の犬が勘合貿易船などに拠って、また 江戸時代、鎖国の中、交易を許されていた清(中国)の貿易船で、そして それと前後してそれらの犬達が、明や清などの中国歴代王朝との朝貢貿易あるいは私貿易を通じて渡ったと想像される琉球王国、李氏朝鮮、中継貿易で栄えたインドシナ半島のチャンパ王国などを経て色々な形で我が国へ遣って来たと考えられます。

ペキニーズはアロー号戦争の時、清の宮廷から持ち出されて英国に渡り現在の様に改良されましたが、清朝の宮廷画家が描いた宮廷犬は現在のペキニーズより狆に似た様な犬が多く含まれて居ますし、正に狆そのものに見える絵もあります。

江戸時代中期には円山応挙の高弟の山口素絢(1759〜1818)が遊女図屏風で現在の狆そっくりの絵を描いています。
また、狩野芳崖の筆による長門藩主毛利元運の娘の肖像画の狆も、正に現在の狆です。

そして江戸末期 黒船で遣って来たペリー提督が米国へ帰国時に、1854年 香港で旗艦を降り、エジプト(陸路)・ヨーロッパ大陸(陸路)を経由して英国に立寄り、日本より持ち帰った狆をヴィクトリア女王に献上したとされていますし、また同年に日英和親条約調印のために長崎に来訪した英国のスターリング提督も、ヴィクトリア女王への献上品として雌雄2頭の名古屋産の最良種の狆を持ち帰りました。

江戸時代後期には、他の小型愛玩犬や交雑種も多く存在した中で、現在の狆と比較しても遜色の無い狆が出来上がっていたのでは無いかと考えられます。





立美人と狆(菊川英山1787〜1867)

菊川英山の立姿美人画に出てくる狆です。英山が主に創作活動をした時代は文化文政時代(1818年〜1829年)と思われます。
この絵の狆は、茶狆の先祖なのか、チベット系の犬なのか、洋犬の小型犬なのかと、色々と想像は尽きません。



誠忠義士傳 勝多眞右衛門武尭         (歌川国芳1797〜1861)

歌川国芳作の誠忠義士傳の中に出てくる狆です。
現在の狆と比較すると、少し違和感を感じますが、現在の狆が形成される過程には、この様な狆もいたのかなと、興味をそそられます。

誠文堂新光社発行  “犬種別シリーズ 狆”  の中で 園江稔氏 が 「 駿河志料 」  に

「 駿河阿部郡井川村の山中に里人が山神の狗と名づくる一種の怪獣あり。
小さき獣にて毛色は白又は黒、又は白黒交れる斑もあり。 
鼠の大きさなれど形は黒犬のごとく、耳垂れ尾巻き、鳴く声も亦犬の吠ゆるに似たり 」

という記述があると、述べていますが、

この浮世絵の狆を見ていると、“駿河志料”に記載されている獣は、この様な狆だったのかなとも思われます。

国芳の狆



小倉擬百人一首周防内侍(三代豊国1843年〜1847年)


三代豊国(歌川国貞)天明6年(1786年)〜元治1年(1864年)
江戸時代後期、浮世絵界で人気を博した絵師です。
この百枚の作品は国芳、広重、三代豊国共同作品で、天保14年〜弘化4年(1843年〜1847年)の作です。
また、この時代 北斎、初代豊国や国芳も浮世絵の中で狆を描いています。
しかし葛飾北斎が天保4年(1,833年)に描いた“狆版画大判団扇絵”の狆は、ラサ・アプソではないか思われますし、文政4年(1821年)には、水野蘆朝が、狆と芸妓図で、文政7年(1824年)紅霞斎藤麿が美人戯犬図で狆を描いてますが、絵を見る限りでは まだ この時代には現在の狆そっくりの狆もいれば、口吻が鋭角に出ていたり、斑の毛色が、グレーと白だったり (他の部分は、現在の狆そっくりですが) 他の犬の血が入っているのかと思われる狆、 所謂 現在狆と呼んでいる犬種の固定以前の狆ではと思われる狆や、現在、私達が“狆”と呼んでいる狆とは違う小型犬もいたように思われます。


三代豊国の狆



千代田大奥 狆のくるひ (周延1896年作)


この錦絵(浮世絵の色刷り木版画)の作者、橋本周延(ちかのぶ)は号を揚洲と称し、元幕府御家人で、国芳、三代豊国の門人となり、江戸幕末から明治にかけて活躍しました。
天保9年〔1838年〕〜大正元年〔1912年〕の生涯、大奥を中心とした美人画が有名です。
この作品は、明治29年〔1896年〕の作です。
   


大奥の狆




時代かがみ 寛永の頃 (周延1896年作)

明治29年橋本周延による美人画です。
飾り物の様に隅の方に、ちょこっと顔を出している狆が、何とも趣があります。
また、この絵の狆は口吻がとても綺麗です。
森田屋口と言う言葉など無い時代に綺麗な桃色の口吻を、この様に表現したのでしょう。
アップルヘッドと言い、綺麗な口吻と言い、この様な狆がこの時代に居たとは驚きです。

大正時代の狆(松亭1926年作)


高橋弘明 (松亭) 〔1871年〜1945年〕が 大正15年 〔1926年〕に描いた木版画の狆です。
この木版画を見ると、この時代には、すでに今と遜色の無い狆が出来上がって居た様にも思われます。
この作品以外にも 大正時代には、大正5年 〔1916年〕には河鍋暁翠が寛永時代美人図の中で2頭の狆を描いていますし、 大正4年 〔1915〕には、 フリッツ カペラリが 女に戯れる狆の版画を製作しています。


昭和初期の狆(石川寅治1934年作)

石川寅治の1934年(昭和9年)の作品です。
木版画の裸女十種シリーズの中の“鈴の音”という作品です。
昭和初期には、この絵の鈴の音に戯れている狆の様な小型の可愛らしい狆が沢山いたのでしょうか。

犬(狗)渡来年表

679年  新羅、狗を献じる【日本書紀】

685年  新羅、犬3頭を献じる【日本書紀】

686年  新羅、犬2頭を献じる【日本書紀】

732年  新羅、蜀狗1頭、猟狗1頭献じる【続日本紀】

824年  契丹、大狗2頭、くわし(小犬)2頭を献じる【日本後紀】

847年  唐より僧彗雲、犬3頭を持ち帰る【続日本後紀】

1718年 幕府、猟犬2頭を阿蘭陀に注文【長崎洋学史】

1720年 阿蘭陀、猟犬2頭(納める)【長崎洋学史】

1721年 幕府、猟犬6頭を阿蘭陀に注文【長崎洋学史】

1722年 幕府 猟犬を阿蘭陀に注文【長崎洋学史】

1725年 幕府、犬を清に注文【通航一覧】

1725年 阿蘭陀、狆ほか犬5頭(納める)【長崎志・通航一覧】

1725年 清、犬4頭(納める)【通航一覧】

1728年 幕府、猟犬3頭を阿蘭陀に注文【長崎洋学史】

1729年 阿蘭陀、犬2頭〔納める)【通航一覧・長崎志】

1732年 幕府、猟犬3頭を阿蘭陀に注文【長崎洋学史】

1737年 阿蘭陀、猟犬2頭(納める)【通航一覧】


上記の年表は公の資料ですが、ここに載らない犬(狗)の渡来が相当数あったと思われます。
遣唐使、遣新羅使、遣渤海使、そして遣唐使廃止後の宋との交易で唐猫、唐犬等 珍しい鳥獣が、我が国にもたらされた可能性も否定できません。

前項でも触れましたが、中国が明や清の時代になった室町時代から江戸時代にかけては、現在の狆の形成に重要な役割を果した犬達が、明・清はもとより李氏朝鮮や明・清への朝貢回数の多かった琉球王国やチャンパ王国、そしてマカオを拠点としたポルトガル人等を通して、色々な形で渡来して来たと思われます。

江戸時代になると根岸鎮衛著作の随筆“耳袋”の中で天明元年(1781年)姫路藩主酒井雅楽頭忠以が可愛がっていた狆が天皇より六位の位を授かった話など狆についての記述や浮世絵等が多く出てきます。
それらの浮世絵や絵画を見る限りでは、狆と呼ばれていた犬の中には、現在の狆そっくりの犬、他のチベット系犬種や小型の洋犬ではないかと思われる犬、また交雑種ではと思われる犬など色々なものがあります。

江戸時代では小型犬を総称して“狆”と呼んでいたのかも知れません。

しかし、大奥や大名家等そして京都の公家、また一部豪商に飼われていた狆は、現在いる“狆”そのものだったと思われますし、系統についても江戸浅草筋、中山筋、京都筋、名護浜筋と四系統に分けていた様です。

尚、舶来鳥獣図誌に掲載されてある狆と称する犬の絵は、現在の狆とは異なった犬達です。
参考資料にも 「当時は小型犬を、狆犬と総称したらしい。」 と記されています。


参考資料 
舶来鳥獣図誌〔唐蘭船持渡鳥獣之図と外国産鳥の図〕
解説 磯野直秀 内田康夫  発行所 (株)八坂書房  
             
南総里見八犬伝 曲亭馬琴作 小池藤五郎校正
発行所 岩波書店

犬種別シリーズ 狆    編者 愛犬の友編集部
発行所 (株)誠文堂新光社
      
狆 犬の遺伝と繁殖 長倉義夫・吉田清光・魚井弘一共著  
発行所 三和図書              
    
日英交流150年 扉が開いたその時【長崎経済2004年10月号】
石橋隆幸著   発行所 長崎経済研究所

耳 袋 根岸鎮衛著 鈴木党三編注
発行所 平凡社

朝鮮の絵日本の絵  山内長三著
発行所 日本経済新聞社






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