気まぐれ日記( Diary )


ちょっとした出来事/2007年1月〜

2007年3月14日(水)
久しぶりの日記です。
私達のお気に入りの狆のサイトが、今月一杯で閉鎖になるそうです。
『狆のそら』ちゃんのサイトです。
真面目なサイトで、ちょくちょく訪問して楽しませてもらいました。
管理人様のご都合もあると思いますが、とても残念です。
『狆のそら』管理人様、長い間 楽しませて頂き有り難うございました。
又の再開を期待して、御礼申し上げます。


2007年3月17日(土)
風花が眠っている両国の浄土宗回向院より彼岸の法要の案内があり、参詣してきました。
40分も前にお寺に着きましたが、広い本堂はもう一杯で、大ざっぱに数えて見ても600名〜700名は入っていました。
後を振り返って見ると山門まで、行列が出来ていました。
お寺の説明では、午前中数回、午後からも数回順番に本堂に入って貰ってお彼岸の法要を行うそうです。
お経をあげるお坊さんは全部で6名、その他進行や場内整理のお坊さん、受付や塔婆の受け渡しの女性達を入れると20名は超えていたように思われます。
法要の間、風花がわが家に来てからの事を、久しぶりに思い浮かべていました。
早いもので、もう半年が過ぎてしまいました。1年、2年過ぎるのもあっという間なのでしょうね。


2007年3月25日(日)
国犬狆保存会の第1回ハンドリング講習会 兼  園遊会に姫花とともに参加しました。
朝のうちは、雨でどうなるのか心配していましたが、室内で講師の先生から歩行、ステイ、ハンドリング、台の上での個体審査と、丁寧に教えて頂き、大変勉強になりました。
初めてお会いする方が多く、食事をしながら自己紹介をし、和気藹々と1日過ごしました。


2007年6月9日(土)
6月になり、そろそろアイスノンが必要な季節になりました。
花總は、全然暑さを苦にしていないのに、活発な姫花は、部屋の中を駆け回っては、ハーハーし始めました。
姫花は、活発な運動をした後に、アイスノンを冷蔵庫より出してあげると、その上に乗って気持良さそうに休み、一息入れています。
6年使っていたパソコンも、そろそろ限界で、明日 新しいパソコンが来ます。



2006年の日記

ちょっとした出来事/2006年1月〜5月

2006.1.4(水)
年末年始の休みも今日で終り。今日はパソコンの前で、調べ物。興味深い情報が2件ありました。

2004年8月7日の産経新聞の連載コラム「SUSHI と はんばーがー」サブタイトル“愛玩犬狆”の中に以下の記事がありました。
『(日米和親条約)締結当時、友好の証として、黒船のペリー提督と米国のピアース大統領、英国のビクトリア女王へ、それぞれ狆のペアが贈られた。6年後、万延元年の遣米使節団一行は、ニューヨークでペリー邸を訪問し、狆に会っている。「二匹の狆来て衣類を嗅ぎ、日本人なるをしりて、大ひに悦ひ躍ることきわまりなし」【柳川当清 「航海日記」】
ところで、米国大統領と英国女王に贈られたペアはどうなったのか?両国の公文書とも、狆が手元に届いたとの記録がなく、どうやら航海の途中で死んだらしい。』

また、大正時代の児童雑誌「赤い鳥」(赤い鳥社 大正11年2月〜大正14年3月)の中で鈴木三重吉が書いているペリー艦隊来航記には、以下の様な記述が有りました。
『(幕府から)アメリカ大統領へ贈られたものの中に、3匹の狆が居ました。その狆は無事にアメリカへ連れ帰られ、2匹は大分長く生きていました。ペリーも2匹もらいましたが、1匹は航海の途中で死に、向こうへ着いたのは、たった1匹だけでした。ペリーはここ(香港)で、ポーハタンとマセドニアンの2隻の艦隊の司令権を部下の高級将校に委任し、そのほかの艦船には、すべて本国へ帰還を命じた後、ベント副官と一緒に、イギリスの郵便汽船ヒンドスタン号に便乗しました。1855年1月12日に2年2ヶ月ぶりに無事ニューヨークに帰着し、すべての復命を終わりました。』

この2つの記事は、ペリー提督が持ち帰った狆の事について書かれています。「赤い鳥」のペリー艦隊来航記は、大正時代の児童雑誌とは言え総ページ数で66枚にもなり、相当詳しく書かれています。
一番興味を感じたのは、今までペリーが旗艦で、ヨーロッパ経由で帰国したのかと思っていましたが、香港からイギリスの郵便汽船に乗換えて、イギリス経由でアメリカに帰還したことと、1860年の訪米使節がペリー邸を訪問し、ペリーはすでに亡くなっていましたが、ペリーが日本から持ち帰った狆と会って来た事です。
また、両方の記述では、ペリー提督に贈られた狆の数等の違いもあり、その狆の動静も今一不明な所が有ります。


2006年4月21日(金)
風花も、12歳の誕生日を迎えることができました。
みんなで、昔のビデオを観ながら お祝いしました。
花總も姫花も、風花に一目置いていますし、ボスとしての自覚も健在です。
この1年 あと1ヶ月頑張って、夏まで頑張って、そして正月まで "頑張れ!頑張れ!” と励まして 遂に12歳の誕生日まで頑張りぬきました。
次の目標は13歳まで頑張ってと、願っています。
何回も、危機を乗越えてきた風花ですので、この先も結構頑張りぬけそうな気がします。
自由気ままに、そして変化の無い日々が良い結果につながったと思っています。
また心臓病の場合 寒暖の差や興奮することが良くないそうなので、屋外での散歩は何年もしていませんし、ドライヤーの熱風やシャンプーでの体力消耗が要注意なため、この1年シャンプーはしていません。
温かくした濡れタオルで、たまに身体を拭いてあげる程度です。
最近は、薬と食事の時間になると、吠えて催促するようになり、叱るどころか 「こんなに元気に吠えて!」 と嬉しがっている馬鹿な私達です。
小型犬の12歳は、人間では64歳位とのこと。
まだまだ老いるのは早いです。

ちょっとした出来事/2006年6月〜10月

2006.6.1(木)
アニマルセラピーという言葉があります。
アニマルセラピーの種類にはAnimal Assisted Therapy(動物介在療法) Animal Assisted Activity(動物介在活動)があるそうです。
それほど興味を持っていたわけではないが、病みあがりの母と生活し始めて、この言葉の意味を大いに感じています。
2ヶ月の入院後、歩くのも儘なら無かった母は我が家に来て、日に日に元気になっていく。
注意深く見ていると、風花、花總、姫花とのふれあいによって 活き活きとして来た様に思える。
狆の特性か、初対面の老人とも 直ぐにうちとけて、じゃれている。
毎朝、母は風花、花總、姫花に「おはよう」と挨拶をするのが待ち遠しいようである。
母は、こんなに犬が好きではなかったはずなのに・・・・・。


2006.9.15(金)
風花がわが家の子になって、ちょうど12年になります。
12年の歳月は長い様ですが、昨日の様に感じます。
風花が来るまで、予定の日が何回も延期になっていましたので、何か縁が無い子かなと感じていました。
「今日も、駄目かな。」と、院展の帰りに上野の都美館の食堂より、日本橋のペットショップに電話を入れたところ、「可愛い子が届いてますよ。」との返事があり、雨の中 、日本橋まで急いだのが昨日の様に思われます。
シャンプー上がりで、不安そうに小刻みに震えた風花が、店員さんに抱かれて出てきました。
それが、私達と風花との出会いです。
その時の風花は、ほんとに小さかった様に記憶していますが、今 隣で寝ている風花を見ると、年老いてこんなにも小さくなっちゃたと、何とも複雑な気持です。


2006.9.23(土)
頑張って来た風花も、今日お昼過ぎに 眠るように息を引き取りました。
最後は、体重も760グラムも無かったと思います。
明日、両国の回向院に連れていきます。
風花は、そこで眠りに着く事になります。
狆の素晴しさを、教えてくれた犬でもあり、かけがえの無い家族でした。
風花を、わが家に送り出してくれた真紀舎さん、
そして 風花を可愛がってくださった皆さん、
病弱だった風花を、長い間 診察し、アドバイスしてくださった 日本橋の先生、 亀戸の先生 ありがとうございます。


2006.9.24(日)
早朝、風花を両国の回向院に納めて来ました。
両国の国技館と目と鼻の先にあるお寺は、ビルの谷間にあるにも拘わらず、けっこう広い敷地に建っていました。
境内には、ねずみ小僧次郎吉の墓もあり、旧両国国技館が建つまで、この境内で相撲がとられていたそうです。
お彼岸ということもあってか、早朝にも拘わらず、大勢の人がお参りに来てたのには、ビックリしました。


2006.10.9(月)
今朝、皆で両国の風花のお墓にお参りして来ました。
今日も、お参りに来ている人が多く、線香の煙と御花は絶えません。
お線香をあげ、御花を.供花する場所は、犬、猫、鳥それぞれ分かれていて、犬の石像の周りに供花用に水がはってある場所に御花を供え、犬の石像の下にお線香をあげて、お参りして来ました。
犬、猫、鳥の石像の横から階段を上ると、大きな供養塔があり、そこにもお参りして来ました。
また、風花の塔婆を探してみましたが、半月経ってしまい中の方に入ってしまったのか、あまりの多さに見つかりませんでした。
お参りを済ませ、お寺から外に出ると、下町にもかかわらず、若者達で賑わっていました。
帰りには、少し早い昼食にチャンコ鍋を食べて帰ってきました。

ちょっとした出来事/2006年11月〜12月

2006.12.2(土)
今日は花總をつれて、健康診断に行って来ました。
花總は、風花が居なくなってから、急に老けこんでしまった様に思えてなりません。
犬は群社会で生活しているので、群れの長の風花が居なくなったことで、いつも風花の側に寄り添っていた甘えん坊の花總にとって、大きな空白が出来てしまったのかもしれません。
病院では、レントゲンと血液検査をして貰いましたが、血液検査と膀胱結石の方は異常有りませんでしたが、頚椎から脊椎にかけて大分老化が進んでいるようです。
まだ若いとばかり思っていた花總も、来年の2月には、もう9歳になります。

2006.12.28(木)
2006年も、あと数日で終りです。
今年は最愛の風花を亡くし、寂しい年でした。
風花の忘れ形見の花總・姫花が居ることで、気持の落ち込みが、ずいぶん違ったように思います。
しばらくは、ドッグショーもお休みして、花總・姫花とのんびりと日々楽しく生活していくつもりです。
明後日には、皆で風花のお墓参りに行って来ます。

2005年の日記

ちょっとした出来事/2005年1月〜4月

2005.1.10(月)
下記の エッセイが、刊行されたそうです。
狆の雄のピースと牝の狆“香蘭舎ハッピー”による無限のアニマルセラピーに関して書かれているそうです。

書 名  “狆犬ファミリーと暮らす 妻よ、いつ
       までも元気で。”
出版社  碧天舎 
著編者  菊池富行
刊行日    2004年12月
価 格   1,050円

2005.1.24(月)
先日、近くの書店へ、注文していた“狆犬ファミリーと暮らす”が1週間で届きました。
これから、ゆっくり読みたいと思いまが、活字も大きく、写真もところどころあり、読みやすそうです。
ハッピーとピースの子供達も家族に加わるみたいで、・・・・・・・。
極新刊なので、店頭に置いてないで、取り寄せのお店が多いようです。

2005.2.1(火)
神田神保町の行き付けの古本屋さんより、 “国安画(あさくさへんにかこいれて)狆をだいている美人” の御案内の手紙をもらいました。
添付してあった写真を見たところ、北斎の狆にも似ている様な、ラサアプソにもシーズーにも見える狗が描かれていました。
馬琴が書いている “かぶり” とは、この様な狗であったのかもしれません。
この絵も1800年代前半の作品と思われますが、それ以前の “狆” や、 “狆と呼ばれていた狗” の絵には、なかなかお目にかかれないものです。

2005.2.5(土)
今日は寒い中、花總を連れて 年1回の定期健診に行って来ました。
花總は2年前に膀胱結石の手術をしました。
風花と まったく同じ食事をしていたのに、花總だけに結石ができてしまいました。
人間と同じ様に、犬も 石ができやすい体質があり、結石ができた子は年1回ぐらいレントゲンによる健診をした方が良さそうです。
尿結石には、ストルバイト尿石とシュウ酸カルシウム結石の2種類があるそうで、花總の場合は 前者のストルバイト尿石でした。
その当時 手術の前に、10ミリ〜5ミリの尿石を4個と砂粒状の尿石を、自力で放出しましたが、12ミリと8ミリの石が残っていたので、手術をして取り除きました。
その後、再発しないように食事療法とともに 年1回のレントゲンでの検査を行って来ました。
検査結果は良好で結石はできてなく、一安心です。

2005.4.10(日)
今日行われた日本狆クラブJKA展で、姫花が総牝4席を取得し、前回の移動本部展の総牝6席と合わせて、チャンピオンを完成しました。
姫花は、幼時期より食が細く、身体が小さく 元気に育ってくれさえすれば良いと思っていましたが、頑張ってくれてチャンピオンを完成することができました。
今は  “すやすや” 夢のなかです。
部外者達で、 “ケーキでお祝い” 盛り上がっています。

2005.4.16(土)
年一回のワクチンの注射とフィラリアの検査、それに狂犬病の注射の季節が到来しました。
今日は、全員を連れてワクチンの注射とフィラリアの検査に行って来ました。フィラリアの薬は、4月末から11月末まで飲ませていますが、10月〜11月の蚊が要注意な様で、住んでいる場所によっては12月まで飲ませた方が良いそうです。
狂犬病の予防接種は、2週間空かせてに接種する予定です。

ちょっとした出来事/2005年5月〜8月

2005.6. 5(日)
池袋の西武百貨店屋上で開催された日本狆クラブ第89回本部展で我が家の末娘“姫花”が暑さの中、頑張って牝組日本一池田宣政記念賞を受賞しました。
先日、やっとチャンピオンになったばかりで、まったく想定外で、恥ずかしいやら、嬉しいやらで、パニック状態でした。 “姫花よ、お疲れ様!”

2005.6.10(金)
我が家のグランドマザー風花が、5月中頃より体調をくずし 食も細く ここ数日は持病の心臓病の薬も飲めない状態になってしまい、今週の初め急遽入院しました。
心臓が、弱って危ない状態に陥りましたが、4日間 酸素室へ入って治療をした結果、今日 退院をすることができました。
入院時よりは、元気になりましたが、まだ自力で食事をするまでには到っていません。
これから 風花が食事を食べれる様になるまで、私達家族と風花の戦いが始まります。
3〜4年前に、今回と同じ状態になり、克服して元気になった時の様にと 願ってやみません。

2005.6.19(日)
風花が、退院して1週間少し経ちました。
退院後2〜3日は、どうなってしまうのか心配で落ち込んでいましたが、薬を磨り潰して甘い水溶液に混ぜて注射器で口の中に入れて飲ませ、また食事もペースト状の食事を同じ様に注射器で口の中に入れて食べさせた結果、退院時とは見違える程 身体も確りしてきました。
食事を食べさせる時は、一人が風花を抱いて、一人が口に注射器を入れて、朝・晩 5〜6本づつ食べさせていますが、元気になるにしたがって抵抗する様になり手こずっています。
まだ 自力では食事を食べられませんが、食器に入れてあげた食事も口の中に含んだり出したりして、食べる意欲は出て来ました。

2005.6.22(水)
今日は 風花をつれて、退院後初めての診察に行って来ました。
検査結果は、良好で、体重も1.5Kg強まで回復しました。
昨日は、豆腐を1/8ケ分とアイスクリームを少し食べました。
体力も回復してきたので、これから少しずつ色々なものが食べれる様になればと期待しています。

2005.6.29(水)
今日は、風花が退院してから2回目の定期検診に行って来ました。
老齢にもかかわらず、驚異的な回復力を見せ、院長先生も驚いていました。
薬も今までの半分になり、定期の検診期間も1週間1回から2週間1回に延びました。
食事は、注射器での流動食と、食器でのドライフードを併用して食べさせていますが、徐々に流動食をやめて本来のドライフードに移して行こうと思っています。
心臓病なので、完全に元の状態に戻るのは、無理ですが、のんびりと 気ままに老後を楽しく過ごさせてやりたいものです。

2005.8.19(金)
山陰の写真美術館に戦前(1938年)の狆の写真があるとの情報から、その美術館に写真集を送ってくれる様に依頼し、今日届きました。
楽しみにしていた写真なので、わくわくしながら写真集の写真を1枚1枚見て行きましたが、最終ページになっても“狆”らしい犬の写真はありませんでした。
そこで、目次から題名が狆のページを探して見ましたが、そこには、どの様に見ても狆には見えない犬が写っていました。
この写真を撮った写真家の方は、色々な賞を受賞して、美術館もある位の写真家で、この“狆”と言う作品も展覧会に発表された作品ですが、他の犬を狆と勘違いしていたようです。
正に“残念”としか言いようがありません。


ちょっとした出来事/2005年9月〜12月

2005.9.2(金)
日本の神社の社頭には、狛犬が一対で置かれている事が多い様ですが、鳥取県の鳥取市鷲峰にある鷲峰(ジュウボウ)神社には、大変珍しい狆の張子の狛犬があります。
この狆の狛犬は江戸時代末期の1860年(万延元年)名工川六の作とされています。
この地方に伝わる鷲峰山の神様と大山の神様の背比べの伝説には、大山を追いかけて河内川に入った鷲峰山の足の裏に、巻貝のニナが突き刺さって出血と痛さで鷲峰山が苦しんだ時に、日頃から可愛がっている狆が川藻をくわえて来て、それで傷口を揉んだところ、出血が止まり、痛さが収まったと言う話しがあります。
その伝説から、鷲峰神社の社頭には、狆の張子の狛犬が置かれたのかもしれません。
この狆の狛犬は、大変珍しく他に例を見ないため、随分遠方からも見学者が来るそうです。
一つ疑問なのは、川六が狆その物をモデルとしないで、狆の張子をモデルにしたところです。
川六は、狆を見たことが無かったのではと疑問が出てきます。
江戸時代、狆の張子は庶民の間で広く行き渡っていたと思われますが、狆そのものは、地方都市に住む庶民には目にすることが無かったのではと考えられます。
機会があったら、鷲峰神社を是非訪れてみたいものです。

2005.9.15(木)
風花が我が家に遣って来て11年になります。
お赤飯を炊いて,皆でお祝いしました。
我が家に遣って来た頃は、やんちゃで部屋中凄い勢いで駆け回って遊ぶのが日課でしたが、11年経った昨今では、朝寝・昼寝が日課となっています。

午前5時         起 床 部屋の中の見廻り
午前5時30分      朝食および投薬時間 
            【流動食及び薬注射器6本分】
午前6時〜午後5時  朝寝・昼寝タイム 【熟 睡】
午後5時〜午後9時  くつろぎタイム
午後8時         夕食時間 
                      【流動食注射器6本分と豆腐等】
午後9時         就 眠

毎日こんな具合で過ごしています。

犬も人間と同様、老齢になれば、介護が必要になります。
風花も、その時期になりました。
できる限り快適に生活できる様、介護してやりたいものです。
6月に退院してから1.5Kgまで回復した体重も、7月、8月と自分の力で食事がとれなかったため、流動食だけでしたので、体重も1.3Kgになってしまいました。
食べても食べなくても毎日置いてあげているドライフードを、9月になってからは気ままに1粒づつ時間をかけて食べれる様になり、ここ2週間、週50gのペースで体重が増え1.4Kgまで回復しました。

2005.10.30(日)
長崎県大村市の本経寺には、高さ90cm程の苔むした狆の墓があります。
碑文には、 「ハナ丸は狆、いつも(主人の小佐々)前親のひざに抱かれていた。
慶安3年(藩主の大村)純信の後を追って殉死した(純信の守役であった主人の小佐々)前親の荼毘の火に飛び込んで死んだ」 と書かれています。
慶安3年(1650年)は、島原の乱が収まって12年、3代将軍徳川家光の時代です。
この時代に守役とは言え、2万7千石の小藩の藩主でもない家臣が狆を愛玩していた事、また大村家の菩提寺に家臣の愛玩した狆の墓が作られた事など興味をひかれます。

2005.12.31(土)
近くの書店で“愛犬の友”を立ち読みしましたが、真紀舎さんの素晴しい狆とともに載っていた中国清朝の宮廷犬と思われる犬の絵を見て、構図と言い、躍動感と言い、その素晴しさ圧倒されて、その1枚の絵のために買ってしまいました。



2004年の日記

ちょっとした出来事/2004年1月〜6月

2004.1.10(土)
新潟県黒姫山麓に伝わる国の重要無形民俗文化財の指定を受けている 綾子舞 の中の狂言“唐猫”に出てくる 「唐猫は実は“猫”ではなく“狆”であった」 との情報から 色々調べてみた結果、次の様な情報(参考文献等未確認ですが)を得ました。
シーボルトの記述に“狆”はポルトガル人によりマカオから“北京狆”が室町時代から江戸時代にかけて導入され、日本の“狆”に改良された等々の記述が有るとのことです。(日本海フィッシャーマンケープ ネット メールニュースVol.2航海日誌より)
参考文献等不明な為、機会があったら調べてみたいと思っています。
(シーボルトの「日本」か「日本動物誌」に記載されているかもしれません。)
江戸時代、狆は犬と猫との中間のものと考えられていた事は、色々な処で聞く話しですので、綾子舞の中の唐猫は、狆だったのは、間違いないかもしれません。

2004.2.11(水)
一年ぶりに表参道の骨董店へ、立ち寄ってみました。
今年は、たまたま狆が彫られてある古いメタル製のマッチケースを見つけることができ、思わぬ収穫でした。
また、女性店主から英国王室所蔵の狆を膝の上に抱く王妃の肖像画が載っている本を見せて貰い、狆や骨董の事などの話が弾み、久しぶりに楽しい一時を過ごしました。

2004.2.24(火)
花總も、もう6歳の誕生日を迎えました。
暇な一日、日のあたる窓際で昼寝をして過ごすのが日課になっています。
先日、風花、花總、姫花の有田焼のお皿に絵付けをして下さった作家の方より
風花荘のホームページに自分の描いた絵皿が載っているのを見て、突然メールを戴きました。
自分の作品が大切にされていて嬉しい旨、また作品に満足してもらえたか等 そして、それぞれの狆の表情を描き分ける難しさ等々のお便りでした。
後日、有田のホームページを見たところ、有田ちゃわん祭り優秀賞を受賞されたデザイナーの方と分りました。

2004.4.20(火)
P.C.の狆のサイトを検索していて、偶然あるアートギャラリーのHPに鏑木清方の“婦女 狆と遊ぶ” が掲載されているのを発見しました。
明治後期の当時の上流階級の婦人を描いた作品だそうです。
P.C.の画面から見る限りでは、茶狆なのか、茶狆に黒毛が混じっているのか、三毛の様な感じもします。
所蔵は、鎌倉の鏑木清方記念美術館なのか、その画廊の所持品なのか不明ですが、是非 実物を見たいものです。

2004.5.15(土)
以前 奈良の美術館より送って貰った中国の南宋時代の1枚の犬の絵の色紙のことが暫く気になっていました。
このチベタンスパニエルに非常に似た宮廷犬は、狆の形成に重要な役割を果したに違いないと、私は考えています。
5月の連休を利用して、チベット系の犬種から派生したと思われる犬種のサイトを検索しました。
一つのチベタンスパニエルの気になるサイトに辿り着き、何回も何回も見直してしまいました。
チベタンスパニエルにも、狆と同じ様に前足に筆毛や袖毛に相当する毛が生えている事も分りました。
現在 お気に入りのサイトの一つです。

サイトのURL.は下記の通りです。
大変 素敵なサイトです。

“チベタンスパニエル、まめ日記”
http://azusoy.hp.infoseek.co.jp/



ちょっとした出来事/2004年7月〜12月

2004.8.4(水)
先日、欧州で狆を飼われている方から数枚の写真とともに 季節のお便りを戴きました。
その中の1枚の写真は、均整の取れた体形と日本のドッグショーなどで見かける様な顔立ちの狆が、今まで広い芝生の上を駆け回って遊んでいたのか、エプロンに草の穂先をつけて写っているものでした。
その狆の母系の祖父は、日本から欧州に行った狆だそうです。
緑がまぶしい芝生と狆のエプロンの白毛のコントラストが綺麗で、しばらく見入ってしまいました。

2004.8.11(水)
毎年 夏休みに神田神保町の古本屋街へ行く事を楽しみにしていますが、今年も行ってみました。
数件の古本屋さんへ寄って、昔の古書を探したり、お店の方と話をするのが楽しみです。
以前 戦後の狆の系統に大きな影響を与えた桃花荘の須永政三さんの話しをしてくれたお店の主人は、記憶をたどって須永政三さんが良く来られた後、何年かして誠文堂新光社発行の“狆”の中で 狆の歴史について執筆されている 園江稔さんが、同じ様に狆の載っている浮世絵や古書を探しに、時々来られていたと 話してくれました。
狆を飼われていた先輩諸氏が、狆の資料を求めて同じお店に通っていた事は興味深いものです。

2004.10.17(日)
長崎経済研究所発行の“ながさき経済10月号”<日英交流150周年 扉が開いたその時>に1854年10月14日日英和親条約調印時のエピソードとして、以下の様な、狆に関する記述がありました。

スターリング(提督)がビクトリア女王に献上するために(長崎)奉行(水野筑後守)に所望した物の中に、日本の狆のつがいがあった。
形もよく白地に少し黒い斑点があって首の周りには赤い絹のケープをしていた。
これは、(目付)永井(岩之丞)が長崎中を探して雌雄十両で買い求めた名古屋産の最良種であった。
この狆も長崎でのこの交渉(日英和親条約)に大きな役割を果したのだろう。
スターリング(提督)はこの可愛い狆に頬ずりをしながら、10月20日、来航から6週間後に長崎を出港した。

上記の狆に関する資料は、狆を飼っている者にとって、大変興味深いものであります。
特にその当時 名古屋狆が、良い狆であったこと、良い狆は、雌雄で十両もしたこと、またビクトリア女王への狆の献上は、米国のペリー提督が献上した後にも英国のスターリング提督が献上していた事など大変面白く読みました。
当時の一両は、今のお金に換算するのは、比較するものによって異なるので難しいですが、一両を仮に20万円で計算すると、雌雄の狆のペアーで200万円になります。
参考資料としては、「開港四百年長崎の歴史」松浦直治著(株)長崎文献社発行 「描かれた幕末明治」金井円編訳(株)ティービエスブリタニカ発行となっています。

2004.11.3(水)
先日、ヤフーのオークションに明治時代のノリタケ製の狆の飾り皿が出ていました。
拡大写真を見たところ白黒狆にも拘わらず下顎部と鼻が茶色の三毛狆でありました。
鏑木清方が描いた“婦女狆と遊ぶ”の中の狆も、サイト上で見た限りでは三毛狆の様にも見えました。
私は、過去に 茶狆で耳毛に黒毛が微かに混じっている狆は見かけた事がありますが、白黒狆に茶毛が混じっているのは見た事は有りません。
現在、三毛狆を見かけなくなったのは、選抜交配の結果 淘汰されて来た結果なのかなと想像の域はでません。
しかし、明治時代に三毛狆が飾り皿や、日本画に描かれている事実を考えると、その時代には三毛狆も、それなりに存在していたのかもしれません。




2003年の日記

ちょっとした出来事/2003年1月〜6月

2003. 2.11(火)
表参道の骨董街で面白い話しを聞きました。
何気なく立ち寄ったお店で、狆関係の骨董品について、色々と店主と話しをしているうちに、3歳の狆を飼っている事が分り、また英国のオークションで、狆の絵が描かれているシガレットケースが、オークションに出たことがあり、とても綺麗な素晴しい狆の絵の入ったシガレットケースだったので、どうしても欲しかったそうですが、落札価格が、ずいぶん高値まで騰がってしまったので、落札を諦めたそうです。


2003. 4. 6(日)
風花の孫である真紀舎姫花が、真紀舎さんのご好意により、我が家の子になりました。花總の姪になります。
風花の子孫は真紀舎さんで、少しずつではありますが、増えていることは非常に嬉しいことです。
真紀舎姫花は、風花荘蘭丸の子で、蘭丸と一緒に生まれた我が家の風花荘花總に良く似たタイプの狆です。
牝とは思えないぐらい いたずらですが、またそこが可愛く、これからが楽しみです。

2003. 4.23(水)
姫花 生後3ヶ月になりました。花總の3ヶ月の頃と比べると、身体は小さい様な気もしますが、元気の良さと、いたずらは群を抜いています。
これから、この明るさと個性を失わせない様に、上手に育てて行くのが私たちの課題です。

2003. 5.17(土)
最近、欧州の狆の愛好家より、良くメールが来ます。冬の雪の中で狆が遊んでいる写真や、春の新芽が芽吹いた頃の狆の写真とともに、色々な お便りをして来てくれます。
狆の本からの知識なのか、日本の狆に詳しい方から色々学んだものか分りませんが、狆のルーツや系統・犬舎についてまで詳しい事には、驚かされました。
桃太郎系、クモチノ系とかの質問までされ、勉強不足の私には知識不足でお答えできませんでした。
また、松嶺荘さんの英国に渡った狆達の子孫の系統についても、ご存知の様で、そちらの系統の狆を飼われている様です。
また、日本の狆の犬舎名を挙げて、我が家の狆は、どちらのラインの狆なのかと好奇心は尽きないお便りでした。

2003. 5.23(金)
姫花、生後4ヶ月になり、3回目のワクチンも済み、いよいよ新しい外の世界への探検も真近です。
外見は叔母の花總の幼犬時代にそっくり、性格や行動パターンは、祖母の風花の幼犬時代にそっくり、そして目の大きさは、お医者さんもビックリの 父の蘭丸似です。
当たり前のことかもしれませんが、蘭丸、花總、風花の特徴を少しずつ受継いだのも面白いものです。
また、母親の真紀舎夕鈴は、どんな狆なのか興味は尽きません。

2003. 6. 1(日)
姫花、 池袋西武百貨店で開催の日本狆クラブ第85回本部展で、特幼犬牝組でデビューしました。
まだ幼くて右も左も分らない状態で、ただ参加しただけですが、とにかくショーへの第一歩を踏む事が出来ました。
これから、気長に歩行やショーマナーを共に練習していく事になります。秋には もう少し成長した姿で参加できると良いなあと、思っています。

ちょっとした出来事/2003年7月〜12月

2003. 7.14(月)
姫花も、そろそろ生後6ヶ月を迎えます。
相変らず やんちゃと言うか、きかん坊と
言うか 思った様に躾ができないで手を焼いています。
狆を育てるのも3頭目ですが、風花、花總の成長過程の教訓を生かして、のびのび育てたいと思う反面、少しは落ち着きがでて来ても良いかなと思案する毎日です。
それぞれ性格も違いますが、この時期は風花も花總も自意識が出て来て反抗期だった様な気もします。
ベテランの方は、この位の時期には、ある程度の躾をしているのを、良く見かけますが、なかなか真似はできないものです。

2003. 7.20(日)
19日〜21日と休日で暇な一日 日本狆クラブの昔の会報を読んでみました。
会報1号には、東久邇盛厚氏、池田宣政氏、鍋島紀久子氏、小暮美千代氏、司葉子氏、白井吉雄氏、須永政三氏、下川稲子氏など錚々たる方々が会員であった事が分りました。
昭和33年頃と言えば、日本も それほど豊かな時代では無かった様な気がします。
その当時は、日本スピッツを飼っている家庭は、たまに見かけましたが、狆は見かける事は ほとんど無かった様な気がします。
真紀舎さんのお父さんから、その当時 鍋島家に狆の食事用の魚を持って言った事があるとの話しをお聞きした事があります。
その話を聞いて、鍋島家だからなのかもしれませんが、その当時、食事に魚を貰っていた狆は随分貴重で大切にされた犬だった気がします。
狆を良く見かける様になったのは、昭和40年代初め頃の様な気がします。

2003. 8.13(水)
久しぶりに、神田の古本屋街に足を運んで見ました。猫好きの藤田嗣治画伯の美術集の中に狆を見つけました。まさかの発見で、何回も見直してしまいました。
また、宋元の絵画(東京国立博物館編 出版社便利堂)の中に興味深い犬(狗)の絵を見つけました。
12世紀後半の南宋の絵で、日本に遣って来た狆の祖先犬と大きな関係が有りそうです。
また 園江稔氏が、誠文堂新光社発行の“狆”の中で触れている14世紀の天主僧オドリクの紀行文や、同じく マグンリの“東旅懐旧記”に記されているとされる犬は、この犬(狗)だった可能性が大きいと思われます。
早速、この絵の所蔵美術館である奈良の大和文華館へ、お願いして犬の“萱草遊狗図”(カンゾウユウクズ)と一対になっている猫の“蜀葵遊猫図”の毛益作とされている色紙を送って頂くことにしました。

2003.10. 5(日)
川越水上公園で開催されたJKCのFCIインターナショナルドッグショーに、姫花がパピーの部で参加しました。
JKCのショーへは、久しぶりの参加なので、感覚がつかめるか また 姫花が歩いてくれるか心配でしたが、良く歩いてくれ また 個体審査の台の上での触審も無難に済ませ、ほっとしました。
狆は、牡のチャンピオンクラスが1頭、牝のパピークラスが1頭のみの参加でした。
最近 人気のチワワは、スムースコート、ロングコート合わせて80頭、トイ プードルは94頭の出陳を数えました。
天気にも恵まれ、楽しい一日でした。

2003.12.7(日)
神奈川県平塚で日本狆クラブ第86回移動本部展が開催されました。
新しい顔ぶれの方が随分増え、また 何年ぶりかで、お会いできた方も有り とても楽しい一日でした。
HP上では、お名前を知っていた方の顔を初めて拝見できたり、また懐かしい方が久しぶりに遠方より来られ、“風花”から数えて四代目の曾孫にあたる狆を連れて来てくだっさって、とても感激しました。

2002年の日記

ちょっとした出来事/2002年

2002.2.24(日)
花總 4歳の誕生日を迎えました。訓練とドッグショーに明け暮れた数年間 、特に2000年度は本当にショーに明けた年でしたが、これからは、のんびりした生活に戻してあげたいと思います。

2002.4.21(月)
風花 8歳の誕生日を元気に迎えました。吃驚するほど体調が良く、元気一杯で花總の挑戦も一蹴してしまいます。

2002.8.16(金)
今日は、夏休みの1日を利用して、古い狆関係の資料を探しに、夫婦で神田の古本屋回りをして楽しみました。
何件も回って、 やっとのことで 何十年も前に 発行した狆関係の書物や、歌川国芳の忠臣蔵の浮世絵に狆が描かれているものにも巡り合いましたが、現在の狆よりだいぶ黒斑が多い様でした。
歌川国芳の門下で 橋本(揚洲)周延の 錦絵 "千代田大奥 狆のくるひ" にも 他のお店で見つけることが出来ました。
周延の錦絵に描かれていた2頭の狆は、江戸時代末期から明治時代初め頃の狆の姿でしょうか、口吻が突き出し、毛吹もそれほどは、有りませんが、躍動感溢れ、今にも錦絵の中から飛び出して来そうな感じさえ与えてくれます。
その生き生きとした姿に 圧倒され、我が家のコレクションに加える事にしました。
また、国芳の浮世絵が 置いてあった 古本屋の店主は、昔、桃花荘の須永政三さんと、ずいぶん親交が有ったそうで、須永さんは狆の描かれている浮世絵を見るために、そのお店へ、頻繁に足を運んでいたそうです。
年を取られてから 一人でお住まいだったそうで、しばらく お店に顔を出さない時があれば、心配もしたそうです。そのぐらいのお付き合いだったそうです。
私ども、本の上でしか名前も聞いた事も無い、狆の世界の大御所の話を伺えただけでも、素晴らしい一日でした。

2002.9.15(日)
風花が我家の家族になって8年経ちました。心臓の病を抱えながらもボスとしての地位は揺るぎ無く、小さいながらも貫禄さえ出てきました。
花總は、相変わらず元気に飛び回っています。マイペースの性格は全然変わることも無く自由気ままな生活を送っています。

我家のホームページは、日本語だけのホームページなので、写真だけを見て日本の狆のブリーダーと間違えて時々海外からメールが入ります。数日前にも牝の白黒狆と牡の茶狆(レモン)を飼っているハンガリーのブダペストの方からショータイプの純粋な日本の狆を欲しいとのメールが入りました。
狆の愛好家はアメリカや西欧諸国だけでなく、東欧やロシアにも多いみたいです。ロシアで仕事をされている方から、ロシアでは狆の数が少なく、ついついインブリードの交配を繰り返さざるを得なく、結果として顔頭部などに遺伝的欠陥を持った子犬達が産まれていると聞きました。新しい血を入れる為に、非常に日本の狆を欲しがっているそうです。
東欧やロシアでも熱烈な日本の狆のファンがいる事を知り、日本の愛狆家の一人として嬉しい限りです。

2002.11.17(日)
日本狆クラブの第84回移動本部展が、そごう横浜店2階 鐘の広場で開催されました。
我が家の花總も、1年半ぶりに出陳しました。
今年の2月に1度JKCの神奈川インターに出陳した以外はショーから遠ざかって気ままな生活を送って来て、コートの手入れや歩行訓練も全然していませんでしたので、不安を抱えながらの出陳でした。
ハンドラーの不安とは、裏腹に幸運にも牝組日本一 第30回池田宣政記念賞を獲得する事が出来ました。
私達には縁がないと思っていた こんな素晴しい賞を獲得できた事を、花總ともども 素直に喜びたいと思います。


2001年の日記

ちょっとした出来事/2001年

2001.7.31(火)
風花,花總のホームページ"風花荘へようこそ"を開設しました。

2001.9.15(土)
真紀舎風花が我が家に来て、今日でちょうど7年となりました。
初めて飼う狆で、色々驚きもありましたが、夫婦2人の我が家を明るくしてくれました。
妻は、犬嫌いでしたが、今では狆の素晴しさの虜になっています。

2001.10.16(火)
ジャパンケンネルクラブより花總のFCIインターナショナルのキャシブ本証が4枚揃い、FCIインターナショナルチャンピオンの登録申請が完了した旨の連絡がありました。
半年後に証明書とメダルが贈られれるそうで楽しみです。3枚目までのキャシブはトントン拍子で取得できましたが、最後の4枚目がなかなか取れず苦労しました。
東京、アジア、神奈川と3回のインターナショナルのショーではブリード審査では狆の牝は1頭のみで、その上の9グループの審査でキャシブを取得する事は出来ませんでした。
2001.5.20の東北インターナショナルで、念願のインターナショナルチャンピオンを完成しました。

2001.10.19(金)
風花、元気が無く咳き込む為、病院で健康診断をして点滴をして貰う。
昨年の11月、心臓病と急性尿毒症で入院して以来、散歩等も極力控え室内だけの生活に切り替えて投薬と食事療法で、この夏も乗り切って来たが、季節の変わり目で少し心配です。

2001.10.22(月)
風花、病院で19日、21日と点滴をして貰い、投薬の種類を増やす治療をして貰うが、食事も一切口にせず、喘息の様な咳に変わってきたので急遽入院することにしました。

2001.10.28(日)
風花、最悪の状態を乗り切り仮退院をする事になりました。
1週間の入院で、咳も止まり、他の検査結果も正常になり今日退院をすることになりました。
但し、食事は看護婦さんがミキサーで作った流動食を食べている様で、数種類のフードを試して、気にいった物しか食べないそうで、水でも食事でも嫌いな食事の臭いが付いていると、そっぽを向いてしまうそうです。
お医者さんも食事を食べさせるのに相当苦労したそうです。
風花は子供の頃から食が細く、食事には苦労しました。出来るだけドッグフードを食べさせようとしましたが、食の細さ故に、ついつい人間の食べる物を与えてしまいました。
そのツケが、この様な時に回って来たのかもしれません。
とりあえず、自宅で食事を食べるかどうかを見てから、お医者さんと相談する事にして仮退院と成りました。
風花に比べ花總は好き嫌いなく、何でも食べ、風花の残した物まで食べてしまいます。親子でも、こうも違うものかと悩みは尽きません。

2001.11.2(金)
10月28日、29日と風花は、なかなか食事を食べてくれないので、また元の状態に戻ってしまうのかと 焦ってしまいましたが、手作りの食事を10月30日より与えて見たら序々に食べ始め、手作りの食事とともに、期待もしなかったドッグフードを食べ始めてくれました。
食べ始めると、目に見えて体力の回復が進みました。また前の様に私達夫婦と風花、花總の生活が戻ってきました。

2001.12.23(日)
風花荘花總への、ベルギーのFCI本部発行のFCIインターナショナルチャンピオン登録証明書、認可通知書、CACIB本証が、またジャパンケンネルクラブより記念のメダルが送られて来ました。
狆を飼い始めて間もない私達が、こんなに早く この様なタイトルを取得出来たのは、花總を育ててくれた多くの方々のおかげです。




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