気まぐれ情報(Information)


JAPANESE CHIN SAVER‘S CLUB           ( 国 犬 狆 保 存 会 )

国犬狆保存会が本格的に活動を開始し始めました。
第1回目のハンドリング講習会は、和気藹々とした雰囲気の中で行われました。
                                  2007年3月25日

狆と北京狗

誠文堂新光社発行の狆の中で、園江稔氏が、江戸時代末期に海外に輸出された狆は、ペキニーズと混同して繁殖され、団体も初めは合同されていたようだと書かれていますが、それを思わせる様な写真・絵画が3枚あります。

@1864年(江戸時代末期)ダブリンで行われた第1回アイルランド ドッグショーの“Chin ーChin”という名の狆(それともペキニーズ?)のウィナー犬の写真です。
当時の写真機の為か、大変不鮮明な写真ですが、頭頂が平らで、狆の様にもペキニーズとの交雑種の様にも見えてなりません。

A1914年(大正3年)生まれのペキニーズです。
頭頂が平らな所を除けば、狆に大変似ている様な気がします。 

Bチベットより清朝の皇帝に贈られた宮廷犬の絵です。
狆に見えてなりません。
体長は2頭とも1フィート5インチ(43cm)、体高は8インチ(20cm)と8.5インチ(21cm)と書かれています。


参考資料
Dog of  China&Japan in Nature and Art 
V.W.F. Collier著 1921年発行

The Pekingese Handbook
Cliford L.B. Hubbard著 1951年発行

@上の写真 A左の写真 B下の写真



「耳 袋」

江戸時代中期、根岸鎮衛によって書かれた随筆に「耳袋」があります。
町奉行を勤めた筆者が見聞きしたことを記録した見聞録です。
この中に、二件狆に関する事が書かれています。巻一の「犬に位を給わりし事」と巻四の「疱瘡神が狆を恐れる事」ですが、中でも巻一の「犬に位を給わりし事」は大変興味を感じます。
天明元年(1781年)姫路藩主酒井雅楽頭忠以は、いつも可愛がっていた狆を行く先々連れて行っていたが、今回は重要な公務のために連れて行けなくなった。
しかし、愛狆は、駕籠から離れず、途中で帰そうととしたが、離れようとしないため、仕方なく上方まで連れて行ってしまった。
その話しを耳にした天皇は、いたく感心して、その狆に六位の位を授けたと言う話しです。
天皇には、五位以上の位でないと謁見できなかったので、この狆は天皇には拝謁していないと思われますが、平安時代より色々な動物が位を貰っています。
清少納言の枕草子には、一条天皇の可愛がっていた「命婦のおとど」と言う猫が五位の爵位を授かっていたことが、書かれていますし、また、江戸時代、南蛮から渡来した象が天皇が拝謁するのに、急遽 その象に従四位の位を授けたと言う記録もあります。



古 書

愛犬の友2006年1月号に掲載された中国清朝の犬の絵が素晴しくて、この絵が載っている本を神田神保町の古本屋街で探してみました。
1921年(大正10年)ニューヨークで発行されたDOGS OF CHINA&JAPAN IN NATURE AND ART(自然や芸術の中の中国と日本の犬)と言う本です。
探せば、あるものですね。
アメリカの大学で長く教鞭をとっていた先生が、日本に帰国した時に持ち帰った本だそうです。
大切に扱われていた様ですが、何せ古い本なので取り扱うのに慎重になります。
下記の写真の狆の様な、ペキニーズの様な犬は、体長1フィート4インチ〜1フィート6インチ(40.5cm〜45.5cm) 体高6.7インチ〜8.5インチ(17cm〜21.5cm)でチベットから皇帝に贈られたと説明がされてあります。
この本には、中国清朝時代の宮廷犬と思われる犬の絵を中心に写真が90枚近くも掲載されて、狆のルーツや、その近縁犬を探る上で貴重な1冊だと思われます。

参考文献 DOG OF CHINA&JAPAN IN NATURE AND ART
                             V.W.F. COLLIER 著
       FREDERICK A. STOKES COMPANY 発行

古書と、挟まっていた古い切抜

“ちんや”再訪

年の瀬、浅草の“ちんや”で、すきやきを突付きながら昼食をとりました。
部屋に案内される途中の廊下で、他の部屋から狆談議が聞こえて来ました。
そう言えば、来年は戌年。
結構、すきやきの“ちんや”が“江戸時代の狆屋”であった事を知って来るお客さんもいるんですね。
今のご主人で、6代目とか。
時代が経つと、その昔のことを知る人も居なくなり、仲居さんもシーズーを飼っていてシーズーのことには、詳しいが、狆の事はサッパリ解らずじまい。

Asakusa



江戸時代の狆の墓

大変面白い記事を見ました。
平成17年12月17日の朝日新聞に茨城大学助教授・磯田道史先生が江戸時代の狆のお墓について書かれた記事です。

東京の青山墓地を散歩する犬は、どう見ても私よりいい服を着ている。ペット霊園もはやっているらしい。犬猫に墓をたてるのは江戸時代にもやっていた。
大名屋敷では殿様の夫人が高級室内犬の狆を飼っている。殿様婦人はお気の毒。一生、御殿の中にいて、愛犬をなでるより他に楽しみがない。だから愛犬が死ぬと悲しくてたまらず墓石をたてた。
1978年、その現場が見つかっている。考古学者の故鈴木公雄さんは東京都港区高輪の伊皿子貝塚から不思議な墓石を二つ掘り出した。
一つには「天保乙未年九月一日、離染脱毛狗之霊、三田御屋敷大奥御狆、名染」。もう一つは「素毛脱狗之霊、高輪御狆白事」と刻まれていた。
三田・高輪は大名屋敷が多い。その大奥で大切に飼われていた染と白という名の狆の墓石であった。ちゃんと戒名もついている。
戒名に「脱毛」文言があるのは「獣から人間になってね」という意味だろうか。

この記事の狆のお墓の他に、長崎県大村市の本経寺にも慶安3年(1650年)に建てられた狆の墓があります。
この墓は藩主大村純信の守役であった小佐々前親の愛狆の墓で、墓碑には「ハナ丸は狆、いつも前親のひざに抱かれていた。慶安3年 純信の後を追って殉死した前親の荼毘の火に飛び込んで死んだ。」と書かれています。

【参考資料】
朝日新聞       2005年12月17日号
MY TOWN 長崎  2005年 6月13日号



天主僧の見た元の短吻犬

狆のルーツを考える上で、興味深い記述を、昭和53年発行の誠文堂新光社発行の愛犬の友“狆”の中で、園江稔氏が次の様に書かれています。
「14世紀に中国に入った天主僧オドリクの紀行に、杭州に貴人の生まれ変わりだという人面の犬三千頭を銀器で養うのを見たとあり、同世紀に中国に入った、これもまた天主僧のマグンリの東旅懐旧記にも、サバの女王のところと杭州とで同様の獣を見たが、杭州のは合図に応じて餌を食べに来た云々とあります。」

上記のオドリコの記述を、平成2年に光風社出版より発行された東洋旅行記【カタイ(中国)への道】第23章カンサイ〔杭州〕市について。の中で家入敏光氏が次の様に訳されています。
「特に大きな寺院へ出かけた。・・・・・・・・・其処には心地よい木々に覆われた小さな丘があった。我等が其処にいた時、彼(寺の僧侶)はどらをとって鳴らし始めた。するとその音を聞いて、実に様々な獣が一杯小さな丘を駆け下って来た。例えば猿、類人猿その他人間の顔に似た多くの獣である。我等がそれを見ているうちに、ゆうに三千匹はいるらしい動物達が彼(僧侶)の周囲に互いに順番を作って並んだ。動物達が順序良く位置を占めると、・・・・・食物を与えた。動物達がそれを食べてしまうと、彼(僧侶)は再びどらを鳴らし始めた、するとみんな夫々の居場所へ引き返した。」

中国が元の時代に、杭州で三千匹もの短吻犬と思われる犬(狗)を飼育されていた記録があることは、非常に興味を感じます。
ここに出てくる獣とは、ラサアプソ・チベタンスパニエル・パグ・ペキニーズ・シーズーそして狆に関わりがある犬・狗だったと思われます。
また杭州は南宋の都 臨安があった街です。南宋時代、チベタンスパニエルに似た宮廷犬が描かれています。この絵は“萱草遊狗図”と呼ばれ、毛益の筆によるものと伝えられ、奈良の大和文華館に所蔵されています。
宋・元そして明・清と国は変わっても、これらの犬・狗は代々大切に飼育されてきた様に感じます。


【参考文献】
愛犬の友<犬種別>シリーズ狆   誠文堂新光社刊
東洋旅行記 オドリコ 家入敏光訳 光風社出版刊


江戸時代のペットショップ

江戸時代 “狆屋” と呼ばれ、大名家や豪商に “狆” を 商い、 しかも狆の獣医でもあったのが、浅草の すき焼のお店 “ちんや” です。
浅草の雷門の並びにある現在のお店には、明治を感じさせるものが随所にありますが、江戸時代の遺物は焼失してしまって残っていないようです。
江戸時代には、現在のお店より随分広い敷地を誇り、お店の横の道は“狆横通り”とも呼ばれていたそうです。


 浅草“ちんや”

部屋の床の間には、横浜絵の英吉利人(イギリス人)が掛けられていました。
歌川芳虎による文久3年(1863年)の作品です。


FCI東京インターナショナルドッグショー(2004.12.19)  東京ビッグサイトにて

2004年12月19日(日) FCI東京インターナショナルドッグショーが東京都江東区有明の東京ビッグサイトで開催されました。
全犬種(107犬種) 1512頭の出陳にも拘わらず、狆はパピーの牝1頭のみの出陳でした。
ちょっぴり、寂しい感じです。
出陳された狆は、パピーにも拘わらず良く訓練がなされ、台の上の触審も歩行も無難にこなしました。
狆は、静かなブームなのか、審査が終わってリングを出ると、多くのギャラリーに囲まれて写真を撮られていました。






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