白いのが乳香樹脂、赤褐色のが没薬樹脂

はじめに

香料の始源の形は加熱して香りを放つ薫香樹脂でした。人の気持や心や魂を見えない世界に運びつなぐ一筋の香煙は今でも儀式性豊かな香りの古典です。

エジプトのコプト派キリスト教徒の格言に「香水は魂を堕落させ、香煙は魂を浄める」とあるそうです。身体に直接賦香する香水があくまで私的なものであるのに対し、空間全体を賦香する香煙には上方へ立ち昇るイメージとあいまって、公的或いは精神的な意味付けがなされてきました。

人間は昔から暖を取ったり、調理したりする過程でものを燃やしてきました。その中で燃やすと良い匂いの出るものがあるのが知られるようになります。
「目に見えないながら、そこに良きものが有る」という意識が芳香を神々の領域と結び付け、太古から神々への貴重な捧げものとされてきました。

古代エジプトでは朝日とともに乳香が、日没とともに没薬が焚かれたそうです。すがすがしい乳香が日中のもの、苦味のある温かみと評される没薬が夜のものとはうまい配合です。

精油という形に精製される以前の、古代以来の形を留める「火にくべて燃やす薫香」は日本では線香や香道叉は御葬式の焼香として知られています。西方の焚香料は、乳香をミサで使うことのあるカトリックの信者を除けば、香炉から立ちのぼる煙りとその香りは、あまり知られていないように思います。

現代人にあっては衰弱してしまった神聖で敬虔な感情を呼び覚ますのに、香煙はもっともふさわしいものです。
形整えば心自ずと整うと言います。心をしずめて目には見えない世界にあなたが入るきっかけを香煙は与えてくれるはずです。

西行法師の歌にあります、
「何事のおはしますをばしらねども、かたじけなさの涙こぼるる」

煙が薄まるとスーッとした何とも言えない清涼感が漂い残ります。

いま、あの時間がやって来た。
茎の上で震える花と、香炉は香りを薫じつつ、
音と香水は、夕べの大気にメランコリックなワルツを旋舞する。
物憂げに、目も眩みつつ。

ボードレール 『夕べのハーモニー』