2001年12月23日版
本日は、たいへん重要なお知らせ、告白をしなければなりません。
これまで、ずっと隠してきたことがあったのですが、このたび、もう隠してはおけない事態になったため、ついに正直に皆様にお知らせして、皆様に私をお守りいただくしかなくなりました。
以下の文章をお読みいただければ、読者の皆様が、これまで私に対して抱いてきた大きな疑問のひとつを、ご納得いただけると思います。このHPは、読者の皆様に希望と癒しを提供するために開いておりますので、新年早々から重い話題になることを避けるためには、今、このタイミングで公開しておくことが、タイムリミットであるとも判断いたしました。
では、本題に入らせていただきます。読みながら、「いったい、何が問題なの? むしろ、素晴らしいことではないですか?」とお感じになるでしょうが、世の中には表と裏があり、物事はそう単純ではないのです。とにかく、最後までお読みくださいね。
先日、12月13日(木曜)の、中日新聞の夕刊(名古屋市の中日新聞社発行)11面に、「極刑再び・・・座り込む」と題して、東京高等裁判所が下した、ある死刑判決についての記事が載りました。それは、元オウム真理教(現在は「アレフ」と改称)の信者で、あの残忍な坂本弁護士一家殺害事件の犯人として起訴されていた岡崎被告に対して、高等裁判所が、再審でもやはり「死刑」を言い渡した(控訴を棄却した)という報告記事でした。
そして、その記事に続いて、岡崎被告自身が中日新聞社に寄せた手記が載っていました。なぜ中日新聞社に手記を寄せたのかは不明ですが、当然ながら弁護士を通じて送られたものでしょうから、この手記は他の新聞社やマスコミでも公開される可能性がありますし、私が知らないだけで、すでに他のマスコミでも公開されているかもしれません。(もしも中日新聞だけに載ったとすれば、これは記者・編集部の大手柄ですね)
それでは、以下に、その記事をそのまま転載させていただきます。
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「私のような過ち 歩ませたくない」
岡崎被告が信徒にメッセージ
岡崎被告は3日、中日新聞に手記を寄せた。信徒の中で「教祖」として育てられている麻原彰晃被告の子どもたちに、教祖の自覚を持たせてはならないと訴え、教団に残る信徒に対し「私のような過ちを君たちに歩ませたくない」とメッセージを送った。手記の要旨は次の通り。
裁判が終わっても、時間を元に戻す以外に、ご遺族のお心が癒されることはありません。戒名を仰ぎ見て自己批判を重ねるいま、無力感に打ちひしがれ、首を垂れる毎日です。
オウムが仏教観を破壊し、米同時テロが宗教価値を崩壊させました。平和を願う尊い信仰心が民族抗争に利用され、純粋な信徒ほど犠牲になります。自爆テロは殉教行為ではなく、正当性は微塵(みじん)もありません。
米同時テロと地下鉄サリンがオーバーラップします。しかし、麻原不在のいま、ポワ(殺人)の発動はないと信じたい。
恐れているのは近い将来、幼い教祖たちがグル(師)として目覚めた時です。賢明な解決策は、地域社会の積極的な融和姿勢により、対立から相互理解へと導くことです。子どもたちを孤独にさせてはいけない。偏見と迫害は、幼い彼らの心に禍根を残しかねない。
私に影響を与えたのは、福島大学助教授、飯田史彦氏の「生きがいの創造−生まれ変わりの科学が人生を変える」でした。魂が地獄へ転生するという教義に縛られているアレフの現信徒、元オウム信徒に、是非読んでいただきたい。オウムの何が間違っていたのか、その本質に触れ、真の反省とは何かを感じ取ってもらいたい。そして一日も早く目を覚ましてほしい。私のような過ちを、君たちに歩ませたくありません。
(中日新聞2001年12月13日夕刊、11面より転載させていただきました)
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この中日新聞の記事は、12月22日に名古屋の名城病院で医療スタッフ向けの講演を行った際に、お医者さんや看護婦さんたちが、私を喜ばせようという善意で、「飯田先生ご存知ですか? あのオウム事件の犯人が、飯田先生の本を読んで改心したという手記を寄せているんですよ。良かったですねぇ!」と手渡してくださったものでした。
確かに、あの凶悪な坂元弁護士一家殺害事件を起こした岡崎被告が、私の著書をお読みになって価値観を大きく変えてくださり、「アレフの現信徒、元オウム信徒に、是非読んでいただきたい。オウムの何が間違っていたのか、その本質に触れ、真の反省とは何かを感じ取ってもらいたい。そして一日も早く目を覚ましてほしい」とまで明言してくださるのは、著者である私にとって、たいへん光栄でありがたいことです。その点では、私は純粋に、「あの時、あの本を書いて、周囲の人々から馬鹿にされながらも勇気を出して出版して、本当に良かった」と、充実感で一杯です。凶悪事件の被告とはいえ、人間としての岡崎さん(ここだけは「さん」付けで呼ばせてください)に対して、「私の著書を素直に受け入れてくださって、どうもありがとう」と、著者として感謝の念をお伝えしたいと思います。
そして、『生きがいの創造』の初版は、今の私から見ると、考察が甘くて視野が狭く情報も古すぎるうえ、オカルト的な内容も含まれている怪しげな本なので、より考察が深くて視野が広く情報が新しいその後の本の方を、私からのお勧め本として岡崎被告に差し入れしたいという気持ちです。
ところが、一方で私は、「これは困ったことになった。またもや、敵を増やすことにならねばいいが・・・」と、暗い気持ちで落ち込んでしまったのです。ここからが、私がこれまで隠してきたことの告白です。
実は、一般には知られていなかったことですが、今回、岡崎被告が私の著書をきっかけに改心くださったように、私の一連の著書は、日本に存在する一部の狂信的なカルト宗教の信者たちをディプログラミングする(マインド・コントロールから解放させる)ための、効果的で安全なツール(道具)として、ディプログラマー(カルト宗教の信者を脱会させる仕事を行っている人々で、大半は素性を隠して活動)の方々が活用くださっています。なぜなら、カルト宗教にマインドコントロールされてしまう人々の多くは、苦しみや悩みや孤独感を抱えて「救い」を求めて入信していった寂しい人々なので、その信仰心を一気に完全否定して唯物論を教え込もうとしても不可能であるうえ、「信仰心を捨てた後にポッカリ空いてしまう心の穴」が怖くて脱会できないため、その穴の中を、「宗教と同じ効果をもたらしてくれる、より健全かつ安全な何か」で満たして差し上げることが必要になるからなのです。
つまり、そのカルト宗教を脱会した後に生じる心の穴を満たすための、より健全かつ安全な思考法として、私の一連の著書が活用されているというわけです。(ちなみに最近は、『人生の価値』が、その健全性・中立性・非オカルト性ゆえに、ディプログラマーの方々から大変好評だそうです。『人生の価値』を読ませてみて、その終わり方に嫌悪感・失望感を示して抵抗する人は、真理追求型の宗教的マインド・コントロールの思考パターンに「はまって」いることがわかるとのこと。一方、『人生の価値』を平然と読み終え、「なるほど、このようにして思考のバランスを取りながら生きて行けば、余計な依存心を捨てて健全な精神的成長をはかることができるのだな」と考える人は、自己を確立して成熟した大人だと安心できるのだそうです。なるほど、そう言われてみれば、私が『人生の価値』で意図した執筆方針と、ぴったり一致していますよね)
しかし、このこと(ディプログラミングの有効なツールとして活用くださっていること)は、著者である私が、カルト組識から、「信者の脱会に手を貸す悪い奴」として敵視されてしまうことをも示しています。実際には、私自身はディプログラマーではありませんし(本業の大学教官で多忙ですからね)、ディプログラミングに直接に参加したり「手を貸す」ようなことは、一度も行ったことがありません。私はただ、著書を書いて、世の中に発表しているだけのことであり、それ以上のことは何もしておりません。それにもかかわらず、やはりカルト組識の信者たちから見ると、「お前が、あんな本(健全な思考法の本?)など書くから、うちの信者が影響を受けて脱会してしまうのだ」という論理で、私は「排除すべき宿敵」となってしまうのです。
そして、実際に、私の著書は、カルト集団の教祖や代表者から、「読んではならない悪書」として「禁書」扱いにされていますし、私自身、これまで公表しませんでしたが、様々な形で嫌がらせや脅迫を受けてきました。そのため、このHPの読者の皆様から「謎」とされている、ある態度を取ることによって、一時的に自分を守るしかなかったのです。それは、たとえば「生きがいの本質」を書く時に、「これが完結編」と言って「生きがい論」をいったん終える素振りを見せたり、今年の初めに、このHPで奇妙な「敗北宣言」を出し、「もう生きがい論の研究はしない」という趣旨の発言をしたことでした。
つまり、「生きがいの本質」を書いた時期や、「敗北宣言」を出した時期、あるいは「講演中止宣言」などの時期は、ちょうど悪質な脅迫を受けていた時期であり、とにかく形のうえで、いったん「もうやめます」という意思表示を相手側に示さなければ、身の危険が迫っていたのです。あの「完結宣言」や「敗北宣言」「講演中止宣言」などは、当時の自分を守るために必要であった戦略的手段であり、私と特定の相手にしかわからない返答でもあったというわけです。
しかし、その後も私は、相手集団の出方を見ながら、ごまかしごまかし、しぶとく執筆・出版・講演を続けてきました。読者の皆様の中には、「飯田先生って、もう書かない、もうやめる、って言いながら、いつも結局は、ずるずると書いているじゃない」と、疑問に思う方も多いはずです。その謎が、ここで解けたことでしょう。私には、その当時、そういう言動をすることによって身を守るしか、方法がなかったのです。決して、本当にやめてしまうつもりは、ありませんでした。
では、それなのに、今、どうして、そのことを明らかにしてしまうのでしょうか?
身を守るためには、これまでのように、「もう書きません」「もう講演は中止です」などと、ごまかしながら活動を続ける方が得策なのでは?
・・・賢明な読者は、もう、その答えに気づかれましたね?
そう、今回の岡崎被告の呼びかけによって、今度は、とうとう、旧オウム信徒までが、私を「敵」とみなす危険性が高まってしまったからです。もちろん、信徒の全員がそうではありませんが、信徒の中には、過激な人々もかなり残っていると言われており、また、今後、どのような過激な信徒が新たに増えるかもしれません。岡崎被告が、「『生きがいの創造』を読んで、オウムの教義のどこが間違っていたのか、その本質に触れてほしい」と訴えてくださることは、すなわち、私の著書が、オウムの教義とは本質的に異なるものなのだ、という指摘でもあるのです。そうなれば、私の著書や私という人間の存在が、潜伏するオウム復興主義者の信徒たちにとって、大きな障害になるとみなされることでしょう。(ちなみに、私の人生論は、読者の「愛」に訴え、「人の本質は完全な善であって、地獄など存在しない」と考え、「創造的に生きる」ことを強調します。これに対して、旧オウムの主義は、地獄を強調し、信者の「恐怖心」を利用して、「破壊」へと駆り立てます。このように、確かに、両者は思想的・方法論的に、根本から異なっているのです。岡崎被告は、私の著書から、その相違を発見してくださったのでしょう)
このままでは、今後、私は、いかなるカルト組識(狂信的宗教団体だけではなく、唯物論・無神論の組識も、排他的・攻撃的という意味では明らかなカルト組識の一種です)の、どのような脅迫を受けるか、想像がつきません。私は、いつも外見上はニコニコ元気にしていますが、実際には、ストレスで倒れたり、一定期間どこかに避難することさえもありました。いつだったか、ホームページの更新が長期間できなかった時期もありましたよね。今後も、最悪の場合には、突然に失踪(?)したり、原因不明の事故(?)で死亡するかもしれません。「またまた、飯田先生って、大げさなんだから!」などと失笑を買いそうですが、事実、外国では、思想的対立が原因で、しばしばその種の犯罪が起きています。また、実際に私が過去数年間に受けてきた様々な嫌がらせは、私にしかわかりません。(ここで書いても、読者を極めて不快にさせるだけなので、書きません)
そこで、私にはもう、私の苦しみをありのままに公表して、いつ、何が起こっても、皆様に真相に気づいていただけるようにしておくことしか、身を守る方法が残されておりません。そのために、本日、苦渋の決断として、ここで、このような文章を書かせていただきました。
そして、以下に、個別のメッセージを書かせていただきます。
(1)このホームページで私に関する情報を集めていらっしゃる、カルト組識の方々へ
私は、決して、あなた方の「敵」ではありません。どうか、まず、勇気を出して、私の著書を読んでみてください。私に危害を加えるのは、いつでも簡単です。私には秘書も部下もおらず、ボディガードもつけておりません。いつも一人で、しばしば公共交通機関に乗って行動していますし、大学では全く無防備に講義を行っています。私は空手も柔道もできませんし、護身術も身につけておりません。あなた方が私に危害を加えようとすれば、周到な計画など不要であり、いつでも、ごく簡単に実行することができます。公務を持っている私は、逃げも隠れもいたしません。ですから、あせらないで、まずは、どうか私の著書を読んでみてください。それからでも、私に危害を加えることは、遅くはありません。
私の著書をお読みいただれば、「大した内容ではない、害の無いものであること」、「真理を説いているのではなく、単なる思考法にすぎないこと」、「ほかの思想を攻撃しようとする姿勢は、全く見られないこと」、「ほかの思想の持ち主と論争する意志は、全く無いこと」を、おわかりいただけるはずです。つまり、私は、あなた方が敵視するまでには値しない、取るに足らない、つまらぬ存在にすぎません。べつに大したことはしていないのですから、私のような者を敵視したところで、時間と労力の無駄にしかなりません。どうぞ、その時間と労力を、より報いの大きい、創造的な活動のためにお使いください。私のことなど、放置しておけば良いことです。
あなた方の価値観が本当に素晴らしいものであれば、たとえ私の著書を読んだところで、その程度のことで「ゆらぎ」が起きるはずがありません。私や私の著書など、恐れるに足らないものであるはずです。私や私の著書の影響を心配するよりも、あなた方の組識の価値観を、メンバーにとって、より素晴らしいものへと高めていく努力を、どうか優先してください。そのようにして、本当に自分たちの価値観に自信を持つことができれば、私や私の著書の存在など、気にとめる必要もない、どうでも良い存在になるはずです。そうなれば、むしろ、私の著書を、大いに利用することさえもできるのではないでしょうか?
(2)私の著書の読者の方々へ
以上のように、私は、いつまで元気に活動を続けることができるか、わからない状況です。今回は、冗談は1%も混じっておらず、実に真剣です。
そして、もしも、私の身に何か生じてしまった時には、私の年老いた両親と、大切な家族を、どうかよろしくお願いいたします。
(3)司法・立法・行政関係の方々、そして世の中の方々へ
このホームページでは、これまで意識的に、政治的発言を行うことは避けてきました。しかし、今回だけは特別に、その禁を破ります。
私は、「死刑」制度に、絶対に反対いたします。その理由は、極めて簡単です。「人間の命を、ほかの人間が奪うことは許されない」からです。
この主張に対して、「ほかの善良な人間の命を奪ったのだから、その償いとして、自分が命を奪われても仕方がない」とか、「殺人の罪は、死刑によって償う以外に、その重罪に見合う方法が無い」という反論があることでしょう。しかし、「人の命を奪った罪は、殺人者の命を奪うことによって償える」と思うのは、大間違いです。人の命を奪った罪は、ほかの多くの人々の命を救うことによってしか償えません。したがって、「殺人の代償として死刑を与える」のではなく、殺人の代償だからこそ、「世のため人のためになるような行為を生涯に渡って行わせる」という方法をとるべきなのです。殺人犯を殺してしまうのは、殺人犯から、その罪を償う機会を奪ってしまうことにすぎず、何の解決にもなりません。
また、ある人は、「家族を殺されてしまった遺族の気持ちを考えれば、殺人犯に死刑を与えるのは当然だ」とか、「あなたの愛する家族が殺されたとしたら、その代償に死刑を求めたくなるに違いない。あなたは当事者ではないから、遺族の気持ちが理解できないのだ」などと主張することでしょう。
しかし、上記の中日新聞に載っている坂本弁護士のお母様は、判決を「当然の判決」としながらも、「事件から長い時間が過ぎて、当時の苦しみや思いに変化はあります。今、何が何でも死刑にしてほしいという思いにも変化があります」と、複雑なお気持ちを語っておられます。もしも、このお母様に、「殺人犯が死刑になって、あっさりと人生を終えてしまうこと」と、「殺人犯が、今後、生涯に渡って、世のため人のためになるような活動を行いながら、大変な思いをして行きぬくこと」という、2つの方法の選択を尋ねたら、いったい、どちらをお選びになるでしょうか?
もしも私の家族が殺されてしまったならば、迷うことなく、「後者の方法によって、今後の生涯をかけて、充分に、嫌と言うほど罪を償ってほしい。あっさり死んでしまって楽になるなんて、許さんゾ!」と怒ることでしょう(笑)。死刑肯定論者は、「殺人者を死刑にしないなんて、甘すぎる」と憤慨なさるかもしれませんが、私に言わせれば、「殺人者をあっさり死刑にしてしまうなんて、甘すぎる」のです。
いずれにしても、人間の命を、ほかの人間が奪うことは許されません。その意味で、戦争も死刑制度も、私から見ると同じものです。両方とも、あれやこれやと理由をつけながら、人の命を奪う行為を正当化することにすぎないのですから。「戦争は反対だが、死刑制度はやむを得ない」とか、「殺人はいけないことだが、死刑は許される」という日本人が少なくないことが、私には理解できません。いかなる詭弁によって誤魔化そうとも、要するに、「死刑とは、正当化を試みた殺人行為」なのです。
事実、上記の中日新聞の記事でも、坂本弁護士の友人でオウム真理教被害対策弁護団の滝本太郎弁護士は、「岡崎被告がしたことは少しも許されないことだが、麻原被告に利用され、価値観を変えさせられて『子供』になっていた者たちがしたことだと、9回の面会でつくづく感じた。死刑にはしてほしくなかった」と述べています。殺人の罪を絶対に許さないことと、殺人犯を死刑にすることとは、違う種類の問題であることを、坂本弁護士の友人でさえも理解していらっしゃるのです。
人の命を奪った罪は、人の命を救うことによってしか償えません。今後、殺人犯には、生涯、人の命を救う医療・福祉活動に従事させてはいかがでしょうか?
以上、本日は、このホームページ始まって以来の、重い内容になってしまいました。「癒し」を求めて来訪くださった方々、本当に、ごめんなさい。(皆様お忘れのようですが、私の本職は学者なので、その気になれば、重くて硬い話題や、切り合うような議論も、実は大得意なのです)
次回の更新からは、再び、いつもの「おかしなおじさん」に戻りますので、どうぞご安心を。
では、良いお年をお迎えくださいね!!
12月16日版
昨日は、1日で20センチも積もる、大雪(我が家の庭にて観測)。
おかげで、ひどい目にあいました。
朝の9時30分から、宮城県の鹿島台中学校で、全校生徒600名+父兄数百名向けの講演「人生の価値」を依頼されていたのですが、私の当初の計画では、
6:40 起床
7:00 自宅を出発。コンビニで買うオニギリを食べながら、東北自動車道を運転
8:00 東北道から降りて、一般道へ
9:00 鹿島台中学校に到着
というシンプルな行程でした。
2時間の運転など、私にとっては、「ちょっとそこまで」という感覚の、気軽なドライブ。何しろ我が家は、「ちょっと牧場に」と盛岡の小岩井牧場に出かけたり、「ちょっとソバを食べに」と山形に出向いたり、「ちょっと紅葉を見に」と青森県の八甲田山に登ったり、「ちょっと温泉に」と八幡平の後生掛温泉(秋田県)に向かったりする、フットワークの軽い家族ですから。
さすがに、「ちょっとモーニング娘のコンサートに」と、日帰りで島根県の出雲ドームに飛んだ時には、近所の仲良し奥様から「飯田家って、変わってる〜」と言われましたが・・・いずれにしても、講演で日本中を飛びまわっている私から見ると、東北地方内部での移動など、「おお、近くていいぞぉ〜」という感じなのです。
ところが、起床してみると、一面の雪景色。「これはいかん! 2時間では、鹿島台中学校に着けない危険性が高いゾ!」と驚いた私は、あわてて時刻表を取り出し、JRを使って安全策をとることに決めました。それは、
7:55 福島駅を新幹線で出発
8:23 仙台駅に到着、東北本線に乗り換え
8:33 東北本線で仙台駅を出発
9:07 鹿島台駅に到着、徒歩で中学校へ
9:20 鹿島台中学校に到着
9:30 講演開始
という、全く無駄の無い、理想的なスケジュールでもあったのです。
「おお、なんと美しい!」
私は、あまりにも無駄の無い、まるで私のために用意されているかのような素晴らしいスケジュールに、酔いしれました。時刻表ファン&鉄道ファンの私にとって、これほど接続がうまくいく行程というのは、まさに「芸術」と呼べる美しさなのです。それに、前夜、なんだかんだで2時間ほどしか睡眠をとることができなかった私にとって、肉体の疲労を最低限に留めてくれる、理想的な行程でもありました。
ところが・・・
ゆっくりとモーニングコーヒーを飲んでから7時に家を出て、7時半に福島駅に到着し、切符売り場に向かっていた私の携帯電話がプルプル鳴ったかと思うと、「ねえねえ、今、テレビのニュースで見たんじゃけど、新幹線も東北本線も、大雪でマヒしとるんじゃと! 間に合わんかもしれんよ、どうするん?」(広島弁)と、妻の声が・・・
その後のことは、思い出したくもありません。ゆっくりと座って寝ながら移動するはずが、かなり遅れて到着した満員の新幹線の通路にスシ詰めになり(当然ながら、駅で買ったお弁当を食べることなど不可能)、仙台駅でも延々と待った末に、ようやく9時すぎに東北本線が発車。しかも、当初のイメージでは、ガラ空きの車両でのんびりと田舎の風景を満喫しながら移動するはずだったのですが、この車両も、時ならぬ満員御礼。またもやスシ詰め状態で、2時間しか睡眠をとっていない私は、虫の息で吊り革につかまっておりました。
結局、鹿島台駅に電車が到着したのは、9時40分。なんと、すでに講演時刻を10分も過ぎているではありませんか!
降りしきる大雪の中、必死の思いで鹿島台中学校にたどり着いた時には、もはや9時50分。
私は、校長室に駆け込むやいなや、校長先生に向かって、「遅れてしまって、申し訳ありません! すぐに体育館に向かいましょう!」と、叫んでおりました。
ところが・・・いかにも善良そうな校長先生は、あせりまくる私に、かくのごとき優雅なセリフをおっしゃったのです。
「まあまあ、飯田先生、落ち着いて、まずはお茶でも一杯どうぞ。」
「?!?!?!」
お、お茶など飲んでいる場合ではありません。すでに講演開始時刻を、20分も過ぎているのです。私は、「い、いえ、お茶は結構ですから、すぐに講演を開始させていただきます!」と訴えました。
しかし、人の良さそうな校長先生は、さらに輪をかけて、
「まあまあ、このドラ焼きでも食べて、一服なさってください。これは、当地の名物のドラ焼きでして・・・」
と、のたまわれるではありませんか!
思わず耳を疑い、「こ、校長先生、今は、のんきにドラ焼きなど食べている場合じゃありませんよ!」と絶叫したかった私ですが、そこは見かけによらず小心者である悲しさで、つい、「は、はあ、それでは・・・」と、やむを得ず大急ぎでドラ焼きを口に押し込み、お茶を一気に飲みほしてしまいました。何しろ、私がそうでもしない限り、校長先生は腰を上げようとなさらないのです。
「ごちそう様です! では、体育館に向かいましょう!」
私は、ドラ焼きでつかえた胸を、白目をむいてさすりながら、涙ながらに訴えました。
すると、こともあろうに校長先生は、
「おっと、少々お待ちください。私、ちょっとトイレに行って参りますので・・・」
「!!!」
・・・というわけで、校長先生のご案内で、めでたく体育館に入ることができたのは、もはや10時のことでした。講演の終了時刻は11時ですから、もう、あと60分しか残っていません。そこで私は、校長先生に、「講師紹介は最低限でよろしいですから、すぐに講演を始めさせてください!」とお願いしました。「はいはい、承知しました」と、校長先生。
しかし、生真面目で善良な校長先生は、壇上にあがって、延々と、熱弁をふるってくださったのでした・・・
結局、大幅に時間が減ってしまいましたが、何とか講演を無理やりにまとめて、生徒会長さんのご挨拶をいただき、壇上から降りた私は、ほっと安堵の息をつきました。とにかく、限られた時間の中で、精一杯、自分にできるだけのことはしたからです。
ただし、吐く息も真っ白な、凍てつく寒さの中で講演したため、自宅に帰ると、すっかり風邪をひいてしまっていることを発見。きっと、講演を聴いてくださった中学生諸君や親御さんたちの中にも、大風邪をひいてしまわれた方々が、たくさんいらっしゃることでしょう。お互いに、本当にご苦労様でした。(あの寒気の中、早朝から人生論の話など聞かされた生徒諸君は、本当にお気の毒でした。どうもすみません。)
その後、自宅に帰りつくのも本当に大変でしたが、もう私には、語る気力もありません。
しかも、やっとの思いで帰宅した私を待っていたのは、「お帰りなさ〜い! ねぇねぇ、今日、お仕事から帰ってきたら、『とっとこハム太郎』の映画に連れて行ってくれる約束だよね」と、飛びついてくる娘の姿・・・・・・そういえば、一昨日、うっかり、そんな約束をしてしまっていたような気がします。
ちなみに、娘との約束は、何があっても守るのが私の主義です。親が約束を守ってこそ、子供に対しても、「約束は守りなさい」と厳しくしつけることができるのですから、まずは親が手本を示さなければ。
というわけで、約束どおりに、戻ってきたばかりの車に娘を乗せ、ヘトヘトになりながら、息も絶え絶えで映画館に向かった私でした。 とほほ・・・
さて、今年も、あと2週間ですね。
今度の週末は、名古屋の*城病院で、病院スタッフ向けの講演を行い、翌日は郡山市に移動して、*志高等学校で学生向けの講演(授業の一環とのこと)を依頼されています。年内の講演会は、あと、この2回のみを残すところとなりました。もうひとがんばりです。ふう。
PS.今夜、ある学校の先生から、こんなメールが届いておりました。
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777777番をゲットしようとしましたが、1番違いでゲットできませんでした。
直前では、ワンクリックごとにアクセス数が数番ずつ増加したので、同じこと
を考えた人が多数おられたようです。それにしても、残念でした。
今年も、多方面のご活躍、ご苦労様でした。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
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う〜む。
おそらく今度は、「888888」というめでたい数字でも、マニアックなバトルが繰り広げられるのでしょうか?
とにかく、なんとも、ご苦労様です。このホームページを、こうして皆様が大いに楽しんでくださることは、本当に、ありがたいことです。
今も、窓の外は、視界数メートルの大雪。
昨日からの睡眠不足に、無理をした疲労と風邪薬の効果があいまって、猛烈な睡魔が襲ってきましたので、今夜はこれにて。
おやすみなさい・・・
明日は、きっと、自宅周辺の「雪かき」が大変そうです・・・
12月10日版
ただ今、おかしなウイルスにやられてしまい、メイン・パソコンがダウンしております。
数日前、悪質なウイルスが流行っているとの噂を聞き、友人お勧めの「ウイルスバスター」最新版を買いに行ったものの、福島では5軒のパソコンショップが、みんな在庫切れ。「入荷日未定」とのことで、「まあ、何とかなるさ」と楽観していましたところ、その翌日に感染してしまいました。旧式のウイルス駆除ソフトは入れていたのですが、ソフトが古く、ウイルス定義も半年以上に渡って更新し忘れていたのです。そんな時に、久しぶりに届いた知人からの添付ファイルを、疑うことなく開いてしまったところ、パソコンに奇妙な症状が・・・
あわてて「ノートン・アンチウイルス」(これはどの店にも多数の在庫あり)を導入しましたが、時すでに遅し。ウイルスを除去しようと、素人考えでプログラムファイルをあちこちいじったのが裏目に出て、おかしなエラーがいくつも出るようになってしまいました。おしまいには、奇妙なブルーの画面が出て、フリーズ状態に・・・とほほ・・・
というわけで、ショックのあまりに、しばらく更新できないでおりました。
こればかりは、ウイルスを送ってきた相手を、責めるわけにはいきません。先方には、まったく悪意がないのですから。
しばらくは、私から添付ファイルが送られても、決して開かないで削除してくださいね。
あまりのダメージに、本日は、これにて失礼。
11月30日版
本日、『絵物語・生きるということ』(PHP)が、無事に発売された模様です!
さっそく、東京で新刊をGETしてくださった女性からメールをいただきましたので、ご紹介しますね。
********************
飯田先生へ
「絵物語 生きるということ」読みました。
もう発売されたかな、と思って、行き着けの紀伊国屋書店に電話したら、今ちょうど
荷をほどいています、ということで、取り置いてもらい、取りに行って、さっき読み
終わりました。
良かったです〜! すごく楽しく読めました。
なんか、先生、どんどん愛が大きくなってますね。読んだあと、心が明るくなります。
シンプルは強いですね。愛はシンプルなものだ、ということでしょうか。
ページ毎の文章と絵がとてもマッチしていて、相乗効果で波動が大きくなってるよう
な感じがします。
素敵なプレゼントありがとうございます。お返しに、わたしもできるだけ愛を持って
生活したいと思います。
最近やっと少しリラックスして、自分を受け入れることができるようになってきまし
た。相変わらず、いばらの道ですが。自分が好きで歩いてるんだからいいや、って。
でも、自分を責めなくなったら、棘はかなり少なくなったような気がします。先生が
よくおっしゃる、Go
your own way.
という意味がわかってきたような感じです。人
からどう見られようと、わたしが歩く道がわたしの人生なんですよね。
明日から師走ですね。文字通り、走り回っていらっしゃる先生ですが、くれぐれもお
体にお気をつけくださいね。
次の新刊も楽しみにしています。
********************
・・・というご感想です。
今回は、絵を題材にしながら私が物語を創作したという、初めての試みだったので、読者の方々の反応を大いに心配していたのですが、とりあえず好評をいただいて、ほっと安堵いたしました。
直前まで、本当に発売できるかどうかわからなかった事情もあり、読者の皆さんには「発売当日のお楽しみ」ということで本日までナイショにしておきましたが、今回の作品は、「絵物語」というタイトルが示すように、世界的に有名なヒーリング・アーティストでいらっしゃる、Chieさんとの共同作品です。まず、Chieさんの作品をたくさん見せていただき、その中から、「生きるということ」というタイトルにふさわしい、「人生」を感じさせる作品を選び出し、私があれこれと並び替えながら、ストーリーを創作していきました。その意味では、私の物語にふさわしい絵を描いていただいたのではなく、まず最初にすでに描かれていた数多くの絵があって、「これらの絵のうち、どれをどう組み合わせて用いながら、どのような物語を創作できるだろうか」、という方法で創り出しました。
したがって、私が最も気にしていたのは、まず先に存在していたChieさんの絵と、私が後から創作した物語が、ぴったりマッチしているかどうかという点でした。制作の過程からして、「作家」としての私の能力は、まさに、その点において確かめられるからです。今回は共同作品であるだけに、私の文章がまずくて失敗したのでは、せっかく貴重な絵をお貸しくださったChieさんに、ご迷惑をおかけしてしまいます。だからこそ、上記のメールの中に、「ページ毎の文章と絵がとてもマッチしていて、相乗効果で波動が大きくなってるような感じがします」という文章があるのを拝読して、本当に嬉しく思いました。
明日からの週末には、ほぼ日本中の書店に行き渡るのではないかと思います。
ついに発売された、私とChieさんとの入魂の力作を、どうぞお楽しみに!!
11月28日版
先日、このホームページで、私が「青年海外協力隊」の訓練所で講演を行うことを公開しましたところ、「COSTA RICA」と海外の地名の入った切手が貼られた、以下のお手紙をいただきました。
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飯田先生
初めてお手紙を書きます。
先生の主な著書は、ほとんど読ませていただいています。
私は、****年*月に、青年海外協力隊の隊員として当地に赴任しました。恥ずかしながら、それまではインターネットを使用しておりませんでしたが、その後は、飯田先生のホームページも、よく見せていただいています。700000人目のバトルにも当地から参加しましたが、700012人目となって敗れ去りました。
今回、手紙を書こうと思い立ったのは、先生が協力隊の訓練所で講演されるという記事を見たことがきっかけです。
私は、19**年*月から**年*月まで、青年海外協力隊の隊員としてニカラグアで働き、****年*月よりパナマで隊員生活を送りました。中小企業診断士の資格を持ち、日本では経営コンサルタントとして働いていましたが、リストラが横行する日本社会に嫌気がさして、協力隊に志願したのです。
今は、****で、先住民の生活改善プロジェクトのグループリーダーとして働いています。先住民の人達は、物質的には貧しいけれど、大自然の中でゆったりと心豊かに暮らしており、私は、「いったい、彼らに、我々の援助(いわば貨幣経済)が必要なんだろうか?」と、悩みながら活動しています。
もちろん、先進国からの援助や、物質的に豊かな生活は、彼ら自身が求めていることなのですが、その弊害(環境破壊や、家族・コミュニティの分裂)が目に付くようになってきており、「自分が行っている援助活動は、彼らの伝統的な生活を破壊しているだけなのではないか」と思う時があります。貨幣経済との接点の少ない先住民には信頼できる人が多いのに、貨幣経済との接触の度合いが高まるにつれ、彼らがどんどん「こすっからい性格」に変わっていくのです。
もちろん、子供たちの60%が栄養失調状態という貧困の国の中では、ある程度の援助は必要だと思いますが、先進国の貨幣経済に触れれば触れるほど、自分たち本来の心豊かな生活を失っていく姿は、まるで戦後の日本が、経済発展に伴って大切なものを失っていった姿を見ているかのようです。
自分自身の活動の中で、こうした心の荒廃のリスクを避ける努力はしているつもりなのですが、全体の流れの中では、ほとんど力を持ちません。また、先住民の多くの人々が、そのことに気づいていません。援助の世界も、援助者、被援助者とも、ドラマで見るように美しいものではありません。たぶん、こうしたドロドロした世界で、自分なりの正しい方向を見つけるように努力するのが、私自身の今生の課題なのでしょうね。
とりとめのない手紙になってしまいましたが、飯田先生のますますの御活躍をお祈りしながら、筆を置きます。
PS. 飯田先生のホームページは、読者のニーズを引き出す工夫があちらこちらにちりばめられており、マーケティング理論でいうところのAIDMAをきちんと踏まえて作られているな、と感心しております。「さすが経営学者!」というところですね。(私も、もともと経営を専門にしているものですから・・・)
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・・・いかがでしょうか?
私自身は、発展途上国に行って援助活動をしたことはありませんので、このお手紙が提起している深い問題について、偉そうにコメントする資格も能力もありません。
しかし、ただひとつ確かに言えるのは、この方がご自身でお気づきになっているように、「ドロドロした現実の中に身を置いてこそ体験できる貴重な学びを、順調に学んでいらっしゃるのだ」ということです。今、そのことを学ぶために、この方のこれまでの全ての人生経験や経歴や人脈が、必要だったのでしょう。そして、この方が学んでいらっしゃる貴重な体験が、今後の人生で、必ず生きてくるに違いありません。この方が今後に果たしていくべき、より大きな使命のために、今、その場所で、必要な学びを積んでいらっしゃるのです。
ちょうど私も、大学内で与えられた重要な責務に追われて、ヘトヘトになって毎日を過ごしておりましたので、いただいたお手紙に、たいへん励まされ、エネルギーをいただきました。この方が地球の裏側で、順調に貴重な学びを積み、使命を果たしていらっしゃるように、私も日本の福島の地で、毎日ヒーヒー言いながらも、私なりの使命を果たしていこうと思います。
遠い海外からお手紙をくださった****さん、本当にありがとうございました!
粉雪の舞う福島から、あなたの学びを応援しています!!
11月16日版
本日は、いくつかご案内をさせていただきます。
(1)私の新刊、11月30日前後に発売決定!
以前から、謎の新刊として、読者の皆様の間で様々な憶測が飛び交っておりました、
『絵物語・生きるということ』(PHPより出版)
が、ついに、11月30日前後(29日〜31日の間)に、書店に並ぶことが決定しました。
この本、私が途中で、「やはり、やめちゃいましょう!」と投げ出すこと数度に渡り、何度も出版中止の危機を迎えたほどの問題作であるため、予定より2ヶ月以上も遅くなってしまいましたが、今度こそ、最終的な決定です。
本来ならば、ここで表紙写真を公開したいところですが、諸事情のため、私の一存で表紙を公開することはできません。表紙をネット上で公開するためには、著作権をめぐる面倒な手続き(私が使用料金を支払わねばならない危険性も)が必要となるからです。
しかし、本書のオビに使用した文章は、本書の中身の一部を引用したものであり、私が著作権を持っておりますので、ここで公開してしまいましょう!
( オビ 表 )
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私が「心」ですって?
光からそう教えられた時に、
初めて私は、自分の正体を知りました。
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( オビ 裏 )
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それは、私が生まれてくる前のことでした。
こちらの世界に生まれてくる、ほんの少し前のこと・・・・・・私がいたのは、ただ愛のみで満たされた、光の世界でした。
そして私も、その光の一部でした。
ある時、まぶしい光が現れて、私に告げてくださいました。
「あなたに、学びのチャンスを与えましょう。さあ、あなたの意思で決めてください。あなたは、学びの世界へと生まれていく、勇気と成長意欲と冒険心をお持ちですか?」
私は、その光をまっすぐに見つめながら、喜びに満ちて答えました。
「はい! どうか私に、学びのチャンスをお与えください!」
(「プロローグ」より)
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・・・いかがですか?
本書は、私の創作による、「人間が生まれる前から、死んだ後まで」を描いた、ドラマティックな物語です。クリスマス・プレゼントにもぴったりの内容で、お子様からお年寄りまで、お気軽に楽しんでいただけるものを目指しました。
また、PHPにご無理をお願いして、定価も1200円と、制作費用からみると格安の価格にしていただきました。その交換条件として、1200円に抑えるために、私の印税(著作権料)は全くいただかないことを申し出ました(2年前の『生きがいの言葉』の時も、そうして価格を抑えたのです)。したがって、本書がいくら売れても、私には1円も入ってきません。本書の1200円という価格は、私から皆様へのクリスマス・プレゼントです。
ついに、あと2週間ほどで店頭に並びます。
どうぞ、お楽しみに!
(2)PHPの内部に、地殻変動発生! 私の今後はいかに?
なんと、これまで私がホームグラウンドとして数々の著書を発表してきたPHP研究所の出版部に、先日、激しい地殻変動が発生した模様!
これまで、私の著書に深い理解を示してくださり、「私の目の黒いうちは、飯田先生のご意向を最大限に尊重しながら、いつまでも、ご著書を世に問わせていただきます」とまで確約くださっていた大恩人、あの「エンマ今井」部長様が、あたかも神隠しにあったかの如く、学芸出版部から突然に姿を消し、私の手の届かぬ彼方へと、召されてしまったのです。
しかも、私に何度も救いの御手を差し出してくださった、あの「観音菩薩の順子嬢」までもが、なぜかご自分の意志でPHPから旅立たれ、あの三蔵法師も目指された天竺(てんじく)に向かって、新たな修業の道へ踏み出されたとのこと。
かくなるうえは、残された「マリオネット大久保」氏も、かねてから念願なさっていたパン屋さん開業への道を選ばれるであろうことは、時間の問題、自明の理。そうなると、PHPにおける私の最後の友人である「セツ子」嬢までもが、地殻変動の波に飲まれ、出版界を襲う大不況のブラックホールへと、吸い込まれてしまうのでしょうか・・・
ああ、諸行無常・・・
人生は、愛する人々との出逢いや別離によって、変化していきます。
これまでの私は、「生きがい論」シリーズの生みの親であるマリオネット氏の激励を受け、その上司でいらっしゃったエンマ様の極めて寛大なご加護のもとで、のびのびと自由に、「商業主義に走らない、納得できる本」を書かせていただいて参りました。これは、文筆家としてみると、破格の待遇であったことは確かなのです。私自身も、その破格の待遇に絶大な恩義を感じて、執筆意欲をかきたてられてきたのです。その意味で、文筆家というものは、「出版社」から本を出すのではなく、「編集者」から本を出すのだと言えるでしょう。
しかし、その大恩人であるエンマ様が神隠しにあった今、正直なところ、私の心は寂しさで満たされ、「今後も、納得のいく格調高い人生論を、書かせていただけるのだろうか」という不安感・絶望感に、さいなまれております。
しかし、PHPは、かつて、納得のいかない製品を発売しようとする幹部社員たちに向かって、「全部捨てい!」と命じた松下幸之助氏(松下電器の創業者)が、社会貢献のために作った出版社。その創業の原点を忘れることなく、今後も過度の商業主義に走らずに、まず「優れた本による社会貢献」を最優先くださるものと、大いに期待いたしております。
さて、文筆家としての私は、これから、どうなってしまうのでしょうか?
私は職業作家ではなく研究者ですから、納得のいかない形で本を出版することは、絶対にあり得ません。
エンマ今井部長様の手厚いご加護のもとで開始した、新たな「人生論シリーズ」は、たった『人生の価値』1冊を残しただけで、このまま断筆してしまうのでしょうか?
そして、今月末に発売する『絵物語・生きるということ』が、私の遺作となってしまうのでしょうか?
今後の更新を、お見逃し無く!
11月6日版
気がつくと、もう今年も、あと2ヶ月を切りました。
あわてて、年末年始の飛行機のチケットを手配した私です。
福島は、今朝は大変な冷え込みだったらしく(私は昼まで寝ていたため体験できませんでしたが)、1階のリビングに降りてみると、我が家の「床暖房」のメイン・スイッチが、半年振りに「ON」になっておりました。これからは、いつ氷点下に下がり、屋外の床暖房装置のパイプが氷結・破損してしまうかわからないので、夜間はずっと、メイン・スイッチを「ON」にして種火(たねび)を灯し、装置を温めておかなければなりません。
来週には、自家用車のタイヤを、スタッドレス・タイヤ(深い溝によって雪をつかむ、冬タイヤ)に交換します。何しろ、いつ、雪が降ってもおかしくない季節になりますから・・・。周囲の山々をめぐる有料道路も、来週末で閉鎖になり、来年のゴールデンウイークまでの長い間、雪で閉ざされます。
もう、すっかり紅葉は終わって、北国の冬は、すぐそこまで来ています。
(1)アメイジング・グレイスのお話
前回の更新で、「アメイジング・グレイス」という歌について触れたところ、「どんな歌なのですか?」というお問い合わせを、いくつもいただきました。そこで、せめて歌詞だけでも、ここでご紹介いたします。
歌詞は、作詞者不明の古い文語調の英語であり、現在では通常用いない単語や言い回しが使われています。(たとえば、現代の口語調の日本語で「みんな集まって」というのを、古い文語調では「もろびとこぞりて」というように)
そして、日本語訳は、私(飯田)による、たいへんいい加減な意訳です。「言語的に正確な翻訳」ではなく、私の生きがい論のエッセンスを加味しながら、「歌詞の本質的なニュアンスを最も良く伝える翻訳」を心がけましたので、受験生諸君は、決して参考にしないでくださいね。
(しかし、「生きた翻訳」というのは、それで良いのではないかと思っています。高校の英語教師であった父からも、いつもそのように教わってきました。皆さんも、各自、ご自由に、「自分なりの翻訳」を行ってみてください)
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AMAZING GRACE
(至高の愛、無上の喜び、究極の幸せ、あまりにも素晴らしいもの = 「神様」の意?)
Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wreck like me
I once was lost but now I’m found
Was blind but now I see
ああ、神様
あなたの御名前を口にすると、私の心は安らぎで満たされる
このような私でさえも、あなたは救ってくださった
あれほど罪深かったこの私が、今ではあなたの存在を感じることができる
これまで閉じられていた私の目も、今では真実が見えるようになった
Twas grace that taught my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed
ああ、神様
あなたは私に、畏れ敬うことの大切さを教えてくださった
そして同時に、私を全ての恐れから解放してくださった
はじめてあなたを信じたその瞬間に
あなたは至高の愛で私を包んでくださった
Through many danger, toils and snares
I have already come
Tis grace have brought me safe thus far
And grace will lead me home
ああ、神様
私はこれまで、数え切れないほど傷つき、苦しみ、迷ってきた
しかし、だからこそ、今は確かに、あなたを信じることができる
これから、どのような試練が待ち構えていようとも
私は必ず、あなたのもとへたどり着いてみせる
日本語訳: 飯田史彦
(訳者である私の名前を明記くだされば、転載・引用・紹介はご自由です)
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なお、「どうせならメロディーも知りたい」という、欲張りな方は・・・
私は、賛美歌を含めて何種類もの「アメイジング・グレイス」のCDを持っていますが、日本でいちばん入手しやすいものとしては、日本人歌手の「白鳥英美子(しらとり えみこ)」さん(昔、「トワ・エ・モア」というコーラス・グループを組んで有名になった女性で、現在でも、歌唱力では日本を代表するトップ・アーティストです)が歌ったCDがお勧めです。1988年にシングルCDとしてヒットしましたが、現在でも、少なくともアルバムに収録されて発売されているはず。CDショップに行って彼女の名前で探してみるか、インターネット上のCDショップで検索してみてください。一度お聞きくださったならば、間違いなく、あなたの宝物になるはずです。
(2)吹田市での講演会に関する続報のお話
10月15日版の更新で告知し、27日版の更新で定員一杯のため削除した、大阪府吹田市での一般公開可能な講演会について、本日、関係者の方から、次のメールをいただきました。
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飯田先生
いよいよご講演の日が迫って来ましたが、ご体調の方は如何でしょうか?
すぐに定員に達し、申し込みは締め切りました。
申し込みの葉書の中には、非常に丁寧なものが多く、「立ち見席でもいい」とか、「先生の本を全部読んだので是非」とか、「どうしてもお会いしなければならない」といったものから、「夢のようだ」、「ずっと講演会のチャンスを探していた」といったものまで様々で、若者代表の受験生や、千葉・東京からおいでくださる方々も。
先生のご講演にたいする期待の大きさに、私どもの役目の重大なことを、改めてかみしめております。
会員一同、至らない点がいろいろとあると思いますが、一生懸命つとめますので、どうぞよろしくお願い申しあげます。
では、当日には、会場にてお待ち申しあげております。
お気をつけておこしくださいませ。
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ちょうどタイミング良くこのHPを開いて、定員締め切りに間に合った皆様、もう少しで、お会いできますね!
今後も、こまめにこのHPを開いて、「今週のメッセージ」や「今後の動向」のページを確認すれば、あっと驚く情報に出会えるかもしれません。(その証拠に、今夜だって、「今後の動向」のページを、こっそり更新してるんですよ・・・フフフ・・・)
(3)今月の「イ」さんのお話
10月11日版で、当時最新のお手紙をご紹介して以来、韓国の刑務所で服役中の「イ」さんの人気が、ブレイクしているようです。お手紙をご紹介するのは、あの1回だけにしようと思っておりましたが、またまた先日、素敵なお手紙が届きましたので、全国、いや全世界の「イ」さん応援団の方々のために、その一部をそのままご紹介いたしましょう。
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飯田先生へ
紅葉が 美しい 季節に なりました。
その 間も お元気ですか。
私も おかげさまで 元気で 過ごしています。
手紙と新聞 ありがとうございました。
心から 感謝しています。
再び けんかを しないで まじめに 生活して 日本語 勉強も 熱心に しています。
ひとつの 過ちが こんなに 辛いと 今度 痛切に 感じました。
肉体的は あまり 辛くないですが 自由がなくて 会いたい人とも 会えないで 知り合いの人が すこしずつ 私を忘れるのが 悲しいです。
人生は うれしく楽しい 時より 悲しく きびしい 時が もっと たくさんのようです。それで 人生は もっと暮らす意味があって 価値があるのかも 知りません。
今は 辛く きびしいですが 我慢して 忍耐します。
冬に 木が 死ぬように 見えても 春になると 芽を 吹いて 若芽が 出るように 必ず 良い時が 来るのを 信じて 毎日を 熱心に 暮らします。
なによりも 大切な ものは 私 自身を 愛して 自暴自棄 しないのが 大事だと 思います。
再び 罪を 犯さないで 一獲千金主義を 捨てて 小さいものにも 嬉しく 満足しながら 汗を 流れて 誠実に 新たな 人生を 暮らすように します。
飯田先生と 知り合って もう 二年が 過ぎました。
初めは 好奇心と 勉強の ために 手紙を 書きましたが もう たくさんの月が 流れて 勉強にも 役に立って 勇気と 希望が できました。
時々 先生の 家族写真を 見ていると 私も 知らずに 暮らしの 意欲が 出てきます。 私も いつかは 家庭を もって 幸福に 生きたいです。 (飯田注:
今年の正月に、私の家族全員が写っている、親族用の年賀状を差し上げました)
朝夕には 風が 冷たいです。
お体を 大切に なさって ください。
また お便り いたします。
01.10.24 韓国の イ より
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・・・イさん、少しずつですが、確実に、日本語が上達なさっていますよね。凄いです。
「なによりも 大切な ものは 私 自身を 愛して 自暴自棄 しないのが 大事だと 思います」という、イさんの「気づき」が嬉しくて、私は思わずニッコリしていました。日本の新聞と一緒にお送りした、私の著書『愛の論理』が、イさんの心に、届いてくれたのでしょう。
「一獲千金主義を 捨てて」という文章から推察すると、お金をめぐる罪を犯されたのかもしれません(なぜ刑務所に入っていらっしゃるのかについては、私は何ひとつ尋ねたことがありません)。「小さいものにも 嬉しく 満足しながら」という言葉には、彼(彼女?)が、刑務所の中で悟った大切なものが込められています。
しかし、一方で、「会いたい人とも 会えないで 知り合いの人が すこしずつ 私を忘れるのが 悲しいです」という言葉を読んだ瞬間、私は、胸がキュ〜ッと締めつけられるような痛みを感じました。
たとえ、苦手な人や嫌いな人が混じっているとしても、「多くの人々に囲まれながら、にぎやかに暮らすことができる」という身分が、いかに幸せな境遇なのかということを、私たちは噛み締めるべきなのでしょう。いわば「人づきあい」を職業とする私は、大勢の人々との接触に疲れて、「ああ、一人ぼっちになりたい」と願うこともしばしばなのですが、そう願ってしまうことの傲慢さを、イさんが教えてくださったような気がします。
これからも、少なくとも私は、イさんの良き友人(とはいっても、年齢も尋ねたことがないのですが)でいて差し上げたいと、思いを新たにした次第です。
このホームページの読者の中に、もしも、「私で良ければ、イさんを大いに激励してあげたい」と思う方がいらっしゃいましたら、イさんあてのお手紙を、べつの封筒に入れて、私の研究室までお送りください。今度、私がイさんにお手紙をお送りする際に、同封させていただきます。「去っていく人もいれば、新たに出会える人もいる。人生、捨てたもんじゃない」ということを、イさんに知らせて差し上げたいのです。彼(彼女?)のことは、「イさん」と呼んでくだされば結構です。あなたのお名前は、本名でもペンネームでもご自由ですが、住所や連絡先は、一切書かないでくださいね。1回きりのお手紙のつもりで、お書きください。
(ただし、イさんあてのお手紙には、封はしないでくださいね。一応、私が文面を拝読して、常軌を逸した内容ではないかどうかを、確認させていただきます。いずれにしても、韓国の刑務所の係官が、郵便物は全て開封して、文章の内容まで調べたうえで本人に渡すはずですから、常識的な内容・文章に留めてくださいますようお願いいたします。当然ながら、金品の受け渡しはいたしませんので、お手紙だけにしてください)
・・・今夜は、雨が窓を叩いています。
雨の中の散歩が大好きな私には、ぴったりの夜。
では、傘を差して、深夜の散歩に、行ってきま〜す!
(え? どこまで行くのか、ですって? ・・・お察しの通り、コンビニですよ、コンビニ。 何しろ、深夜の町並みの中で、砂漠のオアシスのように光っていますから、ついつい吸い寄せられてしまうんです。 どうも風情が無くて、ごめんなさい)
10月27日版
まずは、お知らせです。
10月15日の更新でお知らせした、大阪府吹田市での一般公開可能な講演会の件ですが、このホームページで公開してすぐに定員一杯になってしまいましたので、ご案内を削除させていただきました。
また、19日の更新でご紹介した、「あだたら山」中腹の海外青年協力隊訓練所における福島県庁主催の講演会も、東京・新潟・山形方面など遠方からの参加希望者が多く、その後すぐに定員を突破しそうな勢いになったため、県庁の担当者の方が、あわてて定員を2倍に増やしてくださったそうです。
誠にありがたいことではありますが、「やはり、このホームページで公開してしまうと、こういう結果になってしまうのか・・・」ということがわかり、複雑な心境です。なぜなら、両方とも、本来は私の読者の方々向けの講演会ではなく、別の目的を持った(別の層の参加者を狙って企画された)講演会だからです。結局のところ、「このホームページでは、講演会の情報は安易に公開しない方が望ましい」ということが、はからずも明らかになってしまいました・・・
とはいえ、もちろん、参加をお申し込みくださった皆様には、心から感謝申し上げます。当日お会いできますことを、楽しみにいたしております。
さて、本日のメインテーマに移りましょう。
前回、21日の更新の末尾に、「あと3時間ほど寝たら、末期ガンの患者さんのお見舞いです」と書いておきましたが、実は、私がお見舞いしたあと、まもなく意識を失われ、そのまま、光の世界へと先立たれました。私よりも少々年上の女性で、お医者さんをなさっていました。以下、お名前は伏せて、「**先生」と記しながらお話を進めます。
**空港から車を飛ばして、入院先の病院に駆けつける間にも、ご主人から「先生、あとどのくらいで着かれますか?」と緊迫した電話があり、事態が急を告げていることを知りました。病院に着き、病室を探して駆けつけると、ご主人が病室の前の廊下に出て、今か今かと、私の到着をお待ちくださっていました。
病室に入ると、お子様やご両親に囲まれて、**先生がベッドに横になっていらっしゃいました。ほんの2ヶ月前にお見舞いした時に比べて、ずいぶんやせられて、小さくなられたように感じました。「間に合いました! この子は、飯田先生が来られるまではと、頑張って待っていたんですよ」と、お母様が涙ながらにお迎えくださいました。
私がベッドの脇のイスに座り、**先生の手を握って差し上げると、お母様が、「**子、飯田先生よ! **子!」と、大きな声で伝えてくださいました。その瞬間、それまでは閉じられていた**先生のまぶたが数ミリほどはっきりと開き、私の顔を確かめるように見つめてくださったかと思うと、握っていた手にわずかな力が入りました。私は、「おお! まだ声も聞こえて、目も見え、手の触感も残っていらっしゃる・・・間に合って、本当に良かった!」と、心の中で喜びました。そして、必死に声を出そうとなさる**先生の耳に向かって、「大丈夫、口に出さなくても、思っていらっしゃることは全て伝わってきますからね・・・口に出さなくても結構ですよ・・・**先生のお気持ちは、よ〜く伝わってきますよ」と語りかけ、にっこりと笑いながら何度も何度もうなづいて、握っている手に力を込めました。すると、**先生は、安心なさったように目を閉じられ、体の力を抜かれました。
その時、私の心に、**先生の声が、はっきりと聞こえてきました。
「飯田先生、私の大好きな、あの歌・・・アメイジング・グレイスを歌ってください」
そういえば、**先生は、かつてお電話で激励した際に、「私、アメイジング・グレイスが大好きで、いつもお風呂で歌ってるんです」とおっしゃっていました。ところが、私は、あの有名な「アメイジング・グレイス」(イギリスの伝統的唱歌)の歌詞を、半分くらいしか覚えていません(しかも、うろ覚え)。
しかし、ここは何とかして歌って差し上げるしかありません。私は、歌詞のわからない部分は適当にハミングなどを織り交ぜながら、全曲を3回繰り返して歌って差し上げました。1回目は、涙で何度も声がつまってしまい、旋律になりませんでしたが、「こんなことではいけない・・・しっかりと歌って差し上げねば」と気合いを入れ、2回目で何とか持ち直し、3回目には、廊下にも響き渡るほどの大きな声で歌うことができました。
それからは、
「**先生、よくがんばられましたね・・・もう、なんにも心配いりませんよ・・・光がお迎えにきてくれますからね・・・なんにも心配しないで、安心していてくださいね・・・また必ず会えますから、一足お先にお帰りになって、また会う日まで、ひと休みしていてくださいね・・・いずれまた、必ず会いに行きますからね・・・いつも、**先生と、つながっていますからね・・・なんにも心配しないで、安心しきって、ゆっくりお休みくださいね・・・」
と、何度も何度も口に出して繰り返しながら、**先生の髪、頭、顔、頬、首、肩、手、背中、(女性の場合、胸は一応遠慮します)、お腹、腰、お尻(女性の場合でも、一定年齢以上であれば、お尻も遠慮しません)、足、足首から足の裏、つま先までを、時間をかけて何度も行ったりきたりしながら、手のひらに精一杯の祈りの念を込めて、優しくなでて差し上げました。
やがて、苦しそうだった**先生の表情が、しだいに安らかになっていき、呼吸も穏やかになってきたのを確認すると、今度は片手で**先生の片手をしっかりと力を込めて握り締め、もう片方の手で、頭・頬・首を、何度も何度もさすって差し上げ、
「**先生、それじゃ、またね・・・また会いましょうね・・・」
と言いながら、後ろ髪引かれる思いで、手を離しました。**先生は、すっかり安らかな表情になられて、静かに、かすかな息だけをなさっていました。
涙ながらに見ていらっしゃったご家族にご挨拶をして、病院をあとにした数時間後、関係者の方から、「先ほど、**先生が他界されました」というご連絡のお電話が入りました。私が病院をあとにして、まもなく意識を失われ、そのまま眠るように先立たれたとのことでした。
あとで関係者の方からおうかがいした話によると、ご主人は、激痛に苦しむ奥様に鎮静剤(苦痛から解放される代わりに意識を失います)を注射しようとする主治医さんに対して、「妻がお会いするのを心待ちにしている飯田先生が到着されるまで、何とか、鎮静剤は打たないでやってください」とお願いし、**先生の意識を保ってくださっていたのだそうです。私が病室に到着するまでの間、ご主人は、「早く妻に鎮静剤を打って、たとえ意識がなくなっても、激痛から解放してやりたい」という願いと、「飯田先生との面会を心待ちにしていた妻の願いを叶えるために、たとえ苦しんでいても、意識を残しておいてやりたい」という思いとの間で、本当に悩み、苦しまれたことでしょう。それでも、目の前で痛みをこらえる妻の姿に耐えながら、「飯田先生が来るまでは・・・」という妻の願いを叶える方を優先なさったところに、ご主人の深い深い愛情を感じて、もらい泣きしてしまいました。
そのような、ご主人の、愛情に満ちた苦渋のご判断のおかげで、私は、意識のある**先生と、「直接に面会」し、「肉体を使った最後のコミュニケーション」を行うことができたのです。もしも、ご主人が妻(**先生)の苦しむ姿に耐え切れず、鎮静剤の注射を許可なさったならば、その後に到着した私は、「残念ですが、すでに意識は失いました」というご報告を受け、「ああ、間に合わなかった・・・」という後悔の念にとらわれたことでしょう。
**先生は、聡明な美人で、とっても優しいお方でした。患者さんに対するケアについても、しばしば、真剣なご質問をくださいました。その**先生ご自身がガンに冒され、たび重なる手術にもかかわらず腹部全体に転移していることが判明した時、私に対して、次のメールをくださいました。
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飯田先生
前回お見舞いくださった*月*日には、不思議に痛みも出ずに幸せな時間を過ごすことができましたが、その後、坂道をころげ落ちるように諸症状が出て、**病院では手の施しようがないといわれ、今は****で自己免疫強化の治療を受けています。先日も**病院に急患入院して****の手術を受けました。新たに***に腫瘍が出現しての諸症状ですが、まだ痛みのコントロールも十分でなく、時々胴体をすりながら低空飛行で飛んでいるような有様です。
それでも、不思議なことにその時々の手術や処置の結果はうまくいっており、まだ最後の一線を越えないよう何者かに守られているのだろうかという気がしています。
しかし、毎日の苦痛には、さすがに弱気になることがあります。
私の今受けている苦しみは、私が今まで深く思いやらずにきた、多くの患者さん達の苦しみを実体験して、医師としてもう少し謙虚さを理解させ、慈愛の心を深めさせようとするためのものなのでしょうか?
お忙しい先生に些細な私事でお手間をかけてはいけないと思いながら、とうとうお邪魔してしまいました。
すぐでなくて結構です。楽しみに、先生のメールをお待ちしています。どうぞ、ご無理なさいませんように。
先生のご健康とご活躍をいつも念じています。
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そこで私は、すぐに、次のメールをお返ししました。色々なことを総合的に判断し、熟慮に熟慮を重ねた結果の、一字一句を練りに練ったメールでした。どの語句にも(行間の取り方にさえも)、深い意味がこもっています。
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**先生へ
メールありがとうございます!
現在、**先生が直面していらっしゃる苦しみは、決して、先生の過去の行いが悪いための報いなどではありません。先生は、何の罰を受けていらっしゃるわけでもありませんし、何かに失敗したから病気になったわけでもありません。その点は、どうぞ誤解なさらないでくださいね。
そうではなく、**先生は、今回の人生を計画する際に、「難病に冒されて苦しむことによって、人生や生命というものに対する思索を、高度に深める」という、大きなチャレンジをお選びになったのです。このチャレンジは、どの魂も、必ず、どこかの人生で自らに課さなければならない必須課題です。誰もが、いつかは必ず体験しなければならないものであり、**先生の場合には、今回の人生で、その課題に挑戦することになさったのだというわけです。
しかし、私には、もう、ここまで頑張ってこられた**先生に対して、「その激痛を通じて学んでください」などとは、とても申せません。もう、**先生は、十分に学ばれました。あとは、ただ、**先生の、今回の人生に対するご意志次第だと思います。
**先生が、「私はまだまだ、何とか回復して、今回の人生を続けたい。このような身体になった状態でもかまわないから、少しでも長く生きて、人生の学びを積みたい」と希望なさるなら、どうぞ、宇宙に向かって、そのように念じてください。そのような人生も、きちんと用意されています(ただし、決して、楽な生活ではありません)。
一方で、**先生が、「私はもう、今回の人生では十分に学び、自分自身で合格点をつけることができる。したがって、ここは潔くふるさとに帰って一休みしながら、この世に残した家族たちを見守っていきたい。そしてまた、魂にエネルギーを充填したら、愛する者たちのもとへ再び生まれてこよう」と希望なさるなら、どうぞ、宇宙に向かって、そのように念じてください。そうすれば、肉体的な苦しみから、なるべく安楽に解放され、戻るべき光の世界へと旅立つことができるでしょう。そのような道も、確かに用意されています(誰もがみな、いつかは進まねばならない道なのです)。
さて、病気に「立ち向かう」のか、病気を「受け入れる」のか・・・・・・大切なことは、いずれの道をお選びになっても、それは「希望の道」だということです。どちらが良いとか悪いとかいうものではなく、どちらが正解でも間違いでもありません。心に希望の光を念じながら、いずれかの道をお選びになる時が、いま、やってきたのです。
病気に「立ち向かう」決心をされたなら、まだまだ、今回の人生は続くことでしょう。それは決して楽な道ではありませんが、それも**先生のご意志です。それはそれで、茨(いばら)の道を歩むことを選択された**先生を応援するために、また必ず、おうかがいさせていただきます。
しかし、もしも、病気を受け入れ、光の世界に戻る決心をされたなら、どうぞ私にも、すみやかに、その決心をお知らせくださいね。万難を排して、必ず、**先生にお会いするために、飛んでいきますから。
いずれの道も、希望に満ちた光の道です。どうぞ、全身全霊を使って、熟考し、ご自分の意志でお選びになってください。病魔に決めさせるのではなく、ご自分の意志で、ご自分の人生を選択し、宇宙に対して宣言なさることが大切です。そうすれば、これからどのような事態が訪れようとも、「自分が選んだ道」として深く納得しながら、胸を張って対処することができるからです。
**先生、どうぞ、いつまでも、時空を超えて、仲良しのソウルメイトでいてくださいね。私は、いつも、先生と「つながって」います。(今度は、ぜひ、**先生のような素敵な魂と、「家族」として生まれてみたいです)
どうぞ、ご遠慮なく、お気軽にメールしてくださいね。
またお会いしましょう!!
福島大学助教授 飯田史彦
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すると、まもなく**先生からは、「私自身は、飯田先生のご本を読んでいますので、光の世界に戻ることに恐れはありません。しかし、年老いた両親や、家族たちのことを思うと、まだまだ、自分勝手に光の世界に戻るわけにはいかないのです・・・」という主旨の、「伝言」をいただきました。なぜ「伝言」かというと、この時すでに、**先生は、ご自分でメールを打つことのできる状態ではいらっしゃらなかったからです。
人間が、「今回の人生の終わり」を受け入れるためには、個人差はありますが、一定の時間が必要です。
やがて、それから2週間ほどのちに、私は、「飯田先生にお会いしたい」という「伝言」をいただきました。それはつまり、**先生からの、「光の世界へと戻る決心をいたしました」という、深い意味のこもったメッセージでした。この時、ついに**先生は、この世の様々なしがらみを乗り越えて、真に、「人生を自分のものになさった」のです。
そして、私は大急ぎで仕事の都合をつけ、**先生が入院なさっている病院へと飛びました。だからこそ、病室に入り、「間に合いました! この子は、飯田先生が来られるまではと、頑張って待っていたんですよ」と涙されるお母様に対して、私がいちばん最初に申し上げたのは、「**先生とのお約束を果たすために、やって参りました」という言葉だったのです。
今回の更新では、先立った**先生のご意志により、**先生が今回の人生を終えられた経過(つまり私が**先生に対して行わせていただいた言動)について、ご報告いたしました。その理由は、上記の内容を通じて、このホームページの読者の皆様に、「死を目前にする愛する人に対して、何ができるのか」を、お伝えしたいからです。上記の記述をヒントにして、読者の皆様が、それぞれ、「もしも、自分の愛する人が死に直面したら、どのような言動をとれば良いだろうか」と思考を巡らせてくだされば、先立った**先生も、大いにお喜びになることでしょう。それは、いつ、あなたに訪れるかもしれない瞬間なのです。
ただし、上記の私のメールは、**先生のように、「理知的で、しっかりと自己分析のできる方」に対して有効な言葉であり、私が様々な(ここには書けないプライベートな)情報にもとづいて、彼女だけのために考案した「処方箋」です。特に、医者である**先生は、「病気に負けてしまうのは嫌だ」という「勝ち負けの発想」をお持ちであったため、「病魔に決めさせるのではなく、ご自分の意志で、ご自分の人生を選択し、宇宙に対して宣言なさることが大切です」と強調しました。そうすれば、これから自分にどのような事態が訪れようとも、「自分が選んだ道」として深く納得しながら、胸を張って対処することができるからです。彼女が誇り高く人生を終えるためには、「病気に負けたのではなく、自分自身で選び取ったのだ」という意識を持っておくことが、何よりも重要なことでした。
したがって、上記の私のメールを、そのまま他の人に対して用いても、最大の効果は保証できません。たとえば、「感情的で、かつ依存的な人」に対しては、「神様のご意志のままに、すべてを任せておけば良いのですよ。あとは神様が、あなたにとって一番いいようにしてくださいますから」と申し上げる方が、はるかに効果的です。なぜなら、このタイプの人にとって、「熟考しながら自分の意志で人生を選び取る」ことほど苦手なことはないため、かえってストレスを増加させてしまうだけだからです。
このように、重い試練に直面して苦しみ悩む人にとって、「言葉」というのは、たいへん大きな影響を与えるものであるため、相手と状況に応じて適切な処方箋を考案しなければ、逆効果をもたらしてしまう危険性もあります。窮地に陥っている人にかける言葉は、そのまま、「薬」にもなれば「毒」にもなってしまうということを、この数年間で、私は痛感しました。
繰り返しますが、上記の内容は、ある特定個人に決して考案・実践した処方箋であり、決して「万能薬」ではありません。たとえば、私が彼女に歌った「アメイジング・グレイス」が、大嫌いだという患者さんもいらっしゃるでしょう。また、私が彼女の全身をなでて差し上げたのは、私と彼女との間に深い信頼関係が構築されていたからこそ可能な行為であり、そうでなければ、私はただの「患者の体をさわりまくるエッチなおじさん」になってしまいます。
さらに、上記のメールは、**先生に最期の時が迫りつつあり、それをご本人も自覚なさっていることを察したからこそ書けた文章であり、それまでは私も、「大丈夫、きっと良くなりますから、心配いりませんよ!」と激励していたのです。まだまだ回復の見込みも気力も充分にある人に対して、あのメールを出してしまっては、かえって意気消沈させてしまうだけに終わることでしょう。あくまでも、「この御方に対しては、今、どのような言動をとることが最適なのだろうか」という問題意識を忘れずに、相手の立場や気持ちになって処方箋を考えることが大切です。
いずれにしても、上記の内容をもとにしながら、「人生を終える」ということに関する考察を深め、「表面的ではない本質的な癒し」の意味と方法について、自分なりに模索していただけましたら幸いです。
最後に、ちょうど本日、ある末期ガンのお母さんを懸命に看病する中学生の息子さん(お父さんはすでに他界なさっています)からの、「今、僕は母に何ができるのでしょうか?」という真剣なメールに対して、私がお送りしたお返事を転載させていただきます。
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息子さんへ
ご事情、わかりました。ここ数日は無理ですが、何とかして、2〜3週間のうちには、必ずお見舞いにうかがいます。そのように、お母さんに約束してくださって結構です。
いま、息子さんにできることは、「お母さんに心配をかけないこと」です。「たとえお母さんが先立っても、僕は立派な人間になって、しっかりと生きていくから、どうか何も心配しないで安心して」と、言葉と態度を通じて確かに伝えることです。それこそが、今のお母さんに対して可能な、最高の親孝行です。その親孝行をするために、自分が生まれたのだという自覚をしっかり持って、がんばってくださいね。君になら、それができるはずです。
いつも、応援しています。君は一人きりじゃないことを忘れずに、辛いときには、いつでもメールしてくださいね。
福島大学助教授 飯田史彦
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・・・本日は、先立った**先生の「意識」(魂)と一緒に、共同作業で更新しましたので、エネルギッシュな**先生に乗せられて、たいへん熱のこもった大論文になってしまいました。**先生は、「まだまだ書き足りないわ」とおっしゃいながらも、満足そうです。自由自在な身分になった**先生は元気一杯なのですが、まだ肉体を持っている私の方は眠くてたまりませんので、「今夜はこのくらいで解放してくださいよ〜」と、悲鳴をあげつつ**先生に哀願して、ようやくお許しをいただきました。
というわけで、今夜はこれにて。
おやすみなさい・・・
・・・ZZZ・・・
10月21日版
実は私、大いに憤慨しております!
前回の更新で、「卒業アルバムの写真を見ても、ほかの男の子よりもほっそりしている方だったのに」と書いたところ、現在の私の体型をご存知の方々から、「え〜っ! ウソでしょ?? あはは・・・」という嘲笑(としか私には読み取れない)メールを、たくさんいただいたからです。
しかし、冗談ではありません。これは本当に、正確な事実なのです。
皆さんが、あまりにも私の言葉を信じてくださらないので、ついに先ほど、堪忍袋の緒が切れました。そこで、その決定的証拠として、20数年前の卒業アルバムから、思春期時代の私の写真をお見せしてしまいましょう!!
現在、私はプライバシーを守るために、著書で写真は公開していませんが、この頃の写真であれば、今の「39歳のおじさん姿」とはかなり容貌が異なりますので(面影は残っていますが)、ここで公開しても何の心配もないからです。
さあ、これでどうだっ!?

ちゃんと、写真の下に、「飯田史彦」と名前が入っておりますので、穴が開くほどご確認ください。
こう見ると、けっこう凛々しいとは・・・思いませんよね、やっぱり。
今から見ると独特の(奇妙な?)ヘア・スタイルは、私が当時あこがれていた、ビートルズの「マッシュルーム・カット」を、自分なりにアレンジして悦に入っていたものです。地元の高校の英語教師&風紀委員長を担当していた父から、「せめて耳にかからんように切ってくれんと、わしの立場がないけん困るんじゃ」(広島弁)と叱られておりましたが、意に介さないで伸ばしておりました。
ちなみに、身長は173センチで、当時としてはかなり高いほうでした。
(現在の子供たちは、ずいぶん身長が伸びたので、今ならば中くらいですよね)
たいてい、どの学年でも学級委員をやっておりましたので、性格は至って真面目でした。
(そのくせ、フォーク&ロックバンドも組んで、リードギターをやっておりましたが・・・)
では、これで十二分にご満足いただけたと思いますので(?)、本日はこれにて。
今夜は、あと3時間ほど寝たら九州に飛び、末期ガンの患者さんのお見舞いです。
娘が「キティちゃんの人生ゲームしようよ〜」と背後でうるさいので、本日はこれにて。
(最近、娘が「人生ゲーム」にはまっており、毎日のように付き合わされて困っております。何しろ、いったん始めると、ゴールインするまでに、やたら時間のかかるゲームなものですから・・・。ちなみに、先日、「人生って、何のことだか知ってるの?」と娘に尋ねてみたところ、「知らな〜い。お父さんのご本の名前でしょ?」と、迷答が返ってきました。)
10月11日版
お久しぶりです!
本日は、教授会が予想外に早く終わり、わずかに予定外の時間ができたので、こうして久しぶりに更新しています。
(1)『生きがいの創造』のミャンマー語版、現地にて発売開始!
現地にお住まいの日本人ボランティアの方々により、私の『生きがいの創造』のミャンマー語訳の作業が数年がかりで終わり、ついに先日、ミャンマーで発売されました。
これが、全世界待望の(?)、ミャンマー語版の表紙でございます。

常識的に判断すると、一番大きい活字が書名で、その下にある黄色と茶色の文字が著者名だと推察されますが、当然ながら、私にはさっぱり読めません。いったい、右から左に向かって読むのか、左から右に向かって読むのかさえも、見当がつかないのです。
そこで、内容から判断すべく、本書の一番最後に書いた、「生きがいのネットワークにつながってみませんか?」のメッセージ部分を開いてみますと・・・

・・・なるほど、右ページに、数字らしきものが(1)から(5)まで縦に並んでいる具合から判断して、どうやら、ミャンマー語は、左から右へと読むのではないかと思われます。
また、左ページの冒頭にある” ”のような記号で囲まれた部分は、「生きがいのネットワーク」という意味であるに違いありません。しかし、そうすると、表紙にある書名の中には、「生きがい」という単語を示すのであろう同じ文字列らしきものが見当たりませんので、どうやら書名は直訳ではなく、ミャンマー人の方々向けに変更してあるようです。
この推理が当たっているかどうかは不明ですが、おそらく、江戸時代にオランダ語などの辞書を作成した日本人学者たちも、同じように、日本語と外国語とが共通して同じ意味を示すであろう単語の抽出から始めて、手探り状態で翻訳作業を行ったのではないでしょうか?
ミャンマーでの私の著書の評判が、いかなるものなのかはわかりませんが、翻訳くださった方々によると、ミャンマーは敬虔(けいけん)な仏教国なので、何の抵抗もなく受け入れられているとのこと。何しろ、ミャンマーでは、2000部ほど売れればベストセラーなのだそうですが、さて、どうなることでしょう?
(ちなみに、『生きがいの創造』は、日本では、ハードカバー版が約40万部、文庫版が約10万部で、合計50万部ほど、世に出ています。これは正直な実売の数字ですから、出版界の常識である「大幅水増し発表」方式で言えば、PHPのような良心的な出版社で60万部、通常は70〜80万部、出版社によっては100万部に倍増して発表することでしょう。いや、聞くところによると、話題性に頼って瞬発力勝負のタレント本などは、たとえば10万部印刷して5万部しか売れなくても、公称「30万部突破!」などと称して読者の関心をあおるのが常套手段なのだそうです。おそらく、書物に限らず、それが世の中の仕組みというものなのでしょうが・・・)
いずれにしても、私は外国語版の著作権を全て放棄していますので、どの外国語版がいくら売れても著作権料は全くいただけませんから、販売部数の報告も入ってきません。たとえ販売部数は少なかったとしても、「届くべき人のもとへ、きちんと届いてくれること」こそを、祈っております。
(2)今月の「イ」さんのコーナー勃発?!
最近、感じることがあります。
それは、私が新刊『人生の価値』の「おわりに」で紹介した、韓国の「イ」さんが、読者の間で密かな人気者になっているということです。皆さんからいただくお手紙の中にも、「イさんのことは、他人事とは思えません」「イさんに、とても親しみを感じてしまいました」とか、「イさんの大ファンになりました!」などというお言葉が、しばしば見られるのです。自分が日本で密かな人気者になっているとはつゆ知らず、イさんは、今この瞬間にも、異国の地で、反省と成長と準備の日々を送っていらっしゃいます。
そこで、「その後、イさんは、どうしていらっしゃるのでしょうか?」という、読者の皆さんの度重なるご質問にお答えして、イさんから先日届いたお手紙の一部を、差し障りのない範囲内で、ご紹介いたしましょう。
もちろん、文章はそのままです(全く修正しておりません)。
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飯田史彦様
いつの間 蒸し暑い 夏も 去って 風が 涼しい 季節に なりました。
その間も 相変わらず お元気ですか。
私も おかげさまで 元気で 過ごしています。
私は このごろ ちょっと 具合が 悪くて 手紙が 遅れまして どうも 申しわけございません。
事実は 人と 喧嘩をしてしまい 懲罰を 受けて 独房で 入って 手紙が 遅れました。
独房で たくさんの 反省と 後悔を しました。
一度の 過ちが こんなに 辛いとは いまだ 知らないでした。
これからは ぜったい 喧嘩を しないで 誠実に 生活 しようと 思っています。
そして こんな所に 入らないで 熱心に 暮らすようにします。
今 私 精神的で あまり 疲れていって さびしいです。
こんな 時 先生から 返事を 受けたら 勇気と 希望が 生かすようです。
先生は 忙しいですが 返事 受けたら 幸いです。
そして 過ぎた 新聞を 何部 送ってくれれば ありがとうございます。
日本語の 勉強に なります。
先生の 返事を 楽しく 待っています。
気候の 変わり目ですから お体を 大切に なさってください。
さよなら。
01.9.23 イ より
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・・・おやおや、刑務所の中で、誰かとケンカをしてしまい、罰として独房に入れられていたようですね。簡単にはハッピーエンドで終わらないところが、いかにも、「これぞ人生」という感じです。この、優等生に成りきれないところが、また人間らしくて、ますますイさんのファンが増えそうですね。
しかし、このような彼(彼女?)の姿こそ、私たち人間の成長過程の象徴でもあります。反省と挑戦、そして失敗と反省を繰り返しながら、私たちは、その中で少しずつ、学び、成長していくのではないでしょうか。
もちろん、ケンカをしてしまったのは望ましくないことですが、そのようにして、「3歩進んでは2歩下がってしまい、また意を決して3歩進んでは2歩下がってしまう」(私が大好きな、水前寺清子の名曲「365歩のマーチ」ですね!)という日々を繰り返しながら、それでも大局的・長期的には1歩づつ前進していく・・・それは、私たち人間の、健全な成長過程のパターンでもあるといえるでしょう。そう、それでいいのです。「無理に10歩進もうとして、かえって20歩下がってしまう」よりも、「2歩くらいなら下がってもいいから、とりあえず3歩だけ進んでおこう」という方針でいる方が、むしろ確実に進めるというもの。
かく申す私自身も、日々、3歩進んでは2歩下がってしまいながら、なんとか少しずつ前進しています。(え? そんなことを言って、「人生論シリーズ」の執筆が遅れている弁解をするんじゃない、ですって? ドッキリ・・・)
本日は、まだまだお話したいこともあるのですが、これにて余剰時間を使い果たしてしまいました。
かくなるうえは、また次回に!!
10月3日版
皆さん、私は元気にしております!
ただ、大学の後期が始まり、ちょうど学会シーズンでもあって、猛烈に多忙なため、HPを更新する時間が取れないだけなのでござります。
どうぞ、ご安心くださいませ!!
・・・というわけで、
本日は、これにて失礼!!!
9月19日版
この10日間ほど、皆さんご存知の世界的事件の発生があり、私も色々と(なぜか豪雨の原生林に分け入ったり、灯台の断崖にたたずんだり、落石だらけの林道で野生のサルやシカに出会ったり、などと)テンテコ舞いしておりました。
それにしても、私に対して、「このような事件が起こってしまうなんて、やはり神様はいらっしゃらないのでしょうか?」「私たちには、死者の冥福と世界の平和を祈ることしか、できないのでしょうか?」と、お問い合わせのメール&お手紙がずいぶん届いたのには、驚きました。ここで颯爽と、「LOVE & PEACE」とでも掲げて運動を起こせば、格好の良いオピニオン・リーダーにでもなれるかもしれませんが、あいにく私は、ただの田舎教師にすぎず、ジョン・レノンやマザー・テレサのような形で有名になるような能力も意志もありません。
それに、私の著書を愛読くださっている方々には、私が上記のような問いかけに対して、どのようにお答えするだろうかということが、すでにおわかりのはず。
しかし、私の筆力の乏しさゆえ、著書ではきちんとお伝えできなかった方々もいらっしゃるでしょうし、「それでも本人の言葉で聞かせてほしい」とおっしゃる方々もおいででしょうから、とりあえず、以下に要点のみをお答えしておきます。あまり書きすぎてはいけませんから、この言葉の背後にある私の真意を、各自でご推察いただけましたら幸いです。
Q:「このような事件が起こってしまうなんて、やはり神様はいらっしゃらないのでしょうか?」
A:「あなたのように、『このような事件が起こってしまうなんて、やはり神様はいらっしゃらないのでしょうか?』という発想をするということ自体が、あなたが本当は、いわゆる『信仰心』をお持ちではない(神様の存在を信じてはいない)のだということを、如実に示しています。なぜなら、真に『信仰心』をお持ちの方の心には、そのような問題意識が浮かぶはずはなく、逆に、『神様は、このような事件を通じて、私に何を学べとおっしゃっているのだろうか?』と自問するはずだからです。
ただし、私は宗教家ではありませんので、神様の存在を信じなさいと強要するつもりはありません。むしろ、本当に神様がいらっしゃるとすれば、『神の存在を信じたり疑ったりしながら、そのような心の揺らぎを通じて思索を深めるという貴重な学びを積んでいる人間たち』のことを、大いに許し、認めてくださるはずですよ。」
Q:「私たちには、被害者の冥福と世界の平和を祈ることしか、できないのでしょうか?」
A:「今回のようなテロ行為は、人間として行ってはならないことであり、もちろん、被害者の冥福と世界の平和を祈ることは、とても大切なことです。しかし、本当に大切なことは、ただ祈ることではなく、『今回の事件から何を学び、その学びをどのような具体的行動として、日々の各自の生活の中で実践していくのか』ということであるはずです。
たとえば、今回の事件は表面的にはアメリカが被害者になっていますが、一方ではアメリカも同じように一般民衆を巻き込んだ戦争行為を行ったことがあり、現在でも世界の各地で武力を行使していますし、元をたどれば、長年にわたってアメリカが行ってきた外交政策・軍事政策の結果でもありますから、アメリカ側から入ってくる情報・主張のみで被害者・加害者を区別することはできません。同時に、背景には宗教的な根深い敵対関係があり、双方が「これは神のご意志と我々の法のもとに行う聖なる戦いである」と、攻撃や報復行為を正当化し合う面もありますから、単純に善玉・悪玉を判断することもできません。このような事情は、実のところ、私たちが日常的に直面している「人間関係」という試練と、たいへん似ている構造的問題なのです。お互いに、過去の言動が現在の人間関係を構築しており、その根底には、『異なる価値観の人を、どれだけ、どのようにして受容するか』という「相互理解の試練」があるうえ、とりわけ「神」や「法」をめぐる基本的価値観については「どうしても譲れない部分」があるものです。しかも、アメリカが現在抱いている激しい復讐心と報復意志は、私たちがしばしば直面する「自分に対して理不尽な攻撃を仕掛けてくる人に、どのような態度で接するべきか」という、人間の宿業ともいえる難題と共通しています。お互いの間に横たわる「価値観の相違」という本質的命題への対策を真剣に練らなければ、単なる報復合戦となってしまい、傷つけ合うだけの泥沼のような関係に終わることでしょう。
このように分析してみれば、私たちは、今回の事件から学べることを、身の回りの人間関係に置き換えて考え、自分のこととして実践することができるのです。そして、冥福や平和を「祈る」ことだけでなく、このような形で私たちが「学びを日常的に生かし、実践していく」ことこそが、今回の事件の犠牲になられた方々に対する真の追悼(ついとう)になるのではないでしょうか。今回の事件を契機として、平和運動を始めることも大切ですが、必ずしも平和運動でなくても、上記のように他の形で、自分なりに学びを生かしていくことであれば、誰にでもすぐに可能な実践行為だといえるでしょう。つまり、私たちには、冥福と平和を祈ること以外にも、今回の事件を契機として始めなければならないこと、今すぐに始められることが、たくさんあるのです。『自分には何もできない』という、無力感にとらわれる必要はありません。」
・・・それでは、もしも神様がいらっしゃるならば、どうして、今回の事件をはじめとする、数々の悲しい出来事の発生を、阻止してくださらないのでしょうか?
この問いに回答する代わりに、先日、ある大学教官の男性からいただいた、私の『人生の価値』に対するコメントをご紹介しましょう。この大学教官は、私が『人生の価値』において仕掛けた「ある作戦」の狙いを、見事に見抜かれています。そして、もしも神様が実在するならば、私が『人生の価値』において仕掛けたものと同じ狙いの作戦を、すでに太古の昔から、人類に対して「仕掛けて」いらっしゃるはずなのです。
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飯田先生、****大学の****です。ご著書の『人生の価値』は、****大学の****先生とお会いした時に「もう買って読んだ?」と聞かれて、「日本に帰ってから買って読みます」などと返事をして帰国しました。
「うむ、慣れ親しんだ飯田節だなぁ、扱っている事例も見たことあるし・・・」と、すらすら読んでいきましたが、読みすすめてみると、「今度の本では、実に、私も身をもって体験した問題の核心にふれているな!」と、わかってきました。
先生が今までおっしゃってきたこと(以下、飯田理論)は、ぴったりのタイミングで著書を読むか講演を聴いた場合、真に得心の境地に達した人々がたくさんいるわけですが、一方、飯田理論を受け入れられる状態でなかったり下地の無い人々に、この理論をもって助言にあたろうとしても、奇妙に説得力がなくなってしまうのでした。あるいは、先生が著書の中でおっしゃっているように、苦しんでいる当事者の方々には、「面と向かっては、とてもこの理論を伝えられない」と思ってしまうほどの、ひどい苦しみの中にいる人もいます。つまり、死にそうな思いをして苦しんでいる人に対して、「それでも意味があるんだから、良い学びの機会なんですよ」とは、なかなか言い出せないという問題ですね。
私も、大学教官という仕事柄、規模の点では飯田先生ほどではないにしても、人生の深刻な問題の相談を持ちかけられることがあり、そのつど「最近の研究では、人間は生まれる前に人生を計画して・・・云々・・・苦しければ苦しいほど、それほど素晴らしい挑戦者なのだよ・・・云々・・・」などと、自分で理解したなりの飯田理論を助言に変えて、一方的に相手に「与えて」きたのでした。しかし、「このように説明しても、どうも説得力が無いなぁ」という感触を得る時もあり、「まだ、この人に伝えるには、機が熟してなかったのかな」とか、「伝える相手を間違ったかな」などと考えてきたものです。
しかし、『人生の価値』の最後に飯田先生が種明かしをしているように、単に相手に「与え」てもうまく伝わらないような場合には、「当事者本人が」「自分で」「腑に落ちる」ように仕向けていく以外には方法がないのだな、と、今回の著書を読んでみて、わかるようになりました。水泳の仕方をいくら黒板と言葉で説明しても、泳げるようにはならない。英語の文法だけをいくら頭で理解しても、それだけでは英語を使ってコミュニケーションできるようにはならない。つまり、そういうことなのですね。
飯田理論を、悩める人の「頭」「知性」に訴えて理解させるのが第一歩としても、当事者に心の底から「得心」がいかない限り、「興味深い、もうひとつの人生観」に終わってしまうことになりかねません。もちろん、飯田理論で述べておられる、トランスパーソナルな領域での人生のメカニズムというものは、近年、一層しっかりとした裏づけがなされてきて、科学的にも検証され説得力があるものだと思います。簡単に言ってしまえば、もともと人間の良心や感性は「愛」を志向しており、それを実践するために人間として生まれてきた、ということですよね。そうでありながら、それを実践によってテストするために、「そんなこと信じられるか」と思うほどの状況にわざわざ陥るように、人生は何と巧妙に計らわれて(計らわれすぎて)いるのだろうかと、常々思うのです。飯田理論を読むことによって、すぐに「そうなんだよな、これは学びのための試練なんだよね〜」と、誰もが簡単に自分の苦境の意味がわかって納得できてしまうようでは、人生課題としての厳しさが足りないのでしょうね。それでは、あたかも試験でカンニングをしてしまうようなものであって、あくまでも「もう何もかも信じられない」という状態に、本人を(本人が自分で計画してそのような心理状態に自分を追い込むんでしょうけど)陥らせ、そこで心の底からの決断を引き出すように計らわれているわけです。そのため、本人がそれほどの状態に陥っているところに、飯田理論を持ち出してちょっとやそっと「理性」に訴えても、もっと深いレベルから来る疑念には、容易には答えられないのだとわかります。
それほどの状態に陥っている人の、より深いレベルからの疑念に対しては、同じ深さのレベルで説得する必要があります。この点に対処すべく、今回の『人生の価値』の終わり方には「教育的配慮」が行われています。この、「読者本人に考えてもらう」という手法は、手法的に斬新であり、手法としてのブレイクスルーだと言ってもいいですね。「エピローグ」を読んで、「おや」っと思い、考え込んでしまいました。「どうして、あの飯田先生が、『神など存在しない』などとおっしゃっているのだろうか? ふ〜む・・・結局、痛みは当事者が味わうものであり、それを解決するのも当事者であり、心の底からの納得でなければ効果が無いということなのだな」と、私は実感いたしました。ロバを川へ連れて行くこと(飯田理論を教えること)はできるが、ロバに水を飲ませる(心の底から納得させる)ためには、ロバ自身に喉の渇きを味わわせて「水が飲みたい」と思わせなければできない。だからこその、「自分で考えなさい」という教育的配慮だというわけですね。
『人生の価値』を読んで以来、飯田理論を容易には受け入れられない人の相談に乗る時には、「本人が自分で納得するように仕向ける」という方法で助言を考えるようになりました。今回のご著書の「教育的方法論」を、参考にさせていただいています。
さて、いつも先生からいただいてばかりなので、何かお返しをしようと思い立ち、私にできるのは音楽でも聴いていただくことだと考え、CD−Rにジャズピアニストの小曽根真氏のアルバムから選りすぐりの5曲を書き込み、お届けすることにしました。お疲れになった時にでも聞いてくだされば幸いです。
ではまた。何とぞご自愛ください。
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(**先生、どうもありがとうございました。いただいたCD、とってもいいですね!)
・・・というわけです。
『人生の価値』をお読みくださった方々ならば、この鋭いお手紙の意味を、「なるほど」とおわかりいただけますよね。
「もしも神様がいらっしゃるならば、どうして、今回の事件をはじめとする、数々の悲しい出来事の発生を、阻止してくださらないのでしょうか?」というご質問へのお答えに代えて、なぜか、このお手紙をご紹介させていただきました。
では、みなさん、さっそく、今回の事件について深く考え、悩み、苦しみ、絶望し、神様を疑いながら、大いに学んで、その学びを、日々の生活の中で、自分なりに実践していきましょう。私が著書で論証しているように、すべてのことが「つながって」いるのならば、アメリカで起きた事件も、アメリカが行う報復攻撃も、遠く日本に住む私たちの日常生活も、みな根底では「つながって」いるはずだからです。今、私たちに求められているのは、「祈ること」よりも、「考え、学び、自分なりの方法で実践すること」なのではないでしょうか。すべてのことが「つながって」いるのならば、私たちによる「自分なりに形を変えた日常的実践」が、遠くの国々で憎しみ合う人々の心にも、きっと届くことでしょう。
8月31日版
お待たせしました!
久しぶりに、気合の入った更新です。
なぜ、気合が入ったのか・・・
実は、昨日、埼玉県川越市の帯津三敬病院に入院中の、ガン患者さんをお見舞いに行ってきたのです。大阪にお住まいの女性なのですが、3週間ほどの間、この有名な病院に入院なさるというご連絡を、高校生の息子さんからいただきました。親孝行な息子さんに、「お母さんを必ず激励に行きます」と約束していたので、その約束を果たしたというわけです。
ところが、「余命1年」と宣告されたガン患者さんとは思えないほど、お母さんは元気な笑顔で接してくださり、かえって私の方が、エネルギーもいただいて帰ったのでした。予告しないで突然にうかがったのですが、ベッドの枕元には『人生の価値』を常備してくださっていました。私が訪問していることを看護婦さんから伝え聞いた医師の先生方も、驚いて病室においでくださり、私の著書の感想をくださいました。帯津三敬病院の素敵な先生方、急な訪問を喜んで迎えてくださり、どうもありがとうございました。
病院から帰る際に、私の姿が遠くに見えなくなるまで、ずっと見つめてくださっていた、そのガン患者さんの姿が、今でも目に焼きついています。道を曲がって見えなくなる間際に、私が大きく手を振ると、そのお母さんも、ちぎれんばかりに手を振ってくださいました。「離婚した私にとって、子供の成長だけが生きる喜びでした。余命1年の間、息子と、楽しい思い出をたくさん作っておきます・・・先立ったあとにも、いっぱい思い出せるように。 とにかく今は、すべてのことに、感謝、感謝の毎日です」とおっしゃっていたお母さん。親孝行な息子さんと、大好きな温泉旅行にいっぱい行って、素敵な思い出をたくさん作ってくださいね。
私も、今度は大阪までうかがいますから、一緒に思い出を作りましょう。息子さんのことは、私がずっと仲良くして、見守って差し上げますから、どうぞご安心ください。そして、先立たれたあとには、どうぞいつでも、私のもとに遊びにおいでくださいね。息子さんへのメッセージがあれば、きちんとお伝えしますから。
・・・という経緯で、こちらがお見舞いしたはずのガン患者さんから、かえって「生きるエネルギー」をいただいて帰ってきたわけです。つい先日も、ほかのガン患者さんを激励にうかがいましたが、かえってこちらが激励されてしまうことも、しばしばです。「余命が限られている」という極限状況のもとでこそ、その人の生き方、人生観が、あらわになると言えるでしょう。
しかも、福島に戻って研究室に行ってみると、とっても嬉しいお手紙が届いていました。
昨年の初めから、私は、私の本の内容を否定する何人もの唯物論者たちから、攻撃的な手紙をもらい、嫌がらせの大量のFAX、大量のいたずら電話などに苦しめられてきました。中には、はっきりと、私の命を奪うと明言するものも。
そこで、その後の私は、自衛の策として、講演の際にボディガードをお願いしたり、講演の場所・日時をホームページ上で公開するのを中止したりしてきました。私がEメールのアドレスを公開しないのも、公開すると必ず、その種の攻撃的・偏執的な人物たちから、おかしなメールが大量に送られてきて、仕事に大きな支障が出ることが明らかだからです。政治家や芸能人であれば、秘書やマネジャーが対処して、読むべきメールだけを渡してくれるのですが、私には秘書も弟子もいないので、全部自分でやらねばなりません。研究室で郵便物を開封する際にも、手紙以外に何かが入っている場合には、危険なので十分に注意します。そう、まさに、命がけなのです。(手紙以外の怪しげな物を入れると、開封しませんのでご注意ください)
ところが、その種の人物のうちの一人、私がもっとも深く傷つけられていた人物から、こんな手紙が届いていたのです。
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飯田史彦様へ
これまで、先生に対して、ひどい偽善者的な内容の手紙を送りつけてしまいました。
今は、とても反省しています。
そして、世の中のために本当に働いていらっしゃる方の邪魔をすることが、どんなにひどいことか、身と魂をもって、とことん教えられてしまった気がします。
ただ、「ごめんなさい」の一言を伝えたくて、この手紙を書いています。
あんな、ストーカーのようなことをしてしまい、ごめんなさい。
ひどい手紙を、平気で書いてしまっていました。
自分は、あれから、自業自得としか言えない報いを数多く受けて、はじめて悟りました。
本当に、ただ「ごめんなさい」としか言えません。
****より。
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文字は確かに同一人物のものでしたが、消え入りそうな筆致からは、この文章が本当の思いを綴ったものであることが、明らかに伝わってきました。しかも、住所氏名まで、きちんと書いてありました。今はただ、私も、このお手紙を信じたいと思います。
ああ、これほど嬉しく、ありがたいことはありません。
いつかわかってくださると信じて、誠心誠意で頑張ってきて、本当に良かったです。大きな憂いのひとつが、これで消え去りました。
その勢いで、本日は、長い間更新する暇のなかった「今月のお手紙」のページを更新しましたので、どうぞご覧ください。
では、いったん表紙ページに戻って、「今月のお手紙」のページへと、LET’S GO!!
8月27日版
お久しぶりです!
ふう・・・
18日ぶりの更新です。
前回の更新以来、日本各地を愛車オデッセイ(布団と枕が積んであります)で回りながら、神出鬼没講演を行ったり、ガンの患者さんを激励しに行ったり、執筆に没頭したり、親族を訪ねて浮世の義理を果たしたりと、結局はハードな日々を送ってしまいました。何と、愛車の走行距離メーターによれば、18日間で、3900キロを走破! (ちなみに、まだ5年ローンの支払いが1年以上も残っているというのに、愛車の走行距離は10万キロをはるかに超えております。このままでは、ローンを払い終わる前に廃車になってしまうのではないかという、悲惨な予感が・・・)
それにしても、つくづく、「何もしないでのんびりするのが一番のストレスになる」という「ワーカホリック」の病に冒されている自分を、痛感しております。何しろ、寸暇を惜しんで飛び回っている時ほど、幸せを感じてしまうのですから。とにかく、本当に幸せな、充実した夏でした。
というわけで、18日間も福島を留守にしている間に、数え切れないほど(数百通)のメール、FAX、お手紙が溜まってしまっており、とりあえず、ざっと拝読したうえで、仕事上大切な急ぎの返事を書く作業に追われております。本日も、一日中(目覚めたのは昼でしたが)、急ぎのお返事書きに専念しているうちに、日が暮れて深夜を迎えてしまいました。このまま、朝まで突っ走ります。
つきましては、急を要する上記作業が終わり次第、ホームページの更新にかかりますので、もう少々お待ちください。
昨日以来、「HPの更新はまだですか?」という催促のメールがたくさん届いておりますが、どうかご了承くださいませ。
さて、現在、私は、本業である経営学の論文執筆でテンテコ舞い。大学教官としての公務も、一生懸命、がんばりま〜す!
PS. 先日、「飯田先生に弟子入りしたい」と真面目に申し出てくださいました、36歳の男性の方へ・・・私は、徒党を組むのが大の苦手であり、組識を作らずに、「一匹狼」で「孤高の人」になることにあこがれております。したがって、秘書も部下もおらず、「弟子」もとっておりませんので、どうかご容赦くださいませ。
それでも、どうしても私の弟子になりたいとご希望ならば・・・福島大学の門戸は、国立大学として、万人に対して開かれております。「福島大学大学院経済学研究科」(社会人コースもあり)の入試案内を取り寄せ、「希望する指導教官」の欄に「飯田史彦教官」と明記して、受験なさってみてください。めでたく合格なされば、「飯田研究室所属の大学院生」として、公式に、私の愛弟子であることが認められます。ただし、入学後に学ぶのは、人生論ではなく経営学(私が専攻する経営戦略論・人事管理論)ですから、お間違えのないように。私の本業は、あくまでも経営学者ですので・・・
8月1日版
ついに本日、事実上の『人生の価値』発売日です。早い書店では本日中に店頭に並びますし、PHPのホームページでは、表紙写真と内容・目次が公開されました。
そこで・・・「せっかくこれまで我慢して待ったのだから、あと数日、実際に店頭で目にするまでは、何も知りたくない。どうせなら、ワクワクしながらお店に行きたい」とおっしゃる方は、このホームページは、どうか、このまま閉じてください。
一方、「一刻も早く、表紙写真と内容概要を知りたい。もう待てない!」とおっしゃる方は、お店に向かうワクワク感を犠牲にすることを重々ご覚悟のうえで、以下の「?」をクリックしてください。その瞬間、あなたはPHPの注文ページにワープし、店頭で実物を手にする前に、ほんのちょっぴり、近未来を覗くことができます。(なお、写真よりも実物の方がはるかに綺麗ですし、写真では、実物に凝らされている何重もの仕掛けが全くわかりませんので、必ず店頭で確かめてくださいね)
さあ、あなたは、どちらを取りますか?
重々、熟慮なさったうえで、以下の「?」をクリックするかどうかを、お決めくださいね。
フフフ・・・
(おっと、本当に、クリックしてしまっても、いいんですね?
よ〜く考えてくださいよ。うっかりクリックしてしまうと、もう、取り返しはつきませんよ!)
?
7月28日版
何と、またもや、新刊を、発売日の1週間も前に入手した人が、出現しました!
先日の更新で、もしかすると上記のような現象が再び起きる可能性を指摘しておきましたが、またもや同じ結果に!
では、本日届いた、そのレポートメールをお読みください。
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ご無沙汰しております。東京大学で**学を研究しております****でございます。
新著『人生の価値』が無事完成しました事をお祝い申し上げます。いつもホームページを拝見しておりまして、お身体のことを心配しておりましたが、このご様子なら余計なお世話だったのでしょう。
実は、本日(7月28日)午後5時40分頃、神田の「書泉グラ*デ」2階で、その『人生の価値』を入手してしまいました。その近くの古本屋さんで辞書を買おうと出掛けまして、ついでにそちらにも寄ったところ、先生の新著に出会ったのです。
いくら何でも私が入手できるとは思っていませんでしたし、そもそも今日はまだ早いですので全くこのような事態になるとは予想していませんでした。私にはどうしても飯田先生の本が必要なのかも知れないと、つくづく思ったことでした。
それにしても、確かに変わった装丁ですね。手触りも独特です。**に***のタイトル。*く、くっきりとしたサブタイトルと著者名。すっきりとした、いいデザインのカバーだと思います。
でも、何と言っても*が、驚きです。数え切れない程の**を刻んできたであろう**の、**から*を見上げる構図。これまでの水玉や芽吹きのような輝きは抑えてあるのに、やはり命の輝きが感じられるようです。これから、じっくり拝読させて頂きます。
果たして私が一番乗りかどうか分かりませんが、とにかく、ご一報申し上げました。
飯田先生は多くの方々の希望です。どうかお身体に気をつけて、お元気でお過ごし下さいませ。
それでは、失礼いたします。
********************
・・・というわけです。
神田の「書泉グラ*デ」さん、今回もまた、「見本本」の超フライング販売を、やってくださいましたね!
さあ、いよいよ、発売日まで、あと6日!
8月1日に「取次店」に搬入されますので、輸送の早い書店には、到着次第、8月1日の夕方か2日には、並んでいる可能性があります。
皆さん、もうちょっとです!!
7月24日版
ついに、発売日正式決定!
たいへん長らくお待たせいたしました!
「いったいどうなるのか?」と、気をもむご連絡をたくさんいただいておりましたが、ついに、発売日が正式に決定いたしました!
本日、PHPのレディ節子編集員から、このような最終通知が届いたのです。
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前略
新刊「人生の価値」の件、見本は1日遅れになりますが、発売日は、予定通りに8月3日前後(地域・書店により多少の差あり)で、いけるということになりました。
これも、印刷所さんと制作管理部の力です。
スケジュール通りに物事を進めるというのは、実に多くの人々の力にかかっているのだなぁ、と、つくづく感じました。
ご心配をおかけいたしました。
まずは取り急ぎ、FAXまで。
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・・・というわけです。
無理難題を聞き入れてくださった、印刷所さんと制作管理部の皆さん、本当に、ご尽力ありがとうございます。
さあ、いよいよ、発売日まで、あと10日!
今度こそ、間違いありません。
皆さん、どうぞ、指折り数えてお待ちくださいねっ!!
7月22日版
発売日速報! 実は・・・
問題の土曜日、今か今かと待っていると、PHPのレディ節子編集員から、このような通知が届きました。
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前略
新刊「人生の価値」ですが、先ほど再度の色校が出まして、まぁ満足できる色に仕上がりましたので、OKを出しました。
ただ、今回の本に使用しているのは*****ペーパーの一種で、たいへん手のかかるものなのです。発色は良いのですが、本書の場合、普通ならば加工する必要の無い**、*、*ともに加工(この場合は**二度引き)をしなければならないというクセものなので、他の本のように、刷り上ったら即、印刷するというわけにはいきません。
何しろ、カバーは***PP加工をしたうえに****加工をし、**、*、*とも**二度引きなので、乾かす時間も必要になり、今後の日程のほどが予想がつきません。
PHPの希望としては、見本は遅くなってもいいから、取次店への搬入日は今の予定のままで行って欲しいのですが・・・とにかく、本書は手間のかかる加工の集合体なので、印刷所での物理的な作業時間が必要ですし、印刷部数も多いので・・・
いずれにしましても、本日、色校はすべて終了しましたので、あとのことは、月曜日に行われる調整待ちというところです。
まずはとり急ぎFAXまで。
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・・・というわけで、色校の難関は突破したものの、予定の8月3日に店頭に並べることができるかどうかは、月曜日まで不明とのこと。何しろ、本書の装丁には、実に様々な、手のかかる(無駄な?)仕掛けをしてしまったものですから・・・
私のわがままを実現してくださるために、出版部、制作管理部、印刷所、営業の方々に、ここまでご迷惑をおかけしてしまうとは、ひたすら恐縮するばかりです。通常では考えられない破格の待遇をいただき、本当に、ありがとうございます。
あとは、出版に関わってくださった皆様のご尽力にお応えすべく、本書が成功してくれるのを願うばかりです。
とにかく、次回更新、「発売日速報」第2弾を、お待ちください!
7月20日版
大ぴんち到来!
順調だった編集作業に、一転、暗雲が・・・
まもなく午前0時になろうかというその時、わが家のFAX機が突然に不気味な音を立て始めたかと思うと、PHPのレディ節子編集員から、ショッキングな通知が届きました。
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前略
新刊「人生の価値」ですが、*に入れた**が、どうもうまく上がりません。
本日出てきた色校が全然ダメだったので、印刷所にやり直してもらおうと思いましたら、今さらやり直すと、「25日に見本、8月1日に取次店へ搬入、2日〜3日には店頭発売」というスケジュールが、無理になってしまうとのこと・・・
ちょうどエンマ今井大王様が不在でしたので、その上の、さらに偉い御方でいらっしゃる**様に哀願して交渉の場に出ていただき、出版部、制作管理部、印刷所、営業(搬入日が変わると迷惑をかけるため)が、四つどもえになってモメることになりました。
その結果、「とにかく、納得できる*が出なければダメ。通常は**にすることのない*に、本書では特別に**を入れ、そのためならば**が減ってもかまわないとまで希望している著者(飯田先生)のご意志を、尊重すべきである」という方針に落ち着きました。
そこで、とりあえず21日の土曜日に、印刷所に色校のやり直しを出していただき、それでOKならば日程を再度調整し、もしも納得できる色が出なかったら、さらにやり直しを出していただくということになりました。
そのため、もしかすると、8月1日の搬入は不可能になり、発売日が延びてしまうかもしれない情勢です。
本当は8月3日発売を厳守したかったのですが、どうもすみません・・・
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・・・というわけです。
しかし、私のわがままを最高の形で実現してくださるために、出版部、制作管理部、印刷所、営業の方々が、四つどもえになって紛糾したうえ、最もクリエイティブな方向で合意くださるとは・・・・・・私の新刊に、それほどまでに期待くださっているからこその、破格の待遇。通常は、ここまで関係者の方々がご無理なさってまで、1冊の本のためにご尽力くださるなど、あり得ないことでしょう。
何しろ、最悪の場合には、大切な書店や営業関係に多大なご迷惑をおかけする「発売日延期」を覚悟してまで、「細部まで納得のいく本」を創り上げて世に問うべく、皆様がギリギリのところでご努力くださっているのです。「出版」という仕事に命をかけた、何と素晴らしい情熱と使命感をお持ちの方々なのでしょうか。これぞ、出版人の鑑(かがみ)!
ああ、これほど、著者冥利に尽きることはありません。ここまでご尽力いただければ、結果がどうあれ、著者としては、思い残すことは何一つございません。思わず、目頭が熱くなってしまう私です。
さあ、運命の土曜日に、印刷所から届く「再調整版」の出来はいかに?
思わぬ難産となった『人生の価値』の発売日は、再度延期になってしまうのでしょうか?
それとも、何とか、予定の8月3日に間に合うのでしょうか??
次回、「発売日速報」を、お待ちください!!
7月18日版
いやはや、危ないところでした。
PHPから届いた、新刊『人生の価値』の「表紙カバー見本」を眺めていると、どうも違和感が・・・そこで、よく見てみると、英文タイトルが「VALUE
OF THE LIFE」になっているではありませんか。しかし、これまで私は、たとえば「THE
WORTH OF LIVING」(生きがいの本質)など、最初にTHE をつけてきたはず(「生きがいの創造」もそうでした)。その例にならえば、今回の英文タイトルも、「THE
VALUE OF LIFE」になるはず。
一方、前作の『生きがいの催眠療法』では、「DIALOGUE WITH THE LIGHT」(光との対話)と「LIGHT」(光)にTHE
を付けていますが、これは「光」に「人知を超えた偉大な存在」という意味(本来の光の意味とは違うもの)を与えるために、意図的に行った操作なのです。
し、しかし・・・このような時、「VALUE OF THE LIFE」と「THE VALUE OF LIFE」を見比べながら考えすぎると、ついつい「はまって」しまい、「あれ? ホントはどっちの英文が適切なのだろうか???」と、わからなくなってしまうものです。単純に感覚で言えば「THE VALUE OF LIFE」なのですが、じ〜っと見ていると、「VALUE OF THE LIFE」も、「俺の方が正しいんだい!」と、いじけた口調で訴えてきます。しかも、だんだん頭が混乱してきて、「THE VALUE OF THE LIFE」と、語意のうえではTHEが2回付くのが正確ではないか、とさえも思えてきてしまいそうです。
そこで、さっそくPHPのレディ節子編集員にお電話して、「あのぅ・・・PHPの社内に、英語のネイティブ・スピーカーはいらっしゃいませんでしょうか? 実は、表紙カバー見本にあるタイトルの英訳が、どうも違うような気がしまして・・・文法的には、THE VALUE OF LIFE じゃないかという気もするものですから・・・」と、お願いしてみました。
すると、「ちょうど元社員でアメリカ人のネイティブの方が本日おいでになったので、確認してみましたら、やっぱり THE VALUE OF LIFE が正しいとのことでした」とのお返事。・・・いやはや、うっかり見落として、不適切な英文のままで出版してしまうところでした。
かくして、ギリギリのセーフで、デザイナーさんに、あわてて表紙カバーの再作成を依頼したというわけです。
その他、『人生の価値』の製作状況に関する近況を、レディ節子嬢のFAXを通じてご紹介しましょう。
ただし、今回はとにかく「極秘」扱いで編集しておりますため、FAXの文章が、ボカシ(***)ばかりになってしまうことをお許しください。「*」の数は実際の文字数に対応しておりますので、出版界の業界用語、あるいは編集の作業過程をイメージしながらお読みいただければ、ボカシの部分がはっきりと見えてくるかもしれません。
さあ、あなたの推理はいかに???
********************
前略
(1)表紙カバーの****加工済の色校が出てまいりましたので、宅急便でお送りします。用紙ですが、****な用紙は様々あれど、****加工が可能な用紙というのは、「**ても**ない」という要素が重要となります。すると種類が少ないので、そのうち、本書のタイトルに合っているものを選びました。飯田先生のイメージと若干違うかもしれませんが、この装丁は、全く先入観なしでご覧ください。実は、社内ではかなり評判が良いのですが、先生はどう思われますでしょうか?
(2)さて、帯ですが、私は、表1の「********〜」という文章は、ない方がすっきりすると思うのですが・・・。また、色が若干しずんで見えるので、もう少し鮮やかに出るようにいたします。
(3)扉ですが、*****の色がうまく出ていません。もっと良く出してもらおうと思います。また、タイトルの色が目立ちすぎて**の色が活きてこないので、タイトルの色を変えてもらおうと思っています。または、**なしでも良いかとも思いますので、先生のご意見をお待ちしています。
(4)表紙が*なので、ギョッとされるかもしれませんが、カバーが*なので、カバーをかけた時に、そこはかとなく温かさが伝わってくるという絶妙の仕掛けを、デザイナーがしてくれたのではないかと思います。しかし、色は再考します。
ということで、まだ宅急便が届かないうちに、アレコレと申し上げてしまいました。
デザイナーも、「近頃、店頭で、単独で見るとちょっと**かなと思うような***い本が、意外に目立ってるんですよね。そう思っていたところ、ちょうどこの本でその種の依頼が来たので、ヘ〜ッと思ったんですよ」と、本書のデザインをお気に入りでした。私も、エンマ今井大王様も、マリオネット氏も、観音菩薩の順子嬢も、その他の編集者たちも、今回の表紙カバーを見せると「いいね!」と言ってくれますので、あとは飯田先生のご了承さえ得られれば・・・
また、今回の表紙カバーに設けた仕掛けについて、印刷所は、「このように**するには大変な時間がかかるし、こんなに手間をかけたのでは増刷時にもすぐに対応できなくなるし、そのうえ飯田先生の本は大量の部数を刷るため**が減るので****なくてはならないから、ウチとしてはやりたくないんだよ」と、難色を示しました。しかし、その言葉を背中に受けつつも、「今回は飯田先生の強いご要望なのだし、いざとなったら**も自ら負担くださるとまでおっしゃっているのですから」と、強行しました。
まずは取りあえずご連絡まで。
********************
・・・とのことでした。
私の方は、いくつか修正点をお願いしたものの、デザインそのものについては、「これでOK!」とゴーサインを出しました。あとは、デザイナーさんの最終デザインに基づいて、大急ぎで「ハン」を作って印刷し、25日前後には、待望の「見本本」が出来上がるとのこと。
気がつくと、もうすでに18日。
なんと、あと半月ほどで、待望の『人生の価値』が、店頭に並ぶのではありませんか!
過去の経験では、PHPが書店に「見本」として配る本(実物と同じ)を、書店がそのまま店頭に並べて売ってしまうこともあるため、運良く店頭でそれを見つけた人は、発売日の3日〜1週間くらいも前に入手できるようです。(たとえば、このような経緯で、過去に何度も、東京・神田の「書泉グラ*デ」において、発売日よりもかなり前に私の新刊をGETできた読者が・・・え? その、よくフライング販売をする書店の名前を教えてほしいって? いえいえ、残念ながら、その書店の名前は、ここで公開することはできませぬ。公開などしたら、その1冊のために、「正式な発売日まで待てない」という読者が、殺到してしまうではないですか)
それよりも、この種の書店が、あなたのお近くにもあるかもしれませんから、どうぞ探してみてください。大きな書店ほど、「見本本」が配られて、「うっかり事前販売」される可能性があると言えるでしょう。ただし、あくまでも、1つの書店に1冊の見本本しか渡されませんから、「平積み」ではなく「意外なところに棚に立てて」置いてあるので、見逃さないように注意深く観察してください)
それでは、みなさん、どうぞワクワクしながらお待ちくださいね!
7月12日版
60万人目の当選者現る!!
3日ほど前に、このようなお手紙をいただきました。
ご本人の承諾を得て、プライバシー部分を隠してご紹介いたします。
(証拠物件)

(お手紙・・・私が転記する暇がありませんので、実物写真にてご紹介します)


(以下省略)
・・・ということでした。
実は、この方以外にも、「バトルに参戦したけど敗れ去りました(涙)」とおっしゃる方々から、いくつも証拠物件(599999とか、600005などなど)を印字したお手紙をいただきました。どうもありがとうございます!
今回は、私が60万人目プレゼントの公募を行う前に(前回、早朝に更新したその日のうちに)、あっという間に8000前後ものアクセスが殺到して、夕方には600000を超えたようです。私自身、まだ数日後だと思っていたので、その夜にHPを開いて、びっくり仰天しました。さっそく、この男性には、ナイショのメールアドレスをお教えして、新刊『人生の価値』の見本本が出来しだい、お送りするお約束をいたしました。
その後も、「狙っていたのに、自宅に帰ってパソコンを見たら、もう超えていたので驚いた」という、「今回は参戦さえする余裕が無かった」とおっしゃる悔し涙のご連絡が、たくさん届きました。上記のお手紙を見ても、日中であったにもかかわらず、全国(全世界?)で数多くの方々が、バトルに参戦なさっていたようです。この勢いだと、「700000人目」が訪れるのも、この夏のうちですね。どうぞ、またの機会にチャレンジなさってくださいね!
さて、本日は、もうひとつ、PHP研究所のレディ節子編集員から届いた最新のFAXをご紹介して、新刊『人生の価値』の進行状況をご報告いたしましょう!
********************
前略
@ 表紙カバーの色校は、ただ今、印刷所で作業中です。***で、****が*き*た形で見せてもらおうと思っていますので、来週くらいにお見せできるでしょうか。お楽しみに!
A 表紙カバーの**の件ですが、どうやら***いただかなくて済みそうです。増刷分は若干****しますが、**の***なしでいくことができそうです。
B 定価は、本体1*00円(税別)で進めております。
まずは、とりあえずご報告まで。
********************
・・・というわけで、肝心な部分はみな、ボカシ(***)が入ってしまっておりますゆえ、さっぱりわかりませんよね。
たいへん失礼いたしました。
何しろ、今回の表紙カバーをめぐる驚きの詳細については、エンマ今井大王様から「HPの読者の方々にも、絶対にナイショでござるよ!」と、かたく口をふさがれておりますので、さすがの私にも、いつものように「うっかり(?)事前公開してしまう」という勇気が湧いてきません。
8月3日の発売ですから、考えてみると、もう、たったの20日後。
それまでに、表紙カバーのデザインを完成させ、本体と一緒に、初版数万部もの冊数を印刷し、取次店に搬入し、さらに各書店へと届けなければなりません。実際には、あと2週間ほどで印刷まで終えてしまわなければいけないのですが、いったい、大丈夫なのでしょうか??
とにかく、順調に(?)進んでいるらしいので、ご安心くださいね!
何が何でも、8月3日には確実に出版するよう、不眠不休の突貫作業で頑張るそうですので・・・
実際に、連日、深夜12時近くになってPHPに電話しても、元気な声で出てくるレディ節子嬢なのです。しかし、確か、数人の子供をお持ちの主婦でいらっしゃるはず・・・ご家庭は、お子様たちは、いったい、どうなさっているのでしょうか???
このような方々のおかげで、私の本が皆様のもとへ届くのです。
ありがたいことです。
しかし、いつもながら、ああ、編集者稼業、哀れなり・・・
7月6日版
お待たせしました。
なかなか時間が取れず、ようやくの更新です。
まずは、前回に続いて、新刊『人生の価値』の表紙カバー問題の決着について。
実は、私の当初の方針は、「今回の新シリーズは、これまで私の著書を読んでくださらなかった方々や、中高生たちにも、気軽に手にとっていただきたい」という願いから、「内容は真面目な人生論であっても、外見(装丁)は、できるだけ柔らかい、ほのぼのとした、親しみやすいものにしたい」というものでした。
ところが、実際に私の原稿をお読みくださった編集者の方々は、原稿を非常に高く評価してくださり、「この内容にふさわしい、格調が高くて気品のある表紙デザインを採用するべきだ」と判断なさったのです。そのため、「内容は格調高いのだから、外見は気取らないで親しみやすく」と主張する私と、「内容の格調高さと釣り合いが取れる、きちんとした立派な装いを」と提案くださる編集陣との間で、表紙カバーの方向性について、大きな差が生じてしまったのです。
このように書くと、読者の皆様は、「格調が高くて、しかも親しみやすいデザインにすれば良いではないか」とおっしゃるでしょうが、何事にも、中途半端が一番いけません。ここで私が言う「親しみやすい」という言葉は、「(良い意味で)わざと格調を落として、店頭で目にした際の心理的距離を縮める」ということなので、無理に両立させようとすると、結局はどっちつかずの中途半端なデザインになってしまうことが明らかなのです。
こうなると、私の性格上、中途半端は大嫌いなので、「どちらかの方向性にはっきりさせて、徹底的にその方向を追求する」という進め方を採用する必要がありました。日本人によくあることですが、「まぁまぁ、そんなに自説にこだわらないで、丸く収めましょうよ」と言いながら、「本来違う方向性のものを、その中間あたりに落ち着けて、全員がほどほどに満足できるようにする」という進め方は、結局のところ、「全員の主張の良さを殺してしまい、誰も満足できない」という結果に終わる危険性が高いのです。日本では、自説をきちんと主張する人のことを「自己中心的な人」「他人に譲れない、心の狭い人」などと悪く言う傾向があり、何も主張しないで他人の言いなりになる人を「心が広い、器量の大きい人」だと勘違いしている人が多いのですが、私はイギリスで暮らした時に、これがいかに間違った考え方であるかを痛感しました。本当に素晴らしい人は、「何事についても責任をもって思考し、そのため自分の意見をきちんと持ち、それを人に伝える努力をして、そのうえで、常に強引に思い通りにしようとするのではなく、相手の立場や観点も考慮しながら、引くべき時には喜んで引く」という態度であったからです。
日本人に多い「事なかれ主義」は、問題を表面化させない効果は持っていますが、それだけに、決してクリエイティブ(創造的)ではありません。その意味で、変な言い方ですが、「誰かと自分との間に問題があることに問題があるのではなく、問題があることを問題化させないままで誤魔化し続けようとすることに、真の問題がある」のです。お互いの間にある問題を明らかにして、共に解決しようという姿勢がある限り、真の問題は存在しません。
ただし、いちばん困るのは、「自分にその姿勢があるのに、相手にその姿勢がない」という状況です・・・その場合には、その人間関係を継続することは事実上不可能であり、できることなら、その種の人とは人間関係を解消し、付き合いをやめるしかありません。そのような関係は、まったく非創造的な人間関係であり、お互いに失うばかりで、何も生まないからです。私は、著書の中で「人生は、思い通りにならないからこそ価値がある」と主張していますが、これは決して、「思い通りにならない状況から抜け出す必要はない」という意味ではありません。その状況から抜け出そうとする努力が新たな価値を創造するのであり、「共に問題を解決しよう」という意志を持たない人と付き合うために要する時間と労力を、よりクリエイティブな関係を築くことのできる人との付き合いのために費やすべきなのです。
(おっと、うっかり盛り上がって筆がすべりましたが、このまま書き進めると『人生の価値』の内容に触れてしまうので、ここまでにしておきましょう)
当然ながら、私と編集陣の方々は、「より素晴らしい本を世に問いたい」という明確な問題意識で結ばれた、心の同志。お互いに、きわめてクリエイティブな関係にあることは明らかです。
したがって、私は今回も、自分の考えをきちんと伝え、相容れない方向性であった編集陣の方々の意見も真剣にお聞きしたうえで、「なるほど、それならば、多数決の原理も採用して、今回は編集陣のご意見に従おう」と、判断したというわけです。その代わりに、私としては、「こちらの要望を、熱意をもって実現してくださるデザイナー」に、変更してくださるよう要求しました。いくら技術や能力を持っているデザイナーでも、それを十分に発揮してくださる姿勢を感じることができないのでは、短期間で一気に仕上げなければならない仕事において、チームを組むわけにはいきません。そこで結果的に、『生きがいの創造』以来、これまで私の著書のほとんどを担当くださってきた、いつものデザイナーさんにお願いすることになりました。何しろ、何度もやり直している時間はないので、初めてのデザイナーに依頼して冒険することよりも、信頼できるデザイナーさんの安心感を優先したのです。
そこで、私は、今度は一転して、「格調の高い、品格を感じさせるデザイン」という方向性で徹底することに決め、編集陣やデザイナーさんにも、「中途半端なデザインにするのではなく、決めた方向で徹底してください」とお願いしました。私の性格上、いったん自説を引っ込めた限りは、これまで主張してきた自説と全く違う方向性であっても、とことん徹底して欲しいからです。いや、むしろ、自説を引っ込めたからこそ、中途半端なデザインで終わって、失敗してほしくはありません。編集陣やデザイナーさんが、「あのように言っても、やはり何とかして、飯田先生の主張もできるだけ取り入れたい」などと余計なご配慮をくださり、結局は、どちらの方向性から見ても中途半端なデザインになってしまうことだけは、避けなければならないのです。
かくして、福島の地で、「エンマ案」と「セツコ案」をご提示いただいたわけですが、結論から言うと、「エンマ案とセツコ案を合体・調合させ、さらに徹底して進化させる」という私のアイデアで決着し、さらにデザイナーさんの専門的なご意見も取り入れて、「とことん品格の高いデザイン」(ただし嫌味のあるコテコテなものではなく、ハイセンスなもの)を追求したものになりました。しかも、とことん徹底するために、出版業界でもめったに見られないような「ある贅沢な方法」を採用し、「読者の予想を超えるための工夫」も凝らすことにいたしました。これ以上は、エンマ今井大王様から、「ホームページの読者にも、絶対にナイショでござるよ」と厳しい緘口令(かんこうれい)が敷かれているため、口が裂けても申せません。
以上のように、私が当初期待していた方向とは全く違うものになりましたが、それはそれで、その方向で進む場合に考えられる最高のデザイン案ができましたので、私としては十分に納得しています。当初のアイデアは、他社から著書を出す時に使うことにして、PHPから出版いただく限りは、PHPの方々が喜んで製作・販売くださるものにしたいのです。
もちろん、私の当初方針をゴリ押しすることもできましたが、大切なことは、「自分だけが幸せになろうとしても、決して幸せになれない。まわりの人々も幸せでいてくれて、はじめて自分も幸せになれる」という、人生の大原則です。私だけが自己満足しても、一緒にチームを組む編集陣の方々がガッカリなさったのでは、私は決して幸せではありません。むしろ、私の当初方針を引っ込めることによって、編集・出版の方々が生き生きと喜んでお仕事をしてくださるならば、その方が、私にとって、はるかに幸せな状況なのです。そして、いったん自説を引っ込めた限りは、私に遠慮などしないで、徹底的にPHP案の方向で突き詰めていただきたい、というのが私の願いでした。
それに、私の当初の方向性とは違うとはいえ、実際に完成したデザイン案では、私の意見を大いに尊重してくださいましたから、デザインそのものは、「私の意見に基づいたものであり、私がOKを出したもの」であることに、変わりはありません。きっと、読者の皆様にも、「おお、何と、これは!」と、その意外性を、お喜びいただけるはずだと信じています。
とにかく、新刊『人生の価値』は、8月3日前後に、『生きがいの本質』の文庫版と同時に、店頭に並ぶことになりました。奇しくも、8月と言えば、出版業界では、「1年でもっとも本が売れない月」として、恐れおののかれております。運悪く(?)、その8月に発売になってしまったというのも、この本がもって生まれる定め、つまり試練なのでしょうか。早くも、この本がこれから世の中の荒波に揉まれながら出会っていくであろう、数々の試練の過酷さを感じさせます。
はたして、私の本は、その不吉なジンクスを打ち破ってくれるのでしょうか?
それとも、「やっぱり9月まで待って出せば良かった」という、トホホな結果になってしまうのでしょうか?
(え? 売れないのは8月のせいじゃなくて、内容がつまらないからだ、ですって?)
いずれにしても、発売まで、もう1ヶ月を切りました。
どうぞお楽しみに!
PS.
以前、プロバイダを変えたためにメールアドレスが変わると申し上げましたが、結局、今後も当分の間は、以前のプロバイダともそのまま契約を続けることにしましたので、アドレスも引き続きお使いいただけます。「私にも新アドレスを教えてください」というご希望が殺到して大混乱しており、毎日、メールボックスを空けるのが怖いです。お一人お一人にお返事することができませんので、やむを得ず、このような処置にさせていただきました。
また、私はメールアドレスを公開しておらず、何かよほどの事情がない限り、お手紙をくださってもお教えできませんので、どうかご了承ください。現在でさえ、毎日50通以上のメールが届きますため、仕事上必要なメールや連絡事項などの用件を含むメール以外は、じっくり拝読することもできない状態です。多くの方々が「お返事お待ちしています」と書いてくださいますが、残念ながら、実際にお返事できるのは、仕事上必要なメール以外に、1日あたり3通程度、それも、ほんの一言が精一杯です。クリエイティブな時間を確保する必要上、事務的用件を含まないメールにお返事できる可能性はほとんどありませんので、「それでもかまわない」という前提で、宝クジを買うような覚悟でメールをくださいますよう、お願い申し上げます。
読者の皆様もお気づきのように、「今月のお手紙」のページも、もうずいぶん長い間、更新しておりません。実は、Eメール以外のお手紙も大量に届きますので、このところ、ナナメ読みで拝読するのが精一杯であり、お返事すべきお手紙も、研究室のダンボール箱に山積みのまま溜まっている状態なのです。以前は、お手紙にはなるべく一言でもお返事するようにしてきましたが、ついにパンクして、現実的にはお返事するのが不可能になってきました。本当にお気の毒な方からのお手紙にだけ、何とか毎日2〜3通程度は、お返事するように頑張っていますが・・・
本当に申し訳なく、自分が情けないのですが、いただくお手紙やメールを拝読して全員にお返事を書こうとすると、それだけで、私の一日は終わってしまいます。「お返事屋さん」を商売にして生活できるならば良いのですが、私には、給料をいただくための大学教官としての職務が山積みで、それに加えて、社会福祉活動としての「人生論」の著作も行わなければなりません。しかし、困っている方々のご相談にお答えするのも、それに負けないくらいに大きな価値を持っていることだし・・・と、いつも、自分の体がひとつしかなく、1日が24時間しかないことに落胆しています。「全部やるのは無理なのだから、よりクリエイティブなことのために時間を使うしかないのだ」と、自分に言い聞かせながらも、皆さんの大半にお返事できないことについては、無力感で一杯です。(何しろ、お返事できないと、落胆や失望やご立腹をなさる方々もいらっしゃり、そのような方々からの反応で、私もかえって傷つくのです。この問題は、私にもどうしようもないだけに、時々、落ち込んでしまいます)
なお、ホームページのアドレスは、容量が大きい現在のniftyのままにしておこうと考えています。今後も、このホームページ上で通知しない限りは、現在のアドレスにご訪問ください。夜間のアクセスがあまりにも混んでしまって遅いことについては、niftyが検討中という有効な改善策を信じて待つしかありません。(渋滞問題に詳しい専門家の意見によると、niftyは商業目的のページの開設を公認しているので、恐らく、アダルト系の超エッチなページが私の近所に開店しており、そのページへの大量の男性客・常連客が夜間10時〜3時頃までに集中するため、私のページも、その渋滞に巻き込まれているものと思われます。私としては、誠に近所迷惑な話なので、風紀上にも、早々に立ち退いていただきたいものですが・・・)
・・・などと書いているうちに、気がつくと、もう、「600000人目」が近づいてきましたね。
今度の記念品は、やはり、『人生の価値』の見本本(発売日前に、世界一早い読者になれます)でしょうか?
そういえば、諸事情でカットした、「あとがき」前半部分(「小さなドラマティック・ストーリー」で公開)の「ボツ原稿」(世界にたったひとつの超レア・アイテム!)も、大切にとってありますし・・・
6月30日版
《 合戦速報 》
和議成立!
和親協定締結!!
8月3日出版決定!!!
今夜は多忙でテンテコ舞いのため、詳しくは、次回更新にて。
6月28日版
風雲、関が原!
まさに時は急を告げ、天下分け目の天王山・山崎の合戦へと突入する勢いに相成りました。おそらく明日、29日の午後には、福島***ホテルのロビーが、まさしく日光・戦場ヶ原の如き修羅場の様相と化すことでしょう。
はたして、合戦後に勝ちどきをあげるのは、エンマ今井大王様の率いる編集者・デザイナー連合軍か、はたまた孤立無縁の著者ふみひこ軍か?
いずれにしても、編集者・デザイナー連合軍の中から、大将のエンマ大王様に謀反(むほん)する不届者が現れてくださらない限り、満身創痍の私には勝ち目がありません。そうなると、必ずしも鉄壁のスクラムとは言えない連合軍の崩壊の鍵を握っているのは、あのお方・・・
そう、今回、明智光秀の役割を果たせるのは、あのレディ節子嬢のほかにはいらっしゃらないのです。彼女がひと言、「あら、やっぱり、飯田先生の案も、なかなかいいですわね」と、最後の最後に私の陣営へ寝返ってくだされば、エンマ連合軍は実働部隊を失って、もろくも本能寺の変と朽ち果てるかもしれないのです。
そうなれば、ついに私の天下。新刊『人生の価値』の表紙カバーは、まさしく私の思い通りのデザインに落ち着いてくれるのですが・・・
いずれにしても、明日29日には、業を煮やした編集者・デザイナー連合軍が、往生際で悪あがきする私にとどめを刺すべく、私の本拠である蝦夷・奥の細道・福島の地へ攻めあがって来るとの情報が、PHPに潜伏する忍びの者からFAXでもたらされたのであります。
しかも、エンマ今井大王様の手には、あの名刀・ムラサメの如き切れ味の「エンマ案」が握り締められ、同時に、従軍するレディ節子嬢の手にも、名刀・マサムネの如き切れ味の「節子案」が携えられているとのこと。そのうえ、「節子案」には、エンマ大王様の懐刀・マリオネット大久保氏が入れ知恵したとの噂も聞こえてまいります。
一方、対する私が手にしているのは、もはやただの木刀と化した、「ふみひこ案」のみ。もはや、これまでか?
そこで、秀吉の名軍師とうたわれた竹中半兵衛の如き緻密な分析をしてみると、明日29日を境にして、天下は以下のいずれかの方向へと収束していくものと推定されます。
*パターン1・・・ 「この際、意外なデザインで、読者を大いに驚かせてしまうのも良かろう。このアイデアは、絶対に、ホームページで公開してはダメでござるよ」と、不敵な笑みを浮かべるエンマ今井大王の案が勝利する場合。 一見、社内地位の力関係からすれば、このパターンに落ち着く可能性が最も高いかのように思えるが、そこはどっこい、そうはいかないのが編集者の世界。この業界では、下の者が上の者に堂々と(身分を忘れて)意見する光景も、しばしば見られるのだ。しかも、エンマ今井部長は、「部下のアイデアを上手に引き出す名手」として名が高いだけに、「節子案」の出来しだいでは、「うむ、ここは喜んで、そちの案に譲ろうではないか」という結果に終わる可能性も。しかし、結局このパターンになった場合は、部長の座に君臨するエンマ大王様の権威ある大号令により、遅くとも「8月3日」には発売できるはず。
*パターン2・・・ 「飯田先生の案は、確かにほのぼのとして親しみは湧きますが、せっかくの内容の格調の高さが伝わりませぬ。やはり、内容の素晴らしさが見た目にも伝わるような、品格のあるデザインにしなければ」と、私の案を葬り去った余勢をかって猪突猛進の勢いにあるレディ節子案が勝利する場合。今や、先代のマリオネット大久保氏(「生きがいの創造」「生きがいのマネジメント」「大学で何をどう学ぶか」の編集者)や、観音菩薩の順子嬢(「生きがいの本質」「ブレイクスルー思考」「日本的経営の論点」の編集者)にまで頭を下げて知恵を借りながら、PHPの学芸出版部を騒がせているという。つい一昨日も、「飯田先生の新刊なのですが、このアイデアで、何とか明後日までに試作品を創ってくだされ」と、デザイナーに無理難題を強要したとの噂・・・まさに、乱世にこそ実力を発揮する、風雲昇り龍のタイプである。はたして、いかなるデザイン案を持ってくるのか? このパターンになった場合にも、レディ節子嬢の猪突猛進ぶりが功を奏し、何とか「8月3日」に発売できる可能性が高いはず。
*パターン3・・・ 「嫌ぢゃ嫌ぢゃ! この本は拙者が血と汗と涙で書き上げたものでござる。我が子の如きこの本に、他人のアイデアでデザインした表紙カバーなど、着せるわけにゃいかんわい!」と、私が、著者権限(そんなもの、日本の出版界では存在しませんが)を振りかざして反抗し、「エンマ案」も「節子案」も断固拒否してしまう場合。
したがって、「また後日」ということになり、表紙カバーのデザインは振り出しに戻るため、出版は、早くても8月下旬以降となる。いや、そればかりか、「え〜い、もう、こんな我がままな奴の本など、今後、当社で出版することはまかりならん!」と、エンマ大王様の逆鱗に触れ、出版計画そのものが中止になる危険性も。
その場合には、どこか他に、あくまでも私の当初のアイデアで表紙カバーを創ってくださる他の出版社を探すことになるため(それはそれで大変嬉しいのですが)、『人生の価値』が書店に並ぶのは、早くても今年の秋以降になる。
*パターン4・・・ 私、エンマ大王様、レディ節子嬢の3者が互いに譲らず、三すくみ状態に陥る。そこで、「生きがい論」の生みの親、初代編集者のマリオネット大久保氏に判定を求めるが、情にもろい氏は、「父」(今井氏)・「母」(節子嬢)・「親友」(私)の関係に挟まれて身動きが取れず、あえなく轟沈。そこに登場した、2代編集者である観音菩薩の順子嬢が、その切れ味鋭い明晰な頭脳で、スパスパッと断を下して大岡裁き。かくして、何とか、『生きがいの本質』の文庫版が発売される8月3日に滑り込み、同時に店頭に並ぶ。
・・・さて、今後の展開は、以上のどのパターンで推移するのでしょうか?
いずれにしても、「後世に残る、優れた本を世に問いたい」という想いは、誰もが同じ。べつに、ケンカをしているわけではありません。新刊『人生の価値』を成功させたいという熱意ゆえに、自論を主張し、意見を戦わせているだけなのです。どうでも良い本ならば、「まぁ、いいんじゃないの?」で済ませることもできますが、エンマ大王様もレディ節子嬢も、すでに私の原稿をお読みくださっているからこそ、「この内容に見合うだけの素晴らしい表紙にしなければ」と、徹底的にこだわってくださっているというわけです。これこそ、著者冥利に尽きるというもの。ありがたいことです。
しかし、だからといって、私も安易に妥協するわけにはいきません。「エンマ案」と「節子案」とを、じっくりと検討させていただき、心を鬼にして、真剣な議論を戦わせる覚悟です。すべては、本のため、つまり読者の皆様のため。
さあ、福島駅前が戦国絵巻と化す29日、天下分け目の合戦の結果はいかに!?
次回更新、「合戦速報」をお待ちください!!
6月23日版
大ぴんち!
新刊『人生の価値』の編集作業、
一転して、暗礁に乗り上げました・・・
実は・・・
私が提案した表紙カバーのデザインが、「エンマ大王様
+ レディ節子嬢 + デザイナー殿2名」という超強力スクラム軍団の猛反発にあい、対する「著者・ふみひこ」軍団は、私ひとりきり。
そう、いまや、制作サイドに、誰も私のアイデアに賛同してくださる方がおらず、私は孤立無援の状態へと陥ってしまったのです。そもそも、私が出したアイデアに、デザイナーが全く熱意を示してくださらないのですから、良いデザインが出来上がるわけがありません。何事も、信頼関係があってこそのクリエイティブな作業ですから、この不穏なムードのままでは、溝は深まり、チームワークも崩壊の一途をたどって、かつてない非常事態になる危険性も。
しかし、そもそも、すべては私のわがままというもの。通常は、著者がカバーデザインに口を出すなどということはなく、デザイナーの作ったものを伏し拝んで頂くだけなのです。私の場合は、過去5年間に渡って、表紙デザインまで私が指示するのが恒例になっているだけのことであり、これは先代(?)の編集者、マリオネット大久保氏の寛大さゆえに為し得た破格の待遇。本当は、私が本職のデザイナーに文句を言うなど、出版界の掟に反する言語道断かつ不遜な行為ではあるのです。
というわけで、たいへん申し訳ありませんが、7月中旬に予定していた発売時期は、完全に延期になりました。このままでは、7月中の発売も難しくなっており、最悪の場合には、両者決裂のまま、出版計画そのものがなくなってしまうかもしれません。皆が納得できるデザインができない限り、「まあ、この程度で我慢するか」といった妥協案では、出版したくないからです。
幸いにも、別に本業を持つ私は、生活のために焦って著書を書く必要がないため、自分が納得できないものを無理に急いで出版して、後悔を後世に残したくはありません。また同時に、編集サイドの方々にも大いに納得いただき、営業の方々にも喜んで販売いただけるような本でなければ、いくら私がひとりで自己満足しても、意味が無いのです。
したがって、私が納得でき、デザイナーも熱意をもって真剣に制作してくださり、出版社の方々にも大いに喜んでいただけるような、全員の欲求をハイレベルで満たしてくれる表紙カバーができるまで、『人生の価値』の出版は見合わせることになります。すでに、中身の原稿はすっかり完成しているのですが、本の「顔」となる表紙カバーも、とっても大切だからです。
かつて、あのビートルズでさえも、「中身もカバーも最高傑作」と絶賛された「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という歴史的レコードを発表したあと、そのカバーデザインを超えるアイデアが見つからず、とうとう何の文字も色も無い真っ白なカバーデザインの「ホワイト・アルバム」(通称)を出した、ということがありました。この例にならえば、私の新作も、何も書いていない真っ白な表紙カバーで発売すれば、大いに店頭で不審がられて大ヒットに・・・なるわけありませんよね(笑)。
・・・というわけで、すでに書店に注文くださった方々も多いようですが(「注文しました!」というメールをいくつもいただきました)、上記の理由で、『人生の価値』の制作は座礁しております。
いったい、いつになると発売できるのでしょうか?・・・いや、果たして、発売することができるのでしょうか?
私にも、さっぱりわかりませんが、ただひとつお約束できるのは、「納得のいかないものは世に出さない。世に出すかぎりは、たとえ時間をかけてでも、納得のいくものにする」という断固たる姿勢です。この姿勢を失ったら、私は終わりだと思うのです。何しろ、たとえ私が死んでも、本は将来に渡って残るのですから。(その意味で、本が残るかぎり、私は不死身なのです。後世に残る本を書くことによって、私は物理的にも、永遠の命を得ることができるというわけです)
すでに原稿は完成しているだけに、「カバーなんかに時間をかけていないで、中身を早く読みたい」と熱望くださる方にはお詫びの言葉も見つかりませんが、どうかご理解のうえ、気長にお待ちくださいますようお願いいたします。
ああ、孤立無援、四面楚歌、八方塞がり、意気消沈、暗中模索、絶体絶命、自暴自棄・・・かくして断崖絶壁の上に立つ私に、何か打開策はあるのでしょうか?
せめて、『人生の価値』助命嘆願の署名運動でも、始めるべきでしょうか?
こうなったら、ビートルズにあやかり、真っ白い表紙に、私が自慢の汚い字で、自筆(もちろん毛筆)でタイトルと名前を書く、なんてオソロシイ考えが浮かんでいる私です。まずは、墨と硯、筆と半紙を買ってきて、練習せねば・・・
沈没寸前に追い込まれた、『人生の価値』の運命やいかに!?
もしや、「人生論のタイタニック号」と化してしまうのでしょうか?
ここしばらくは、このホームページから、目が離せませんよ。
随時更新! 乞うご期待!!
PS.
・・・と、明るく茶化して書いている私ですが、ホントはガックリ落ち込んでいるんです。
ようやく修理から戻ってきたパソコンも、いざスイッチを入れると故障が直っておらず、すぐに怒りの再修理に出す羽目になってしまいましたし・・・我が家にパソコンを取りに来たおじさんが、「あれ? これって、昨日お届けしたパソコンじゃ? え? 直ってなかったって!?」と、絶句しておりました。
もしや、私が勝手に、「飯田パソ子」なんてひどい名前をつけて、「ねぇ、パソ子ちゃん」などと我が娘のように呼んでいるのが、ご機嫌をそこねたのでしょうか?
(このノリで表紙カバーのアイデアを出したものだから、健全な常識人の精神を持つPHPの編集陣から、猛反対にあってしまったのかも)
う〜ん、人生、誠に、思い通りにいかないものですねぇ。
とほほ・・・(最近、この溜め息ばっかりですね)
6月16日版
新刊『人生の価値』の編集作業、順調です!
本日、PHP学芸出版部のレディ節子編集員(『愛の論理』以降の私の著書を担当くださっている、泣く子も笑う敏腕編集者ですから、このHPの読者の皆さんには、おなじみですよね)から、次のFAXをいただきました。
********************
前略
「人生の価値」の再校ゲラをお送りいたします。
校正者の赤チェックは並行してやっておりますので、少々の印刷の打ちモレはあるかもしれません。
今度の新刊は、人生論の正統派という感じで、今井と、「本当に良い原稿をいただいた」と、しみじみ語り合いました。
装丁、遅くなっていて申し訳ございません。飯田先生の記念すべき新しいシリーズものの1冊目なので、先生の選んでくださった絵とご指示に従い、私もデザイナーも、真剣に取り組んでおります。
来週にはお見せできるかと存じますが・・・来週、東京の方へいらっしゃるご予定はお持ちでしょうか?
で、発刊予定の件なのですが、ホームページで予告いただいておりますが、表紙の進み具合(妥協なくまいりましょう)によりまして、少々延びることになってしまうかもしれません。世に送り出す飯田先生の分身が、飯田先生にふさわしい装いをしているということは、大切なことだと思っておりますので、その点お許しを・・・
再校のご校閲の〆切は、20日(水)にPHP着でお願いいたします。
まずは取り急ぎ、ご送付まで。
********************
・・・ということでした。
今回は、私自身がPHP東京本部の出版部フロアの片隅に勝手に陣取り、専用棚にある膨大な量の写真・絵・デザインのサンプル集(50冊以上あったでしょうか)に片っ端から目を通して、新刊の表紙で使用すべき素材を選び出しました。何も名乗らないでフロアを右往左往していたので、PHPの社員の方々は、「このおじさんは、いったい誰なのだろう?」という顔をしていらっしゃいましたが、きっと、この業界に多い、アルバイトや契約社員の新人か、出入り業者の一人だと思われたのではないでしょうか。
PHPの社員の方々に混じって、何食わぬ顔で仕事をしていると、すぐにその気になってしまう私は、そのうち自分が社員の一人であるかのような気がしてきて、ふつふつと愛社精神のようなものさえ湧いてくるのを感じてしまうのでありました。私に気づいたマリオネット大久保氏が驚いて、「先生、なんでこんな所に!?」と声をかけてくださったり、ちょうど出張先から帰ってきた観音菩薩の順子嬢が、クルリとした大きな目をさらに見開いて、お土産の「わらび餅」を差し入れしてくださったりすると、知らない人々に混じって延々と孤独な作業を続けていた私の目から、ポロリと感激の涙がこぼれ落ちたものです。
かくして、着々と、編集作業は進行しておりますので、どうぞお楽しみに!
なお、今度の表紙デザインは、私の著書としては初めての試みで、ほかの著書(一般書)としても、ほとんど見た記憶がありません。私が天啓を得て、「ぜひ、これでいきましょう!」と強力にプッシュしても、エンマ今井部長様もレディ節子嬢も、「こ、これですか・・・う〜む・・・絵そのものはとってもいいのですが、何しろ、この手の一般書では前例がありませんので・・・おろおろ」と、躊躇なさったほどの革新的?アイデアなのです。
ちょうどそのタイミングで、救世主のように出張から帰って来られた観音菩薩の順子嬢が、ひと目見て「ああ、なかなか、いいじゃないですか!」と、さすがの若い感覚で助け舟を出してくださったので、エンマ大王様も「よ・・・よかろう・・・飯田先生がそこまでおっしゃるなら、これで参るといたそう・・・しぶしぶ」と、OKをくださったというわけです。
さあ、どんな表紙になるのか、ドキドキしながらお待ちくださいね!
ある意味で、とっても私らしい表紙になるはずです。きっと、このHPの読者ほどの皆様ならば、ひと目見た瞬間に、「きゃ〜っ、××××〜っ!」(注:いくら私らしいと言っても、×の部分に、放送禁止用語は入りませんよ)と、歓声をあげてくださることでしょう。
PS.この数日間、「インターネットを開くと飯田先生のホームページが出てくるように設定したいのですが、どうすればいいのでしょうか?」というお問合せを、いくつもいただきました。そこで、マイクロソフトのインターネット・エクスプローラをお使いの方々(大半はこのソフトをお使いのはず)のために、非常に簡単な方法を伝授いたしましょう。以下の手順で、設定を変更してください。まったく安全な方法であり、ほかのいかなることにも影響は及ぼしません。
@ インターネットに接続し、私のホームページの表紙画面を開く。
A 画面の上方に並んでいるツールバーから、「ツール」ボタンをクリックする。
B ツールボタンの下に現れた作業メニューの中から、一番下の「インターネットオプション」をクリックする。
C 出てきた「インターネットオプション−全般」ウインドウの上部にある「ホームページ」のところを見ると、「アドレス」のところに、これまで真っ先に自動表示されていたページのアドレスが記載されているはず。そこで、その下にある、「現在のページを使用」ボタンをクリックする。
D すると、「アドレス」欄が、私のHPのアドレス(http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/)へと変わったはず。それを確認して、そのウインドウの一番右下にある「適用」ボタンをクリックする。
E 上記「適用」ボタンの左にある、「OK」ボタンをクリックして、ウインドウを閉じる。
F いったんインターネットを終了し、接続を切る。そして、再度、接続して、インターネット画面を開いてみる。すると・・・
G あ〜ら不思議、「飯田史彦研究室へようこそ!」の画面が、自動的に、真っ先に表示されるようになっている! パチパチ!!
・・・というわけです。どうぞ、お試しくださいね。
ただし、一部のプロバイダでは、専用の接続プログラムを使わせることにより、上記の方法で使用者がどのページを「ホーム」(本来ならば真っ先に開かれるページ)に指定しようとも、強制的に自分の会社のHPを開かせるようにしてありますので(顧客の意思よりも自社の商売を優先する困った会社ですよね)、重々ご注意ください。その場合は、あきらめるか、専用の接続プログラムを削除して、自力でインターネットにつなげるしかありません。
(実は・・・私も数日前までは、まず自動的に自分のHPが開くようにしてあったのですが、niftyに入会して以来、おせっかいなことに、まず強制的にniftyの会社ページに飛ばされてしまうようになってしまったのです。これぞ、ありがた迷惑、お邪魔虫というもの。仕方なく、大いに憤慨しながら、即刻「ホーム」のボタンを押してniftyページを消し、自分のHPに移動する毎日です。いやはや、返す返すも、nifty恐るべし・・・とほほ・・・)
6月14日版
またまた大失敗の巻・・・
このところ、運に見放されているようです。まさか、天中殺では? (古いですね・・・かつて一世を風靡した、この言葉がわかるあなたは、35才以上でしょうか?)
一昨日、必死の思いで徹夜して、せっかくniftyに乗り換えたのに、その後の2日間、夜11時〜朝3時頃まで、niftyに接続しても、私のホームページがなかなか開けません。いわゆる、「重すぎる」というやつです。「寄らば大樹の陰」とばかりに、大手プロバイダに加入してみた結果、ホームページ開設者が大量に所属するため、それらのホームページに一度に大量の読者がアクセスを試みるので、大変つながりにくくなってしまっているのです。
何しろ、かく申す私自身が、上記の時間帯には、40分以上がんばらないと、自分のホームページを開くことができませんでした。しかも、一度更新ボタンを押してしまうと、また30分以上も、何度クリックしても開けなくなるのです。
そこで、本日、あまりのアクセス混雑ぶりに、とうとう堪忍袋の緒が切れて、「この情報高速化のご時世、こんなに不便では、プロバイダとして役に立ちません。niftyに入会して失敗しました。とほほ・・・」と正直に苦情を言ったところ、さっそく担当者の方から、次のようなメールをいただきました。
********************
飯田史彦 様
@niftyにお問い合わせいただき、誠にありがとうございます。
お問い合わせいただきました件について、回答いたします。
さて、ホームページの表示についてご連絡いただいておりますが、担当部門
にてお調べいたしましたところ、深夜の時間帯に、一部サーバーにおいて外部
からのアクセスが集中しており、その影響でホームページの表示が遅くなるな
どの現象が発生していることが判明いたしました。この度、お客様には大変な
ご迷惑をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます。
なお、現在担当部門により設備増強等の対策準備を進めておりますので、誠
に申し訳ございませんが、改善まで今しばらくお待ちくださいますようお願い
いたします。
メールサポートセンター
********************
・・・というわけでした。
やはり、私が推察した通りの状況だったのです。
おそらく、ほかの多くのユーザーからも、同じ苦情が殺到しているはず・・・担当部門で改善をはかってくださっているとは言え、時間がかかるであろう「設備増強等の対策」の、しかも「準備」の段階だそうですから、いったい、いつになったら改善されることやら。
ああ、「寄らば大樹の陰」と、安易に大手プロバイダを選んだばかりに、こんな羽目に。
またもや、後悔先に立たず。続・大失敗の巻。
しかも、3ヶ月前に買ったばかりの、30万円近くもする最高級パソコン(商売道具なのでケチるわけにはいきません)が、昨日、突然に壊れてしまいました。電源を入れても、メーカー名が表示される画面のまま固まってしまい、ウンともスンとも言わないのです。・・・仕方なく、サポートサービスセンターに電話して、延々20分以上も待ったうえで相談してみると、今度は指示通りにしても奇妙な英文のエラーメッセージが出るばかりで、やはりそこの画面で止まってしまいます。何十回繰り返してもダメで、最後には、パソコン本体の内部から、金切り声のような異様な音が出てくる始末。何と、ハードディスクがキーキーと奇声を発しているらしいのです。
そして、サポートセンターの技術者の結論は、
「10日から2週間ほどお預かりして、修理させていただくしかありませんね。少なくとも、ハードディスクを取り替えることになるでしょう」
とのこと。
「ええっ! こんな高級機種で、しかも買ってから3ヶ月しか使っていないのですが、それでも壊れてしまうんですか?」
「はい・・・何しろハイテク機器ですから、私どもにも予測不可能なさまざまな理由で、故障いたしますもので・・・」
「ガックリです・・・いったい、もう何も、できることはないのでしょうか?」
「まだ、何とか起動してさえくれれば、バックアップをお取りいただけるのですが・・・」
「起動するどころか、スイッチを入れても、画面は真っ暗ですよ。ハードディスク活動中のランプも、つかないままです」
「ええ、そのような状態になったからには、もう、バックアップもできません。壊れたハードディスクを交換しますから、記憶されている全ての情報が消えることになります」
「ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!」
・・・というわけで、バックアップをとる暇もなく、大事な大事なすべてのメモリーが消滅する羽目に。
大量の原稿も、みなさんからいただいたメールや住所録も、苦労してインストールした各種ドライバも、お金を払ってダウンロードしたソフトの数々も、みんなパー。
新刊『人生の価値』の原稿を、PHPに送った後だったのが、不幸中の幸いでした。あの原稿が、完成間際で消えてしまうとしたら、もはや私は発狂していたことでしょう。
明日、業者の人がパソコンを取りに来るとのことですが、その後の10日間〜2週間、自宅ではノートパソコンを使って作業をしなければなりません。大学の研究室にもパソコンは2台あるので、パソコン不足で困ることはありませんが・・・この更新作業も、古いパソコンを使って、秘密の裏ワザを駆使し、苦労しながら行っています。ホームページの内容は、たまたま、一昨日にniftyへ「引越し」した際に、万が一のトラブルを考えて、DVD-RAMドライブにバックアップしてあったので、助かったのです。これもまた、不幸中の幸いでした。
パソコンを多用していると、どうしても、半年に1回くらいの頻度で、ガックリくるようなトラブルに見舞われてしまいます。
でも、考えてみると、パソコンが壊れてデータが消滅したと言っても、私自身は元気で生活できるのです。世の中には、こんなことよりも、もっともっと辛くて深刻なお悩みの方々が、あふれていらっしゃることを、忘れてはなりませんよね。つい先日、大阪の小学校の事件でお子様を亡くされた親御さんたちの気持ちを考えると、パソコンが壊れてデータが失われるなんて、「不運」のうちに入りません。生きてさえいれば、パソコンはまた買えるし、原稿はまた書けるし、データはまた集められるのです。消えたメールアドレスも、ご縁のある方々からは、またいただけることでしょう。元気で活動できるのですから、何を失っても、ゼロから、また始めれば良いだけのこと。
ああ、こうして生きていられる私は、なんと恵まれているのでしょう!
大阪で亡くなった子供たちのためにも、パソコントラブルなんかでガックリしているわけにはいきません。あの子たちの分まで、がんばって生きなければ、バチが当たりますよね。あの子たちの最期の瞬間の気持ちを推察すれば、そして、そのご家族や友達の方々の心境を想像すれば、自分が直面している不運など、まったく大した悩みではないように思えてきます。
読者の皆さんも、それぞれに、お悩みを抱えていらっしゃることでしょう。しかし、私たちはまだ生きているのですから、これほどありがたいことはありませんよね。池田小の子供たちのためにも、生きている私たちが、今、自分にできることを、精一杯がんばって生きていきましょう!
それこそが、あの事件に巻き込まれた子供たちへの、最高の供養になるはずだからです。
何だか変な展開ですが、池田小の事件でここ数日落ち込んでいた気持ちが、パソコンが壊れたことによって目が覚め、一気に前向きに回復してきた感じです。パソコンさん、絶妙のタイミングで壊れてくれて、どうもありがとう。
よ〜し、先立った子供たちのためにも、がんばるぞ!!
6月12日版(その1)
大ショック!!
突然ですが、
当ホームページ(www2.mwnet.or.jp/~fumihiko)、
7月中に閉鎖決定!!!
何と、このホームページを開設しているプロバイダ、「Media
Web」から突然の通知が来て、「7月中に、ホームページ・サービスを停止する」というのです。したがって、このアドレスで開設している当ホームページは、あと数週間をもって、強制的に閉鎖させられてしまうことになりました。
すでに、多くの著書で、このアドレスをPRしているというのに、このアドレスにアクセスしても、つながらなくなってしまうのです。もちろん、これまでのEメール・アドレスも、使用不可能に。
思い起こせば、2年半ほど前に、私が「Media
Web」という弱小無名プロバイダを選んだのは、20メガバイトという、当時では異例に大きな容量を認めてくれたからのこと。それに、大手有名プロバイダは拒否し、東北の一部マニアにしか知られていない弱小プロバイダを選んだところに、私なりの「男の美学」を感じて、自己満足していたのです。
しかし、その後の競争激化の中、やはり弱小無名プロバイダは、淘汰されてしまう宿命にあったようです。こんなことなら、最初から、もっと長く使えたであろう大手有名プロバイダにしておけば良かったなぁ。ああ、後悔先に立たず。大失敗の巻。
そこで、本日の教訓・・・「寄らば大樹の陰」
今さら、どこかの安定した大手プロバイダに入り直して、ゼロから設定をやり直すのも大変だし、今後数ヶ月は大切な論文執筆に追われて、そんな暇もないし・・・でも、このままでは、このホームページは、消滅してしまうのが確実なのです。あと3週間ほどで、ホタルの光、窓の雪・・・
このまま、ホームページ稼業(?)から、引退に追い込まれてしまうのでしょうか?
皆様とお別れするのは、本当に辛いです。
あまりのショックに、大好物のプリンも喉を通りません。
うう・・・(涙)
6月12日版(その2)
・・・というわけで、「MediaWeb」にはすっかり見切りをつけて、上記(その1)の更新から6時間をかけた血のにじむような作業の後、この「Nifty」(http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/)へと、移動してきました。私って、裏切られたと感じたら、変わり身が早いんです。過去はきっぱりと捨て、後腐れなくお別れするタイプなのです。
なぜ「Nifty」に乗り換えたかといえば、何といっても、日本最大のプロバイダであるうえ(一転して、今度は「寄らば大樹の陰」戦略を採用)、最近、「最大150メガバイト」まで拡張できるようになったという破格の待遇のため。最初に、「so-net」もいいかな、と調べてみたところ、たった「5メガバイト」で固定(拡張不可)だったので、論外でした。ここまで差があるとは・・・私のホームページは、アニメーションや画像が多いので、たった5メガバイトでは、話になりません。
え? どうしてアドレスが「fumi-rin」なのかって?
実は、申し込みの際に希望した、第1希望「fumihiko」、第2希望「fumikun」、第3希望「fumifumi」が、いずれも「すでに使用されております」との返事で使用不可だったので、やけっぱちになって「え〜い、こうなったら、“ふみりん”でどうだっ!」と入力してみた結果、「OK」の返事。あわてて、「い、いかん、著書で広く公開するんだから、もっとまともなアドレスにしなければ!」と反省して、「fumihiko-iida」と打ち直して修正したところ、何と、「アドレスは一度登録したら修正できません」とのこと。かくして、「ふみりん」(fumi-rin)で確定してしまったという、まったくお粗末な顛末でございます。
とにかく、新刊『人生の価値』の「あとがき」には旧アドレスを紹介していますから、これを新アドレスに改めるためには、この数日以内に新しいプロバイダに移行しなければ間に合いません。これで、何とか、新刊では新しいアドレスを紹介して、このホームページも続けられることになりました。
皆様の周囲の方々にも、「飯田先生のホームページのアドレスが変わったんだって」と、お教えくださいますようお願い申し上げます。
これからも、新アドレスでさらにパワーアップするであろう(?)、このホームページを、どうぞよろしく!
6月9日版
どしゃぶりの雨ニモ負ケズ、

声も枯れんばかりに応援した私の願いが天に届いたか、
とうとうやってくれました!

サッカー日本代表が、世界大会で歴史上初めて、決勝に進出だっ!!
よ〜し、この勢いで、目指せ、

じゃなかった、世界一!!!
・・・というわけで、サッカー狂の私としては、日曜日の夜が待ちきれません。
もちろん、ここまで勝ち抜けたのが奇跡であって、世界王者のフランスに勝って優勝できる可能性は、ほとんどありません。なぜなら、相手のフランスは、世界ランキング1位。これに対して、日本は確か40位前後を行ったり来たりという実力にすぎません。
しかし、圧倒的な実力差を「勢い」で克服し、せめて3−1、いや、2−0でもいいから、大和魂を精一杯に見せつけて、善戦してほしいものです。何しろ、ほんの2ヶ月前に、5−0でボロ負けしてしまった相手なのですから、失うものは何もありません。
夢の決勝で、世界最強のフランスに挑むことができるなんて、ああ、私は何て幸せ者なのでしょう! (べつに私が選手として戦うわけではありませんが、私だって熱狂的サポーターとして、テレビの前で結界を張って応援の念を送り、フランスに真っ向勝負を挑むつもりです)
さあ、皆さんも、日曜の夜は、テレビの前に
Let's 集合!
同志たちよ、共に必勝の念を送りましょう!!
そこで、決勝進出を大いに祝し、景気付けに、スペシャル情報を大公開!
待望の新刊、
『人生の価値
〜私たちは、どのように生きるべきか』、
PHP研究所より、
7月16日に、全国発売!!
ただし、昨日、大阪で起きた痛ましい事件に大ショックを受けたため、第1回目の校正作業の終了段階にある新刊原稿の内容に、緊急の大幅加筆修正を行うことにいたしました。
大阪の小学校で被害に遭われた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
ああ、ますます、私には、神様の御姿が見えません。
いったい、どうして・・・
6月1日版
実は、昨夜のこと……
PHP研究所学芸出版部のエンマ今井部長様が、いつになく気弱な顔をして、困惑した表情で、私にご相談くださいました。
********************
エンマ「あのう……」
私 「???」
エンマ「誠におそれ入りますが、新刊『人生の価値』の内容の一部について、少々ご相談が……」
私 「どうしたんですか? いやにかしこまっていらっしゃいますが?」
エンマ「はあ、実は、いただきました新刊原稿の、『おわりに』の前半部分についてでございまするが……」
私 「ははあ、あの部分のことですね?」
エンマ「え、ええ……その部分について、おそれ多くも申し上げたく……」
私 「妙に低姿勢でいらっしゃいますが、あの部分が、いったいどうかしましたか?」
エンマ「はい、そのう、あまりにもショッキングな内容でござったものですから……」
私 「そうですか? ショッキングと言えば、『ブレイクスルー思考』の『付記』の方が、私自身の体験談として堂々と書いている点で、よほどショッキングな内容だと思いますが?」
エンマ「え、ええ、それもそうではございますが、今回の場合には、何しろリアリティがありすぎまする。客観的証拠に基づいた現実的な内容であるがゆえに、かえって読者に大きなインパクトを与えすぎるのではないかと……」
私 「リアリティがあって現実的なのが、いけないのですか? これに比べれば、『ブレイクスルー思考』の『付記』の方がよっぽど奇々怪々な内容ですが、あの時には何のご心配もくださいませんでしたし、事実、あの本はかなり売れましたが何も問題は起きませんでしたよ」
エンマ「はい、あの本の場合は、否定したい人は『飯田先生のたわごとだ』と思い込めば済みましたが、今回の内容は、客観的な状況証拠に満ちておりますゆえ、たわごとでは済ませられない一大事なのでござります。しかも、あの本は大人向けでしたが、今回の新刊は、中高生の子どもたちにも読んでもらえるような、オーソドックスな人生論を心がけていただきましたから、あの『あとがき』の前半部分だけが突出して、まるで爆弾のような激しさで迫ってくるのでござります」
私 「爆弾!?」
エンマ「はい、おそれながら申し上げますと、部下のセツ子やマリオネットにも読ませてみましたところ、あの部分だけがあまりにもショッキングであるために、読み終えたあと、ほかの部分の印象はすべて吹っ飛んでしまい、頭の中が真っ白になって、あの部分の衝撃しか記憶に残らなかったほどだと申しておりまする」
私 「なるほど……」
エンマ「セツ子などは、それ以来、『ど、ど、どうしよう! わ、私も飯田先生をお守りせねば! あわわ……』などと、朝から晩まで、そればかり申してうろたえており、仕事が全く手につきませぬ」
私 「ふむう……確かに、それではいけませんねぇ……」
エンマ「特に、今回の新刊は、中高生にも読んでもらえるお堅い内容を方針としておりますゆえ、あの部分を載せてしまうと、子どもたちには、あまりにも刺激が強すぎるのではないかと思われるのでござります。何しろ、客観的なリアリティがありすぎますゆえ……」
私 「それならば、あの部分だけを袋綴じにして、『18禁』にするのはどうですか?」
エンマ「…………」
私 「いや、冗談ですよ、よくわかりました。では、あの部分はカットしましょう。カットしたところで、内容にはまったく支障がありませんから。そもそも、あの部分は、私のコアなファンの方々のために、あとがきの一部として付け加えたファンサービスにすぎないんですから、削除しても全然かまいませんよ。むしろ、あとがきだけが印象に残って、肝心の本編が吹っ飛んでしまうのでは、本末転倒ですからね。それならば、喜んでカットしましょう」
********************
……というわけで、新刊『人生の価値』の「あとがき」前半部分は、そのあまりにもショッキングでリアルな内容のため、本書の執筆方針に合わないので、あっさりとカットすることになりました。
そこで、6月3日の私の誕生日を勝手に記念し、このホームページをお読みくださっているコアな読者の方々向けに、禁断の大サービス!
問題の「その部分」を、そっくりそのまま、「小さなドラマティック・ストーリー」の第3話として、特別公開いたしましょう!
では、表紙ページに戻って、「小さなドラマティック・ストーリー」のページへとお進みください。
きっと、「おおっ!」とびっくり仰天するとともに、時空を越えた劇的な物語に、深く感動していただけることでしょう。
どうぞ、お楽しみくださいね!
5月24日版
久しぶりの、まともな(?)更新です!
(1)日比谷公会堂での大講演会、大成功でした!
5月13日に、東京の日比谷公会堂(収容人員2000名)で行った私の講演会、おかげさまで、1階は満席となり、解放していなかったはずの2階にまで、1階にあぶれた人々が入り込んでおりました。有名アーティストのコンサートならばまだしも、「大学教官の講演会」なんかに、わざわざ2000円(日本厚生協会の会員は1000円)も払っておいでくださる方々が、あんなにいらっしゃるとは、おそらく前代未聞・・・快挙というよりも、珍事だと言う方が正確だというものです。
過去にも、中野サンプラザ(東京)やシンフォニーホール(岡山)で、2000人規模の講演会を行ったことがありますが、これらは他のイベントとの合同企画だったので、私の講演だけを目当てにして来たお客様ばかりではありませんでした。しかし、今回の日比谷公会堂は、正真正銘、私の講演以外には、何も無かったのです。しかも、中野サンプラザは1000円、シンフォニーホールは無料でしたから、今回は、私の講演だけのために2000円もお支払いくださった方々が大半・・・ふだん、私の講演会は、なるべく入場無料にしていただいているので、入場料をいただく講演会の場合は、本当に気を使います。何しろ、入場料の分だけの価値のある講演をしなければ、お客様に申し訳がありませんから。
とりあえず、「金返せ」コールは起きませんでしたので、ほっとしました。新刊執筆が佳境に入り、極度の睡眠不足でフラフラでしたが、看護婦さんにまで付き添っていただいて、上京した甲斐がありました。
ご来場くださった皆様、本当に、ありがとうございました!
(2)朝日新聞紙上に、怪現象発見!
それは、5月8日(火)のこと・・・いつものように朝日新聞を広げ、何気なく、社会面(新聞の一番最後で、テレビ面の裏側の目立つページ)に目を通していた私でしたが・・・ふと、ページの下の方にある、ビッグ・アーティストのコンサート情報に目をやったところ・・・
???
その瞬間、私が思ったのは、「あれまぁ、僕にそっくりな名前のアーティストがデビューしたものだ。しかも、いきなり、日比谷公会堂でコンサートとは、聞いたことのない奴だが、かなり売れてるんだな」という、実に冷静な分析でした。
し、しかし、よく見てみると・・・

「おお〜っ!! こ、これは??」
そうです、何と、穴があくほどよく見ると、自分の名前ではありませんか!
まさか、こんなところに自分の名前があるとは、想像もしていませんでしたから、びっくり仰天!
まさか、朝日新聞に自分の広告が載るとは、まったく聞いておりませんでした。ここは、ビッグ・アーティストのコンサート情報や、有名財界人のお葬式の告知、そしてたまに「史彦へ 父危篤帰れ 母」などの個人連絡が載る部分ではありませんか。こんなところに、講演会の案内が出るとは、まさに珍事。
しかも、文面を見ると、「私たちはなぜ生きているのか 飯田史彦先生講演会」とだけしか書いていないので、私のことを知らない人には、「飯田史彦」なる者が、どこの何者なのか、さっぱり見当がつきません。ヒントといえば、ただ一言、「私たちはなぜ生きているのか」という見出しのみ・・・この見出しから察するに、よほど怪しげな、おかしな人物だとしか思えません。
おまけに、かの有名な世界的ビッグ・アーティストである「デュラン・デュラン」と、「ツタの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日〜♪」の歌で有名なペギー葉山さん(よく私の父が風呂で歌っておりました)に並んで、いちばん目立つ右側に置いてくださっているとは・・・スペースの広さの比較からして、ついに自分がペギー葉山さんと肩を並べ、デュラン・デュランの半分くらいの有名人になったかのような錯覚に陥り、朝食のバナナを片手に、ひとり赤面する私でした。
いずれにしても、もう2度と、私の人生では、新聞のこんなに素晴らしい場所に広告が載るような講演会は、あり得ないことでしょう。つかの間の夢を味わわせてくださった日本厚生協会さん、本当にありがとう! 生涯の記念になりました。
皆様も、大いにお楽しみくださいましたね?!
(朝日新聞さん、無断転載ごめんなさい)
まだまだ、お話したいことは山積みなのですが、また近日中に。
とりあえず、本日はこれにて。
5月23日版
戒厳令、ついに解除なる!!
お待たせいたしました!!!
ようやく、新刊『人生の価値』の原稿を、PHP学芸出版部のエンマ今井大王様にお送りいたしましたので、とりあえず戒厳令は解除させていただきます。長らくのご協力、誠にありがとうございました。
しかし、まだ、エンマ様から「これでOK」のお返事をいただいたわけではありません。ただ「原稿を送った」というだけのことなのです。まだまだ、これから、エンマ様の逆鱗に触れ、
「フン! ダメじゃダメじゃ!! こんな原稿じゃ、受け取るわけにゃいかんわい!! 書き直しじゃ!!!」
とのご指示を受ける可能性も十分なのです。
とにかく、「出版界の鬼」と異名を取るエンマ今井部長様から「OK」が出るまでは、いかなる大有名作家先生であっても、ビクビクして食事も喉を通らないとのこと。それまでは、とても「書き終えた」とは申せません。ドキドキ・・・
語るべきことは山のようにありますが、本日は教授会やら委員会やら、大学の公務でボロボロに疲れており、持病の頭痛もバファリン程度では効かなくなっておりますゆえ、これにて、久しぶり(3週間ぶりくらいでしょうか)に、ゆっくりと熟睡させていただきます。
つきましては、また明日以降、ド〜ンと更新しますので、とりあえず、今夜はこれにて・・・
おやすみなさい・・・
5月17日版
ご期待のところ、誠に申し訳ございませんが、過労による体調不良により、
戒厳令を、22日まで延長
させていただきます。どうかお許しくださいませ。とほほ・・・
とにかく、寸暇を惜しんで休養、いや執筆に専念しておりますので、今回はこれにて。
5月9日版
ドッカ〜ン!!
と、出版界の鬼、エンマ今井大王様のお怒りが、大爆発!!!
「ご、ごめんなさ〜い!!」
と、私は、ひたすら土下座して謝るのみでありました。
それは、本日(9日)の、午後1時すぎのことでございます。新刊『人生の価値』の原稿締め切りを明日に控え、ついに覚悟を決めた私めが、PHPの学芸出版部に電話したのでありました。
すると、本当に久しぶりに、受話器の向こうから聞こえてきたのは、かの「観音菩薩の順子嬢」の、鈴の音の如き軽やかなお声ではありませぬか!(実際は、なぜか咳き込んでおいででしたが)
「おお、これは幸先が良いぞ!」と調子付いた私は、順子嬢に、「あのう、エンマ今井様は、いらっしゃいますでしょうか」と、意を決して取り次ぎを依頼したのですが・・・
あとは、すでに皆様お察しの通りに、上記の如く、エンマ火山の大噴火と相成ったわけでございます。
いえいえ、決して、この私、怠けていたわけではございません。黄金週間の間も、どこにも行かずに家族を泣かせながら自室にこもり切り、パソコンに向かうこと一日あたり16時間。なんと、気がついてみると、原稿枚数が400字換算で800枚を超え、すでに単行本2冊分の原稿を書き終えているではありませんか。(ちなみに、「大学で何をどう学ぶか」は、400字換算で170枚にすぎません)
ところが、書いても書いても書き足りず、「これも書かねば」「これも落とせぬぞ」と書き足しているうちに、あっという間に2冊分の分量になり、何とも収拾がつかなくなってしまったのでございます。
「し、しまった! 制限枚数を聞いておくのを忘れていたっ!」
と焦ったものの、時すでに遅し。
締切日を翌日にして、800枚を超えてもなおゴールの見えない原稿を前に、とうとう、エンマ大王の仏心(?)におすがりするしかなくなりました。
そこで、事情をお話して、粛々とエンマ大王のお沙汰をお待ちしたところ・・・
「うむ、かくなるうえは、締め切り延期の詔(みことのり)を発令するしかあるまいて。罪深いお前じゃが、800枚を書き上げたという精神力に免じて、あと1週間の猶予を与えてやろう」
と、願ってもない寛大なお言葉。おそらく、受話器の向こうで、私の大ピンチを悟った観音菩薩の順子嬢が、私を守ってくださる結界を張り、エンマ大王を惑わすウインク(セクシービーム?)を送ってくださったに、違いありません。
ただし、
「編集部門の我輩はお前の味方じゃが、さすがの我輩も、営業・販売部門からの要望は尊重せねばならん。せっかく書いたものはもったいないが、800枚とは、余りにも冗長すぎる危険性が高い。よほど出来の良い原稿を書かねば、容赦なくカットして、半分くらいの分量に縮めるよう命じるゆえ、覚悟しておくがよい。それが、この出版界の掟なのじゃ」
と、予想していた厳しいご注文も。
・・・というわけで、やっと本題に入りますが、
「戒厳令」を、17日まで延長
させていただきます。
どうか、もうしばらく、執筆に専念させていただけますよう、お願い申し上げます。
なお、戒厳令延長期間中でも、13日(金)の、日比谷公会堂での大宴会、いや大講演会には、這ってでも参上いたしますので、どうぞご安心ください。
ただし、ここ数日、「脳がキューッと締め付けられるようになり、背筋に寒気が走って吐き気がする」という、「脳梗塞」(のうこうそく)の前兆症状(私の持病のひとつです)が何度も出ておりますので、冗談や誇張ではなく、無理をすると、いつ本当に脳梗塞で倒れ、こと切れてしまうかわかりません。
そこで万が一のために、「生きがいメディカルネットワーク」のメンバーでもある福島県立医大の看護婦さんに新幹線に同乗いただき、東京の会場まで「護送」していただけるようお願いしました。何とか、講演を終えるまで、私の「ガラスの脳」が無事でいてくれるよう、祈るばかりです。(講演後に、脳の調子が悪かったり異常な発汗がみられる場合には、サイン&握手会は中止とさせていただきますので、その場合はどうかお許しくださいね。何しろ、2時間半もの間を1人で懸命にしゃべりますから、時々、講演後に頭痛でダウンしてしまうのです)
今後は、このような私の体調のこともあり、一般の方々とお会いできる機会は、めったになくなります。13日の講演会には、何とか頑張ってうかがいますから、当日、皆さんにお会いできますことを、心から楽しみにしています!
4月24日版
突然ですが・・・
本当に久しぶりに、
「戒厳令」発令!!
そう、戦争や革命など有事の際に、軍隊によって都市が占拠され、一般市民の外出が禁止されるなどの厳戒態勢下に置かれるのが、いわゆる「戒厳令」(かいげんれい)。
ただし、このホームページで過去に何度も発令された「戒厳令」とは、「飯田の新刊執筆が佳境に入った(ピンチに陥った?)ため、お手紙・Eメール・お電話など外部からの情報を遮断し、ホームページの更新も休止して、原稿の完成まで、パソコンの前に立てこもること」を意味しています。
すなわち、
本日より、新刊『人生の価値』の原稿締切日である5月10日までの間、このホームページの更新を、休止させていただきます。
また、毎日50通前後も届くEメールも、よほど重要な急用、あるいは最愛のエンマ今井大王様からのラブレター以外には、お返事はできません。さらに、研究室に届くお手紙も5月10日までは封を切りませんし、研究室の電話の受話器も取りません。
どうか、ご了承・ご協力くださいますよう、お願い申し上げます。そうしないと、このままでは5月10日の締め切りに間に合わず、PHPのエンマ今井大王様から、ひどい目にあわされてしまうのです。
(え? どんな「ひどい目」なのか、ですって? いえいえ、それは、口が裂けても申せません。ああされたり、こうされたり、あんなことまでされてしまうのです。ああ、想像するだけでも、悶絶してしまいそうです・・・おお、神よ、仏よ、宇宙よ、ご先祖様よ、どうかお守りくださいませ・・・)
その代わりに・・・
必ずや皆様にお喜びいただけるような、素晴らしい本を産み出せますよう、全身全霊をこめて、夜も寝ないで(昼寝をしながら)、精一杯がんばります!
さて、5月10日に、このホームページで、「書き上げました!」の嬉しい御報告をすることが、本当にできるのでしょうか?
それとも、「・・・ダメでした・・・」という、トホホな詫び状を掲示することになってしまうのでしょうか?
そこで、読者の皆様のお力をも総動員して、新刊『人生の価値』を、皆様と一緒に書き上げたいのです・・・どうか、5月10日までの間、パソコンに向かう私の姿を思い浮かべて、応援のエネルギーを送っていてくださいね!
では、5月10日に、このホームページでお会いしましょう!
4月13日版
お待たせしました!
久しぶりの、まともな(?)更新です。
昨日は、福島県立会津女子高等学校(福島県を代表する名門校)で、体育館を埋めた女子高生たちに向かって講演してきましたので、彼女たちから大いにパワーをもらって帰ってきました。そこで、カラ元気が出ているうちに、一気に更新をしてしまいましょう。(でも、90分の講演の中で一番受けたのが、ウサギのミッフィーちゃんのネクタイだったとは・・・とほほ・・・)
まずは、発売されたばかりの新刊、『大学で何をどう学ぶか』の感想メールから、一部をご紹介しましょう。このほか、感想のお手紙もたくさんいただいておりますが、お手紙を入力する時間がないので、メールからの引用のみで失礼させていただきます(メールならばコピーして貼り付ければ簡単ですからね)。
********************
昨日、昼休みに文教堂(新橋駅前)に行き、ようやく?
手に入れました。
平積みではないけれど、新刊の目立つところに置いてありました。
ラーメン食べつつ、一読、アルバイトの項では笑い、経験の項ではフム、
家の息子はどう読むのか、と考えたりしました。
昨日は、歓送迎会の次の日で、いささか二日酔いでした。
それですっきりした4日の今日、改めて「大学で、、、」を
読み返しました。
「試練と悦楽」いい言葉ですね。大学生や高校生に呼びかける形で、
ちゃんと普遍的な人生論になっているのには、いまさらながら感心します。
また3章の「大学の使いこなし方」は、サラリーマン必読の項だと、思います。
この本は、親が買って子供に送るもの、
そして、そのために親が読んで自らも考えるもの、だと思います。
日常にとらわれていると、ついつい「苦痛と快楽」にはしりがちですが、
飯田さんの本の基調に流れるテーマの1つ、人生は「試練と悦楽」を、
再度、肝に命じたいと感じる次第です。
ともあれ、息子やその友達にも送ろうと思います。
********************
********************
ただ今仕事から帰りました。読者の皆さんからの新刊の反響をHPに先に更新されては・・・と思いメールしました。
またまた、しばらく更新できなくて、ごめんなさい!
何しろ、新学期ですからね・・・
でも、もう少しです。そろそろ更新できそうなので、あとちょっぴりだけ、お待ちください。
私は元気にしていますから、どうぞご心配なく。
次回、新刊「大学で何をどう学ぶか」の反響に加えて、「50万人目記念プレゼント」に関する、意表をつくショッキングな展開について大公開しますので、どうぞお楽しみに!
では、今夜(正確には早朝ですが)は、もうバッタリ寝ます・・・
・・・ムニャムニャ・・・zzz・・・
4月3日版
新刊「大学で何をどう学ぶか」、
PHP文庫より、本日、全国発売!
そう、しばらく雲隠れしているうちに、前回の更新から2週間以上が経ってしまい、皆様から「更新はしないのか」というご心配(というか、ほとんどお叱り・脅迫に近い催促)を、多数いただいております。この場を借りて、皆様にお詫び申し上げます。
そ、それにしても・・・「50万人目」達成後、1週間以上も経つのに、まだ、当選者からのご連絡がありません。今度こそ、企画倒れに終わってしまうのでしょうか?
「499999人目」だった女性からは、とっくに、残念無念の涙のお手紙が届いているというのに・・・
以下3月15日版
こ、これは!! (絶句)

そうです。
新刊『大学で何をどう学ぶか』の表紙完成版見本が、我が家に届いたのです。
実は、今回の表紙は、このHPの読者にはおなじみの(最近ファンも増えてきた)PHP文庫編集長の「マリオネット大久保」氏のセンスに、全面的にお任せしていたので、私も初めて拝見したのです。みなさん、いかがでしょうか?
とにかく、目立ちまくることだけは、確実です。書店で文庫コーナーに行けば、ひと目で発見できることでしょう。実は私、大いに気に入ってしまいました。
一方、気になるその内容は・・・

・・・という感じです。
つまり、内容は、基本をきちんと真面目に押さえながらも、私自身の学生時代の体験談や、現代学生の気質・動向などを数多く盛り込んで、「おもしろくて、ためになる本」を心がけました。
私の個人的な体験談・失敗談などもたくさん盛り込んで、大学生はもちろんのこと、高校生・中学生でも面白く読めるように配慮しました。中学・高校・大学に通学中のお子様へのプレゼントに、ぴったり!
もちろん、すでに大学を卒業してから何年も経った大人の方々や、大学に行った経験をお持ちでない方々にも、「なるほど、そうだったのか!」と、興味深くお読みいただけるはずです。
しかも、内容は、若者向けの「人生論」にもなっており、大人になる前に知っておくべきこと、人生の落とし穴の話など、親が子供にしておくべき「人生訓」も、自然な形で頭に入っていくよう心がけました。私が講義でしゃべる内容をそのまま文章化した部分もあって、大学で行う私の講義の雰囲気も味わっていただけます。
そのほか、「えっ、飯田先生って、こういう人だったの?」と、私のイメージがガラガラと崩れ去ってしまうような、恥ずかしき青春時代の思い出話もあり、単に「飯田先生の素顔を知ってみたい」とおっしゃる熱狂的?愛読者の方々の「怖いもの見たさ」にも、大いにお答えできるはず。少なくとも、これまでの私の著書の中で、「もっとも笑える本」であることは、間違いありません。
さて、発売は、
「4月3日には、全国の書店の店頭に並ぶはずです」とのこと。
書店によって置き場は異なるでしょうが、少なくとも、PHP文庫のコーナーには入荷するはず。店員さんに、「PHP文庫から発売されたばかりの、飯田史彦さんの『大学で何をどう学ぶか』という本は、どこにあるでしょうか?」と、わざわざ大きな声で尋ねてご購入いただければ、宣伝効果も兼ねて一石二鳥というものです。よろしければ、各自自主的に、「新刊宣伝部隊・志願兵」の重大任務を遂行してくださいますよう、失礼ながら重々お願い申し上げます。
発売まで、あと20日。どうぞ、お楽しみに!
3月9日版
ああ、無情・・・
前回の更新で、「衝撃の宣言」を予告しておきましたところ・・・予告なんかしてしまったのが、いけませんでした。内容を察した各方面の様々な方々から、「まぁ待て」「まだ早い」「急ぐでない」「もう少し様子をみろ」「早まるな」「時を待つのじゃ」などと、有難〜いアドバイス(というか、ほとんど圧力)をいただいて、さすがの私も、「むむむ・・・」と断念せざるを得なくなりました。
つきましては、「衝撃の宣言」は、もうしばらく、時が満ちるまで凍結させていただきます。
(でも、いつ爆発して、突然に宣言してしまうかも・・・もう、予告なんかしないぞ!)
それにしても、皆さん、「**宣言」の内容を、勝手にご想像なさっているので、大いに楽しませていただきました。多かったものから順にあげていくと、
@ 正体宣言(ついに私の正体を明かすこと・・・フフフ・・・)
A 辞職宣言(大学教官を辞めて作家になること)
B 転職宣言(他大学の教官になること)
C 唯物宣言(私は今でも、心の半分は唯物論者ですよ。何事も、バランスが大切です)
D 離婚宣言(妻の方から宣言されてしまう危険性はありますが・・・)
E ダイエット宣言(これは常にしておりますので、何を今さら・・・)
F 断食宣言(するもんですか!)
G 出家宣言(そろそろ頭を丸め・・・るわけないでしょ!)
・・・などなどでしたが、さて、真相はいかに?
というわけで、本日は、いくつかご連絡です。
(1) 講演情報!
「今後の動向」のページでご報告しましたように、私が行う一般公開の講演(このホームページ上で公開する、誰でも入場できる講演会)は、あと3回を残すのみとなりました。
ところが、この「一般講演休止宣言」の反響が大きすぎて、以下のような状況です。
@ 2月24日、福井・・・すでに終了しましたが、通常60名、収容人数120名の部屋に対して、200名もの参加があり、非常イスを出して通路までびっしり、何とか全員入場いただきました。窮屈で、すみませんでした。
A 3月22日、岡山・・・主催者の病院から、このようなFAXをいただきました(しかも1月30日の時点でした)
「前略 大変お世話になっております。当日は、打ち合わせを兼ねて、18時頃においでいただけましたら幸いに存じます。今回の飯田先生の講演会は、当研究会始まって以来の大きな反響で、驚いております。関東、関西、四国をはじめ、全国各地から参加したいとの問い合わせをいただいており、事務局としては、本当に部屋に皆さんが入れるのかという、嬉しい心配をしているところです。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
B 3月24日、北九州(小倉)・・・主催者から、このようなメールをいただきました(しかも2月末の時点でした)
「飯田先生、もうこれ以上は入れません。本当に満席です。定員200名のところ、どうしてもという方々をお断りきれず、とうとう300名になってしまいました。この1週間だけで、100名前後も申し込みがあったのです。あと1ヶ月も先だというのに、どうしましょう。ありがたいことです。」
C 5月13日、東京・・・主催者から、このようなメールをいただきました(2月18日の時点)
「先生、ホームページでご紹介くださったのですね。その翌日の1日だけで、100件以上の申し込みがありました。ありがとうございます。」
・・・という大変な状況です。
特に、3月22日の岡山は、医院の内部が会場であり、いつもは平均30名前後の参加者しかいないため、今回も事前予約や人数把握は全く行っていなかったとのこと。いったい何名の方々がおいでになるのか、当日になってみないとわかりません。会場からあぶれたくない方は、どうぞお早めにご来場のうえ、座布団などを持参して席を確保くださいませ。
また、小倉での講演会も、予約なしで当日においでくださっても入場は保証できませんし、何とかスペースを見つけて入場できたとしても、立ち見になる可能性が高いことをご承知おきください。
(2)「50万人目」記念スペシャル・プレゼントのお知らせ!
あっという間に10万アクセスが増え、そろそろ、「50万人目」がやってきそうな気配です。
何しろ、今回は、区切りも良い、記念すべき「50万人目」ですから、「40万人目の時を超える、超スペシャルなプレゼントを差し上げねば」と思案したのですが・・・・・・
そこで、苦肉の策として考え出したのが、以下のプレゼントでありました。
@ おなじみ、「お話券」(仕事でお近くにおうかがいした際に、お会いしましょう!)
A 『大学で何をどう学ぶか』、サイン入り見本本を世界一早くお届けします!
B 私の「友人用・マル秘メールアドレス」をお教えします!
C 今回初登場、「お電話券」(私の方からお電話して、お話させていただきます!)
・・・いかがでしょうか?
実は、過去にせっかく「お話券」を獲得なさった方々の多くは、遠方にお住まいであったり、私が近くを通る際にスケジュールがどうしても合わなかったりして、残念ながら、いまだにお会いできないままなのです。
そこで登場したのが、「お電話券」!
お電話でお話するというのであれば、どんなに遠方の方であっても、すぐに実現可能というもの。ご都合の良い曜日・時間帯などと、お電話番号をお教えいただければ、こちらからお電話させていただきます。めでたく「50万人目」に当選なさった方は、その画面を印字するか写真に撮って、住所・氏名・電話番号などを明記の上、「960−1241 福島市 福島大学経済学部 飯田研究室」までお送りください。さっそく、お電話させていただきます。お友達とご一緒でも、かまいませんよ。いろいろお話しましょう!
え? 「べつに、あんたと話なんかしたくない」って?
そういう人は、「50万人目」が近づいたら、自ら謹慎し、このHPはしばらく開かないこと。
PS. 前回更新の中で、3番目に使った「18禁」のアニメーションが、一部で話題騒然となっているようですが、あれは「あらゆる煩悩をひっくるめてイメージ化したギャグ」にすぎず、アニメの絵柄そのものに現実的意味はありません。単なるジョークであり、絵柄として面白いので使っただけですから、そのまま生真面目に受け取って、おかしな憶測をなさらぬよう、重々お願い申し上げます。 m(_
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PS−2. 前回更新の中で、扉の向こうから私に聞こえてきた「光の声」って、どう考えても「エンマ今井大王様」と同じ語り口としか思えないのですが・・・もしや、そうだとすれば・・・
3月4日版
ああ、怒涛の2ヶ月・・・
21世紀に入ったとたん、次々と襲ってきた、思わぬ試練の激流・・・
ここで詳しく書き記すことは、口が裂けてもできませぬが、
・・・と、身の毛のよだつような陰謀に巻き込まれかけていたことが明らかになったり、
・・・と、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような悪女に騙されていたことに気づいたり、
・・・と、煩悩に満ちた安易な極楽浄土へ誘われそうになったり、
・・・と、「我が人生、何のためにここまで頑張ってきたのだろうか」と絶望するなど、
つい先日までは、
「これが飲まずにいられるか、ってんだ!」
・・・とばかりに、苦しみ悩んでいた私でありました。
しかし、ふだん、全く酒を飲まない私ですから、我が家には、こんな時に飲むべき酒もありません。しかたなく、酒の代わりに、岐阜の船戸クリニックの院長先生からいただいた、「奥長良川・高賀の森水」という超おいしい水をグビグビ飲んで、神様に向って悪態をつき、くだを巻いておりましたところ、
何と!
あたかも目の前で閉じていた重い扉が開くかのように、心の奥にまぶしい光が射し、
「史彦や、原点に返れ。今こそ、原点に返るのじゃ! お前が5年前に、はじめて今生の使命に目覚め、周囲の人々に馬鹿にされ制止されながらも、勇気と正義感を振り絞って、論文『生きがいの夜明け』を世に問うた、あの頃の、ほとばしるが如き創造性と断固たる信念を、思い出すのじゃ! 自分を捨てて、世のため人のためにその身を捧げようと決意した、あの時の使命感に立ち返り、今、お前が本当に為すべきことは何なのかを、内なる自己に問い正すのじゃ!」
・・・と、光の声が聞こえてきたのでありました。
すると、ちょうど、その直後。
これまで私の「生きがい論」シリーズを世に出してくださっていた、PHP研究所学芸出版部のドン、出版界の鬼と異名をとるエンマ今井部長大王様が、その忠実な懐刀(ふところがたな)として知られるマリオネット大久保氏(PHP文庫編集長)を従えて、遠路はるばる福島の地に降臨なさったのでありました。
福島市郊外にそびえる、標高1800mを超える吾妻山の中腹、なぜか硫黄の匂いが立ち込める秘密の会合場所で落ち合った我々3名。
それは、しばしの宴(うたげ)の後のこと・・・エンマ今井大王が、おもむろに、私にこう尋ねてきたのです。
********************
エンマ 「ところで飯田先生、この戦乱の世、人の宿業の深さと情のはかなさを、大いに憂いていらっしゃるのは、よう分かり申した。しかし、まさかこのまま筆を折って、いずれやに隠遁してしまわれるのでは、ありますまいな?」
私 「・・・・・・」
エンマ 「のう、大久保よ。そちは、どう思う?」
(注: 水戸黄門に出てくる悪代官の顔で)
マリオネット 「はっ、飯田先生がこのまま世をはかなんで、筆を折ってしまわれては、わが国、一億二千万人の飯田先生ファンの読者の皆様のなかに、先生の後を追って、人生を投げ出す者たちが続出してしまうこと、間違いありませぬ。」 (注: 水戸黄門に出てくる、悪代官と癒着した悪徳商人の顔で)
エンマ 「ほほう、やはり、そちもそう確信するか。・・・聞きましたか飯田先生。全世界10億人のファンを代表するこの大久保の、泣き濡れて哀願する姿が、目に入らぬとは言わせませぬぞ!」
私 「・・・・・・し、しかし、大王様・・・今の、この疲れ果て、我が身でさえ救い難き状況の私めに、いったい、世のため人のために、どうせよとおっしゃるのですか? そのような優れた本など、今の我が身に、書けるのでございましょうか?」
エンマ 「書ける。いや、書けるかどうかではなく、書くかどうかの問題なのじゃ。飯田先生には、そのお力が備わっていらっしゃる。このエンマには、わかるのじゃ。この末法の世を正しく導く書をお書きになれるのは、飯田先生をおいて他には、いらっしゃらぬ。先生は、そのお力をお持ちなのじゃ。あとは、先生が、そのお力を発揮しようと思いなさるかどうか、つまり、書く意志をお持ちになるかどうかという問題なのじゃ。」
私 「ふむう・・・」
エンマ 「まだお迷いでいらっしゃるようじゃな? 編集者生活20余年、この百戦錬磨のエンマにかかれば、飯田先生の御心など、お見通しじゃ。かくなる事態においては、視点を変えて考えてみるのが良ろしかろう。そこで飯田先生、もしも、次に何か書くとすれば、いかなる書物を世に問いたいとお思いか?」
私 「むむむ・・・そ、それは・・・読者が求めている本、世の中のニーズに沿った本を出したいというのが、私の常々の願いではありまするが・・・何しろ私めは経営学者ですから、『読者のニーズに応えて、歓迎される本は何か』という、経営学の基本原理を念頭に置いておりまする。その観点から言えば・・・すでに私の著書の読者層が広がり、そのニーズも多様化の一途をたどっておりますため、実は著者の私にも、いったいどのような本を書けば最も広範な読者層から歓迎されるのか、わからなくなってしまっているのでございます。」
エンマ 「そう、そこじゃ! そこに落とし穴があるのじゃ!!」
私 「???」
エンマ 「飯田先生、あなたは、なまじ経営学者でいらっしゃるがゆえに、『読者のニーズに応える商品を作る』という経営学のセオリーに囚われてしまい、『創作家』としての自由な創造性をお忘れになってはいらっしゃらぬか? のう、大久保よ、そちはどう思う?」
マリオネット 「まさに、しかり! 飯田先生、よ〜くお考えくださいまし。飯田先生の読者は、ほかの通俗本の読者とはひと味異なり、飯田先生に『面白い本』を求めていらっしゃるのではございません。飯田先生の読者の皆様は、ただひたすらに、飯田先生の真のお考え、飯田先生の生々しい想い、そのお言葉を、お待ちになっておいでなのです。したがって、飯田先生の場合には、ほかの一般の作家先生とは異なって、『面白い本』を書こうとして読者のニーズに合わせる必要は無いのではありますまいか? おそらく、『今、飯田先生が書きたい本』こそが、飯田先生の読者が真に求めている本なのでございましょう。少なくとも、飯田先生のファンを代表して、私は、飯田先生にしか書けない、飯田先生ならではの、比類なきご著書を、欲しているのでございます。飯田先生が一番書きたい本こそが、まさに読者の求めている本なのではありませぬか?」
エンマ 「うむ、大久保よ、よくぞ申した! まったく、その通りじゃ。・・・飯田先生、このエンマが申し上げたいことも、要するに同じことなのじゃ。経営学者でいらっしゃる飯田先生には、あえてこのように申し上げるが、このエンマにとっては、もはや飯田先生のご著書は、我が社の宝。そう、宝なのでござる。したがって、もはや飯田先生のご著書に至っては、売れるかどうかということは、二の次なのじゃ。もちろん、出版社としては、商品が売れてくれねば困ることは否定せぬが、もはや飯田先生のご著書の場合には、売れるかどうかは二の次にして、我が社の宝として大切にさせていただきたいのじゃ。つまり、飯田先生には、とにかく、『世のため人のためになる、後世に残る優れた人生論』を、我が社から書き続けていただきたいのじゃ。このエンマの目の黒いうちは、生涯、飯田先生のお考えを世に問うためのお手伝いをさせていただきたいのでござる。」
私 「おお! エンマ大王様から、そこまで申していただけるとは、これぞ、作家冥利に尽きるというものでございます。本当に、売り上げなど気にせず、読者のニーズにとらわれることなく、遠慮なく『書きたい本』を書けば良いのでございますか?」
エンマ 「その通りじゃ。もちろん、我輩のほかにも、我が社には、デーモン、サタン、デビルなど、個性豊かな重役の面々が控えておるが、『飯田先生に、類書なき良書を世に問うていただきたい』という点では、紛れもなく見解が一致しておる。それが、我が社を創業してくださった松下幸之助師匠以来の、伝統なのじゃ。良い本を書くこと、それこそが、結果的に、世の中からも広く喜ばれるのじゃ。あの、爆発的ベストセラーとなった第1作、『生きがいの創造』でさえも、正直なところ、当初は誰も売れるとは思わず、実質7000部しか印刷しなかったではないか・・・それが、今では、文庫版を含めると50万部にも至っておる。売れるかどうかは、神の領域に属する問題じゃ。我々出版人にできることは、とにかく、優れた本を生み出していただくことしかないのじゃ。そこでご提案じゃが・・・大久保よ、例のものを、ここへ。」
マリオネット 「ははっ、ただ今。・・・飯田先生、これをご覧くださいまし。」
私 「???」
マリオネット 「先生、この一枚の紙に、我々の望むものを書いてございます。」
私 「・・・な、何と! 『人生論3部作』ですか?!」
マリオネット 「いかにも。飯田先生には、我が社が世に誇れるような素晴らしいご著書を、今後も次々と発表していただきたいのでございます。もちろん、これまでのご著書も、どこに出しても恥ずかしくない名著だと、誇らしく思っておりますが、今度はそれをさらに超える名著シリーズを、世に問うていただきたいのでございます。飯田先生のお力を最も引き出し、飯田先生のお言葉をびっしり詰め込むことができる書・・・それは、『人生論』をおいてほかにはございませぬ!」
エンマ 「あっぱれ、大久保よ! その熱意、しかと見届けたぞ。これでお前も、立派に我輩の後を継げるというものじゃ。・・・のう、飯田先生よ、この大久保の涙目に免じて、『人生論3部作』を、世に問うてはいただけまいか?」
私 「わかり申した! ご両人のご期待にお応えして、後世に残る優れた本を生み出しましょう。恥ずかしながら、私、ようやく目が覚めました。私は、読者のニーズにこだわりすぎて、創作家、アーティストとして自己主張する喜びを、忘れてしまっていたのです。読者のニーズに迎合するのではなく、たとえ多くの読者からは歓迎されなかったとしても、自分が世に問いたいことを真正面からぶつけることの喜びを、再びこの手に取り戻すことにいたしましょう!」
エンマ 「おお、それでこそ、飯田先生じゃ!」
マリオネット 「そう、そのお顔・・・小生が初めて飯田先生にお会いして、『あまり売上げは期待いただけないでしょうが、とっても良い本ですから、ぜひ我が社から出版させていただきましょう』と申し上げた、あの時の使命感あふれる飯田先生のお顔が、5年ぶりに蘇ってきたかのようでございます!」
私 「そうなれば、もう書名まで決まりました。私がずっと、本当に書きたいと思っていた、私の想いを目一杯に詰め込んだ本・・・これまでのように、過去の名著やその道の専門家たちの本から意図的に引用しながら書くのではなく、私自身の生々しい言葉で書き綴るべき本の構想があるのです。」
エンマ 「して、その書名は!?」
私 「その書名は・・・まさに、これ以上ないほどダイレクトな書名、正々堂々、直球勝負の書名です。」
マリオネット 「そ、それは、いったい・・・」
私 「ただ一言・・・『人生の価値』!」
エンマ 「おお、人生論3部作第1弾、『人生の価値』の誕生じゃ! す、素晴らしい!!」
マリオネット 「おお・・・おお・・・」(声にならず、ただ感涙にむせぶ)
エンマ 「よし、それじゃ! 善は急げ、今夏発売じゃ! 大久保よ、そのスケジュールで、原稿の締め切りは?」
マリオネット 「はっ、ゴールデンウイーク明けでござりますっ!」
私 「え”え”〜〜〜っ!!!」
********************
・・・ああ、かくして、新幹線の中で重々打ち合わせてきたのであろう御両人の陰謀にしてやられ、またもや「締め切り地獄」へと落ちてしまった私。
そこで私が下した、ある重大な決意とは?
ゆえに次回の更新で公表する、ある衝撃の宣言とは?!
次回、ご覚悟ください!
《続く》
2月15日版
緊急訂正!!
昨日の更新の「PS」(追伸)部分の内容につき、重大な事実誤認があることを、妻から厳しく指摘されてしまいました。つきましては、ここに、以下のように正しい表現へと修正させていただきます。
《誤》 研究室の机の上が → 《正》 研究室の机の上の一角(いっかく)が
なお、昨日予告した「おおっ!と驚く重大発表」の件、その後、雲行きが怪しくなりましたので、いったん撤回させていただきます。うまくいけば、また近日中に復活するかもしれませんが、見通しは五分五分といったところです・・・
2月14日版
ふう・・・現在、14日の午前0時すぎ。
所用があって、ようやく帰宅したところです。
めでたく、昨日の早朝7時前に、Eメールの添付ファイルで、「大学で何をどう学ぶか」の原稿をPHPに送ったばかりなのですが・・・果たして、合格点をいただけるのでしょうか??
ところが、一難去って、また一難。
実は、先日行った私の担当科目「人事管理論」の試験答案(300数十人が受講)の採点を、明日(木曜日)の夕方5時までに終えて、大学の教務係まで持っていかねばならないのです!
90分の試験時間で、B4版の解答用紙の表裏両面に、ほとんどの学生がびっしりと解答しており、中には、追加の解答用紙を請求して2枚に渡って書いている学生も、数十名にのぼっています。私の講義は、受講者のほとんどが年間を通じて「全出席」してくれているので、答案の出来も大変良いのです。
しかし、1名分の答案を読んで採点し、提出名簿に転記して確認するためには、最低5分はかかってしまうので、1時間に10数人分採点するのが精一杯。ということは、300数十人分を採点するとなると、いったい・・・
・・・というわけで、本日の更新は、ここまでが限界だということが、おわかりいただけることでしょう。
原稿締切延期騒動のてん末と、その交換条件としてエンマ今井大王の口から発せられた、聞くも涙、語るも涙の厳しいお達しのご報告については、どうか、採点が終わるまで、お待ちください!
次回更新では、きっと皆さん、「おおっ!!」とびっくりなさることでしょう。
では、これから朝まで、寸暇を惜しんで、採点、頑張りま〜す!
PS. 今、研究室の机の上が、ジャニーズ事務所状態です。
ああ、糖尿病が怖い・・・ (さて、何のことでしょう?)
2月9日版
ああ・・・ど、どうしよう・・・
本日(9日)の午後6時に、PHP研究所学芸出版部のドン、泣く子も黙る「エンマ今井部長」大王様が、その忠実な操り人形として有名なPHP文庫編集長の「マリオネット大久保」氏を引き連れて、福島駅に降臨なさるのです。もちろん、目的は、私の手から、新刊の完成原稿をもぎ取ることに他なりません。
本当は、先月末が締め切りだったのですが、なんだかんだとヤボな用事が入ったり、締め切りを延ばしていただくことに成功した瞬間から、妙に「まったり」した気分になって気合が入らなかったりして、とうとうこの日がやって来てしまいました。
し、しかし・・・
「だいたい10万字前後・・・そうですねぇ、400字詰め原稿用紙に換算して、最低200枚から最高250枚くらいにしてください。今回はあんまり厚い本にはしたくありませんが、さすがに200枚以下では、本としての体裁が整いませんからね」と、マリオネット大久保氏の執筆条件でしたが・・・
まだ、実は、150枚少々しか書けていないんです!!
かくなるうえは、あの手この手で泣き落として、「連休明けまで」にでも、締め切りを延ばしていただくしかありません。しかし、すでに、あの手もこの手も、かつて使ってしまったし・・・
本日午後6時に、待ち合わせ場所である福島***ホテルのロビーで、土下座して哀願する私の涙声と、私をどつき回すエンマ大王の怒号と、私に浴びせるマリオネット大久保氏の罵声が、三つ巴となって響き渡ることでしょう。
ああ、私の運命やいかに??
次回更新、「締め切り延期騒動」のレポートに、ご期待ください!!
1月31日版
うう・・・
執筆、執筆・・・ (>_<)
1月24日版
いまだに、1月6日に行った「敗北宣言」への反響がたくさん届いています。皆さん、本当に優しい激励のお言葉をくださるので、ただただ有難く拝読するばかりです。内容は、前回更新までにご紹介したものとほとんど重複しますので、ここでご紹介するのは避けさせていただきますが、とにかく私から申し上げられるのは、「応援ありがとうございます!」のひと言です。なかでも、「今回の宣言は、1冊の著書にも匹敵する貴重なものでした」というお言葉には、たいへん救われました。
し、しかし・・・ただ1点だけ、何人もの方々から、「先生、人にお金を貸しちゃダメですよ」という、有難いお叱りをいただきました。そうおっしゃるお気持ちは、大変よくわかります。私も、他人にはそう戒めるのですが・・・
でも、でもですよ! (と、突如として語気を強める私) 私だって、それは重々承知のうえで、しかし、それぞれよほどの事情があってお貸ししたものばかりなのです。
たとえば、すでに当事者が母国に帰国したので時効になったものを公開すると・・・以下のような事例を想定してみてください。
私の知り合いに、東南アジアの発展途上国から留学してきた、ある女性がいたとします。その女性は、日本で日本語と日本的経営について学ぼうとする留学生であると同時に、3人の小さな子供の母親であるとします。そして、同じ国の人であるご主人(日本語はカタコト)とお子さんたちと一緒に、福島にやってきたとします。そのご家族の夢は、日本で学んだことを母国で生かして、事業を起こして成功させ、同時に、日本で学んだ経営学を母国に広めることであるとします。奥様の方が頭脳明晰なので勉学に専念し、ご主人は福島のアジア料理屋でコックのアルバイトをするなどして、家族5人のつつましい生計を支えているとします。ご主人は、酒も飲まずギャンブルもしない敬虔なイスラム教徒で、家族を養うだけのために懸命に働いているとします。その家族5人の1か月分の生活費は、日本人の大学生が1人生活する費用よりも少ないとします。奥様は、勉強をするための本代にも困っており、私がいくつかの奨学金の推薦状を書いてあげて、何とか最低限の勉学費を確保しているという状態だとします。
さて、彼女の一家が福島にやってきてから数ヶ月が経ち、秋がやってきたとします。実は、3人のお子様のうち2人は保育園児なのですが、福島には外国人の子どもを預かってくれる保育園がわずかしかなく、彼女一家が住んでいた格安の留学生専用住居からいちばん近い保育園でも、距離にして3キロ以上になり、バス路線がなく、自転車で20分かかるとします。これから寒い冬が来て、福島ではかなりの雪が降るのですが、彼女一家は「雪」というものを見たこともなく、雪国の生活など全く想像もつかない状態だとします。そして、そんなある日、彼女と私との間で、このような会話があったとします。
「これから雪が積もる季節になるけど、子供たちはどうやって通園させるの?」
「つうえん?」
「子供を、保育園に連れて行くことだよ。」
「ああ、わかりました・・・でも、雪、降っても、自転車しかない。」
「ええっ! でも、冬になると、一日中気温がゼロより下のままの日が続いたり、雪が何十センチも積もったり、冷たい風が吹き荒れるんだよ。そういう中を、毎日朝早くから、小さな子供2人を乗せて、自転車で3キロも通園させるつもりなのか?」
「でも、そうするしかない。がんばる。」
「がんばるったって、そりゃ無茶だよ。雪が降ったり突風が吹いたりして、傘なんかさせないんだし、雪道や凍りついた道で自転車に乗るのは、とっても危ないんだ。子供を2人も乗せて、転んで大ケガをするぞ!」
「でも、しかたない。」
「車は運転できるの?」
「できる。でも高くて買えない。」
「だけど、何とかして買わなきゃ。車でなければ、通園は無理だ。福島の冬は、自転車じゃ絶対に無理だよ。」
「でも、そんなお金ない。」
彼女一家は社会的信用がないのでローンは組めず、銀行も金融業者もお金を貸してはくれません。それでも、刻一刻と、冬は近づいているのです。
・・・かくして、彼女一家にお金を貸してあげることのできる、この世でただひとりの人間、つまり私が、中古車センターで数十万円の車を買い、スタッドレスタイヤを履かせて、冬を乗り切るための道具一式をそろえてやることになるのです。彼女のためというよりも、彼女の幼い子供たちの命を、厳しい冬から守ってやるために。
もちろん、彼女は泣いて感謝してくれ、「毎月1万円ずつ先生に返す」と申し出てくれたとします。しかし、彼女一家の厳しい生活を知っており、さらに車の維持費がかかることを理解している私は、そんな約束が守られるとは思っていないとします。そして実際に、彼女から、「今月は払えない。ごめんなさい」と謝られることが続くとします。そこで私の方から、「お金を返してくれるのは、いつか生活に余裕が出てきた時でいいから」と、申し出ることになったとします。けれども、彼女の生活に余裕など生じるはずがありません。
そのまま2年間が過ぎ、帰国の時期が近づいたとします。ところが、彼女一家は、帰国するための航空券も買えないほど、お金に困っているとします。そこで私は、「あの車はいらなくなるのだから、中古車屋さんに売って、航空券を買いなさい。余ったお金は、持って行きなさい」と申し出るしかなくなったとします。彼女は一度は辞退しますが、私は、「これは君にあげるんじゃなくて、君の子供たちにあげるんだから、受け取りなさい(for
your children !!)」と強調したとします。彼女は、「いつか母国で成功したら、必ず先生にお返しします」と言い残して、帰国したとします。
・・・このようにして、読者の皆様からいただいた貴重な著作権料が、あっという間に、どんどん消えていったというわけです。いや、消えてしまったのではなく、「いったん私の手元に集めたうえで、渡すべきところに配分した」わけですから、単に、「世の中からお預かりしたお金を、付加価値をつけて、世の中に還元した」ということにほかなりません。どれもこれも、上記の事例に負けず劣らず、私には選択の余地がなかったものばかりなのです。だからこそ、「反省すれども後悔せず」(自分の未熟さ、甘さを反省はしているが、動機と結果については後悔していない)というわけです。
それでも、あなたは私に、「ほとんど他人同然の人にお金なんか貸したら、かえって相手を甘やかすことになるだけだから、やめなさい」とか、「本当に相手の成長を願うのであれば、お金など貸さないで苦労させる方が良いのだ」などと、おっしゃいますか? それこそ、机上の空論だとしか言えません。
これは理屈ではなく、目の前の現実の問題なのです。ただ「お金が無くて車が買えない」という事情だけのために、真冬の早朝、肌を切るような寒風の中、吹きつける雪にまみれた顔で3キロの道をトボトボ歩く、遠く東南アジアから来た母子3人の姿を、まぶたに思い浮かべてみてください。そして今現在、幸いなことに、自分の手には、その母子を救うために充分なお金があるとしたら・・・きっとあなたも、後のことなど考えずに、「どうぞお使いください」と、差し出す気持ちになることでしょう。あなたが、この世に人として生まれてきた理由を、すっかり忘れ去っていらっしゃらない限りは・・・
ここで、私の「愛の論理」をお持ちの方は、ぜひ、121ページの最後から122ページの5行目までを、開いてみてください。ここに、なぜ私が「方法論的敗北」(つまり経営破たん)してしまったのかという理由、そしてそれは「方法論的な敗北ではあっても、むしろポリシー(主義)的には真の勝利なのだ」ということの根拠が、書かれているからです。書いたからには、まず自らが実践していなければなりません。
・・・ごめんなさい。こんなこと、人にお話すべきことではないと思い、これまでは書かないでおいたのですが、「人にお金を貸しちゃダメですよ」と(もちろん私へのご好意で)おっしゃる方が少なくないので、仕方なく、最低限だけ書かせていただきました。
おっと、こんなことで時間を費やしている暇はありません。
今夜もこれから、執筆、執筆・・・
1月18日版
前々回更新で行った「敗北宣言」以降、ますますたくさんのご連絡をいただいています。
まずは、それらの中から、代表的なご意見をご紹介しましょう。
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飯田君へ
日本列島極寒の日々が続きいかがお過ごしでしょうか?
さて、先般の敗北宣言ですが、いつかその日が来ると思っていましたが、おおいに歓迎です。貴君の真のねらいは、貴君個人を信奉するのでなく、一本のキャンドルから灯が灯りそれが広がる(つまり生きがい論が広がり、全ての人々が生きがいを持って充実した日々を過ごし、人生に生きる意味を見出す−それは貴君個人の発信から影響を受けた人の相互ネットワーク、そしてその影響を受けた人が別の灯火となって、蝋燭の灯火が広がっていく=生きがい論の広まり)事を目的としていると思われます。(極論すれば貴君個人が不在でもこの生きがい論が世の中に広まっていく状態になることを指していると思われます)。
そういう意味で、敗北宣言は大いに歓迎ですし、人が一人でやることはどうしても限界(物資界では)があります。1日も24時間しかなく30時間、40時間あるわけではありません(現代の科学の域において)。生きがい論をリードしていくことも大事ですが、貴君個人として家族との日々を大切にして生活することや大学の経営学を通して社会に貢献していくことも非常に大切だと思います。
ちなみに私としては、生きがい論の飯田君がいなくなってしまうことよりも、友人としての飯田君がいなくなってしまうことの方がすごく寂しく思えます。ですから体は大事にして下さい。
例え敗北宣言をしても、飯田君は飯田君なのですし、生きがい論の灯火は確実に広がりを見せていると思います。これからも陰ながら応援しています。講演会の日程が今後も続々入っておりましたがあまり無理はなさらないで下さい。くれぐれもご自愛下さい。
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飯田先生、
**大学の**です。先週HPを見てショックを受けつつ、同時に少し安堵感の入り混じった思いがしました。先生の様子は、極言すると「死ぬまでの残り時間がもうあまりないのでは」と誰もが思ってしまうほどのお仕事ぶりでしたので、御健康や御家族についても時折危惧しておりました。
先生のこれまでの「生きがい」関係のお仕事に対して、金銭上の問題と、宗教組織発展への懸念を一切断ち切った潔い態度にはずっと敬服しておりました。先生が多くの人々の共感を結果として勝ち得られたのもこの毅然とした態度によるものが大きいと思います。しかしながら現実にはそのような態度で活動を続けるのは無理があったのですね。
自分に何かできることはと考えネット上で書き込みやメールできるところに、「生きがい」関係研究者に科研費を支給できる「生きがい学会財団」(仮称)を設立したらと提案してみました。弁護士と財務能力のある人がボランティアしてくれてお金も寄付という甘っちょろい考えなのですが。しかし先生が教祖にもならず、金銭収集の組織も作らずにその他大勢の研究者とともに一研究者としての先生の活動をサポートするにはこれが私のあまり良くない脳で考えたベストです。このような社会的な動きを作り出すにはネットは最適なのですが、いかんせんこのようなトピックを議論する場がなかなか見つからない状態です。どこかご紹介いただけませんでしょうか。これは「サプライズパーティー」の計画を本人に相談しているようなもので情けないことなのですが。
とにかく先生には、常人が数回分の人生でする仕事を今生一回でなさってきたのですから、ご無理なさらないように少し休息をなさってください。わたしは先生を応援しております。
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これから、いろいろ楽しいことがありそうですね。
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飯田先生、先日は快く講演をお引き受けくださりありがとうございました。
なんとなく気になって、今日久しぶりにホームページを読みました。
「敗北宣言」の「その後」から読んだもので、先生の現状の大変さに申しわけなさを感じる一方で、なにやら不思議におかしくなってしまいました(ごめんなさい)。
これまでも活動をお聞きするにつけ、バーンアウトになるのではと心配しておりましたので、その点では安堵しましたし、「生きがい論」をおやめになるつもりがないと伺い更に充実した活動をされることと安心しました。
当地では先生の講演会の予定を話すると、予期しなかったほどたくさんの人たちが先生の著書を読んでいることに驚いています。また、精神障害者の家族の方の中には、この世に生まれてきたことの意味をお話すると、「私ががんばる意味がわかってくれましたか」と涙を流した方も。
人が生きていく上で、自分に意味を持つことはとても大事だと思います。私自身、世間に通用すると思われる肩書きを持ち、他人は充実した人生と思っているようですが、しばしば空虚さに襲われ、終末期の「対象の喪失」はこんなものかと思ったり・・・「人生は勉強の場」だとに納得させられます。
そんな時は先立った夫に語りかけたり、先生の著書を枕もとに置くことにしています。先生はたくさんの方の心の支えになっていらっしゃるんですよ。
どうぞご自分を大事になさってください。無理はなさらないでください。
今日はこの冬一番の寒波とか。お元気でお過ごしください。
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