華山派の名手、岳不羣のもとで修業に励み、正義を愛する一本気な若者、令狐冲。彼が巻き込まれたのは、正派・邪派が対立する武林内の権力闘争。ひょんなことから幻の楽譜「笑傲江湖」と天下最強の剣術「独狐九剣」を獲得するも、誤解が元で師匠からは破門され、 邪派の総帥の娘任盈盈と恋仲になり、その邪派内での権力闘争にも巻き込まれ…と、波乱万丈の運命をたどる。はたして、混乱の武林は秩序を取り戻すのだろうか。そして、令孤冲の運命は…。
中国語圏でもっともエンターテインメント性に富んだ小説を書きつづけてきた作家がこの金庸。金庸作品の中でも何度となく映像化された(サミュエル・ホイやリー・リンチェイ主演の『スウォーズマン』シリーズ、最近ではリッチー・レン&アニタ・ユン主演の台湾のTVシリーズなど)この『笑傲江湖』。全くの金庸初心者だった私にはよい入門編と呼べる本だった。でも、先に映画の方を観ちゃったものだから「え〜、こんな話なの〜?」とビックリするばかり。
古くはユンファ、サム・ホイさんやリンチェイ、そしてリッチーが演じてきたけど、男気あふれてやんちゃな令狐冲は、この本を読んでしまうと、う〜ん、誰が演じてもちょっと難しいかなぁなんて思ってしまうほど魅力的なのだ。実はこの令狐冲、主人公のくせに第1巻の半分過ぎてから出てくる。まぁ、なんて派手ざんしょ(笑)。もちろん、主人公に負けず劣らず脇役も魅力的。最初はほとんど悪人(しかも連続強姦魔!)だったキャラは巻が進むにつれ性格はそのままでも立場が大きく変わっていくし、逆に令狐冲の味方のはずのキャラがどんどん悪の道にはまっていったり…と、勧善懲悪とは言い切れないくだりもある。ちょっと登場するだけの脇役まで非常にキャラが濃いのでお気に入りを見つける楽しみもあり。
この本の読みどころを一言で集約するのは難しい。なんというか、とにかく、香港映画が持っている全ての娯楽性がつまっている小説なのである。『蜀山』や『風雲』にも通じるし、『グリーン・ディスティニー』も中国に武侠小説があったからこそできた映画だと考えている。中国文学は堅苦しいと考えている人には是非読んでほしい。(ちなみに香港映画ファン以外の人にこの小説を紹介するときには「中国版山田風太郎だよ」と言っている)
蛇足。『少林サッカー』の中で「独孤九剣」という言葉を聞き、大笑いしている人がいたらそれはきっとこの本を読んだ人に違いないと私は思う。
『傾城の恋』 張愛玲 池上貞子訳 平凡社
チョウ・ユンファとコラ・ミャオ(『スモーク』で知られるウェイン・ワン監督の奥様…だったと思う。後で確認しておきます)共演の同名映画原作。上海生まれの中国現代女性文学の代表的作家、張愛玲の上海時代の代表作。表題作は短編で、この他に『金鎖記』と『留情(るじょう)』の2作品が入っている。この3作品に共通するのはだいたい1940年代の上海が舞台になっているということ。
『金鎖記』は1910年代から40年代まで、良家に嫁いだ女の人生を描いた物語。夫は病魔に冒されて早くこの世を去る。女は
家を出て遺された息子と娘を育て上げ、死んでゆく。ただそれだけの話だけど、中華民国となったこの時代の都市部の家の様子の描写が興味深い。死の床に伏した妻がある男性の内縁の妻になった女性を描く『留情』は戦時中の生活が会話の端々に出てくる。でも、やはり一番よかったのが『傾城の恋』。夫と離婚し、生家に戻って肩身の狭い思いをして暮らしている女性・流蘇(リュウスー)と、悪魔的な魅力を持つイギリス生まれの裕福な華僑・柳原(リュウイェン)の感情の駆け引きが香港を覆う戦火の中で恋に変わっていくくだりは、もうすっかり映画の内容も忘れてしまった私に、まるで映画の場面を再現するかのように、どこかひきつけさせられるものを持っていた。機会があったら今度、映画を見直してみたいとも考えた。(プレノンアッシュでDVD化されてたかしら…)
張愛玲の小説は、上流階級の女性を描いていることもあるが、どこか華麗なものを感じる一方、大家に嫁いだ嫁同士の意地の張り合いなどもある。日本の嫁姑者みたいにウェットではないにしろ、中国版「女の情念」も感じたりもする。中国近代の家族模様を知る手がかりにもなるので、ドロドロでもかまわないのだが(笑)。教科書に載る中国文学の名作よりも、張愛玲の作品こそ日本にもっと知られてもいいんだけどね、とも思う。