He was too young to die!

張國榮への挽歌

lLeslie Chueng ,1956-2003

 新年度が始まった4月1日の夜、酔っぱらって帰宅して入ったネットのTOPページを見て我が目を疑った。

「香港の人気俳優、レスリー・チャンが自殺」

 戦争報道で伝えられる多くの犠牲者のことや(ファンではなかったが)日本の俳優古尾谷雅人氏の自殺等で、このところ「人の死」には特に敏感になっている。そんな時に伝えられたこのニュース。日にちが日にちだけに冗談とも思えたけど、そんなふうには思えなかった。どうしてなんだよ、レスリー…。

 ワタシは彼の熱烈なファンではない。でもワタシが、いやワタシたち香港電影迷または香港芸能迷のほとんどが今ここにあるのは、彼の存在があったからといえる。リスペクトしていた、といったほうがいいかもしれない。たとえ映画に出なくなっても、歌を歌わなくなっても、芸能界から引退しても、彼はどこかで元気でやっていってると思った。それなのに、映画に出なくなる前に、歌をまたやめる前に、芸能界をやめる前に、彼は自分の命をとめてしまった。 金像奨にもノミネートされていたのに、まだ監督作品も撮ってなかったのに、いろんな可能性が残されていたのに、死ぬにはあまりにも若すぎる…。

 彼の名声や何故逝ってしまったかと言うことについては他のサイトやコメンテイターの方々が触れてくれると思うので、このページではワタシから見たレスリーについて書きたいと思う。私見ばかりの文章になってしまうことをまず最初に許していただきたい。

 ワタシが彼に出会ったのは、中国語の勉強を始めたばかりの頃、大学の講座で台湾人の先生が見せてくれた國語(北京語)版『男たちの挽歌(英雄本色)』だった。先生は丁寧に出演者たちのプロフィールを紹介してくれ、レスリーについては「張國榮は香港では絶大な人気を誇るアイドルだったけど、もう引退しちゃったんですよ」と触れた。その後、周潤發ファンだった友人と一時引退作となった映画『狼たちの絆(縦横四海)』を観に行き、そのときすでに35歳だったとはとても信じられないほど若々しい彼の姿を見て、俳優やめちゃったのはなんだかもったいない気がする、と密かに思ったことも覚えている。
 そして、ワタシの街で結成された香港映画サークル『香港電影恋戀隊』に参加して、多くのレスリー迷やレスリーの映画に出会った。『君さえいれば/金枝玉葉』『欲望の翼』『花の影』『夜半歌聲』、ビデオでは『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』『キラーウルフ』『覇王別姫』などなど…。サークルのメンバーと一緒にコンサートツアーを組んで観に行ったり、写真集発売の時のサイン会へ行く迷の友人に付き添うツアーなんてものも企画し、会場の東京国際フォーラムをぐるっと囲んだ日本中の迷の熱気にビックリしたこともある。コンサートでは日本で御法度ということを知ってか知らずか、強行した“握手タイム”に思わずワタシもステージに駆け寄ってしまい、彼の手にちょっとだけ触れることができ、その手の柔らかさに、仕事や家事で荒れ放題でカサカサだった自分の手を申し訳なく感じてしまったりした。
 だけど、ワタシは彼にのめりこむまでには至らなかった。それ以前にワタシはトニーが一番好きだったからだ。レスリー迷の友人の中には「なんてったって彼が一番!彼以外は…」というアディクト気味の人も数人いて、会うたびに口論のような状態にもなった。そんな中でトニーがレスリーとガチンコ勝負状態で対決した
『ブエノスアイレス』については、何人かのレスリー迷と常に口論していたが、ワタシがトニーにのめりこんでいるのと同じくらい、彼女たちがレスリーにのめりこんでいると考えれば、あの映画に対していいたいこともたくさんあるのだろうということは理解できた。そんなふうにしてレスリーという人間と彼の巻き起こす騒動を楽しんでいたこともあった。

 しかし、好きな香港映画として『ブエノスアイレス』があった一方、ワタシの一番大っ嫌いな香港映画の主演も彼であった。
いろいろなところですでに散々言ってきたけど、それは『星月童話』だ。結果として今回の訃報で日本マスコミには彼がこの映画に出演したことが紹介されたが、もっと他に紹介する映画があるだろう!と今でも悔しい気持ちにさせられた。『星月』の頃、この映画にレスリーが出た意味、この映画がきっかけとなって日本で騒がれたスキャンダル(もちろん事実無根だ)、映画の出来そのものについて、私はかなり本気で腹を立てており、「なんでこんな映画に出る!そこまでしてまでファンサービスするのか?」と友人運営のBBSやniftyのフォーラムで罵詈雑言を並べ立てた。それを見た方にはワタシはレスリー迷かと誤解を受けたり、数人の迷の方から苦情のメールもいただいたが、ワタシの暴言は迷ゆえの暴言ではなく、俳優としてのレスリーを尊敬するゆえの苦言として受け取ってほしかったのだ。映画が好きで、香港が好きなワタシは、こんな形で日本での知名度を広げてくれるより、ちゃんと100%香港出資で、質が高くて香港人だけでなく世界的にも通用する映画を作って、出てほしかったのだ。レスリーはそれが出来る人だ、と感じていた。でも、その頃の香港映画は今ほどのひどさではないが、製作される映画の質も量も下がってきていて、やむを得ない判断であの映画に出たのではないかと推測する。そんな激しい怒りも思い出になってしまうのか…。
 極東の田舎に住む、ちっぽけな一人のもう若くもない(それでも彼よりかなり年下の)人間の喜怒哀楽が飛行機で5時間ほどで行ける国際都市に生きる彼に届くわけがないのだが、こんなふうにファンじゃない人間にも心配される彼はやはりスゴイ人間だったのだと思う。月並みな言葉で申し訳ないが、そうとしか言いようがない。こんなワタシでも動揺しているから、迷の人々の悲しみはいかばかりなのだろうか…。

 キスやラブシーンはうまいとは思わなかったけど、独特の雰囲気があった。鬼気迫るものがあった、と言うのも言い過ぎではないだろう。PVやコンサートで見せる、女性モデルや男性ダンサーとの濃厚な絡み、妖艶なメイクに赤いハイヒール、長いストレートのウィッグにチェックのキルト、どれも似合っていて彼にしかできなかった。 うまくいえないけど、トリックスターのような、マドンナ(聖母にシンガー、どちらの意味でもとってよい)のような…。別人にたとえるのはまた申し訳ないけど、若くして命を絶っていったシンガーたちにもダブってしまう。年齢も性別も常識も軽々と超えていった彼は、生と死の壁も越えてしまっていった…。

 最後に…。ワタシが一番心配していることは、レスリー迷の皆さんのことはもちろんだが、このことが香港電影界と娯楽界を一層衰退させていかないかということだ。昨年は香港音楽界の大御所である羅文先生がお亡くなりになってしまい、香港音楽界の一つの時代が終わったと感じた。それに続くような形のレスリーの死で、香港娯楽界ではますます元気がなくなってしまわないかどうかが本当に気がかりなのだ。個人的な理由で逝ってしまったとしても、彼は歌も映画も愛していたということはよくわかる。それだからこそ、レスリーに関わった多くの人々が彼の遺志を継ぎ、素晴らしい作品を産み出していって香港電影界、ひいては中華娯楽界に元気を呼び戻してほしいと願うばかりである。そうでないと、楽しくないじゃないか。

 さようなら、レスリー。決して一番ではなかったけど、なんのかのいいつつもワタシはアナタが好きだったみたいだ。もう近くで見るとか、香港の街のどこかでバッタリと出会うことはないとは思うけど、ワタシはアナタと同時代の人間だったということは確かだ。いつかそれが誇りに思えるときが来るだろう。―良い旅を。

2003.4.2. もとはしたかこ

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