Trip Journal

星光乍洩中華世界放浪記

 

 Journal vol.3 春光乍洩香港彷徨記  〜SARSに負けるな!鳥インフルに負けるな!〜

 from 2004.2.8.to2.11

はじめに(その1/その2/その3) 

第1日・上陸

第2日・放浪

第3日・遠足

第4日・帰還

おわりに(その1/その2)

 

おまけ:香港好きもとはしへの100の質問 


Journal vol.2 冬光乍洩香港疾走記 〜再会の街で〜

from 2002.12.23.to 12.27

はじめに

2年ぶり、通算7回目の香港旅行は風邪とともに始まった。2002年12月22日、実家に帰ろうと準備していたら、どうも身体がだるくてしょうがないと感じた。筋肉は痛いし、喉の調子もよくない。うぞー、よりによってこんなときには風邪引きかよー。
…でも体調を悪くしたまま旅に出るのは今までには何度か経験がある。それでも朦朧とした頭のまま駅に向かい、「はやて」に乗って東京に向かう。おかげで実家にたどり着くまで何があったか覚えていない。実家に帰っても薬を飲んでずっと寝ていた。


2002年12月23日。風邪を持ったまま旅立つ。

んで次の日。体調はいくらかよくなったものの、まだ全快していない。飛行機は午後4時50分発のキャセイなので、昼間に実家を出て成田へ。早めにチェックインして出国手続き。飛行機も無事飛んで安心、定刻どおり午後8時55分に香港国際空港に到着。今回はツアーで参加したのではないので、自力でホテルまで向かわねばならない。尖沙咀(以下チム)行きのバスに乗り、柯士甸道で降り、今回のお宿・BPインターナショナル(龍堡国際賓館)へ。なんとほぼ最上階のお部屋のパークサイド。宿代は安いが気分はリッチ(笑)。いつもだったら夜遅く到着してもすぐ遊びに行っちゃったりするのだけど、風邪気味なので自重することに。

 今回の旅の目的。トニー主演の2本の映画《英雄》と《無間道》を観ること。新しい生じゃを入手すること。そして、大連からやって来る弟に会うこと。…もっとも、感動の再会というより、私は弟にとってただの荷物持ちじゃんという気もするのだが…。(今期で一時帰国をする彼は大連を引き払い、香港でマルチビザを取得し、もともと住んでいた昆明に戻りながら華南地方を旅するそうだ。んでもってスーツケース等必要のない荷物を私に持っていってもらおうとしていたのだった)

2002年12月24日。情けない週末…、もとい聖夜

起床8時。今日は広東道にある怡園麺粥小厨で朝ご飯。ここはニコラス行きつけの店として有名になったお店。2年前の旧正月旅行で友人に連れてってもらった時はレジカウンターにニコのサイン入りポスターが貼ってあったのだけど、あの時から店内を少し改装したみたいでちょっと雰囲気が変わっていた。もちろんニコのポスターもなかったわん…当たり前だけどさ。ここでは好物の皮蛋痩肉粥をオーダー。

朝早いせいか、お店はほとんど開いていない。まぁしょうがない、香港は朝が遅い街だから。一回ホテルに戻り、一息ついて彌敦道を歩く。信和中心に突入するにはちょっと早いかな、と思ったので、この近くまで来るといつも映画を観る南華戯院でちょうど《英雄》が上映されていたので、先に観ることに。

観終わってから信和に突入。いやぁやっぱりクリスマスホリディだけあって混み合ってるわ。(ってゆーよりここはいつも混み合ってるって)海賊版VCD店もにぎわっているけど、その店先で見かけてびっくりしたのは、私が敬愛する“萬画の王様”の代表作のアニメ化作品が並んでいたこと…。ある程度予想はしてたけどさぁ、こんなところで会っちゃうとびっくりしちゃうわよ全くぅ〜(笑)。…おっとおっと、こんなこと書いててはいけなひ。

さて、今回買った生じゃは前日に香港コロシアムで無事に演唱会を終えたF4(転ぶかどうかわかんないけど、ちょっと見てみたかったかなぁ、なんてねー)や、日本で徐々に人気が出てきている中国若手俳優のリュウ・イエ君(すまん、漢字を失念。しかも東京国際来日時の写真だ…)、《無間道》でトニーの青年時代を演じていた若手俳優余文楽(ショーン・ユー)、そしてトニー…あれ、あんまり買っていないわ。ま、いっか。

 帰りは彌敦道を外れて裏通りを行く。昔お気に入りだった本屋さん「有角度書局」があった映画館、ブロードウェイシネマテークは今どうなっているかな?と思って行ってみると、なんとかなりいい感じのブックカフェができていてびっくりした。その名は「Kubrick(キューブリック)」。本の品揃えは映画本を中心としており、(多分「有角度」が名前を変えただけなのかも)クリストファー・ドイルの映画記録や《英雄》メイキング本、文学ではよしもとばななの『体は全部知っている』(装丁が日本と同じでビックリー!)にフィリップ・プルマンのファンタジー『ライラの冒険(ダーク・マテリアル)』三部作があり、本好きもとはしにはたまらないお店であった。ああ、ずーっといたかったわ(笑)。
 小腹もすいたのでこのくそ寒いのに(おいおい)『許留山』に久々に入り、タピオカ入りフルーツ盛り合わせをいただく。風邪気味だから亀ゼリーや温かいツバメの巣プリンを考えたんだけどね…。でも、喉も渇いていたのでちょうどよかったかも。

 ホテルに戻ってちょっと休憩するといい時間。今夜はajinが大連から香港に来るので、空港まで迎えに行く約束をしていたのだ。昨日乗ったバスに乗ろうとしばらく待っていたのだが、…今日はクリスマスイヴ。そう、この時間になると彌敦道の交通規制が始まるので、バスが来なくなるのであった…。それに気づいたのは7時過ぎ。空港まで行くバスの臨時停車場を探すのも面倒だったので、佐敦駅から地下鉄に乗り、ライ景→青衣と乗り換えて機場特快で向かう。ちなみにここまで行くのに68ドル。内訳は地下鉄8ドル、機場特快60ドル…。
バタバタしながら空港に着いたのは7時50分…。待ち合わせ場所に指定したマクドナルド前に近づくと、でっかいトランクを引きずったajinがいた。えらい厚着をしていたが、出る前の大連はものすごく寒くて雪も降っていたという。調子が悪そうだったのは腹を壊したからだとか。これから長旅になるっつーのに腹壊すなよーと思う、人のことは言えない風邪引きの姉。

 ホテルにほど近い佐敦道に停まるバス(藍田行き)があったのでこれに乗ってチムに戻ることに。ajinにトランクを引っ張らせ、イヴで混み合う街を疾走してみたりする(大笑)。なんとかホテルに着いた後は、ホントはチムのプロムナードでクリスマス気分を味わいたかったんだけど、調子の悪い輩を連れまわしてもっと調子悪くさせるのもなんだから、食糧等を買い込んでおしゃべりして就寝。


2002年12月26日。香港島散歩、そしてクリスマス・タイム・イン・ブルー

今日はクリスマス、そして明日は公休日。そのため、ビザが取得できるのは休み明けの27日以降だという。しょーがないから(笑)香港の達人(かなり誇張)もとはしが、おそらくもう二度と香港には来ないであろう弟のために香港を案内してやることに。

 まずはスターフェリーに乗って中環へ渡り、一人旅ではたいてい足を運ぶ老舗の陸羽茶室へ。
そこでちょっとビックリしたのは、いつもは1階に通されるのにその1階が満席で、初めて2階に通されたことだった。でも、2階も1階と同じような雰囲気で、相変わらずぶっきらぼうだけど気がいいサービスの老先生達がいた。
いつもは香港人に習い、プーアル茶をオーダーするのであるが、ajinの希望もあって緑茶をオーダー。出てきたのは龍井茶。
中国茶道をかじっているajinはがばっと茶葉を入れた状態でお茶が出てきたのにやや不満気。でもどんどん飲んでいた。
今回頼んだのはいつもオーダーしている淡水鮮蝦餃に?[虫豪]油叉焼包、[火念]杏雪梨?に[女乃]油鶏蛋達(ホントは[達]に手へんあり)ajinが「食欲ないから」というので、いつもより少なめにオーダーしたつもりだが、一応飲茶のお約束“一[中/皿]件(お茶一種に点心二種)”は守ったつもり(笑)。お茶については文句を言っていた弟も一応満足してくれたからいいか。

 陸羽を出てから金鐘の西武(@パシフィックプレイス)に寄り、トラムに乗って西湾河までちんたらと行く。いつもはトラムに乗っても生じゃ屋に寄るために北角で降りてしまうのだけど、西湾河には2001年に香港電影資料館がオープンし、一足先に行ってきた友人から「もとはしさんが行ったら絶対気に入る!」と強力に薦められていたので、ちょっと遠いけど頑張って行くことにしたのだ。
 1階は企画展示場、2階は昔の香港映画を特集上映する映画館、そして3階は映画資料室となっているこの資料館。企画展示は今年亡くなった香港の武狭・動作片を多く演出した監督、張徹(チャン・ジェー)監督の特集。張徹監督作品にかかわった人で私が知っているのは日本でも主演作品がいくつか公開されたという王羽(ジミー・ウォン)、そして我らが狄龍兄さんにウーさんこと呉宇森先生!ウーさんはいくつかの張徹作品で助監督を務めていたらしい。う〜ん、このへんは私もよく知らないよなぁ、もちょっと勉強しなきゃなぁと思いつつ3階へ。職業柄、映画関係資料本をじっくり見てしまう私。いやねぇ、ちょっとビックリしたのはねぇ、基本的に香港はソフトカバーで装丁が簡単なやわい本が多いんだけど、資料館に蔵書するに当たってちゃんとハードカバーに仕立てているの!これは感動したというか、やるじゃんというか…。ま、多少造りがあれあれ?というのは見受けられるんだけど、あまり厳しいことは言わんようにしよう!(笑)ああ、私が香港人に生まれていれば、間違いなくこーゆーところで図書館員をしてたかも…。

 4時ごろ西湾河をトラムで出発し、再び中環を目指す。実は今夜、ajinが昆明にいたときに知り合ったという香港在住のカナダ人が私たちをクリスマスに招いてくれたのだ。中環に来たら電話してくれといわれて、5時半頃着いて電話すると、彼女の家まで来てくれとの指示。指示されたバスに乗り、行き先をバスの運転手に聞いてくれれば降ろしてくれるというのだけど、運転手にその場所を告げてもわからない。たまたま近くにいた少年が弟から事情を聞き、彼(少年)が近くの乗客に聞いてくれて場所を教えてくれたので無事にたどり着く。
 弟の友人の家は香港大学に近いタワーの13階でなんと広いベランダつき!彼女は香港で生活して5年になるというので英語はもちろんだが広東語も北京語も達者。二人で彼女がオードブルを作るのを手伝い、彼女の契爺さんも交えてディナーを。

しばし歓談して、10時半ごろホテルへ。


2002年12月26日。あの映画を初めて観たのはこの日だった。

昨日と違って今日は寒い。気温は10度を割っていた。東京はもちろん、盛岡でこの気温だったらそれほど寒く感じないのだが、例年はこの時期に香港に来るといつも暖かいので、風邪引きの身もあってちょっとつらい。なんせいつもは日本との往復のときにしか着ない革のジャケットを着てしまったくらいだ。

 今日は山頂に行くことにした。山頂のピークタワーにマダムタッソー蝋人形館がオープンしたのは知っていたが、行ったことはなかった(ロンドンのは行ったことあるんだけど)ので入ってみることに。エントランスの成龍さんに迎えられ、ハリソン・フォードやベッカムやヒュー・グラント、やっぱしここにもあったかぁー!の“恐怖の館”(中世ヨーロッパの処刑現場をリアルに再現した展示。ロンドンの本館ではこれが名物展示になっている)や吉田茂や江澤民を見てきた。中華系明星では成龍さんのほか、ミシェル・ヨー姐さんやアンディがいた。博物館には珍しく写真も撮り放題なので(そうか?ホントはヤバいんじゃないか?)、いくつか撮ってきたりして。

 いったん外に出て、カフェデコのあるピーク・ギャレリアをぶらぶらしていたら、かわいい雑貨店を発見。香港ではこういう雑貨店を見つけることがないので、意外で楽しかった。昼御飯をピークタワーで食べた後、トラムで下って金鐘まで行き、地下鉄で一気に黄大仙まで。久々に一周し(おみくじは引かなかったが)、雨も降ってきたので早めにホテルに戻る。

 夕飯は最近東京にも出店したことで知名度もますます高まった「唐朝」へ。ここではもちろんマンゴープリンや牛乳プリンも食べたけど、二人で海老雲呑麺と粥を注文。軽く夕飯を取るときにはちょうどよい店である。

 その後、ajinは一足先にホテルに戻り、私は一人海防道の新港戯院へ。時間がちょうどよかったのでここで《無間道》(祝!ベルリン映画祭出品決定!!)を観ることにしたのだが、席はすでに最前列しか空いていなかった…。それはしょうがない。でも、観るのには思ったほどつらいことはなかったかな。

観終わったら午後10時。HMVにちょっと寄ってからホテルに戻る。明日はいよいよ最終日…。

2002年12月27日。この日からしばらくして、香港であの出来事が…。

気温も寒いが、昨日の夜から雨も降っている…。私は午後3時発のキャセイで帰国するので、午前中は余裕がある。昨日の晩からajinの持ってきたスーツケースに私の荷物を詰め、ajinは日系旅行代理店にビザを申請しに、私はお土産を買いに雨の中チムに出る。バタバタとお土産を買い、12時にチェックアウトして、ajinにスーツケースを引かせてバスで空港へ向かう。
飛行機は無事、香港を離陸した…。

 この当時、最後に香港へ行ったのが2000年のクリスマス。その間、台湾や大連へ行ったりしたけど、いろいろあったので血中の香港濃度がちょっと下がり気味だった。
確かに香港電影や娯楽界は最近ちょっと低下気味だし、韓国映画やK-POPは勢いがある。だけど、一度好きになったものはとりあえずずーっと愛し続けるという結構しつこい性格(笑)なので、当分香港エンタメ界と香港という街を見守り続けることになると思う。なぜなら、私はまだまだ香港の一部分しか知らないからだ。広東語ももっとちゃんと覚えたいし、下町のレストランで食事もしたい。まだ香港コロシアムで演唱会も見たこともない。だから、まだまだ香港に通うことになると思うけど、今度はいつ行くことができるかな。さーて、せっせとお金をためなくっちゃなぁ…。

終わりに…。

☆実はこれ、2代目の日記に書いた内容をほぼまるまる転載したものです。最初は書き直すつもりでいたんだけど、いつの間にかどんどん月日が経っていってしまったのだもの…。しかも写真もない!テキストのみで失礼します。

そう、このときはまだレスリーも元気だったんだよねぇ。SARSの心配もなかったし。

読み返して誤字脱字を直していたら、もうなんだか、2002年のクリスマスがホントに昔のように思えた。

『英雄』を観た南華戯院も、もうなくなってしまったし…。


Journal vol.1 秋光乍洩大連航海記. 〜東北へ進路を取れ〜

from 2002.09.22 to 9.25.

 はじめに…。

 もとはしが初めて中国大陸に渡ったのが今から10年前の夏。夏休みを利用して成都にある四川大学に5週間短期留学し、上海、重慶に近い大足、そしてチベットのラサに行ってきた。初めての大陸はとにかく暑く、いろんなトラブルも多く、ワタシ自身も不摂生がたたってカラダを壊してしまったりで、あまりいい思いをしなかった。その次は1995年の春、北京に留学していた友人を訪ねたとき。この中国の首都はとにかく広く、3泊4日ではあまりに時間がなさすぎ、この日程では行きたいところを全部回りきれなかったことを覚えている。

 自分が初めて行った中華圏の都市が大陸ではなかったのがいけなかったのかどうかは知らないが、中国語学習者であるもとはしと、中国大陸というのはあまり相性がよくないのだろうか?などということをたまに考える。まぁ、大陸に足を踏み入れた回数も多くないし、じっくり歩いたこともないので、この大陸を知らないだけあって多少の偏見があるのかもしれない。将来仕事をやめたら、やっぱり大陸に渡ってじっくり見てみようかなぁ〜、などと考えてしまうのであった。

 もとはしには2002年10月10日現在、中国に留学している弟弟・ajinがいる。彼は大学の専攻は中国関係ではなかったが、在学中から中国語を学習し、大学院の修士課程を修了してから日本語教師兼留学生として、昨年の夏から1年間、雲南省の昆明で暮らしていた。その彼が今年の夏から北の大連に移ったというので、一度顔を見に行ってやらなければ…と、家族の中で話が出ていた。ちょうど秋の連休に休みがまとめて取れることになったので、ワタシが一人で行ってこようと思ったら、母のぶこ(中国語は全くできない。海外渡航経験はあり)も行きたいと言い出したので、彼女のためにエアチケットとホテル予約をし、ワタシにとっては7年ぶり、のぶこにとっては初めての中国大陸航海が始まったのだ。

★今回は、3泊4日という短い日程と、訪れた場所があまり多くないこともあるので、日記形式で書いてます。漢字は基本的に日本語フォントにあるものに置き換えて使っています。では、ごゆっくりお読みください…。

天・9月22日(星期日) 晴れ

  前日の土曜日は仕事があったので、夕方盛岡を出発。夜にC県N市の実家へ到着。もとはしの実家から成田空港までは車で約2時間。東京回りで成田へ行くよりもはるかに近いのだ。今回は短期間の旅行なので荷物も少ないが、ajinから日本に持って帰ってほしいという荷物があるというメールが来たので、のぶこもワタシも多少の余裕を持たせてパッキングし、午前8時30分、車で成田へと向かう。集合時間より早く空港に着いたので、早めにチェックインしてお茶を飲んでのんびりしていた。
 我々が搭乗する飛行機は中国北方航空。のぶこは最初「JALに乗りた〜い」と言っていたが、そもそも日本系の飛行機会社はいつでもどこへ行くのも値段が高いし、連休中ということもあってやっぱりいいお値段だったので、「しょーがないでしょ金ないんだから、我慢せ〜い」と説得した。金がないついでに、「お小遣いの目標は4日間で2万円!無駄遣いしないぞー」と宣言。
 午後1時前に飛行機搭乗。飛行機はジャンボではなく、マクドネルダグラスの小型機。滑走路に出る搭乗ゲートからバスに乗り、一回外に出てタラップを上がった。なんだか子供の頃好きだった『アメリカ横断ウルトラクイズ』の成田→グアム予選の結果発表のシーンなぞ突如思い出したりして(笑)。天気はやや曇りがち。所要時間2時間40分、安全な飛行になるといいなぁ…。
 機内は中国人8割に日本人2割といった感じか。日曜の午後のせいか?空席が多い。でも小型機なので通路も1列だけ。狭い…。軌道に乗った後のドリンクサービスにて、飲兵衛ののぶこは早速ビールをオーダー。中国産の朝日斯波樂ビール(スーパードライ)をうまそうに飲み、やはり飲兵衛の娘も半分もらう。その後は当然機内食が来た。今まで2回ほど中国民航機に乗ったワタシの経験からすると、この国の飛行機の機内食はイマイチ口に合わない、という印象があったのだが、日本で積み込んだのだろうおそばも煮付けもまぁまぁの味で安心。成田から持ち込んだペットボトルのお茶を飲みながらゆったりし、窓から下を見ると何艘もの船が穏やかな海を進んでいるのが見えた…。

 現地時間2時45分、定刻どおりに大連・周水子国際空港に着陸。やはり小さな地方空港のせいか、あっさり入国審査がすみ、あっさり税関をパスして到着ロビーへ出る。数人の出迎えから外れたところにいた、妙にヒョロッとしたヤツが我々のほうに近づいてきた…。9ヶ月ぶりの再会になるajinだった。カレに荷物を預け、出発ロビーに上がってリコンファームを済ませ、3人でホテルに向かう。
「なんだかホコリっぽいねぇ〜」初中国ののぶこが言う。中国北部の乾いた空気に触れるのも、7年前の北京行き以来だ。空港から市内に向かう道には、新しく作られたらしい5階建てくらいのマンション群が並んでいる。
 ワタシたちの泊まるホテルは大連の中心地「中山広場」に面している。この時期、「時装之都」大連では国際ファッションフェアなるものが催されており、前日、ajinも素人モデル(しかし衣装はなぜか新聞紙製だったらしい…)として駆り出されていたとか。荷物整理をしたりして、タクシーでajinの大学へ向かう。…ajinは「大学は中心地より遠いし、ちょっと不便」と言っていたし、自分の経験からして、留学生寮というものはもっと古くて狭いものだと思っていたが、大学はもちろんのこと、部屋もそんなに狭いものでもなく、居心地のよさそうなところだった。それでもカレ曰く、「昆明の方が、部屋も大学も街も便利だった」という。そんなに便利だったのか、昆明って街は。夕飯はカレの行きつけだという韓国料理店へ。1人分で40元(だったと思う。ちなみに1元は15円)分食べたが、日曜ということもあってお客が多く、せっかく焼肉を頼んでも肉がないといわれ、脂身ばかりの肉を食べるはめになってしまった。でも、付け合わせのキムチやナムルはおいしかったし、意表をついて妙に甘かった冷麺など、普段なかなか食べられないものを食べる分には面白かったと思う(笑)。

 

天・9月23日(星期一) 晴れ

 1日目の疲れで昨日の10時ぐらいから泥のよーに眠っていたもとはし&のぶこ。7時にはなんとか起きだして、1階のカフェテリアに朝ごはんを食べに行く。日本のビジネスホテルと同じようなヴァイキングスタイルであったが、清粥があったのが嬉しく、ピータンと油條を載せて食べた。
 どこに行こうかと検討した結果、中心街から南下したところにある「老虎灘(ラオフータン)」というところに行くことに。ホテルの前に泊まってたタクシーを使って行く。運ちゃんは「海岸が見たかったらずーっと乗せていってあげるよ」と言ったけど、金の心配をしたワタシたちは「テキトーなところで降ろしてよ、あとは歩くからさ」といい、途中で降ろしてもらった。風は涼しいが日差しがまぶしい。しっかり帽子をかぶってきたのぶこを見て、日本人だってばれるから帽子をかぶらないようにしようと思ったのに、こんなにまぶしいのならかぶりゃよかったと反省する娘。月曜日のわりには人が多い。波打ち際ではおばあちゃんが孫を遊ばせている。母曰く、「やっぱりお嫁さんは子供をおばあちゃんに預けてバリバリ働いているのね」とか。まぁ、中国社会は女性もバリバリ働くからね。(ちなみにワタシも幼少の頃、おばあちゃんに育てられたクチである。脱線失礼)

老虎灘


 1時間ほどぶらぶらして、じゃ帰りはバスで帰ろうか、ということになり、来たバスに乗ったら…街に向かうのとは反対方向に進み、10分後に老虎灘から内陸に入った新興住宅街で終点となった。バスの運ちゃんには「折り返し街へ行くから乗ってていいぞ」と言われたので、そのまま待つ。4日間限定で中国人にとってのガイジンの身分となっている(笑)ワタシたちだけど、新興住宅街なんて、まずガイジンの旅行では来ないところ。のぶこはもちろん、ワタシも珍しげに外を眺める。しばらくするとバスは街に向かって動き出した。
 中山広場のバス停で降り、昨日はゆっくりと見ることがなかった広場中心の建物をじっくりとウォッチング。ここ大連は第二次大戦時、日本が占領したことで知られるけど、それ以前はロシアの占領下にもあったということで、どことなくロシア的な雰囲気もある。中山広場を囲むようにして残されている日本の建築物は、今年初めに歴史的保護建造物に指定されたそうだ。旧横浜銀行は中国銀行に、旧警察署は対外交流貿易事務所(だったと思う)として使われていた。ロシアに行ったことがないもとはしとしては、この地区は日本の丸の内やロンドンの中心地をどことなく思わせると感じたものだった。
 お昼はそんな歴史的建造物の一つ、旧大和ホテルこと現在の大連賓館の食堂でいただく。ここは日本料理店もあったのだけど、わざわざ中国くんだりまで来て日本料理食べなくとも…と思ったのでパス。お昼だし、あまりコテコテしたものもどうかな?というわけで、野菜炒め、にんにくの茎と豚肉炒め、しいたけとたけのこの炒め物に白飯と青島ビールをいただいた。しかし、いくらアルコール度低めで飲みやすいからってまっぴるまっからガボガボビール飲んでいいのか、のぶこにもとはしよ…。

 中山広場。前に見える緑の屋根と白い壁の建物は現中国銀行大連支店。かつては横浜銀行だったらしい。

 大連賓館付近(上の写真もホテルの前から撮った)で写真を撮りまくり、「あれー?ホテルってどこだったっけー?」とかなんとかいいつつ迷い、なんとかたどり着いた我々。今日は午後からajinがつきあってくれるというので、彼が来るまで手紙を書いたり昼寝をしていた。夕飯、ajinが「この近くにいい[火考]鴨の店がある」というので、夕飯はそこに決定。ホテルから少し歩いた坂の上にあった。そこで[火考]鴨を一羽注文するが、のぶこが海鮮を所望したので、えび(ブラックタイガーだったっけな〜覚えていない)のボイルを大量に注文。もちろんビールも欠かせない。実はもとはし、まるまるの[火考]鴨を食すのはおそらく中華世界旅行暦約10年のうち、コレが初めて。いや、かけらをチョビチョビと食べるのはよくあったんだけどね…。頭部も皮もまるまる食べることができ、非常に食べ応えがあった。しかし3人だったら、[火考]鴨一羽だけで充分だったかな、という気もした。ちょっと残してしまったのだ…。もったいなかったかしらん。
 夕飯の後は、また少し歩いて、日本では「キーコーヒー」ブランドで知られる珈琲店『上島珈琲』へ。大連にはまだスターバックスはないようだが、台湾や香港にもある真鍋珈琲が経営する『珈琲館』やここなど、日本資本のリッチな喫茶店はいくつかあるらしい。ちなみにここのコーヒーのお値段は22元。ajin曰く、ここでコーヒーを飲むことは相当な贅沢らしい。コーヒーが苦手なワタシは「コーヒーばっかじゃやだなー」と思っていたが、ティーメニューも充実していたので満足満足。[火考]鴨でお腹いっぱいになっていたので、さすがにケーキなど食べる気にはなれなかったが(笑)。
 明日は今日に引き続きajinが我々に1日つきあってくれるという。どこに行こうかな。

 

天・9月24日(星期二) 晴れ

 昨日より少し早く起床し、朝食。しかし、疲れが出てきているようで少し残してしまった。のぶこが突然「旅順へ行けないかな?」と言う。旅順は日露戦争の激戦地。…個人的な気分としては戦争関係の場所へはあまり行きたくないんだけど。いや、現実から目を背けたいってわけじゃないんだけどさ、なんとなくね…。しかし、旅順へは旅行代理店やホテルから出ている団体ツアーを利用する以外に行けず、さらに行くまでにかなり骨が折れる場所のようなのだ。ajinが来たので、まずはホテルでツアーが出ているかどうか聞いてもらう。…出ていなかった。
仕方なくホテルを出て、フィルム店でフィルムを買ったり、中国銀行で両替したりして細々な用をすませ、ちょっと離れたところにある、国内旅行を手配してもらえる「中国旅行社」で交渉すると、一人日本円で一万五千円だかといわれたのでパスすることに。
 のぶこ「どーする?」 ajin「近くにある『労働公園』でも行く?」 …というわけで、歩いて10分くらいのところにある労働公園へ。

 少林足球銅像…ウソウソ(笑)。あのテーマ曲がどこからか聞こえてくるぅ〜。

 中国の公園は有料である。いわゆる公衆衛生費を払って入るという感じか。9月も下旬だというのに妙に暑い。喉はやたらと渇くので、持参したペットボトルのレモンティー(リッチー・レンがイメージキャラクターをつとめている“康師傳”のアイスティーよん。^_^)を飲みながらブラブラ歩く。睡蓮の池も水が少なくて見栄えが悪い。高台に上がって街を見ると、「ここはホントに中国?中国じゃなきゃいったいどこなのぉ?」という気分に。 
 また、大連は“時装之都”であると同時に“足球之都”でもある。高台をさらに上がると突如現れたのは巨大サッカーボール。
♪どんどどんどどどどんどどんどどど〜♪と少林サッカーのテーマが頭の中に鳴り響いたりして。そのサッカーボールのモニュメントの近くにあったのが、上の写真の銅像なのであった。

 どーも中国というより、カナダのバンクーバーっぽい。ここが新しい都市だからか?

 公園でのんびりした後、向かいにある太平洋百貨へ。この近辺はデパートが多く、日系のマイカルもあった。日本のサティと同じカラーリングだったわ。そのデパート街を抜けると、大連駅が見えてくる。地下街にある吉野家でお昼し、今度は海側にある星海公園へ向かうことに。駅からトロリーバスに乗り、フランス系スーパーマーケット“家樂福(カルフール)”の前で路面電車に乗り換える。香港のトラムより小さいなぁ(当たり前だって)。
 星海公園は黄海に面した海水浴場もある海浜公園。ここでも衛生費を払って入場し、のんびりと海を見る。海風に吹かれ、ボケっとしている親子3人…。海水浴場を見ると海に入っているのはお年寄りが多い。元気だな大連のお年寄り。

 星海公園の海水浴場にあるイルカと少女像。これも中国っぽくないなぁ〜(笑)。

 

 でもここでただボケっとしてるのもなんじゃない?というわけで、公園内にある水族館“聖亞海洋世界(サンアジアオーシャンワールド)”に行ってみる。入場料70元(ペンギンバッジつき)、なんか高いぞ。これで大した動物がいなかったら大損だよね、と思いつつ入場。中は真っ暗で、魚やアシカが狭い水槽やプールにひしめき合っている。日本じゃあまり人気がなさそうなミノカサゴはなぜか中央の円柱型の水槽で人気を集めていて、熱帯魚はあまりいない…。おまけに場内撮影禁止と書いてあるにもかかわらず、お客は魚に向かってばしばしフラッシュをたいて写真を撮りまくる。なんか魚、ストレスたまりそう…。
 「施設は日本の水族館ほどではないね、なんだか魚やアシカがかわいそう…」と思いつつ、ペンギンのプールに行った。これも大したことないのかもなぁなどと高をくくっていったら、いやぁビックリした。ペンギンのプールはかなり大きく、彼らはサービス精神に富んでいた!人口氷山からプールへのジャンプはもちろん、水から陸へとするっと跳び上がる芸当まで見せてくれた。とにかくかわいい(はぁと)。これで先ほどの施設に対する不満がやや吹き飛んだ(こらこら)。もっと先に進むとパンフに「中国第一座海底通道」とかいてあったトンネル式水槽へと突入。八景島シーパラダイスなどにもあるアレですな。これもさすがに中国一というだけあって見ごたえのあるもので楽しかった。シーパラには行ったことがないからなおさらかも。なんせエイの裏側を見上げることなんてめったにないし、餌やり係のダイバーをどつく魚なんてーのも見られた(笑)。
 3人とも満足して水族館を後にし、海に面したバンジージャンプ台を見学(もちろんするわけない)し、またまた海を眺めてボケっとし、日が落ちてきたので街に戻ることに。カルフールで路面電車を降り、お土産を買うことに。ここには台湾の「天仁茗茶」チェーンの系列である「天福茗茶」の店舗が入っていたのだが、たまたまこの店に入って鉄観音を試飲したajin、この茶に惚れこむ。彼曰く、大連は東北地方ということもあっていいお茶が手に入りにくいとか。そりゃあここは天仁の系列だもの、おいしいに決まってるわん(笑)。ajinとワタシは商売熱心なお店の小姐に日本語を教えてあげたり、お茶請けをいろいろ試食させてもらったりしてと楽しい時間を過ごし、母は鉄観音、ワタシはお茶請けの梅とスモモにお茶飴など購入。
 夕飯に向かう。今日はajin曰く“高級レストラン”という、カフェテリア風の飲茶店。点心を始め、海鮮料理などの小皿料理の専門店。少人数ならお徳らしい。昨日の教訓を生かし、あまり注文しないようにする。ただ、デザートで頼んだごま団子が食べきれなかったので包んでもらった。今日はajinとはここで別れる。明日、ワタシたちは午前6時頃空港に向かうのだが、カレも持っていってほしいという荷物があるので見送りに来てくれるそうなのだ。タクシーを拾ってホテルへ。

 のぶこが一休みしている間、ワタシは街に出て夜の散歩をすることにした。8時30分すぎて店もだいぶ閉まりはじめているようだったが、きちんと街を見ていなかったのでひとりで出ることにする。まずは中山広場を突き抜けて、大連東駅の方向へ。暗闇の中のトロリーバスのケーブルや古い石造りの街並みは、まるで昔のロシア映画のセットにいるような雰囲気にさせてくれた。駅の手前にコンビニを発見し、なんとなく入ってみると面白い雑誌を発見。『看電影』という大陸の映画雑誌で表紙は章子怡とマギー。そう、張藝謀監督の新作《英雄》の特集号!最後の最後で電影グッズをゲットだ。さらに街に戻り、閉店間近の百貨公司の化粧品店ではイーキンがイメージキャラクターをつとめる資生堂の男性化粧品「JS」のリーフレットも。服務小姐に「持ってってもいい?」と丁寧に断り、もらってきた。いやぁ、夜の街に遊びに出てホントよかったわ。怖いのかなぁっと思ったけど、結構面白いものが手に入るのね。ホテルに戻ったのは9時半過ぎ。荷物の整理をして11時には就寝…。

天・9月25日(星期三) 晴れ and  あとがき

 起床5時(日本時間6時)。捨てるものは捨て、先にajinから預かった荷物を持ってチェックアウト。ホテル前でタクシーを拾い、周水子空港に着いたのは6時30分。ajinはすでにロビーで待っていて、持ち帰りの荷物を受け取り、お餞別を渡して別れる。空港使用料を払ったら手許に元はなくなり、予告通り二人で4日間2万円使い切ったことを知る。のぶこは中国酒を買い、わずかな元で買った飲み物と昨日の残りのごま団子で朝食を取り、成田行きの飛行機に乗り込む。
 帰りの飛行機は行きの飛行機よりも大きかったものの、やはり席はガラガラ。チェックインをいっしょにしなかったためにワタシとのぶこの席は離れ離れになってしまったものの、のぶこの隣の席が空席だったので、空路が安定してから席を移動した。ワタシがフライトアテンダントさんに北京語で話し掛けたりしていたら、通路をはさんだ隣の席の中国人ビジネスマンにのぶこが日本語で話し掛けられた。カレは私が中国語を話すのを聞いて日本人なのに妙だなぁ…と気になっていたらしい。でもそんなカレの日本語も達者だったぞ。
 2時間半のフライトはあっという間で、成田に到着したのは昼の12時。入国手続きをして機内預かり荷物を受け取り、のぶこの運転で実家に向かう。3時半頃実家に到着。荷物を解いてワタシは自分の分だけを再度詰め替え。夕方、実家を後にして帰盛した…。

 多分、ajinがいなければ大連なんて一生行くことはなかったと思う。今までワタシは中国で行きたいと思っているところは広東や福建などの南部が多く、大都市でも上海くらいだったから、東北や北部は一生縁がないものだと思っていたからだ。でも今回、こうやって行くことができた。もしかしたら、もう二度と行くこともないかもしれないけど…。大連は小さくてきれいな街だった。でも、まだまだ開発途上の街でもあるのだろう、多分、労働公園から撮ったような、どうも中国っぽくない街の風景は大連以外にも、中国の地方都市のどこでも見られる光景なのだろう。この先、どのように変化していくのだろうな…。 

(秋光乍洩大連航海記 おわり)

 

 

HOME