その他評論など
・作者名、作品名、出版社、発行年、ジャンル、簡単な紹介文の順に記載。全集などに拠ったものは、各紹介文末に収録元を記した。
・紹介文を書くために参考にした本(またはHP)は、紹介文末に記載した。
・ネタバレはなるべく少なくするようにしているが、予備知識一切なしで読みたいという方は「関連資料(事務的羅列)」の方をどうぞ。
・著者名でアイウエオ順。同じ著者のものは年代順。
『行かねばならぬ歌の道』 鼎談
三波春夫・中村とうよう・松田修三氏による鼎談、というより〈三波春夫氏を囲む会〉的トーク。三波氏のシベリア抑留体験や浪花節について語る。松田氏による、これまで勧善懲悪という概念は誤解されることが多く、とりわけ馬琴は体制作家よばわりされたがその実『八犬伝』でも他作品でも体制の悪を糾弾しているのに、といった発言あり。ちなみにこの鼎談と同じく『松田修著作集 第八巻』に収録されている「三島由紀夫と澁澤龍彦」のラストで、『八犬伝』中の「命は是義によりて鴻毛よりなほ軽し。同盟、同日、同時に死なば、故ら願ふ所なり。」という文章を引用し、その同盟観・義兄弟観を、三島・澁澤に重ね合わせる場面がある。
『松田修著作集 第八巻』(右文書院、2003年)
NHK総合で1993年度に放送されたシリーズ番組「歴史発見」を文章化したものの第13巻。「書いて稼いで『八犬伝』 職業作家、馬琴の実像」を収録。ゲストの栗本薫氏が同じ作家の視点から、プロ作家としての馬琴、現代のエンターテインメント小説の原型としての『八犬伝』を語る。妖術使い、江戸相撲などの流行もの、浜路くどきに代表される恋愛要素を巧みに取り入れる、犬士の遍歴によって地方の風物を描く、などの工夫によって馬琴は『八犬伝』を一大ヒット作たらしめたと分析。馬琴のエンターテインメント作家としてのテクニック面(読者サービス)を追及した論は、ありそうでいて意外にないので新鮮かつ面白かった。
『歌舞伎公式ウェブサイト 歌舞伎美人(かぶきびと)』 ウェブサイト
歌舞伎に関するさまざまな角度からの情報が満載のウェブサイト。連載特集の「JR東日本」コーナー内のコラム(2009年8月28日更新分)で『八犬伝』を取り上げている。内容的には錦絵や富山の写真とともにあらすじを紹介、館山市の博物館や毎年10月に行われる「里見祭り」についても触れている。次回も『八犬伝』ネタだそうで、楽しみ。
http://www.kabuki-bito.jp/special/jreast/34/no2.html
↑このコラムについては平次さまより存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
早稲田大学古典籍データベース公開記念として、2007年1月25日から2月28日まで開催。『八犬伝』『新編金瓶梅』などの馬琴作品の原本や馬琴画の稿本、錦絵などを展示。ほかに京伝、一九、三馬らの作品も紹介する。
参考:http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/bakin/2006exb02.html
『暗闇との対話』 鼎談
『中央公論』昭49年6月号に掲載された松田修・井上ひさし・山口昌男三氏による鼎談。松田氏の「日本盲人論の試み」「辺界の異形者」、井上氏台本による浄瑠璃『薮原検校』などをふまえて盲人・盲目性をテーマに語りあう。松田氏が、幕末期において少年・小僧でなければ民衆にとってヒーローたりなかったこと、『八犬伝』『美少年録』の主人公たちが美少年であったのもその流れにある、という『幕末のアンドロギュヌスたち』でとりあげた持論を語る場面がある。つづいての、明治天皇も少年であったゆえに幼神としての機能を期待され、それが幕府崩壊を決定づけたというやや冗談まじりの示唆が面白い。ちなみに『戯作の可能性』によると『薮原検校』で胴斬りにされる人形は馬琴の肖像画がモデルなのだという(!)。
『松田修著作集 第二巻』(右文書院、2002年)
『戯作の可能性』 対談
『國文學』昭48年12月号に掲載された松田修・井上ひさし二氏による対談。冒頭で両氏が関わったNHKのTV番組『日本史探訪・馬琴』について触れるほか、たびたび馬琴と『八犬伝』に関する話が登場する。とくに、馬琴が『八犬伝』ラストで自ら作り上げたユートピアを破砕するところに馬琴の戯作者としての本質が表れているという指摘が興味深い。また井上氏の戯曲『珍訳聖書』は『八犬伝』の影響がたぶんにあるそうだ。
松田修『日本芸文の光と闇−松田修対談集−』(第三文明社、1980年)
『松田修著作集 第一巻』(右文書院、2002年)
『時代劇マガジン Vol.13』(辰巳出版、2005年) ムック本
時代劇ファン向け季刊雑誌。2006年の正月ドラマ『里見八犬伝』を数ページにわたり特集しているが、その中に原作のあらすじと、過去の『八犬伝』ビジュアル化(コミックも含む)作品のリストあり。この作品リスト、かなりマイナーなものまで拾ってあるうえあらすじや編者のコメントも付されていて、今となっては再見不可能な作品の概要がわかるのが実にありがたい。
『知っ得 編年体 古典文学 1300年史』(學燈社、2007年) ?
日本の古典文学史を基本的に10年単位で、その時代を専門とする学者陣が解説。その時期の有名作品、文化的背景、当時の世界文学など合わせて紹介している。「寛政3年〜寛政12年」の項から「天保2年〜天保11年」の項まで全ページで『八犬伝』や馬琴を取り上げている。執筆者も板坂則子氏、長島弘明氏、高木元氏と豪華。
『〔新版〕社会人のための国語百科 カラー版』(大修館書店、2000年(初版1992年)
国語の授業の副読本的構成ながら、大判なぶん情報量も多く、「社会人のための」というだけあって明治から昭和ごろの軍組織や学校系統図も充実。『八犬伝』および馬琴は江戸文学の項で半ページを割いて標準的な紹介がなされている。現代の作家として星新一氏、赤川次郎氏が入っていたり、折口信夫が「釈迢空」の名の方で採られていたり、「文芸用語一覧」に「軽み」や「ショート・ショート」「ディオニュソス型」なんてのまで入ってたりするのが新鮮。
『好きなもの』 コラム
毎日新聞朝刊のコラム。著名人が好きなもの3つをあげ、それらについて解説を加える。2008年9月14日掲載分で、佐々淳行氏が好きなものの3つめとして平岩弓枝『南総里見八犬伝』をとりあげている。原作の内容にも軽く触れていて、「「里見家」を「日本」に、「忠」を「勇」におきかえれば、そのまま教育勅語である。」という指摘には「『八犬伝』の海防思想」を思い出した。
『月刊TVnavi 2006年2月号』(産経新聞社、2005年) TVガイド雑誌
2005年12月21日(地域により多少の差あり)発売。2006年の正月ドラマ『里見八犬伝』の数ページにわたる紹介記事あり。八犬士各人の紹介の項で〈原作設定はこう〉というのが付記されているのだが、〈幼時から筋骨たくましいという描写のある信乃の女装は似合わなかったかも〉など結構マニアックなことが書かれていたりするのがツボ。
『日本名著全集 江戸文藝之部 讀本集』(日本名著全集刊行會、1927年) アンソロジー
京伝の『曙草紙』『昔話稲妻表紙』『本朝酔菩提』、馬琴の『南柯夢』『南柯後記』、六樹園『天羽衣』『飛騨匠物語』を収録。山口剛氏による解説は、〈ここに収められたような作品は、滑稽本・人情本などとは同じ読本といっても性質の異なったものである〉として、その峻別条件について述べる中で、『八犬伝』にもふれている。
『八犬伝/四合』 お酒
千葉県富津市の小泉酒造さん販売の日本酒。オンラインにて入手可能。さすが千葉県は八犬伝ものの宝庫。自分で味を見られないのが残念ですが(日本酒飲めないので)、日本酒好きの方はお試ししてみては?
http://www.sommelier.co.jp/?pid=6239399
↑この商品については平次様よりご教示いただきました。いつも有難うございます!
『八犬伝で発見 江戸庶民の生活文化』 企画展示
平成18年4月29日〜6月4日の間、「文京ふるさと歴史館」にて開催されている特別企画。『八犬伝』の原本や浮世絵、二次小説、及び『八犬伝』に関連して江戸期の(特に文京区界隈での)園芸ブームやペット(犬)ブーム関係資料の展示と解説。放下屋物四郎(毛野の変名)のモデルや、穂北荘の「盆木室(うゑきむろ)についての指摘など、新鮮かつ刺激的な内容である。
参考:「文京ふるさと歴史館ホームページ」(http://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/)
『「八犬伝の世界」展』 展示
2008年9月13日〜10月26日千葉市美術館にて開催。服部仁氏所蔵のコレクションを中心に、『八犬伝』に関する浮世絵、二次作品、馬琴関連資料などを展示する。個人的には、「八犬伝、現代に生きる―進化するイメージ」のコーナーで、碧也ぴんく『八犬伝』の原画、とくに「芳流閣」の場面のものが展示されていたのが拾い物だった(私が知るかぎりの二次作品でもっとも迫力と芸術性、悲愴美に満ちた「芳流閣」を見せてくれたのは碧也版だったので)。碧也氏によるこの企画展へのメッセージまで飾られていて、碧也ファンとしてもホクホク。しかし角川映画やスーパー歌舞伎、なんと『サクラ大戦』の資料まであるのに、2006年正月のTBSドラマがスルーされてたのが意外ではある。
参考:「千葉市美術館」(http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2008/0913_1/0913_1.html)
『伏姫ワイン』 お酒
南房総名物「房州びわ」を原料とするワイン。道の駅をはじめ千葉南部の酒店ところどころで購入可能のよう(電話注文・配達を受け付けているところ)。私自身もまだ飲んでないのですが、安房へ旅行する機会にはぜひ購入したい一品。
参考:http://www.kanko.chuo.chiba.jp/contents2/sake/detail/57-2601.html
↑この商品については平次様よりご教示いただきました。いつもありがとうございます!
『編集手帳』 コラム
讀賣新聞朝刊のコラム。2004年10月26日分で、新潟中越地震に関連して、小文吾が越後で闘牛見物をしたエピソードを引く。先日の『余録』といい、新聞のコラム担当者は結構『八犬伝』をきちんと読んでいたりするのだなあと、なんか感激。
『房総美味八献伝』 イベント
東京都港区の高輪プリンスホテル内レストランで2005年6月13日から7月31日まで開催されたイベント。「8人のシェフが腕をふるいます。太陽と海の恵み、明るい房総メニューが駆けめぐる49日間」だそうです。どうやら8月1日から第二段も予定されているらしい。ネーミングセンスが実にナイス。
参考:http://www.princehotels.co.jp/takanawa-area/event/boso/index.html
http://www.agri.pref.chiba.jp/nourinsui/01nousui/press/press_050609.html
『毎日夫人』 小冊子
毎日新聞が月一で購読者に配布する冊子。全国の名店・名物案内の記事多し。最新号(2009年1月号)の「ぶらり名作の舞台」で『八犬伝』にからめて館山を紹介。「八賢士」のお墓や八犬伝博物館(館山市立博物館分館)、里見氏の歴史などにふれている。
『みちしるべ 房総 千葉 茨城』 旅行案内
近畿日本ツーリスト発行の旅行プランのパンフレット。南房総エリアの案内で、「館山を居城にした里見家の伝奇小説」として『八犬伝』のあらすじと八犬伝ゆかりの地をめぐる観光コースなどを載せる。あらすじが一部間違っているものの(伏姫の父を里見九代義康と書いてある)、旅行案内にまで『八犬伝』があらすじ付きで載るかと思うと何だか嬉しい。
↑この作品?については平次様より資料を提供していただきました。いつもありがとうございます!
『みんな本が好きだった』(産経新聞2004年9月12日朝刊収録分) コラム
著名人に思い入れのある本を一冊選んで紹介してもらうという趣旨のコラム。この回では歴史作家の山村竜也氏が少年時代に愛読した本として、少年少女講談社文庫の『八犬伝』(服部明二訳編)を紹介。『八犬伝』にはまるきっかけとなった人形劇『新八犬伝』についても触れている。自分が群像劇にひかれるのは『八犬伝』がルーツかも、という言葉が一『八犬伝』ファンとしてなんだか嬉しかった。
『八房カントリー倶楽部』 アミューズメント施設
千葉県市原市にあるゴルフ場(未見、というか現地に行ってません)。名称以外、とくに『八犬伝』的なところはなさそう(当たり前)。名称自体も偶然の一致かもしれないが、千葉県なので『八犬伝』から取った可能性は多分にあるかも?
参考:http://homepage2.nifty.com/markgolf/shinmark-2/souba2/souba/chiba2223/yatsuhusa.html
↑この情報は平次様よりお寄せいただきました。いつも有難うございます!
小松和彦・松田修二氏の対談。『歴史読本 昭62年8月号』初出。松田氏の出世作『刺青・性・死』をふまえて、文化の負の部分やそのシンボル(たとえば刺青)などについて語りあう。将門信仰と妙見信仰の結びつきについて語るくだりで、八犬士の牡丹のあざも将門伝承に通じるものではないかという発言あり。『八犬伝』には多分に北斗=妙見信仰が反映されていることを思うと興味深い指摘である。
松田修『日本刺青論』(青弓社、1989年)
『松田修著作集 第6巻』(右文書院、2003年)
『ジャンル別・作家別 永遠の伝奇小説 BEST1000』(学研M文庫、2002年) ?
作家・研究者40名に「ゴシック・ロマンス」「SF」「ミステリ」などのカテゴリーごとに50の作品を選出してもらう「ジャンル別BEST50」と作家ごとに10作品を選出してもらう「作家別BEST10」から成る。「大江戸伝奇」(選者・高田衛氏)、「SF」(同・東野司氏)が『八犬伝』を取り上げているほか、あちこちの章で馬琴の名前がちらちら出ている。個人的には「半村良」(選者・川又千秋氏)の項の、半村氏が馬琴を評した言葉が印象に残った。伝奇作品に関心がある人なら、読みたい本が増えすぎて困ることうけあいの一冊。
『怪 vol.0015』(カドカワムック(角川書店)、2003年) ムック本
水木しげる氏、京極夏彦氏、荒俣宏氏などそうそうたるメンバーによる、妖怪や日本のオカルトに関する小説、随筆、対談などから構成。京極氏と高田衛氏の対談「『南総里見八犬伝』偉大なるわれらのエンタテインメント」を収録。大風呂敷を見事に収斂させ、物語を立体的に構築、現代のエンタテインメント小説の原型を作り上げた馬琴の作家としての力量・志の高さなどについて語っている。作家として馬琴を手本にしてきたという京極氏の、小説家の視点による馬琴のとらえ方が新鮮かつ面白い。近々『八犬伝』を小説化する予定だとか!京伝などに比べて馬琴作品は〈やりにくい〉と語っているが、ぜひ頑張っていただきたいものだ。なお東雅夫「怪しきカタリの系譜」も浜田啓介氏校訂の新潮社版をはじめとする『八犬伝』関連書についてとりあげている。
追記−2005年6月30日発売の、京極夏彦『京極夏彦対談集 妖怪大談義』(角川書店)に、「『南総里見八犬伝』偉大なるわれらのエンタテインメント」が収録されている。
『別冊宝島88 現代文学で遊ぶ本』(JICC出版局、1989年) 評論集
作家・評論家・ライターたちが戦後の日本と世界の作家数十人について2〜4ページ枠で論じた企画もの。「遊ぶ」というタイトルが示すように全体に文体は軽めで、茶化すような調子のものも多く、文芸評論というよりサブカル評論といった趣き。内容的にも15年ほど前に刊行された本だけに、今読むと作家の選択や文章のセンスに時代色を感じる。川村湊氏が井上ひさし氏を評する中で、『近世狂言綺語列伝』で取り上げたような、『八犬伝』のユートピア思想や言語感覚に触れている。
『まちづくり探訪記83 里見八犬伝のまち 市民活動が掘り起こす地域の宝』 コラム?
『八犬伝』の最重要舞台である館山市の「活発な市民の学習活動」についての特集。多くは『八犬伝』にちなんだネーミングの、いろいろな企画を紹介している。『八犬伝』関係のイベンドが多々行われているのは知っていたが、改めて『八犬伝』ファンとして館山市の動向には注目しておかねば、と思ったものだった。
『社会教育 第62巻5月号(通巻第731号)』(全日本社会教育連合会、2007年)
『余録』 コラム
毎日新聞朝刊の〈顔〉的存在の時事コラム(朝日新聞の「天声人語」にあたる)。2004年7月2日分で高松塚とキトラ古墳について、巨勢金岡を引き合いに出して書いているが、そこで親兵衛の虎退治のエピソードが紹介されている。全体の5分の1程度であるが、思いがけない場所で『八犬伝』が(ちゃんと正確に)語られているのが嬉しかった。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)『澄江堂雑記』 随筆
古今の文芸作品や芸術に対し思うところをつづった数行の短文をまとめたもの。「徳川末期の文芸」の項で、「徳川末期文芸はふまじめといわれるがその作者は人生の暗たんたるを知ればこそあえて洒落のめしたのではないか。馬琴も内心勧善懲悪など信じてなかったのではないか」と指摘。『八犬伝』という言葉は出てこないが、「勧善懲悪」と書いたとき芥川の念頭には当然『八犬伝』があったと思われるのでこの項に加えた。
『少年・大導寺信輔の半生』(角川文庫、1975年(初版 1969年))
浅野三平「南総里見八犬伝の伏姫 命運の女性」・・・『國文學 九月臨時増刊号 第27巻13号 古典の中の女・一〇〇人』参照。 評論
浅野三平「南総里見八犬伝の船虫 獰猛、奸悪の毒婦」・・『國文學 九月臨時増刊号 第27巻13号 古典の中の女・一〇〇人』参照。 評論
浅野三平「「当世奇話」の八犬伝評」・・・『読本研究第五集』参照。 エッセイ
朝松健(あさまつけん)『室町闇の頌歌』 エッセイ
朝松氏作の室町時代を舞台とする小説『暁けの蛍』(講談社、2006年)の宣伝を踏まえたエッセイ。朝松氏が耽溺するところの「室町時代」に対する一般の無知・無関心を嘆じる中で、「かの八犬伝は室町時代が舞台」というくだりがある。ちなみにこの『暁けの蛍』、一休と世阿弥の「出会い」を描く幻想譚だそうで、俄然読んでみたくなった。『妖臣蔵』でも時代考証の細やかさにうならせたくれた朝松氏の作品だけに大いに期待。
『本』(講談社、2006年2月号)
↑この作品については平次様より資料をご提供頂きました。いつもありがとうございます!!
阿刀田高(あとうだたかし)監修『この一冊で読める!日本の古典50冊』(三笠書房、2002年) 事典?
古代から江戸期までの著名な古典小説・随筆などのあらすじと特徴、作中の有名なエピソードなどを紹介。その作品に材をとった後世(主に近代)の小説や映画、商品などの紹介まであるのが面白い。「波瀾万丈の物語に酔いしれる12冊」の中で『八犬伝』を紹介。五十子が義実ともども富山に入ったことになっている以外はほぼ正確な記述。古典作品の入り口としてはうってつけの一冊。
生島遼一(いくしまりょういち)『日本の小説』(朝日選書20(朝日新聞社)、1974年) 評論
『竹取物語』から近代文学作品まで時代時代の名作や作家を私的観点から論じる。「『雨月』と『八犬伝』」で『雨月物語』の名文をたたえ、『八犬伝』については本編より「回外剰筆」の馬琴の苦節がにじみ出る文章を評価。本編に関しては、作品の雄大さに似合わぬキャラクターの世話物的な動きや合戦シーンの描写の拙さからして、むしろ馬琴の本領は『南柯夢』的細やかな人物描写にあるのではないかと指摘する。
石黒吉次郎監修『古典文学書き結び総覧 上 物語・近世小説』(日外アソシエーツ、1998年) 事典?
『竹取物語』から『春色梅児誉美』まで、日本の古典文学の主作品の書き出しと結び、あらすじを紹介する。当然『八犬伝』も登場。『椿説弓張月』も取り上げられている。巻末に各作品の書き出し部分をあいうえお順に並べた「書き出し索引」もついていて便利。
石原千明(いしはらちあき)『ケータイ小説は文学か』(ちくまプリアー新書、2008年) 評論
『Deep Love』から『赤い糸』まで、大ヒットしたケータイ小説を取り上げ、このジャンルに多いストーリー展開の傾向などから、既存の小説との違いと、ケータイ小説の世界観の背後にあるホモ・ソーシャル性について説く。坪内逍遥が『Deep Love』を読んだら、『八犬伝』同様「勧善懲悪を説きながら、実際の物語としては殺伐として猥褻な記述ばかりで支離滅裂だ」と評するんじゃないか、というくだりがある。『八犬伝』と『Deep Love』が合わせて語られることがあろうとは(笑)。なかなか視点が新鮮で面白い本でした。
市島春城『明治文学初期の追憶』 エッセイ?
坪内逍遥、尾崎紅葉ほか個人的に交わりのあった作家との思い出話をつづる。自身の小説との出会いを描く導入部と続く逍遥に関する文章で、『八犬伝』体験や「逍遥が学生時代に書いた馬琴調の小説」の話が出てくる。
十川信介『明治文学回想集』(上)(岩波文庫、1998年)
板坂耀子(いたさかようこ)『江戸の女、いまの女』(葦書房、1994年) エッセイ集
近世及び現代(日本も海外も含めて)の女性に対する社会の視線をはじめ、当然のごとく〈常識〉として扱われる物事に対する著者の違和感や個人的見解を、主として綴る。といっても近世文学の研究者の方だけに、江戸文芸をテーマとする章は一個の論文と言ってよい。「『傾城水滸伝』覚書」の章で、同時期の作品であることと主題の共通性から、『八犬伝』がしばしば引き合いに出されている。
伊藤比呂美『知死期時(ちしごどき)』(朝日新聞社、1985年) エッセイ集?
女の死の場面を愛好する著者が、近松、馬琴、南北作品を中心に文芸作品中の女の死に様の魅力を語る。馬琴作品については『八犬伝』の伏姫や雛衣、『弓張月』の新垣など主に妊婦の死を、作者自身の妊娠時の心情を重ねつつとりあげる。当人いわく「いってみればオナペットだから、とにかくそこ(注・女が死ぬ場面)しか読まない」。思いもかけぬ鑑賞法に呆然。雛衣自害のくだりについて「角太郎と誰かもう一人出てきて―」なんて書いてるあたり、ほんとに他はどうでもいいんだなあ・・・。他にも新垣の断末魔とラマーズ法(!)をモチーフにした自作の詩(作者はプロの詩人)や、終章の切腹マニアの人の話など、つくづくぶっとんでいる。なんだか新しい世界が広がったような気がします。
伊東万里子『房総の英雄を訪ねて−『八犬伝』のことなど』 エッセイ?
『新八犬伝』ほかNHKの人形劇にかかわり、現在は人形劇劇団「貝の火」を主催する伊東氏による講演。『八犬伝』を中心に、房総に伝わるさまざまな英雄の物語を紹介。『八犬伝』についてはあらすじと研究本(『八犬伝綺想』)の紹介、『新八犬伝』のVTR上映、人形の使い方の説明と観客に実際に人形を使ってもらうイベントなど伊東氏ならではの盛りだくさんの内容となっている。ううむ参加したかった・・・。
城西国際大学『JIU国際総合講座 第六集』(2001年)
井波律子「引用曼荼羅の世界−『南総里見八犬伝』と中国白話小説」・・・『文学 第5巻第3号 特集=曲亭馬琴の遺産』参照。
井上ひさし・小森陽一編『座談会 昭和文学史 第一巻』(集英社、2003年) 座談会
井上氏・小森氏+1、2名のゲスト(作家・文学者など)が主として昭和の文学史に大きな影響を残した作家およびその作品について語りあう。読みごたえあり。「第4章 プロレタリア文学」の中に〈『小説神髄』以来、日本の近代小説は一人の主人公を中心にする約束事が出来て、『八犬伝』のように遠くの主人公を持つ作品が排除された〉という発言がある。第2章にもちょこっと馬琴の名前が出てくる。
今尾哲也・諏訪春雄・高田衛『〈座談会〉近世的なるもの−勧善懲悪などをめぐって−』 座談会
近世の演劇・小説にあらわれる因果応報・勧善懲悪といったテーマについて、当時の作家たちと受け手である民衆の意識、ストーリーの展開パターンなどを語る。主として高田氏発言の中に『八犬伝』および『新累解脱物語』に言及する箇所が登場する。
『日本文学 vol.34』(日本文学協会、1985年)
巌本善治(いわもとよしはる)『小説論』 社説
明治二十年に「女学雑誌」社説として書かれた小論。女性が小説を読み、それを批評するための心得を指南する。「作り物は人情本に及ばず稗史は所云る小説に及ばず」、ゆえに『八犬伝』『弓張月』は『源氏物語』や浄瑠璃に劣る、という論法は多分に『小説神髄』の影響が見える。寓意小説を説明する際にも(はっきり名前は出していないが明らかに)『八犬伝』を例に取っている。
内村鑑三他『近代日本キリスト教文学全集10 評論集T』(教文館、1978年)
氏家幹人(うじいえみきと)『傾きて候』 コラム
産経新聞日曜版文化面の一コーナー。江戸の都市文化に関するあれこれの事象を紹介する。2005年6月19日分で『甲子夜話』を主に江戸の怪談ブームをとりあげ、そこで怪現象を探求していた当代の知識人の一人として馬琴の名をあげている。それを受けてさらにコラム中の一コーナーが、馬琴の怪奇趣味が著作にも表れている例として『八犬伝』を軽く紹介、庚申山の化猫退治の場を描いた歌川芳虎の絵を載せている(このミニコーナーの部分の筆者は氏家氏ではなく(千)という署名の人)。
内田魯庵『八犬伝談余』 随筆
馬琴の簡単な評伝と『八犬伝』への論評。第九輯については、対管領戦の戦闘描写の拙劣さや、犬士たちの過剰な完璧さなどを指摘し、点が辛い。また『八犬伝』の歴史・地理的な誤りを軽く揶揄しているが、最終的には、馬琴の残した足跡の偉大さを評価している。ラストに橋本蓉塘による、『八犬伝』の登場人物に捧げる(?)歌を紹介。
小池藤五郎校訂『南総里見八犬伝(十)』(岩波書店、1985年)収録
内田保廣(うちだやすひろ)『曲亭馬琴「南総里見八犬伝」 混沌の収斂』 エッセイ?
馬琴の経歴と『八犬伝』のあらすじを簡単に紹介、『八犬伝』の人気と受容のあり方の変遷を、わかりやすく説明してある。
『國文學 解釈と教材の研究 12月臨時増刊号』(學燈社、1989年)
『知っ得 幻想文学の劇場』(學燈社、2007年。『國文學 解釈と教材の研究 12月臨時増刊号』の単行本化)
内田保廣『野暮な屋敷の大小捨てて』 エッセイ?
荻生徂徠『政談』、馬琴『吾仏乃記』、『四谷雑談』(『東海道四谷怪談』実録版)などからうかがえる当時の下級武士と町人の境界線の曖昧さについて。「馬琴の主人公は武士と町民の中間に居る」例として小文吾をあげる。まあ『八犬伝』に触れる部分はちょこっとだけなのだが。
『江戸文学21 特集 さむらいの文学』(ぺりかん社、2004年11月)
内田保廣『高田衛著『滝沢馬琴』』 書評
評伝や『小説神髄』『戯作三昧』などによって決定された近代の馬琴イメージに大きな変化をもたらした『八犬伝の世界』の功績と、その読解力・考証力をもって新たに馬琴その人を詳述した本作(『滝沢馬琴』)の意義について語る。もちろん『八犬伝』についてもたびたび言及。
『国文学研究 第百五十二集』(早稲田大学国文学会、2007年)
海野弘(うんのひろし)『伝説の風景を旅して』(グラフ社、2008年) エッセイ集
日本全国のさまざまな伝説が残る土地を旅して、現地の郷土資料などにあたったり、土地の人を訪ねたりしながら、その伝説をふりかえる。「里見八犬伝と房州」では旧安房国のあちこち(館山城や富山)を訪ねている。〈『八犬伝』も『水滸伝』のようなアウトローものなのではないか〉〈房州に犬の伝説と地名が多いのも『八犬伝』のヒントの一つではないか〉といった推理が興味深い。
↑この作品については平次さまより情報をいただきました。いつもありがとうございます!
潁原退蔵(えばらたいぞう)『潁原退蔵著作集 第一巻』(中央公論社、1980年) 全集
潁原退蔵氏の前著作を類別、全二十巻に収めたうちの一冊目。「江戸時代の文藝に現はれた人間観」「近世末期文藝の世界観」の二つで、〈『八犬伝』ほかの馬琴作品は馬琴の理想に基づく徹底した勧善懲悪の世界であり、それだけに読者はキャラクターに共感できず、伝奇的興味のみで作品を追っていた〉ことを主張。また「日本文学書目解説」の「読本・草双紙」の項で、当時における『八犬伝』ほか馬琴作品で翻刻されたものについて簡単なデータを提示している。
江宮隆之(えみやたかゆき)『「晩学」のススメ 人生、快楽は後半にあり』(祥伝社文庫、1999年) ノンフィクション
江戸期において、主として晩年にさまざまの分野で優れた業績を残した15人の人物の事蹟を紹介する。「第二章 晩学のすすめ」で馬琴をとりあげ、その生涯とお路の口述筆記による『八犬伝』完成の顛末を記している(「第一章」の葛飾北斎の項でもちょこっと馬琴にふれる)。会話文を多く用いた臨場感のある文章は、質の良い短編小説のようですらすらと面白く読める。
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつもありがとうございます!
円地文子(えんちふみこ)・白洲正子(しらすまさこ)『古典夜話 けり子とかも子の対談集』(平凡社、1975年) 対談集
式亭三馬『浮世風呂』中の、知をひけらかすインテリ婦人二人組「けり子」と「かも子」に自分たちをなぞらえ、『源氏物語』や能、戯曲など、古典作品を中心に語り合う。前書き・後書きでお二方とも自身を「生物知り」と謙遜しているが、深い教養と上品な人柄に窺わせるお二人の〈茶飲み話〉は読んでいて心地好い。『八犬伝』関連では、「世阿弥のこと」という章で円地氏が、鎌倉以降の軍記物に表れる啓蒙色は江戸期の『八犬伝』や『弓張月』まで続いている、大衆文学の「遍歴談」は馬琴が発祥である、といった発言をしている。
円地文子『『八犬伝』の作者』 エッセイ
『源氏物語』の現代語訳など日本の古典に造詣の深い作者が、幼少期祖母の影響で暗唱できるほどにはまりこみ、思春期以降は反発し、『随筆滝沢馬琴』を読んだのを機に舞い戻るに至った『八犬伝』歴と、馬琴への親近感をつづる。芳流閣のくだりを引用して、「盛夏の太陽の容赦なく照りつける屋根瓦の灼けつくようなほてりや、群青色の水面に小さい光を一つ一つきらめかせている川波の背などが手にとるように浮んで来るのである。」と述べる一文には個人的に大いに共感を覚えた。
『円地文子全集 第十六巻』(新潮社、1978年)
円地文子『灯(ひ)を恋う』 エッセイ
三部構成の随筆集。面識のある作家たちや古典作品、歌舞伎役者などについて書く。第一部の「読本と草双紙私語」で『八犬伝』にふれる。内容的に『『八犬伝』の作者』とかぶる部分もあり。「明治以後の読者に馬琴は無視され、今では前世紀の巨大な動物の骨をみるような眼でしか眺められていない。」という箇所は今では(いい意味で)隔世の感がある。円地氏は「これは明らかに不当な評価であると私は思う。」と続けているが、いまだ『八犬伝』評価が低かった時期(『灯を恋う』単行本の刊行は1968年)に『八犬伝』が現在でも十分〈読める〉作品であることを表明しているのはさすがの慧眼というべきか。
『円地文子全集 第十六巻』(新潮社、1978年)
円地文子『本のなかの歳月』 エッセイ集
昭和26年〜50年の間に書きためられた読書雑記を中心とするエッセイ63編を三部に編集して単行本化したもの。「『八犬伝』の代筆者」では、『八犬伝』への愛着と馬琴の作品完結への執念・嫁お路の苦心を綴り、「女流作家の見た『大菩薩峠』」では、全国を遍歴するスタイルや冒頭の大菩薩峠の情景描写が『八犬伝』(の庚申山)に似ていることを指摘している。
『円地文子全集 第十六巻』(新潮社、1978年)
円地文子『江戸文学問わず語り』(ちくま文庫(筑摩書房)、1992年) エッセイ
読本・演劇など江戸の文芸を、自身の思い出や家族からの聞き憶えを土台に、思い入れをこめて語る。「馬琴雑記」で『八犬伝』『弓張月』『美少年録』を取り上げるほか、他の章でも馬琴や『八犬伝』をしばしば引き合いに出している。著者の馬琴作品とりわけ『八犬伝』への愛情がよく伝わってくる一冊。
大輪靖宏(おおわやすひろ)「作者の意図を探る楽しさ」・・・『読本研究第五集』参照。 エッセイ
岡田憲治(おかだけんじ)『昭和の住まい学』(鶴書院、2006年) エッセイ集?
日本の住宅と家族についてのエッセイを集めたもの。「サザエさん」の受容のあり方の変遷から昭和の家族観を検証する第一部が、気張らずサクサクと楽しく読める。V章の「寸法発見伝−モジュール入門帖」で、唐尺の説明として「「里見八犬伝」では「孝・義・忠・信・悌・礼・智・仁」の珠をもっていたが、こちらは、「財、病、離、義、官、却、害、吉」の目盛りがあり」との一文がある。いやそれだけなんですけど。
岡野宏文・豊崎由美『百年の誤読』(ぴあ株式会社、2004年) 評論集?
辛口のライター二人が20世紀のベストセラー作品を10年単位で振り返り、いわゆる名作であろうと過去の評価に関係なく歯に衣着せず論評しまくる対談集。雑学的知識をからめた軽妙なやりとりが抜群に面白く、やはり豊崎氏が著者の一人である『文学賞メッタ斬り!』シリーズに近い雰囲気。爆笑する箇所も多数。富田常雄『姿三四郎』について「手裏剣使いと屋根の上で闘うとこなんて、『八犬伝』の有名な場面とそっくり」との指摘あり。脚注で芳流閣の戦いについての解説を加えている(ちょこっと間違ってるけど)。『姿三四郎』、読まねば。(←読んでみました)
片上伸・相馬御風編『十六人集』(新潮社、1920年) 短編集
流感のため危うく一家全滅しかけた(みんな無事回復)小川未明を慰める、という理由で編まれた、未明の知友十六人による短編集。坪内逍遥が跋文にかえて「馬琴に關する私の追憶」という一文を寄せている。『八犬伝』のみならず馬琴の著作全般についてもうボロクソに書いている。例えば「馬琴のあの機械的な、あほだらめいた七五調のマンネリズムやあの牽強附会な併しながら如何にも豊富な、講釋澤山の、勿體ぶつた脚色」・・・・・・。よくここまで並べたてたものである。「惑溺が甚しかつただけに、其反動も人一倍であつたともいへる」と自ら認めているとおり、馬琴に耽溺していた少年期によほど忸怩たる思いがあるようだ。鴎外の言う〈けなしすぎたことを悔やんでいた〉というのはいつごろの話だ?ちなみに『リエンジー』訳の序文では『小説神髄』どころではない馬琴批判を展開しているそうな。まだこれ以上があるのか・・・。
勝海舟(かつかいしゅう)『氷川清話』 談話録
江戸幕府末期に軍艦奉行ほか幕府の要職をつとめ、江戸城無血開城の立役者である英傑・勝安房守義邦(海舟)晩年の談話録。吉本襄編集によって明治三十年十一月頃に刊行された。西郷隆盛をはじめとする古今の人々への評価や、政治・経済などについての持論を率直に述べる。身内相手の談話とはいえ歯に衣着せぬ伝法な言葉遣いが、父・勝小吉の『夢酔独言』そっくりなのが面白い。「わが文芸評論」の項で、わずかに少年のころの馬琴人気と若き日の馬琴のエピソードについて紹介するが、そこで「(『八犬伝』は)徳川の末世のことを書いて、つまり不平の気をもらしたのだ。」と、近年論議の対象になっている『八犬伝』の幕政批判要素を早くも指摘しているのはさすがの慧眼。
勝部真長編『氷川清話 付勝海舟伝』(角川文庫、1982年(初版1972年))
神近市子『馬琴の嫁のこと』 エッセイ
馬琴の晩年の労苦に思いを寄せ、それを支えた嫁・お路が婚家で苦労しつつも、夫の死後『八犬伝』後述筆記という大役を担うことでその才能と名声を後世に残すに至っためぐり合わせを感嘆をこめて綴る。冒頭に少女の頃『八犬伝』を読みふけった思い出が登場する。
神近市子・鈴木れいじ『神近市子文集2』(私家版、1987年)
唐十郎(からじゅうろう)『特権的肉体論』(白水社、1997年) エッセイ集?
表題作ほか「新・特権的肉体論」「超・特権的肉体論」を収録。既刊の単行本や雑誌に収められた演劇論やエッセイを再編したもの。「新・特権的肉体論」の中の「シャーマニズムと水滸伝」の中で「鬼道に事(つか)えた女」としての伏姫と八房をとりあげる。『八犬伝』とりわけ伏姫物語の背後にあるシャーマニズムへの言及が鋭い。ちなみにタイトルは「水滸伝」だが『水滸伝』のスの字もなし。
川村二郎(かわむらじろう)『日本文学往還』(福武書店、1993年) 評論集
実在の人物から伝承上の英雄まで、日本の文学作品に登場する人や神の形象、よく取り扱われるテーマなどについて、さまざまな資料を用いながら評する。「蓬莱と楊貴妃」以下数章で『八犬伝』にも軽く言及。『古典を読む−16 里見八犬伝』でも感じた、主観による部分の多い、それだけに鋭い直観に恵まれた文章が魅力的。
他作品:『古典を読む−16 里見八犬伝』
川村湊(かわむらみなと)『異様の領域』(国文社、1983年) 評論
『伊勢物語』から『金色夜叉』に至る作品・作家論七編を収める。「戯作のユートピア−江戸作者の〈言葉〉・曲亭馬琴」で馬琴とくに『八犬伝』をとりあげ、『八犬伝』は“政治的ユートピア”である以前に「〈言葉〉に対する絶対的な信仰」が支配する“言語ユートピア”として造型されていることを述べる。この“言語ユートピア”論は『近世狂言綺語列伝』でより詳しく語られている。
川村湊『音は幻−川村湊評論集V』(国文社、1987年) 評論集
「根の国の物語−川村二郎『里見八犬伝』について」で、これまでの『八犬伝』論は作者・馬琴論か作品『八犬伝』そのものに偏る傾向が顕著だったのと引き比べて、川村著は作品に即しつつ『八犬伝』の土壌となった馬琴の深層意識の「地下」をも見据えている点を高く評価している。また「小説の「神髄」−坪内逍遥」では逍遥が馬琴や『八犬伝』を批判しながらもその実「写実主義(リアリズム)」に対する考え方を馬琴から受け継いでいることを、「木を伐るものの伝説−天降(あも)り・大樹・南方熊楠」では『南柯夢』や『八犬伝』素藤反乱のエピソードにおける楠の大樹の役割が近世の神話空間において大樹が反逆者側の神とみなされていたのに基づいていることを、「小説と〈語り〉」では『八犬伝』の随所に「語りもの」文化の残存が見られることを、指摘している。あと「江戸の夢幻」に『兎園小説』についての言及あり。
川村湊『紙の中の殺人』(河出書房新社、1989年) 評論集
アンチ・ミステリとして名高い中井英夫『虚無への供物』竹本健治『匣の中の失楽』や、稲垣足穂、橘外男氏ら広義の異端文学及び作家についての評論を集めたもの。「闇の中の「虚」と「実」−山田風太郎『八犬伝』論」で、山田氏による二つの『八犬伝』(『八犬伝』『忍法八犬伝』)を取り上げる中で、原作『八犬伝』や真山青果『随筆滝沢馬琴』ほかの馬琴その人を描いた作品などにも言及。原作『八犬伝』論としても読みごたえあり。
川村湊『『水滸伝』の遺伝子−日本における「水のほとりの物語」の系譜』 評論?
雑誌の吉川英治特集の一作。吉川氏の『新・水滸伝』を語る前フリに、『水滸伝』の影響を直接間接に受けた作品の一つとして『八犬伝』をあげ、『八犬伝』も『水滸伝』同様活躍の場が多く水辺や山など中央の権力の及ばない「アジール」であり、これは八犬士が秩序からはみ出した「異人」であること意味していると指摘する。『八犬伝』に触れた箇所は多くないが、読み応えたっぷり。
『国文学 解釈と鑑賞 特集 吉川英治の世界』(至文堂、2001年)
河盛好蔵監修『ラルース 世界文学事典』(角川書店、1983年) 事典
古代から現代にいたるまでの世界の広義の文学(小説、教典、詩歌、戯曲など)の歴史を、「古代オリエントの文学」「ユダヤ人の文学」「キリスト教の文学」などのカテゴリーごとに、各期の代表作品をあげつつ解説する。「日本の文学」カテゴリーの「江戸時代の文学」の中で、『八犬伝』にも触れていたのは予想通りだが、あらすじまでちゃんと紹介されていたのは嬉しい誤算だった。
神田正行(かんだまさゆき)『馬琴研究とPC・IT』 エッセイ
近年多くの図書館で行われている所蔵本の画像データをネットで公開する試みについて、特に『八犬伝』ほか馬琴関連資料を多く所蔵する早稲田大学図書館の「古典籍統合データベース」の恩恵を受けていること、ネット上でこうした資料を閲覧できる利便性と今後のさらなる可能性を語る。
『日本古書通信 第74巻8号(961号)』(日本古書通信社、2009年8月号)
ドナルド・キーン著・大庭みな子訳『古典の愉しみ』(JICC出版局、1992年) 評論
日本通の著者がアメリカで行った5回の講演をもとに構成。古典小説、詩、演劇などにあらわれる日本人独特の美学を、西洋人の感性と比較しつつ説く。読みやすくかつ面白い。「日本の小説」の章のラストで、「エンターテインメントの要素がある上に、ちゃんとした教訓的な要素のある長い小説」として『八犬伝』に触れる。
北野広大(きたのこうだい)『電力故郷紀行G 安房館山『南総里見八犬伝』の舞台を歩く』 エッセイ
『八犬伝』のあらすじ、馬琴の履歴、史実の里見家の歴史などを簡単に紹介。途中で富津火力発電所の妙に詳しい説明やTEPCO新エネルギーパークの写真が入るのは「電力故郷紀行」というテーマならでは。しかし「二十歳前後の人ならば、今もファミコンの『八犬伝』に夢中だという人もいるに違いない」とあるのは、噂にきく『アイドル八犬伝』のことだろうか?たしかに『八犬伝』関連作品にはちがいないが・・・。
『東京人』20号(都市出版、2005年)
北村透谷(きたむらとうこく)『処女の純潔を論ず(富山洞伏姫の一例の観察)』 評論
明治二十五年初出の小論。処女の純潔を賞賛し、その例として伏姫をとりあげ、伏姫物語に表れる因果・宿因について論じている。近年、フェミニズムの視点から批判されることも多いこの論考については『江戸幻想批判』収録の「再び処女の純潔を論ず―伏姫論」に詳しい分析がある。ちなみに透谷はこの前年に、富山のエピソードに材を得たらしい『蓬莱曲』を書いている。
『現代日本文學大系6 北村透谷・山路愛山集』(筑摩書房、1969年)収録
追記−小論集(?)『想断々(1)』(前掲・『北村透谷・山路愛山集』収録)に「平和主義と「八犬伝」」という短い項がある。『八犬伝』にからむ笑える誤解から平和希求の思いへ至る。
京極夏彦(きょうごくなつひこ)『対談集 妖怪大談義』(角川書店、2005年) 対談集
妖怪をテーマにした著作を多く著している京極氏が、民俗学者、国文学者ほか各方面の専門家諸氏と妖怪についての談義を繰り広げる。「妖怪」を通して古代から現代にいたる日本人の精神と社会のあり方をさまざまな角度から捉え直した対談内容は、どれも非常に示唆に富んでいて目から鱗の連続。高田衛氏との対談「偉大なる我らのエンターテインメント」をはじめ、『八犬伝』にふれた章がいくつかある。
京極夏彦『妖怪と幽霊と小説家の幸福な関係』 インタビュー記事
京極氏の幽霊小説『覘き小平次』と対談集『妖怪大談義』の文庫化を記念し、「小平次」ものが江戸時代どのように世間に受けとめられていたかや、妖怪の本質について語る。江戸文藝のスタイルについて話す中で、『八犬伝』についての言及がちょこっとあり。
『本の旅人F』(角川書店、2008年)
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
久保田淳『すだま・魑魅魍魎』 エッセイ
「ことばの森」という連鎖の8回目。「すだま」を作中に登場させた実例として『美少年録』『八犬伝』などをとりあげ、『八犬伝』では素藤が諏訪神社で「玉面嬢」=妙椿を木霊(すだま)とみなすシーンをあげて、「馬琴は、山男のような怪物や老木の精をひっくるめて「すだま」と見なしていたようである」としている。
『日本語学 11』(明治書院、2003年)
久保田淳編『岩波日本古典文学辞典』(岩波書店、2007年) 辞典
『南総里見八犬伝』の項では、あらすじのみならず代々の絵師の名や稗史七法への言及、現在『八犬伝』を読めるテキスト(岩波文庫など)も紹介するなどの行き届きっぷりに驚いた。また馬琴を「滝沢馬琴」でなく「曲亭馬琴」として収録(「た」のところにも〈曲亭馬琴を見よ〉との案内がある)してあり、『弓張月』『南柯夢』『侠客伝』『美少年録』も載せている充実ぶりがうれしい。
久美沙織(くみさおり)『コバルト風雲録』(本の雑誌社、2004年) エッセイ?
集英社の少女向けレーベル「コバルト文庫」の創設期にデビューし、レーベル発展の立役者の一人であった久美氏による当時の回想録。実質的にはコバルト時代の話は全体の3分の1程度で、デビューまでの話とコバルトを離れてのちの作品(『MOTHER』『ドラゴンクエスト』など人気ゲームのノベライズ主体)執筆時の出来事がそれぞれ3分の1ほどを占める。業界の裏話がいろいろと興味深い、というかほとんど〈小説家残酷物語〉の趣き。『獣蟲記』中絶の事情をあかす中で、原作『八犬伝』と馬琴自身にも若干触れている。
別作品:『獣蟲記』
ロジェ・グルニエ著、宮下志朗訳『ユリシーズの涙』(みすず書房、2000年) エッセイ集
飼い犬ユリシーズとの思い出を中心に、文学作品などに登場する犬の話や、作家たちの犬にまつわるエピソードなど、犬をテーマにしたエッセイ集。品性と円熟した人柄、高い教養をうかがわせる上質な文章が心地好い。「ディノ、クノーの犬」の項で、『八犬伝』のストーリーに軽く触れている。
幸田露伴(こうだろはん)『馬琴の小説とその当時の実社会』 講演?
馬琴の研究本でしばしば取り上げられる有名な文章。『小説神髄』もそうだが、伝奇作品についてリアリティのなさをうんぬんするのには、ちょっと違和感を感じるものの、もっぱら写実性を重視した明治期の文学観がうかがえて興味深い。〈八犬士らは実社会には存在しないが、当時の人々の胸中に存在していた〉こと、〈石亀屋次団太の弟子・磯九郎や網干左母二郎のような端役は、実社会に存在していた類の人物である〉ことなどを指摘している。露伴には他に、『八犬伝』を現代(明治)風にアレンジした戯曲『其俤今様八犬伝』がある。
小池藤五郎校訂『南総里見八犬伝(十)』(岩波書店、1985年)収録
小西聖一(こにしせいいち)『新・ものがたり日本 歴史の事件簿 活劇巨編『里見八犬伝』大評判』(理論社、2009年) 伝記?(児童向け)
馬琴が旅の僧に『八犬伝』執筆の苦労を語る場面(原作の「回外剰筆」のエピソード)から語り起こし、馬琴の一生涯を描く。タイトルのわりに『八犬伝』に関してはアウトラインに触れるのみで、もっぱら馬琴自身の事跡にスポットを当てている。当時の出版事情や他の人気作家のことも取り上げ、わかりやすい表現で説明してくれる。手軽に馬琴について知るにはおすすめの一冊。
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
小二田誠二(こにたせいじ)『高田衛 見えない世界の案内者』 評論
高田衛氏の(江戸の)幻想文学研究における功績を述べる中で、まず『八犬伝の世界』の与えた衝撃とその魅力について取り上げている。原作『八犬伝』についても若干言及あり。
一柳廣孝(いちやなぎひろたか)・※吉田司雄(よしだもりお)編著『ホラー・ジャパネスクの現在』(青弓社、2005年) 叢書
※吉田氏の「吉」の字は正確には「土」の下に「口」と書く異体字。
小谷野敦(こやのあつし)『上機嫌な私』 エッセイ
『文學界』連載のエッセイ。2006年4月号掲載の第十六回では、「八犬伝」と題して正月ドラマ『里見八犬伝』と一月末に上演された『オペラ八犬伝』を評している。それを枕に「比較文学」という学問ジャンルが成立したいきさつとその現状に対する小谷野氏の捉え方などが語られる。比較文学の何たるかを簡潔に解説してくれていて実に面白い。また個人的に、『八犬伝』全巻が勉誠出版から注釈つきで刊行されるらしいとの情報に(すでにそうした情報があると教えて下さった方がいたのだが活字で見ると改めて)心躍った。
下川繁樹編『文學界 第六十巻第四号』(文藝春秋社、2006年)
↑この作品については小谷野敦氏ご本人からご教示頂きました。ありがとうございます!
小谷野敦『リアリズムの擁護 近現代文学論集』(新曜社、2008年) 評論集
近年著した日本近代文学に関する評を集めたもの。表題作をはじめ近頃不当に低く見られがちな私小説・モデル小説の再評価を目したものが多い。そのほか、この本最大の目玉というべき評論「岡田美知代と花袋「蒲団」」に関連して、田山花袋の現在読むことが困難な二短編を巻末付録として収録している。「ペニスなき身体との交感−川上弘美『神様』」中で、異類婚姻譚の例として『八犬伝』の伏姫と八房をあげている。
齋藤健司(さいとうけんじ)『曲亭馬琴と埼玉県川口村真中家』 エッセイ?
馬琴が祖先にあたる川口村の真中家におきた家督争いを、信乃の父・番作の設定に反映させたという説と、真中家十三代から十六代までの墓は滝沢家と同じ小石川の深光寺にあることを紹介する。
『歴史研究 第46巻第7号』(歴研、2004年)
坂本太郎監修『日本史小辞典』(山川出版社、1992年(八版四三刷)) 辞典
『南総里見八犬伝』の項あり。あらすじ、書誌データなどわりにくわしく記述。「人生の写実に乏しく衒学的」とのこと・・・。
佐津川修二『読まれざる文豪 ―馬琴― 』 エッセイ
『日本文学講座』「雑録」のアンケートをひいて、学者たちからの馬琴の人柄の嫌われぶりと、それでも『八犬伝』など作品やキャラクターへの評価は高いことを取り上げつつ、その堅苦しさ、難解さから『八犬伝』がさっぱり読まれなかったこと、『新八犬伝』など当時の二次作品の成功にもかかわらず原作があいかわらず読まれないことを惜しみ、「これからの馬琴研究者の仕事の一つは馬琴の価値高き小説の大衆斡旋」として締める。30年近く前の文章ではあるが、今もって馬琴作品が、『八犬伝』でさえ原作そのものが読まれてるかというと・・・うーん。手に入りやすい形での完訳版出版しかない気がするが、これまた読み通すには長すぎるからなあ・・・。
『日本古書通信 第418号』(昭54年2月号)
實吉達郎(さねよしたつお)『本朝美少年録』(光風社出版、1993年) 評論集?
中世から近世期に活躍?した美少年を、実在・虚構とりまぜて紹介。中に「犬坂毛野」の項があり、旦開野時代を主に彼の魅力を説き、『八犬伝の世界』が論じた〈八犬士中二人が女装少年である理由〉や『八犬伝』実写版が毛野に女性をキャスティングすることへの不満などを熱っぽくつづる。他の章でもときどき『美少年録』『弓張月』など馬琴の他作品に言及しているが、馬琴流の勧懲描写については作品の興をそぐものとして批判的。
↑この作品については平次様より存在を教えて頂きました。いつもありがとうございます!
アニタ・T・サリヴァン著・岡田作彦(おかださくひこ)訳『ピアノと平均律の謎』(新装版、白揚社、2005年) エッセイ?
ピアノ調律師である作者が、ギターやヴァイオリンと全く異なるピアノ調律のメカニズムとその違いの原因である平均律の音階について書く。といっても技術的な話はさほどなく、むしろ音楽に対するロマンティックな感性が前面に出ている。本来なら『八犬伝』にはかすりもしないはずのテーマなのだが、訳者あとがきでいきなり『八犬伝』の文字が出てきて仰天した。なんとこの本の原題『THE SEVENTH DRAGON(七番目の竜)』は『八犬伝』第一回の竜の考証に由来するそうな!直接にはウィリアム・エリオット・グリフィス『THE MIKADO’S EMPIRE』中で竜の考証を引用(英訳した上で)したものがモデルであり、結果ちょっとした(大きな?)誤解も生じているのだが。まさか冒頭で紹介される「日本の昔話」が『八犬伝』のことだとは・・・。
澤田瞳子(さわだとうこ)編『時代小説傑作選 犬道楽江戸草紙』(徳間文庫、2005年) 短編集
犬が重要な役割を果たす短編時代小説のアンソロジー。全体にしっとりと、時に哀切な時にしみじみとした余韻を残す作品が多い。巻末の「解説」で、犬をテーマとした古代から江戸期までの日本文学を紹介する中で『八犬伝』も大きく取り上げられている。『八犬伝』のモデルとして槃狐説話や『枕草子』中の翁丸の話にまで言及しているのがスグレもの。
↑この作品は平次様より存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
塩見平之助(しおみへいのすけ)『偉人の風化』(東亜堂、1909年) 評論集?
洋の東西を問わず古代からほぼ近代までの偉人の事跡を紹介する。「鎮西八郎と犬山道節」「曲亭馬琴の未練」が『八犬伝』を扱う。前者は、実在人物を称賛するごとくに(実在人物である八郎為朝を語るのと同じ調子で)道節の態度を誉めているのが何か不思議な感じ。後者は勧善懲悪主義に基づく小説は人生の「ヲーフル、ツルース」(auful truth)が欠けているためにリアリティを損なっていると指摘している。
「近代デジタルライブラリー」(http://kindai.ndl.go.jp/index.html)でオンライン閲覧が可能。
島内景二(しまうちけいじ)『『南総里見八犬伝』の達成』 評論?
大長編にもかかわらず大きな破綻なしに完結した『八犬伝』の驚異的な構成を高く評価、長編小説を成立させるうえで有効な構成法を具体的に説明しつつ、『八犬伝』がその手法を理想的な形で体現していることを示す。〈『八犬伝』は男を犠牲にする悪女とすすんで男の犠牲になる貞女の二種の「女性なるもの」の闘争の歴史である〉〈近代小説の不義の子、生さぬ仲の親子といったモチーフは実は前近代の〈神(魔物)の子〉テーマの変型ではないのか〉といった卓見にうならされた。比較対象や具体例の選び方(「二つで一セットの宝物」の例が「川上哲治監督にとってのO・N」とか)が面白い。
『歴史読本 2000年4月号』(新人物往来社、2000年)
追記−その後単行本『歴史小説 真剣勝負』(新人物往来社、2002年)に収録。「第五番 『小説神髄』の歴史小説論」「第十四番 笑う鞍馬天狗・大仏次郎」「第十九番 テレビ時代のヒーロー・笛吹童子」にも若干ながら『八犬伝』に言及した箇所がある。大衆小説の魅力の再検討を目指す著者による作品・作家論は、改めて〈物語〉の面白さを感じさせてくれた。
島崎藤村(しまざきとうそん)『「玉あられ」の後に』 後書き
童話集「玉あられ」(昭和十三年九月発行の『定本版藤村文庫』の第八編に収録)の巻末に付された後書き。童話(を書くに至った動機)についてはさわりだけで、「著作と出版に関することをこの巻末に書き添えた」(原文旧字旧かな)として、夭折するものの多い文学者の生活苦と立場の弱さ、著作者の地位を高めるべく自費出版の「緑蔭叢書」を出すにあたってのさまざまな障害とそれを乗り越えた自負を綴っている。出版の苦労を書いたくだりで、江戸期に『八犬伝』のような大部の作を出版した馬琴の苦心に思いをはせる箇所がある。
『藤村全集 第九巻』(筑摩書房、1967年)
志村有弘(しむらくにひろ)『妖異・怨霊・奇談−日本妖界紀行−』(朝文社、1992年) エッセイ?
オカルティックな伝承・文藝作品などを、舞台となった土地、建造物と合わせて紹介。「里見八犬伝と犬塚」の項で、伏姫物語を中心とする『八犬伝』のあらすじと、伏姫の岩屋+犬塚をとりあげている。
須永朝彦(すながあさひこ)『世紀末少年誌』(ペヨトル出版、1989年) 散文集
美少年をテーマに書かれた評論や詩(自作も多作も)を纏めたもの。「乱歩のひそかなる情熱」の項で、乱歩の中編『大暗室』について、「「芳流閣上決闘の場」の趣向をそのまゝ奪胎したかと思はれる条(くだり)さへある」との記述あり。そのつもりで『大暗室』を読み直してみると、たしかにちょっと似てるかも。ほか『弓張月』や『美少年録』にも言及。
須永朝彦『本朝二形論−略述・日本のアンドロギュヌス文芸』 エッセイ?
『古事記』から明治期の作品にいたるまでの両性具有者や異装(男装、女装)文芸をとりあげる。「女装の美少年」の項で信乃と毛野にちょっと触れ、歌舞伎などでは見せ場の一つである対牛楼の仇討が原作では毛野の語りだけですまされててがっかりした、なんて書いてある。そうだよなあ(「対牛楼の空白」いちおう参照)。
東雅夫編『別冊 幻想文学J アンドロギュヌス!』(アトリエOCIA、1995年)
高田衛(たかだまもる)「『八犬伝』の「隠微」と秘匿−徳田武氏の書評にふれつつ−」 ?
『文学』(岩波書店発行)1981年5月号に掲載された『八犬伝』論。この中で徳田氏による、『八犬伝の世界』に対する批判的書評への反論を行っている。厳しい語調で、徳田氏の主な批判の全てに反駁し、逆に徳田氏評のアンフェアな部分を指摘。馬琴の言う「隠微」とは読者が「発明」すべきものであること、「隠微」=徳川氏批判という論は成り立たないことを論じる。『八犬伝の世界』には書かれてない新しいネタもあり。
高田衛『快楽としての異類たち−『恋のやつふぢ』を読む』 エッセイ
『八犬伝』パロディの春本『恋のやつふぢ』について、初見の際の驚き、原作が巧みに避けた人獣交婚をあからさまに描いたどぎつさ、文と絵のちぐはぐさがもたらす意図せぬおかしみなどを綴る。
『季刊 文学 第四巻・第3号』(岩波書店、1999年)
高辻知義『「八犬伝」と「指環」』 エッセイ
ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作の訳詩を手がけていた著者が、たまたま読み返した『八犬伝』と『指環』との、出版事情や作品の形式における共通性を指摘。
岡部仁他『プリスマ 川村二郎をめぐる変奏』(小沢書店、1991年)
竹村礼代『名前に宿された力』 エッセイ?
「礼代」(マサヨ)という名を「犬村大角礼儀」から名付けられたのをきっかけに『八犬伝』を通して古典に出会い作家を夢見るようになったという著者が、卒業論文として書いた長編小説『南総里見八犬伝〜外伝〜』に登場するオリジナルキャラの名前の(馬琴流名詮自性にのっとった)由来を解説する。「名付けてしまうと、後はもう登場人物が勝手に物語を進めてくれる」という言葉に、著者の言う通り「言霊」の力を感じてしまった。その卒業論文もぜひ読んでみたいものだ。
『国学院大学近世文学会会報 13 鈴木棠三特集』(国学院大学近世文学会、2007年)
多田道太郎(ただみちたろう)『『八犬伝』と『三銃士』』 評論
ほぼ同時期に成立し、百年を経てなお大衆的人気を保つ(この評論が書かれたのは『新八犬伝』放映中の1974年)二つの作品の共通点を比較し、その魅力を分析。『八犬伝』の「悪の情趣」「ロマンチシズム」に注目し、馬琴は「勧善懲悪の道徳小説家とみるよりも、むしろロマン主義のさきがけ」と見るべきだ、とし、伏姫物語に「江戸の大衆の上昇意欲」を見出している。『ラ・フランス』巻末の「解説対談 初期形の感触」(加藤典洋氏との対談)に、この評論についての言及あり。
『多田道太郎著作集1 ラ・フランス』(筑摩書房、1994年)
立木寛彦(たつきひろひこ)『ミュージアムへようこそS館山市立博物館、八犬伝博物館』 コラム?
雑誌巻頭の4pのグラビア付きコラム。千葉の館山市立博物館とその分館の八犬伝博物館を紹介。『八犬伝』の原本の写真(芳流閣の挿絵)が載せ、文中でも少しだけ『八犬伝』にふれている。
『潮 第六〇六号』(潮出版社、2009年8月)
田中優子(たなかゆうこ)『近世アジア漂流』(朝日新聞社、1990年) 評論集
江戸時代の日本と同時代のアジア(中国、朝鮮、台湾、シャムなど)との(漂着や拉致、侵略などを含めての)人的文化的交流が、物語文学や絵画などに与えあった影響を多角的に捉えた評論を集めたもの。「近世日本のシノワズリ」で、中国の白話小説『金雲翹伝』を翻案した馬琴の『風俗金魚伝』の、オリジナルに比して「ふざけている」設定について、「このようなシノワズリの冗談を生真面目な顔をしてやるのが馬琴であった。教訓的なはなしを書いた堅物という評価は、どうも当らない気がする。」として、『八犬伝』や『弓張月』も当時の読者には「グロテスクな冗談として読まれていたに違いなかった」〈『八犬伝』第一回で白竜が天に舞う場面の強烈な印象が物語を決定している〉と説く。ほか、「アマミキヨの海」で『弓張月』を取り上げ、それ以外の章にも馬琴の名がちらほら登場。知的好奇心を刺激されるところ大でとても面白い。
田中優子『連』(河出書房新社、1991年) 対談集
橋本治氏から中野美代子氏まで、十三人の学者・作家らとの、江戸をテーマにした対談を集めたもの。話題は歌舞伎から俳諧、絵画まで相手によりさまざまだが、どの対談にもはっと目を開かされるような発言があって刺激的。荒俣宏・高山宏両氏との鼎談の中で、〈「八犬伝」の挿絵(おそらく肇集の口絵の一つ「白地蔵〜」の図のこと)は唐子のイメージ〉という指摘がある。
田辺昌子『痛快、奇怪 「八犬伝の世界」』 新聞記事
2008年9月18日の讀賣新聞夕刊に掲載。2008年9月13日〜10月26日千葉市美術館にて開催の「八犬伝の世界」展の紹介記事。6ページ目を丸々使い図版もふんだんに入れての力のこもった紹介ぶりが一ファンとして何だか嬉しい。原作のストーリーと作品が生まれた背景もさらっと解説してある。ちなみに筆者である田辺氏は千葉市美術館の主任学芸員。
千明守(ちぎらまもる)『名文・名場面で楽しむ 読んだ気になる日本の古典』(PHP研究所、2002年) ?
『古事記』から『八犬伝』まで、日本の主な古典文学作品を名シーンの原文、訳文、その部分の解説と全体のあらすじでもって紹介。〈古典早分かり〉系の本らしからぬ、「つまりテレキネシスも使えるのである(エスパー魔美みたいだ)」「現代風に言えば「ヘンタイ」の域に達している」などの飾らないユーモアある文章が出色。『八犬伝』については巻末資料の「主な古典の冒頭集」でも取り上げられている。
千葉亀雄『八犬伝を読みて雄大なる小説を想ふ』 評論
明治期に書かれた『八犬伝』評。『八犬伝』の理想は単なる「小儒教」にあり、八犬士も里見親子も所詮は小人物にすぎない、秀吉・家康のような大俊傑を描くだけの手腕が馬琴にはなかった、として「『八犬伝』の如き」を大著作とするほどに、日本は壮大なスケールの物語に恵まれていないことを嘆く。タイトルから好意的な評を期待したんだが・・・。
『千葉亀雄著作集 第五巻 初期作品』(ゆまに書房、1993年)
通俗教育研究会編『逸話文庫』(大倉書店、1911年) 逸話集?
「武士の巻」「志士の巻」「詞人の巻」「学者の巻」「婦人の巻」に分冊刊行。「詞人の巻」で馬琴を取り上げ、『八犬伝』の執筆状況を説明したり、また『八犬伝』の趣向は『水滸伝』に及ばないと馬琴が羅貫中に怒られる話が紹介されたりしている。
「近代デジタルライブラリー」(http://kindai.ndl.go.jp/index.html)でオンライン閲覧が可能。
坪内逍遥(つぼうちしょうよう)『小説神髄』 文学論
明治十八年九月から十九年四月の、半年ほどにわたって刊行。新時代のあるべき小説の姿を説き、文壇に大きな影響を与えた。〈よく人情を写した〉写実性を重視する一方で、その対極にある勧善懲悪・観念論にこりかたまった作品として、主に『八犬伝』を弾劾している(個人的には、有名な「『八犬伝』の八士の如きは仁義八行の化物」より、馬琴の稗史七法則の隠微について、「表面の意味の外に隠微の深意を寓するなどは(寓意小説にあらざる以上は)作者が身勝手の楽しみにて、所謂道楽といふものなり。」という箇所の方に驚いた)。もっとも何かにつけ馬琴を引き合いに出すのは、結局愛読者だったからであり、この論文によって、馬琴の名声を貶めてしまったことを、ずいぶん後悔していたらしい。森鴎外は〈この時代には必要な書であった〉という評価を与えている。『小説神髄』と『八犬伝』については、柳田知常「坪内逍遥のみた八犬伝」(『南総里見八犬伝考』収録)に詳しい。
追記−逍遥の馬琴批判については『十六人集』もご参照あれ。なかなかへこみます。
『筑摩現代文学大系 1 坪内逍遥 二葉亭四迷 北村透谷集』(筑摩書房、1977年)収録
坪内逍遥『稗史家略伝〓(ならび)に批評』 評論?
明治十九年に、『中央学術雑誌』に断続的に連載された、江戸後期戯作者数名の列伝と彼らに対する評。「曲亭馬琴の伝」(第三十五号)「曲亭馬琴の評判」(第三十九号)を含む(「曲亭馬琴の伝」は雑誌『魯文珍報』に掲載(明治十一年)したものの再録)。「曲亭馬琴の伝」では幼時から死ぬまでの馬琴の経歴、『八犬伝』をはじめとする作品の評判などを紹介、「曲亭馬琴の評判」では馬琴のことを、「我秋津島の小説を喚起し、燦たる文壇の光を添へしぞ 神〓(か) 人〓(か) 小説の霊〓(か) 扨(さて)も希有なりける翁なるかな」「只一ツ彼(注・欧米諸国)に向ツて我の誇り得べきものこそあれ(中略)他なし 曲亭の翁これなり」「東西無比 古今独歩 空前絶対ぞとほめたゝへて決して過言にてはあらざる可きなり」と手ばなしの大絶賛。これが『小説神髄』とほぼ同時期(というか『神髄』完結前)に書かれているという事実に驚く。本人のうちにも混乱があったようで、「曲亭馬琴の評判」は「以下次号」と書きながらそのまま中絶している。のちに本名の坪内雄蔵名義で発表した「極美小説の事につきて」で改めて馬琴論が展開されている、らしい。
青木稔弥、十川信介校注『新日本古典文学大系 明治期18 坪内逍遥 二葉亭四迷集』(岩波書店、2002年)
坪内逍遥『新旧過渡期の回想』 評論
江戸から明治に時代が移り変わる中で、江戸文藝、とくに小説が、いかに変化・衰退していったかを嘆じる。『八犬伝』他の馬琴作品について大きく取り上げ、〈明治以来馬琴が酷評されるのは一つには反動評、一つには彼がその時代を代表する作家だったからで、むしろ彼の偉大さを証明するもの〉〈馬琴が本気でかかれば、一九・三馬・春水以上の写実的描写をたやすくなし得たはず〉など全体に高評価。自分がその「酷評」者の第一だった事に頬かむりしたかのような書きぶりには思わず笑ったが、『稗史家略伝』のようなべたぼめでもなく『十六人集』序文のような罵倒でもなくて、馬琴と馬琴を愛さずにいられない自身を冷静かつ公正に描き出していて好感が持てる。馬琴に心酔していた少年期に「折々、馬琴という老作者がまだ健在しているという事を見たり聞いたりする夢を見た。」というくだりには、本当に馬琴が好きなんだなあ、としみじみしてしまった。
十川信介『明治文学回想集』(上)(岩波文庫、1998年)
寺尾善雄(てらおよしお)『中国伝来物語』(河出書房新社、1982年) 研究本?
古代から近代にわたって中国から日本に伝来した物・習慣と伝来後の変遷を衣食住、信仰、政治、文学など多くのテーマ別に集成。「通俗文学篇」で『八犬伝』を大きく取り上げ、ほか江戸期の読本や草双紙なども紹介している。寺尾氏は翌年『八犬伝物語』を上梓。
暉峻康隆(てるおかやすたか)他『西鶴と馬琴』 座談会
山本健吉氏を司会とする、暉峻・幸田文・遠藤周作三氏の座談会。「江戸時代の小説のピークとして」西鶴と馬琴について(春水・一九にも少々触れる)語り合う。馬琴の読本は講談の流れを汲むロマンの文学であること、そうした『八犬伝』のロマン性・構造性は日本の小説の伝統の中では異質であること、『八犬伝』キャラの名前の面白さなどといったことが語られる。『八犬伝』再評価がはじまる以前、『八犬伝』がどのように受容されていたかがうかがえて興味深い。
『婦人公論 42巻7号』(中央公論新社、1957年)
徳田武(とくだたけし)「秘匿の意味−高田衛著『八犬伝の世界』−」 書評
『文学』(岩波書店発行)1981年3月号に掲載された『八犬伝の世界』の批評。伏姫の異常生誕や八字文殊曼荼羅などについての高田氏の読解の飛躍を指摘し、常に大衆を意識していた馬琴の「隠微」とは、一般読者にも容易に理解できうるものか、徳川氏批判に通じる部分であるはずだとして、高田氏説をほぼ全面的に否定している。この評について高田氏は5月号で反論。
戸高一成『大和ミュージアム館長が語る 日本海軍士官の証言 第六回 大西新蔵 第一次ソロモン海戦勝利を導いた参謀長』 歴史エッセイ
元日本海軍第八艦隊の参謀長だった大西新蔵氏の幼少期から終戦までの事蹟を、第一次ソロモン海戦を要に本人へのインタビューに基づいて紹介。その中で大西氏の故郷(戸高氏の故郷でもある)江戸川区葛西あたりの思い出を語るくだりで、「滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』で、妖怪が出る舞台ですからね」という戸高氏の発言がある。葛西というと対牛楼のくだりかなと思うが、妖怪・・・出たっけ?
『月刊 歴史街道 2008年9月号』
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
外山信司『「南総発見フォーラム−海と里見と八犬伝」に参加して』 エッセイ
2001年10月20日に館山市で開かれたイベント「南総発見フォーラム−海と里見と八犬伝」の参加記。イベントの舞台裏、子供歌舞伎、人形劇などに関するレポートと稲村城跡保存運動について書く。実際の里見氏の歴史が『八犬伝』中の記述と混同されがちなことを危惧しつつも『八犬伝』の魅力を評価、歴史(里見氏)と文学(八犬伝)を切り離してそれぞれを中心とした催しを行うことでさらなる地域おこしをしてはどうかと提案している。
千葉歴史学会『千葉史学 第40号』(千葉歴史学会、2002年)
中島梓(なかじまあずさ)『あずさの元禄繁盛記』(読売新聞社、1994年) エッセイ
読売新聞日曜版に一年ほど連載されたエッセイ。栗本薫名義の児童書『里見八犬伝』執筆時のことや創作舞踊『南総里見八犬伝』のこと、『八犬伝』へのツッコミなどがちょっとある。
長島弘明『秋成・馬琴名言集』 ?
馬琴および上田秋成の、作中キャラと作者自身による名言を集め、現代語訳と長島氏のコメントを付したもの。馬琴パートは『梅柳新書』『弓張月』などから辞世までいろいろ。『八犬伝』からは伏姫自害の段と浜路くどき、作者による隠微の説明がとられている。
久保田淳編『別冊 國文學 No.52 日本の古典 名言必携 〈作品・作家別〉』(學燈社、1999年)
中西進(なかにしすすむ)『愛をめぐる古典P 雨月物語・八犬伝』 エッセイ?
前半は「吉備津の釜」「蛇性の淫」などを中心に、『雨月物語』中に登場する〈鬼〉の重要性についての話。後半は伏姫と八房、信乃と浜路(姫)の間の〈愛〉を中心に、『八犬伝』における肉体の希薄さ、「魂(玉)」を重要視する思想について述べる。のちに『日本人の愛の歴史−古典の主人公たち−』に収録。
『短歌 1978年5月号』(角川書店、1978年)
中野三敏『和本教室 十五 原稿料(潤筆料)について』 エッセイ?
江戸期文芸作品の原稿料がいくらほどであったかというテーマで、馬琴、とくに『八犬伝』の稿料についての先行研究を紹介したもの。論文のごとき読みごたえ。
『図書 8月号』(岩波書店、2009年)
↑この作品については平次様より資料を提供していただきました。いつもありがとうございます!
中野翠『日本のファンタジー』 コラム
連載コラム『歌舞伎、のようなもの』の2009年4月号掲載分。千葉の伏姫篭穴に行った話を枕に、『ハリー・ポッター』や『ロード・オブ・ザ・リング』には心動かされなかった中野氏が子供時代に引き付けられた和製ファンタジーとして『八犬伝』に言及。〈馬琴が意図しただろう勧善懲悪より作中に漂うアナーキーな要素が印象的だった〉という発言に、(おそらく『八犬伝』関連の研究論文などは読まれてないだろうと思われるだけに)慧眼だなあと唸らされた。
『演劇界 2009年4月号』(演劇出版社、2009年)
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
中野翠『あやしく不敵な寿三郎の世界』 コラム
上述『歌舞伎、のようなもの』の2009年6月号掲載分。偶然テレビで辻村寿三郎氏のインタビューを見たことから書き起こし、『新八犬伝』や『桜姫東文章』など寿三郎氏の人形に関係する作品を取り上げている。メインは『桜姫』の話の方だが、『新八犬伝』についても、「『八犬伝』が持つ不敵なロマンティシズムをよく伝えるものだった」との言葉あり。
『演劇界 2009年6月号』(演劇出版社、2009年)
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつも有難うございます!
中村光夫・三島由紀夫『対談・人間と文学』(講談社学芸文庫、2003年) 対談集
中村・三島両氏が、小説から戯曲まで講義の文学の現在と未来、文学者の志などについて語り合う。多分に形而上的かつニヒリスティックな議論が、完全な一致を見るでもなく決裂するでもない絶妙なバランスのうちに進められてゆく。「小説のリアリティーとヒーロー」「行動と作品の「根」」で、馬琴と『八犬伝』について触れる箇所がある。〈馬琴が仁義八行を方便に人間世界を包んでしまおうとした〉という三島氏の指摘はなかなかに興味深い。
野田寿雄(のだひさお)『南総里見八犬伝(曲亭馬琴)』 エッセイ?
「特集 江戸頽廃期文学」と題して各氏が江戸期の文学作品、当時の風俗などを紹介する企画の中の一編。未読者のため『八犬伝』の簡単な筋と魅力の所在を名場面の文章を引用しつつ説明したもの、といった感じ。引用箇所のあとに、引用文とほぼ同量の注(用語解説やわかりにくい言葉の現代語訳)がついているのを見ながら、この調子で全編に注を付した『八犬伝』本が出ないかなーとつくづく思ったものであった。
『国文学 解釈と鑑賞 30巻6号』(至文堂、1965年)
野間宏(のまひろし)『『里見八犬伝』を透して−川村二郎『里見八犬伝』』 書評?
『文學界』に三回に分けて掲載。『古典を読む−里見八犬伝』を激賞すると同時に、同書の〈伏姫と八房の関係にひそむエロス〉に対する指摘を受けて、『処女の純潔を論ず』を伏姫の処女性を強調しようとするあまりに、馬琴の功名な仕掛けを見誤っていると批判している。いずれ改めて『八犬伝』に関する論考を書くつもりであることをほのめかしつつ結論は宙ぶらりんのまま。
『文學界』(文藝春秋、1985年2月〜4月号)
野間宏・沖浦和光(おきうらかずてる)『日本の聖と賤 近世篇』(人文書院、1986年) 対談
海賊、瀬戸内水軍などの「海の民」、山窩、鉄山師などの「山の民」、江戸期の「河原者」など、〈賤民〉とされた人々にスポットをあて、その実体や社会の中での位置付けについて語りあう。『八犬伝』への言及は多くないが、〈玉梓は梓巫女に通じる存在〉〈『八犬伝』の深層には賤民問題が横たわっている〉(ともに「江戸文化と河原者芸能」の章)など、はっとさせられるような指摘がある。
野村胡堂(のむらこどう)『胡堂百話』(角川書店、1959年→中公文庫(中央公論社)、1981年) エッセイ
代表作『銭形平次捕物控』の製作秘話や著名な知人友人にまつわるエピソード、レコード収集などについて語る。とても面白く気軽に読める。「われ、めしいては」で、野村氏自身が白内障で失明しかけた経験から、失明してなお『八犬伝』を完成させた馬琴に思いをはせている。
服部仁(はっとりひとし)『越後州古志郡二十村闘牛図』 エッセイ
丑年にちなんで?牛に関するエッセイを集めたうちの一つ。「私が思い出す牛」として『八犬伝』第七輯に登場する越後の闘牛の話を原文つきで紹介。馬琴に闘牛の話を提供した鈴木牧之のことにも触れている。
『勉誠通信 第3号』(勉誠出版のメールマガジン)、http://www.bensey.co.jp/より配信
↑この作品については平次様より存在を教えていただきました。いつもありがとうございます!
花田清輝(はなだきよてる)『犬夷評判記』 評論
芥川龍之介の『戯作三昧』、幸田露伴『運命』、櫟亭琴魚『犬夷評判記』などの馬琴評を紹介、とくに『犬夷評判記』について評者三枝園(殿村篠斎)の辛辣さにスポットをあてている。『八犬伝』の後半を高く評価し、親兵衛と彼につき従う老僕姥雪与四郎は、馬琴と孫・太郎の似姿ではないかと指摘。
『書物の王国13 芸術家』(国書刊行会、1998年)収録
『花田清輝全集9』(講談社、1978年)収録
檜谷昭彦(ひのたにあきひこ)『あなたも古典が読める(十三) 読本南総里見八犬伝−付・高尾船字文−』 ?
〈浜路くどき〉の場面と『高尾船字文』の「頼兼怒って高尾を殺す」のくだりを途中まで引用紹介、それぞれの作品についても簡単に解説。ついでに〈雛衣くどき〉も、引用はしていないが(その部分を含む原文の図版をかかげるのみ)魅力的な場面として一読をすすめている。
『国文学 解釈と鑑賞 32巻1号』(至文堂、1967年)
平岡正明(ひらおかまさあき)『江戸前 日本近代文藝のなかの江戸主義』(ビレッジセンター、2000年) 評論集
永井荷風や夢野久作、野村胡堂ら小説家による近代の捉え方を、岡本文弥の新内や、ジャズ趣味、独自の革命論などをからめながらダイナミックに語る。第六章、第七章、第九章で『八犬伝』に言及、また第九章、第十一章で『侠客伝』や『南柯夢』にもふれている。『八犬伝』執筆後年に失明した馬琴をもって「「文人の座頭市」を構想することもできる」との言葉に、そういう切り口の馬琴伝というのもアリだなあと思った。
別作品:『三七全伝南柯の夢』(翻訳)、『皇帝円舞曲』
福田安典(ふくだやすのり)『〈書評〉信多純一『馬琴の大夢 里見八犬伝の世界』』 書評
信多氏を馬琴がついに得た〈百年の知己〉であると大絶賛のうえ、その隠微を解き明かす手法と最終二章に顕れた著者の深い思いをを具体的に取り上げつつ高く評価。その流れでこれまでの『八犬伝』研究の動きについても触れられている。エモーショナルな語調から作品への心酔度が熱く伝わってくる。
『文学 第八巻第三号 特集 文学と学問の間 近世文学』(岩波書店、2007年)
藤沢偉作『利根川水系と南総里見八犬伝』 評論?
最初に『八犬伝』以外の馬琴作品、『八犬伝』二字作品についての紹介あり。その後は八犬士と川との関わりに注目しながら『八犬伝』のあらすじを紹介する。「利根川の源は上野国利根郡藤原の奥の文殊山」だというのが、『八犬伝の世界』が指摘する〈伏姫=八字文殊菩薩〉説を思い起こさせ興味深い。
『利根川水系地域の社会と労働−関東学園松平記念経済文化研究所叢書2−』(関東学園松平記念経済文化研究所、1991年)
正岡子規『水滸傳と八犬傳』 評論?
『水滸伝』と『八犬伝』の類似するエピソードを比較しつつ両書を論じる、のだが・・・。『水滸伝』を評価する(かなりひいきの引き倒しぽいが)一方で『八犬伝』については、「荒唐無稽とも牽強附會とも言やうの無い厭な趣向」(伏姫切腹の場面)「無造作で無趣味で何の曲折もなくてとても水滸傳と並べていふべきものでない」(小文吾が猪を倒す場面)・・・・・・。それが『八犬伝』の醍醐味だろう、というようなところまで全編この調子でけなしまくり。読んでるうちにだんだん腹が立ってくる。まあこれは本人も書いてるように22、3歳のころまでは『八犬伝』を愛読していた反動なのだろう。後半部ではさすがに『八犬伝』の長所を認めざるを得ないが素直に誉められずに一言苦言を呈する、といった個所も多く見受けられ、『八犬伝』への断とうとしても断ち切れない愛情が感じられる。子規22、3歳のころの『八犬伝』論も読んでみたかったものだ。〈八犬伝は理屈ぽいのがいけない、水滸伝は無邪気だから良い〉という感覚はいかにも『古今和歌集』の技巧を嫌い〈素朴な〉『万葉集』を持ち上げた子規らしい。
『子規全集 第十四巻 評論 日記』(講談社、1976年)
参考:谷山茂(たにやましげる)他編『新修国語総覧 四訂増補』(京都書房、1988年) 事典
松田修(まつだおさむ)『曲亭馬琴 幕末空間における妖異の美学』 評論
馬琴とりわけ『八犬伝』が明治期に文学的政治的に大きな影響力を持っていた事実から説き起こし、馬琴と他の作家の違いを探る。その過程で馬琴の読本第一作『月氷奇縁』や『常世物語』に顕著な残虐美や、作風に現れる用心深さ・誠実さの奥にある「毒」について、馬琴が典拠とした、あるいは馬琴作品に通じる匂いを持つ作品と比較しつつ、思い入れを込めて書く。馬琴読本、特に『八犬伝』の発想元として松田文耕堂の名をあげ、その共通点を具体的に指摘しているのが一番の収穫だろうか。
『新劇』(白水社、1978年5月号)
松田修『非在への架橋−松田修文芸評論集−』(講談社、1978年) 評論集
雑誌発表の評論や、他人の小説の単行本あとがき(解題)十数篇を収録。「神のイメージを求めて−「犬神博士」と夢野久作」で、久作の『二重心臓』『犬神博士』などに見られる女装の少年ヒーローが『八犬伝』の信乃や毛野のイメージとだぶる点を指摘している。次章の「唐十郎「少女と右翼」−虚妄志向性について−」でも、『少女と右翼』のモデルの一つである朽木寒三『馬賊戦記』に登場する小日向白朗が七つまで女の子として育てられたことを指し「近代の犬塚信乃」と表現している。
追記−「神のイメージを求めて」は「「犬神博士」における神なるもの」のタイトルで『夢野久作ワンダーランド』(西原和海責任編集、沖積舎、1988年)にも収録。
松田修『日本逃亡幻譚 補陀落世界への旅』(朝日新聞社、1978年) 評論集
第十六章「透谷・鉄幹−微熱の季節に」で、『八犬伝』や『美少年録』が「「いわば(美)少年による世直し思想」の文学的形象化」であること、この「(美)少年と侠者による世直し」というテーゼが明治以降においても生き残り、自由民権運動や朝鮮独立運動に影響を与えていたのではないかと指摘する。同章では『馬賊戦記』の小日向白朗と信乃の相似にもふれている。のちにこの本は『松田修著作集 第3巻』(右文書院、2003年)に収録された。
松田修『複眼の視座 日本近世史の虚と実』(角川書店、1981年) 評論集?
〈真実〉を証明することの不可能性をふまえ、さまざまな伝記・伝承・既存のイメージを懐疑的視点と自在の想像力をもって再検討する。「複眼の視座−危機的時間における過去の降霊」と「日本近世における終末観」で馬琴と『八犬伝』に少し触れる。量的には少しだがなかなか含蓄がある。
松田修『日本的聖性の機械学』(思潮社、1989年) 評論集
主として雑誌に掲載された中短編の評論を集めた評論集。「酷愛の軌跡−辻村ジュサブロー論」ほか数章で『八犬伝』にちょろっと触れる箇所がある。
真山青果『随筆滝沢馬琴』 伝記
馬琴の日記や書簡を徹底的に読みこむことによって、これまで倣岸だ吝嗇だと批判されてきた馬琴の性癖が、むしろ彼の人間的な弱さや正義感の表れであったことを共感をこめて分析した名著。直接『八犬伝』にふれた箇所は多くないが、馬琴の日常の行動や考え方が、『八犬伝』にどう反映したかの手がかりにはなるかもしれない。
『真山青果全集第十七巻 随筆滝沢馬琴』(講談社、1975年。他に「馬琴とその下女」、『仙台方言考』(馬琴に関係なし)など5編収録)
『随筆滝沢馬琴』(岩波文庫、2000年。「馬琴という人とその下女」(「馬琴とその下女」の原題)併録。新字・新かなに改められた。今入手可能なのはこれくらいか?)
○『随筆滝沢馬琴』(サイレン社、1935年)
○『真山青果随筆選集第一巻』(講談社、1952年。「馬琴とその下女」「滝沢馬琴住居考」収録)
○『真山青果全集第十五巻』(大日本雄弁会講談社、1941年。『仙台方言考』併録)
※○をつけた三点は岩波文庫版解説(高田衛氏)に拠った、未読。
三浦雅士(みうらまさし)『心猿狂ひ意馬跳りて−ファンタジーと現代』 日報
『岩波講座 文学 6』の月報に寄せられたエッセイ。『小説神髄』の『八犬伝』批判から説き起こし、『八犬伝』の悪役たちの造型や、『八犬伝』をはじめとする馬琴作品のもつ「リアリティのあるファンタジー」性・パラノイア性は、むしろ逍遥の言葉に反して「意馬心猿」にあふれていることを指摘する。
小森陽一他編『岩波講座 文学 6 虚構の楽しみ』(岩波書店、2003年)
宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)『古城の風景 34 西条城』 エッセイ
古代中国を舞台とする歴史小説を多く著している宮城谷氏が、日本各地の城をめぐるエッセイシリーズの第34回。関東の歴史に詳しい氏が「沼袋の戦い」も「石神井の戦い」も知らない近年の編集者の勉強不足を嘆くくだりで、室町期の関東に材を取った作品として『八犬伝』の名が出てくる。続けて、「そろそろ関東の風土に根ざした本格的な歴史小説の誕生が望まれる」とあるのだが、いっそ宮城谷氏が書いてくれないかなあ。『孟嘗君』『重耳』ばりの勇壮かつ夢幻的な美しさに満ちた名作が生まれそうなのだが。
『波』(新潮社、2006年4月号)
↑この作品は平次様より資料をご提供頂きました。いつもありがとうございます!!
美輪明宏(みわあきひろ)『世なおしトークあれこれ』(パルコ出版局、2007年) エッセイ集
「韓流ブーム」「ニート問題」「少子化」などのさまざまな社会的事象を、例の歯に衣着せぬ口調でズバズバと斬る。「礼儀作法について」の項に「滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』という物語がありますが、まさにあの話の中に登場する「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」こそが大切なのです。」というくだりがある。
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森鴎外(もりおうがい)『中村座新狂言仇名艸由縁八房之評』 評論
明治二十二年三月三十一日『読売新聞』に掲載されたという観劇評。「鴎外漁史三木竹二同評」の署名による単行本『月草』に大幅改訂して収録(そこでは「三木竹二稿」としている)。当世風(?)の文体で褒めたりけなしたり。
『鴎外全集 第三十八巻』(岩波書店、1975年)収録
森鴎外『「南総里見八犬傳」序』 序文
幸田露伴校訂『南総里見八犬傳』第四分冊(智之巻)(国文館、1911年)巻頭文。『八犬伝』は「風教を維持する書」「世を救ひ人を度する書」であり、聖書と似た存在であると評価している。
『鴎外全集 第三十八巻』(岩波書店、1975年)収録
森鴎外『馬琴日記鈔の後に書く』 解説?
饗庭篁村編『馬琴日記鈔』(文会堂書店、1911年)巻末掲載。『小説神髄』が「馬琴を再び葬った」ことを、近代文芸の振興には必要だったと評価し、むしろ「此頃の馬琴熱」がかえって馬琴の再評価を一時の流行に終わらせるのではないかと危ぶんでいる。それでも「君の眞價は動かない」と馬琴に語りかけて終わる。年表によれば『カズイスチカ』と同じ月(1911年2月)に書かれている。
『鴎外全集 第三十八巻』(岩波書店、1975年)収録
柳瀬尚紀(やなせなおき)『日本語は天才である』(新潮社、2007年) 研究本?
英文学者・翻訳家である著者が、自身そして過去の日本人が、原文の味わいをいかに残したまま翻訳を行ってきたかの実例をあげつつ、そうした〈意訳〉を可能にする日本語の奥の深さを紹介する。といってもごく軽い文体で、しごく読みやすい。「第二章 天才と漢字の間柄」で「愛犬」という語の古い(最古の?)使用例が『八犬伝』であることが指摘されている。カテゴリーとしては「研究本」かと思うが、『八犬伝』の研究本というわけじゃないので、こちらのページに入れました。
八巻実(やまきみのる)『『八犬伝』のふるさと−房総里見戦国史を歩く−』 エッセイ
『八犬伝』のアウトライン、史実の里見家、馬琴の履歴や評判などを紹介し、最後に『八犬伝』と馬琴についての自らの見解も紹介。しかし「八犬士は安房に集まり滅亡寸前の里見家を救い・・・」というのはどうか。たしかに親兵衛がいなかったら義実も義通も殺されてたかもだが。他にもいろいろと気になる部分があったりする。
『歴史研究 第46巻第10号』(歴研、2004年)
山口剛『江戸小説史上の一事象』 評論?
建部綾足『本朝水滸伝』など『水滸伝』翻案ものを中心とした江戸文学を支えた元ネタの中国小説や、その翻訳者の紹介、および馬琴の綾足評。冒頭で『八犬伝』に対する仇鼎散人佐々木天无の『日本水滸伝』(享和元年発行)の影響に触れている。
『山口剛著作集 第二巻』(中央公論社、1972年)←他にも馬琴、『八犬伝』にふれる「讀本について」「讀本の發生」「江戸作者部類の一資料」を収録。
参考:高田衛『八犬伝の世界』
山本昌代(やまもとまさよ)『文化文政という時代』 エッセイ
元禄も田沼時代も過ぎたあとの文藝的に貧しい文化文政期において、文化を形成したのは四世鶴屋南北の芝居だとして、〈価値観の押しつけも、拠りどころたる思想もない南北の超客観性〉を『東海道四谷怪談』を中心に語る。その中で「馬琴翁の大長編にしても、単なる面白さや、既成道徳の枠中であたらずさわらずの冒険を描く、退屈な娯楽の域を出ない」とあるのは、具体名は出てないが『八犬伝』のことだろう。南北との比較で「自分がしがみつくべき儒教という思想を、自分の世界の真ん中に据えて、毫も疑う様子がない」から退屈だとも書いていて、このあたり個人的にはちょっと肯えないところ。
『現代思想 九月臨時増刊号 第十四巻第十号』(青土社、1986年)
横山健堂(よこやまけんどう)『教育史余材』(開発社、1908年) 評論集
序言によれば「近年余が教育史研鑚に関する小論をなんとはなく集めたもの」(原文旧字)。ラストに「八犬伝の教育的価値」(原文旧字)を収録。馬琴の成功作は、人口に膾炙した史伝を取り入れ日本の倫理主義に基づいている物語であると定義し、『梅柳新書』『傾城水滸伝』『南柯夢』などを賞賛する。『八犬伝』については、悪人が悔悟することの難しさを説いたエピソードとして第九輯の竹林巽の挿話を高く評価、この巽の物語や船虫関連のエピソードで淫奔を戒め、全体を通して忠義・尊王を描くことで読者を啓蒙していると指摘する。
「近代デジタルライブラリー」(http://kindai.ndl.go.jp/index.html)でオンライン閲覧が可能。
依田学海『譚海』(鳳文館、1884年) 評伝?
近世文学者の短い評伝を主体とする、学海の作中最も流布した作品。「巻一」の中に馬琴の簡単な評伝を収めており、『八犬伝』についてもその人気ぶりから『水滸伝』など漢文学との比較まで、数行にわたってとりあげている。
参考:『前田愛著作集 第二巻 近代読者の成立』(「明治初期文人の中国小説趣味」)
『『里見八犬伝』ナビ』 テレビ番組
2005年12月11日TBS系で放映。来年の正月特番ドラマ『里見八犬伝』の宣伝番組だが、思いのほか馬琴及び原作に関する言及が多く(『ふしぎ発見』と内容がかぶる部分も多かったが)、高木元先生のコメントまであったのは、意外かつ嬉しかった。また本編映像のうち、これまでの番宣では未公開だった(たぶん)部分がたくさん見られたのも拾い物。とくに芳流閣をはじめとするアクションシーンはかなり期待できそうな感触である。しかし「頭陀」は人名ではないと思うのだが。
『『里見八犬伝』公式ガイド G』 テレビ番組
2005年12月31日放映。(今さらながら)2006年正月特番(TBS系)『里見八犬伝』のガイド番組。ドラマの撮影裏話やキャスト紹介が主だが、番組の中ほどで、馬琴が『八犬伝』を執筆したきっかけや失明してなお口述筆記で作品を完結させた苦労話などをやや長めに紹介。内容的には『ふしぎ発見』『『里見八犬伝』ナビ』とほぼ同じだが、イメージ映像は作り直したようだし、気になっていた「頭陀」の表現も消えているなど細かい点で違いがある。
歴史新聞編纂委員会『世紀の号外!歴史新聞』(日本文芸社、1995年) ?
洋の東西を問わず、クフ王のピラミッド建設から西郷隆盛の死に至るまで歴史上の著名な事件を新聞記事の体裁でわかりやすく紹介。「1814年〜1815年」の新聞にコラム「曲亭馬琴『南総里見八犬伝』が話題」を載せる。ごく簡単なあらすじと世間の評判(「やめることができない面白さ」)を紹介。ちなみにこの回のトップ記事はナポレオンの流刑。ほか「ウィーン会議開催」「サド侯爵死去」などのニュースも。うーんシュール(そこが良い)。
『世界ふしぎ発見』 テレビ番組
TBS系の長寿クイズ番組。2005年12月3日(土)放映分で、『八犬伝』をテーマにとりあげた。直接『八犬伝』がらみの設問は一問だけだったものの、『八犬伝』の「隠微」の部分(「八字文殊八大童子」説など主として高田衛氏の論に準拠)紹介したり、2006年正月(2、3日)オンエア予定のTBSドラマ『里見八犬伝』の映像やキャストコメントを流したり、なかなか『八犬伝』ファンにはおいしい内容だった。それにしてもこの番組といい『フレンドパーク』正月スペシャルといい、番宣の充実度には『里見八犬伝』にかけるスタッフの意気込みが感じられて、本編への期待も高まる。
『懐かしのこども番組大集合』 バラエティー?
1997年11月24日にBS2で放映した特集番組。懐かしのアニメ、特撮、人形劇などをとりあげ、当時のスタッフへのインタビューやランキングほか企画盛りだくさんの内容。人形劇『新八犬伝』の八犬士人形の行方追跡、人形の製作をされた辻村ジュサブロー(現・寿三郎)氏らによる、『新八犬伝』ワンシーンの再演なども行われた。犬江親兵衛の人形は早くから行方不明となり、顔型のみのちの人形劇『真田十勇士』の猿飛佐助に転用(顔立ちは全然ちがう)されたそうだが、東映映画『里見八犬傳』(昭和34年版)に登場した半蛇人と大蛇も、真田十勇士ものの『忍術真田城』とその続編『忍術大阪城』(のいずれかまたは両方)に転用されたというから、真田十勇士とは妙に縁がある。これは余談。
参考:那智史郎編著『東映娯楽版コレクション 戦慄と冒険の映画王国』(ワイズ出版、1999年)
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