研究本(論文)(あ〜そ)

 

・作者名、作品名、出版社、発行年、ジャンル、簡単な紹介文の順に記載。雑誌などに拠ったものは、各紹介文末に収録元を記した。

・紹介文を書くために参考にした本(またはHP)は、紹介文末に記載した。

・ネタバレはなるべく少なくするようにしているが、予備知識一切なしで読みたいという方は「関連資料(事務的羅列)」の方をどうぞ。

・著者名でアイウエオ順。同じ著者のものは年代順(初出の年代に合わせたものもある)。

・八犬伝以外の馬琴作品・馬琴自身に関する論文も一部(雑誌の項でついでに説明を加えたもの)載せている。


『《座談会》日本文学における男色』 座談会

 五味文彦、神田龍身、高田衛、小森陽一、渡辺守章の五氏が、昨今のジェンダー研究や〈やおい〉ブームをふまえつつ、院政期から近代にいたるまでの日本文学作品に描かれた男色について論じる。『八犬伝』について、八犬士が一種の衆道集団であり、〈秩序破壊者としての美少年〉的側面を持ち合わせていることなどがあげられている(余談だが、ここで渡辺氏が「大分前ですが、東大の大学院で『八犬伝』の論文を書いた人がいて」と述べているのは小谷野敦氏のことだろう)。付録の「書誌と解題」で神田氏が、『八犬伝』後半の里見王国建設の段になって本質的に〈侠客〉である八犬士が精彩を欠いてゆくことを指摘、『侠客伝』の中絶と合わせ、衆道理念が否定されざるを得ない新時代(明治時代)の到来を馬琴が感じ取っていたのではないかと書いていたのが印象深い。

『文学 季刊 第六巻第一号』(岩波書店、1995年冬)

 

青木稔弥『馬琴の読まれる時』 論文

 『八犬伝』を中心に、明治から現代に至るまでの馬琴作品の評価の変遷を、島津久基(「馬琴とロマン」)、近松秋江(「人の噂いろ〓(いろ)」)、塚越芳太郎ほか諸氏の馬琴作品への言及をひいてたどり、「馬琴評価の毀誉褒貶の激しさは、むしろ前近代の表皮の下にある近代性ゆえではないだろうか」と指摘する。

『江戸文学9』(ぺりかん社、1992年)

 

青木稔弥「『八犬伝』と近代」・・・『読本研究 七輯上』参照。

青木稔弥「明治の曲亭馬琴」・・・『週刊朝日百科 世界の文学88』参照。

朝倉留美子「『南総里見八犬伝』諸本考(前編)」・・・『読本研究 六輯下』参照。

朝倉留美子「『南総里見八犬伝』諸本考(後編)」・・・『読本研究 七輯下』参照。

朝倉留美子「『南総里見八犬伝』の袋−比治山大本を中心として」・・・『読本研究 八輯下』参照。

朝倉瑠嶺子「馬琴と水戸学−告志篇をめぐって」・・・『読本研究 十輯下』参照。

 

荒尾禎秀(あらおよしひで)『「奴 やヲはなし つこヲつけて可書」−『八犬伝』稿本の注意書きをめぐって−』 論文

 第四輯、芳流閣から転落ののち信乃が文五兵衛と語り合うシーンに出てくる「奴」という文字について馬琴の自筆稿本にわざわざ「奴 やヲはなし つこヲつけて可書」と注が付されていることに着目し、この場面以外で「奴」が登場する五つの文と比較しつつ、馬琴がなぜ「や つこ」と振り仮名をふることにこだわったか及びなぜ後にはこだわらなくなったかを探る。着眼点の面白さと本編に匹敵する長さの注の量が印象的。なお著者の「禎」の字は正しくは旧字です。

『東京学芸大学紀要 第2部門 人文科学 第30集』(東京学芸大学紀要出版委員会、1979年)

 

荒俣宏「八犬伝の妖と怪−前世と現世の構造」・・・『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照。

安藤正次『里見八犬傳の行文について』  論文

 『八犬伝』下帙第十九の簡端贅言を引いて、馬琴が著作を通して老若婦女子に文字知識を得させようとする思いがあったこと、そのための無理やりと言えるほどの執拗な振り仮名の選び方、そこまで漢語にこだわった馬琴が失明により口述筆記の苦労を味わわねばならなかったことなどを感慨をもって説明する。

東洋大学国文学会編『文学論叢 第一號』(1952年)

 

池内紀(いけうちおさむ)「珠の話−馬琴の小説」・・・『國文學 解釈と教材の研究 35−9』参照。

石上敏(いしがみさとし)『『青砥藤綱摸稜案』から『八犬伝』へ−「千年洞」構想のゆくえ−』  論文

 摸稜案後集の目録に入っているのに実際には描かれなかった「千年洞」構想はのちに『八犬伝』の伏姫物語や庚申山の段などに活かされたのではないかと指摘、『八犬伝の世界』『『南総里見八犬伝』における“八房”の出自について』に拠りつつ具体的に検証を行う。なかなか面白い。

東京都立大学国語国文学会『都大論究 第31号』(東京都立大学国語国文学会、1994年) 

 

石川秀巳(いしかわひでみ)『「義死と救済」のモチーフ−『南総里見八犬伝』ノート(一)−』  論文

 『八犬伝』全編に流れる親の義死とその代償としてのその子の栄達というテーマを見出し、それにからめて八犬士の名が元ネタ『合類大節用集』の八犬士と微妙に違っているのは、八犬士ののちの栄達を見こんだものであることを導き出す。

『日本文芸論稿 第10号』(東北大学文芸談話会、1980年)

 

石川秀巳『発端部の世界と「因果の理法」−『南総里見八犬伝』ノート(二)−』   論文

 北村透谷「処女の純潔を論ず」の指摘する「因果の理法」をふまえ、義実渡海から伏姫の死に至るまでの「発端部」における「予兆からの運命解読能力」の重要性を、『月氷奇縁』と比較しつつ読みとく。

『日本文芸論稿 第11号』(東北大学文芸談話会、1981年)

 

石川秀巳『『八犬伝』蟇田素藤構想の意義−団円意図をめぐって−』  論文

 他の悪役に比べきわめて詳細な「素性」の語られた蟇田素藤の物語が、里見義実の安房建国神話の逆設定であること、その他「発端部前半の諸々の因が、素藤構想の中に再現された」ことを具体例を示して読みとく。

日本文芸研究会『文藝研究 第99集』(日本文学研究会、1982年)

 

石川秀巳『八犬士列伝の構想−『南総里見八犬伝』ノート(三)−』 論文

 「発端部」に続く犬塚信乃伝について、「村雨に領導される現世的な物語展開」と義実・番作落城のエピソードの類似が示す発端部との並行性を指摘、その現世的行動原理が、古那屋の場のクライマックスで「伏姫物語が敷設した超自然的な世界原理」に凌駕されるという構造を説き明かす。

『日本文芸論稿 第12・13合併号』(東北大学文芸談話会、1983年)

 

石川秀巳『八犬士列伝の新構想―『南総里見八犬伝』ノート』  論文

 『『八犬伝』―構想よりの接近』同様に、馬琴の殿村篠斎あて書簡から、『八犬伝』の執筆開始当初の腹案は四輯までで尽きていたことを述べ、それ以降の新展開は四輯までの「宿因の物語」から「人間の物語」へと転換していることを、六輯〜八輯の犬士流浪編の時間設定などをふまえて考察。

和洋女子大学『和洋女子大学紀要 第28集 文系編』(和洋女子大学、1988年)

 

石川秀巳『「京師の話説」の構想−『南総里見八犬伝』ノート−』 論文

 当初の構想では大団円であったはずの八犬具足以降に描かれた親兵衛の京物語が『八犬伝』全体の中で持つ意義を、『八犬伝』中の跋文や、京物語中での金碗氏の勅許、悪僧徳用の謀計、細河政元による親兵衛抑留といった要素の軽重から探る。

和洋女子大学国文学会『和洋國文研究 第26号』(和洋女子大学国文学研究室、1991年)

 

石川秀巳『団円構想の転回−『南総里見八犬伝』ノート−』 論文

 『八犬伝』第九輯下帙に載った、馬琴の知音らによる長歌ほかを手がかりに、結城法要で幕を閉じるはずだった物語が膨張したことを実証的に述べ、素藤征伐が二度にわたり、かつ見かけ倒しの小敵だった理由を団円構想の変化にもとめる。大変面白い。

『和洋女子大学紀要 第31集 文系編』(和洋女子大学、1991年)

 

石川秀巳「関八州秩序の光源−『南総里見八犬伝』ノート−」・・・『江戸文学 第11号』参照。

石川秀巳「『南総里見八犬伝』構想論への視座」・・・『読本研究 九輯』参照。

石川秀巳『八犬士列伝構想をめぐる問題−『南総里見八犬伝』私論』  論文

 村雨丸、桐一文字、雪篠など名刀の交換が物語を牽引していること、阿佐谷時代の船虫は〈一つ家伝説〉を下敷きにしていること、船虫と毛野の動きが犬士それぞれの冒険譚を結びつける役割をしていることなどを、旧稿(「『南総里見八犬伝』構想論への視座」『八犬士列伝の新構想』)をふまえて述べる。

『国際文化研究科論集 第七号』(東北大学大学院国際文化研究科、1999年)

 

石川秀巳「物語世界の終熄」・・・『読本研究新集第四集』参照。

石川秀巳「蕩児出奔−馬琴稗史作法の一斑」・・・『文学 第5巻第3号 特集=曲亭馬琴の遺産』参照。

石川秀巳『『南総里見八犬伝』における歴史空間』  論文

 なぜ馬琴が里見八犬士の活躍を史実?通り永禄年間とせず安房里見氏勃興期に変更したのか、一般的ドラマツルギーに反して八犬士登場以前に里見家の繁栄が確立しているのか、列伝部での犬士の冒険が里見家に関係なく行われるのか、素藤の命名と彼の根拠地が上総である必然性は、などをさぐる中から『八犬伝』の〈史伝物〉としての性質を読み取る。さすがの面白さ。

『日本文学 10 特集・〈近世〉という空間』(日本文学協会編、2004年)

 

磯崎康彦『合巻『仮名読八犬伝』と歌川国芳』  論文 

 まず江戸の『八犬伝』ブームの中で生まれた二次作品を紹介した上で、その中の一つである『八犬伝』抄録本『仮名読み八犬伝』の出版事情、全30編のあらすじ、国芳の挿絵について詳しく解説する。とくに絵の構図に関する詳細な見解が読ませどころ。

『人間発達文化学類論集』(福島大学人間発達文化学類、2006年)

 

磯部敦(いそべあつし)『『八犬伝』受容に関する一考察−『世路日記』と訂正増補版『世路日記』』  論文

 明治期に書かれた小説『世路日記』とその増補版における『八犬伝』、というより信乃をめぐる大塚村および甲斐のエピソードの摂取について、両作品の共通部分を引き比べながら検証。たしかに「浜路くどき」のくだりなんか実にそっくりである。改めて明治期の知識人に対する馬琴と『八犬伝』の影響力を感じさせられた。

『中央大學國文 第四十三号』(中央大學國文學會、2000年)

 

板坂則子(いたさかのりこ)『『八犬伝』−構想よりの接近』 論文

 『八犬伝』の五輯までと六輯以降で馬琴の思考が「書く事の喜び」から「勧懲」重視へシフトしたこと、素藤退治以後の「つまらなさ」は馬琴が「天の理」をもって物語すべてを統制しているためであることを、『八犬伝』中の「序」や「贅言」の変遷などから読みとく。翌年発表の「「稗史七則」の発表を巡って」と部分的にクロスしている。

『井浦芳信博士華甲記念論文集 芸能と文学』(笠間書院、1977年)

 

板坂則子「「稗史七則」の発表を巡って」・・・『國語と國文學』55−11参照。

板坂則子『『南総里見八犬伝』の諸板本』(上)(下)

 後刷本ほど印刷が粗くなるのが常の読本において、『八犬伝』に限っては板元が文渓堂に替わってからの板の方がきらびやかに美しく、板木にも手が入れられているその理由を、八つの板本をつきあわせて検証する。作業の緻密さにただため息。

(上)『近世文藝 29』(日本近世文学会、1978年)

(下)『近世文藝 31』(日本近世文学会、1979年)

 

板坂則子『『南総里見八犬伝』の執筆』   論文

 『八犬伝』第九輯の異常な刊行ペースの早さ、なぜ延々と「九輯」が続いたのか、家計が苦しい折に『巡嶋記』『美少年録』など他の読本や実入りの良い合巻を放棄して『八犬伝』執筆に固執したかを、書簡や作中の附言から検証する。非常に興味深い。

群馬大学語文学会『語学と文学 第二十号 有川美亀男教授退官記念号』(群馬大学語文学会、1981年)

 

板坂則子「曲亭馬琴主要作品紹介」・・・『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照。

板坂則子「曲亭馬琴研究の現在と課題」・・・『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照。

板坂則子『馬琴合巻の役者指定に於ける画師のかかわり―現存稿本から―』 論文

 化政期の短編合巻の挿絵における歌舞伎役者の似顔絵の取りこみ(作中のキャラクターを実在の役者に似せて描く。よって挿絵だけで〈悪ぶってるけど実は善玉だな〉というネタばらしになってしまってたりもする)ブームの中、馬琴が自作の短編合巻内での似顔絵使用にどのように関与していたかを稿本から探る。

群馬大学語文学会『語学と文学 第二十七号』(群馬大学語文学会、1991年)

 

板坂則子「馬琴の短編合巻と読本の趣向について−『八犬伝』『弓張月』ノート」・・・『読本研究 七輯上』参照。

板坂則子『日本文学研究論文集成22 馬琴』(若草書房、2000年)  研究本

 1988〜97年までの馬琴研究論文を、出版メディア論、作品各論、創作法論など多岐にわたって集めたもの。単行本未収録作品を多く載せているのが有難い。直接『八犬伝』をとりあげているのは、播本眞一「『南総里見八犬伝』の神々−素藤・妙椿譚をめぐって−」と、小谷野敦「『里見八犬傳』の龍女たち」の二編。前者は「甕襲の玉」をはじめとする伏姫−親兵衛と妙椿−素藤の共通性および日本神話の影響について。後者はのちに刊行された『八犬伝綺想』の内容を、「竜女」のテーマを中心に概略したもの。巻末に板坂氏による解説と文献目録がある。

 

板坂則子『近世小説(後期)』    論文?

 近世後期小説研究の現状を、掲載誌(『国語と国文学』)に1987年〜2006年までにどんな論文・書評をどの程度の頻度で取り上げられたかを中心に考察。読本関係論文では以前から馬琴関連のものが上田秋成についで2番目に多かったが、ここ10年では秋成をしのぐほどになっていることや、馬琴関係(主として『八犬伝』関係でもある)の研究本のラインナップの紹介など。この10年の世相や文学界の流れをも合わせて論じているのが面白い。

『国語と国文学 第千二号』(至文堂、2007年)

 

板坂耀子『「南総里見八犬伝」は民衆をどう描いたか』  論文

 『八犬伝』中の有名無名の民衆に関する描写を検証し、義心は強いものの権力を前に泣き寝入りする人々や、愚かながらも心正しい人々の姿に馬琴の民衆観を見る。犬士たちが事件が終息した後に村人に事情を説明するシーンがたびたびあることを取り上げ、「「八犬伝」の中の民衆は多くの欠点や弱点を持ちながらも、常にそのような一種の権威ある位置を占めている。彼らに理解されなくてもいいという感覚は、犬士たちの中はない。」という指摘には感心させられた。

福岡教育大学国語国文学室『福岡教育大学 国語科研究論集 49』(2008年)

 

稲田篤信(いなだあつのぶ)『調戯の主題―『八犬伝』荒芽山の一段と秋胡説話―』  論文?

 荒芽山の段で、力二郎・尺八と曳手・単節の二夫婦が互いに面忘れしていることの例えに引いている「秋胡夫婦」の故事とは『列女伝』第五巻「魯秋潔婦」が出典であることを示し、秋胡説話のバリエーションや同様の主題を持つ本邦作品を紹介する。荒芽山編が七夕の物語なのは「秋胡詩一首」と同じ『玉台新詠』に収録する「為織女贈牽牛」(作者も「秋胡詩」と同じ顔延之)の影響かも、という指摘もある。

『日本文学 45巻8号』(日本文学協会、1996年)

 

井上厚史『『南総里見八犬伝』と『日本外史』の歴史認識』  論文

 勧善懲悪主義、儒教的倫理観に注目が集まりがちな『八犬伝』の歴史認識についてスポットをあて、ほぼ同時代に書かれた頼山陽の『日本外史』の歴史認識と比較。両者の共通点を述べた上で、大きな相違点である〈天人関係〉をとりあげ、この二つのテクストが大塩平八郎の乱をはじめ幕末の変革運動に与えた影響を問う。

記念論文学編集委員会編『同志社国文学 第六十一号 同志社大学国文学専攻創立五十周年国文学会設立四十周年記念論文集』(同志社大学国文学会、2004年)

 

井上啓治(いのうえけいじ)+井上ゼミ(九期)『『八犬伝』〈槃瓠説話〉から中国〈盤古神話〉、そして日本神話へ−附・略注(一) 肇輯漢文序(全伝序)−』 論文

 近年(当時からみて)の画期的『八犬伝』論として、高田衛『八犬伝の世界』、信多純一「馬琴『里見八犬伝』の一大秘鍵」(研究発表、未活字化)の二つを紹介。『八犬伝の世界』が伏姫物語の典拠と指摘した槃瓠説話に、音も等しい中国の天地開闢神話「盤古神話」のイメージをだぶらせ、さらに盤古神話の流れを引く『日本書紀』の天地開闢譚を導き出す。非常に興味深い。

『就實語文 第10号』(就実女子大学日本文学会、1989年)

 

井上啓治『八犬伝の根底世界』   論文

 序盤(第一部)の主人公である里見義実が頼朝や太公望に比されていることに注目し、朴平・無垢三らの〈無智の勇〉に対する馬琴の手厳しさを引きつつ、仁智勇の全てを備えた英雄としての義実の造型のルーツをさぐる。

『就実論叢 第36号』(就実大学・就実短期大学、2006年) 

 

井上啓治『八犬伝第一部、刺客・軍師・聖賢』  論文

 『八犬伝』導入部をテーマに、金碗八郎の〈異形の聖なる援助者〉→〈刺客〉→〈軍師〉→〈大軍師〉という作中での役割・イメージの変遷と、義実が何のゆかりもない安房を領有する大義名分として義実の「仁」が強調される一方で八郎の刺客性が批判的に描かれたこと、義実や八郎の「智と謀」を『論語』『史記』などでの智、「謀」の描かれ方との比較など。参考になる点多し。そして後注の中の「『南総里見八犬伝』 全注釈と研究』勉成出版、平19・12刊行予定」の文字に心が躍った。 ついに全注釈なるか!

『就実表現文化 第一号(通巻第27号)』(就実大学表現文化学会、2006年12月)

10/17追記−下記サイトによると12月に刊行されるのは「研究」編のみのようです。全注釈編の方は現在作業中とのことで刊行は大分後のことになりそうです。上の文章だと注釈編が12月刊行のように読める(というか私自身そう思って書いていた)ので追記いたしました。紛らわしくなってしまってすみません。

参考: http://www.haruo-suwa.jp/tuusinn250_259/tuusinn254.html

     http://www.haruo-suwa.jp/tuusinn290_299/tuusinn299.html

10/22追記−平次様より、〈書店を通じて確認したところ発売日未定だった〉むね、連絡いただきました。「12月刊行予定」というのは、いまだ決定ではなかったようです。期待させてしまって申し訳ありません。

1/13追記−研究編が『復興する八犬伝』のタイトルで2008年1月刊行予定のむね正式発表されました!詳しくは勉誠出版のHP(http://www.bensey.co.jp/book/1973.html)を参照されたし。

1/27追記−前掲『復興する八犬伝』、ついに刊行。

 

井上啓治『八犬伝、毛野・房八の智と〈私情〉』    論文

 先に著した持論をふまえつつ、『論語』『中庸』などの〈知〉の定義を引いて、毛野は「執する人」であり、仁および真の知を欠いていること、房八もまた「執する」心の強い「虚静」になれぬ人であったために、同じ侠客である小文吾と明暗が分かれた旨を説く。以下続稿だそうで続きが待たれる。

『就実論叢 第37号』(就実大学・就実短期大学紀要委員会、2007年)

 

井上啓治『八犬伝、毛野の〈智〉と人性観・教育観』(←原文は「性」の字の上に傍点あり)   論文

 毛野の智は、義実同様仁と智をともに称揚される信乃とちがい、もっぱら智謀に偏っていて〈真の智〉ではないこと、ゆえに対牛楼での登場当初から残虐性を発揮していたこと、毛野の智に対する小文吾と荘助の称賛表現の違いに二人の個性・教養の差が出ていること、毛野が鮒三の忠心を誉める言葉に表れる馬琴の価値観などについて説く。『八犬伝』世界の仁と智について考察した一連の論考の一つで、まだ同テーマの論文が続きそうなのに期待大。

『就実表現文化 第2号』(就実大学表現文化学会、2007年)

 

井上啓治『八犬伝第三部、毛野の成長と完成』    論文

 先に著した『八犬伝、毛野・房八の智と〈私情〉』『八犬伝、毛野の〈智〉と人性観・教育観』の続稿。「仁」と「智」を体現する親兵衛、毛野と、「ミニ里見」(理想の君主義実に似た仁慈を示す)信乃が、八犬士のうちでも重要な位置をしめること、登場時は智謀に偏っていた毛野が実直な鮒三との出会いや「衂の劇策」である海戦を経て人間的に成長したことなどを論じる。興味深い。

『就実論叢 第38号』(就実大学・就実短期大学紀要委員会、2008年)

 

井上啓治『八犬士論のための序論、毛野の成長−八犬伝第三部、仁と智による犬士像完成へ−』    論文 

 これまで主として第二部(犬士列伝)に即して語られてきた八犬士の特性を、第三部(犬士会同以降)、とくに毛野を中心に見直し、登場時に血みどろの仇討ちを成し遂げたダークヒーロー毛野が三年の(寺への)潜伏期を経て人間的に成長したことを、鮒三との出会いの場から読み解く。前半に比べ人気がない対管領戦における名エピソードやキャラクターの描き方を、論文としては異例なほどの率直さで誉めまくっている箇所に著者の『八犬伝』愛を感じて、何だか嬉しくなってしまった。

『就実表現文化 第3号』(就実大学表現文化学会、2009年)

 

井上泰至『鳩と白龍−『八犬伝』と源氏神話』  論文

 八犬士の主家として設定されたのがなぜ里見家であったのか。安房半郡の領主となるまでのストーリー中で義実が源頼朝に重ね合わされていること、八幡の使者である白鳩や白龍にまつわるエピソードの存在から、その根拠を里見家が徳川氏同様「源氏の嫡流」「新田の余類」であることに求める。なかなか興味深い。

『防衛大学校紀要 人文科学分冊 92』(防衛大学校、2006年)

 

井本英一『変身の文化』    論文

 ヤマトタケルのクマソ征伐を皮切りに日本をはじめ世界各国の歴史書や伝承をひもといて、古代多くの文明に見られた異性装(とくに女装)の慣習を詳しく取り上げ、その背景に男女双方の性を持つ両性具有者は「超強力の神人となる」考え方があることを指摘する。ラストで女装者の例として『八犬伝』の信乃と毛野にちょっと触れる。

『大阪外国語大学論集 第3号』(大阪外国語大学、1990年)

 

上野洋三(うえのようぞう)「『狗子草』」・・・『読本研究 六輯下』参照。

内田保廣(うちだやすひろ)『馬琴の侠−『開巻驚奇侠客伝』以前−』  論文

 『侠客伝』以前の読本を中心に、馬琴読本で「侠」がいかに描写されているかを丹念に読み解く。『八犬伝』も多く取り上げられ、文中に「侠」と表現された人々の言動や、彼らが「侠」と言及されたシチュエーション、「侠」の描写の変化などを見る。

『藝文研究 第三十六号』(慶應義塾大學文學舎、1977年)

 

内田保廣「馬琴と郷士」・・・『國語と國文學』55−11参照。

内田保廣『読本・ロマンの王道』  論文

 「侠勇」=「シバルリイ」を描いた作品として、逍遥が寓意小説の傑作とした『妖精の女王』、栗杖亭鬼卵の読本『浪華侠夫伝』(文化5年)をあげ、『妖精の女王』と『八犬伝』における読者教化の意識の違いを指摘する。

『國文學 解釈と教材の研究 第23巻16号』(學燈社、1978年)

 

内田保廣『馬琴は幕府終焉の予言者たりえたか』  論文?

 馬琴作品に幕政批判・幕府衰亡への予兆を読み取る近年の研究の傾向に対し、一市民としての馬琴は幕府信奉の立場を見せていることを指摘し、そのうえで〈作者の意図から離れた読み方も排除すべきでない〉という観点から、馬琴が「多層な現実から諸要素をつみとり、配置した」ことにより期せずして作品(特に『八犬伝』)が幕府衰亡の予言書たりえたことを論じる。

『國文學 解釈と教材の研究 第27巻 8号』(學燈社、1982年)

 

内田保廣「いまどきの八犬士」・・・『読本研究 六輯上』参照。

内田保廣「親兵衛の左手」・・・『読本研究 七輯上』参照。

内田保廣『玉梓以前』  論文

 川村二郎『里見八犬伝』の好評とこの時期に起きた『八犬伝』への評価変更、里見義実の人物造型が晋の文公に拠る部分が多いこと、「作品外で読者の知識に委ねられることは省略した」という『犬夷評判記』中の記述を踏まえて『八犬伝』の前提といえる当時の教養、などについて書く。

『芸文研究 65』(慶応義塾大学芸文学会、1994年)

 

内田保廣「京伝と馬琴」・・・『岩波講座 日本文学史 第10巻 一九世紀の文学』参照。

内田保廣「刺客の本望」・・・『文学 第5巻第3号 特集=曲亭馬琴の遺産』参照。

内田保廣『いまどきのサブカルチャー』   論文

 数年前に発表した論文『いまどきの八犬士』を受けて、当時隆盛だった『八犬伝』同人作品が近年、減少した一方で商業ベースの二次作品は増加していることから、二次創作表現手法の移り変わりを述べ、また近年の『八犬伝』もの(映画『里見八犬伝』『深く潜れ』『合い言葉は勇気』『ブラインド・ゲーム』など)が、原典の歴史的背景や仁義八行の設定を用いないながらも、〈異姓の兄弟とのめぐりあい〉モチーフを重要視しており、ある意味口語訳よりも『八犬伝』的かもしれない、と指摘する。なかなか興味深い。

渡辺憲司編『国文学 解釈と鑑賞 別冊 「江戸文化とサブカルチャー」』(至文堂、2005年)  

 

内田保廣『馬琴研究の深度』   論文

 『八犬伝の世界』が取り上げた八字文殊菩薩、『里見八犬伝の世界』の富士信仰など、江戸後期の民間信仰が『八犬伝』のバックボーンにあるとする流れや、『小説神髄』が指摘した〈八犬士=仁義八行の化物〉説に反論して〈犬士の造型はむしろ馬琴自身の血統や身近な人物を下敷きにした血の通ったものである〉という『滝沢馬琴』などの主張、杉本つとむ氏による『馬琴日記』の語彙の検討など、近年の新たな馬琴研究の方向性を紹介。大いに勉強になりました。

『日本文学 4』(日本文学協会、2007年)

 

梅澤宣夫「馬琴と明治文学」・・・『文芸と批評 6巻9号』参照。

漆谷広樹(うるしだにひろき)『曲亭馬琴と柳亭種彦』  論文

 「口語と文語が混在する近世において、どのような文語が見られるのかについて、曲亭馬琴の語彙と柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』を例に近世の文語の諸相について見ていく」。馬琴については『八犬伝』ほかの作品によく現れる「かがなふ」など「なふ」型動詞に注目し、この種の語が中古・中世にはほとんど見られず、むしろ上代の、とくに『日本書紀』に使用例が見られることを具体的に検証し、馬琴が上代語を参照して「自己の言語の世界を形成していった」とする。今まで考えたこともなかった視点にわくわく。

沢井耐三・黒柳孝夫編『語り継ぐ日本の文化』(青簡舎、2007年) ←正確には「簡」の字の門構えの中は「日」でなく「月」

 

大井田義彰(おおいだよしあき)「七月十六日の午後のこと」・・・『文芸と批評 6巻9号』参照。

大高洋司(おおたかようじ)「『石言遺響』論」・・・『國語と國文學』55−11参照。

大高洋司「文化七、八年の馬琴−考証と読本−」・・・『説話論集 第四集 近世の説話』参照。

大高洋司『馬琴流〈勧善懲悪〉の言表と「誤読」の問題』  論文

 なまじ自己について多くを語っているために「誤読」されがち(彼の自己評価に惑わされがち)な馬琴の作品を、そうした先入観ぬきに見つめるべく、馬琴が「声高に〈勧善懲悪〉を主張するように」なる直前の文化三、四年の読本を同時期の京伝読本と比較しつつ、馬琴の文藝理念を探る。意外にも『八犬伝』には一切言及していないが、ここで指摘されている馬琴流勧懲理念(作中での〈勧懲〉の扱い方)は『八犬伝』を読むうえでも参考になるのではないか。

『江戸文学 第三十六号』(ぺりかん社、2007年)

 

大平和明『馬琴『南総里見八犬伝』研究−伏姫を中心として』  論文

 「八犬伝の構想の眼目」として伏姫に視点をしぼり、数珠に浮かんだ「如是畜生発菩提心」の文字が意味するもの、受胎告知→自害に当たって「「超越的原理」の犯し」が行われていること、「超越的神女」となった伏姫が八犬士を守護する理由などを考察する。なかなか興味深い。

『いわき明星文学・語学 第5号』(いわき明星大学日本文学会「文学・語学編集委員会」、1996年)

 

大屋多詠子(おおやたえこ)『勧善懲悪−馬琴読本と演劇を中心に』     論文

 出版統制令の影響下に流行した近世小説と演劇における「勧善懲悪」の物語造型を馬琴が創作理念にまで高めたその軌跡を、巷談物を中心とする馬琴読本に探る。『八犬伝』からの引用部分もあり。

『江戸文学 34 江戸文学のスピリッツ』(ぺりかん社、2006年)

 

大屋多詠子『馬琴の「人情」と演劇の愁嘆場』  論文

 馬琴の「人情」に関する言説を、「演劇の「人情」描写に対する批判」「演劇の「人情」描写の評価と利用」「「人情と人として守るべき「公道」という対立概念の提示」の3つに分け、実際に作中で「人情」の語が用いられている場面を検証して馬琴独自の人情表現をさぐる。「「義理」「人情」の葛藤を描いた愁嘆場の利用」例として、浜路くどきの翌日の蟇六が切腹の真似をする場面、雛衣が義父のため自死を覚悟する場面を紹介。また「公道」と「恩愛」の対立する場として、義実が五十子に伏姫を連れ戻せない事情を語る場面、百三十回で八犬士が真っ直ぐ安房に帰るか穂北を訪ねるかで迷う場面を取り上げている。

東京大学文学部国文学研究室『東京大学国文学論集 第2号』(2007年)

 

大屋多詠子『馬琴と蟹』   論文

 馬琴の(自ら改めた)本名「解」の由来について、本人が『南柯夢』の自解で説明している「解は蟹なり」に即して述べ、馬琴の著作中に表れる蟹に関係のあるエピソードを紹介する。当然『八犬伝』第四回の義実と八郎の出会いや大角の養父・犬村蟹守、扇谷定正の妻・蟹目上にも言及、馬琴が蟹のイメージに付与している肯定的評価を示す。

『青山語文 第三十九号』(青山学院大学日本文学会、2008年)

 

岡本朗子『『南総里見八犬伝』考−「悪」の躍動』   論文 

 『小説神髄』に代表される近代リアリズムが『八犬伝』を疎外したというのは表面的なもので、明治期の文人は逍遥自身も含め『八犬伝』に親しんでいたこと、『八犬伝』の魅力は勧懲よりむしろアニミズム性にあること、そのアニミズム性の中で描かれる悪の躍動が、里見家の仁政の物語に移ってからすっかり消えてしまうことなどを指摘する。

『日本文学研究年誌 第6号』(金沢学院大学日本文学研究室、1997年)

 

小川陽一(おがわよういち)「『八犬伝』拾零−とくに紅楼夢から−」・・・『江戸小説と漢文学』参照。

奥野倫世『『八犬伝』小考−「浜路」の造型について−』    論文

 大塚村の浜路と浜路姫の共通点を具体的にあげ、浜路姫が鷲にさらわれたエピソードについて、『今昔物語集』『みしま』をはじめ『日本霊異記』『扶桑略記』『水鏡』に登場する同型の物語の影響をいかに受けているかを比較検証。さらに甲斐の物語は『竹取物語』を踏まえていること、浜路の貞女としての造型は『太平記』の女性たちに基づいていることも指摘する。とても面白い。

『安田女子大学大学院文学研究科紀要 第4集 日本語学日本文学専攻 第4号』(安田女子大学大学院文学研究科、1999年)

 

奥野倫世『『八犬伝』と『枕草子』−八房と「一条帝の翁丸」−』    論文

 伏姫が八房に懸想されて富山に入る少し前のシーンで『枕草子』中の犬の「翁丸」と猫の「命婦のおとど」の話を読んでいるのは、命令に愚直に従ったゆえに処罰された翁丸の処遇を馬琴が不当に感じており、そのアンチテーゼとして『八犬伝』では八房に対する約束を守らせたこと、命婦のおとどの側に非があったことを与四郎犬と紀二郎猫の話で描いていることを説く。

『国語国文論集 第29号 山本名嘉子先生還暦記念』(安田女子大学日本文学会、1999年)

 

奥野倫世『『南総里見八犬伝』犬山道節・浜路の母の名に関する考察』  論文

 道節の母「阿是非」(おぜひ)と浜路の母「黒白」(あやめ)が同じ意味の名を持っていながらなぜ黒白の方が悪役とされたのかを、藤原清輔「奥義抄」、藤原定家『僻案抄』などの「あやめ」「あやめもしらぬ」の語義解釈をもとに探る。ここに引かれた語義がいちいち黒白のキャラクターに見事にはまっているのにびっくり。短いながらも充実した内容。

『解釈 第四十七巻第九・十号』(解釈学会、2001年)

 

小沢さや香『『南総里見八犬伝』における超自然現象』     論文

 日本文学部学生による卒業論文。宮田雅之氏の切り絵をきっかけに『八犬伝』に興味をもったという著者が、『八犬伝』に登場する数々の超自然現象に着目し、それぞれの典拠をさぐる。個人的には古那屋の惨劇のモデルを『摂州合邦辻』としているのに勉強させてもらった。また〈八犬伝の超自然現象に血に関するものが多いのは、八房や八犬士の牡丹の痣が真っ赤な血の滴りをイメージさせることに由来するのでは〉との指摘にうならされた。

『東京女子大学日本文学 第九十四號』(日本文学部会、2000年)

 

柏木隆雄〈座談会〉「『八犬伝』再読」・・・『文学 第5巻第3号 特集=曲亭馬琴の遺産』参照

柏木隆雄『坪内逍遥『小説神髄』と曲亭馬琴』   論文 

 亀井秀雄『「小説」論−『小説神髄』と近代−』の深い洞察を称えつつ、馬琴についてはさほど言及されてないとして、『小説神髄』をよく読めば全体としては馬琴や『八犬伝』の価値をちゃんと認めていること、むしろ馬琴の亜流をこそ攻撃していることを述べ、『小説神髄』が否定した馬琴の「小説七則」については同時期のバルザック、ユゴーらフランス文学の作家たちと比較して、彼らの作品も多く稗史七則にのっとっていること、すなわち稗史七則は世界に通用する作劇法であることを検証する。フランス文学者ならではの視点があざやか。

『語文 第九十輯』(大阪大学国語国文学会、2008年)

 

加藤次直『挿絵から「読む」『南総里見八犬伝』』 論文

 『八犬伝の世界』の〈挿絵から『八犬伝』の謎をさぐる〉方法論を拡大し、表紙や見返し、袋にいたるまでの全ての図像を分析し、それらに馬琴が秘めた意図を解明しようとはかった意欲的な論文。子守明神が伏姫と親兵衛の〈親子〉関係のモデルではないか、ラストの八犬士昇仙に顕著な神仙世界への志向がすでに初輯の図像に表れている、といった指摘はなかなか刺激的。

『学習院大学文学部研究年報 第46輯』(学習院大学文学部、2000年)

 

加藤康子『江戸時代のベストセラー『南総里見八犬伝』−児童文学への影響を含めて−』  論文

 梅花女子大学・短期大学図書館で2003年10月14日から12月5日まで開催された「江戸時代のベストセラー『南総里見八犬伝』展」に企画・講演など深く関わった著者による展示図録および講演記録。『八犬伝』の特徴を〈奇想天外な長編〉〈確かな骨格〉〈象徴的子供像〉の3点を中心にとらえ、また『八犬伝』の二次作品を江戸期から現代のものまで紹介、『こがね丸』など児童文学に『八犬伝』が及ぼした影響を再評価する。個人的に近年の意欲作の一つとして碧也ぴんく『八犬伝』の、とくに芳流閣の場をとりあげているのが嬉しかったりした。

『梅花女子大学文学部紀要37 児童文学編20』(梅花女子大学文学部、2003年)  

 

亀井秀雄(かめいひでお)『雅言と俗言および人情−徂徠・宣長・馬琴・逍遥−』  論文

 坪内逍遥の文体論が、多く馬琴の雅言俗言観に依拠していることを、馬琴自身の文体の形成過程とそれに対する自己評価、勧善懲悪観もともに彼らの文章を引用しつつ探り、そこからさらに荻生徂徠や本居宣長についての文体人情論へと発展してゆく。なかなか興味深い。

『國語國文研究 第83号』(北海道大学国文学会、1989年)

 

河合眞澄(かわいますみ)「再説『八犬伝』と演劇」・・・『読本研究 三輯上』参照。

河合眞澄「『花魁莟八総』」・・・『読本研究 四輯上』参照。

河合眞澄「『八犬伝』と演劇・補遺」・・・『読本研究 五輯上』参照。

河合眞澄「菅原の世界と『八犬伝』」・・・『読本研究 七輯上』参照。

河合眞澄「『花魁莟八總物まねぶたいことば』−翻刻ならびに台帳との関係」・・・『読本研究 九輯』参照。

川田淳『八犬伝考−仁玉と孝玉について−』  論文

 前半の主人公・犬塚信乃と後半の主人公・犬江親兵衛が他の犬士から突出した活躍と印象を残す理由を、親兵衛の玉の文字「仁」が儒教最高の徳であること、信乃の玉の文字「孝」は「百行の基」であり、朱子学でも重要視されていることに求める。

『中世近世文学研究 第二十一號』(東洋大学国文学研究室内中世近世文学研究室、1988年)

 

川村二郎「馬琴、幻想と伝奇の物語」・・・前田愛氏との対談。『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照。

川村湊(かわむらみなと)「馬琴の「島」」・・・『文芸と批評 6巻9号』参照(のち『近世狂言綺語列伝』収録)。

神田龍身(かんだたつみ)「シンポジウムに出席して」・・・『文芸と批評 6巻9号』参照。

神田龍身『曲亭馬琴と『源氏物語』−萩原広道の役割』  論文

 江戸期の国学者・萩原広道の文学活動を『源氏物語評釈』、『侠客伝』続編を中心に論じる。広道の『源氏』評釈が馬琴の「稗史七法則」などに負うところが大きいこと、『八犬伝』終盤と『侠客伝』の筋立てに「侠」なるものの終焉があらわれているといった指摘が興味深い。

『文学 第四巻第五号』(岩波書店、2003年) 

 

神田龍身〈座談会〉「『八犬伝』再読」・・・『文学 第5巻第3号 特集=曲亭馬琴の遺産』参照。

神田正行(かんだまさゆき)『黙老旧蔵本『塩尻』と馬琴』   論文

 八百比丘尼妙椿の考証の典拠の一つである天野信景『塩尻』は知友・木村黙老から借用したものだったこと、『塩尻』からの抄出記事があらわれる『著作堂雑記抄』『塩尻抜〓(すい)篇』の紹介、黙老から『塩尻』を借用した経緯などを詳しく記す。資料の読み込みの深さ・細かさには思わずため息。

『近世文藝 72』(日本近世文学会、2000年)

 

神田正行『才子佳人小説『二度梅』と馬琴−并に織田文庫本『二度梅』の位置−』  論文

 中国白話小説『二度梅』の書誌的データと梗概。この作品に対する馬琴の評価と、『二度梅』を翻案した中本型読本を刊行予定だったが視力低下その他の事情で未執筆に終わったことなどを細かく紹介。『二度梅』執筆開始が伸び伸びになった理由として、版元から『八犬伝』の続きを優先してほしいと望まれたことを指摘しており、『八犬伝』刊行の舞台裏が見える点でも興味深い。

『東洋文化 復刊第九十六號』(財団法人無窮會、2006年)

 

神田正行『『水滸伝』の作者と馬琴−「今古独歩の作者」羅貫中の発見−』    論文

 江戸時代から現代までも続く『水滸伝』の作者が施耐庵か羅貫中かの問題に、〈七十回本は耐庵作、以降は貫中の偽作〉と決めつけた金聖歎の影響を受けつつ、馬琴が時期により揺れ動きつつも羅貫中作者説に落ち着くまでの経緯を、篠斎あての書簡や『新編水滸画伝』『犬夷評判記』などでの『水滸伝』評からひも解く。それにともなう馬琴の『水滸伝』評価の変遷と百二十回本バージョンの王慶のエピソードや『三国平妖伝』を蟇田素藤の話のモデルに用いていることも記している。とても面白い。

『近世文藝 89』(日本近世文学会、2009年)

 

金学淳『『南総里見八犬伝』の長編構想−「勧善懲悪」をモチーフとする小物語の反復と連鎖』  論文

 『小説神髄』の批判を期に儒教イデオロギーの表れと見られがちになった『八犬伝』の勧善懲悪モチーフを、馬琴本人の思想というより商品として作品を成立させるための作劇手法として捉え、馬琴は書肆の要望にこたえ読者を飽きさせないために編年体による歴史の興亡という全体の中に善が悪を下す小物語を組み入れていく形式を取ったと指摘する。商業的観点から『八犬伝』を捉えた論文は多くないので、その点大いに刺激的だった。

『文学研究論集 第25号』(筑波大学比較・理論文学会、2007年)

 

雲英末雄(きらすえお)「『八犬伝見立句合』」・・・『読本研究 八輯下』参照。

倉田靜佳(くらたしずか)『馬琴のふりがな−文体・位相との関わり−』  論文

 馬琴読本の「ふりがなと漢字の様相」が「文体や位相のあり方」とどのように関わっているのかを明らかにすべく、『八犬伝』『弓張月』『南柯夢』を中心に文章を多数抜粋し比較検討。個人的にはキャラクターの位相(身分や性別)によって同じ漢字でもかなを使いわけている(「周章」は「あわてふためき」だったり「しうせう」だったり)という指摘が一番興味深かった。言われてみれば。

『表現研究 第80号』(表現学会、2004年)

 

小池正胤『一葉と近世文学−その馬琴への傾倒』    論文

 西鶴の影響を論じられることの多い樋口一葉の作品が、初期においてはむしろ馬琴の影響を受けていた可能性を、一葉が随筆で馬琴に触れていることから導きだし、「近代以前の古い人間像」と評された一葉の描く薄倖のヒロイン像は『八犬伝』の浜路の投影ではないかと推察する。一葉以外の同時代の作家たちが『小説神髄』の悪罵にめげず少年青年期を通じ馬琴に親しんでいたエピソードも紹介している。

『国文学 解説と鑑賞 昭53年5月号』(至文堂、1978年)

 

黄智暉(こうちき)『馬琴読本における易学的趣向−『八丈綺談』から『美少年録』へ−』  論文

 馬琴読本に通底する「天道〓(みつ)るを〓(か)く」や五行生剋などの易学的思考法を、『八丈綺談』『美少年録』を中心にさぐる。『八犬伝』からも、道節の火遁の術と村雨丸獲得、洲崎沖での風火の計などを例としてとりあげている。

『日本文学 53巻3号』(日本文学協会、2004年3月)

のちに『馬琴小説と史論』(森話社、2008年)に収録

 

黄智暉『馬琴読本における春秋の筆法−『女仙外史』の影響を手掛かりに−』  論文

 馬琴読本に対する『春秋左氏伝』、その筆法を受け継ぐ『女仙外史』の影響を、『侠客伝』と『八犬伝』における「春秋誅心」の描写にそって検証する。『八犬伝』については第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評に著される、〈定正、顕定、成氏を悪役とした理由〉〈それが『女仙外史』の作者呂熊のあげる「春秋誅心」にならってのことである〉点を取り上げている。

東京大学国語国文学会『國語と國文学 第九百九十二号』(至文堂、2006年)

のちに『馬琴小説と史論』(森話社、2008年)に収録

 

黄智暉『馬琴読本における「雪恨」の理念−中国の戯曲論との関わりを中心に−』  論文

 『史記』をはじめ中国では多く行われてきた「発憤著書」(憤りによって書物の著述を行う)を紹介しつつ、馬琴が憤りの代わりに用いた「雪恨」という概念がいかに作品に反映されているかを検討。『八犬伝』については、史実にない対管領戦を描いた意義は専ら結城合戦の敗北の無念を解消するすることにあったと述べる。

東京大学国語国文学会『國語と國文学 第千九号』(至文堂、2007年)

のちに『馬琴小説と史論』(森話社、2008年)に収録

 

黄智暉『後期読本を縦横に読むこと』    論文

 文化年間の読本作者たちの間で「趣向の受け渡し」の傾向があったことを具体例をあげて検討し、単一作品・作者に偏らず多くの作品を読む必要を説く。『八犬伝』については『絵本更科草紙』(文化八年刊)の尼子十勇士の設定が『八犬伝』の先蹤であるとする先行研究(藤沢毅『『絵本更科草紙』論』)を紹介する。

『近世部会誌 第1号』(日本文学協会近世部会、2007年)

 

国領不二男(こくりょうふじお)「曲亭馬琴主要研究文献紹介」・・・『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照。

小林隆久『『豹の眼』と『南総里見八犬傳』』 論文

 ビアスの小説『豹の眼』を、闇の魅力、豹・猫・山猫という猫科動物が示す魔性、物類相感などにおいて共通する『八犬伝』、エドガー・アラン・ポオの『黒猫』と比較しつつ論じる。

『外国文学』(宇都宮大学外国文学研究会、1977年)  

 

小林祥浩『『八犬傳』の白話をめぐって−『八犬傳』の一つの讀みかた−』  論文

 『八犬伝』中の白話を、『水滸伝』など中国の伝奇小説から借用したと見られるものに限って輯ごとに集計、第一輯と第八輯上帙に目だって白話が多いことをつきとめ、その理由を『西遊記』の梗概訳である『絵本西遊記』(初編文化三年)に対するライバル意識に求める。調査の綿密さに圧倒される。とくに最後に資料とした『八犬伝』中の白話を別訓もふくめ5ページ以上にわたって列挙してあるのが圧巻。

日本中國學會『日本中國學會報 第三十集』(1978年)

 

小林祥浩『『八犬傳』に援用された中國小説の一斑』  論文

 八房が伏姫を押し倒してからともに富山にこもるまでの展開は、〈槃瓠説話〉のほかに、『太平廣記』の「杜修己」を踏まえたものだと指摘。ほかに〈名詮自性〉〈勧善懲悪〉に関する場面数か所の典拠をもあげている。

伊藤漱平教授退官記念中国学論集刊行委員会『伊藤漱平教授退官記念 中国学論集』(汲古書院、1986年)

 

小見山典子『『南総里見八犬伝』−伏姫と女性たちの因果』   論文梗概

 文教大学女子短期大学部文芸科の田川ゼミナール(近世文学研究)における論文のレジュメ。『八犬伝』に登場する女性たちの背負う因果のすさまじさと彼女らの慎み深さ、気丈さを述べる。

『文芸論叢 24』(文教大学女子短期大学、1988年)

 

小谷野敦(こやのあつし)『奔馬のごとく−『南総里見八犬伝』試論』   論文

 翌年刊行された『八犬伝綺想』の原型、というかダイジェスト的な論文。『八犬伝綺想』と共通する文章が多いが、本では削られた表現も結構あり、興味深い。

『比較文学研究 56』(東大比較文学会、1989年)

 

小谷野敦「『八犬伝』の海防思想」・・・『江戸文学 第11号』『新編八犬伝綺想』参照。

小谷野敦『高峰秀子はなぜ子を亡くす母を演じるのか?−母・日本・近代』 論文

 往年の名女優・高峰秀子の映画や、その他文芸作品を軸に、〈存在論的不安〉を癒してくれる〈母の不滅性〉について説く。「2 日本文学における母と山」に、伏姫の原像についての高田衛・徳田武・信多純一三氏の説と小谷野氏自身の仮説を紹介するくだりがある。

平川祐弘・萩原孝雄編『日本の母 崩壊と再生』(新曜社、1997年)

 

崔香蘭(さいこうらん)『馬琴読本に於ける水滸伝受容の一様相−『八犬伝』第百三十三回の親兵衛海賊退治の場をめぐって−』 論文

 親兵衛が京行きの途中苛子崎で海賊と戦うエピソードは『水滸伝』第十六回の黄泥崗のみならず『杜騙新書』中の「R燿衣粧啓盗心」や『水滸伝』第二十七回の母夜叉孫二娘の物語をもモデルとしていること、『杜騙新書』や『水滸伝』は馬琴の先行作品にも影響を与えていることを具体的に文章を引きつつ示す。

『語文 第百十三輯』(日本大学文学会、2002年)

 

崔香蘭・胡立琴『中国神魔小説の馬琴長編読本への影響』  論文

 中国神魔小説『平妖伝』が『八犬伝』『美少年録』『童子訓』の三作品にどのように取捨利用されたかを、先行研究を参照しつつ具体的に検討している。『八犬伝』においては第九輯の素藤に関連する描写数箇所をあげている。

『語文 第百二十七輯 −近世文学特集−』(日本文学国文学会、2007年)

 

崔香蘭・周娜『馬琴読本における『水滸伝』の多彩な利用法−主に『八犬伝』の親兵衛虎退治の趣向場面を中心に−』   論文

 『水滸伝』第二十三回の武松虎退治の武勇談を利用した馬琴作品をあげ、それらが原話をいかに換骨奪胎したかを比較検証し、その集大成を親兵衛の虎退治であるとする。同じ趣向を作品ごとに工夫をこらして演出する馬琴の技量を改めて感じた。 

『東アジア日本語教育・日本文化研究 第十輯』(東アジア日本語教育・日本文化研究学会、2007年)

 

櫻井進『江戸のユートピア 都市空間の抑圧と排除』  論文

 江戸という都市空間が形成されるうえで排除・抑圧されたものを、利根川水系の衰退、風水に基づく都市計画、アジールの消滅などから体系づけてゆく。これら「徳川イデオロギー」のすき間から生み出されたユートピア思想の一つとして『八犬伝』に触れ、犬士らを「シンクレティックな世界に生きるごろつきの再生」と評する。水系とりわけ隅田川に関する論が、対牛楼編で隅田川が果たす役割を思うと興味深い。

『現代思想 24』(青土社、1996年)

 

さくらいすすむ『『南総里見八犬伝』曲亭馬琴 聖痕の神話学の系譜』  論文

 八犬士は牡丹の痣という「聖痕」により聖別・差別された存在であること、八犬士たちの絆や行動様式は「ごろつきそのもの」であること、『八犬伝』の世界観はごろつきの世界に重なるものであることなどを、これまでの『八犬伝』論など先行研究を参照しつつ説く。興味深い。ちなみに著者は上の櫻井進氏と同一人物(たぶん)。

『現代思想 六月臨時増刊号 第三三巻 第七号』(青土社、2005年)  

 

佐々木美緒『『南総里見八犬伝』論−信乃・大角二組の夫婦より−』  論文

 水野稔・小谷野敦両氏の論を踏まえて信乃・大角の許婚(妻)に対する冷淡さを指摘し、その理由を「〈八犬士〉としての彼らは常に〈英雄〉であろうとしなければなら」なかったことに求める。

『米澤國語國文 第二十八号』(山形県立米沢女子短期大学国語国文学会、1999年)

 

佐藤堅司『八犬傳における幽玄性』  論文

 仁義八行の玉に代表される『八犬伝』の神秘的象徴性、幽玄性について『源氏物語』との比較や『処女の純潔を論ず』の紹介、牡丹の痣の考察などを通して述べている。読みつつ『八犬伝』という物語の文章、シチュエーションが持つ〈美しさ〉を再認識させられたものだった。

『知と行 第五十四号』(大東出版社、1950年)

 

佐藤悟(さとうさとる)「柳亭種彦の『南房里見八犬伝』評について」・・・『読本研究 七輯上』参照。

佐藤悟「挿絵から見た近世文学史」・・・『岩波講座 日本文学史 第10巻 一九世紀の文学』参照。

佐藤悟『合巻の検閲』 論文

 寛政二年〜天保十二年の間の合巻に対する「改」(検閲)のシステムの変化とそれによる合巻作品への影響を詳細に論じる。文化四年の名主改制度確立のさいに当世の人気作家だった馬琴と京伝が連名で口上書を提出した話や、それにともない『傾城水滸伝』『風俗金魚伝』が文章を訂正させられた件にふれている。

『江戸文学 16 特集 江戸の出版U』(ぺりかん社、1996年)

 

佐藤毅『馬琴から透谷へ−その理想実現の苦悩−』 論文

 透谷における『八犬伝』の受容のあり方を、彼の作品(小説、評論)から読み解く。平和主義者である透谷が『八犬伝』の戦闘描写には否定的だったこと、伏姫物語を高く評価していたことを述べ、『蓬莱曲』に対する『八犬伝』の影響とその展開の違いに近世と近代の差を見る。透谷が『八犬伝』の英訳を行っていたという話に驚き。

『國學院雑誌 第八十四巻第十一號』(國學院大学、1983年)

 

佐藤毅『八犬伝の魅力発見』  論文

 『八犬伝』のあらすじや房総の『八犬伝』名所、『小説神髄』『戯作三昧』にあらわれる馬琴像などの紹介+日記の詳細な描写に見られる現実世界へのこだわりと、その中で時世に流されない理想の人物を『八犬伝』中に求めたことを指摘する。このあらすじだが、結城落城シーンを台詞入りで細かく説明する一方、神余滅亡は一行、丶大出家行脚のあとはもう対管領戦という斬新な構成にウケる。

江戸川大学江戸川女子短期大学公開講座委員会編『房総の文学』(新典社、1996年)

 

佐藤深雪(さとうみゆき)『『南総里見八犬伝』覚書』  論文

 『八犬伝の世界』が指摘した「江戸開拓郷士の視点」が、『八犬伝』後半の里見王国の形成にしたがって弱められてゆくことのジレンマを、八犬士の異端児・道節の〈挫折〉などから解き明かし、「外来王」里見氏が正統性を得るプロセス(「江戸の二重王権」はこの論を踏まえるところが大きい)を述べる。示唆に富んでいて実に面白い。

『文化・文明の新しき地平−国際関係学双書 3−』(北樹出版、1988年)

 

佐藤深雪『長編読本における王国幻想−綾足・京伝・馬琴−』  論文

 〈言語によって形成される虚構性〉という観点から、賀茂真淵と本居宣長、建部綾足と上田秋成の対立点を考察、それをふまえて綾足の『本朝水滸伝』、京伝の『善知安方忠義伝』、馬琴の『八犬伝』における言語の選び方と、それに象徴される作品世界のあり方について述べる。『八犬伝』については『『南総里見八犬伝』覚書』でもとりあげた、現実世界の動向を反映して親兵衛列伝に構成の変更が生じたこと、親兵衛の〈仁〉による「暴力の独占」を指摘している。

日本文学協会編『日本文学 第三十八巻 第三号』(日本文学協会、1989年)

 

佐藤深雪「『南総里見八犬伝』における英雄伝説と王国幻想」・・・『文芸と批評 6巻9号』参照。

沢野邦子『『里見八犬伝』をどう読むか』  論文

 『読本の問題』と同じく、『八犬伝』の勧善懲悪的展開は馬琴の道徳主義によるお説教というよりむしろ理想主義のたまものであること、巷間言われるように善人よりも悪人とくに山猫や妙椿狸などの妖怪に魅力があることなどを述べる。

日本文学協会編『日本文学 第11巻 第10号』(未来社、1962年) 

 

沢野邦子『読本の問題−「八犬伝」および馬琴の小説論を中心にして−』 論文

 『弓張月』のような実際の歴史に立脚する作品では正史を歪めることへのためらいを引きずっていた馬琴が、『八犬伝』ではそのためらいを乗り越えていること、『八犬伝』の勧善懲悪は馬琴の理想主義に基づくものであることなど。論文の末尾に、「討論」としてこの論文について著者を含む数名による座談会を載せる。

日本文学協会編『日本文学 第13巻 第8号』(未来社、1964年) 

 

沢野邦子『江戸文学と『水滸伝』』  論文

 江戸後期の、洒落本から読本主体へ移行した文壇(?)の流れから説き起こし、『八犬伝』はよく言われる勧善懲悪よりもむしろ因果律の観念によって組み立てられた小説であること、『半閑窓談』で『水滸後伝』を評した言葉にあらわれる馬琴の文学観、基本ストーリーの間隙を埋める小事件をつなぐ法則(吉凶禍福の理)の小市民的なところが『八犬伝』が後にゆくにつれ面白くなくなる原因であること、などを論じる。ちょい辛口だが興味深い。

『文学 第33巻第10号』(岩波書店、1965年)

 

信多純一(しのだじゅんいち)「研究ノート『里見八犬伝』と北斎」・・・『読本研究 六輯上』参照。

信多純一『馬琴と『荘子』』  論文

 『八犬伝』の「回外剰筆」は『胡蝶物語』をはじめとする馬琴の「夢」に対する強い関心と深遠な思想、さらに『荘子』の寓言に言う夢との関連をあげる。本稿自体も興味深いのだが、信多氏の『八犬伝』論が本にまとめられて岩波書店から近刊、というくだりに狂喜。でも近刊といいつつ2年たってるなあ、などと思っていたら、2004年9月にしっかり既刊であった!読まねば〜!!

林田愼之助博士古稀記念論集編集委員会編『中国読書人の政治と文学』(創文社、2002年) 

12/6追記−問題の『八犬伝』論、『馬琴の大夢 里見八犬伝の世界』紹介文をUP。

 

信多純一『新出『馬琴日記』−翻刻と解題』  日記

 中村秋香が依田百川(学海)より借り受け抄出書写した天保六、七年分の馬琴の日記。これまで所在不明だった分の日記の内容が不完全ながらも再現され、とくに息子宗伯の死の前後(天保六年五月一日〜十五日)をそのまま抜き書きしてくれたのがありがたい。もっともその内容はいたって悲痛なのだが・・・。

『神女大国文 第14号 林田愼之助教授退職記念号』(神戸女子大学国文学会、2003年)

 

信多純一『三島由紀夫『日本文学小史』と馬琴』  論文

 三島の未完の遺著『日本文学小史』中のタイトルのみ存在する最終章「集大成と観念的体系のマニヤックな文化意志としての曲亭馬琴」がどのような内容であったかを、『小史』の別の章に見られる三島の感受能力や死の前年にものした戯曲『椿説弓張月』の脚色のあり方から類推する。その過程で信多氏の著書『馬琴の大夢 里見八犬伝の世界』の内容についてかなり詳しくとりあげ、従来の国文学界の認識よりはるかに馬琴の構想の雄大複雑であったこと、三島はそうした馬琴の本質を見抜いていたに違いないことを指摘している。

『ノートルダム清心女子大学キリスト教文化研究所年報XXVII 朝倉文市教授退職記念号』(2005年)

 

信多純一『『馬琴の大夢 里見八犬伝の世界』補訂二題』   論文

 『里見八犬伝の世界』上梓後、指摘されたミス(具体例の出し方に問題があったけれど趣旨に影響はない)と、肇輯口絵第三図で玉梓が抱える琴に絃がないことの意味、小文吾が猪を退治する場面の挿絵に挿入された〈猪にふっとばされた並四郎〉のイメージ画を『弓張月』の類似シーン経由で『日本書記』中の「雄略天皇」の故事に結びつける。相変わらずの画解きの冴えにわくわく。

『文学 第八巻第三号 特集 文学と学問の間 近世文学』(岩波書店、2007年) 

 

信多純一『最近の馬琴研究 ―服部仁氏の私説批判をめぐって―』  論文

 20年6月8日の日本近世文学会での服部氏の発表とその発表をもとにした論文中で信多氏、朝倉留美子氏の説が批判されたことについて、朝倉氏の反論をも引用して激烈に再批判。その中で問題の挿絵の星みたいなものは信乃・現八が利根川に落ちた際の水しぶきで、同様の朝倉氏の見解も紹介しつつ述べている。水しぶき!そういう構図の組み立てもありなんだなーと(思えば他にも近いパターンの構図は多々ある)ちょっと視野が広がった気がします。

『文学 11・12月号』(岩波書店、2008年)

 

柴田光彦(しばたみつひこ)「馬琴書簡四通をめぐって」・・・『國語と國文學』55−11参照。

柴田光彦「批評する馬琴−八犬伝八輯下帙答評と稗史七則」・・・『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照。

柴田光彦「桜井鴎村の八犬伝校略」・・・『読本研究 七輯上』参照。

新開高明『『南総里見八犬伝』意訓考』 論文

 『八犬伝』中の漢字の特殊な読みを、『水滸伝』をはじめとする中国の俗語小説から得たもの・馬琴の造語あるいは独自の読ませ方・誤用などに分類し、その多くに通常の用例と比較しコメントをほどこす。『八犬伝』全百八十回を網羅するデータの緻密さに驚嘆。今までさして気にしてなかったのだが、こうして列挙されると『八犬伝』の字訓って実に面白い。「衂」(『八犬伝』的には「みなごろし」)の字の本来の意味が「鼻血」だというのには笑った。

『防衛大学校紀要 人文・社会科学編 第四十八輯』(防衛大学校、1984年) 

『防衛大学校紀要 人文科学分冊 第五十輯』(防衛大学校、1985年)

『防衛大学校紀要 人文・社会科学編 第五十二輯』(防衛大学校、1986年)

『防衛大学校紀要 人文科学分冊 第五十四輯』(防衛大学校、1987年)

『防衛大学校紀要 人文科学分冊 第五十六輯』(防衛大学校、1988年)

 

杉本つとむ『馬琴、滝沢瑣吉とその言語生活』  論文?

 江戸期の文人の日常における言語の使用法を検討し、現在われわれが用いている日本語のルーツをたどろうという試みの第一段として馬琴をとりあげたもの。主として『馬琴日記』や書簡を調査対象としているので直接『八犬伝』にふれる部分は少ないが、連載第八回に〈信乃の破傷風治癒、大角が父のどくろに血をそそぎ親子の証明とするシーンに、一度は医学を志した馬琴の面目が見られる〉という記述がある。〈こうした描写は現代の、親兄弟からの臓器移植に通じるかも〉という指摘に目からウロコ。また第十九回ではお路の苦労の成果として第九輯四十六巻の文章を一部紹介している。全二十九回。

『国文学 解釈と鑑賞 66巻2号〜68巻6号』(至文堂、2001年2月〜2003年6月)

 

鈴木丹士郎(すずきたんじろう)『「里見八犬伝』の漢語語彙について』  論文

 「江戸時代の漢語使用の状態を明らかにする一つの手がかりとして」『八犬伝』中の漢語(二字のものが多い)を漢籍仏典に出典のあるもの、ないものに分類して抜書きし、そのうちのいくつかを取りあげて詳しい検討を行っている。『八犬伝』の用語にまつわる論文が結構存在するあたり、馬琴が当時一流の博学と認識されているのだと嬉しくなる。

『専修国文 第五号』(専修大学国語国文学会、1969年)

 

鈴木丹士郎『「里見八犬伝」の用字についての一試論』  論文

 近世の用字法の傾向を探る手がかりとして『八犬伝』中の用語(漢字)にどのような読みがついているのかを具体例をあげて検討。この『八犬伝』中の訓の問題については、『『南総里見八犬伝』意訓考』がさらにつっこんだ調査を行っている。

『専修国文 第十一号』(専修大学国語国文学会、1972年)

 

鈴木丹士郎『西鶴・馬琴の敬語』    論文

 西鶴・馬琴の敬語の用法を探るべく、西鶴に関しては先行研究を踏まえつつ人代名詞・敬語動詞を、馬琴作品に関してはそれプラス接頭・接尾辞を、含む文を作品から抜書きし考察を加える。馬琴については『弓張月』からの用例が主だが、『八犬伝』からも若干の引用あり。

『敬語講座4 近世の敬語』(明治書院、1973年)

 

鈴木丹士郎『馬琴の読本に見られる〜ヤカ形容動詞の性格』   論文

 先に発表した「読本から見た馬琴の文語と文体」で示した、接尾語「ヤカ」の馬琴流の使用法をさらに進めて論じたもの。〈平安時代にも用例の見られるもの〉〈中世以降のもの〉〈近世以降もしくは馬琴読本に集中的に見られるもの〉の3パターンに分けて実例をあげる。馬琴読本全般を扱うが、『八犬伝』からの用例が一番多い。最長編だし当然だが。

『国語学研究 19』(東北大学文学部「国語学研究」刊行会、1979年)

 

鈴木丹士郎『馬琴の読本文体の輪郭』   論文

 よく「漢字漢語を縦横に駆使した漢文調の濃厚な仮名交り文」と評される『八犬伝』の文体に、ときに見られる和語が主、俗語が主の表現を、原文を引いて紹介。伏姫富山生活の描写に『万葉集』からの引用があることや、古語を自分流にアレンジしてより雅やかな表現を作り出していることなどの指摘が興味深い。改めて『八犬伝』の文体の美しさに惚れ惚れしてしまった。

『江戸文学 37 江戸の文体−その生成と文彩』(ぺりかん社、2007年)

 

鈴木貞美『魔都をめぐって』   論文?

 日本の都会、とくに東京の街それ自体が持つ「魔都」性を、主としてデカダン詩や小説を通して捉える。「魔都」以前の徳川期日本の代表的作家として馬琴の名が登場。『八犬伝』について「日本式の精霊たちが活躍する」(庚申山編の山の神や丶大水怪退治の真猯(まみ)などのことだろう)と説明されていたのがちょっと新鮮だった。

小松和彦編『日本妖怪学大全』(小学館、2003年)

 

鈴木丹士郎「読本から見た馬琴の文語と文体」・・・『國語と國文學』55−11参照。

鈴木丹士郎『曲亭馬琴の読本の口語語彙』 論文

 馬琴の読本とくに『八犬伝』を対象に、近世以降用いられるようになった和語のうち興味深いもの数種について、他の読本や辞典での用法と比較考察する。

『近代語研究 第十一集−松村明教授追悼論文集−』(武蔵野書院、2002年)

 

須田千里(すだちさと)「八雲・馬琴・『諧鐸』−『八犬伝』伏姫譚への視座」・・・『読本研究 五輯上』参照。

須永朝彦『古き日本の精霊譚 蛇の花婿 狐の女房』  論文?

 日本の神話、説話集、短編物語、能などに現われる異類がからんだ怪婚譚、擬人譚、変身譚を列挙紹介。『八犬伝』については伏姫・八房の聖婚の典拠である高辛氏の故事と、それを馬琴以前にモチーフとした『犬猫怪話竹箆太郎』をとりあげるほか、偽一角・妙椿狸にもちょっと触れる。

東雅夫編『幻想文学64 特集 幻獣ファンタスティック』(アトリエOCTA、2002年)

 

諏訪春雄(すわはるお)「馬琴と南北−そのアイデンティティー」・・・『國文學 61年2月号 馬琴と南北・異界へのワープ』参照

諏訪春雄『南総里見八犬伝と役行者』   論文

 諏訪春雄氏ご本人のホームページ中のコーナー「諏訪春雄通信」の277回〜286回にわたって連載された(この原型となる論文が269回、270回、272回、273回、275回、276回に出ている)。「諏訪春雄通信からのまとめ」ページで一気に読むことができる。近年の『八犬伝』論が多く伏姫を中心に据えることで新たな読み方を提示してきたのに対し、役行者を中心に『八犬伝』を読み解くことで作品にまた新たな角度からスポットを当てる。〈なぜ『八犬伝』世界の最高神として役行者が選ばれたのか〉〈八犬士の原型は何か〉〈丶大の本体は〜〉といった内容は刺激的で示唆に満ちている。まだ『八犬伝』関連の項を読んだのみだが、それ以外の「通信」もさっと眺めた限りでも『八犬伝』を読むうえで参考になる情報の宝庫と見受けた。楽しみがふえました♪

http://www.haruo-suwa.jp/

 

仙石淳『『南総里見八犬伝』に関する覚書(一)』    論文

 『八犬伝』について自身の考えるところとして、『八犬伝』を丶大と伏姫の愛の物語として捉え(このあたりは『八犬伝綺想』に通じる)、犬士の出会いや誕生に「母性」や「危機」の枠組みが大きな位置を占めること、挿絵の重要性などを指摘する。

『教育国語国文学 21号』(早稲田大学教育学部国語国文学会、1994年)

 

善塔正志(ぜんとうまさし)『馬琴後期読本の特色−その内的理想の再構成に於ける主題論の試み−』  論文

 前半3分の2は『八犬伝』、残り3分の1は『美少年録』に充てる。『八犬伝』について、伏姫物語と庚申山編、対管領戦での里見方の勝利と水陸施餓鬼に表れる修験道的自然回帰のモチーフを指摘、人為的政治力に対抗し自然の法を取り戻そうとする理想と浪漫を見出す。『美少年録』部分では、悪少年珠之介(朱之介)の環境に歪められた「悲しい程の善人であり、かつ悪人」の性と、五色の珠に見られる自然信仰を取りあげる。実に面白い。とくに庚申山に言及したくだりには大いにうならされた。

『日本文藝研究 第三十八巻第三号』(日本文学会、1986年) 

 

善塔正志『馬琴の読本の主題構成−三大奇書を通して−』  論文

 馬琴自ら「三大奇書」と称した『八犬伝』『弓張月』『南柯夢』について、孤児が流浪しつつ「死と再生」の連続、「魔物同根の思想」〈自己犠牲と他者犠牲という生の両義性〉などを指摘している。

『日本文藝學 第二十五号』(日本文藝學会、1988年)  

 

善塔正志『『開巻驚奇侠客伝』の主題意識』  論文

 『侠客伝』他の馬琴作品に関する先行研究を踏まえつつ、『侠客伝』中の姑摩姫による義満暗殺の場面を考察、馬琴の主題意識にせまる。比較の対象として『八犬伝』をはじめとする馬琴読本をしばしばとりあげ、「両性具有の異端的人物造型」や、『侠客伝』が完結していれば姑摩姫は〈結局は脇役である伏姫や『弓張月』の白縫とちがい、女英雄たりえたかもしれない〉点などを指摘する。

『明石工業高等専門学校研究紀要 第42号』(明石工業高等専門学校、1999年)

 

 

 

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