幸福

ゆるやかな傾斜の
坂道を
ゆっくりと転がりおりていく
サッカーボールのように
生きてゆけばいい

坂の下には


そして
街のむこうの
きらめく海は
もう
すぐそこなんだ──



 Nとの別れに

静寂が 私を囲繞する
水の中の水
石の中の鏡のように

樹々の中に やどる 魚──

よっつ ある そら
みっつ ある 真昼の星



晩祈

  1

海岸道路沿いの
閑散とした喫茶店
その 大きな窓には
いっぱいに夕焼けがひろがっていた
あのとき
あなたは 窓のほうを見つめていたけれど
そして あなたの眼には夕焼けが映っていたけれど
なぜかしら あなたは
夕焼けを見つめているようではなく
ただ 幻のように重さのない体を
赤く染めてひっそりとたたずんでいた
わたしは なすすべもなく
グラスの氷が溶けてゆくのを
ただ ぼんやりと見つめていた

  2

空には もう
星が見え始めているというのに
わたしの足もとの水たまりには
まだ 夕焼けがたたえられていた
そっと のぞき込んでみると
水たまりの底には 一匹
巨きな魚が眠っていた
わたしは 魚を釣ってやろうというのでもなく
ただ 意味もなく釣り糸を垂れてみた
釣り糸は
どこまでもどこまでも水たまりのなかを降りていった
わたしは 手を止め
ふと 遠くのほうを見る
顔を洗う冷たい風
その 風に
釣り糸が かすかに揺れた

  3

わたしは
古い油絵のような風景のなかを
ひとり
とつとつと歩いてゆく
落日のほうにむかって歩いてゆく

すべてに疲れ果てたわたしは
もう わたしでさえないのかもしれない

わたしは時折立ち止まり
足もとから伸びている
長い影をじっと見つめる
わたしが地上にとどめている長い影
わたしは
自分がまだこの世に生きているのだということを
影によって ひっそりとたしかめる
影だけが 唯一の
わたしの生の証だとでもいうように

  4
落日
何もかも
もう二度と戻らない
落日
誰も
もう帰って来ない

落日
ただ 夜があるだけ
夜が
夜があるだけ



夏の歌

南から吹く風は
わたしを
夏の海へとはこぶ

──あの夏
  海にかがやいた
  わたしたち
  あの夏
  それぞれの何もかもを
  忘れて
  いっしんに
  子どもたちのように
  海にかがやいた
  わたしたち
  あの夏……──

北のむこうにつらなる
はるかな山脈の
その はるかさが
わたしを
秋の予感に
いざなう

──夏 そして
  はるかな秋
  わたしたちは
  幸せな心のたかぶりのままに
  いっさんに駆け抜けた
  そして
  お別れの冬
  そして
  二年のとしつき
  けれど
  ふたたび わたしたちは
  めぐりあい
  ふたたび
  きらめく海に
  わたしたちみずからを
  ときはなつだろう
  たとえ いま
  わたしたちが どんなに
  とおくにはなればなれでも──



風の朝

世界をわたる 風が
かぎりなく つめたい朝は
あっためあおう
頬に 頬を
かさねあわせて

ふるえる瞳でみつめあうと
涙が こぼれそうだから
眼を
閉じて

いくら 若くたって
いつまで生きていられるかわからない
そんな時代だから
くちづけよう

明日はおろか
これから明けそめる どす黒い きょうさえ
何ひとつ
何ひとつ
わからないから
ぼくらは 消えてしまいそうになりながら
烈しく たしかめあう

あるいは
静かな祈りのように

……きみの 自転車
  きみの ブラウス
  きみの 便箋
  きみの ……
  …… ねえ
  うまく言えないけれど
  きみは
  きみじしんのかなしむように
  “からっぽ”なんかじゃない……
  ────

なんて静かな
この
部屋
ぼくらは
眼をとじたままで
ありがとう

なんべんも たがいに
ささやきあう
それが ぼくらの
ぼくらだけの
ことば

……「コンビニのおにぎりは
   飽きちゃったね」
……ぼくが 唐突に
朝ごはんの話を 言ったら
きみは
堰を切ったように笑い転げる──

……いや きっと
  きっと
  ぼくらの きょう そして
  明日だって──

ぼくは きみに
熱い
熱いコーヒーを 今朝
いれてあげる──