●連載〈個我意識と詩〉の様相

    
〜日本人の自我意識と詩A〜   内田收省


 
二・不安の自我意識

 ノルウェイの画家エドヴァルド・ムンクが、十九世紀末に描いた絵『叫び』が見る者に説得力を持つのは、不安に怯える近代的な自我意識の様相を伝えて来るからである。 
 何故、不安に怯えるのか。一九世紀後半から始まった機械文明は、一方で、唯物化した社会の始まりでもあったが、世界が相対化される中で人間自体が〈物化〉し、かつ自己の存在が絶対的なものではなくなって、何の拠り所も持たない不安定なものとなったからである。
 デカルトの「我思う故に我在り」という自己存在の捉え方に対して、「私を他者が考えるというべきです」「私は他者である」と述べたランボーの言葉が、二十世紀以降の私たちの存在を端的に物語る。この言葉は、自己が絶えず相対化される存在となったことを示す。
 十七世紀の思想家パスカルは、その著『パンセ』において、人間存在の姿をすでに次のように捉えてみせた。   
 「人間の盲目と悲惨を見、沈黙している全宇宙をながめるとき、人間がなんの光もなく、ひとり置き去りにされ、宇宙のこの一遇をさまよっているかのように、だれが自分をそこにおいたか、何をしにそこへ来たか、死んだらどうなるかをも知らず、あらゆる認識を奪われているのを見るとき、私は、眠っているあいだ荒れ果てた恐ろしい島につれてこられ、さめてみると〔自分がどこにいるのか〕わからず、そこからのがれ出る手段も知らない人のような、恐怖におそわれる」と。(前田陽一・由木康訳) 
 私たち人間は、存在の意味を失い、寄る辺なき暗黒の闇に浮かぶがごとき存在となってしまった。それゆえ、ドイツの哲学者ハイデッガーは、その著『存在と時間』で、存在の意味を問うことから始めようとしたが、中途で放棄した。もはや、問うことすらできなかったのである。     
 これが、二十世紀以降、私たちの自我意識が抱えて来た存在の根本的な問題といえる。ムンクの絵『叫び』を、古いなどと思っている者は、ただ脳天気なだけである。ハイデッガーが、問うことすら中途で放棄したままの状態に、いまなお私たちは在るからである。

  囚人       三好豊一郎

 真夜中 めざめると誰もいない・・
 犬は驚いて吠えはじめる 不意に
 すべての睡眠の高さにとびあがろうと
 すべての耳はベッドの中にある
 ベッドは雲の中にある

 孤独におびえて狂奔する歯
 とびあがってはすべり落ちる絶望の声
 そのたびに私はベッドから少しずつずり落ちる

 私の眼は壁にうがたれた双ツの孔
 夢は机の上で燐光のように凍っている
 天には赤く燃える星
 地には悲しげに吠える犬
   (どこからか かすかに還ってくる木霊) 
 私はその秘密を知っている
 私の心臓の牢屋にも閉じこめられた一匹の犬が吠えている
 不眠の蒼ざめた vie の犬が

 この詩は、かつての戦時中に書かれた。戦時中という特異な情況下で書かれた緊張感が詩全体から感じられるが、そういう特異な情況下で書かれたことを考慮しなくても、この詩が語る自我意識の不安は、読む者に伝わって来る。 
 この詩の言葉は観念的であるが、この詩全体が自我意識の様相をあらわしている。閉塞した情況下で、自己存在の在り様に眼覚めた自我意識が、孤独に怯え、不眠の蒼ざめた相貌を浮かび上がらせている。
 この詩の〈核心〉は、「vie」という言葉にある。「vie」とはフランス語で〈生〉の意味である。戦時下という特異な情況での〈生〉の姿というより、相対化された世界の中で、人間の〈生〉が「眠り(安心感)」を奪われて、不安に怯える姿が象徴的に描かれている。   
 この詩に書かれた不安は、ムンクの『叫び』にも通じる、いわば「存在の不安」というべきものであり、二十世紀以降の哲学的・文学的課題である存在論的主題を内含している。
 戦地で負傷して、内地に帰還して来た鮎川信夫が、この詩を読んで「衝撃を受けた」のも頷ける。観念的とはいえ、それまでの我国の抒情詩とは異なり、この詩には、外部世界とは隔絶した〈独自の詩の世界〉が描かれていたからである。この詩は、観念的であるがゆえに、日本的情緒から免れたともいえるが、自己の意識を象徴的な形で、日本語で詩化しうることを証明した。  

 現在、「存在の不安」という言葉に、ピンと来ない者も多いに違いない。だが、私たちは、「存在の不安」を、あのムンクの『叫び』を、なんら解消していないのである。 
 今日も、母親がわが子を殺害する事件が発生した。その前は、わが子を殺した母親が、近所の少年をも絞め殺して、その遺体を遺棄した。さらにその前は、無職の男が団地の屋上から子供を投げ殺した。これらの殺人事件は、私たちの何を物語るのか。
 何よりも、何故こうも毎日毎日、殺人事件が続くのだろう。「命を大切にしよう」「愛し合おう」などと、〈きれい事〉の言葉が声高に言われれば言われるほど、陰惨な殺人事件がいっそう増えていく。彼ら殺人者たちの心は、いったい何に駆り立てられて、次から次へと人を殺すのか。いったいどのような妄想に囚われ、どのような焦燥感から身近な者・弱い者を殺すのか。
 はっきり言えることは、「不安感」は、すでに私たちの「骨(精神の核)」に食い込み、内側から蝕んでいるに違いない。そして、この「不安感」は、何やら〈おぞましい邪悪な相貌〉へと、変わり果てているように思われる。  
 二〇世紀以降に生まれた人間は、「何かを欠いた存在」として捉えられる。〈神〉を失った私たちは、ロシアの作家ドストエフスキーが言うように、「不信と懐疑の子」であり、しかも相対化された世界の中で〈物化〉した、人類史上かつてない〈存在論的奇形〉といえる。
 我国では、一九五九年頃サリドマイドの薬害による「四肢に欠損のある奇形児アザラシ肢症」が誕生したが、その姿は、「何かを欠いて」生まれて来た私たち自身の存在を象徴する。具体的に身体の何かを欠いていなくても、私たちは、確たるものを何一つ持たない存在として生まれて来た、といえるからである。 
 岡崎功は、詩『プロローグの部分』(詩集『ミノトオルの指環』収録)で、次のように書いた。

 僕はもうすっかり壊れていた
 通りかかった少女が僕を欲しがった
 こわれているんだよ
 と云ったが
 少女はほんとに欲しがったので僕は僕を売ってやった

 岡崎功は昭和三年生れで、かつての戦争体験者である。直接的には、戦争が彼の心(精神)に傷痕を残したといえるが、しかし、彼が自らを「こわれている」と考えるようになったのは、果たして戦争のせいばかりだろうか。自己存在の根本的な部分において、すでに何かが壊れていなかっただろうか。彼は、詩の最終行で次のように書いている。

 青い大地にしっかりとおちついている自分の足を
 ふと確かめてみたりしていた

 何故、大地に立っている自らの足を、確かめる必要があるのか。このとき、彼の自我意識は、自己の存在に不安感を抱いているといえる。これは、まさしく「存在の不安」を物語っている。不安であるがゆえに、「自分の足」を確かめようとするのだ。
 戦後生れの私たちは、戦争や戦禍を知らない。しかし、戦争や戦禍を知らなくても、私たちもまた、「荒地」を生きていることに違いはないのである。「荒地」とは何か? 
 鮎川信夫は、すでに半世紀も前にこう述べている。
 「現代は荒地である。そして僕達は、それが単に現在的なものの徴候によってのみ、充分に測定され得るものとは思っていない。現代社会の不安の様相と、現代人の知的危機の意識は、その発端を、過去という記憶と資料の援けをかりなければならない世界に有している」
 「科学の進歩に追随し、或は経済学に対する課題的要求が強まれば強まるほど、僕等の生活に惨めなものとなり、現代の空はますます暗澹としてくるのである。人間が機械に隷属し、個人が集団の中に解消せしめられる時代、そして人類を破滅の淵に追い落す戦争恐怖の時代・・かかる時代に空を仰ぐ者は、人類の文化に対して、自分がある精神的不安の血を受け継いでいることを感じとるに相違ない」     (『Xへの献辞』/『荒地詩集一九五一年版』)
 ここでいわれている「荒地」とは、単に戦後の荒廃した荒地を指すのではない。「精神的不安」に晒された、私たちの生きて在るこの〈地平〉を指す。
 鮎川の言葉は、今なお私たちの耳に届いて来る。彼の言葉を補足すれば、「不安の様相」は、私たちの存在そのものを腐蝕させていること。「知的危機の意識」は、幼稚化・胎児化して、すっかり退行してしまったこと。また、「戦争恐怖」は、現実に見られる局地戦ばかりでなく、自然環境の破壊・テロリズムの脅威といった新たな様相を見せていること。
 そして、「人間が機械に隷属」したというより、もはや機械抜きでは生きられないほど、私たちの生活は、多量の機械類で埋め尽くされているのである。そればかりではない。現在の科学は、いまや私たちの存在を根底から揺さぶっているのだ。  
 現在、私の髪の毛一本から「私の複製」を作り出すことが可能であり、今後、コンピューターがさらに高度化して行き、「私の意識」をそっくりコンピューターに移し替えて、「私の意識の複製」を作り出すことも可能となれば、「私が私である根拠」はもはやどこにもなくなるといえる。そうなれば、私たちは自らの存在を、どう捉えればいいのだろう。
 それゆえ、大家正志は、詩『翻訳/@春うらら』(本誌六七号発表)で、次のように書いた。

              僕はどう存在したいのか?
              (僕はどう存在したいのか?)

 大家のこの言葉は、自己の存在について、何一つ確たるものを持たないばかりでなく、もはや自己の意識すらも絶対的なものではないことを語っている。「僕」という存在は、「もう一人の別の僕」(つまり「僕」という他者)抜きではありえなくなっているのだ。
 前出の岡崎のように、大地に立っている自らの足を確かめるどころの話ではない。自己が在ることに、すでに何の確証すらないのだ。こうした在り様は「浮遊的」といえるが、この存在の様態を、大家は次のように表現している。

     読み解かれることを拒みつづける花びらもあるとしたら
     そう
     読み解かれたくない花びらもある
     読み解かれる矛盾にその物質性が崩壊する花びらもある
     読み解かれた困惑におびえながらも舞い落ちるだけの花びらもある

 私たちの存在は、「花びら」のごとく「浮遊」的であり、その個々の存在が、「存在の意味」を読み解かれることを拒もうと、あるいは読み解かれて崩壊し、また困惑して怯えようとも、しょせん途方にくれながら彷徨するだけのものでしかないのである。大家は、そのように彷徨する地点を、「春うらら」などととぼけた表現を使っているが、彼の精神は、実はそれほど呑気な地点にいるわけではない。
 
     それらの花びらを身にまとって 春うらら
     波打ち際を歩く僕に春うらら
     波打ち際を歩く僕に春うらら
     とりあえず
     僕も僕も春うらら
     波打ち際のこちら側とむこう側で
     春うらら

 人間の存在は、一つの「個体」として捉えられるが、この「個体」には、身体と心(精神)が在る。そして、人間という「個体」が危機に瀕する際は、必ず「身体と心(精神)」の境界線の問題としてあらわれて来るのである。
 何故なら、吉本隆明が指摘するように、「個体性の哲学にとってもっとも中枢をなす課題は、身心相関の境界領域の問題である」からだ。自己自身の身体と心(精神)の境界線ですら、いまや私たちは危うい地点にいるといえる。何故なら、「波打ち際のこちら側とむこう側」の区分が、いつ崩壊しないともかぎらないからである。
 このような様態でしかない私たちの存在に対して、「世界の修復」といった概念を処方箋として用いようとする連中がいる。この「世界の修復」という考え方は、七〇年代以降、世界的に拡がったエコロジー運動から派生して来たものであるが、「修復」という言葉自体が「壊れたもの・破損したものを補修・補繕して、元のように戻すこと」を指し示すように、しょせん「付け焼き刃的」な解決を示すものにすぎない。
 つまり、「世界の修復」という概念は、破壊された自然環境の保護や、また不公正な社会環境の改革・改善においては有効であっても、文学や哲学においては、なんら根本的な解決を示すには至らない概念といえる。何故なら、すでに壊れた存在でしか私たちを、どう修復しようというのか。確たるものを何一つ持たない、存在論的奇形ともいうべき私たちを、どう修復できるのか。「付け焼き刃的」な処方箋で、どうにかなる問題ではないのである。  
 結局のところ、「修復」などという言葉は、文学においてはしょせん「修辞」的な言葉でしかないのである。「修辞」で、人間存在が救えるはずもない。個人としての思想を持たない日本人の多くは、すぐに外来の思想に飛びつく傾向にあるが、あさはかなことである。
 なお、乱雑に自然環境を破壊し、資源を浪費して来たのは、コマーシャリズム(商業主義)に煽られて欲望を肥大化させ、物質的な豊かさを幸福だと勘違いして来た、私たち自身の在り方そのものに要因があり、私たち自身が、根本的に生活の在り方を変えなければ解消されないだろう。 
 物質的な豊かさに溢れてはいても、私たちは相変わらず「不安」のただ中にあり、あたかもその「不安」に追い立てられるかのように、親子・夫婦・恋人同士の殺し合いが今なお続き、これからもまだまだ続くだろう。
 救いがたい私たちの存在そのものを、形象化しようとした詩人がいる。次の詩は、戦争前の昭和七年に刊行された丸山薫の詩集『帆・ランプ・鴎』および昭和十年刊行の詩集『鶴の葬式』などを含む、自選総合詩集の『物象詩集』に収録されている。

  闇 丸山薫

 ランプを闇に点すと
 ランプは叫んだ
 ――むかふの闇が見えない 見えない

 むかふの闇に置くと
 また叫んだ
 ――いま居た所が暗くなつた 暗くなつた

 この詩は寓意性が強く、詩の内容をどう受け取るかは、読者の解釈に委ねられている。この詩を、読者はどんなふうにも読めるし、どんなふうに読んでもいいのである。
 詩句の「闇」という言葉は、先の見えない社会の閉塞感をあらわしているといえるし、また、個人の存在が「闇」に覆われた不安な情況にあることをもあらわしている。多様な解釈が可能であるが、この詩は、どうにも対処しようのない、この不条理な世界における自己の在り様について考えさせる。
 丸山は、こうした《寓意詩》とでもいうべき作品を、我国にもたらした詩人といえる。次の詩もそうである。

  挿話     丸山薫

 蝙蝠が帆に捲き込まれ
 帆は帆桁に括られたまま
 風が出なかつたので
 いつまでも展かなかつた
 ――あれからどうしたらう?
 舷燈がそんな独り言を云つた

 蝙蝠が帆の中に捲き込まれたが、風が出ないので、帆は帆桁にくくられたまま、いつまでも開かれなかった。それゆえ、帆の中に捲き込まれたあの蝙蝠は、「あれからどうしたらう?」というのがこの詩の内容であるが、これは表面上の解説にすぎない。
 こうも読める。例えば、建設現場や工場で、誰かが機械に捲き込まれる事故が発生して、その人が大ケガをしたことを案じている暗喩として読むことができる。あるいは、個人的に何か出来事が生じ、それを気に病んでいる姿とも読めるのである。
 「あれからどうしたらう?」という言葉が、この詩の核心であるが、それは作者の不安感を示すと共に、〈呟き〉をもらすほかない作者の〈生〉の在り様をあらわしている。 
 丸山は、一つの〈事実〉――「蝙蝠が帆に捲き込まれた」という〈事実〉から詩を書いている。そして、その〈事実〉を、私たちの前に寓意的にポンと投げ出しているのである。 
 彼の詩法は、対象を形象化することにあるが、彼の視線は〈自己自身〉をも形象化する。

  鴎が歌つた   丸山薫

 私の姿は私自身にすら見えない
 ましてランプや ランプに反射してゐる帆に見えようか?
 だが私からランプと帆ははつきり見える
 凍えて遠く 私は闇を廻るばかりだ

 詩句の「私の姿は私自身にすら見えない」とは、〈私の存在(実在)〉は私自身にも捉え切れない、という意味に取れる。「ランプ」および「ランプに反射してゐる帆」という言葉は、何の暗喩であり、かつ何を象徴するのか。その解釈は多様にありうるが、もちろん、詩句のとおりに、「ランプ」であり、「帆」であっても少しもかまわない。 
 冒頭の詩句「私の姿は私自身にすら見えない」という言葉に関連づけて読めば、「ランプ」を対象物、「ランプに反射してゐる帆」を対象物に反映しているもの、として解釈することができる。「私」からは、対象物や対象物に反映しているものは「はつきり」捉えられるが、それらから「私」を捉えられようか、と作者は懐疑的に考えている。
 そして、彼の〈生〉は、自己自身を捉え切れぬまま、凍えて遠く「闇」を廻るばかりなのである。だが、そのことに、作者の不安感はない。そうした自己自身でさえ、作者はいやに冷静に見つめている。というより、これは自己の実在の形象化を図っているというべきであり、これが彼の詩作品の特徴といえる。

  砲塁     丸山薫

 破片は一つに寄り添はうとしてゐた
 亀裂はまた頬笑まうとしてゐた
 砲身は起き上つて
 ふたたび砲架に坐らうとしてゐた
 みんな儚い原形を夢見てゐた
 ひと風ごとに 砂に埋もれていつた
 見えない海――候鳥の閃き

 この詩を、萩原朔太郎が次のように絶讃した。
 「悲しい歌だ。絶望的な詩だ。僕はこの詩をよんで感動した。これほどやるせない思ひをしながら、この詩人が尚生活して居られるのは、その『原形』に帰ろうとする、イデアの儚い意志と希望があるからだ」(『丸山薫と衣巻省三』) 
 破片、亀裂、砲架から外れた砲身・・それらは、元の形から壊れたものを暗喩する。それゆえ、それらは「儚い原形」を夢見て、破片は一つに寄り添おうとし、亀裂はまた微笑もうとし、砲身は再び砲架に戻ろうとするのである。 
 このとき、「儚い原形」とは何であろう。かつて在ったあるべき形とは、どんな〈形〉だろうか。しかし、全ては元の原形に戻ることもなく、ひと風ごとに砂に埋もれてゆく。これは、存在が風化してゆく暗喩といえる。そして、作者の心には、見えない海と、候鳥(渡り鳥)の閃きがあるばかりなのである。
 この詩を「悲しい歌だ」「絶望的な詩だ」「やるせない思ひ」として感じるのは、萩原の感傷をあらわしているが、丸山はこの作品で、失われたものの形象化と、自己の心情の形象化を図っているのである。丸山にとっては、〈対象〉を形象化することが〈詩〉なのである。萩原が感じたほど、丸山自身は感傷に溺れてはいない。感傷に溺れるような精神では、対象の形象化など図れるはずもない。
 丸山は、幼年時代より海への憧れが強く、東京高等商船学校に入学した経緯を持っている。『帆・ランプ・R=xという詩集の題名も、そんな彼の嗜好から来ている。広大な海原に憧れる者にとっては、日本的情緒に溺れた心情など、しみったれた湿潤な世界でしかなかったに違いない。
 丸山自身が、自らの詩作についてこう述べている。
 「詩は一にも二にも体当りで書いてゆくべきである。ポエジーの核心に在るものは詩人の内部を走り抜けた言外の感動だからである。つまりてんで言葉になり得ないものを書いているのだから、その『なり得ない』空洞の部分をそのまま、作者の胸から読む側の胸へ受け取ってもらうよりほかに手はないのである」
 「私の詩はすべて自分の生存の寂寥感の所産らしい。物象に直面した時に特に強く生を感じる」( 『詩というもの』)
 彼の場合、〈言葉になり得ない空洞の部分〉に、彼自身の生存の寂寥感が巣食っているといえる。そして、彼が感じていたこの「寂寥感」とは、いわば絶対の孤独ともいうべきものであり、何の拠り所もない〈生の地点〉にたった独りでいる者としての意識である。そして、この孤独感は、個我意識が抱える孤独感ともいえる。
 序章で、私たち日本人の自我意識が、「無意識から独立した存在として確立されていない」という河合隼雄の言葉を取りあげたが、この「無意識」には、潜在化した「村的意識」(共同体意識)も含まれている。このことは、私たちの自我意識が意識下において、「村的意識」(共同体意識) とつながっていることを意味する。丸山は「個」であるがゆえに、それからも切り離されているのである。 
 彼は、詩『孤独者の犬』で次のように書いている。
 「僕は孤独なるゆゑに/愛し愛される友をもたない」と。 
 「村的意識」からも切り離されている彼は、友すらなく、本当に独りぽっちなのである。一度きりの人生で、友すらいない〈生〉とは何であろう。これは堪えがたいことである。だが、堪えるほかない。何故なら、彼が感じている孤独は、人間の〈うわべ〉を剥ぎ取った、生きてある存在の〈実相〉を示すものだからである。  
 人間は、本来独りぽっちであり、独りで死んでゆく存在である。このことは、誰もが一度は気づくことである。しかし、私たちはふだん、それを考えないようにし、見ないようにして生きている。それは恐ろしく、耐え難いからである。そして、何の変哲もない日々に明け暮れ、日常に風化してゆくのである。

 とはいえ、私たちは、この何の変哲もない日常の中で生きて行くしかない。せせこましい社会の中で、今日もあくせく生きるほかないのである。
 それが私たちの生きてある実情(実態)であるが、そんな日常の中で、私たちの近代的な自我意識の不安も、様々な局面にあらわれて来る。とりわけ、人間関係の中で、ふいにあらわれたりする。

  女房どのの名前    清岡俊一

 結婚したての頃、
 ふとしたひょうしに
 別のひとの名前で呼びはしまいかと
 ひどく心配したことがあった。

 もしかしたらボケになる頃、
 ふとしたひょうしに
 別のひとの名前で呼びはしまいかと
 ひどく心配しそうになることがあった。

 父が病院で、
 聞いたことのないひとの名前を
 口にした日だ。

 この詩は、詩誌『南方手帖』六七号に発表された。ここには、近代的な自我意識の不安が描かれている。  
 作者はかつて、病院にいる父がボケることによって、母親の名前ではなく、「聞いたことのないひとの名前」を口にするのを聞いてしまう。それは、彼が、父親が隠し持っていた秘密(罪)を知ってしまったということである。
 ところが、作者もまた、父と同じような秘密を隠し持っていて、その秘密を「ふとしたひょうし」に、あるいは将来、父と同じようにボケることによって口にしてしまい、妻に知られてしまうのではないかと、「ひどく心配」するのである。これは、〈罪の意識〉といえる。
 秘密を持っていること自体が、妻への負い目であり、知られてしまえば、当然、妻との間に何らかの騒動が持ち上がることを覚悟しなければならない。たとえ、それが昔の女であったとしても。そういう不安と怯えを、作者は抱えているのである。
 だが、この「ひどく心配」する不安と怯えは、意識の深いところから上って来ている。それは、かつて父が秘密を口にしたとき、それまでの「父と子の絆」に暗い影(心理的な傷)が落ち、親子の絆そのものが、もう元のようではなくなってしまった。それと同じように、もし妻に彼の秘密が知られてしまえば、当然「夫婦の絆」にも暗い影が落ち、もう元のままではいられなくなるだろう。それが、〈罰〉であり、その〈罰〉への恐れこそが、不安と怯えの深い理由といえる。
 この作品は、短い詩句の中に、作者が隠し持っている秘密がもたらす〈罪〉の意識と、将来的に起こりうるかもしれない〈罰〉(秘密の露見による夫婦関係の破綻)への恐れが、的確に捉えられている。
 この詩は、それだけの内容にとどまらない。
 父がボケて秘密を口にしたとき、見慣れたはずの父の顔に、見知らぬ一人の男の顔(他者の顔)を、作者は眼にしたといえる。父の秘密を知って、子である作者は少なからず驚きとショックを受けている。その驚きとショックの内実には、父の秘密を聞いてしまったということのほかに、「父が他者になった」ということが含まれる。
 作者は、〈子の意識〉で父と接して来た。しかし、父が他者となることによって、その意識を排除されてしまい、作者自身もまた、息子としてではなく、一人の他者として、父という他者と接せざるをえなくなったのである。
 もはや、作者は、かつての「父と子の関係」ではいられなくなったのである。何故なら、彼は、かつての「父と子の関係(肉親の関係)」から、「他者と他者の関係」を否応なく意識させられ、それは「他者と他者の関係」へと追いやられてしまった、といえるからである。
 おそらく、作者は、表面的には、従来どおり〈子〉の役割を果たし、〈子〉の顔をして、従来どおりの「父と子の関係」を続けているだろう。だが、自己の内部から、父を他者として見る視線を、もはや払拭することはできない。彼は父を、絶えず二重の視線(肉親としての父を見る視線と、他者としての父を見る視線)で、見なければならなくなったのである。
 そして、それは、彼が父を一人の他者として見る度に、彼自身をも、一人の他者として見なければならなくなったことを意味する。これこそが、「個我意識」であり、「父も他者、自己も他者」という関係の中に、それぞれが初めて「個人」として登場して来るのである。
 「個我意識」を持つことは、人間が孤独な存在であることを認識することでもある。他人を、一人の他者として見るということは、「自分とは異なる意識」を持つ存在として認めるということであるが、それは自己の内部においても、自己自身を一人の他者として見るという視線がなければできないことである。そうでなければ、「他者対他者」の関係は成立しない。
 何故、日本人の多くは、相手を他者として見、なおかつ自己自身をも他者として見るという意識の在り方ができないのか。それは、この意識の在り方が、必然的に孤独感を伴うからである。それゆえ、個我意識を持てないということは、この孤独感に耐えられないことを意味する。    
 個我意識はいつも、自己自身との関係に、また他者との関係に、〈距離〉を認識せざるをえないが、そのとき疎外感を生じる。この疎外感は、自己が一人で存在することの苦痛と不安感を伴うが、その苦痛と不安感に耐えようとするとき、孤独感が生じるのである。個我意識と孤独感は、いわばワンセットになっていて、孤独に耐え得ない精神では、個我意識もまた持ちようがないのである。
 ところが、我国においては、潜在化した旧来の村的意識にむすびついた自我意識しかなく、各人が自己の内部において個人主義を持っていない。周りにいるのは仲間(相互依存の関係)であって、決して他者ではなく、また相手を他者としては見ない。このため、個我意識は生まれようがなく、個人であることもありえないのである。
 清岡俊一は、西洋的な個我意識を持っている日本人といえる。個我意識がなければ、こういう詩は書きえないからである。この詩には、明らかに〈罪〉の意識と〈罰〉の意識があり、彼の不安もそこから来ている。そこが、前出の三好豊一郎の書いた存在的不安とも、また丸山薫の寂寥感に満ちた孤独とも異なっている。私には、清岡俊一がどのようにしてこうした個我意識を持ちえたか、興味のあるところであった。    
 というのも、通常の日本人は、個我意識を持ちうる以前に、前章で取りあげたヤマモトリツコの詩『欲』のように精神を退行させるか、あるいは中原中也の詩『聞こえぬ悲鳴』のように溶解して行くか、または形成される途中で、孤独感に耐えられず、従来の村的自我意識(あるいは民族的な伝統的世界)へ回帰してゆくのが常だからである。
 知りえた情報では、清岡が化学者であること、アメリカ・カリフォルニアのバークレーにいたことがあること・・といった事実がある。この二つの事実によって、納得できることがある。彼は化学者であることによって、相対的な視点を学び、アメリカに在住することで、日本人とは異なるアメリカ人という他者の中で生活した経験を持っているということである。彼は必然的に、相対的意識・他者意識を持たざるえない環境にあったといえる。
 この詩は、父と子の二代にわたる〈罪と罰〉を、「現在、将来、過去」という時間構成の中に、短い詩句で端的に描き出した、あたかも一篇の小説のごとき内容を持つ作品であるが、ここには、比喩(直揄、暗喩)がいっさい使われていない。象徴主義的な手法はいっさい排除されており、前章で取りあげた、ヤマモトリツコのイメージによる暗喩に満ちた詩とは対象的である。
 清岡自身が、自作についてこう述べている。
 「わたしには詩の発心の原核に現実を置く。シュールレアリストがよく用いる手法で詩を書かない。使用する言葉の持つ本来の意味をその通俗性で尊重し、その総和としての詩をメタファー(暗喩)とする」(『南方手帖』七一号) 
 この言葉は、彼が詩作する上で、〈事実〉から出発していることを語っている。作品全体が、一つの暗喩ではあっても、言葉の一つ一つは〈修辞〉ではないのだ。このことは、イメージを先行させることで、日本語の持つ情緒や雰囲気に溺れることを、彼は排除しているといえる。    
 また、彼の文体は散文に徹しており、あえて言えば〈小説〉的である。これは、戦後、『荒地』派が示した散文空間の地平であり、相対化された世界における、詩の在り方の一方向を示すものである。そして、それを可能にしているのが、まさしく彼の個我意識なのである。

 多くの日本人はこれまで、日本的な「村的自我意識」に寄りかかったまま、本音と建前を使い分け、周りに自己を合わせることに腐心して生きて来た。それはそれで、日本人同士の間ではうまく機能していたのであるが、戦後以降、民主教育を受け、アメリカナイズされることで、かつての「村的自我意識」を失い、個人主義の意味も分からないまま単なる利己主義に陥って、倫理観すら失ってしまった。 
 国際化ということが言われ、外国人という他者と付き合うようになっても、今なお、個我意識を持てないまま、考えるより先に日本的情緒に溺れ、雰囲気に飲まれて、言葉の〈修辞〉のみにあくせくするばかりで、自らの〈生〉すらろくに描けないありさまである。
 個人でないがゆえに、〈個人としての思想〉もあるはずがなく、いまだに外来の思想に飛びつき、うわっつらの模倣をくり返すばかりである。私たちは、いったいいつまでこんな滑稽なことを続けるのだろうか。
 次にあげるのは、「きれい事」「うわっつら」しか言えない昨今の幼稚な精神とは無縁な、独自の視線を持ちえた数少ない詩人の一人である。

  大漁       金子みすゞ

 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の
 大漁だ。

 浜は祭りの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう。

 金子みすゞの作品は、全て童謡として書かれたもので、詩句も七音・五音の七五調で構成されている。ここでは、詩として扱う。
 この作品が特異なのは、浜辺では鰯の大漁に祭りのように沸き返っているが、しかし、海の中に視線を転じれば、人間に捕獲された何万匹もの鰮の「葬い」をするだろう、という視線にある。
 大漁に沸き返える浜辺の光景は、人間の側から見た歓喜の光景である。だが、鰮の側に立てば、それは仲間の死を意味するのである。この視線は、相対的な物の見方をした視線といわねばならない。    
 彼女の作品には、こうした相対的な視線で書かれたものが幾つか見られる。次の作品もそうである。

  野茨の花   金子みすゞ

 白い花びら
 刺のなか、
 「おうお、痛かろ。」
 そよ風が、
 駆けてたすけに
 行ったらば、
 ほろり、ほろりと
 散りました。

 白い花びら
 土の上、
 「おうお、寒かろ。」
 お日さまが、
 そっと、照らして
 ぬくめたら、
 茶色になって
 枯れました。

 この詩では、彼女の視線がよりいっそう明瞭となる。  
 そよ風は、刺の中の白い花びらが「痛かろ」と思って、駆けて助けに行く。だが、その結果、そよ風に吹かれて、花びらは散ってしまうのである。
 また、そよ風に散らされた土の上の白い花びらを、太陽は「寒かろ」と思って、照らして温めようとする。だが、その結果、陽光のせいで花びらは茶色く変色し、枯れてしまったのである。
 そよ風も、太陽も、どちらも善意でそうしたのであるが、白い花びらは、その善意によって死んでしまう。善意が、悪意にもなることを、この詩は語っている。
 これこそが、他者意識であり、相対的意識といえる。つまり、一つの物の見方を絶対化せず、彼女は鋭い批評意識で物事を見ているのである。このことは、女性においても、自己の感情(心情)や情緒に溺れず、外部世界に対峙できる視線(個我意識)を持ちうることを証明する。
 金子みすゞは本名をテルと言い、明治三十六年に生まれたが、二十六歳のときカルモチンを飲んで自殺した。
 彼女の略歴・年譜を見ても、科学者でもなければ、外国で暮らした経験もない。しかも、明治後期から昭和初期という家長制度の強い社会の中で、彼女は主婦として生きた人である。彼女は、こうした相対的な視線をどこで手に入れたのだろう。  
 彼女の学歴は、郡立大津高等女学校での高等教育のみである。彼女が童謡を書き始めたのは二十歳のときで、「みすゞ」のペンネームを使って、雑誌『童話』『婦人倶楽部』『金の星』などに投稿を続けた。『童謡』誌上で西條八十に認められ、以後、若い投稿詩人たちの憧れの的となったという。
 彼女が、相対的な視線を持ち得た理由として、唯一考えられることは、母親の再婚相手である上山松蔵の経営する上山文英堂書店の支店(西之端町商品館内)で、店番としてたった一人で働いたことがあげられる。彼女は、一人で店番をしながら、毎日毎日、本を読んでいたと思われるからである。
 童謡を書き始めるのも、それからまもなくのことであり、彼女の精神は多くの書物を読むことによって覚醒したと考えられる。書物を丹念に読むことによって、人間の精神は眼覚める。書物を丹念に読むことも、精神の〈体験〉だからである。彼女の場合、それ以外の根拠を見つけられない。
 こういう視線を持った彼女であるが、社会情況は個人として生きられる時代ではなかった。女性は、親の勧めるがままに結婚し、夫や舅・姑に仕え、家を守ることが最良の生き方とされていた。彼女もまた、親の勧めるがままに、上山文英堂に勤める男と結婚している。
 彼女の悲劇は、一つにはこの結婚があげられる。何故なら、夫は彼女に童謡を書くことも、雑誌の投稿仲間に手紙を書くことも禁じたからである。「もの書き」に書くなというのは、その精神を殺せというに等しい。
 こんな二人がうまくいくはずがなく、四年後、彼女は離婚し、そのあと彼女は自殺する。その際、三通の遺書を残しているが、そのうちの一つは夫に宛てたものである。その遺書の中に、次のような言葉がある。
 「あなたがふうちゃん(娘)に与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」
 この言葉は、二人が離婚した後、いったんは彼女に与えていた娘の親権を、元夫は急に気が変って、娘は渡さないと言って来たことに対してのものである。当時、子供の親権は男の側にのみあった。
 これは、夫に宛てた遺書というより、夫を激しく弾劾した言葉といえる。この言葉は、憎悪を超えている。自殺しようとする妻から、「あなたには心の糧がない」と言われることを想像してみればよく分る。  
 こんな夫婦関係でしかなかったことは、あまりにもやり切れない。例えば、離婚訴訟を起こした夫婦が、互いに罵詈雑言を吐くことはよくあるが、その方がまだましである。何故なら、憎悪とは情愛の裏返しであり、それは関係の深さをあらわす。相手への憎悪が生じるのは、少なくても相手と関わっていたからである。
 みすゞのこの言葉には、相手に対する情愛はなく、それゆえ憎悪すらない。夫を冷静に判断し、弾劾しているだけである。彼女の夫は、成り上り指向の強い人物で、おそらく彼女の言葉は彼には届かなかっただろう。この言葉を理解できる夫であれば、二人は別れることもなかったはずだからである。
 相対的意識を持っていたということは、他者意識・批評意識を持っていたということでもある。当時の社会で、しかも価値観の異なる夫と暮らしながら、彼女の自我意識は、どのように自己自身を捉えていたのか。
   

  蓮と鶏   金子みすゞ

 泥のなかから
 蓮が咲く。

 それをするのは
 蓮じゃない。

 卵のなかから
 鶏が出る。

 それをするのは
 鶏じゃない。

 それに私は
 気がついた。

 それも私の
 せいじゃない。

 泥の中から蓮の花が咲くのも、卵の中から鶏が生まれるのも、それぞれの生き物たちの生存の在り様である。だが、そのような在り方を、蓮自身が決めたわけでも、鶏自身が決めたわけでもない。
 私たち人間においても、光と水と空気が不可欠で、その上に、他の生き物を殺して食わねば生きて行かれないが、それを人間自身が決めたわけではない。生き物のこうした事象を、私たちは〈自然界の摂理〉という概念でとりあえず捉えているが、しかし、〈どうしてかく在るのか〉ということについては、本当には何も分っていないのである。
 この詩の注目すべき点は、蓮や鶏たちが、かく在ることについてそう決めたわけではないとしても、そのことに「気づいた」のは、彼女の意識である。しかるに、そう気づいたことも、彼女は「私のせいじゃない」という。
 そのことに、彼女自身が気づいたのではなく、〈気づかされたのだ〉という意識が彼女にはあったことになる。それは、蓮の花を咲かせ、卵から鶏を誕生させる、〈眼に見えぬ神秘的な力〉を指していると思われるが、このことは次のようにもいえる。
 みすゞには、「彼女自身を見つめるもう一人の彼女」がいたのだ、と。「私」が気づいたのではなく、何かに気づかされたのだと考えること自体が、自己を他者として捉える他者意識を反映している。
 他者意識とは、自己を他者として捉える批評意識でもあるが、彼女の批評意識は、自己自身にも鋭く向けられていたといえる。そして、彼女の自我意識は、この世界に、〈もっと深いもの〉を見ていた。

  港の夜   金子みすゞ

 曇った晩だ。
 ちいさい星がふるえふるえ
 ひとつ。

 さァむい晩だ。
 船の灯が映ってゆれて
 ふたつ。

 さみしい晩だ。
 海のお瞳があおく光って
 みっつ。

 この作品は、心象の光景を描いたものといえる。「曇った晩」「さァむい晩」「さみしい晩」という言葉が、彼女の孤独感を色濃くあらわしているからである。この孤独感のうちに、彼女は何を見ていたのか。
 「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」という数え方は、数え歌的発想であるが、数えている三つの言葉の内容は、暗喩として捉えられる。「震えているちいさい星」を〈彼女自身の存在〉、「映って揺れている船の灯」を〈叶わぬ憧憬(水面に映っている幻影)〉、「青く光っている海のお瞳」を〈得体の知れぬ存在〉、として読むことができる。
 この三つ目の青く光っている「海のお瞳」は、非常に無気味なものを暗示している。この「海のお瞳」は、彼女を見つめ返して来る、「もう一人の彼女の視線(他者意識)」ともいえるが、それだけではない。 
 この「海のお瞳」は、自然界の根源にあるもの・・存在の奥深いところにある、無気味なものを指



グイミジャム/片岡千歳

 初夏に灌木に小さく赤く実るグミのことを土佐では「グイミ」と言う。
 わが家の畠のある場所は、地名が「グイミ原」となっている。そして自分たちが植えた記憶もないのに、50坪ばかりの畠に、三本ものグミの木がある。いま丁度グミが赤く熟れる時期で、その実を比べてよく見ると、それぞれ木の種類は違うように思う。
 一本は実が特に大きく、「びっくりグミ」と言う種の木ではないかと思う。ほかの二本は、実の大きさで言えばほぼ同じで先の「びっくりグミ」より一回り小さい。そして、一本はいくぶん丸みをおびたグミだ。そしてこの木だけは、根元から細い幹が何本も伸びている。先の楕円形の大小のグミの木は、農具の柄などに用いられると言う、真っ直ぐな堅い材になるような木だ。
 このように狭い土地に、異種のグミの木が三本もあることも、グイミ原と言う地名に繋がっているように思えてならない。
 今年もグミが沢山実った。毎年二瓶ぐらいグミ酒をつくる。去年友人を連れて行って、一緒に楽しみながらグミを採り、彼女もグミ酒を作ったことだった。
 今年も誘ったら、腰を傷めたとかで、山へのあの坂道は無理だろうとのことだった。
 彼女の分もと思って、今年はいつもより沢山採ってお分けした。すると「今年はジャムを作ってみようかしら」と言う。
 私はいくら「びっくりグミ」と言う大きなグミでも、果肉の薄い皮だけのようなグミでジャムなんて思いつかなかった。でもその気で採れば三本もある木から大分採れる。私もやってみよう。
 思いついたら直ぐやってみたくなる私は、さっそく翌日また畠へ行った。
 木はどんどん伸びて高くなるので、鋸で枝を払ってグミを採った。ルビーの玉を連ねたように枝に光る赤いグミを、新聞紙を敷いた箱のなかに摘んだ。
 摘みながら、そのグミの美しさに見とれ、うっとり笑みがこぼれるのを感じていた。
 氷を入れたグミ酒にレモンを絞って味わう時と、同じぐらい摘み採る楽しさを味わっている自分に気がついた。
 小さな農園ながら、土の豊かさのもたらしてくれる喜び。いまさらながら購ってくれた夫に感謝して、ひとり遊びを楽しんでいる。
 大きく枝を払ったので、わが家で花瓶にグミの小枝をさしているように、近所の親しい人たちにも差し上げようと十本ばかり切って束ねた。花屋さんにも滅多にないグミの枝は、どなたにも喜んで頂いた。
 よく熟れたグミをホーローの鍋に入れて、少しだけ酒または、ホワイトリカーを入れ、弱火で焚いて置く。柔らかくなった実を、味マm翌ノ入れて、すりこぎで潰して種を除く。
 好みの量の白砂糖とレモン汁を入れて、ホーロー鍋でとろとろ煮詰める。
 枝で光って赤いグミも美しいけれど、さらに手を加えて味わう野山の味も楽しく、食卓を豊かにしてくれるように思う。
 初めてグミジャムを作って、色の美しいのと、思いのほか美味しく出来たので、まだ採り残していた高い枝のグミを採って、もうすこしジャムを作ろうと畠へ出掛けた。
 ところが、あの高い枝のグミはすっかり無くなっていた。誰か人が採ったにしては、よく持ち主が採ったことを知っていたことよ。と私は不思議に思った。
 仮に野山の生き物、鳥とか、小動物ならば持ち主より先に採ってはならない。などと考えてのことだろうか。
 私が作る予定をしていた、グミ酒とグミジャムが出来たのだから、後は山の生き物たちに残しておこう、と思っていた。だから何者が採っても構わなかったけれど、そのタイミングがあまりにどんぴしゃりなので、私は不思議でならなかった。
 庭に鳥が落としてくれた種で生えたグミの木があるというTさんに、そのことを話した。Tさんはそのグミで毎年ジャムを作るのだと言う。
 「鳥は一番美味しいときを知っているからそれは鳥たちの仕業よ」と彼女。私は納得した。
 そう言えば、高い枝を鋸で切って、よく熟れたグミだけを採って、まだ未熟なグミがいっぱい枝についているのを、落ち葉などを燃やす場所に置いていた。切られた枝で赤く熟れていたグミは、食べられていなかった。木になっている状態で熟れていないのは、いくら赤くなっていても美味しくないことを鳥は知っていたのだ。鳥は小さく可愛らしいが、更に賢いことも知らされたのだった。