最近、若い人の詩集をいただく機会があった。その中から2冊。

 31歳という近藤弘文さんは千葉出身で、高知に来て5年ぐらいになる、と言っていた。

 初めての詩集『夜鷹公園』(ミッドナイト・プレス刊)から「狐の嫁入り」を転載する。といっても、近藤さんの詩はとても長くて全文転載できないので、後半部分だけを。

 

  わたしたちは

  わたしたちのミルクがほしい

  洪水のような憎しみや

  ちぎれたシッポの

  かすかなおびえしか記憶にない

  のです

  は

  ぎしりしている野原の

  どこかで

  嫁いでいくのか

  ジョバンニ

  太陽のなかに雨が降っていた

  あなたは

  いつも約束をわすれる

  穴があくほど

  みつめてやりたい

  のである

                (中略)

  太陽のなかに雨が降っていた

  わたしたちは棒きれで

  そこいらをたたいてまわる

  水びたしの

  ずだ袋をさげて

  すこしくらい声がもれても

  気にしないのだ

  ジョバンニ

  ミルクはまだかい

  靴のようなかたちをみている

  梨でも

  いいのであった

  ほっとけばいいものを

 

  あなたの櫛

  のすきまからきこえる汽笛を

  骨のうちがわにしずめて

  ください

 

  野原にうち捨てられたロッカー

  のなかで

  待ってます

  さよなら

  水たまりの反射

  に足を踏みいれると

  狐たちが

  いっせいにこちらを見る

 

 タイトルの『夜鷹公園』の「夜鷹」は宮沢賢治の『夜鷹の星』からきているのだろうか。詩本文のなかにはジョバンニの名がある。宮沢賢治の有名な小説『銀河鉄道の夜』の登場人物だ。

 『夜鷹の星』は仲間の鳥にいじめられて、ついには夜空高く舞い上がっていき、星になる夜鷹の話で、『銀河鉄道の夜』はいまさらあれこれ言う必要はないだろう。ジョバンニとカムパネルラの孤独な物語だ。

 詩のタイトル「狐の嫁入り」とは、狐火が闇夜に連なっていること、あるいは、日が照っているのに雨が降るときのことで、人間に見られたくない狐の嫁入りを人の目に晒したくない謂いだろう。

 ぼくはあまり宮沢賢治には詳しくない。一通り読んだだけだから、自分勝手な読みをしているかもしれないが、賢治は、世界が幸せにならなければ自分も幸せになれない、というようなことを言っていたのでは。

 この平成の時代、31歳の近藤さんにとって幸せとは何なのだろう。

 夜鷹の孤独、ジョバンニの孤独、近藤さんの孤独。

 テロと閉鎖の時代、「洪水のような憎しみや、ちぎれたシッポのかすかなおびえしか記憶にない」時代に、憎悪や無関心や殺戮の連鎖は、近藤さんには耐えられるものではないような気がする。

 それは、太陽のなかに雨が降るという屈折した感情を持っている世間のなかで、私が生きている唯一の根拠になってほしいたった一人の「あなた」は、いつも約束を忘れてぼくを悲しませている。その約束は、ミルクを買ってくるというような、ささやかな約束だったような気がするが、でも、約束って何だったのだろう。この世間を強く生きていこうという途方もない約束だったのだろうか。それとも、自分のことはどうでもいいから誰かの役にたとうという強い約束だったのだろうか。それとも非常に個人的なことで忘れてしまうにふさわしい弱い約束だったのだろうか。

 それでも近藤さんは野原にうち捨てられたロッカーのなかで「待っています」。たとえ、世間が「いっせいにこちらを見」たとしても、近藤さんは「さよなら」を言いつつ「唯一のあなた」を待とうとおもっている。

 それが、たぶん、近藤さんの生き方なのだろう。自分も、あなたも、約束も、世間も、まだ、一歩も踏み出せない位置にいるのだが、いつか、踏み出せるだろう、と。孤独にもそれぐらいの力はあるだろう、と。

 近藤さんの、孤独に生きていく力、のようなものが決意されている一篇だとおもう。

 

 『植星鉢(ぷらねたぷらんた)』(土曜美術社出版販売)の(はやし) 木林(きりん)さん(面識がないので年齢は分からないが若い女性だそうだ)は絵本など書いている人で、「うにまる」というペンネームで現代詩を書いていて、2004年に詩のボクシング全国大会優勝の経験があり、その他数々の受賞歴があるらしいが、詩集としての一冊の本としては今回が初詩集ということだ。

 林さんのこの詩集の中で一番いい詩は巻頭に置かれた「夕焼け」という詩だとおもう。

 「私の体じゅうを流れているのは/もしかすると夕焼けで」「いつどこを私が歩いていようとも/未来の私の記憶の中を駆け巡っているだけだ/何十年後の私の脳裡に/広がるであろう朝靄の中を/未来の私の/もしかすると晴れることのない深い霧の中を/体じゅうを駆け巡る赤い血の夕焼けの中を」「血の巡りのように世界じゅうを流れている/夕焼けがあるから/世界が生きているのだとわかる」

 と、夕焼けのなかに抱擁されている私と、私のなかに抱擁している夕焼け、の高揚感のなかに生存の喜びを見いだしているこの詩の、時間と空間を巻き込んだ自在な思惟力は魅力的だった。

 が、この誘惑的な一篇はいろんな人が触れるとおもうから、ここでは触れない。集中から「秋晴れの朝に」を転載する。

 

  いいお天気だから

  窓をあけて

  向かいの家の窓ガラスに映った隣の家の窓ガラス

  に映っている斜め向かいの家の窓ガラス

  に映っている小さな青空を覗き込む

  そこがもしも水槽ならば

  その中を海だと信じて落ち葉は泳ぐのだろうとおもう

  そうすれば尾ひれがついてどこまでもいけるようになるのだから

 

  今日 私の青空は

  向かいの家の窓ガラスに映った隣の家の窓ガラス

  に映っている斜め向かいの家の窓ガラス

  に映った小さな青空を覗いている

  君のめがねのレンズに映った空豆ほどの青空

 

  そこがもしも海原ならば

  その中を水槽だと気がつきながら私は海だと信じようとおもう

  そうすればどこへももうかえれなくなってしまえるのだから

 

  秋晴れの空は

  波の色をしてどこまでも私の胸の中に渚をたなびかせてくる

  いまはもう白と青と透明しか持たない万国旗のように

 

  すすけてもくたびれてもその透明に洗われて

  私たちはもう何度でも生まれ変われるのだ

 

  秋晴れの渚

  稲穂の色をしてどこまでが私の腕の中に抱きかかえた

  海なのかまだわからない

  飛び込むこともできるよ

  でも

  見ているだけがいいんだ

 

  ここがもしも君の?の上だとしても

  私は踏みしめるしかないのだから

 

 秋晴れの朝、林さんは「窓をあけて向かいの家の窓ガラスに映った隣の家の窓ガラスに映っている斜め向かいの家の窓ガラスに映っている小さな青空を覗き込む」と言っている。その青空は、「向かいの家の窓ガラスに映った隣の家の窓ガラスに映っている斜め向かいの家の窓ガラスに映った小さな青空、君のめがねのレンズに映った空豆ほどの青空」だと言っている。

 「青空」が重層性を持って描かれている。というか、世間はそのような策略を持って林さんの前に現れている、と言ってもいいだろう。

 林さんは目の前の青空ではなく、何枚ものガラスを経た青空を覗きこんでいるし、その青空が水槽なら、落ち葉は泳ぐだろうし、青空が海原なら、水槽と気づきながらも海だと信じよう、という林さんは、「どこへもいけるようになる」し「どこへももうかえれなくなってしまえる」──そんなふうに世間に齟齬を感じながら生きている林さんは、世間の策略に身を委ねているふりをして、重層的な構造を持たなければ世間でなくなっている世間を、「飛び込むこともできるよ/でも/見ているだけがいいんだ」と距離をとりながら、だからといって、自分というものを粗末にすることもなく、「ここがもしも君の?の上だとしても/私は踏みしめるしかない」という覚悟とともに(と、つい気張ったことを書くのはぼくの悪いクセだが)今日という秋晴れの朝を生きている。

 ぼくたちの日常は、ときとして、?っぽい感傷にとらわれている時がある。

 真実だとおもっていたことがさして真実らしいことでもなく、粗末にしてきたものが急に輝き出したりするときがある。どうして、世界は、そんなふうにぼくたちに揺さぶりをかけて楽しんでいるのだろう、とおもうときがある。

 ときどき、自分という存在は、とてつもなく大きなもののごく一部でしかない、という安心感を得るときもあれば、世界の存在は自分を抜きにして語れない、と不安に駆られるときがある

 しかし、たおやかに、と言っていいだろうか、林さんは、世間に齟齬を感じながらも、それらを懐にたたんで、自らの穏やかな生をたおやかに(ゝゝゝゝゝ)紡いでいるような気がする。この一冊は林さんのそのたおやかさ(ゝゝゝゝゝ)が際立っている。

 

 10月19日、自由民権記念館へ『カインの末裔』(奥秀太郎監督、2006年)を見に行く。

 カインとは聖書に出てくる弟殺しの兄の名前で、妬み、憎悪の象徴で、人類はこのカインの末裔であるとされている。聖書では、それらを踏まえ、罪深い心を持つ人間にたいして信仰の大切さを説いている、といわれている。

 そんな『カインの末裔』である。おまけにキャッチコピーが「サカキバラがたどり着いたのはアサハラが治めている街だった」。行こうか行くまいか迷った末、出かけてしまった。ああ、である。

 奥秀太郎という監督は初めてだった。

 母親殺しで医療少年院に入っていたムナカタという青年が、戦後日本の経済成長を象徴する工業都市、川崎に来るところから映画は始まる。

 この映画は川崎という街が、川崎という日本の戦後が主人公のようなところもあったので、川崎という街に住んでいればもっと別な見方ができただろう。

 石灰が舞い、トラックが唸り、路上駐車の車の中ではカーセックスしているような街にたどり着いたムナカタは小さな電器部品工場で働きはじめる。

 仕事は電器部品のハンダ付け(たぶん少年院で職業訓練を受けたのだろう)。下卑た同僚や外国人の同僚と共に仕事にも同僚にも馴染むことなく毎日が繰りかえされる。

 ムナカタが住みつく3畳ぐらいの部屋のTVは画面が不鮮明で何が映っているか分からないTVだが、音声は常に事件事件で、人が殺されつづけているというナレーションが繰りかえされている。

 そこに、近所の教会の牧師の娘が「コミュニケーションをとりたいんです」「日曜学校に来ませんか」と頻繁に訪ねてくる。ムナカタは相手にしないのだが、娘は無邪気に同じ言葉を繰りかえして訪ねてくる。

 一方、牧師は教会で説教しながら、ムナカタに拳銃の密造を持ちかける。犯罪者は犯罪者からのがれられない、ということだろうか。

 その拳銃はTVのリモコン型をしており、ボタンを押せば、娯楽が映し出されると共に、それが殺人兵器になる。このへんはアイロニーがないではないが。

 拳銃作りの仕事を始めたあたりから物語が大きくうねりだし、母親にも似た年上の女とのセックス(母親殺しも、母親のセックス狂いが原因というようなカットバックがある)を契機に、喘息を患っていた工場主の死、年上の女一家の死、工場主の孫の死、とたたみかけるような死がつづき、孫の事故死の責任を問われたムナカタは、工場主の息子夫婦、従業員、牧師、牧師の娘らに見守られながら、拳銃で撃ち殺されてしまう。

 というよりか、死を享受した、というべきかもしれない。ムナカタには積極的に生きていく理由なんか何もなかったのだから。

 死を前にしたムナカタにむかって牧師はこう言うのだ。「(しゅ)の仕事はおおざっぱだ。煙に覆われた川崎に神はいない」

 この世の現象、すべて、「主」の仕事だとはおもわないが、ぼくら人間の仕事は、すべて、「おおざっぱ」かもしれない、とこのセリフだけは感心して聞いた。

 ルートヴィヒ・フォイエルバハ(宗教哲学者)なら、きっとこう言うだろうが。「人間は自分の像に似せて神を創造した」のだし、「神の立場はいつもまた人間の立場であり、むしろ神の立場がそもそも人間の真実の立場である」だと。

 とにもかくにも、暗く陰湿な感情が全編を覆っていた映画だった。

 登場人物全員が、悪意によって生かされているような設定で、アサハラに治められている街だとしたら川崎は「情愛を遮断した」街、とでも言いたかったのだろうか。古田新太、田口トモロヲ、内田春菊などが濃厚な演技をしていたが、それも度を過ぎると興ざめしてしまう。

 それらのなかで一人だけ、この映画のためにオーディションして発掘したという楊サチエという牧師の娘役だけが、「コミュニケーションをとりたいんです」「日曜学校に来ませんか」と笑顔いっぱいだったが、演出の意図がどうなのかは知らないし、新人すぎて演技が未熟なせいなのかどうかも知らないのだが、あまりにも?っぽすぎて興ざめしてしまった。作り笑顔、というのはこんな笑顔をいうのだ。女にこんな笑い方をされたら敵意すら感じてしまうのでは。

 映画後半、孤立無援となったムナカタが、「コミュニケーションをとりたいんです」「日曜学校に来ませんか」と笑顔を見せる娘に「裸になれ」と命じて、少女は素っ裸になるのだが(陰毛を見せてもいい年齢なのだろうか、と変な心配をしたが)、そのときの凍りついた顔が、この少女の本来の顔なのだ、と思わずにはいられなかった。

 ムナカタが殺されるラストシーンではこの少女は灯油入り(?)のポリバケツを持って処刑を見守っている。殺したあと焼却処分にでもするつもりだろうか。ピクニックのあとに出たゴミを燃やすかのように。

 このシーンのこの少女の顔がこの映画のテーマだとしたら、この監督はたいしたものだ、とおもったが、きっと違うだろう。少女はあくまでもアサハラの街≠フ善意≠フ象徴だろう。

 そう、みんな?なのだ。

 この映画はそれだけを言っているような気がした。

 日本の高度成長も。それを支えたという川崎の小さな町工場も。そこで働く人たちも。牧師が教会でする説教も。その娘が信者を獲得するために語る言葉も。銃の密造も。サカキバラだアサハラだと大騒ぎした世間も。いや、人が生きていることすら、?なのだ。

 それはそれとしても、この映画は、なにを根拠にサカキバラやアサハラなどと扇情的なコピーを流すのだろう。この映画のどこにもサカキバラやアサハラはいなかった。

 たしかに、誰も、確信を持って、自分の存在を主張できないだろう。生きていることさえ?だと思えるときがある。この不安と不信と虚無と絶望、たぶんに、のっぺらぼうなこの日本に重ねてみることができるとはおもうが、それがサカキバラやアサハラなどとどう結びつくというのだろう。

 

 話は変わるが、映画を見ながら、なにかに似ている、とずっと思いつづけていた。なにかに似ている。

 そうだ。花村萬月の『ゲルマニウムの夜』(文藝春秋・刊)に似ている、と思いついたのは帰りの車の中だった。

 罪を犯した少年。教護院。背徳の牧師。セックス。暴力。絶望。救いを求めないし、どこまでいっても救われない登場人物。ただ、この映画には『ゲルマニウムの夜』よりも乾いた悪意が横たわっているような気がした。この悪意を観客はどう消化すればいいのだろう。どう心の奥底に溜めればいいんだろう。

 

 先号、北海道のDさんが『蠍座』という札幌の映画館のリーフレットを送ってきてくれたと書いたが、今月もまた送ってくれた。

 ベルイマン特集は『沈黙』『鏡の中にある如く』はじめ6作品。あれもこれも見たいものばかりで、また、ため息が出た。

 ほほう、とつい声が出たのは、『性と愛のフーガ──神代辰巳と田中登の世界』と題して6本の上映。それも「2作セットで料金は1作と同じ扱いです。中休憩なし」という但し書き。

 映画界が斜陽化していった1971年から1988年までの17年間、低予算の、ポルノとは言えないポルノ映画が量産された。いわゆる「にっかつロマンポルノ」と呼ばれるものだ。

 良質なものもあれば、見るに耐えないようなものまで、様々な映画が量産された。大仰な言い方をすれば、日本映画の再生が試されていた時代だったとおもう。しかし、日活一社だけの力だけではどうしようもなかった、というところだろう。

 「にっかつロマンポルノ」出の監督は多い(ロマンポルノだけで終わってしまった監督もいるが)。

 いま、ざっと思い出せるだけでも、初期の小沼勝、西村昭五郎、中期の藤田敏八、曾根中生、後期の中原俊、金子修介。今をときめく井筒和幸もいる。それらのなかでも、光っていたのはやはり神代辰巳と田中登だった。

 『蠍座』ではそれぞれ3本ずつの上映だが、上映作品のなかでいえば、神代辰巳では『赫い髪の女』(1979年)、田中登では『実録・阿部定』(1975年)が印象に残っている。両方とも宮下順子が主役を張っている。

 『赫い髪の女』は中上健次の小説『赫髪』が原作。脚本が荒井晴彦というのは、あとから知ったことだったが。また、山谷初男が編み物をしているオカマ役で出ていて、奇妙な存在感を出していた記憶もある。

 トラック運転手と素性の知れない赫い髪の女がただただ、セックスを繰りかえすだけの作品だ。それは『実録・阿部定』も同じで、来歴も分からない男と女が四畳半の部屋に引きこもって、ただただセックスを繰りかえす。

 まあ、男女の絡みシーンがなければ商売にならない映画なので、すべての映画、意味もなく裸のシーンが出てくるが、いい映画はその絡みが観客の私生活を揺さぶりはじめる映画だとおもう。

 他者を求めながらも、永遠にわかりあえることのない飢餓感、焦燥感、脱力感、絶望感、あるいは、無意味な肉体、無意味な他者、無意味な自己、そんなものが画面に焼きつけられた映画なのだ。(そんなもの50本に1本ぐらいの割合でしかなかったのだが)

 『蠍座』のリーフレットには座主だとおもうが、田中次郎という人が上映作品の解説を延々と書いていて、この人の映画への思いがずんずんと伝わってくるのだが、今回、ロマンポルノの総括でこう書いている。

 「今回紹介した作品を見てなんら心を動かすものがなければ、その人にとってはロマンポルノなどしょせん縁なきジャンルの世界だったと悟っていいかもしれない」

 とは言うものの、59歳になった僕が懐かしがって見る分にはいいかもしれないが、いまの若い人たちがこれらの映画を積極的に見ようと思うだろうか。観客が多く入ればいいのだが。

 

 10月27日、県人権啓発センターに森達也(フリーのTVディレクター)の講演を聞きに行く。演題は『放送禁止歌─メディアと人権─』

 森達也といえばぼくの中では『A』『ドキュメンタリーは嘘をつく』『放送禁止歌』の三点セットである。その森達也の肉声を聞きたい、と思い、出かけた。

 当日はまず、1999年に制作され、フジテレビで放映された『放送禁止歌』というTV番組(55分)が流され、森達也の1時間半ぐらいの講演。そのあと30分ばかりの参加者たちとの討論、という設定。

 講演内容は彼の書いた書籍と重なるところが多々あったので、これから書くことも、当日の講演と書籍を重複させることになるので、書籍を紹介しておく。『放送禁止歌』(2000年、解放出版社)。『A』(2002年、角川文庫)。『ドキュメンタリーは嘘をつく』(2005年、草思社)。

 70年代、ラジオやテレビからある日ぷっつりと聞かれなくなる音楽があった。いわゆる放送禁止歌に指定されたものである。岡林信康の『手紙』や『チューリップのアップリケ』、フォーク・クルセダーズの『イムジン河』、赤い鳥の『竹田の子守歌』などである。

 当時高校生だった森達也にとってはそれらは「巨大な権威や権力に闘いを挑み、華々しく散った先達というイメージだった」らしい。ぼくは彼より8歳年上で、その当時、ラジオやテレビを熱心に聞いたり見たりしていなかったので、そう言えば聞かなくなったなあ、という印象があったぐらいだ。

 その当時は、岡林信康の、天皇がオナラをしたという『ヘライデ』という他愛もない歌や、高田渡の、アメリカさんに手伝ってもらって悪いソ連や中国をやっつけようという『自衛隊に入ろう』などが一枚に収録されていたLPレコードを買ったりして、彼らの反骨精神を楽しみながら聞いていた記憶があるが、ラジオやテレビがそれらを放送するはずがない、とおもっていたので、それらの歌が聞かれなくなっていても、それはそうだろう、という軽い気持ちしかなかったのだとおもう。もう、ずいぶん昔のことなので、ほんとうのところ、どうなのか、よくは覚えていない。(そのLPレコードも、もう手許にない)

 フリーのTVディレクターをしていた森達也はその放送禁止歌がなぜ禁止になったのかを番組にしようと試みた。

 取材を重ねていくうちに、放送局にも、民放連にも「放送禁止歌」というものは存在しなかった、という事実が分かってくる。あるのは「要注意歌謡曲一覧表」で、ヤクザの隠語が歌われている『網走番外地』というような歌などがその中に入っていたが、しかしそれらは強制力も拘束力も全くなく、あくまでも放送局の自主判断的な基準だったことが分かる。放送したとしてもどこからもクレームがくることがないのだ。

 おまけに部落差別を歌っているとされる『手紙』や『チューリップのアップリケ』、『竹田の子守歌』、朝鮮総連からクレームがきたとされる『イムジン河』などは、この「要注意歌謡曲一覧表」にもはいっていない事実が判明する。

 森達也は『竹田の子守歌』の発祥の地、京都へ出かけ、部落解放同盟京都府連合会に取材を申し込み、支部長・古川博士の「この歌が放送禁止の扱いを受けていたという話は、最近まで知らなかったんで、実は驚いています」という言質を取り付けている。

 では、だれが「放送禁止歌」にしたのか。森達也は、「規制するのは誰?」と問いつづける。

 それはマスコミ自身である。同和問題に関わる歌を放送してクレームがきたら困ったことになる、という自主規制である。

 いや、「他律規制」だと森達也は言う。確信があって自らが規制したのではない。ほかの局が規制をやっているからうちの局も触らずにおこう、という他律規制である、と森達也は言う。そして、彼は「大事なことは知ることだ」と言う。「自分自身の意識なのだ」から。その意味では、規制しているのはマスコミであると同時に、視聴者≠ニいうぼくたちでもある。

 放送したいことは放送して、その後、視聴者からクレームがくれば、TV局はその場で、放送意図をちゃんと説明するなりして対応すればいい。しかし、いまのTV業界は思考停止状態に陥っている、と森達也は言う。繰りかえし、繰りかえし、TV局だけではなく、世の中すべて、試行停止している、と語りつづける。

 当事者として、何を考え、何をしなければならないのか。思考停止に陥っている。とりあえず、「見て聞いて触れる」ことだ。そして、考えることだ。森達也は延々とそう主張する。「規制するのは誰?」

 この番組で印象深い、というか、森達也の主観が表現されている箇所がある。

 解放同盟の取材を終えたあと、森達也のカメラは鏡に映った自分の姿、カメラを手にしている自分の姿を映し出す。それは、自分すらも被写体でなければカメラはなにも写していないに等しい、という森達也のメディアの中で生きている困惑と、苦渋と決意の姿である。が、それ以上に重要なのは、カメラを向けられているのは、視聴者≠ニいうアバウトな存在であるぼくたち自身であるのは当然である。

 こうしてこの前代未聞の番組は制作され、夜中というか、明け方の3時55分から1時間番組として流されたという。幸いなことに評判がよく、二度再放送があったという。

 このTV番組の最後は岡林信康の『手紙』がフルコーラス流れた。

 私の好きなみつるさんがおじいちゃんからお店をもらうことになったが、私といっしょになるのだったらお店を譲らないと言われた──という結婚差別の歌が真っ暗な画面のバックに流れた。

 森達也は岡林信康の生の声がほしいと、様々な手を使って岡林信康にアプローチするが、会うことができない。この歌を巡って岡林自身辛い体験があり、どのコンサートでもこの歌を歌っていない、ということだ。

 ぼくはそこら辺のことは知らなくて、それに、岡林が美空ひばりに曲を書いたり、演歌を歌いはじめたりして、ぼくはそういう曲には興味が持てなかったので、いつのまにか岡林信康のことは忘れてしまっていた。

 講演後帰宅して、岡林信康のフォークシンガー時代のアルバムを引っ張り出して聴いていると、つくづく思う。この時代は「歌」さえも生真面目だったんだ、と。「そんなことで、ほんとに自由になったのかい?」なんて平気で歌っている。

 2枚も聴くとすっかり鬱な気分になってしまった。

 講演会に来ていた一人の女性の話だが、この歌を解放同盟が非難したとするなら(断定的だったか、推測だったか忘れたが)、結婚差別を歌っているからではなくて、「みつるさん」を諦めてしまったという「敗北」に問題があるのでは、というようなことを言っていて、ああ、そうか、と感心しながら話を聞いていた。そんなところまで思いを巡らせて聴いたことはなかった。

 

 「放送禁止歌」とおもわれていたものが、そうではなかったし、その件について誰も部落解放同盟に取材をかけていなかった。本来やるべきことを誰もやっていなかった。

 そのことはオウムを取材したマスコミにも言える。

 「マスコミが報道しなかったオウムの素顔」というサブタイトルの付いた『A』はTVで放送することを目指していたがTV局の及び腰に挫折した森達也は、劇場用映画として完成させる。

 「オウムの中から外を見る」ことを目指して、森達也はサリン事件後、麻原逮捕後、荒木浩広報部長に取材を申し込み、あっさりと認められる。拍子抜けした森達也に荒木広報部長は、「私たちをドキュメンタリーとして撮りたいという依頼はいままで一度もありませんでした」とこたえる。

 ここでも森達也は「思考を停止させたメディア」を描く。

 オウムは殺人集団である。麻原にマインドコントロールされた集団である。──というスタンスでしか取材していないマスコミに反して、森達也は、オウムの信者も普通の人である、というスタンスで取材を重ねる。

 ぼくはオウムの人たちと会ったことがないので、彼らがどんな人たちでどんな考えを持っているかは知らないが、森達也は「オウムの人たちも普通の人たちだ」と言いつづける。だからここは、森達也の目を信じてみる。

 その普通の人々、「残された信者、逮捕された信者がいまもオウムにこだわりつづける理由を説かなければ、オウム事件は解決しない」とオウムの内部に居座って取材を重ねるのが、ドキュメンタリー作家としての森達也の姿勢だ。

 その結果見えてきたことは、彼等がオウムに留まりつづける理由、そのメカニズムは、オウムの内ではなくてオウムの外、すなわちぼくらの社会の中にある、ということが徐々に見えはじめる。

 と同時に、取材を重ねれば重ねるほど、彼自身、ジレンマに陥っていく。その森達也の誠実さを支持しなくて、なにを支持するというのだろう。他者と関わることで煩悶すること。こんな最低限のことをぼくたちは、もしかしたら、忘れてしまっているのかもしれない。

 彼は言う。

 「被害を受けた日本社会は、事件以降まるでオウムへの報復のように他者への想像力を停止させ、その帰結として生じた空白に憎悪を充填しつづけている。憎悪という感情に凝縮されたルサンチマン(筆者註・怨恨、憎悪などの感情が反復され内攻して、心に積もっている状態)を全面的に解放し、被害者や遺族の悲嘆を大義名分に、テレビというお茶の間の祭壇に、加害者という生贄を日々供え続けている。狭間に立った僕は、どちらの側にも一歩も動けず、いつまでも途方に暮れている。」

 ある夜、森達也は、一人の男がオウム信者の首を押さえつけ、路上に倒す現場に出くわす。押し倒したのは私服の刑事で、自分から押し倒したにもかかわらず、オウム信者に暴行を受けた、と公務執行妨害で逮捕する。それらを見ていた野次馬が「死刑にしちゃえ」と叫ぶ中、パトカーがやってきてオウム信者を連行する。私服刑事は森達也がビデオを回して取材しているのを知っていながら、そんな行為をするのである。そこにあるのは、マスコミもオウムを排除したがっているのだから、という「思考停止した世間」への寄りかかりがある。

 不当逮捕でありながら釈放されないオウム信者のために森達也は、不当な逮捕の一部始終がフィルムに収められている旨の手紙を警察に送り、即時オウム信者は釈放される。それ以後、当然のように森達也は公安に監視されている気配を感じつづける。

 森達也は「あとがき」でこう書いている。

 「思いだしてほしい。僕等は事件直後、もっと煩悶していたはずだ。「なぜ宗教組織がこんな事件を起こしたのか?」という根本的な命題に、的外れではあっても必死に葛藤をしていた時期が確かにあったはずだ。事件から六年が経過した現在、アレフと名前を変えたオウムの側ではいまも葛藤は続いている。でも断言するが、もうひとつの重要な当事者であるはずの社会の側は、いっさいの煩悶を停止した。

 剥きだしの憎悪を燃料に、他者への営みへの想像力を失い、全員が一律の反応を無自覚にくりかえし(半世紀以上前、僕らの父や祖父の時代は、こうしてひとつの方向にのみ思考を収斂させることで、取り返しのつかない過ちを犯してしまったはずではなかったのか?)、「正と邪」や「善と悪」などの二元論ばかりが、すこしずつ加速しながら世のマジョリティとなりつつある。」

 長々と引用してしまった。森達也の文脈の中では、オウムや放送禁止歌で例えられているが、それら以外にも思考停止している事例はたくさんあるだろう。悪か善かという二元論に収斂することなく、グレーゾーンもあるんだと、悪と善の両方に疑問の目をむけること。困難な思考を怖れないこと。そう難しいことではない。自分の言葉で考えて、自分の言葉で判断することだけだから。(でも、それが一番難しいかな)

 そうは言っても、オウム真理教というカルト集団が細菌兵器や化学兵器を製造していて、それを実際に行使したという事実を見れば、「絶対悪」という評価があるのも無理はない。「どこにグレーゾーンがあるんだ」と逆襲を受けそうだ。おまけに、麻原自身「ヴァジラヤーナの教え」により、真理のためなら殺人も善行であると公言していた。坂本弁護士一家を殺すことも、サリンを撒くことも「善行」である、と。「真っ黒じゃないか」

 だから、今もなお、その教えを捨てない者は、テロ予備軍である、と。彼らを潰すためにはなにをやってもいいのだ、と。破壊活動防止法を適用すればいいんだ、と。無垢な市民の生命を守るためにはそれが一番だ、と。

 法治国家である以上、法を犯した者は罰されるのは当然である。日本国民は誰でも、安全で快適な市民生活を送る権利がある。だれもカルト集団に殺されたくはない。

 しかし、思考停止してはいけない。自分で考えることなしに、マスコミがそう言っているのだから、多分そうだろう、と。それはよくない。マスコミの側も、世間の声に押されて画一的な報道だけをするのではなく、その場その場で煩悶しながら報道してほしい、と。森達也はそう言っているのだ。

 オウムを弁護しているのではない。オウムと向かい合ったとき、ぼくたちは何を思考し、どう煩悶し、何を見出せばいいのだろう、と──森達也はただそれだけを言っているのだ。

 事件後、破防法は適用されなかったが、「組織犯罪対策法」というような法律が作られて、社会の治安維持上必要がある場合、個人の権利を制限したり、プライバシーを侵害しても許されるような条項ができたが(実際、警察による盗聴などが可能になってしまった)、その件に関しても、オウムのような事件が起こるのなら個人の権利がすこしぐらい侵害されてもかまわない、と思うのか、それとも、断固として反対するのか。いろんな立場の人がいるとおもう。

 ぼくは、(ぼくの考えに反対でも)いろんな意見の人のいる世間がまともな世間だとおもっているので、個人的には「組織犯罪対策法」はなくしてしまいたいが、それを支持している人がいるのは、それはそれでいいと思っている。

 しかし、考えてほしい。

 個人の権利が制限されても治安維持上必要ならしかたない、とおもう背景には、国家や政府を信頼しているという民衆の合意が必要だろう。

 百パーセント譲って、現在の国家や政府が善意の存在であるとしよう。しかし、国家や政府が民衆を裏切らないという保証はどこにもない。いや、歴史に学ぶかぎり、国家や政府は必ず民衆を裏切る、と断言してもいいぐらいだ。

 個人の権利を侵害してもいいというような法律はかならず国家警察を生み出すことになる。思考停止どころか、国家によって思考を奪われる事態に落としこめられるのだ。思想統制に?がるのだ。そんなことでいいはずがない。

 

 なお、この講演会は、人権啓発センターの山岡さんという人が企画したらしいが、その山岡さんと知り合いの人らしい若い人が、手を挙げてこう言った。

 「私は県教委にいますが、今回、山岡さんは『放送禁止歌』で森さんを招きましたが、私は『A』で森さんを招きたいと思い、上層部に提案したんですが、それはちょっとダメ、ということで認められませんでした」と。その話を聞きながら、そりゃ無理だろうな、と一瞬思ったが、「そりゃ無理だろ」とおもうことも他律規制になっているような気がして、そうおもった自分がちょっと嫌になった。

 講演会ならではの裏話もいくつか聞けた。

 一番印象に残ったのは、『A』のビデオ化がなかなか進まなかった、ということ。ビデオ会社から声はかかるが、最終的には話が没ってしまって、ビデオ化まで5年かかったとのこと。それは、レンタル業界大手のTSUTAYAが、ビデオ化しても店頭には並べない、とビデオ会社に宣言していたから、ビデオ会社がビデオ化にためらっていたからだったとのこと。高知にもTSUTAYAはあり、ぼくも会員になっているが、TSUTAYAにそんな大きな権力があったとは知らなかった。DVDも含めビデオ作品はいまやレンタル業界なしでは商売にならないことが分かった。

 で、後日談。『A』がビデオ化されるやいなや、渋谷のTSUTAYAの店頭には平積みにされ、「ビデオ化が不可能と言われた作品、ついにビデオ化」と仰々しく宣伝されていたとのこと。

 先の県教委の人が言っていたが、高知でも『A2』(『A』の続編)がレンタルされていて、「二本ありましたが、レンタルしている人はいませんでした」と言って、その場の参加者は爆笑した。

 ついでにもうすこし。

 明石の花火大会で死者が出た時、「将棋倒し」という表現を使ったら、将棋連盟からクレームがきたとか、ある事件で「メッキが剥げました」という表現を使ったら、メッキ組合から、いまのメッキはそう簡単には?げません、とクレームがきたとか。

 将棋連盟のクレームは論外だが、メッキ組合のクレームの背景には、メッキの仕事をしているのは、中小や零細企業が多くて、苦心惨憺して、剥げにくいメッキを工夫して仕事をしているところに、メッキが剥げた、という表現をされるのはやるせないだろうという気持ちは分かる、と、森達也らしい視点の話だった。

 また、最近までFM東京でトーク番組を持っていたが、タレントのルー大柴がゲストに来たとき、なぜこんな奴とトークしなければならないのか、とばかばかしくなり、番組をやめた、と。

 会場のせいか、40名限定だったのが惜しい講演会だった。

 

 翌28日、「ギャラリー・カフェodd eye」でダイケプロジュースの第2回公演をやらせてもらった。

 今回は『詩集「最上川」とアイルランド音楽の出合い』と題して、片岡千歳さんの詩集『最上川』の朗読(山崎さよさん)と北村剛さんのアイリッシュ音楽の演奏だった。

 ぼくは暗い人間なので、ダンス音楽の多いアイルランドの音楽は苦手だったが、2度にわたって立ち会わせてもらったリハーサルでは、すこしばかりの愉楽感を感じていた。片岡さんの言葉と、北村さんの吹く笛がこんなに親和力を持っているとはおもってもいなかった。

 ローマ人に追われてアイルランドの地に流れ着いたケルト人は魂の不滅を信じ、自然を崇拝して森や湖、山や川などに宿っている神や精霊を信じて、独自の音楽アイリッシュ・トラッドとともに生きてきた。

 だから、抒情的で感傷的な北村さんの笛と、故郷へのノスタルジアに満たされている片岡さんの詩が巧くマッチしたのだとおもう。

 あまりにも巧くマッチしすぎて、どこかでその流れを堰き止めなければならない、とさえおもった。

 だから、リハーサルに口を出させてもらって、山崎さんの朗読に北村さんの笛を重ねてもらうパートをいくつか作ってもらった。山崎さんが朗読している時に北村さんの笛がそれを遮るように入ってくるのだが、それがぼくの意図したように、声の流れを堰き止めることにはならなくて、声と笛の親和、という皮肉な形になってしまった。

 なお、公演の3日ほど前、「体調を崩した。これから入院する」という片岡さんの電話があって、公演当日片岡さんに来ていただけなかった。

 おまけに、それが原因だろうとはおもうが、片岡さん周辺の人には一人も来てもらえなくて、淋しい公演になってしまったが、北村さんが「再演しましょう」と言ってくれたので、すこしはほっとした一日だった。

 

 11月12日、県立美術館ホールで長編短編合わせて7本上映していた。アキ・カウリスマキだけ見に行く。

 『街のあかり』(アキ・カウリスマキ監督、フィンランド、2006年)

 アキ・カウリスマキを高知で見られるのは嬉しかった、が、映画はもうひとつだった。

 警備会社で働くコイスティネンは会社の人間に毛嫌いされていて、酒を飲む相手も飯を食う相手もいない孤独な暮らしを送っていた。

 無愛想だというような、仲間の会話があるが、人は、理由もなく誰かを嫌ったりするものだ。嫌わないまでも、口をききたくもないという人物がいるものだ。

 アキ・カウリスマキの映画にはそういう孤独な人物がたくさん出てくる。孤独な人物いなくして彼の映画は成立しないぐらいだ。

 ぼくなど、他人とつまらない話をして酒を飲むぐらいなら本でも読んでいるほうがいい、とおもうのだが、そのことと、「孤独」を感じることは違うのだろう、きっと。

 自分の感情では抑えきれない疎外感、寂寥感、孤独感に心も体もとらわれているのだろう。誰にも期待されていない自分、他者と心が通わせない自分、自我が分離している感覚。認識できない自分の心。

 だからだろうか、彼の映画の登場人物は喜怒哀楽の表情が乏しい。職場でも家庭でも登場人物のすべては、人生の岐路を体験してきたかのように、自分にも、相手にも、環境にも、人生にも、烈しく噛みついたり、否定したり、異議申し立てをしたりすることがない。

 無表情な登場人物たちが、飄々と日々を過ごし、飄々と社会の仕組みの中で生きている。

 コイスティネンもそうだ。同僚たちに疎外されながらも、そのことに強く反発したり、嘆き悲しんだりはしない。行きつけの屋台の女主人に愚痴を並べたてるだけだ。「孤独」はそんなことでは解消されないことは十分わかっているはずなのに。彼は嘆かない。

 その彼のもとにギャングの情婦が身分を隠して近づいてくる。すっかり舞い上がったコイスティネンは、自分が警備する宝石会社の暗証番号もキイも盗まれて、あげくのはてには、刑務所に入れられてしまうが、女のことは一言も喋らない。出所後、ギャングといる女を見つけたコイスティネンは、(女にではなく)ギャングにナイフを突きつけるが、反対に半殺しの目に合う、というそれだけの話だ。

 コイスティネンを見守っている屋台のソーセージ屋の女主人がいて、映画のラスト、ギャングに半殺しの目にあった彼をやさしく見守る、というアキ・カウリスマキならではのやさしさを滲ませていたが、今まで見たなかでは、もうひとつだった。

 

 アキ・カウリスマキの映画は何年か前、NHK・BS放送で特集をやっていて、8本ぐらいだったとおもうが、映画館で見たもの、ビデオで見たもの、未見だったもの、と楽しませてもらったことがあった。

 先日NHK・BS放送で『過去のない男』(2002年)をやっていて、『浮き雲』(1996年)と今回の『街のあかり』の3本を「敗者3部作」というらしい。

 失業したり、記憶を失ったり、罠にはめられて刑務所に入ったり、と敗者であることには十分すぎるぐらいな設定だが、アキ・カウリスマキの映画には、悲壮感がない。現実を、受け入れたくないが受け入れてしまうしかない、といった諦念のような思念が底に流れている。

 アキ・カウリスマキは小津安二郎を映画の師匠としているらしいが、小津の映画で繰り返し語られてきた、現実への帰属、運命の受諾、そんなものが継承されているのだろうか。

 『街のあかり』でもギャングの情婦は甘い言葉でコイスティネンに近づいてくるが、手を握らせるのでもなく、肩を抱かすのでもなく、ましてやベッドへ誘うのでもなく、ただ、酒を飲んだり飯を食ったりするだけで、そんな女にだまされて刑務所へ入れられても、淡々と刑務所生活を送り、出所してからは更生の道を歩む。映画のうたい文句は「一度信じた愛を裏切ることはなかった」というようなことだが、ちょっと待てよ、あんなものが「愛」なのか、とつっこみを入れたいところだ。

 また、コイスティネンが愚痴を言うために通っている屋台のソーセージ屋の女主人はどうやらコイスティネンに好意を持っているらしく、最後の最後、ギャングに叩きのめされたコイスティネンが「こんなところで死ねるか」と呟く現場に居合わすのだが、それが、「やがて訪れる無垢な愛」と言われても、どうにもピンとこなかった。

 女は男のことを思っているかもしれないが、いくら女に思われたとしても、そのことと男の気持ちは関係ない。興味のない女に思われてみても、無垢な愛が訪れたりはしないとおもうのだが。もし、ここで、愛してもいない女の「無垢な愛」を受け入れてしまったら、それこそ「敗者」になってしまうのではないか、とラストシーンを見ていた。

 まあ、ぼくには「愛」の本質が分かっていない、からなのかもしれないが。

 『マッチ工場の少女』(1990年)の主人公も今回の設定に似ていた。ダンス・パーティに行っても男から相手にされない女工が、一世一代のおしゃれをして出かけたダンス・パーティでやっと男に声をかけてもらい、有頂天になって男に体を許し妊娠してしまうが、男には相手にされず堕ろせと金を渡される。絶望した女工は(といっても、絶望している演技などなにひとつ無いのだが)薬屋でネズミ取りの毒薬を買い、男を殺し、ついでに、女工を食い物にしていた母親とその愛人を殺してしまう話だ。

 悲惨で救いようのない話のようだが、こっちのほうが、「無垢な愛」よりもぼくはいい。女工は自分の意志を貫いたのだ。「無垢の愛」とかいうのにだまされて変な妥協をしていない。こっちのほうがずっとすっきりする。たとえ、残りの人生を刑務所で送ったとしてもだ。

 でも、コイスティネンが「無垢の愛」を受け入れたとは描かれてはいないので、アキ・カウリスマキならきっとコイスティネンに新たな試練を与えそうな気がする。飄々とした顔で、人生ってのはそんなにうまくいくもんじゃないぞ、とばかりに。そういうアキ・カウリスマキが好きだが