雑記2003年度以前


蹴りと合わせることの両立 1/30

 ボートは、当然シングルスカル(一人乗り)を除いてであるが、合わせることが非常に重要なスポーツである。キャッチが合い、蹴りだしのタイミングが合うことで艇は格段に速くなる。しかし、ここ数回の練習において、キャッチを合わせることの重要性を説き、毎回エルゴで合うようになるまでしっかり漕がせてから艇を出すようにしているのだが、そこに思わぬ落とし穴があったのである。
 確かに随分と合うようにはなってきた。が、タイムは一人一人が少しずれてでもがむしゃらに蹴っていたときの方が格段によかったのである。合わせることでタイムが落ちる。やがてミーティングにおいて現役選手から「合わせることに集中したので蹴れなかった」という声が聞こえ始めるようになった。
 なぜこんなことが起こったのであろうか。それは、「合わせることの自己目的化」と言うことができると思う。すなわち、自分たちが今合わせている、合っているという事実が彼らを安心させ、蹴ることを忘れさせてしまっているということである。自分たちの現役時代にも同じようなことがあった。漕ぎの精度はそこそこよくなっていると思っていたレース本番1週間前の前哨戦で負けたのである。我々はそこで「やはり蹴らなきゃだめなんだ」という当たり前のことに漸く気付くことができたのだ。そんな苦い経験から、自分がコーチするにあたって、まず蹴りということを徹底させた。蹴りを追求することを彼らが自分たち自身で考えられるようになったと感じたので今回キャッチを合わせることに言及することにしたのである。
 しかし、やはり同じことが起こってしまった。歴史は繰り返すという皮肉であろうか。そこで「あくまでボートは速度を追求するスポーツであり、キャッチを合わせることはそのための一つの手段」に過ぎないことを強調した。艇を進めるための前提である蹴りなくしては、他の全てのことは意味を成さなくなってしまうのである。
 自らの経験から、自分がはまってしまった落とし穴に選手が落ちてしまうことを未然に防ぐことがコーチとしての役割だと思う焦りが私にはあった。同じ経験を選手にさせてしまったらコーチとしての意味がないのではないか、と。しかし、その考えも少し変わってきた。敢えて苦い経験をさせることでそれ以降の失敗を防ぐ抑止力としての効果が大きいのではないかということである。ただそれを自分の時のように試合によって初めて知るのはどうか。せめて本番に臨む前にそのショックを与えてやることはできないかと考えた。そこで、今までの割といいところを誉めていくやり方から、周りの艇との相対位置関係から自らの遅さ(言い方は悪いが)を自覚させるという少し厳しい方法をとることにした。
 効果は覿面と言うわけではなかったが、ミーティングにおいて「モチベーションをもっと盛り上げていかないといけない」などの声が出るようになってきた。そして、少しずつではあるが、タイムが良くなってきたのである。そして私はもう一つのことに気がついた。彼ら選手たちは、合わせることに気を遣いすぎる余りに、合わないことを恐れて知らずのうちにキャッチすることに萎縮するようになっていたのである。恐る恐るキャッチしていてはやはり蹴れるわけはない。やさしくではあっても萎縮してはならないのである。そしてクルー内でもまたよく声が出るようになってきた。雰囲気がよくなったことで艇に勢いが出て、タイムが上がってきたのみならず自然と合う確率も高くなってきたのである。スポーツにはある種の思い切りと勢いが大切であることを改めて痛感した。今回、我々が歩んだ道はたしかに遠回りであったかもしれない。しかし重要な遠回りであったと思うのである。


用語集(前回のもご覧ください)

蹴りだし:足蹴りをするタイミング
キャッチ:オールを水に入れる動作。合わせることが複数人で漕ぐときの鉄則。合えばそれだけで速くなる。



人の力を引き出す難しさ 12/27

 私は高校ボート部のコーチ(そんな偉そうなものではないが・・)をやっている。今日の練習でクォドのCOXに乗ったが、面白い経験ができたので、記す事にする。(ボートの基本知識のない方は下の用語集をまずお読みになることをお奨めする)
 まず、前半はとにかく声を出して漕手を叱咤激励するように心がけた。基本的にスタートしていまいち艇速が乗らないようならすぐに足蹴りをいれて全員で艇の最高艇速にまず乗せる。そして中盤であるが、ここはどうしても蹴りが落ちやすいポイントであり、一番苦しいところであるから、特に集中力を切らさせないようにVOICEWORKにも注意を払う。そしてラスト500Mを過ぎた辺りからは残り距離の少なさを意識させるようにし、最後だから踏ん張れなどという声をかける。その前の数回の練習に渡ってCOXの掛け声にはできるだけ反応していくようにさせていたこともあって、こちらからの掛け声に応えるクルー内のモチベーションはなかなかの向上を見せ、一年生の中でエルゴタイムが最も速い一人がその日はダブルに乗っていてクォドには乗っていなかった状況にも関わらず長距離漕にも安定したタイムを出しつづける事ができた。
 その後途中で運良く他県の強豪クルーと遭遇し、一緒に並べさせてもらった(勝手にこちらから並べてスタートしただけだが)のだが、そのクルーよりは少し高めのレートではあったが一度開いた差を最後に詰めてゴールインする事ができた。自分も「差してる!」、「食らいつけ!」等かなりの大声を出した。その時のタイムは彼らのベストを更新していた。驚いた事に並べる前と比べて実に500Mあたり4〜6秒も伸びていたのである。やはり強いクルーと並べ勝ちたいと思う心が彼らが自分自身に設定していた蹴りの限界点を越える事を助けたのだろう。
 通常自らの現役時代を思い起こしてみても、最初から出しきるということは非常に難しい。残り距離、残り周回数、その周以降の練習強度などがどうしても頭にちらついてしまうからである。しかし、そのような練習ができるクルーが強くなるのもまた事実である。私はそれをコックスの掛け声によって引き出そうと試みた。もちろんそれなりの効果はあった。1メニューでの中盤や練習終盤でのタイムの落ち込みが随分となくったし、掛け声に反応して蹴りもあがった。しかし、それでも彼らはさらに1500Mで実に15秒も伸ばせるような力を持っていたのである。
 目的意識が薄れがちな長く寒い冬の練習において、いつも今日のように強いクルーと一緒に並べて漕げるとは限らない。どうしたら自分達だけでその域に達する事ができるのか。やはり私はクルー自身が艇の速度や挙動に対してもっと繊細な感覚を持つしかないと考えた。今の状態は、COXに足蹴り五本と言われたから五本蹴る、それ故五本漕いだ直後の挙動がどうしても悪くなる。あるいは、バランスと言われたからそこでバランスに気を配るという状態からどうしても抜けきれていないのであった。自らが艇の挙動にもっと気を配っていたら足蹴り五本直後に艇速が落ちる事こそ注意するはずであり、バランスが崩れたら自然とクルー内で注意しあうはずである。
 ではどうしたらよいのか。周回も後半に入り、まずは私が「声を出しすぎてもう枯れて出ない」ということにして、自分は事務的な事を除いて艇に関しては一切の口出しをしない事に決めた。そして声を出し合うきっかけになればと、とりあえず1500M一本を漕ぐ間にかならず一人一回は足蹴り五本の掛け声をかける事を義務とした。COXの声に反応する練習をしていたのが功を奏したのか、大声で足蹴りを入れるのはみな抵抗なくできた。勿論私は一切声をかけなかった。しかしはじめの一本は私が掛け声をかけていた時より500Mあたり5秒近くタイムが落ちてしまった。その時はクルーは義務付けられた一人一回の足蹴り五本以外は声を出す事はなかった。
 しかし、二本目、三本目とやっていくうちに少しずつ変化が見え始めた。足蹴り五本の直後に、「この艇速維持しよう」という声や、中盤において「ここ蹴り落とさない」などという声がクルー内で聞こえ始めたのである。そしてその声に比例するようにタイムも上がっていった。そしてまさに終盤の1500M数本のメニューで、ついに私が声を出していた時の水準近くまでまたタイムが向上したのであった。勿論相当な疲労が溜まっているはずで、それで序盤とほとんど変わらないタイムを出すということは、序盤以上に強い蹴りをしているということである。ここにおいて私は、これまで自分が知らずの内に選手達を、ただ言われた事をこなすローイングマシーンへと変えてしまっていたのだと感じた。彼らは自分達自身でここまで蹴りを追求できる下地を持っていたのである。今日は流石に他校と並べたときのタイムまではいかなかったが、今後間違いなくその水準に自分達だけで達することができるようになるであろうと確信した。人間の力を引き出すことがどれほど難しいかを感じた1日であった。


用語集

COX:舵取りのこと。
足蹴り五本:とにかく五本だけは本気で蹴って落ちた船の速度を取り戻そうとすること。ちなみに競技用ボートは手よりも足が重要なのです。
クォド:5人乗りボート。4人が漕いで一人がCOX。
ダブル:2人乗りボート。
クルー:漕手のこと
艇速:船の速度
レート:1分間に漕ぐ本数。当然高いほうがきついし、速い。
エルゴ:陸上で漕ぐ動きを再現できる機械。蹴りの強さを示すメータがついていて、はじめは誰もが楽しいと言うが、あることを経験するとみながこの機械に恐怖するようになる(笑)



「青い目、茶色い目」を見て 12/13
 

大学の授業で「青い目、茶色い目」というビデオを見た。これは、アメリカで実施されたとある授業を記録したものである。授業は、まず教師が、「青い目の子はいい子です」と言って青い目の子供には茶色の目の子より5分長く遊ぶことを許し、茶色い目の子供には水飲み場を使うことも遊具を使うことも給食でおかわりすることも許さなかったというものである。茶色い目の子供はただ目が茶色いと言うだけで差別されたのである。その後逆のパターン(青い目の子が差別される)も施行された結果、この授業を経験した子供たちは黒人も白人も全く同じであることを心の底から体感したのであった。

 このビデオは、今までに見た人種差別についての本や映像の中でも最も衝撃的だった。実際に子供たちの中で目の色という見た目による区分において優劣をつけるなど普通は到底思いつかない斬新な手法である。人は差別される側に立たないと差別される側の気持ちがわからないことをまさに実体験によって否応なく理解させられる方法だと思った。子供たちは、この授業の前、「黒人はバカだ」などということを何の抵抗もなく口にしている。そして驚くべきことにこの授業で最初に優等とされたグループに入った方の子供たちは、今まで仲のよかった別のグループに入れられた友達を、目の色で差別してからかったりするようになった。しかしこの授業でひとたび劣等とされたグループに入ってみて、その後「青い目と茶色い目が同じであるのと同様に、黒人も白人も同じ」であると言っている。
 この授業の結果は、人間が如何に自己本位的であるかを示しているともいえると思う。自分が差別される側に立っていないと、これほど差別されている側の気持ちになろうともしないばかりか、差別を当然と受け止めて何の疑問も持たないのか。当然差別される側は何とか打開を図ろうとする。しかし社会で当然のように例えば「ニガー」というレッテルを貼られている側は、それだけで自分は劣等人種であるとの重圧を抱え、それがその人の本来の能力すら奪っていくのである。この授業で襟をつけられ劣等とされたグループの子供の学力がとてつもなく落ちてしまったように。差別する側はそれに対して疑問を抱くことなく、差別される側だけが自分への自信をなくし、その状態に逆らうことすら放棄していくという悪循環が人種差別を根底からなくすということの難しさになっていくのだと思う。私自身、なんらかの外的要因によって生まれたときから他者への優越を植え付けられて育ったとしたらそれに疑問を抱くどころか、当然と受け止めて過ごしたに違いない。だからこそ、それに負けることなく勇気ある行動を起こしたキング牧師は賞賛されるべきである。半ば社会の当然のルールと化した理不尽な差別を打破する希望をもって人々を先導したことの意味は、とてつもなく大きいと思う。
 人種差別は、常に人類の歴史とともにその横に付きまとう問題であると思う。奴隷制度・アパルトヘイト・ユダヤ人差別・アイヌ人差別・黒人差別・カースト制度・士農工商その他はもとより、世襲による君主がいて部下がいるという状態が既に完璧な差別である。そう考えると人類の歴史は差別の歴史であり、人類はみな平等だという考え方が普及したのは、人類の歴史からすると本当に最近である。このアメリカアイオア州の先生が考案したこの授業が、アメリカといわず全世界で大人子供に関わらず実施されるようになれば、差別は間違いなくこの世からなくなると思う。


西武ドーム〜西武VSオリックス〜 4/8
 

 今日は西武ドームに西武とオリックスの試合を見に行った。今日の試合を一言で言うならばまさに「投手戦」。西武の西口は2回で6奪三振と飛ばし、オリックスの具台晟も非常に良く西武打線を抑えている。
 あっという間に3回に突入し、ここでゲームが動く。オリックス谷のセンターの左を抜いていく打球がタイムリーとなる。しかし西口は動ぜず、その後も好投を続ける。しかし、具台晟も崩すことなく全体的に非常に早い試合展開となった。4回、5回、6回・・・イニングだけがものすごい勢いで進んでいく。
 
それにしても13奪三振と好投した西口が霞んでしまうほど具台晟は今日は本当に完璧なピッチングであった。佐竹のファインプレーも飛び出し、なんと9回ワンアウトまでわずかにヒット一本に抑えるという数字。
 
しかし、そこで突然の投手交代が告げられる。球場全体が一瞬ざわめく。9回ワンアウトでランナーなし、1HITを許したとはいえ、その回もしっかり抑えている。まさに汚点なし。それでも替えられた。ピッチャーにすれば完投したかった試合に違いない。後二人ではないか、と僕も思った。
 
替わったピッチャーは大久保。結果として0点に抑えたが、1人にはは真を捉えられ、正面でなければ長打のあたりだった。大久保の心境を考えるに冷や汗ものだったであろう。ここで打たれ点を入れられたりでもしたらそれまで具が1HITに抑えてきた努力が全て無になってしまうのだ。
 こういったところにプロとしての辛さ、緊張感といったものがあるのだと思う。自分には到底堪える自信がない。好投しても替えられる悔しさと、流れを崩さないようにピシャリと抑えなければならない重圧。

 厳しい世界のルールというものを少しだけ垣間見た気がした。






ユニフォームの役割について 3/15
 以下の文章は私たちが日本女子大学の先生にユニフォームについてのお話をうかがった時の内容をまとめたものです。


 ユニフォームはスポーツによって違いますが、この違いはどこから生まれてくるのかというと、基本的に汗をどのように処理するかという方法の違いがあるところからだそうです。つまり撥水性が良いものを選ぶのか吸水性が良いものを選ぶのかということです。
 これらのどちらをとるかというのはまず第一にそのスポーツが行われる季節があるそうです。夏・冬ではやはり気温も大分変わってくるためにユニフォームに求められる役割もやはり変わってきます。次にそのスポーツが行われる場所の違いだそうです。これは、室内スポーツか屋外スポーツかという違いです。
以上をまとめると、種目の特性によってユニフォームはほとんど決まってくるということになります。先生はバスケットボールとバレーボールを例に出しておられましたが、バスケットボールは撥水性の良いユニフォームを着て、バレーボールは吸水性の良いユニフォームを着ています。これは、バスケットはスタンディングスポーツであり、汗が床に流れ落ちていても良く、撥水性を求めるのに対し、バレーボールは飛び込んだりするために、床がぬれているとやはり衛生上もよくなければ、危険度も増すので吸収性の良いものを使っているのだということです。この種目の特性というものがユニフォームの形を決定する上で一番重要な考慮されるべき点だとおっしゃられていました。
 それでは、種目の特性によるユニフォームというものをもう少し深く見ていくと、まずどれだけ延びる素材であればいいのかということが挙げられます。レオタードといわれる衣服などはフィギュアスケート等非常に柔軟に体の動きに対応し、伸縮性がかなりあります。そこで、伸びる素材を使い、サイズは少し小さいものを選ぶことで、自分の体にフィットしたものを選ぶことができます。この、自分にあったものというのも重要な要素の一つだそうです。もちろん、これは伸縮性の良い素材を使う例ですが、バレーボールなどでは飛び込んだときなど素材が伸びすぎると逆に危険ということもあるので、そういう競技のユニフォームはそれほど伸びない素材でできています。
 それから、ファッション性というものも挙げられます。これは、見る人の視点で考え、より楽しんでもらえるユニフォームが良いうことです。たとえば、テレビ放映される場合など、この要素も重要になってきます。最近は混合色が多くなって見映えの良いユニフォームも増えてきました。特にこの色についてはかなり気をつかっているようです。それぞれの種目に合った形で温度感・大きさ感・距離感・重さ感・感情・視認性・誘目性・識別性・可読性・性差性・個人性・年齢性・季節性・耐用性・象徴性・合目的性などに工夫が凝らされているそうです。色を含めたデザインということで考えると、作っている会社による違いというのは大きいです。ソルトレイク五輪も閉幕しましたが、今大会の選手のユニフォームを見てみても、やはりメーカーが様々です。
 メーカーという話が出てきましたが、やはりユニフォームはメーカーによって着心地が全然違うそうです。先の冬の五輪においてもスキー滑降はデサント、スケートはミズノなどが多いといった具合に競技によってどのメーカーのものが一番良いかということにある程度の傾向が見られます。先生によると、ミズノとアシックスの比較では、ミズノは少しごわごわしていて男性的なイメージがあり、アシックスはやわらかく女性的なイメージがあるといいます。
 また、素材の組み合わせというのも重要です。下記の表は先生にいただいたどの繊維がどれだけ水分を吸収するかというのを示したものです。どの繊維にもメリット、デメリットがあります。たとえば、ポリエステルは洗濯後の乾きが早いが、汗を吸い取って欲しい場合には使えない。綿は着心地が良く汗を吸い取ってくれるが、逆にいうと重くなってしまうため記録を求める場合は不向きであるし、洗濯後の乾きが遅いといった具合です。この、それぞれのメリットを生かし、できるだけデメリットを減らすための方法が先に述べた素材の組み合わせ、すなわち混紡です。バレーボールを例に取ると、先生はポリエステル60%、綿40%のものが良いとおっしゃっていました。適度に汗を吸収し、着心地も良く、乾きもそれなりに早いという素材になるということです。

主な繊維の公定水分率(%)
羊毛 15.0            ポリクラール 3.0
亜麻 12.0            アクリル、アクリル系 2.0
絹 11.0             ポリウレタン 1.0
レーヨン、キュプラ 11.0    ポリエステル 0.4
綿 8.5              ビニリデン 0
アセテート 6.5          ポリ塩化ビニル 0
ビニロン 5.0          ポリエチレン 0
ナイロン 4.5          ポリプロビレン 0
トリアセテート 3.5       フッ素系繊維 0


 このように、種目の特性にあったユニフォームをつくるということは、上記に挙げた様々な方面での要求をできるかぎり満たすようにするということです。
先生は、ユニフォームを選ぶときに気をつけるべきことで『素材・ファッション・価格』という言葉をおっしゃっていました。これはそれぞれがお互いに影響しあっています。そしてこれらの要素のどれを重視するかは運動する人の様々な意味でのレベル(経済面・技術面等)によって比重が当然変わってくるということです。
 最後に、先生の話を聞いて、種目に応じたユニフォームというものの重要性を改めて認識するとともに、これから多々あるであろうスポーツ観戦の機会などでの競技の見方といったものに幅を持たせられるようになったと思います。




定置網漁業について 3/10


 NHKの番組で定置網についての特集がやっていました。
テスト前ながらついつい面白くて見てしまったのですが、非常に興味深い内容でした。
 魚が海流に乗って流れてくる道筋を上手くつかんで垣網によって誘導し、トンネルのような幾重の網をくぐらせて落とし網に追い込むというその漁法は、実に大規模な計画と資金によって成しえるものだと言う事がわかりました。そして碇を下ろす位置を少しでも間違うと形が崩れてしまうという定置網作りの綿密さには本当に驚きが一杯でした。船に乗っている状態から周りの山々などを利用して、そのいる位置が正確にわかる方法を昔から知っていたというのですから、先人の知恵というものは実にすばらしいものです。
 昔というのも定置網は、その歴史を紐解いてみると戦国時代あたりから始まったというのです。その歴史の長さには正直驚きました。そして、何より一番興味を引かれたのが、戦国時代、世は戦が続き、兵法による駆け引きが行われていましたが、それがこの定置網の発想につながったらしいということです。軍団を追い込んで一ヶ所に集め一網打尽にする戦術は、言われてみればまさに漁業そのものではないでしょうか。
 それにしても、この長い定置網漁の歴史の中で実に様々な改良が加えられてきたのだということがわかりました。はじめは追い込んで網に誘うだけだったものが、網が流れてしまうことから向きを回転させたり、出て行ってしまう数を減らすために弁をつくったり、魚が上下に泳げない性質を利用した落とし網の開発など、そういった先人から伝えられてきた経験が今日の定置網漁を形作っているのだと思いました。
 日本の海岸付近に広がる幾何学模様。そんな定置網のことを詳しく知ることができてよかったと思います。

古文発表
 以下の文は、私たちの班が『藤原道長の肝試し』についての古文の発表で発表したことです。



高御座の南面の柱を削るということ

 高御座は即位の礼など大事な儀式において、天皇がおつきになる玉座です。如何に証拠とはいえ、そのような場所を臣下である道長が削るという行為は常識では許されるわけがありません。
 それなのに、道長は堂々とその柱を削ってきました。しかもわざわざ遠回りして南面の方をです。南面というと、天皇が玉座について臣下に対するとき、真正面になります。削り跡は、(二人の老人が語り合っていたという)当時でも、はっきりと残っていたというくらいですから、当然大礼などがあった際には、かなり目立っていたはずです。道長はそれを狙っていたのかもしれません。花山天皇は17歳で即位し、気鋭の新進貴族をとりたてた意欲的な政治ぶりと、みずからの自由闊達なふるまいでたちまち注目の的となりましたが、調べてみると、こういった傍若無人な天皇の行動を「狂い」と呼んで嘲笑していた貴族もいたようです。この肝試しをさせるという一件も、自由闊達(且つ悪く言うと傍若無人)の例に漏れません。つまり、こういった天皇のふるまいに対し、多少の反発があったのかもしれません。「どこへなりとも参りましょう」と言い、それを実行するだけでなく、玉座の柱を削るという大胆な行為をすることで天皇の面目をつぶすということに少なくとも結果としてなったわけです。しかし、証拠が無いからとはじめに言ったのも天皇なので怒ることもできずに「感じののしられたまへど」とあるように、褒め騒ぎなさったのでしょう。
 ただ、大鏡は道長の栄華を割と批判的に描いている文章です。たとえば、この天皇の玉座の柱を削るという行為は聴衆にとっても度肝を抜かれるほどに、重大事だったのです。それが、「あさまし」という言葉に出てきているのだと思います。はじめの、「いとあさましく思しめさる。」ではやはり、花山天皇は自分の言い出したことであるだけに、叱るに叱れず、(柱を削ってきたことが)なんとも驚きあきれたことだという苦笑に似た感情が感じられます。次の「末の世にも、見る人はなほあさましきことにぞ申ししかし。」という部分も、後世にその削り跡を見た人はやはり、(道長は)なんともだいそれたことをしたものだと言う意味でこの言葉を使っているのではないかと思います。
 

地理発表
 イスラエルが占領しているゴラン高原のレバノンとの境界で26日、道路わきに仕掛けられた爆弾が爆発し、パトロール中のイスラエル軍用車に乗っていた兵士1人が死亡、2人が負傷するという事件がありました。直後に爆弾を仕掛けたイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラがイスラエルに向けロケット弾や迫撃弾などを撃ち込み銃撃戦も発生し、同軍はレバノン南部のヒズボラ拠点を空爆しました。
地図帳12ページを開けてください。
 イスラエル軍によると、爆弾攻撃があったのは地図帳12ページK−10にあるゴラン高原北部の、レバノンが自国領だったと主張するシェバ農場近くです。国連調査団は、同農場が本来シリア領であるとして、イスラエルのレバノンからの撤退完了を確認しましたが、ヒズボラ側は、同農場からも撤退しない限りイスラエルを攻撃すると主張しています。
 ヒズボラは十月七日、国境地帯でイスラエル兵三人を拉致(らち)、同十五日にも予備役大佐を捕まえてイスラエルとの対決姿勢を強めており同組織のナスララ党首が今月二十五日、「平和的な手段では占領地を解放することはできないと知った。ジハード(聖戦)、犠牲、銃弾を通じてのみ領土奪還は可能だ」と武装闘争の強化を示唆していました。
そこで、レバノンについて調べてみました。

 レバノンは、人口約400万人、国土面積が日本の岐阜県ほどの小さな国です。国内には18の宗派が混在し、いわば宗教のモザイク国家を形成しています。その結果、政治体制は、レバノンの各派間の融和を維持するため、代々大統領をキリスト教マロン派、国会議長をイスラム教シーア派、首相をイスラム教スンニー派から出すという、非常にユニークなシステムが採用されています。
 標高6〜700メートルまで登ると、地中海の湿気からも解放され緑豊かな高原の空気を満喫できるそうです。しかし、なだらかな尾根の頂上にはどこも不自然な形の土盛があり、そこに白い塔など白と青の国連カラーが見えれば国連レバノン暫定軍基地で、一見何もないかに見えるのがイスラエル軍とその傭兵の「南レバノン軍」の基地で、高性能の望遠鏡で覗くと戦車砲や機関銃が見えるそうです。人々はその射程に入るところに暮らし、タバコやオリーブ、果樹や野菜を栽培しています。
 この地域住民みながシーア派イスラム教徒というのではなく、カトリックなどのキリスト教徒も暮らしています。先の国連軍基地での虐殺の犠牲者には何人ものクリスチャンが含まれていました、だから欧米メディア(一部日本も含む)の「シーア派テロリストの攻撃に対する報復」というイスラエル軍の主張の垂れ流しは誤報を超えて、恣意的とすら言えます。
 他国を占領し続けようとするイスラエル軍に抵抗する住民の闘いはヒズボッラーのように武装闘争だけでなく、虐殺に怯えながらも畑を耕し、破壊された家を建直してそこに暮らし続けることでもあります。レバノンの中でも貧しい地域と言われるこの地方に、それでも人々が暮らし続けてきたのは、郷里を守ることにほかならないからです。それは同じ国内なのに、村外れの見えない境界線の向こうに残る親兄弟、親戚を訪ねることすら出来ない占領の実態を人々が知っているからです。
 僕は今まで、中東のこういった状況をほとんど知らなかったので、調べてみてとても勉強になりました。そして、メディアの言うこと全てが必ずしも正しいとは限らないこともあらためて認識しました。
 一刻も早くこの問題が解決して、こういった地域住民が安心して暮らせるようになってほしいと思います。


 

カメ
最近カメを飼い始めました。
3匹で、真田太平記を読んでる影響か、真田安房守昌幸、真田左衛門佐幸村、真田伊豆守信幸と命名しました。
長いです。
よって昌幸、幸村、信幸です。
しかし、カメなんてどれも同じだと思っていたら、ちゃんと身体的特徴があり、ちゃんと見分けられるものなのです。
あなたもどうですか




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