大学の授業で「青い目、茶色い目」というビデオを見た。これは、アメリカで実施されたとある授業を記録したものである。授業は、まず教師が、「青い目の子はいい子です」と言って青い目の子供には茶色の目の子より5分長く遊ぶことを許し、茶色い目の子供には水飲み場を使うことも遊具を使うことも給食でおかわりすることも許さなかったというものである。茶色い目の子供はただ目が茶色いと言うだけで差別されたのである。その後逆のパターン(青い目の子が差別される)も施行された結果、この授業を経験した子供たちは黒人も白人も全く同じであることを心の底から体感したのであった。
このビデオは、今までに見た人種差別についての本や映像の中でも最も衝撃的だった。実際に子供たちの中で目の色という見た目による区分において優劣をつけるなど普通は到底思いつかない斬新な手法である。人は差別される側に立たないと差別される側の気持ちがわからないことをまさに実体験によって否応なく理解させられる方法だと思った。子供たちは、この授業の前、「黒人はバカだ」などということを何の抵抗もなく口にしている。そして驚くべきことにこの授業で最初に優等とされたグループに入った方の子供たちは、今まで仲のよかった別のグループに入れられた友達を、目の色で差別してからかったりするようになった。しかしこの授業でひとたび劣等とされたグループに入ってみて、その後「青い目と茶色い目が同じであるのと同様に、黒人も白人も同じ」であると言っている。 この授業の結果は、人間が如何に自己本位的であるかを示しているともいえると思う。自分が差別される側に立っていないと、これほど差別されている側の気持ちになろうともしないばかりか、差別を当然と受け止めて何の疑問も持たないのか。当然差別される側は何とか打開を図ろうとする。しかし社会で当然のように例えば「ニガー」というレッテルを貼られている側は、それだけで自分は劣等人種であるとの重圧を抱え、それがその人の本来の能力すら奪っていくのである。この授業で襟をつけられ劣等とされたグループの子供の学力がとてつもなく落ちてしまったように。差別する側はそれに対して疑問を抱くことなく、差別される側だけが自分への自信をなくし、その状態に逆らうことすら放棄していくという悪循環が人種差別を根底からなくすということの難しさになっていくのだと思う。私自身、なんらかの外的要因によって生まれたときから他者への優越を植え付けられて育ったとしたらそれに疑問を抱くどころか、当然と受け止めて過ごしたに違いない。だからこそ、それに負けることなく勇気ある行動を起こしたキング牧師は賞賛されるべきである。半ば社会の当然のルールと化した理不尽な差別を打破する希望をもって人々を先導したことの意味は、とてつもなく大きいと思う。 人種差別は、常に人類の歴史とともにその横に付きまとう問題であると思う。奴隷制度・アパルトヘイト・ユダヤ人差別・アイヌ人差別・黒人差別・カースト制度・士農工商その他はもとより、世襲による君主がいて部下がいるという状態が既に完璧な差別である。そう考えると人類の歴史は差別の歴史であり、人類はみな平等だという考え方が普及したのは、人類の歴史からすると本当に最近である。このアメリカアイオア州の先生が考案したこの授業が、アメリカといわず全世界で大人子供に関わらず実施されるようになれば、差別は間違いなくこの世からなくなると思う。
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