いざ、出陣・初歩編

いざ、出陣じゃの巻

平成11年4月18日(日) 曇のち雨

出陣の日である。前日までの快晴とは打って変わった厚い雲が垂れ込めた、なんとも嫌な空でござる。

1000出発と決め、バタバタと出発準備に掛かる。いつでもそうじゃが、ギリギリまで落ち着かんもんじゃ。

朝風呂に入って身を清め、朝食を摂る。両親とも何となく会話が弾まない。

やはり、いくらバカ息子とはいえ心配なのだろう。申し訳ないと心で詫びる。

いよいよ出発の時刻がせまってきた。両親・母方の両祖父母・弟夫婦・姪甥と家族総出の賑やかな見送りとなった。

そんな中、気になることが一つ発生した。いつも元気に懐いてくる姪が、何故かこちらに全然近づこうともせん。

まもなく5歳になる姪も、何となくわかるんじゃな。そうこうするうちに出発予定の1000をだいぶ過ぎてしもうた。

いざ出陣じゃ。気合を入れ直して家族に別れを告げる。その時、姪が目をこすり出した。

「こら、なに泣いとるんじゃ!」のわしの一言に対して、「目にごみが入ったの」と言い返す姪。

この一言で、こっちまで目にごみが入ってきたわい。出陣の日に涙は禁物じゃ。さらば家族よ、お達者で・・・いざ。

出発地点の三郷市は、埼玉県の南東部に位置しており、南は東京都、東は江戸川を挟んで千葉県に接しておる。

そこで、本日は江戸川の河川敷の遊歩道を南に下り、東京に入境し、姉の住む亀戸を宿泊地とする。

順調に歩を進める。気まさに天を呑むの気概じゃ。気持ちいいのう。

がしかし、出発後約2時間、早くも左足裏マメ破裂!緊急治療を行う。

こんなに早く足がいかれちまうとは、想像できんかった。不覚じゃった。

何はともあれ、足裏の治療を終え、更に歩を進める。1240東京都入境。この頃より雨がちらつき始める。

葛飾橋の下で、昼食を摂る。1時間の休憩後、出発。と思いきや、雨が豪雨に変わる。

緊急雨対策始動。帽子着用、雨合羽上下着用、ザックに防水ザックカバー装着、その他防水対策完了。

1415再出発。それにしても、何も初日にこの豪雨はね〜だろう。と天を仰ぐが、無情にも雨が顔を濡らした。

この頃から、両足に激痛が走り出した。こうなることは覚悟していたとはいえ、辛い。

おまけに普段ザックなんか使っとらんから、肩から背中にかけても痛みが発生してきた。

正確に計っとらんが、ザックの重量は20kgはある。とてもじゃないが、片手じゃ持てん。

1540市川大橋到着。ここから、蔵前橋通りに入って残り約8km、一路亀戸を目指す。

と、その前に橋の下で小休止。橋の下では、この雨にもかかわらず少女達十数人がダンスの練習をしておった。

そのうちの少女数人が、橋の下で足を投げ出している雨合羽姿のあやしい男に興味を持ったようじゃ。

疲れきっているわしに話し掛けてきおった。まあ、それはピーチクパーチクと賑やかじゃった。

どこから来たの、どこに行くの、何のためにと、矢継ぎ早の質問に思わず少女達が芸能レポーターに見えたわい。

適当にあしらっておいて、いざ出発。橋の上に出る直前・・・

何気なく少女達の方を見ると、みんなでわしの方に手を振っとるわい。

うぅ、また目にごみが・・・・ええぃ、なんのこれしき。目の痛さをこらえて、いざ。

江戸川河川敷では、なるべく土の部分を歩いとったが、蔵前橋通りに入って地面がアスファルトに変わると

足裏が遂に大反乱を起こしおった。しかし、都会の真ん中では、雨の日は容易に治療場所が発見できん。

足の激痛に耐えることしばし、ようやく橋を発見。橋の下なら雨が避けられる。

さあ、2回目の足の緊急治療。まず手間取ったのが、足がむくんで靴が脱げん。

やっとこさ靴を脱いで靴下を取ると、そこには変わり果てた足の裏が、痛々しい姿を現わした。

おお、これが自分の足か。と驚いている場合ではなか。まず、マメの水を抜いて消毒。薬を塗って、カットバン。

テーピングをグルグル巻きにして、緊急治療完了。しかし、まだ痛いのう。

目標亀戸まで残りわずか。気合を入れなおして、いざ。

何とか亀戸の灯りが、目に入ってきた。あともう少しじゃ。耐えるんじゃ〜

1835到着。姉ちゃんも心配していたが、それ以上にわしの状態は酷かったらしい。

風呂に入って、飯を頂き、その後は、足裏の治療。そして、就寝。

狂歩録第1日目は、こうして終わった。


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