いざ、房州への巻

平成11年4月22日(木) 晴れ

0830起床。今日も天気は、心配なさそうじゃ。朝の恒例、足の修復作業を無難にこなし、0915出発。

由比ガ浜を東に向かい、トンネルを抜けて逗子に入る。

逗子の浪子不動前で、小休止。眼前には小型ヨットが、白波を立てて遊弋しており、非常に気分は良い。

足は相変わらず痛いが、日を追うにつれ感覚が鈍ってきている。これで良いもんなのかのう。

逗子を抜け、葉山に入る。葉山からは、三浦半島を横断する山越えに向かう。

山越えと言っても、なだらかな丘みたいなもんじゃが、この足の状態では辛い。

ゆっくりと休みも充分取りながらも、なんとか横須賀に辿り着く。

久里浜からは、東京湾フェリーで対岸の房総半島金谷に至る。船なんて普段乗らんから、ワクワクするのう。

船賃は、な、なんと500円也。安さを実感した。

1635発の船に乗って、いざ出航。あまりのうれしさに思わず、足の痛みも忘れて屋上の甲板に陣取った。

まだちょっと寒かったが、おもわず海軍精神が沸いてきて、船上をうろうろしてしもうた。

                     

                              <東京湾フェリー船上にて>

東京湾は、思った以上に船舶の往来が多く、見ていて飽きが来なかった。

今、後にした三浦半島は、霞の中に消えてゆき、反対に猛々しい房総の山並みが迫ってきた。

こんな山々を越えるのかよと一瞬恐怖がよぎったが、やってやるぜと闘志が沸いてきた。

そんなこんなで、1710金谷港到着。第三の都県である千葉県入境。

明日の目的地天津小湊へ少しでも近付くために、歩を進める。

国道127号線のこの辺りは、山が海まで迫り、トンネルの連続している難所である。

トンネルの中は狭く、歩道がない。まして何故かカーブしていて見通しが悪い。

おいおい、こりゃトンネル抜けるの命がけだぜ。車が来ないのを確認後、ダッシュ。ダッシュ。

を、繰り返すこと2回。遂に踏破不能トンネル登場。まず長い。カーブのRがきつい。

向こうから来る車は、必ずクラクションを鳴らして来る。それって、よっぽど視界が悪いんじゃないの。

恐る恐るトンネルを覗くと、見るからにこりゃ無理だ。

お、側道があるじゃねーか。しかし、“この先通り抜けできません”の看板。

こりゃ、困った。いちかばちか側道に向かってみる。

あれま、確かに道がねーや。この先は、海かのう。と下を覗いて見ると、ありました。

人一人がやっと通れるぐらいの獣道。海岸に降りて、その先の砂浜に辿り着けばなんとかなる。

気合を入れて、いざ出発。思ったよりも傾斜がきつい。足が自由に動かない分、危険度が増す。

岩だらけの海岸に到着。砂浜までは、50m弱。慎重に歩を進める。こんな所で足でも挫いたら大変じゃ。

ようやく砂浜に着くも、国道に戻れない。延々と砂浜を歩くこと10数分。やっとこ国道の影が見える。

国道に戻ってみて気がつくと、もう日が暮れかかっていた。こりゃ、早いとこ宿を確保せんと初野宿じゃ。

ここは、保田。保田は海水浴場だから民宿はたくさんあるはず。国道沿いの何軒かに声をかけるが、

時間が遅いのと、海水浴のオフシーズンのため、みな断られる。

よっしゃ、今夜は野宿じゃ。覚悟して、晩飯のため食堂に入る。ここで、救いの神に会う。

食堂のおばちゃんが、デカイ荷物が気になったのか、色々と聞いてきた。

こっちが逆に、今夜の安全な野宿の場所を聞いたら、民宿やってる親戚がいるからと連絡してくれて、

今夜は、屋根の下で眠ることが可能になった。感謝感謝。

こうして、初野宿はお預けとなり、屋根の下でぐっすりと眠ることができたのであった。

狂歩録第5日目は、こうして波乱万丈暮れていった。


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