苦心惨憺・峠越えの巻

平成11年6月16日(水) 曇時々小雨

0600起床。午後の降水確率上昇に備え、0645出発。

沼宮内市街地を進むとNTTを発見。盛岡市内でさえ発見不能であったグレ電をようやく発見する。

通称グレ電、いわゆる灰色の公衆電話である。グレ電は、グリーンの公衆電話とは性能が違うんじゃ。

つまり、データ通信に使えるわけである。やっと、溜まっていた狂歩録のデータをアップロードできる。

早速、データをアップロードして、一安心。これで、心置きなく進軍できるわ。

国道4号線に入り、しばし進むと、この地が北緯40度であることが分かる。

             

                               <北緯40度線>

北緯40度は、北京・フィラデルフィアなどと同緯度らしい。東京が北緯何度か知らんが、随分と遠くに来たもんじゃ。

更に北上を続けると、一関からず〜と付き合っていた北上川と別れる時が来た。

太く水量豊富であった北上川も、ここまで来るとこんなにも細く弱々しい流れになってしもうた。

             

                               <北上川源流>

ここから4号線を離れ、更に数km行くと本元の涌き水が湧いているらしいが、時間省略のため訪問は断念する。

北上川と別れた頃から、人家がまばらになり、ゆるやかな山道へとなっていった。

朝食を抜いていたので、コンビニを捜したが、まったく無い。いよいよ、田舎に来てしまったのう。

ようやく山間のドライブインにて、朝食を摂る。時に、0945。きつかったのう。

この地で、自衛隊の人々と知り合う。大型輸送車が、続々とドライブインに入車。

ここで、ほんの僅かな時間じゃが、指揮官の2等陸尉殿と歓談する。

わしも一時期じゃったが、防人として国防の任に就いた事があるゆえ、話は盛り上がった。

演習に行くのかと聞くと、「まあ、そんなもんです。」と、言葉を濁した。

さすが、指揮官殿である。隊の機密事項を、むやみやたらに民間人などに話してはいかん。感服仕った。

我が素志も話し、励ましの言葉を頂戴。まもなく精鋭部隊は、粛々と走り去って行った。

我が気も高揚し、更なる難関十三本木峠(中山峠)へと向かった。標高458m、4号線の最高点である。

                    

                                               <十三本木峠>

458mと言うので、大したことは無いとなめていたが、これが大変な道程だった。

ともかくゆるやかじゃが、長い長い上り坂が延々と続き、足首並びに膝への負担が痛烈であった。

さらに、同じ道程が下り坂でもあり、足首と膝に止めを刺した。

いままで足マメや肩痛で苦しんだ事はあったが、特に膝の痛みには参ったわい。

せめてもの救いは、脇を渓流小繋(こつなぎ)川が流れていたことぐらいじゃ。さわやかじゃったのう。

                     

                                              <小繋川>

なんとか峠を越えたが、相変わらず道程はアップダウンを繰り返していた。

そんな時に、演習(あくまで、仮定である)を終えた自衛隊の精鋭部隊が、続々と帰還のため走り抜けて行った。

指揮官殿の乗るジープは、おそらく最後尾じゃろう。車列を見送っていると、指揮車が接近。

車内では、搭乗者の諸官が手を振り応援してくれた。おもわず敬礼し、指揮車を送る。

久々の敬礼に厳粛な気持ちとなる。自衛隊の諸官よ、ありがとう。我が祖国の防衛は任せたぞ。

さて、本日の目的地二戸までは、あと僅かじゃ。もう一踏ん張りじゃ。

ん、なんか良い匂いがするのう。串餅?いったい何物じゃ。

おばあちゃん2人でやっている小さなお店に、おもわず吸い込まれてしもうた。

小麦粉を練った餅に味噌を塗って、炭火で焼く素朴な食べ物。ぜ、絶品じゃ。

おまけに、一串なんと60円也。今の世の中、60円と言う貨幣価値が存在しているとは思わんかった。

まだまだ知らんことが多いのう。勉強になったわい。

串餅を食って腹ごしらえを済まし、二戸の景観地馬仙峡に到着。

       <馬仙峡> 

雄大な岩肌を馬淵川が削った景観は、中々のものである。

馬淵川に沿って、二戸の町に到着。宿を手配し、疲れた身体をようやく休める。

本日は、足首・膝を念入りに手入れし、寝に付く。明日の朝が心配じゃが、なんとかなるじゃろう。

明日は、いよいよ本土最後の八戸への道程。天気もなんとか持ちそうじゃのう。

こうして、疲労困憊の狂歩録第40日目は、終了。


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