平成11年6月28日(月) 曇時々雨(終日濃霧)
0700起床。お〜、見事に身体がだるくなっちょるわい。そろそろ、休まにゃのう。
ところで、本日は、くどいようじゃが、我が国最東端(現時点で踏破可能地点)の納沙布岬を目指す。
本来であれば、我が国最東端の地は択捉島ラッキンベツ岬である。
しかしながら、択捉島を含む北方四島は、憎むべき異国に不法に占拠されちょる。ゆるせん。
何はともあれ、0800納沙布岬に向け出発じゃ。
今日も濃霧で寒いのう。気温は、おそらく10℃以下じゃろう。洒落にならん寒さじゃ。
道道35号線根室半島線の太平洋側を東に向かう。
根室高校を過ぎた頃から、荒涼とした草原地帯になった。海はもちろん濃霧に包まれちょる。
途中にいくつか町と沼が現れたが、それ以外は荒涼とした物寂しい北の光景じゃ。
<タンネ沼>
霧雨は、相変わらず我が素身を濡らし、身体の熱を奪っていく。(昨日同様、傘を使用)
なんか随分と寂しい所に来てしもうたのう。気が滅入って来るわい。
足の痛みもあるので遅々と進んだが、1215遂に納沙布岬到着。
しかし、濃霧のため北方四島は、我が視界で捉えることは出来んかった。おまけに寒さは、かなりのもんじゃ。
わずかに貝殻島の灯台が濃霧の中に霞んで見えたが、地続きの納沙布灯台さえ霞むほどの濃霧じゃ。
<この先に北方四島が> <納沙布灯台>
寒さを避けるため北方館に入る。入口に北方四島返還の記帳所があったので、早速、我が名を記す。
北方館は、北方四島の歴史・地理等の展示館である。
今まで、遠くの事のように思っていた北方領土が、身近に感じられる貴重な資料館じゃ。
たとえば、北方四島の面積は愛知県とほぼ同じであり、択捉島の面積などは佐渡島の約2倍である。
納沙布岬から最短距離の貝殻島までは、なんと3.7kmしかないんじゃ。
このような歴史的にみても、我が国固有の貴重な領土が不法に占拠されてるとは許しがたい。
一刻も早い祖国復帰を願って止まず、血潮の燃ゆる思いである。
<四島の掛け橋> <平和の塔>
その他、北方四島返還の熱い思いが、様々な形で表されていた。
さてと、ひとまず寒さと腹ごしらえ、そして休養のために店にでも入るかのう。
食堂に入って、またまた豪華なものを注文してしまった。それは、カニラーメンじゃ。九百五十円也。
<カニラーメン>
なんと麺の上に花咲ガニが、どーんと乗っている。すごそうじゃのう。
うむうむ、思ったほど美味くないのう(あくまで、個人の意見である)。まあ、身体が暖まったから、良しとするべ。
ラーメンを平らげ、さてと立ち上がろうとすると・・・・
遂に来たのう、足が限界点を越えたわい。がはははは・・・・笑っとる場合じゃなか。
とうとう右足甲の痛みが爆発したわ。こりゃ、参ったのう。痛くてとても歩ける状態ではないわ。
残念ながら、今日は宿に荷物を置いてあるので、救急医療用具は手元に無い。
応急手当も出来ず、途方に暮れてしもうたわい。よりによって、最果ての地で足が動かなくなってしまうとは。
まあ、しばし休めば、なんとかなるじゃろう。もう一本の左足は健在じゃからのう。
しかし、いつまでたっても足の痛みは一向に収まらず、歩行での根室帰還を諦め、無念じゃがバスに乗る。
バスに乗って、思案する。根室で病院に行くか、このまま宿に戻って手当てをするか。
病院行っても、結果は分かっちょる。以前と同じパターンじゃろう。
レントゲン撮って、骨には異常なし、湿布と薬を貰って安静にしていて下さいと。
もはやそんな悠長なことはやっとれん。そうじゃ、誰かが言っていた接骨院に行ってみよう。
足の痛みが我慢できるようなテーピングの方法など教わろう。
バスは快調に進み(他に車など、ほとんど走っちょらん)、根室駅に到着。
保険証を取りに一旦宿に戻り、電話帳で接骨院を探す。たくさん有るのう。宿の近くの接骨院に決める。
なんとか足を引き摺りながら、接骨院に到着。他の患者は、誰もいない。ここで大丈夫かのう。
まずは受付で事情を話し、診察してもらう。
先生はおじいさんじゃが、肌つやが良く、丸い赤ら顔。ちょっと不安になって来た。
赤円先生は、わしを見るなり、「かなり、悪くなっているな。」と一言。
わしゃ、ビックリしたが、理由を質してみた。すると先生は、奥から鏡を持ってきて、わしの前に置いた。
「鏡で、自分の目を見てみなさい。充血して目が真っ赤だぞ。どこかが、痛んでる証拠だよ。」
たしかに、今まで気が付かんかったが、目が真っ赤じゃ。こりゃ、相当のもんじゃのう。
右足を差し出し、診察してもらう。先生には、全て事情を話し、なんとか前に進めるよう頼む。
しかし、冷たい一言が、「前に進みたければ、赤ん坊のように這って行くしかないな。」
この一言に、わしゃ切れた。人を愚弄するにもほどがある。そんな言い方はないじゃろうと詰め寄ると、
「自分の身体の事を考えたら、休むのが一番だ!」と、一喝されてしもうた。
しかし、こっちにも意地がある。それでもなんとか進める方法を教えてくれと懇願すると、しばし思案の後、
「この右足甲の腱は、地面を踏みしめる度に負担が掛かるので、歩くのを止めるしかないな、
どうしても進むというなら、自転車にしなさい。」と。
わしゃ、それは出来んから、他の方法を考えてくれと更に頼む。かなり困っていたが、
「それじゃ、あんた船はどうだ。知り合いに漁師がいるから頼んであげよう。知床までは、船で行きなさい。」
最初は何を言っているか分からんかったが、確かにそれは良い考えじゃ。しかし、本質の解決にはならんのう。
わしが思案していると、先生は奥に行って、何やら電話を掛けちょる。おいおい、こっちはまだ承諾しとらんぞ。
5分ばかし話した後に、先生は戻って言った。
「明日の朝0400に漁協の裏の岸壁に行けば〇〇丸がいるから、それに乗って羅臼まで送ってもらいなさい。」
唖然としている、わしに向かいやさしく言った。
「根室で休むよりも、知床の温泉にでも浸かって身体を休めなさい。」
わしゃ、完璧に誤解しちょった。赤円先生は、わしの身を本当に心配してくれていたんじゃ。
今は漁が最盛期を過ぎているので比較的暇な時期で、知り合いの漁師さんが快諾してくれたそうじゃ。
ただし、漁に出た何艘かの船が0600には港に戻り、岸壁が混雑するので0400頃に出発するそうじゃ。
「遅れないように、今日は早く帰って休みなさい。」と言い、明日の宿から港までの地図を書いてくれた。
それから、念のため赤円先生と漁師さんの電話番号も書いてくれた。丁重に礼を述べ、立ち去ろうとすると
「あんたの成功を祈っている。しかし、足が痛くて進めない時は、痛みが薄らぐまでは自転車にしなさい。
わずかな距離を自転車に乗ったぐらいで、あんたの壮大な快挙に傷がつくもんじゃない。」
思わず目頭が熱くなり、言葉が出なかった。
赤円先生は、出口まで見送ってくれて、更にわしにとどめを刺した。
「身体を大事にしなさい。それから、テーピングで足を固定しちゃ駄目だ。あんた同様自由にしてやりなさい。」
わしゃ、涙を見られるのが嫌で、頭を下げることしか出来ず、早々に表に出た。
赤円先生、御厚情一生忘れ申さず。
足を引き摺りながらも宿に到着し、明日の早起きに備え、準備を整える。
しかし,冷静に考えると、果たして顔も見た事のない漁師さんに、この身を委ねても良いもんじゃろうか?
多少不安が残るが、ここまで来りゃ、やるっきゃあるまい。
ともかく明日早朝には、港に行くことじゃ。その後のことは、その時考えればええ。
今はともかく早く飯食って、風呂入って、早寝する事じゃ。
2100就寝。しかし、今日一日の事が頭を巡って中々寝つけんのう。正直なところ、明日は不安で一杯じゃ。
こうして、最大の困難、そして意外な展開を迎えた、狂歩録第52日目並びに蝦夷地北洋・東進編は、終了。