平成11年7月19日(月) 曇のち晴れ
0800起床。久し振りにゆっくり起きたわい。(しかし、なぜか0600には目覚めてしまう)
まずは、本日の観光の手順を考える。手際良くやらんと疲れるからのう。そんじゃ、行くべ。0930出発。
函館駅前で、市電・市バス一日乗車券(乗り放題)を購入して、市電で五稜郭に向かう。
<函館市電>
チンチン電車に乗るなんて滅多に無いからのう。楽しみじゃ。チンチン電車に揺られて数分、五稜郭到着。
幕末築城された五稜郭は、我が国最初の西洋式城郭じゃ。じっくりと探訪してやろう。
まずは五稜郭の脇のタワーに登り、上から眺めるとする。エレベーターに乗り、タワーの上に到着。

<五稜郭>
タワーの上から見ても、五稜郭の全容を見ることは不可能じゃった。しかし、その威容は素晴らしい。
星形の城郭は、守りやすく攻めにくい。(しかし、戊辰箱館戦争時には、既に時代遅れとなっていた)
五稜郭の反対側には、函館市街が広がっていた。遠く函館山も望めた。
<五稜郭タワーから、函館市街>
しばし、上空からの眺望を堪能した後、五稜郭城内に向かう。
濃緑色の濠に囲まれた城内に入ると、そこは、従来の城郭にある高低差が無く、ほとんど平坦であった。
石垣以外は、高低差は無い。これが、当時近代城郭といわれたものか。

<五稜郭城内>
城内を一周し、その戦略的価値の高さに驚かされる。防御側にとって、死角の無い星形城郭はすごいのう。
さてと、五稜郭遊覧を終わり、歳さん(土方歳三)の終焉の地にと向かう。
今日の函館は、Tシャツでは肌寒い。よっしゃ、歳さん終焉の地へは歩いていこう。
歩いて行くうちに、身体はなんとか暖まってきた。そうこうするうちに、目的地着。
新撰組副長、そして、箱館政府の陸軍奉行並であり、士道に生き士道に死した土方歳三終焉の地。
<土方歳三終焉の地>
歳さんの生涯については、司馬遼太郎先生著の「燃えよ剣」を必読されたし。まさに、血湧き肉踊るべし也。
男とは、何か。その事を教えてくれた。歳さん終焉の地にて、しばし黙念。
歳さん終焉の地を後にし、港の方向に向かう。函館駅からすぐそばに、旧青函連絡船摩周丸が係留されてあった。
<摩周丸>
洞爺丸遭難などの悲劇は有ったが、青函トンネルが出来るまでは、青函連絡船が本土と蝦夷地を結ぶ大動脈。
その名残は、今はこの船のみ。ご苦労さんじゃった。
港沿いの道を進み、函館の旧市街と言われる場所に至ると、赤レンガの倉庫群に遭遇。
ここは、完璧に観光化されており、観光客の皆様が、まるで畑を襲う蝗の大群のようにいらっしゃった。
<赤レンガ倉庫> 
歴史を感じさせる建造物じゃが、ともかく人の多さにうんざりし、観賞もそこそこに立ち去る。
更に進むと、旧市街の坂道の多数ある地域に突入。今日は、重い荷を背負うていないので、難なく登れるわ。
まずは、基坂(函館〜札幌間の道の基点があった)の途中で、旧イギリス領事館を発見。
<旧イギリス領事館>
米国・露国に次いで置かれた英国領事館。今は、静かに資料館となっている。
ところで、函館は日米和親条約で、米国の高圧的な圧力によって開港させられた。
その後、修好通商条約にて我国は開国を余儀なくされ、外の世界へと飛躍した。
当時の米国は、自国産品の市場を確保するため日本を開国させたが、現在でもその国家体質は変化しとらん。
自国に少しでも有利となるように、強引にでも外交政策を遂行する。我国も見習うべき事ではある。(以上、余談)
基坂を更に登って行くと元町公園に到着。ここからは、函館港を見下ろすことが出来た。
<元町公園から、函館港>
天気の回復とともに海は青さを取り戻し、素晴らしい眺望となった。ここには、歴史的建造物が林立していた。
全て函館の町の歴史とともに、歩んできた建造物ばかりである。

<旧北海道庁函館支庁庁舎> <旧開拓使書籍庫> <重文・旧函館区公会堂>
それぞれとても趣深い建物で、非常に美しかったのう。特に、旧函館区公会堂は素晴らしいわ。
元町公園でしばし休憩後、石畳の道を通って、基督教の寺院地帯に入った。
ロシア正教のハリストス教会とカトリック元町教会が尖塔を天に突き刺すように聳え立っていた。

<重文・ハリストス教会> <元町教会>
ビザンチン様式のハリストス教会は、いかにもロシア正教の建物って感じじゃのう。クレムリンを思い出すわ。
元町教会のほうは、たぶんゴシック様式じゃと思う。本堂の横に垂直に伸びる鐘楼が併設されとる。
これにて、とりあえず昼の部は終了としよう。まだまだ見るものはあるが、このままじゃ切りが無い。
一旦宿に戻り、デジカメのデータをPCに移植せにゃならんしのう。
せっかく一日乗車券買ったが、ほとんど歩きで済ましちまった。勿体無いことしたのう。夜の部で使おう。
宿に戻ってHPのデータの整理をし、暗くなるのを待つ。今宵こそは、雲よ、去ってくれ。
0730、外が完全に暗くなったことを確認し、再び旧市街に向かう。
100万ドルの夜景を見るため、函館山に向かう。果たして、天気はどうじゃろう。不安じゃのう。
市電に揺られ十字街で下車し、函館山ロープウェイ乗り場に向かう。函館山山頂の明かりが確認できた。
こりゃ、今夜は、きっと夜景が見れるぜ。ロープウェイ乗り場に到着し、再び蝗の群れに遭遇した。
まずは、切符を買うのに一苦労。ロープウェイは、朝の地下鉄千代田線状態。(ぎゅうぎゅう詰)
何とか山頂に到着するも、この地は巨人戦の東京ドーム状態。人々の喧騒とカメラのフラッシュの雨霰。
なんとか外野自由席を確保し、100万ドルの夜景を堪能す。素晴らしい。この一言に限る。


<100万ドルの夜景>
留萌で見た夕日は、自然の美しさ。目の前の光景は、人類が作り出した美しさ。そりゃ美しいが、何か儚い。
上手く言えんが、夢の中の砂上の楼閣のような感じじゃ。まあ、理屈はともかく、美しい。
しかし、地上でもかなりの肌寒さじゃったので、山頂はかなり寒い。上着着てくれば良かったわい。
こりゃ、早々に撤収じゃ。山頂滞在時間20数分で、再びロープウェイに揺られ下山する。地上は暖かかった。
夜景を堪能した後は、昼の部で訪れた所に、再び赴く。まずは、教会じゃ。
昼とは違った幻想的な表情を見せたその姿には、思わず息を呑む。神秘的じゃのう。

<ハリストス教会> <元町教会>
こういう素晴らしい場所には、蝗さんたちがいなくて本当に良かったわい。
更に幻想的な光景を求め、夜の町を徘徊する。次は、元町公園じゃ。

<旧函館区公会堂> <旧開拓使書籍庫> <旧北海道庁函館支庁庁舎>
本当に美しい。ライトアップされた箇所以外の余計なものが見えないので良いのじゃろうな。
古代より、闇は神聖なものであったが、今日は、改めて闇のありがたさがわかったわい。
元町公園から基坂を下り、旧イギリス領事館跡を通過して、海峡通りに至る。ここも美しい通りじゃ。

<基坂> <旧イギリス領事館跡> <海峡通り>
まさに、町を挙げてのライトアップじゃ。こんな美しい町に住んでいる人が羨ましいのう。
さて、最後にあそこも見て来ようかのう。港のほうに向かう。
姿を現わした赤レンガ倉庫群は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。ん〜、これで良か。
<赤レンガ倉庫群> 
柔らかい明かりに照らし出された幻想的な光景じゃ。コンクリート壁じゃ、こうは表現できんじゃろう。
夜の函館旧市街を堪能したが、時刻は2130を過ぎていた。さてと、帰るとするか。
市電の停車場に行き、愕然とする。最終電車は、2117じゃ。もう電車がない。どうするんじゃ。
しかし、なぜか人々は停車場で待っている。こりゃ、なんかカラクリが有るのかのう。どれどれ。
おっと、夏の期間だけ深夜(正確には、まだ宵の口じゃ)増便じゃ。2150に来るのう。しばし待機。
市電に揺られ函館駅着。遅い夕食をラーメン屋で済まし、2230宿着。
それにしても、函館は中々良い町じゃった。まことに、歴史を感じさせるのう。我が身の血肉となったわい。
蝦夷地では小樽がお気に入りじゃったが、函館が最終回に逆転さよなら勝ちじゃ。感服仕った。
今夜は、函館滞在記を仕上げるため遅くなりそうじゃのう。結果、0300過ぎにHP完成。こりゃ、やり過ぎじゃ。
そう言えば、今宵は蝦夷地最後の晩じゃのう。ん〜、・・・。明日は、いよいよ船にて蝦夷地脱出じゃ。
こうして、蝦夷地最後の晩である、狂歩録第73日目は、終了。