平成11年7月20日(火) 海の日 晴れ
0800起床。多少寝不足気味じゃ。頭がくらくらするのう。しばし、布団の上で固まっている。
よっしゃ、本日は、いよいよ蝦夷地脱出じゃ。船は、1210出航のため、0950出発。
一昨日通った思い出深い国道5号線を札幌方向に向け歩み、しばし後国道227号線に入る。
ここからフェリーターミナルはわずかじゃ。1100フェリーターミナル着。
早速、乗船券を求める。函館・青森間は、1420円也。こりゃ、安いのう。約100kmが、この料金か。
出航まで、まだ時間があるので、朝食兼昼食を摂る。これが、蝦夷地最後の食事じゃ。
食事を終えたが、まだ時間があるのう。暇つぶしに桟橋をぶらぶらする。蝦夷地の光景も見納めじゃ。
本日乗船する船は、びるご号。船名の由縁は判らんが、とりあえず蝦夷地最後の記念撮影。
出航の時間が迫ってきた。とうとう別れの時が近付いてきた。1155、陸上から船上へと移る。
船室に入り、荷物を置き、甲板へと移る。天気は快晴で、風は爽快。
1210遂に出航。船は、ゆっくりと旋回しながら進み始めた。左手に昨夜登った函館山が見えていた。
<函館山>
船は、次第に速度を上げ、白い航跡を残して、見る見るうちに陸地から遠ざかって行った。
喜怒哀楽全て経験させてもらった蝦夷地からお別れじゃ。さらばじゃ、蝦夷地よ。
お世話になった全ての人々。そして、広大な大地に感謝し、しばし黙念。1235には、蝦夷地は霧の中に消えた
<さらば、蝦夷地よ> 
<愛しき蝦夷地に対し、一愚詩>

霧の中に蝦夷地が消え、津軽海峡を進むと、海上は肌寒くなってきた。船室に退避じゃ。
船内にて、昨夜の寝不足を補うため仮眠を取る。船の揺れは、最高の子守唄代わりじゃ。
1時間ばかり寝たかのう。1445、外を見ると、ちょうど平舘海峡を通過した所だった。
右に津軽半島、左に下北半島を眺めることが出来た。再び、無事に本土に戻れたも同然じゃ。

<津軽半島> <下北半島>
陽気も快適じゃ。このまま甲板上で、しばし過ごす。まさに、津軽海峡夏景色ちゅう感じじゃ。
海上は、波も穏やかで凪状態。きらきら輝く海上は、なんとも言えず美しかった。
<津軽海峡夏景色>
爽やかな海風に頬を撫でられながら海上の旅を楽しんでいると、靄掛かった中に青森市街が見えたきた。
真っ白な雲を抱いた山々の下に、青森市街は広がっていた。まもなく青森港に到着。

<青森市街> <青森港>
船は、ゆっくりと接岸しつつあった。船の速度が遅くなるのに伴い、もの凄い暑さが襲ってきた。
海を隔てただけで、こうも気候が違うもんなのかのう。こりゃ、驚いたわい。
1538、びるご号は、遂に着岸。本土に到着じゃ。
<びるご号着岸>
急ぎ甲板から船室に戻り、荷を背負って下船に備える。人影の無くなった船内を抜け、1606本土上陸。
ここから山口県下関市までは、陸続きじゃ。そんじゃ、まずは青森市中心部に向け進撃。
港に沿って進むが、この暑さはなんじゃ。蝦夷地の快適な気候を忘れてしまうほどの暑さじゃ。
お天道様は、燦燦と強烈な光を降り注いでいる。風がまったく無く、おまけに蒸し暑い。
暑熱の中を進むと、青森にもあったベイブリッジに到着。横浜よりも、多少サイズは小さいが。

<ベイブリッジ> <八甲田丸>
ベイブリッジからは、旧青函連絡船で活躍した八甲田丸が波止場に繋留されているのが見えた。
函館にも摩周丸が繋留されていたが、両市とも青函連絡船に対する思い入れの強さが凄いのう。
ベイブリッジの途中から階段を降り、青森駅に到着。定番の観光案内所で宿確保。1700宿着。
不要になった蝦夷地の資料を整理し、新靴を購入すべく、町に出る。
しかし、靴屋は有れども相性の合う靴に出会えず、本日の新靴購入は断念する。(もっと、靴の種類揃えといて)
昨夜の寝不足のため早く寝たかったが、雑用が多く、2300過ぎに就寝。
こうして、狂歩録第74日目並びに蝦夷地南方・最終編は、終了。