| Gメン75トピックス−原田大二郎という男− ”燃焼感”を肌に感じて仕事をしたい −スタア1975年9月号(接写人:小林 栴氏)より− 資料協力:関屋二郎さま --> |
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| 7575 | ![]() 上記画像は初期Gメン75No.4「殺し屋刑事」番宣写真より ゲストの若林豪氏との共演 ☆ハードボイルド「Gメン75」のイメージを定着させた関屋一郎警部補。そのバイタリティあふれる若き エリート警部補を好演された原田大二郎氏が当時この番組に賭けた熱い想い。 27年の歳月を経て2002年3月、再度初期のGメンが・・・、関屋警部補が・・・帰って来る! CSファミリー劇場でその勇姿を堪能する前に、改めて作品にかける原田さんの情熱を感じてみたい。 今ではもう読むことができない貴重な当時の記事をもとに記録しておこう。 ★右膝挫傷、左助骨を折る・・・・・・ 再び原田と膝を交えて話し合った。 「ぼくはねェ、千円の金で火の中に飛び込んでいくような部分があるんですよ。ほら、あの橋(と、高さ五メー トルはある高速道踏を指しながら)普通はあの上から飛び込むのは無理ですよ、ね。 だけど、本番といえば、ぼくはやりますよ。ぼくはね、プロフェッショナルになりたい、という気持ちがとっても あるんです。」 その橋の上から等身大の人形が投げられた。ペターンと水面に落ちる。たぶん誰かが突き落とされるか、 ピストルでねらい撃たれたシーンを撮影中なのだろう。彼にはそれが、まだるっこくてしようがないらしい。 「あれじゃ、燃焼感が出ないよ」 彼はしきりと、”燃焼感”という言葉を口にする。彼がいう”燃焼感”とは、いったいどういうものなのか。 「六月六日の午前三時ごろでしたかね。船上ロケで、ハッチに左足を突っ込んじゃいましてねェ。 右膝のサラが割れて、左の助骨が一本、ポキリですよ。 いやあ、あまり痛くはなかったけれど、息がつけなくってね。ああ、オレもこれで死ぬんだな、と思いましたよ。 一本いくらのギャラで仕事をして、このまま死んじゃうんだなってね」 このとき、救急車でかつぎ込まれた病院で、彼は「全治六ヶ月」と診断された。当然、ギブスをはめて、絶対 安静だ。しかし、彼はそれがいやさに知り合いの接骨医のところへトンズラした。 「それがすばらしい接骨医でね。ぼくは三日しか仕事を休まなかったんです。さすがに激しい動きはできな かったけど、しかし人間、精神力なんだな。走ってきて柵を飛び越えるシーンがあったのを、ぼく、さっそく ちゃんとやりましたよ。 とても走れる状態じゃない、と思ったけど、ぶっつけ本番でね。いざ、走り出してみると痛くないんです。 ついでにパン、と柵を飛び越えちゃいましたよ。柵は飛ばなくてもいいことになっていたんですけどね。 だけど、この燃焼感てすばらしいと思うな。ぼくはつくづく、価値ある仕事をしている、と思うんですよ。」 文学座時代に、こんなこともあった。舞台稽古中に養父の死の知らせがはいった。 彼が役者になることを、最後まで反対した養父。しかし、彼には恩義のある人だった。 が、このとき原田は、即座に「帰りたい」と決めた。 「いや、帰れない。帰っちゃいけないのだ、と思ったんです。けっきょく幹部の人に相談したところ帰らされ ちゃったわけですが、ぼくはこういう自分の生きざまが好きなんです。かなりスタイリストじゃないかなぁ。 要するに、カッコマンなんですよね」 どちらかといえば、かなり不器用なスタイリストなのかもしれない。たとえば、例の空気の抜けたような笑い方 にしても、トレードマークにするならするで、もっと方法があるはずだ・・・・。 だが、彼が二枚目としての自分に抵抗する意味があるのかもしれないと、ふと思った。 そのへんのところは、正直いってぼくにもわからない。 が、いずれにせよ原田という人間が、二枚目としてのイメージを、なんとかしてぶちこわそうとしていることだけ は確実なような気がする。 それが彼の生きざまであり、彼のいう燃焼感であるのかもしれない。彼はこうもいうのである。 「ぼくは都会的な感じがする、といわれるんですが、中身そのものは泥くさくって、カッペそのものなんですよ。 あまり高い自尊心を持ち合わせているわけでもなく、二枚目としてはカッコ悪い、と思いますよ」 <中略> 原田は、いまこの「Gメン75」にすべてを賭けている。このための舞台の話もことわったという。 役者になって六年目。大きな転機に立った原田は、どう脱皮し、どう変身しようとしているのか。 いまこそ彼は、自分のプロ根性をためす気になっているのかもしれない。 |