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■行者道・行者街道って? 行者道とは、修験道の開祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」こと役小角(おずぬ)が、生地の御所市茅原から修行の場=葛城山・金剛山に通った道のこと。 小角は634年御所市茅原に生まれた実在の人物で、吉祥草寺は彼の開基と伝えられています。葛城山に入り呪術を習得しますが、のちに彼の呪術は民衆を妖惑するということで、伊豆大島に流されますが、3年後の701年に帰国しました。平安時代になって、行者の称を以て呼ばれるようになり、鎌倉時代には修験道の開祖として祭り上げられるようになりました。 行者街道は行者街道プロジェクトチームが設定した街道で、毎年吉祥草寺で行われる「霜月祭」のときに行者たちが練り歩く、近鉄御所駅から吉祥草寺のルートをもとにしています。この街道を辿ることで、御所まちの雰囲気を楽しむこともできます。行者街道は画面下の地図をご覧ください。
■御所まち 「御所まち」は、葛城川によって「西御所」と「東御所」にわけられます。「西御所」は桑山氏の城下町として商業的町場として栄え、碁盤目状の道路が城下町のなごりを伝えています。一方「東御所」も西御所と同じく、桑山氏の城下官庁街として、また桑山一族が建てた円照寺の寺内町として発達しました。
居城などは今は跡形もありませんが、外堀川、内屋敷、東外屋敷、外屋敷などの地名が残っていて、そのあたりに城があったのではないかと推定されます。 ■御所まちの四地蔵 旧御所まちへの四隅の入り口は、敵からの侵入に備えるために鉤形になっていました。現在では新しい道がつけられており、西町の角にその後を残すのみとなっています。 それぞれの入り口に地蔵尊が祭られており、北西角には「長命地蔵」、南西角には「柳田川安産地蔵」、北東角には「大日地蔵」、南東角には「馬橋地蔵」が祭られ、町内の人々によって今も信仰が受け継がれています。 ■御所まち&行者街道マップ 寛保年間1740年代の御所町の地図と現代の町並みを比べてみましょう。 先程解説にあった鉤型の道なりは、現在では北西角にのみそのなごりを見ることができます。まち全体は碁盤目状をしており、また町家にも昔ながらの姿を残すものが多いので、この界隈を散歩することで『御所まち』の雰囲気を味わうことができます。 役行者が通ったとされる『行者街道』は、現代に伝わる書物がないために推測するしかありません。行者街道プロジェクト委員会のメンバーが推定された道程を現代地図に橙線で示しました。この道を辿ることで、近鉄御所駅から、役行者の生誕地=吉祥草寺までの道のりを、御所まちの雰囲気を楽しみながら歩くことができます。 『行者街道』沿いにはのぼりが立っていますので、この地図とのぼりをご参考に歩いてみて下さい!
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