その35 <(洗髪+焼きジャガイモ+男子寄宿舎での白熱ゲーム)=ナムチェの平和な夜?>

12月17日(月曜日) 12日目 ナムチェ・バザール(3420m) その2

雪男…

出会えなくて(?)ちょっと残念でしたが、「謎」は「謎」のままの方が、ロマンがあっていいかもしれませんね。

クンジュン村を後にして帰路に着いたの は午後1時半を少し過ぎたくらいでしょうか。まだ半日たったばかり。今日は背中の重い荷物もありませんし、道もきつくないのでのんびり気分。ダンバーやMと冗談を言い合いながらゆっくり歩いていると、ヒラリースクール(その34参照)を通り過ぎました。校庭では小学生たちがサッカーをしています。身体が小さいので小学生だと思った男の子たちは、皆中学生だとダンバーに言われました。厳しい環境と粗末な食べ物のせいで、ネパールの人たちは現代の日本人よりずっと身体が小さいのです。食生活と環境は身体の発育に大きな影響を与えます。日本でも現代の若者は、私の小さかった時に比べると平均的に大きく、ここ20〜30年の食生活の変化がよくわかりますよね。

その後30分くらい歩くと、「滑走路が1本だけある空港」を横切りました。例の「ホテル・エベレストのためにつくられたような」と説明した空港です。(その34参照) 横切り始めて1分とたたないうちに、クリアーだった目の前に突然霧が出て来てあたりは真っ白になり、3メートル先も見えなくなりました。白い雲の中を歩いているようで、どちらの方向に向かっているのか全くわかりません。飛行機が雲の中を飛んでいる時のような感じです。

「山の天気は予測できず、変わりやすい」、とはまさにこのこと。

山では知っている道でも迷ったり、遭難してしまうことが多いとよく言われますが、甘く見ていると命にかかわるのだということを実感しました。幸い霧は深くなく、風に流されて視界がよくなったので、私たちは迷ずに午後2時半頃ゲストハウスに帰ってきました。

ヒマラヤのゲストハウスでは、食堂がリビングルーム(居間)的な役割を果たしています。各部屋は狭く、寝袋を乗せる板のようなベッドがあるだけでストーブも何もない寝るだけの場所ですから、食堂が食事をするだけでなく、全てのアクティヴィティーに利用されているのです。大抵はがらんと広く、ストーブが部屋の真ん中に近いところに設置され、テーブルがいくつか置いてあるシンプルなつくりになっています。日中は誰もいないことが多く、ストーブに火も入っていません。

戻ってきてから、私はそのひっそりとした食堂に一人座って日記を書いていました。その時ふと、「ずいぶん長いこと鏡で自分の姿を見ていないなあ」と思いました。

トレッキングをスタートしてから、鏡のおいてあるところがほとんどなかったので、自分の姿を見ることはあまりありませんでした。毎朝コンタクトレンズを入れる時に持参した小さな手鏡を使うことはあっても、暗がりで顔をじっくり見ることはできません。カトマンズをたって11日。すでに顔が汚れているかどうかも気にならなくなっていました。(怖い??)

そんなことを考えていると、今度は何だか頭皮がかゆくなってきました。雪男の頭皮のことで、急に自分のも気になり始めたんじゃないかって? …そうかもしれません。でも「ちょっとだけだった頭皮のかゆさ」が段々我慢できなくなり、ついに食堂からすぐ出たところにある台所で夕食の支度をしている男の子にお湯を湧かしてもらい、それでバケツにぬるま湯を作って、台所の前の裏庭(と言ってもコンクリートで固められた一角)でシャンプーしました。お風呂がないので外でも仕方がありませんが、寒いのなんのって。バケツの中のぬるま湯はすぐに「ただの水」になってしまうし、急に気温が下がった夕方、Tシャツだけしか着ていませんでしたから。

その後ナムチェから上は飲み水だって貴重だったので、ルクラに戻るまで洗髪することはありませんでした。しかし気持ち悪いというよりも、シャワーを浴びないことに慣れっこになってしまい、身体を洗わなくてもどうってことなくなってしまいました。だいぶ先の話ですが、カトマンズに戻った時、毎日シャワーに入ることもシャンプーすることも「面倒だ」と思うようになっていたのですから、環境に慣れるという人間の対応力はすごいものだと感心しました。それとも怠け者になったということなのでしょうか?

洗髪を終えてそのまま食堂へ直行。私が洗髪をしている間に夕方になったので、すでにストーブに火が入っていました。食事の支度をしていない男の子たちやダンバー、ラメッシュも集まっており、ひっそりとしていた食堂は活気に満ちています。寒さに震えていた私は、燃えている木のパチパチという音を聞いただけでほっとした気分になりました。現代、先進国の都会では「火」に困ることなんてありませんが、何万年も前から「火」は人類が生き延びるために重要だったということを、以前 "QUEST FOR FIRE" というフランス制作の映画の中で教えられたことを思い出しました。日本語のタイトルは「人類創世」でしたか…?

映画好きの人、"QUEST FOR FIRE" を観たことありますか? 1980 年代制作の作品です。

映画を思い出しながら、火にあたって冷えきった身体を温めていると、木をくべていた男の子の一人がストーブの下についている小さなドアを開け、鉄の火かき棒で何か取り出しました。

ごろごろごろ…ところげ落ちたのは、こんがりと焼けたじゃがいもでした。

ひとつ取って私の手にのせてくれましたが、熱くて火傷しそうです。あちちちちっ! 我慢して皮を剥き、ふ〜ふ〜と吹きながらかじりつきました。 塩も何もつけずに食べるのですが、これがほくほくとしていて、香ばしくて、もうたまりません! ジュンベシで食べた小さな里芋を思い出しまし。(その27参照)Mも無言でほおばっています。

じゃがいもがこんなにおいしかったなんて!!

一方、「焼きじゃが」に夢中になっている私たちの後ろにあるテーブルでは、男子寄宿舎のようなこのゲストハウスの住人たちが別のことに夢中になっていました。時々歓声も上がり、かなり盛り上がっています。

「焼きじゃが」より男の子たちからの人気を集めていたのは、「キャロム・ボード (Carrom Board)」という遊びでした。

通常二人でプレーするこのゲームを私が初めて見たのはイタリアのトスカ二ーでした。こたつの上に乗せるような 1m x 1m くらいの大きさの正方形の板の表面には、丸や線が書いてあります。そこにオセロのチップのような円盤形の駒をのせ、それらをぶつけあって遊ぶのですが、実際にプレーしていない私には、遊び方をここでうまく説明できません。

キャロム・ボードは、アジア諸国、特にインド、スリランカ、ネパールなどで人気があるようですが、世界の様々な地域でもマニアは多いようです。もっと詳しく知りたい方はhttp://www.carromjapan.com//を覗いてみてください。国際キャロム連盟なんてのも存在するようです。

さて、話をナムチェに戻しましょう。ゲームが白熱しているのは、お金をかけてプレーしているからでしょうか。ダンバーはかなり「賭け事好き」みたいで、我を忘れてプレーしていました。山を登っている時よりずっと真剣な表情。そのうちまだこのゲームをやったことがないMを誘って、遊び方を教え始めました。Mもまんざらではないようで、男のたちと一緒に笑いながら楽しんでいました。

窓から見える山々のシルエット。
山に降り積もった雪の白さ。
日が沈んで暗くなり始めた群青色の空。
真っ赤に燃えているストーブの火。
焼きじゃがのこんがり焼けるいい匂い。
キャレム・ボードをプレーする男の子たちの笑い声。

外出禁止令が出されて物騒だなんていう雰囲気はまったく漂っていない、一見平和そうに見えるナムチェの夜は静かに更けて行きます。

えっ? 今日は何も起こらなかったから、つまらない?

まあまあ。いくら「ダ・ピンチ」だからって、毎回何か起こってたら大変ですよ。こういう平和な日があってもいいじゃあありませんか。


次回の予告:
その36<クンブ地方で最大のチベット仏教僧院+お喋りなフランス人+本格的な寒さ>=テンボジェ:その1
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