今回の体験ではじめて知りました。自然災害の恐ろしさを。人知ではどうにもならない「力」というものを。
不幸中の幸い。家は半壊しましたが、私は家族とともに無事でした。
以下、95年1月18日に友人にあてたパソコン通信(NIFTYSERVE)の電子メール(返信)です。そのまま紹介します。
1月17日午前5時46分
ガガガガガ………
………冗談でも何でもなく、本当にこの世の終わりだ! と思いました。
僕は布団にくるまり、頭を抱えて小さくなっていました。TV、スピーカ、パソコンのキーボード等が床に落ち、机と本棚の本が全て崩れ落ち、本棚の上の空きダンボールが3個頭上に落下しました。幸い、本棚はパソコンの机にぶつかって揺り戻ったため、体の上に落ちてきませんでした。本棚の3mm厚のガラスも割れませんでした。また、僕にとって重要なライフラインである眼鏡は、本に埋もれたおかげで、無事でした。
部屋の机なんて、20cmもずれてしまいました。
隣の部屋、すなわち台所では、食器棚、靴箱、TV等が倒れ、ガラス、陶器が目茶苦茶に壊れました。その破片で足の裏を切りましたが、もう大丈夫です。
家の前の道路に5〜10cmの亀裂が数本走り、石垣、庭に大きなひびが入りました。
家は、道路と庭の亀裂に沿って基礎が3ヶ所で分断され、玄関ホールが2つに割れました。家全体が少し傾き、柱と壁に間が大きく空いています(3cm位)。壁がひび割れました。屋根瓦がかなり崩れ落ちました。
玄関のドアが歪んで開かない! 勝手口はドアロックごと歪みでちぎれるように外れた! いまは「ちょうつがい」を全部外し、ガムテープで固定しています。僕の部屋は、雨戸が1枚ビクともしない上、窓ガラスのフレームが歪みました。よって新聞紙で隙間を塞ぎました。
電気は、地震発生後6時間位で復旧しましたが、水道はこの先2カ月はダメだそうです。ちなみに、亀裂のために水道管、ガス管が破壊されました。17日はガスもれがひどく、神経ピリピリ状態でしたが、18日にガスの供給がとまり、ガス爆発の心配は去りました。近所にも火事はありません。しかし、ガス復旧の見込はありません。
神陵台のほうで、道路ガス火災がありました。
電話がなかなか通じません。
>聞きました。大慌てで実家に電話を掛けたところ一回でつながり、両親とも無事なので
>ホッとしました。
よかったですね。うちも人だけは無事です。
近くのローソンなどには、文字通り商品が何もありません。したがって、物資入手のため、17、18の両日は(明石から)小野、三木まで買いだしに出ました。往復8時間! 南北のR175は凄い渋滞です。東西のR2は規制されており、通行できません。 また今日は、朝8時に近くのスーパーに並び(50人目位)10時の開店に備えました。
小野、三木方面も、凄まじい食料不足です。
奮闘の結果、数日分の飲料水、米、カップ麺などは確保できました。でも風呂に入れない! 水洗トイレも苦労してます(一応使えるようにした)。
実は17日は浜松へ出張の予定でした。8時2分西明石発の新幹線に乗っていて、その数分後に、もし地震が発生していたら、このMAILも出せなかったことでしょう。
まあ、命と寝床のあることに感謝! @@君にも感謝!
PS1.
いまも余震が続いています。17日夜は一睡もできませんでした。
いまも、あちこちで救急車が走り回っています。近くの病院は、ケガ人で一杯です。
PS2.
会社へは1度も出勤していません。誰も電話にでません。一応、上司とは連絡をとっています。しばらく自宅待機……か?
ちなみに、造船用の大型クレーンが倒壊したそうです。
PS3.
ファッション都市 神戸三宮は壊滅しました。神戸港もダメです。
ダイエー三宮店は、1FがB1Fになりました(つまり陥没)。TV等でも報告されていますが、あちこちでビルが倒れ、焼けました。