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果てしない彷徨
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 高齢化社会に突き進んでいく日本が
国家そのものも老齢化して行くそれを防ぐことの出来るのは若者には無理だ老齢化を防ぐことの出来るのは高齢者自身しかないことを訴える
近未来社会小説
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発行所:株式会社エムイーシー
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定価 \1,500.-(税込) A5変形 311ページ ソフトカバー
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「果てしない彷徨」はまさにわたくし自身のこれまでの54年間の人生そのものであり、振り返ってみればすべての時々が彷徨でありました。 何ひとつ、予想した通りの人生設計を実現したことは無く、すべてがハプニングの連続であったような気がしてなりません。
然しながら、結果はすべてオーライであったとも言えます。
人生は四苦八苦の連続だとよく言われますが、結局はなるようになり、生きることはワクワクする楽しいものだと意を強くするのであります。 主人公が65歳という人生の最終段階に差し掛かった時から始まるこの物語は、65年間のそれまでの人生が彷徨ではなく、人工的なプラスチックのレールの上を走ってきたものであると気付いたところから始まります。 シナリオのないアドリブの連続であるミュージカルは、考え方によっては、これほど不安なものはないでしょうが、それ故に生き生きとしている。そして結果は良し。 それならば、これほど楽しいものはありません。 そうしますと、人生は四苦八苦ではなく、楽しくてしょうがないものであると思うのであります? この物語を読み終えた、あなたは如何でしょうか? |
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第一章
退任
山本五郎は、総合商社としてはトップ5に入る関西系繊維商社あがりのトーホー商事の取締役機械本部長だったが、今日で退任だ。 総合商社というのは世界でも日本にしかない、特殊な機能を持った企業体だ。 何事も合理的な欧米先進諸国の自由競争市場では、こういった総合商社の存在価値はまったくと言っていいほど認められていなかった。 彼等の言葉を借りれば、日本でも昔は軽蔑用語として使われていたブローカーだ。 ブローカーとは商売すなわち生産者側と消費者側の間に入って正統な商流を壊すゴキブリのような存在だということだ。 しかし、欧米諸国が築いた近代工業社会に遅れをとった日本のような国が、何とか彼らに追いつくために国を挙げての方策しかなかった時代には、その尖兵役としての商社の役割は重要であった。 資源の乏しい日本が先進国と肩を並べていくことは、欧米諸国のアジア植民地政策の餌食にならないための絶対条件であった。 あの長い歴史と広大な土地と人口を誇る中国やインドでさえ、その何十分の一程度の土地と人口のイギリスに長い間蹂躪されてきたことを知っていた当時の明治政府は、日本を近代工業国家に早急に変身させることが欧米諸国の餌食にならない唯一の道であると確信していた。そしてその方法は世界の国々と貿易をするしか道はなかった。 世界の国と貿易をするには、現代のような通信設備もない時代では足で稼ぐしかないから、誰かが世界への足掛かりをつけなければならない。 その役割を果たしたのが総合商社だ。 物を作る製造業は、売る前に先ず世界に通用する製品を作らなければならなかった時代だ。 ヨーロッパで興った産業革命が近代技術を生み、それまでの製造概念を完全に覆してしまった。所謂新しいパラダイムの誕生だ。 欧米諸国の近代技術を学んで物真似でも同じ物を作ってみることに精力を集中していた製造業界は、売ることまで考える余裕がなかった。 その売る役割を引き受けたのが総合商社だ。 製造機能と販売機能の役割分担をすることで、コスト競争力と販売力を強化する施策を採らざるを得なかった。 総合商社は全世界の主要な都市に拠点をつくり、そこに社員を派遣して市場と直接アクセス出来るネットワークを築いた。 このネットワークは確かに一時代を画した。 ネットワーク網に掛かる情報は、如何なる情報網よりも正確で迅速だったから、日本の新聞社や報道機関も総合商社の情報を当てにしていたぐらいだ。 ところがこの十年ぐらいの間に起きたパソコンを駆使したインターネットの驚異的普及が、完全にまた新しいパラダイムを誕生させた。 従来の人間をベースにしたネットワーク網つまり井戸端会議で得る生の情報網から、人工的に作りあげたプラスチック情報網に変ってしまった。 プラスチック情報は、井戸端会議で交わされる生の情報とは質が違って、冷たい情報だ。言い換えれば客観情報だ。 井戸端会議の情報は、暖かい主観情報だ。 人間の情念が混じっている主観情報では通用しないからプラスチック情報という。 新しいパラダイムのネットワークの誕生で、総合商社の役割はもう終わったと五郎は思った。 「ちょうど、自分も65才になって引退だし、自分の活躍出来る時代ではなくなった。」 と株主総会で退任の決議がされて、田中社長に挨拶をして東京本社のビルを歩いて出たとき、ふと寂しさと空しさが胸に湧くと足取りも重くなった。 「これから、何をして生きていこうか。体も頭もまだしっかりしているから家に毎日いることも良くないだろうなあ」 と思うと、頭の中が急に真っ白になった。 平均年齢が80才を越えるこの日本で五郎はまだまだ若い。 「俺のような人間が、今の日本にはたくさんいるだろうな」と思うと何か心の中に熱いものが込み上げてきた。 65才の山本五郎が、これから取り組んでいく新しい挑戦は、まさに日本の国がこれから直面し、克服していかなければならない問題に解答を与えてくれるかもしれない。
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終わりの章
自分へのスピーチ
あれから8年、五郎にとっての8年は、ほんの1年程度の時間の感覚であった。 それを、年をとったせいと考えるか、充実した時間だったととるか、それは五郎の胸にしか分からないことであった。 今日は、マサルと恭子の結婚式であり、式場は上原の落ちこぼれ道場であった。 しかし、出席者はタレントスター同士の結婚式以上の豪華メンバーであった。 出席者の顔を一人一人見まわしていった五郎は、かつての栄光を失った連中が、栄光を失った喜びを顔面一杯に表しているように感じた。 自分のいた会社の連中が見たら、自分もそう思われるだろうなと内心笑っていたら、横からご老体が、 「何を笑っているのだ」と言って足をつついた。 「笑っていますか?」と聞く五郎に、 「8年も毎日顔を合わしていたら、心の顔まで見えるさ」と言った。 「それじゃ、わたしの今日の想いを全部読めますか?」と聞いたら、ご老体は胸の中から封筒を取り出して五郎に渡した。 そのとき、ちょうどマサルの父の挨拶が始まるときだった。 五郎は、封筒の中の便箋を取り出し、読み始めた。 「みなさん、本日は息子の結婚式にこれだけの方々が出席して頂いて誠にありがとうございました。これは一重に息子の徳の賜物だと思って、父としてこんな息子を持ったことを誇りに思っています。・・・・・・ わたしは、大企業のサラリーマン幹部として、栄光の道を歩んでいると錯覚した人生を65年間も続けてまいりました。それから8年の間に、この薄っぺらな65年間の人生の上に素晴らしい衣装をつけてもらいました。…………・・そしてこの晴れの舞台に、挨拶をさせて頂いたことは、…………72年間の人生をさまよい歩いた果ての到着地であった満足感を味わっております。思えば、8年前に衝動的に飛び出し、明治神宮まで歩いて行ったときは、まさにこれから果てしない彷徨の旅だと思って不安がいっぱいの中五百円玉1個で渋谷の駅まで、ふらふら呆然自失の境地で歩いたことが思い出されます。それから今日までの8年間にわたしは生き返りました。生き返らせて頂いたと言った方が適切であります。人生はどこで何が起こるか、まったく1秒先が未知であります。しかし、この果てしない彷徨の旅が、途中あらゆる困難と遭遇しても、最後には最高の結果で終わらせてくれる、内なる旅の案内人がいてくれることを知りました。 その旅の案内人を信じ、一緒に生きて行きさえすれば、この彷徨は、心地のよいものであったことを教えてくれました。……………」 封筒を左手に持って読んでいた五郎が、封筒の中に何か硬いものが入っているのを
感じ、中から取り出してみた。なんとそれは家出した時に持っていた五百円玉であった。
― 完
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