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日本語が壊れていく
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発行所:株式会社エムイーシー |
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定価 \1,200.-(税込) A5変形 186ページ ハードカバー
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今、日本語が壊れようとしています。 わたしたち、現代人が使用している標準語は戦後教育制度に基づく口語体のものであります。 しかし、地方のみならず、標準語を使用している東京でも、下町に行きますと江戸っ子弁という、いわゆる戦前まで、綿々と引き継がれてきた文語体が残っております。 それぞれの文化が、その言葉の中に残されているのです。口語体といっても、まったく新しい言語ではないわけで、文語体の変形であるのですから、千数百年前の平安文化や、それよりもまだ古い奈良文化の残像が、わたしたち現代人が使っている日本語に息づいているのです。 そして、現代日本人が喪失したアイデンティティーが、その言葉の中に潜んでいるのです。 そういう観点から申し上げますと、日本人が国家意識を喪失した原因は、日本語という言葉を失ったからだと言ってもいいかもしれません。 一旦、手離したものは、自然に壊れていきます。 まさに、今、日本語が壊れていき、そして日本人としてのアイデンティティーが失いかけようとしているのです。 今からでも遅くない。 わたしたちの祖先が残した、日本語の素晴らしい遺産を検証することによって、日本人としてのアイデンティティを取り戻そうでは有りませんか。 |
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第一章 日本語は言霊
世界の言語は約五千種類あると言われています。 その中で、いわゆる、「てにをは」のような助詞がある言語は現代語では、日本語・韓国語・モンゴル語・トルコ語だけであります。 簡単に「てにをは」といいますが、これは人間の高邁なる知恵がないと絶対に創造出来ない技です。 その世界に類を見ない日本語が今、消滅しようとしているのであります。 言霊という言葉がある、その字の通り、言葉に霊が潜んでいるのです。 その理由が「てにをは」にあるのです。 言葉に、表と裏がある、それを「てにをは」で表現しているのです。 古代ヘブライ語にも「てにをは」があったようで、母音がない変わった言葉であります。言葉の前後の意味を解して、「あいうえお」を決めて音を発する。 ここにも、しゃべる人間の情念が込められている、だから言霊なのです。 その貴重な言霊である日本語がいま消滅の危機に瀕しています。 その原因のひとつが差別用語という困った問題であります。 むかしから、いろいろな価値ある文学を生んできた文語が差別用語という、顔の見えない怪物に潰されようとしています。 人間が生きていく上で、いろいろな艱難辛苦を乗り超えていくための絶対不可欠なものが言霊文学なのです。 口語にも言霊文学が引き継がれています。 いろいろな文学作品が過去の日本からは生まれている。それは言霊である日本語の表裏両面を有しているお蔭なのです。 ところが、最近優秀な作家が絶筆宣言をし出していると聞きます。 原因は差別用語の障壁で、思った通りの表現が出来ないからであります。 すぐに何々協会とかいうのが、登場して、この言葉が差別用語だ、あの言葉も差別用語だと言いまくるのに、うんざりして絶筆宣言をするのです。 これでは、せっかくの貴重な言霊の日本語による素晴らしい文学が消えていきます。 そして残るのは、ロシア革命の直後に横暴を極めたボルシェビキ的集団の類だけで、100年も経たない内に共産主義は崩壊したように、日本も同じ道を辿るでしょう。 共産主義思想が間違っていたのではなく、たしかに自由競争資本主義思想より優れた点が、共産主義思想には多いのであります。 それなのに、先に共産主義が崩壊した原因は、この最初のボルシェビキがつくりあげた、平等の名の下での陰湿な不平等であったのです。 共産主義思想が崩壊したのは、平等を標榜しながら、陰湿な不平等があったからで、一番性質が悪いのが、善を表に打ち出して裏で悪を為す偽善者たちであります。 一番性質が悪いのが平等を表に出しての不平等であります。 今の日本に、この平等の名の下の陰湿な不平等が蔓延しております。 この伝染病は、非常に伝染性が強いから、このまま放置しておくと、日本国民すべてを侵してしまいかねません。 この伝染病を根絶するために日本人が立ちあがるのは、今しかないと思うのはわたしひとりだけでしょうか。
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終章 新田論の世界
わたしは、この1年いろいろな本を書いてきました。 小説、随筆、詩、哲学、童話、しかし、自分の歴史つまり自叙伝や歴史書だけは書きませんでした。いや書けなかったと言った方が正しいでしょう。 だから、大胆不敵にも「神の自叙伝」なるものを書いてしまったのです。 自叙伝を書くことの出来るのは、宇宙を支配する「想い」以外資格がないと思っているからです。それ以外のものは、すべて宇宙の「想い」に動かされているだけのロボットみたいなもので、まさかロボットが自叙伝を書くのもおかしな話しであります。 「NOBUNAGA」を書きましたが、これは歴史小説ではありません。 あの中でわたしの書きたかったのは最後の二章だけで、それまでの章はすべてプロローグでしかありません。いかなるプロセスでも構わないのであります。 ゴールのエピローグさえ表現出来れば、それでいい訳でした。 この「日本語が壊れていく」も同様であります。 自分の世界観を、いろいろな形で表現したかったのです。 世界観というものは、個人が持っているユニークなものであります。 世界観を共有することは不可能なことです。 ところが、人間は世界観を共有しなければならないと思っておられる方が非常に多いのではないでしょうか。 すべてのものは、確率分布的に宇宙世界で存在しております。 そして、その分布要素は必ず二元論で成り立っています。 つまり、確立論で申しあげますと、質と量の要素が二元的に正規分布しておるのです。 平たく言いますと、質の良いものと悪いもの、量の多いものと少ないものが反比例しており、その配分はマジョリティーが97%、マイノリティーが3%であるということであります。 量の多いものは、質的にも平均である。 質の良いもの・悪いものは、量的には少ない。 そして質的要因の強いものは、量的には少ないから、量的に多いものを食って生きておる訳です。 問題は質の悪い、量の少ないものであります。 XY軸座標で言えば、第4象限の負と負のダブルの類であります。 三島由紀夫は第1象限の正と正。 もうひとりの人物は第4象限の負と負。 わたし新田論の世界観は、この第4象限の生き物に対する怒りと鉄槌の仕置きであります。 人間社会では、この第4象元の生き物が希少価値とその狡猾さで、第2、第3象元の数の多い人たちを、時にはたぶらかし、時にはおどかし、この世的成功を収め おるのが現実ではないでしょうか。 この生き物たちに鉄槌を加えることの出来る人間になりたい、またそういう精鋭をできるだけ1.5%の中から発掘したい。その為にこの50年あまりの人生に鞭打ってきたのであります。 既に、この世におられない、三島由紀夫、寺山修司、両氏のような人が、今生きておられたら、新田論は、すべてをなげうって翔んで行くことでしょう。
平成十三年一月二十七日 新 田 論
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