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鬼神 ルノーの妹 NOBUNAGA 果てしない彷徨 さようなら!

copyright.gif 信    長

新田論小説NOBUNAGA(信長)

 2001年3月21日 NHK午後9:15〜  「その時歴史が動いた」 日本史のさまざまな分岐点を振り返り、そこで史実とは異なる結果が出ていたら   という想定で、歴史の決定的瞬間が持つ意味を考えるシリーズ2回目「もし本能寺の変がなかったら」が放送されました。
  まさしく、この本も炎上する本能寺から、側人弥助(黒人)の機転で信長が脱出したところから始まっています。

English version
is now up)


発行所:株式会社エムイーシー 

本の注文ページへ定価 \1,200.- (税込)
   A5変形   105ページ  ソフトカバー

信長がもう十年長く生きていたら日本は被爆国にならなかった
信長がもう十年長く生きていたら黒人奴隷は生まれなかった
信長がもう十年長く生きていたら人種差別は生まれなかった
信長がもう十年長く生きていたら世界戦争は起こらなかった
信長がもう十年長く生きていたら今の日本にはならなかった

(あらすじ)
   1582年に天下統一を果たした信長は、京都の本能寺で明智光秀の裏切りに遭って自害した。享年四十九才であった。   天下統一を果たしてから十年強の間に彼の為したことは、四百年の時間と空間を越えて今でも燦然と輝く。それも日本という島国だけではなく地球レベルの空間と四百年という時間を串ざしにした驚くべきものであった。
    その信長が黒人奴隷の弥助に本能寺で救出され、その後十年、更に生き延び、世界に飛躍していく勇姿が最後に見せる大舞台は白人社会の本山だ。
    そして最後に見せる自己完結の凄まじさで余分の十年の区切りをつけた。
    その後の信長の真骨頂が記され、ここで、作者は信長を通して「21世紀の今、人間社会に一番欠如している公正さ、を回復させる」  と宣言させています。 


序  章

 織田信長は日本史上最も偉大な英雄と云えるだろう。
 彼は1582年に京都の本能寺で家来の明智光秀に裏切りの奇襲を受け、自害した。
 しかし、彼の死によって日本の近代化が約300年遅れたことは確かだ。
 歴史に "もし"はないが、もしと、敢えて言うなら、彼が光秀の裏切りから逃れ、生き残れていれば、日本の近代化は三世紀以上早まり、欧州諸国よりも近代化は先に進められ、結果、その後の歴史が示すような、欧米列強による植民地帝国主義の世界的悲劇を食い止めることが信長によって出来たかもしれない。
 これからのストーリーは世界的レベルの英雄、信長が生き延びたらという仮説をベースに、日本のみならず世界の歴史にどういう変化が起きたかという推論を展開してみる試みである。
 読者の方々に悠久のロマンをよりリアルに味わっていただく為に、歴史上の人物をフィクションでありながらも実名を使わせてもらった。
 過去300年以上の間に起きた帝国主義国による弱小国支配の歴史的悲劇を、信長だったら如何に避けることが出来、世界の平和の実現に影響を与え得たかを大胆に展開してゆきたい。
 特にアフリカの奴隷制度からはじまった黒人差別問題は、今なお暗い影を残し続けている。
 信長の生存中のやり方をよく理解すれば、この黒人問題も、それ以外の同じ人間でありながら生まれたときから差別を受ける多くの世界で起きている差別問題も、避け得た、あるいは解決し得たかも知れないヒントが多く見えてくるような気がしてならない。


 おわりに

 序章で申し上げましたように この小説は あくまで、信長が本能寺の変に遭ったとき、史実としては自害して果てたとなっていますが、仮に生き延びることが出来たと仮定したときに、信長なら、どう生きたか、どう考えたか、日本だけではなく、世界をどう見ていたか、といった視点で著者の大胆かつ希望的予測を勝手気ままに書き綴ってみました。
 特に信長の人生観が如実に表れている「人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、ひとたび生を受け 滅せぬもののあるべきや」という「敦盛」の厭世観を常に意識していた信長が、たとえ生き延びたとしても、昨今の日本の指導者のような醜体を露見するようなことはせず、自分の生きざまを特定したと著者は考えました。
 そこで彼は49歳で死んだのですが、49歳から59歳までの10年間に限定して、如何に生きたかを想像して書いてみました。
 かつては 42歳が男性の厄年だといわれていましたが、それは人間の寿命が50歳だと考えられていたときのことで、80歳が平均寿命となった現在の日本では、50歳代後半が本当の厄年だと考えられるようになってきています。
 59歳という歳は、そういう点において荒波の社会で生きる男性にとって最も波の高いときであります。いや、昨今の女性上位時代の日本においては、女性にとっても59歳という歳は一番、波の高い、荒れ狂う世代と言えるのではないでしょうか。
 信長の10年間の生きざまをみて、読者のみなさんが、この混沌とした時代の波を如何に乗り越えていけるかの一考に役立つならば、著者としてこれほどのよろこびはないでしょう。

平成12年10月20日 新田 論

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