「プロテスタントの私が救われたのは、洗礼7年後に、ベネディクト修道会宿泊の帰りの電車の中でした」
9月にまとまった休みが取れたので、イエス様中心の生活をしたいと思い立ち、当初断食道場の計画であったが、だめになったので、調べていたら、ベネディクト修道会が性別・信仰に関係なく、年間計画に関係なく受け入れ可能なことがわかった。長野の別荘地で霊的指導と宿泊代込みで1泊6千円という安さで、霊的指導は、兼ねてから興味のあった聖イグナチオの霊操を3日間でと、無理を承知で希望したところ、正式な教師ではありませんが、ということであったが、快く引き受けてくださった。1日目は、過去の罪について、2日目はイエス様の弟子として、について黙想し、3日目はイエス様の十字架と復活、そして1日目・2日目の罪と弟子の関係についてというものだった。3日目は、私の都合で、指導の時間には帰らなければならず、家に持ち帰ることとなった。
私は、以前から、十字架の贖いについて、福音書を何回も、注解書や参考書を何十冊本を読んでも納得できず、神学書では様々な立場が錯綜し、益々混乱していた。一番自分に合っているのは、「規範としての十字架」の考え方であった。しかし、救われるためには、十字架にヒントがあるはずだということは認識していた。神道で神の奥義を探求していた私には、福音書を読んだときから、イエス様が間違いなく神様であることは直ちに直感できた。しかし、行い又は思いが正されない状態で、罪が帳消しになるということが納得できず、私自身の思いや行いも一向に改善していなかった。また、一方で、自由意志を持った人間が地獄に行くのを放置されているような神様も理解できずにいた。
全的堕落をした人間が、プロテスタントの信仰のみによって救われるという考え方はようやく理解できたものの、ジョンウエスレーがいうところの、信仰のみによって救われるが、我々にはその信仰が足りない、という境地であった。信仰を獲得した後、我々は聖化され、おのずと行いも正され、天国へいけるというのが、私の筋書きであった。その信仰を得るために、日々努力するという信仰であったかもしれない。イエス様の福音についても、イエス様は私のくびきは軽い、というが、非常に重いような気がしており、何が福音なのか、よくわからないと思っていた。また、周りのクリスチャンが、「私はイエス様によって救われた、ハレルヤ」というのを聞くとき、それは現世的に救われているのであって、その心とその実としての行いが伴っていなければ、あの世では救われたことにはなっていないのでは、と内心思っていた。また、自由意志を持った人が地獄へ行くことを容認される神様に素直に感謝できない、とも思っていた。
帰りの電車の中で、リクライニングシートを倒し、ぼんやりと天井の蛍光灯を眺めながら、3日目の宿題について、やはり十字架であったかと、霊操の絶妙な配合について、感心しながら、考えていたとき、突然私にある考えが浮かんできた(祈りについても、私は誤解していた部分があり、熱心に、また、一心に定型文等を織り交ぜながら、行うのが祈りであって、それ以外は祈りではない、と思っていたが、散歩しながらでも、神様について考えているのは祈りですよ、と教えてもらい、このスタイルで行っていた。)。
それは、「イエス様の十字架は我々に、全人類に、時空を超えて、無償で与えられる神様からの贈り物、ギフトである。我々がその贈り物を受け取るかどうかは我々の自由である。私の罪をイエス様はかわりに担ってくださっている。イエス様に私の罪をおゆだねしよう」
というものであった。そう思ったとき、私の中での、罪がどんどん軽くなっていき、救われていくのを実感し、「私は今、救われた、神様は我々にすばらしい贈り物をくだった。神様に感謝」と心の中で叫んでいた。ここにいたり、洗礼後7年目にしてようやく、多くのクリスチャンが言っている意味、福音が理解でき、恵み深く、慈しみ深く、忍耐強い神様に心のそこから感謝できた。我々の心が悪に支配されていることは、神様は十分承知していてくださり、それにふさわしい贈り物をくだされた。ここまで、堕落した人類はその贈り物を通してでなければ我々は救われない。
どこかで聞いたことのあるようなことばかりであるが、自分がそのことに気づくには、今回のベネディクト修道院での体験がなければ、もっと先おくりになったいたかもしれないし、一生気がつかなかったかもしれない。聖ベネディクトの戒律によると、客人や病人をイエス様と思ってもてなすということだそうである。プロテスタントで洗礼を受け、聖ベネディクトの修道院で、聖イグナチオの霊操指導を受けられたたこと、この3つのことによって、私は救われた。
恵み深い父なる神様、我々の罪を屠られた小羊として担ってくださったイエスさま、電車の中で私を気づかせて下った聖霊、私を育ててくれたプロテスタント教会、イエスさまのように客人をもてなし指導して下った聖ベネディクトの修道院、聖イグナチオの霊操を行っているイエズス会、多くの援けにより救われることができたことを、感謝します。今後は、イエス様の弟子として、福音の意味を全世界の人に伝えるべく、イエス様におゆだねしていこうと思います。
一プロタスタント教会員