| 昭和30年 | 日本の在外教育施設として初めてバンコク日本人学校が設置される。 |
| 昭和47年 | 岐阜県より初代の3名の教師(石神・宇野・後藤教諭)が各々、バンコク・台北・ジャカルタに派遣される。 |
| 昭和56年 | 「海外日本人学校派遣岐阜県教師の会」が、県教委教育主管や各教育事務所長等の支援を受けて発足した。この会の目的は、「海外子女教育の普及・振興と国際理解教育の発展に寄与する。」であった。 |
| 昭和57年 | 機関誌創刊号が発行される。仮称「飛躍ぎふ」でスタートし、昭和61年から、研究誌「国際理解教育」として発行され現在に至っている。 |
| 平成16年 | 会の名称を「岐阜県海外日本人学校研修教師の会」(岐海研)と改める。 ※この頃、岐阜県国際理解研究協議会が発足し、日本人学校帰国教師の会と組織的には切り離して活動することになる。 |
| 昭和47年から平成17年までの33年間に、岐阜県から180名が派遣され、派遣地域は、アジア・中近東・アフリカ・ヨーロッパ・オセアニア・南米・北米と世界中を網羅している。そして現地では、それぞれの国・地域の特性を生かした実践が行われており、また帰国してからも海外日本人学校での経験を生かして、岐阜県の国際理解教育の充実・発展に大きく寄与してきている。 | |