心臓バイパス手術の記録
2001. 11/23開始 :  2007年4月11日 更新

歯の治療 2007.4/11 
新しいリンクの追加  2005年7月11日
2003. 10/12  思い出して追加記入(赤字部分)
2003. 10/13  また思い出して追加記入(赤字部分)

心臓バイパスの手術を受けて今年(2004年)の10月1日で早、丸8年が来ました。 5〜6年目頃には、お医者さんから そろそろ色々な事が起きてもおかしくない頃なんだがな、、、と言われていましたが、それ以来大きな変化はありません。  

このまま、あと何年この状態が維持できるのかは分かりませんが、運に任せて毎日を過ごしたいと思っています。 このページも色々と追加記入を予定していたのですが、年月が経つにつれ思い出すことも少なくなり、当初危惧していた通り、全部を書くのは難しくなってきました。 それで、 このページは自分の記憶が薄れないように記録する程度に留めようかと思っている次第です。 2004年10月15日 22:57:11


心臓病の掲示板・・・心臓病・その他、大病・手術した方々の憂さ晴らしや情報交換などにご利用下さい。   
心臓病の部屋   2002.1.4. 開始


1: 体調不良の初期
2: 病院を変える、帝京、東大病院など
3: 東京医科歯科大学病院で診断確定
4: 東京医科歯科大学病院に入院
4−2: 入院中に面白かった事など、面白い入院生活

5: 榊原記念病院や倉敷中央病院を考えるが・・・
6: 結局、関連病院の日赤武蔵野病院へ
7: 手術
8: 術後の経過
9: 3年後の経過
10: 5年後の経過
11: つい最近の状況

12: 一時記入
13: つい最近の状況 2003.9/29
13−2 最近の体調など
14: 役に立った情報など(生活と食事)

15: 関連リンクの収集



1: 体調不良の初期

49歳での手術に至るまで、10年位前から高脂血症との診断は出ており、コレステロールを下げる薬を処方されていたが、家族性なので薬の効果は殆ど無く、380〜390前後のコレステロール値でした。薬名は忘れたがジュースの粉末のような薬を処方されて、それを服用していると重い風邪にかかってしまう(39度近い熱が5〜6日続き、かなり身体にきつい)。その時は因果関係が分からなかったが、後日その薬は葉酸、ビタミン類の吸収を阻害するとの報告を何かで読んで、ああ、そういうことだったのかと随分後になって納得した。

そんなことで、ついついコレステロール薬を飲まなくなり段々と血圧も高くなってきた。180−100前後で、今度は血圧を下げる薬を処方されて服用していたが相変わらず下がらないので半ば諦め、その頃は仕事も忙しかったので病院に行かなくなってしまった。でも45〜47歳頃はよく体調を崩すようになった。40度前後の高熱がいきなり出たりしたが原因不明との診断。


高熱が長く続くと後遺症で顔面が引きつり涙が自然に流れて止まらない。たまに顔面が引きつったまま治らない人も時々見受けた。聞いてみるとやはり高熱の後遺症だそうだ。私は3ヶ月位で治ったので運が良かったのだ。あまりに高熱が続くと神経がやられるようだ。

48歳頃から明らかに自覚症状で心臓の様子がおかしい。不整脈が増えるのだ、ドキドキッとしたりフッと嫌な感じがするので自分で脈をみると4〜5回で休んだり2回で休んだりとかなりの乱れようだ。それでも心電図をとっても異常なしとの事。この頃から何となく嫌な予感がするようになる。  


2: 病院を変える、帝京、東大病院など

体調を崩す度に近所の内科医院で受診するが、帝京大学病院を紹介される。あそこはエイズのことであまり良い印象がなかったがコレステロールの専門家が診てくれる ということで行く事にした。しかし薬を処方されるだけで一向に数値が下がらなく、食事指導もなく、血液検査のみで半年ほど通ったが何の効果も期待できず先生に対する信頼感も無かったので東大病院に替えることにした。

東大病院は以前、他の病院で風邪の時 結核との診断を受け(30歳頃)薬を服用していると40度前後の発熱が治まらず、たまらず駆け込んで(もうあちこちの病院を探す余裕がなかったので東大なら何とかなるかと思い)診察を受けると、それは誤診とのことで薬を止めれば熱は下がるとの診断。結局、薬の副作用での発熱だったが診断の速さと正確さが記憶に残っていた。

しかし今回は受付で症状を伝えると整形外科に回される。検査の結果首のヘルニアとのこと、確かにレントゲンを見ると素人目にもずれているのが分かった。毎日の治療が必要なので近所の整形外科で首を吊り上げる治療をこれまた半年ほど続けるが一向に良くならず手術を勧められたが非常にリスクがあるので躊躇していた。

東大病院でもコレステロールの治療で内分泌科(だったかな?)を受診してみたが、ここでも家族性の高コレステロールは薬では下がらないとの診断。結局、薬も出なかった。しかし左腕の痺れは益々ひどくなるし 勧められている首の手術も嫌だし、何よりも先生の一言が効いた。「このままでは長生きは出来ないですね。」 私は「あとどの位の寿命ですか?」 先生「あと1〜2年位かな」 私「では、なにか処方は?」 先生「ありません。」 このやりとりで また病院を替える、今度は東京医科歯科大学病院だ。 

しかし 思い返せばあの東大の医者は妙な事を言っていた。 「珍しい事例なので、血液検査は私が直接やりたい。私がやれば治療費は無料です。」と、、、これはモルモットになれ、という意味だったのか・・・


3: 東京医科歯科大学病院で診断確定

東大病院で埒があかないので、平成8年6月17日、東京医科歯科大学病院で受診する。以前、目が見えなくなった時に受診して、(32歳頃)すぐに正確な診断をして頂いた事があるので(その時の診断は「閃輝暗点」)、期待して来る。受付で内科に行くようにとのことで診察を受けて、今までの症状を伝えるとすぐ心電図をとる。その時の担当医が心電図を見て、すぐ循環器科に行くように指示をうける。

これも後ほど判ったのだが、その時の担当は内科の研修医が終わったばかりだが非常に優秀な医師だった(同期でも別格だったそうだ(病院内の情報)。) 循環器科の医師でも見落とす程度の心電図の僅かな違いを見抜いていた。今思うと、この時も見落としていれば確実に致命的な心筋梗塞を起こしていただろう。


循環器科では、とりあえず薬を処方され、検査の予定をたてる。その薬を服用して数日で今までの左手の痺れや首と肩のこりなどが嘘のように軽くなっていったのには驚き、またこの診断が私の場合は正解と思った。薬の中にニトロの飲み薬もあり、初めて飲んだ時はひどい頭痛がしたが(脳の血管も広がった為らしい)2〜3日で慣れた。その時の飲み薬の種類は多かったが手術後はもっと増えた。

朝は、セロケン・バファリン・アムロジン・アイトロール・パナルジン・リポバス・シンレスタール・クエスドランの8種類。昼は、アイトロール・セロケンの2種類。夜は、セロケン・アイトロール・パナルジン・リポバス・シンレスタール・クエスドランの6種類。一日合計16個の薬を服用。 

後日、心筋シンチの検査を受ける。循環器科の担当医は検査の時苦しければすぐ中止するので安心して受けるようにとの事。しかし実際検査が始ると、そこはやはり大学病院、周りに学生・研修医が集まり点滴で心臓発作を起こし、その時のデーターを記録する為苦しくなっても発作の解除の薬を処方しない。もう一寸、もう一寸と言いながら発作を起こしている患者に我慢を強いてモニターを見て「すごいすごい」なんて言ってるだけで人事のようだ。

大勢いた学生達の全員がモニターしか見ず、とうとう発作で左腕が高圧電流を通した感じになり息が苦しく足も痙攣を始め口も利けなくなって初めて一人の学生が気付き、慌てて解除の薬を注射するが、効かない。3度も注射するがやはり効かない。もうこれ以上注射は出来ないなんて人事のように言って私の周りを囲んで覗き込むだけ、しかし中の一人が「過換気症候群」かもと言いながら口にビニール袋をかぶせてからやっと落ち着いてきた。しかし、その後1週間くらい心臓がチクチク痛かったが2週間くらいで治まった。

心臓の痛みは治まっても左上腕がジンジンと痺れるのは以前より酷くなってきた。次はカテーテルによる心臓造影検査だ。これもひどかった。 7月26日カテーテル検査の為入院する。普通はこの程度の検査では入院はせず外来で済ますそうだが、どういうわけだか担当医の指示で入院になった。私もこの頃疲れていたし入院の方が気が楽だったので丁度良かった。 


4 : 東京医科歯科大学病院に入院

7/26に入院すると安心したせいか心臓の発作もないし気分的に随分と楽になった。しかし夜はなかなか寝付けない。初めての本格的な入院で気が散って寝られない。やっと寝付いても夢を見てすぐ目が覚める。悪い夢ばかりだ。特に死に関する夢が多い。自分が死ぬという直接的な夢ではないが今までにないタイプの夢ばかりだ。

7/28 どうも背中が痛い。カテーテルの検査で長時間寝てられない、何とかしなくては。今日は日曜日なので検査もなく暇なので病院内を軽く散歩する。霊安室が見つからない、あるはずだがこの病院は目立たないようにしているようだ。夜はデパスを服用して寝る。

7/29 今日も検査は殆ど無い。暇だ。

7/30 夢で目が覚める。夢の内容は神社、寺院が多く出てくるし何かから逃げる夢だ。不安のせいか?背中の痛みは少し和らぐ。しかし左上腕は相変わらず痺れる。今日の検査は足首のレントゲン、アキレス腱がひどく腫れているのはやはりコレステロール血症の為らしい。

7/31 いよいよカテーテルの検査だ。7時45分に用意が始り10時半に終了の予定。検査室は寒い、足の付け根に麻酔を打つ。チクッと痛かったが思ったほどではない。いよいよ管を差し込むが殆ど痛くない。ベテランと聞いていたので安心して推移を見守る。

心臓まで管はすぐに届き検査液を注入すると何か違和感を覚えるが我慢できる程度だ。しかし心臓の中でカテーテルが動くと喉から何か飛び出してくるような感触だ。あっという間に検査は終わる。ところが終わっても次の人の検査が終わるまで別室でカテーテルの管が入ったまま待機だ。そこには誰も居ない、不安だった。

次の人の検査も12時頃には終わるが誰も居ない部屋では随分と長い時間に感じた。途中で血管の管が詰まったりしないかと少し心配だった。やっと終わって研修医の女医さんがカテーテルを抜きに来る。抜いたあとすごい力で傷口を押さえる。動脈なので必要との説明。しかし長すぎる。1時間くらいに感じたが〈時計がないので正確には判らないが)気分が悪くなってきた。

意識が朦朧としてきたので女医さんが慌てて助けを呼びに部屋から出てしまう。尚更不安になりジリジリと待つ。数人がやってきて点滴の用意をし、色んな薬剤を混ぜて点滴を始めるが益々気分が悪くなり、このまま終わりかなと薄らぐ意識で感じていた。

何時まで掛かったのか、やっと意識も戻り病室まで戻されたが 既に夕食も終わった時間だった。同室の人たちはあまりに遅いので緊急手術をしていたのかと思っていたそうだ。夕食も食欲がわかず食べなかった。その後すぐ腹痛と背中の痛みに悩まされる。特に腹痛はかなりひどかった。次の日まで痛みが続くが看護婦さんには処置が解らなかったようだ。

8/1 腹痛は足を固定した為との説明が主治医からあったが今ひとつ納得が出来なかった。未だ本当の原因は解らない。いや多分、押さえ過ぎで血流が悪くなり腹部のどこかに血栓が出来ていたのではないか、と、今では考えている。 夕方になってやっと痛みが薄らぎ食欲が出てきた。しかし夕食は食べたものの前日から5食ほど抜いたので夜中にお腹がすいてきた。7階の自動販売機でパンとコーヒーで夜食を摂る。看護婦さんが心配して何度も様子を見に来る。

8/2 足の付け根の痛みが和らいできた。
8/3 左腕が相変わらず痺れる。

8/4(日) 外出許可をもらい夕方まで仕事場に戻り仕事を片付ける。夜、病院のベッドで休むが胸が少し痛む。フランドル・テープを貼ると少し楽になる。夜中に相変わらず看護婦さんが様子を見に来る。この時は始めての長期入院なので、こんなものかと思っていたが違っていた。ここの看護婦さんは非常に面倒見が良かった。後に関連病院の日赤での手術入院で思い知ったがそこの看護婦さんの対応は大違いであった。


今思い返せば何故か此処の看護婦さんは美人揃いだった。 患者の為に夜間もよく目を配り、対応は優しく未だ他の病院では見られない人達だった。同じような看護を他の病院で期待しても無理だろう、非常に高い水準だ。

8/5 教授の回診があったが、ただの大名行列で大勢の研修医を引き連れて形ばかりに回るだけ。おまけに担当の研修医が病状の説明を間違ってばかり、思わず教授に向かって訂正を言ってしまったが(正確な診断を求めていたので)これはどうもルール違反のようだった。そのあとは殆ど担当研修医は姿を見せなくなってしまったので、何かの質問は滅多に来ない主治医に直接聞くしかなくなった。

しかし幸い隣のベッド担当の研修医が親切で点滴も彼がやってくれた。もともと私の担当研修医は点滴の針を扱えず、失敗ばかりして隣の担当医に任せていたので居なくても不自由はなかった。

しかし、長く入院していると同室の人達と仲良くなり、いろいろと情報交換などしたり結構楽しく入院生活を送っていた。 私の隣の○○さんは(私より10才ほど年上)隠れてタバコを吸い、よく「いつ死んでも本望じゃあ!」 なんて のたまわっていたが、ある日トイレで心臓発作が起き(多分トイレでタバコを吸っていたのだろうが) 大変な大騒ぎ(笑) 「助けてくれ〜〜〜」 これには私も驚いた。 でも、流石に大学病院だ。直ぐに研修医3人と看護婦3人が来てベッドでレントゲン撮ったり心電図撮ったり点滴に酸素吸入と忙しく処置をしていた。 私もどんな処置をしているか見たかったのだが、カーテンを閉められて見る事は出来なかった。

後ほどベテランの医師が来て的確な処置を済ませたようだが、次の日 ベッドが他室に移動になり私も退院が近かったのでその後の事は分からない。 その人の他に同室で手術後の△△さんはかなり状態が悪そうで、もうやけくそになっている様子。 テレビもイヤホンで聞かず、大音量で平気だ。同室の患者も気の毒に思い注意しない。でも流石に看護婦さんが見かねて注意していたが、さっぱり聞き入れなかった。 あと、トヨタの社員で面白い人が居た。彼らは夜になると自動販売機近くでたむろし、禁じられているタバコを吸い、酒を飲み雑談していたが、ここでの雑談はこの病院の様々な情報が聞けるので私には色々と役に立った。

心臓発作を起こした○○さんの友人は時々助教授室に遊びに行き、色んな事を聞いてくる。 続きは後日に2003.10/12



5: 榊原記念病院や倉敷中央病院を考えるが・・・・

心臓病の治療では評判の良い榊原記念病院を考えるが、同じ検査を受けなければいけないなど、(検査結果は回してもらえないのだ、これは未だに納得がいかないが・・・) 他にもちょっと無理なところもあったので諦める。私の実家に近い倉敷中央病院も検討するがやはり同じように無理があるので断念する。しかし後で分かった事だが私と同じ時期に榊原記念病院で心臓手術を受けた知人が1年で再手術を受けたのを聞いて私は運が良かったと思ったものだ。

これも後で分かった事だが、倉敷中央病院での手術は家族の付き添いがないと受け付けないと聞いていたが、付添婦は禁止されていたので諦めたのだが、付添婦を家族といって病院に届ければそれでも良かったそうだ。ここでも判断ミスがあった。まあ、知ってる人は知ってる事(常識)なんだろうが・・・


6: 結局、関連病院の日赤武蔵野病院へ

武蔵野赤十字病院で手術を前提にした診察を受ける。手術担当の医師より説明と簡単な検査を受ける。その時に初めて触診を受ける。今時触診をする医者なんて珍しい。殆どは検査結果のデータしか見ずに診断するのが普通になってしまっている。その触診の感触が実に微妙だ。指先の感触がすごく敏感なのを感じる。(歯医者もそうだが巧い歯科医は治療の時の感触が職人芸のようで、結果も良い。)

手術は職人芸のようなものと思っている。それに執刀担当医の藤原先生の人柄も気に入った。この先生なら失敗されても諦めもつくか、なんて考えながら手術に対する覚悟を決めていく。しかし、ちょっと気がかりな事も見てしまう。古株の看護婦さん達が病院の庭でふんぞり返ってタバコをスパスパ吸っている。時間的には仕事中だと思うのだが彼女達から伝わる雰囲気が悪い。何か悪い予感がするが手術後に現実になってしまう。 ここの看護婦さんの質の悪さに泣かされる羽目になってしまう。


7: 手術 

平成8年9月27日、武蔵野赤十字病院に入院する。10月1日、49歳の誕生日に手術。 朝8時すぎ頃腕に注射する、気分を落ち着かせる為だそうだ。9時に手術室に入る。寒い、上の照明が眩しいくらい強い。周りの手術スタッフが見えるが、急に眠くなる。

9時半手術開始の話し声、はっと目覚めるが目には何かかぶさっていて見えない、口もしゃべれない、手足を動かそうとしても動かない、ならば指先で目覚めを知らせようとしたが僅かしか動かない。若い一人のスタッフが気付いてくれたが問題ないとのことで手術開始。

バリバリと大きな音をたてて肋骨を縦に切る音が聞こえる。随分思い切って切るもんだな〜と感心してると首の下あたりを横にスーとメスが入るような感触、ちょっと痛い。これは手術の説明で聞いて無かったよーと思ったが、後で分かったのだが首から心臓までモニターの管を入れたのだ。

胸を開き主治医が心臓に触る。妙な感触だ。それ以上触ると心臓が止まってしまうと叫んだつもりが、す〜〜と、意識が深く沈んでいく、暫く気を失う。心臓を止めたからというのが後になって分かる。そこは無の世界だ。心臓に魂が宿るということが何となく分かるような気がする。

パンパンというホッチキスで大きく開いた胸の傷を止める音で目が覚める。直ぐに助手がぺちゃんこになった肺を広げる風船のようなもので勢いよく空気を肺に送り込む。この時肺が広がらないと二度と肺は窄んだままになってしまうとの事、かなり苦しい。それが終われば次は体重測定だ。看護婦が2人、「聞いてないけど計ったほうが良いかなあ〜」なんて言ってる。しかし、これがまた苦しい。

ハンモックのようなもので海老のように身体を丸くされ、天秤棒を2人の看護婦さんが背中に担ぎ、真ん中のバネの測定器に私をぶら下げて計るが、とにかく手術直後なので苦しい。こんな測定なんかするのか?他の病院では、、、当時の体重は約60キロあったので一人30キロの重さを担いだわけだ。 その後 看護婦が聴診器を胸に当て、かなり太目の体重を今縫い合わせた胸の上に乗せて押さえ込んで心音を聞こうとするが、不慣れのようで聞き取れないらしく、何度も重い体重を乗せてくる。あの聴診器は軽く胸に触れるだけで耳を澄ませば素人でもちゃんと聞こえるはずだ。

縫い合わせた肋骨部分が押さえ込まれ、いつ裂けるかと冷や冷やしたものだ。それより押さえ込まれた圧力で心臓と肺が苦しい。それから血圧を定期的に測定するために腕をベッドの横の手摺に縛り付けられる。激しい咳き込みで痰が出るが、腕が縛られているので痰の処理が自分では出来ない。周りが痰で汚れてしまう。時々 看護婦の勤務が交代になるので、人の良さそうな看護婦さんが来たときに腕の縛りを解いてもらう。

しかし、手術当日のICU室の中でこれだから、あまりにひどい。東京医科歯科病院の看護婦さんの良かった事を思い出してしまう。いくら手術担当医の腕が良くても これでは台無しだ。未だに体調が悪いのもこの辺が原因のようにも思っている。

10/2、早くもベッド横に立つ。身体中管だらけ、人造人間に改造でもしたのかた思うほど。 相変わらず咳き込みがひどい。胸が裂けそうな感触。おまけに声が出ない。声帯がおかしくなったようだ。発声練習をしていると、うるさいせいかICUの個室に移される。ここはナース・コールのボタンが無いのだ。具合が悪くても次の巡回まで誰も気付かない。

声が全然出ないので点滴管理に来た助手に聞いたら「手術中に唾を呑み込んだのだろう」とのこと。人工心肺を使い自分で呼吸も出来ない時に唾なんか呑み込めないのに、何て事をいうんだろう この医者は。原因が器具の気管挿入の失敗だったのは随分後になって分かった。 それに、手術中に意識があったのも麻酔の失敗だったが、これは担当の麻酔医が謝りにきたので怒りは収まった。 

続きは後日に・・・10/13

 

10/3、10m歩く。 10/4、朝30m歩く、午後50m歩く。 10/5、ICU室から個室に移動。 その後、肺に水がたまり高熱が続く。    


8: 術後の経過

術後の薬・・・なかなか記録が見つからなくて遅くなりましたが下記の通りです。・・・3/26

朝食後: ジゴシン・小児用バファリン・ノルバスク・ケルロング・ラシックス・アルダクトンA・ワーファリン・デパス・ニトロールR・セルベックス・酸化マグネシウム・リポバス・シンレスタール・エパデール・フランドルテープ・ロキソニンの15種と1枚の貼り薬。
あまりに多くて喉に引っかかり苦しいのでヨーグルトで飲む。

昼食後: セルベックス・酸化マグネシウム・ロキソニン・エパデールの4種類。

夕食後: デパス・ニトロールR・セルベックス・酸化マグネシウム・ロキソニン・リポバス・シンレスタール・エパデール・フランドルテープ・レンドルミンの9種類と1枚の貼り薬。

結局、朝、15種類。昼、4種類。夜、9種類の合計28個の薬を飲んでいた。もう薬でお腹が満腹だ・・・。

9: 3年後の経過


3年を過ぎ、4年目頃から不整脈がひどくなってきたが、今にして思えば あの頃電話で起きた時、直ぐに立ち上がろうとすると目まいがあり、それが嫌で枕もとに電話の子機と携帯電話を置いていたのが悪かったように思う。携帯電話の磁気は電子レンジに匹敵するほど強力のようだ。

寝る時は枕もとに置いているのだが寝ているうちに小さい方の携帯は腕の中、胸に近い所まで近づいていたのが災いしていたのだろう。その時はさほど深刻には考えず、ただ嫌な予感がしたので離れたところに置くようにした。そういえばPCも近かったようだ。

悪材料がなくなったせいか、何時の間にか不整脈はなくなったが、やはり携帯電話が一番悪かったのだろう。 ペースメーカーを埋め込んだ人に悪いのは知っていたが、まさか私にも影響があったとは・・・。 しかし、私の心臓には手術による無数の金属のピンが刺さっており、MRAのような磁気診断装置を受けられない事を考えれば当たり前なんだが。

10: 5年後の経過

5年目ころから、半ばヤケクソで好きなことをやろうと思い、前から乗りたかった競艇ボートに乗るようになる。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1282/marugame.re-sing.html

11: つい最近の状況


術後4年目頃から不整脈が増え、24時間ホルターを付けたり心筋シンチ検査を受けたりしたが診断は「期外収縮」。不整脈のタイプは悪性ではないとの事、しかし3回に1回止まり5回に1回止まるというふうに、止まる頻度が多くなると結構苦しくなる。不整脈の薬も2種類試したが副作用で返って苦しくなるので今は服用していない。

不整脈の薬は心臓の動きを制限して守る仕組みのようなので、元もとの心臓の余力が無いと効果がないどころか逆効果になってしまう。したがって対処は自己流になってしまうが、主治医の話では私の不整脈のきっかけは心臓の一時的な酸欠が原因のようだとのこと。私の場合、もうニトロが効かないので酸素を用いる。

酸素は2種類用意しており、スポーツ選手が運動後に良く使う携帯酸素「asicsO2」(1本1000円位)と、10分位連続して酸素が出る「O2PACK](1本7000円位)のどちらかをその状況で使い分けている。症状が比較的軽い時は1000円のタイプを1〜3本使えばほぼ収まるが、救急車を呼ぼうかなどと不安になるほどの苦しさの時は7000円のタイプを使用すれば今のところほぼ収まるので、この方法で乗り切っている。

苦しい時はベッドで横になっても座ってもダメだがベッドで斜めに起きた状態で酸素を吸えば一番楽に乗り切れる。私くらいの症状では病院での酸素認定をしてくれないので自分で用意するしかない。もし似たような状況の人は参考になりますかね。それとも私だけにしか通用しない方法かも・・・。

お医者さんからは酸素を使い過ぎると活性酸素の害を云われますが、私にしてみれば現状の苦しさから逃れるほうを優先させてしまうのは致し方ないと考えている。12/3

最近の服用薬 (2002年2月17日現在)
朝: パナルジン・エパデール・リポバス・ロレルコ・アムロジン・マーズレン・フランドルテープの7種類。
夕: パナルジン・エパデール・リポバス・ロレルコ・マーズレン・フランドルテープ・時によってはレンドルミンの7種類。 不整脈が気になるほどの時はデパスを服用する。(私の場合は不整脈の薬より効果がある)

フランドルテープは朝・夕に、胸又は腹に貼るが剥がしたテープは捨てずに肩こりの時に使うと便利。サロンパス・湿布薬等より余程効果がある。但し、これは私の場合なので誰にでもお勧めと云う訳にはいかないだろう。当然薬の影響で血管が開くので血圧に注意してないと危険でもある。普通、この薬は全身の血管を拡げると云われているが局所にも効果はある。

それから最後の使用法として私のベッドの枕もとには猫がいつも居るので どうしても毛が付着する。 それをテープに付けてから捨てる。もう充分に活用している。この話を薬剤師さんに話したら笑っていた。

今日は(2/17) どじつき先生の「肺癌医師のホームページ」http://www2.inter-pro.ne.jp/~ina/ を全部読んで掲示板も遡って読んだ。今は亡き人のホームページを読むのは何とも言えない気分だ。私の場合はどうだろう?癌は死ぬまでに時間の余裕があるが心臓は急に止まる。どじつき先生のように生きているうちに「さいごのご挨拶」を書いたほうが良いか??それとも書くときは近い死の予感があるときか?さて、、、今日もこの件は見送るか。2/17


12:(一時記入)

今日の(11/27)ニュースで西田敏行が(何と私と同じ年)首のヘルニアの手術をしたそうだが、症状を聞いてると手が痺れると言っていたが私も左手が異常に痺れて、この頃の診断は首のヘルニアということだった。確かにレントゲンを見ると素人目にもずれているのが分かったが毎日首を吊り上げる療法で通院を続けたが良くならず、手術を勧められていたが非常にリスクがあるので躊躇していた。ところが病院を変えたところ心臓が悪いと言われ検査を受けるとかなり悪い状況だった。すぐ薬を処方されて数日でなんと今までのひどい肩こりと左手の痺れが嘘のように軽くなっていったのには驚き、またこの診断が私の場合は正解と思った。(臨時記入、そのうち本文に挿入します)11/27

先日TVで心筋梗塞の経験者が体験を話していたが症状は私とそっくりでした。左腕が千切れるように痺れそのまま入院になり絶対安静とのこと、私も同じでしたがその時は病院に行かず安静にしていたら何とか収まった。しかし後日それが私の心筋梗塞の発作で心電図に表われ陳旧性心筋梗塞との診断になってしまう。(臨時記入、12/14)


13 : つい最近の状況

 最近の体調 2002.6.20.

5月から今日(6/20)までの間、珍しく体調がまあまあの状態が続いている。 アムロジンを切らしていて飲んでないのが かえって良かったように感じる。 アムロジンは心臓の血管を拡げて血圧を下げる働きがあるとの説明を信じて手術後5年以上飲んでいたが、先日のニュースで看護婦の妻が夫に血圧降下剤を処方して(アムロジンとは書いてなかったが同じような薬効だろう)心臓を弱らせていたとの事を知り、この薬には心臓を弱らせる働きのあることを初めて知った。道理で今まで不整脈は出るし、心拍数が多くなるし、少しでも動くと疲れるのでおかしいな??と感じてはいたのだが、飲まなくなって心臓の調子が少し良くなったので私の場合は飲まない方が良いみたいだ。

飲まなくても血圧は上が120前後、下が80前後、脈が70前後だから問題は無いように思う。むしろ飲んでいた時の方が全てに高い数値だった。他のコレステロールを下げる薬は必要だろうから飲んでいる。たまに血圧が上がった時だけアムロジンを飲んどけば、普段は必要ないのが判った。長年、同じ薬を服用していると自分の身体に対する影響が自覚出来るようになるので、やはり薬は最終的には自分でコントロールするのが一番良いように思う。だから、今服用している薬は・エパデール・リポバス・ロレルコ・マーズレン・フランドルテープの5種類に減った。少しの血圧の上下にはフランドルテープを巧く使えば充分にコントロールできるのが確信できた。人それぞれ条件が違うのでやはり自分で責任を持って決めるのが一番後悔せずに生涯を真っ当出来るように思う。

最近の体調など  2003.1/12

相変わらず良かったり悪かったりの繰り返しではあるが、薬の量が少し減ったのは嬉しい。 手術後の6年間では一番良いのかもしれない。先日の受診で2ヶ月前(11/15)の検査結果を知らせてもらう。総コレステロール 221、 HDL 50、 中性脂肪 77、 血糖値 104  その他、肝臓などの検査数値は異常なしとの事。少し安心。 総コレステロールもこれ以上は下がらないだろう。 薬も  

朝: エパデール・リポバス・ロレルコ・マーズレン・フランドルテープの5種類。   
夕: エパデール・リポバス・ロレルコ・マーズレン・フランドルテープ・時によってはレンドルミンの6種類。 

2003.9/29 
最近はナショナルで販売している酸素エアチャージャを使用しているが、意外と効果がある。酸素濃度を20パーセントから30パーセントに濃縮するのだが、5割酸素が増えると効果は確かにあるようだ。ただ、コードや酸素の噴出し口の構造に欠陥があり、よく故障をする。今日もパーツの注文を出したが、入荷するのに1週間もかかるのは何とかならないものか、、、

今日、(9/30)購入した店に酸素エアチャージャーを持ち込むと、新品と交換してくれた。購入して未だ2ヶ月未満しか使用してなかったので当たり前とはいえ、店員によっては有料と言ったりと、店の統制がとれてない様子。 この店ではパソコンやデジタルビデオカメラも最近購入したばかりで、購入後1週間ほどで両方合わせると5万円ほど値下がりしたので随分損した気分だったが4万円ほどの酸素エアチャージャーを無料交換してくれたので、損した気分?が埋め合わせできたのは何となく嬉しい。こういう事をやってくれると次回も同店を利用する気になるものです。

今回の不整脈は 
3月から始まったので、もう半年が経ちます。 2年前の時の経験では もうそろそろ治まる頃なんですが 今回はどうなるやら。 バイパス術後の血管は10年前後で再狭窄するのが多いから、私の場合は10月で丸7年がくるので そろそろ用心が要るかも、ですかね。


14: 手術後に知り 役に立った情報など

病気の原因、食事、運動など 手術後に知っていて良い情報を少しずつ書いていきます。

1: 血圧を下げる飲み物 
   
玉葱の皮とピーマンのわたを煎じて飲むと血圧を下げる。

2: 心臓の血管内にコブ(おでき、できもの、吹き出物)の出来る(アトヨーマ)原因
   
歯の歯槽膿漏の原因菌(名前は失念)が 心臓の冠状動脈内にコブを作るのが最近解ったようだ。ホルモン(ホモシステイン)も関係している。 そのワクチンがまもなく使えるようになる。それまでは、歯磨きを充分にして予防したい。うがいも効果があり、特に紅茶(茶色の色素など)に効果が大きい。インフルエンザ予防にも効果がある。 ヨードなどのうがい薬は喉の粘膜を痛めるのでかえって悪い。  

3: 心臓の血管を丈夫にする。

  腸内細菌を増やすと脂質代謝が良くなりコレステロールを下げるので良い。特に大腸の腸内細菌を増やす事は心臓の動脈硬化の予防効果がある。(2002年 日本臨床腸内微生物学会)  

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 腸内細菌を増やす食材は、リンゴ・サツマイモ・チーズ・ヨーグルト・納豆など。 特に納豆が一番良い。 納豆は悪玉コレステロールを減らし、動脈硬化を予防する。(2001年 青森県産業技術開発センター) でも、ワーファリンを服用している人には不可です。

  心臓冠状動脈内にコブを作る原因の一つにホルモン(ホモシステイン)が関係している。 その働きを弱める食材はニンニクが良い。 したがってニンニク(ビタミンB6)と納豆を組み合わせた料理には動脈硬化予防の効果が期待できる。キムチ納豆を上手に料理に取り入れたい。私は先日、キムチ納豆をチャーハンや焼きそばに使ったが 味はまあまあ大丈夫でした。

  水分補給で一番心臓にとって良いのは緑茶。毎日、朝昼晩に飲む程度で良い。
    柑橘類、特にスウィティーの苦味成分(ナリンギン)が良い、特に青い物が良い。
    グレープフルーツは薬との関係があり注意したい。

  一日1万歩は歩くようにしたい。また、足のふくらはぎをマッサージすると良い。

  マフラー使用は寒い時には血管を守るので必要。 血流を簡単に知るには足の甲に動脈の脈を感じる部分があるので指を当てて脈を計る。左右で同じなら心配ないが、左右で脈の打ち方とか強さが違うと良くない。

  血圧計は普段は腕で計るが、たまには足首で測ると良い。あまり差が大きくない方が良い。


以上、バラバラに書きましたが もっと内容が多くなったら 後日まとめてみます。2003.1.23. 
 


15: 関連リンクの収集

ようこそ
Kei's Home Page

俵 慶藏さんの心臓バイパス手術の闘病記。術後丸6年が過ぎた今でも順調な心臓のお話しは同じ心臓手術をした人々に希望を与えてくれます。掲示板でも同病の方々の情報交換がされています。豊富な趣味なども紹介されています、中でも「アブラゼミの羽化」などは生命の神秘さを再確認させてくれます。
http://www.mirai.ne.jp/~ktawara/


柿澤さんのホームページ
    心臓バイパス手術を受けられ、現在は元気に仕事をしているそうです。



    最近亡くなられたお医者さんのページです。 
    消えないうちに是非見ることをお勧めします。2002.1.20.

のぼるさんの闘病記 http://sato.ma.cx/
    読んでいると、何となくホッとします。これは筆者の人柄からくるものでしょうか。

  


   tsu/3の闘病記&自分を赤裸に綴った人生録  

壮絶な人生を送ってる人もいるのですね、あれほど数多くの手術にも耐えられる人が居ようとは、、、
このHPは読み応えがあります。
これを読むと、私なんか幸せな方ではないかと、、、思うほどです。

   
   キャンドルさんのご主人がH16年3月9日に心臓の手術を受けられました。
   その記録と、キャンドルさん ご自身の腎臓病の闘病も記されています。
   特に、姉御肌のキャンドルさんに惹かれて大勢の人が集まってきています。


   
    聡明で明るく、人をホッとさせる優しい人柄が魅力です。



Various Hearts Ring Prev Next List random
Various Hearts Ring は、心臓病、特に後天性心疾患の方々をつなぐウェブリングです。それまで普通に暮らしてきたけれど、ある日突然の心臓病…。心筋梗塞、狭心症、弁膜症、心筋症、心筋炎、心肥大(心拡大)、心不全、不整脈、ペースメーカー植え込み、その他もろもろ。心臓病を患っている方、また、心臓病の患者さんを応援してくださる方なら、どなたでも参加できます。

ウェブリングとは?
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