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黒川は谷戸の名称が分からないのでページ作りにも不自由するのですが、「川崎地名辞典・下」という書籍に若干の記述がありました。
<通称地名>の項目で記されていたのは、当HPで中央の谷戸と称している真ん中の谷戸。この資料では、毘沙門大堂付近から西の方を入り谷戸、さらに和光鶴川小学校の田圃がある最深部をオキの谷戸(奥の谷戸)と記しています。黒川分水井あたりは狼谷戸となっていますが、あそこは谷戸なのでしょうか。以前は湿地だったようなので、谷戸頭になるのかもしれません。この三つに関しては、地図上にも位置が記載されていました。
石神が祀られていたことから石神谷戸と称されるのは、黒川1990番地あたり。この番地から推測すると、変電所下に至る最南端の谷戸が石神谷戸なのではないかと思われます。黒川1880番地付近には沢谷戸。布田道の入口付近から中央の谷戸にかけてのようですが、ここも谷戸になるのでしょうか。きれいな沢水の湧き出る谷戸と書かれていました。沢谷戸も地図上で位置が示されています。
<小名(字)>の項目では、明坪(ミョウツボ)にある谷戸を七ッ谷(ナナツヤト/ナナヤト)と記す記述があります。明坪というと現在の明大用地の一帯です。いまいちハッキリしないのですが、最南端の谷戸を石神谷戸だとすると、明大用地の北側の谷戸が七ッ谷ということになるのでしょうか。見たところ、谷戸らしきものは大小あわせて六つしか判別できないのですが、古い地図では国士館大のグラウンドまで谷戸が続いているようにも見えますので、いまとは違うのかもしれません。しかし、かえってますます分からなくなってきました。
この本では触れていない北の谷戸については、「かわさき散歩」で、字名そのままの海道谷戸と称していました。ちなみに、はるひ野の開発で消えた谷戸には、ろうば谷戸(籠馬と推測している)、うまやの谷戸、池谷戸などがあるようです。
該当する場所については確証を得るには至っていませんが、黒川の谷戸には、このような名称が付けられているようです。 |
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追記(H18.7)―
「くろかわ−はるひ野開発と地域の記録」の中の地図で確認できました。谷戸名はカタカナ表記になっていて、七ッ谷はナナヤトとなっています。海道谷戸はカイドヤトと書かれていました。海道は、カイト・ガイト・カイドなどと称される地名の、当て字のひとつだそうです。
はるひ野の開発で消えた谷戸には、オオカメヤトというのもあるようです。大亀あるいは大瓶と書くのでしょうか。川崎地名辞典にもあったのですが、毘沙門大堂のある少し引っ込んだところも、寺の谷戸と表記されていることを付け加えておきます。モヤモヤしていたものが、これでようやくスッキリしました。 |
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「川崎地名辞典」日本地名研究所編/川崎市刊
「かわさき散歩−道と川と山の歴史をたずねて」川崎多摩歴史研究会編/21世紀川崎教育フォーラム刊
「くろかわ−はるひ野開発と地域の記録」黒川特定土地区画整理事業地権者会刊 |
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