コオの疑問
2001年10月○日

 リョンが生まれて2ヶ月でコオが2才になった頃、あまりテレビに馴染み無いコオに「機関車トーマス」のビデオを見せるためにビデオをレンタルしてきた。

 コオにとってトーマスはおもちゃではおなじみだが映像では未体験。
 そんなコオがどんな反応をみせるのか父としても楽しみであったのだ。

 借りてきたビデオのトーマスは劇場版の映画でなんたらレッドフォードやらのそこそこの役者が出てくる幼児には少しなじめない変わった内容だった。が、しかし、はじめてみる動くトーマスにコオはくぎ付けだった。

 話もそこそこに何の前触れ無く乱暴物のディーゼル機関車が登場する。すぐにコオの顔色が変わった。このディーゼルは理由無くトーマスをスクラップにしようと躍起になっている。最初から悪として作られたのでなければどう見ても可笑しい存在だ。

 話の内容どころか善悪もわからないコオにもすぐに「この電車、わかんな〜い」とわたしに訴えた。コオの「解んない」とはいじめである。現にこれまで周りからいじめられても遊んでくれているものと思っているふしがあった。

 私はいじめがわからないコオの純粋さとこれからの成長の不安を考えるとため息が出た。

 しかし時を待たずして生まれたばかりの次男リョンに親の愛情を二分されていることに気づき嫉妬という感情から「いじめ」というのが自ずとでるコオとなるのであった。